tag:blogger.com,1999:blog-75994006746267911082024-02-21T05:10:23.885+09:00鄙/Hina blog一年に一辺くらいしか更新しないブログ。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.comBlogger192125tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-83958986134336493792014-03-25T00:42:00.000+09:002014-03-25T00:52:14.876+09:00挫折のない人生・書評・村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121011791/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4121011791.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
日本の行政<br />
活動型官僚制の変貌<br />
村松岐夫<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
今年2014年の四月一日から、つまり来週から消費税が5%から8%に上がる。このブログではずっと政府の、そして主に日銀の政策についての疑問を書いてきました。僕自身就職氷河期世代の比較的はじめの方だし、いろいろ本を読んでいるとどうも僕くらいから50代前半くらいまでの人は、年金でもババを引くことになりそうで、どうしたって我が国の経済状況についてはあれこれ思いを巡らせてしまうので、今回の増税もかなりの心配事なのです。<br />
<br />
増税が発表された2013年の10月とか11月ごろは、意外と景気が失速しないのではないか、という楽観的な観察もあったし、そうだといいなと心から思っていたけれど、いざ10〜12月のGDPの値が出てみると思ったより良くないもんだから、やれ貿易赤字のせいだ、ウクライナの混乱のせいだと、増税から目を逸らさせようとするかのような話が沸いてでていますよね。21世紀も十年以上たって未だに貿易赤字というか経常収支に対する国民の無知に付け入ろうという人たちがいることにまず驚いちゃうんだけれど、引っかかる方も引っかかる方で、やっぱり人間日々のお勉強が大事ですね(棒)。<br />
<br />
(と思ったら、Foreign Affairsの新しい号を読んでいると、アメリカでも相変わらず貿易赤字の数値だけでどうのこうの言う人がいて困るみたいな記事が。どこも大変なんですね。[<a href="http://www.foreignaffairs.com/articles/140749/zachary-karabell/misleading-indicators" target="_blank">(Mis)leading Indicators --- Why Our Economic Numbers Distort Reality</a><br />
<a href="http://www.foreignaffairs.com/articles/140749/zachary-karabell/misleading-indicators" target="_blank">By Zachary Karabell</a>])<br />
<br />
さて、増税とか年金とか、そしてたぶん貿易赤字の話題とかに当事者として関わっていながら、なかなか顔と名前が出てこない人たちがいるわけです。そう、政治家、ではなくて、国民、でもなくて、官僚です。官僚というのはとにかく悪い奴だ、なんて意見にはくみしませんが、はっきりいって何者なのかよくわからなくてキモいわけです。特に財務省は官庁のなかの官庁などと言われ、ものすごくエラいらしいんだけど、じゃあそのトップ、事務次官の名をどれだけの人が知っているのかといえば、新聞にもテレビにも出てこない以上、知っている人は限られてくる。ちなみに今回の増税が決定した時の財務事務次官は木下康司さんで、任期は今年の6月までだそうですよ。<br />
<br />
で、以前から、日銀や財務省の人たちはどうして経済学の穏当なところ、多くの学者の合意がとれているところに基づいた政策を政治家に提示しないのだろう、と思っていたわけです。それに対してはバカ仮説はじめ、様々な仮説があるわけですが、一番の疑問は、間違っている政策を主張しているのに、組織としての統制がとれているように見えることでした。どうして異を唱える人たちが集団として出てこないのだろう? で、巷間よく言われるのは、天下りが約束されていることで、役所内で波風をたてようなんて人はいなくなる、というものです。これには一定の説得力はあるものの、それだけで若手(40代含む)まで手懐けられるだろうか、と感じていました。<br />
<br />
