2009年10月25日日曜日

フツーの社会・書評・落合淳思『古代中国の虚像と実像』

cover
古代中国の
虚像と実像
落合淳思
 今回書評するのは落合淳思『古代中国の虚像と実像』だ。書店で平積みされているのをみて思わず買ってしまった。本書は主に前漢以前の時代を対象にしている。まず伝説上の王朝「夏」、そして酒池肉林の紂王で有名な「殷」、封建制とか共和制という言葉の元になった「周」、その周王を担ぎ上げて覇権をきそう春秋・戦国時代、初の中国統一をなした「秦」、そして項羽と劉邦の争いまでの通説の数々が、かなり足早にではあるが検証されている。
 
 本書の帯には「最新研究でわかった4000年前の歴史!」とあって、いかにも既存の学説がひっくりかえる新しい証拠が出てきそうなんだけど、読んでみるとそういう個所は多くなくて(文字も残っていない本当に古い時代だけ)、大半は一般的によく知られた歴史に対する常識的な批判だ。そしてその常識的な批判がすごくほっとするというか、ある種の安心感さえある本当に妥当な批判なのだ。
 
 中国の古典を引用して何かを伝えようとする人は、相手を黙らせようとか、無理矢理納得した気分にさせようとか、とにかく良からぬ事を考えているものだ。そういう風に使われるのが故事成語の宿命であるから、その効果を最大限にするために古典のエピソードは「真実」である必要がある。本書の常識的な批判というのはまさにその点をついたもので、「その話が伝わっているのは不自然だ」し、「それが真実であるのも不自然だ」というふうに展開される。
 
 たとえば、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉がある。これは始皇帝が死んだ後に反乱を起こした陳勝の言葉だ。小さな考えを持つ人物は、大きな考えを持つ人物を理解できない、という意味なのはご存知の通り。
 
 なんとなくそうなのかな、と思ってしまうところだが、やっぱりこの発言が残っているのは不自然だ。陳勝は雇われ農民だった。この言葉もその頃の言葉だという。陳勝の反乱はわずか6ヶ月で鎮圧され、陳勝は殺されている。反乱を起こす前の農民の言葉をいったい誰が記録するというのか。
 
 ではなぜ残っているのか。それは司馬遷の『史記』に載っているからだ。本書を読んで感じたのは、この『史記』がかなりくせ者だな、ということ。とにかく『史記』に載っているんだから事実とされてきたけれど、相当長い期間を扱っている歴史書であるから、当然資料が少ない時代もあるはずで、「『史記』のうち、始皇帝の時代から前漢の成立までは作り話が特に多い。混乱の時代は正確な記録が残りにくいのであるから、司馬遷を責めるべきではないだろう(p.162)」と本書にもある。
 
 なんと言っても白髪三千丈の国だから、表現が大げさなのはよく知られたことだけど、ちゃんと考えれば発言そのもの、出来事そのものが伝わっていることがおかしい、というものがかなりある。今度は始皇帝の話で、彼は不老不死になろうとして徐福に霊薬を探させた。んで徐福は日本に来た。みたいな伝説があるが、これも『史記』による。一方で、始皇帝のお墓(の一部)といえば兵馬俑なわけだ。あの巨大な兵馬俑を短期間で作ることなど絶対に無理なわけで、始皇帝は自分の死をしっかり準備してたということになる。はたして彼は本当に不老不死を望んだのだろうか。それはもちろんわからないけど、今残っている資料をもとに始皇帝は不老不死を望んだ、ということはできるだろうか。僕は出来ないと思う。本書では、徐福も実在しないだろう、としている。
 
 とまあこういう具合に常識的な検証がなされていて実に小気味よい。では『史記』とはなんだろうか。なぜこんなファンタジックなエピソード*1が満載なのだろう。本書によればそれは『史記』が比較的平和な前漢という時代に作られたからであり、文学や講談の需要を満たすため、不確かな伝説も多く取り込まれたのだろう、としている。
 

司馬遷は、資料の収集や整理については非凡な才能があったが、その当時は、歴史学はまだ学術として存在しておらず、資料の考証も司馬遷個人では不完全であった。その結果、創作された伝説がそのまま『史記』に記載されてしまったのである。

[p.144]

 本書では文献ごとの特徴などもやさしく解説されてあって、これも面白かった。たとえば『孫子』だが、これは呉の国の孫武の言葉ということになっているが、呉は南にある国であり、船を使った活動が盛んに行われている土地である。にもかかわらず『孫子』には船を使った戦術の記述がない*2。孫武が実在したかどうかも怪しいが、呉の戦術家が書いたものでもないだろう。
 
 先進的な貨幣論を記したとして有名な『管子』だが、これは紀元前7世紀の斉の国の有能な大臣、管仲の作とされている。しかし『管子』が作られたのは戦国時代の後半だそうで、すでに管仲の死から数百年たっているわけだ。社会のありかたからして全く変わってしまっていただろう。なので春秋時代よりも戦国時代の社会を描いた作とみるべきだという。
 
 では信頼できる文献はないのだろうか。本書によれば、『論語』『孟子』『荀子』『韓非子』は、名目上の著者の生きた時期と編纂の時期が近いことから、比較的信頼できるとしている。これらと反対のものは『墨子』『老子』『六韜』だそうだ。
 
 著者は「はじめに」で、

 夢のない話を延々とするので、「現実的な話は聞きたくない」という人は、本書を読まないことをお薦めしたい。また、高校の世界史の授業で教えられている情報が、いかに古く間違っているかとということも述べるので、受験生が読んで混乱するおそれがあることも注意しておきたい。


と書いていて、「おわりに」では、

 本書は、虚像をできるだけ排し、古代中国の実像を提示することを試みたが、どちらかと言えば普通の古代社会であり、あまりおもしろみのない歴史だったかもしれない



なんて書いているんだけど、なかなかどうして、僕にはとても面白かった。聖人君子や豪傑じゃない普通の人々の社会があったんだと知ることで、信頼度の高い文献もファンタジックな故事成語も、どちらも普通の人々の残したものだと納得できた。この本、とてもおすすめです。特に『論語』を読んでいる人は改めて『論語』が好きになってしまうかも。

*1:『史記』には、孔子が妖怪について得々と解説するシーンがあるそうだ。孔子は怪力乱神を語らず、のはずなのに。というのを去年放送してたアニメ『魍魎の匣』でやってました。

*2:三国志に出てくる曹操といえば『孫子』を熱心に研究していたことで有名だけど、彼はまさに船を用いた戦術をうまく使えず赤壁の戦いで大敗してしまう。

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