そこで今回読んだ本、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121011791/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』</a>です。1994年の本で、55年体制が崩れた! と大騒ぎしてたころのもの。副題にもあるように、様々な政策、そして法の運用に大きな影響力を持つ我が国の官僚を分析した本です。97年の省庁再編以前の本なので、当然本書の内容を現在の官僚にそのまま当てはめることはできないけれど、我が国のキャリア官僚が持つ「らしさ」はどこからきているのか、それを考える重要なヒントが詰まった一冊です。<br />
<br />
元々財務官僚でもあった高橋洋一さんの本を読んでいたので、財務省のキャリア官僚は入省して数年で地方の税務署長になる、という話は知っていました。本書にはさらにその根っこの話があります。<br />
<blockquote>
筆者は、日本の高級官僚集団の管理において最も注意を払われているのは、激しい競争をさせるが同時に、「脱落者を出してはいけない」という人事管理戦略であると思う。<br />
<div style="text-align: right;">
村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』50ページ</div>
</blockquote>
とし、<br />
<blockquote>
高級官僚に機密も重要問題もゆだねる日本の行政の能率は、公共セクターのポスト(誘因)競争という経済学的説明だけでは十分とはいえない。経済的誘因以上に、忠誠を確保しなければならない。そのため、心理的自信の維持を可能にするための「育成人事」(自信の継続と熟練の開発)が行われる。<br />
<div style="text-align: right;">
同上</div>
</blockquote>
といいます。ここから先は就職氷河期世代にはまぶしすぎる世界なので苦手な人は気をつけてくださいね。<br />
<blockquote>
具体的な事例をあげれば、たとえば大蔵省が行う税務署派遣がある。これは、経験五年ぐらいの若者の派遣である。これには失敗しないように補佐がついている。仕事への学習の機会を与えると同時に、失敗の危険回避が行われている。外国経験・省間委員会への参加なども大事に扱われていることを実感させる場面である。その他、挫折感をいだかせないメカニズムが各所で働いている。そして、最終的には天下りが保障されるのである。このようにキャリア組の忠誠は確保される。<br />
<div style="text-align: right;">
本書51ページ</div>
</blockquote>
どうですか? 目的が忠誠なのか洗脳なのかよくわからない研修しか知らない一般庶民からするとなんとキラキラと輝いていることか。で、なぜこんなことが必要なのかと言えば、役人の数が少ないから、だといいます。数が少ないので、一人一人の効率を挙げて人員の不足をカバーしようというわけです。<br />
<br />
何にせよ、この「挫折感フリー」な職場というのが、財務官僚が結束する理由だという説ですが、僕は大いに得心しました。確かにこんな職場に長くいれば、そこの空気を乱すのは難しいでしょう。一方で激烈な出世競争もあるわけですから、省としての方針が決まってしまえば、もう内部の力ではどうにもならないのだろうとも思います。<br />
<br />
本書では実に幅広い論点が扱われているのでそれらをここでまとめるようなことはしませんが、著者が一貫して主張するのは、日本の官僚制は70年代、80年代まではあるいは上手く機能してきたが、それは欧米諸国へのキャッチアップが国是であったためで、その時期は目的が共有されて省庁間のセクショナリズムを抑えやすかった。しかし80年代も後半になると明確で統一感のある目的を持てず、いたずらに省益を追うようになり、デメリットが目立つ。それを克服するには、トップの指導力を増強することだ、としています。これは別に政治家が細かいところまであれこれ口を出すということではなくて、首相とその側近たちに情報を上げない省庁があるようではイカンよね、という話。<br />
<blockquote>
ある官庁は、新入者の研修において他官庁との折衝の秘訣を次のように教える。すなわち、理論的にでき得る限りの主張をせよ。ここまでは当然である。情報を集めよ。これも当然である。その後、不利な結論が出そうになったら、とにかく粘れ、時間をかけて粘れと教えるのだろうである。その上、省庁ごとの決定の透明度は低い。許認可の実施においても、基準が明確でないし、容易に変わる。これでは個人間の公平の達成は困難である。そうであれば、トップはトップで、各所から主要な情報を吐き出させ国益に結びつける装置を工夫すべきである。<br />
<div style="text-align: right;">
本書106ページ</div>
</blockquote>
20年も不景気の我が国でしたが、この間経済政策、特に金融政策はじりじりとした停滞を続けていました。あの停滞も、誰かがどこかで「粘った」のかもしれません。というか、速水・福井・白川日銀が本石町で粘ってましたよね。<br />
<br />
そして、昨年9月末までの増税政局では、アベノミクス効果で増税せずとも税収が回復しつつあることが、なぜかテレビ、新聞ではほとんど語られませんでした。税収が増えているのになぜ増税する必要があるのか、増税を主張する人たちでこの疑問に答えられた人がいたでしょうか。ここでも国益とは別の何かを目的とした「粘り」が感じられました。20年続いた被害を一年でどうにかすることはできないのだから、今は好景気を維持することが大事だ、という当たり前の感覚は、この粘りと、やったことの結果は今すぐ味わいたいという焦れた老人のような欲求の前に無視されたように感じました。<br />
<br />
さて、なんだかんだといって政治というか、政党のほうが官僚よりも強いのだ、というのも本書の重要な観察の一つです。これこそ本当に大切な論点だと思います。それは、政治家は必ず民意を気にする存在であり、その政治家がアホで、素朴理論(たとえは貿易黒字は国の利益だ、みたいな)に疑いを持たないでいると、民意を煽って政治家を操ろう、追い込んでしまおうというインセンティブを、官僚に与えてしまうからです。<br />
<br />
「国の借金が1000兆円だから今こそ」増税が必要だ、「オリンピックが決まったから今こそ」増税が必要だ、「このままで年金が持たないから今こそ」増税が必要だ、「人口が減るから今こそ」増税が必要だ。こういった説が政界の空気となって、自分の手柄としての増税をしたい人たちの思惑が実現していっているわけですから、政治家にはどうしても政策の善し悪しを判断する力をつけてもらわないと困るわけです。本書は1994年の本ですが、それから20年たって、現状は悪い方に進んでいると思います。特に現政権に強い影響力がある麻生大臣、石破幹事長からは政策の理解を深めようという気が感じられません。というかなんとなく政策を選んできただけで、根拠なんかないんじゃないかという印象しかありません。安倍総理自身は勉強家のようですが、自民党内では多勢に無勢というもので、消費税増税も押し切られたように見えます。そういう状況にあって、財務省はまるで国民生活には関心がないようで、さらなる増税を目指しているようです。この点に関しては、日銀の三代続いたプロパー総裁時代を終わらせた黒田現総裁に格別の期待をするわけにもいきません。彼だって財務省出身ですから、省の方針に外部から口を出すことはありえないでしょう。<br />
<br />
挫折のない人生を与えてくれた組織に忠誠を尽くすのは人情です。ならば政治の力で進むべき方向を示さなきゃいけない。僕からすればアベノミクスはその方向性を明確に示していると思うけれど、たぶん、増税して財務省の権限を増やしたい挫折を知らない人や、そのおこぼれが欲しい人、そして何でもいいから直ぐにストレスを解消したい老人たちには届いていないのでしょう。<br />
<br />
本書の重要なメッセージは、我が国の官僚の活動量の多さに目を向けよ、ということだと思います。彼らがそれほどまでに活動的になるにはそれなりのインセンティブがあるし、活動的であるがゆえに、その範囲も国民の多くがぼんやり感じているよりも広く、政治、メディア、大学それぞれの世界で意外に大活躍しちゃっているわけです。何より、彼らにとって国民生活の改善、つまり国益には、必ずしもインセンティブを感じていないという点が大事です。<br />
<br />
そして彼ら自身では、その膨大な活動量をどうするのか、減らすのか維持するのか、活動範囲を狭めるのかこのままでいくのかを決めることはできないのです。彼らの活動をどこに向けるのか、それは国民が政治の場で決めることです。本書の出版から20年経って、国民は官僚の領分について、相変わらずおっかなびっくり、当の官僚の顔色をうかがいながら、野放しにしているのが現状だと思います。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-51093957668530412102013-09-20T00:29:00.000+09:002014-03-25T00:51:53.809+09:00消費税増税について官邸にメールした各種報道では、安倍総理がすでに来年4月の消費税増税を決断したかのように言われていますね。一方で、安倍総理本人の口からはまだ何も語られていません。明らかな誤報、あるいは宣伝工作が行われているという異常な事態が続いています。<br />
<br />
ということで、官邸にメールしました。何の意味があるのかわからないけれど、ただじっと安倍総理の発表を待つのはあまりに辛かったので。メールの内容を要約すると、札幌で塾講師をしている就職氷河期ど真ん中のワタクシですが、財務省が何と言おうが1997年の増税の轍を踏まないでください、アベノミクスで税収は増えていると聞いています、まだデフレです、教え子たちを路頭に迷わせるような政策はやめてください、というもの。<br />
<br />
官邸のホームページは<a href="http://www.kantei.go.jp/" target="_blank">こちら</a>。増税はまだ決定事項ではありません。この消費税増税に関する法律は、増税しないことを公約として政権を取った民主党が、選挙の数年後に牽引役となって作った法律であり、最近の選挙で争点になったことのない政策です。我が国の民主的基盤を維持・強化するためにも、近々の消費税増税の是非を選挙で国民に問うべきでしょう。解散がすぐには無理ならば、附則18条にもとづいて、総理が増税を先送りにすべきです。<br />
<br />
財務省の現事務次官、木下康司さんが増税の旗振り役だと言われています。一官僚に政策の失敗の責任など取りようもなく、せいぜい天下り先の格が下がるくらいでしょう。そんな人物に結果的にであるにしろ、いいように使われてしまっている国会議員の先生方は、この政策の行方を真剣に考えてもらいたいものです。税収が増えているのに、あるいは増える見込みが強いのに、なぜすぐに増税しなければならないのでしょう?zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-75548929732458878492013-02-01T12:58:00.003+09:002014-03-25T00:51:10.819+09:00十年一日・書評・『エコノミストミシュラン』田中秀臣、野口旭、若田部正澄編 毎年のように今更あけましておめでとうございます。本年も拙ブログ、よろしくおねがいします。<br />
<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872337956/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4872337956.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
エコノミスト・ミシュラン<br />
田中秀臣<br />
野口旭<br />
若田部昌澄<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> さて、年末に引っ越しをしたので本を整理していたら、2003年、つまり十年前に出版された『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872337956/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">エコノミストミシュラン</a>』が出てきた。奥付きを見ると、僕が買ったのは同年に出た3刷り。本書は、現在ではリフレ派としてすっかりおなじみの論者たちが、当時から乱発気味の経済書を「「経済学の基本」の尊重と、そして良識」(本書「はじめに」より)をもって書評し、その半分くらいを切り捨てていく本で、三名の編者の他、高橋洋一氏や飯田泰之氏、そして故岡田靖氏なども評者として参加している。<br />
<br />
編者三人の鼎談ののち、本書では計31冊の経済書がリフレ派の検証を受けている。が、晴れて「経済学の基礎」と良識を兼ね備えていると認定された本ばかりというわけにはいかない。そういう本は、これまたお馴染みの岩田規久男氏や原田泰氏、P・クルーグマン氏、J・スティグリッツ氏、P・テミン氏などなどの本で、あとは、部分的には良いけど全体としてはダメ、というのがちょぼちょぼあって、残りはゴミ、という感じ。<br />
<br />
書物の運命としては恵まれているのだろうけど、現実的には非常に残念なことに、十年という時間の経過をまったく感じさせない本でもある。当時2003年は、りそな国有化、財務省の大型為替介入、福井新日銀総裁のゼロ金利政策と量的緩和政策の継続などが重なって、若干の景気の回復が見られた頃。編者の一人、野口旭氏の言葉によると、<br />
<br />
<blockquote>
要するに、90年代は失われた10年と呼ばれていますが、それは、マクロ政策で少し株価が上がったり、景気が上向くと、すぐに横槍が入ってしまったことが原因なんです。橋本内閣のときには、少し景気が回復したのを見て、財務省の悲願だった財政再建路線という引き締め政策に転換して、景気が再び落ち込んだ。次に小渕内閣になって、大型の財政支出をやって景気が上向いたら、速水日銀がゼロ金利を解除して金利を上げ始めた──実際に上げたのは小渕首相が死んでからでしたが。とにかく、それぞれの政策当局が勝手に自分の庭先だけをきれいにしはじめる。これでは、デフレ脱却などできるはずがない。それが本格的な景気回復までいかなかった原因です。ですから今回も、この株高でまた構造改革路線に戻って財政緊縮を前のめりでやりはじめると、同じことをくりかえしてしまう気がします。<br />
(p. 18)
</blockquote>
<br />
という状況だった。僕たちはその後起きたことを知っているわけですが……。<a href="#ichifoot" id="ichi">*1</a><br />
<br />
さて、リフレ派は書評されている本の著者たちも評者たちも主張が変わっていないから、2013年であっても言い分がそのまま通用するのは当然だ。一方の反金融政策方面の人たちの主張もまた、今見るとジョークにしか思えないものもあり、何度論破されてもよみがえるハイパーインフレになっちゃうんだぞ説、日本は特殊なんだ説、もう諦めようぜ説など、無駄ににぎやかであるのも今と変わらない。ジョークにしか思えないというのは、うっかり新しい経済学を打ち立てちゃう人が多いということで、当時はそれがこの手のご商売の人たちのマイブームだったんでしょうね。十年たって榊原経済学とかができてたら良かったんですけど。<br />
<br />
本書ではすでに「失われた10年」という語が多く使われていて、ため息がでる。ずーーーーっとデフレだったなあ、としみじみ思う。岡田氏がテミン氏の『大恐慌の教訓』を評したところから引用してみよう。テミン氏らの研究が影響力を持ってきたアメリカであるが、<br />
<br />
<blockquote>
翻って日本における大恐慌期に関する一般的理解を眺めてみると、こうした(引用者:80年代以降に大いに発展したマクロ経済学の)理論的・実証的研究の成果がほとんど理解・受容されていないことに驚かざるをえない。経済学の専門家以外の人びとのあいだでは、マルクス主義の影響が強いために、大恐慌を資本主義経済の必然的な破局だとみなす考えが広く受け入れられているし、経済分析の専門家のあいだですらケインジアンVSマネタリスト論争当時の認識が一般的なのである。<br />
(p. 206)
</blockquote>
<br />
一応言っておきますが10年前ですよ。さて、昨年末の選挙でリフレ政策を掲げた自民党が大勝し、安倍総理に対する期待だけで円安株高になっている現在、本書で強く批判されているような主張は若干そのトーンを弱めている感がある(<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130116/242345/?rt=nocnt">『100年デフレ』の人は相変わらずのようですが</a>)。しかしそれも一時的なことだと思う。これから日銀総裁、副総裁、そして審議委員の人事が議論されていく中で、一見リフレ政策に理解がありそうな人物が、その役職の候補者としても、その人事を決める側の人物としても多く出てくるはずだ。<br />
<br />
評者の一人、高橋洋一氏は加藤出氏の『日銀は死んだのか?』の書評を次のように始めている。<br />
<br />
<blockquote>
つい最近までデフレ対策としてのインフレ目標論議が盛んだった。2003年3月の福井俊彦氏の日銀総裁就任以降、議論は下火になったが、デフレはいまだに収束していない。<br />
(p. 231)
</blockquote>
<br />
福井氏は当時の小泉総理に対し、デフレ脱却を約束することと引き替えに総裁に就任させてもらった、と言われている。 そして当面は緩和姿勢を継続したので、インフレ目標の議論も下火になった。しかし、いざ小泉総理の任期が終わりに近づくと、統計の改定期であることなど有力な反論があったにも関わらず、量的緩和もゼロ金利政策も解除してしまった。それが2006年。そうして、小泉総理が退いた後の第一次安倍政権ではデフレが再び加速したのだった。今回もこのようなことを繰り返してはいけない。<br />
<br />
思えば福井氏は、大蔵スキャンダルで話題になったノーパンしゃぶしゃぶの顧客名簿にその名が載っていたり、総裁任期中にインサイダー取引疑惑が浮上したりと、速見、福井、白川と続く日銀出身総裁のなかでも派手な人物だった。それでもメディアがあんまり強く批判しなかったのだから、このころが日銀の栄華の絶頂期だったのかもしれない。さすがに今の白川さんにこれだけのネタがあったらタダでは済まないだろう。少なくともそこまでは事態が進んだわけだ。<br />
<br />
先日、1月23日、日銀と政府は物価目標を2%とする共同声明を出した。が、一日たつ頃にはもう多くの人は失望していた。2014年になってからとか、政府の成長戦略がないとできないとか、事実上の何もしない宣言だったからだ。そうして麻生副総理が、もう日銀法改正の必要性は小さくなったと発言するなど、かなり雲行きが怪しくなっている。<br />
<br />
とはいえ、景気回復を願う人々にとって本丸は日銀人事と日銀法改正だ。安倍総理も法改正の意志を失ったわけではないようだし。そして特にその人事の議論の中で、本書でばっさり切られている人の名前が挙がってくこともあるかもしれない(昨年、日銀寄りすぎて? 日銀審議委員になれなかった河野龍太郎氏の著作も扱われている。この当時は円安を支持していたようだけど)。本書の鼎談でも再三言われていることだが、当時は日本経済を構造問題として読み解くという情熱がずいぶん高まっていたようだ。しかし、日本の若者にまともな仕事がなくて、30歳すぎてもお金がなくて結婚も子育てもできないような現在の状況というのは、明らかに以前の日本人の生活とは異なるものだ。なので、今となっては当時の論者たちがデフレに絡めて論じていた構造というのが何なのか、よく分からなくなっている。現状は構造改革の成果なのかそれともその失敗なのか? そう自らに問わなきゃいけない人たちが本書にはたくさん出てくるのだけど、なにぶん寡聞でありまして、存じ上げませんね、そんな殊勝な人。<br />
<br />
たとえば野口悠紀雄氏といえば構造改革のイデオローグとして名高い人だけど、もちろん本書でばっさりやられちゃっていて、デフレは中国の工業化が原因としているらしい。(p. 149) 当然中国と貿易しているのは日本だけではないわけで、つまり、当時から日本だけがデフレである理由がまったく説明できていなかったわけだ(ま、そこを説明するのが構造問題だったんでしょうね)。なので、これからこの手の人々の名が挙がっても、「経済学の基礎」を尊重していないし、良識のほうもちょっとあやしいよ、とちゃんと批判できるようにしておきたいものだ。<br />
<br />
鼎談中、田中秀臣氏は、「とにかくぼくたちは、リフレ派に反論している人たちの本をかなり読んで、構造改革派のトンデモ本の類までフォローしているのに、リフレ政策に反対する連中は勉強不足も甚だしい。自分が批判している相手の代表的な文献も読まずに批判する。そういう勉強不足のエコノミストたちが多すぎます。」(p. 65 )と言う。これもやっぱり現在と変わらない。今は、テレビのニュースキャスターが「これだけ長い間消費者物価が上がらなかったのだから、2%まで上げるといっても簡単にはできない」などと日銀の無自覚な代弁者になっている状態だ。簡単じゃなかった諦めるって選択肢ありなの? さらに、未だに、経常収支赤字=国際的な信用低下! などという読んでるこっちが恥ずかしくなるような重商主義丸出しの記者が経済記事を書く放送局があったりする。(<a href="http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0124.html">参照</a>)一知半解、その場で分かったふりをしただけで、大胆にも仕事をこなしたことにしてきたニッポンのオトナたちが、今回だけは黙っておこうと思うだけで、案外日本経済は復活しちゃうのかもしれない。<br />
<br />
また、本書でぶった切られている俗説に少子化が出てこないのもおもしろい。当時はまだ人口が減っていないのだから当然なのかもしれないが(今だって別にものすごく減ってるわけじゃないけど)、少子化問題というセンセーショナルな切り口がこのご商売で幅をきかすには、構造問題がテーマとしてが消費しつくされて、場所を明け渡す必要があったのかもしれない。<br />
<br />
「経済学の基本」の尊重と良識。その欠如は本書によって10年前にすでに指摘されているわけで、今回こそは、半端なところで手を打たず、しっかりとマイルドインフレの実現を見届けたい。本書を今一度読み返せば、金融政策の論点が10年前にすでに出尽くしているのがわかるはずだ。最後に編者の一人、野口旭氏の鼎談中の言葉を引用しよう。<br />
<br />
<blockquote>
確かに経済学は、物理学などの自然科学に較べて、人間社会を相手にしていますから、はっきりと決着がつけられていない領域がまだたくさんあります。しかし、アダム・スミスやリカードからはじまる多くの経済学者たちが明らかにし、われわれの社会に蓄積されてきた経済学の共有の知見は、現実社会を改善するのに確かに役に立ってきたと私は思っています。その知見は、経験的な証拠によって繰り返し確認され、また政策として現実に役に立ってきたからこそ、現在まで生き残っているわけです。それを否定して、いったい何をしようとしているんでしょうか。<br />
(p. 117)
</blockquote>
<br />
<br />
<span style="font-size: small;"><a href="#ichi" id="ichifoot">*1</a>: ちなみにこの2000年のゼロ金利解除、当時の日銀副総裁の藤原作弥氏が積極的に推し進めたようです。そしてその藤原氏が、イェール大の浜田教授や本書の評者でもある高橋洋一氏などを、「有象無象」と呼んだなんてニュースがありました。<a href="http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20130122">shavetail1さんのブログ</a>によると、藤原氏はジャーナリストであり、金融は「ずぶの素人」を自称してたとか。</span>zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-50509040828518571702012-11-25T12:12:00.000+09:002012-11-27T17:32:39.254+09:00激突? 毎日新聞 VS 片岡剛士 引っ越しするのでばたついていて、ブログなんか真っ先に吹っ飛んだわけですが、少しは世事も勉強せねばということで、TBSラジオの<a href="http://www.tbsradio.jp/dig/index.html">Dig</a>というラジオ番組のポッドキャストを聞いているわけです。ポッドキャストがダウンロードできるのは放送から一週間なんですが、作業の合間にぼんやりと放送タイトルを見ていたら、日銀の金融緩和がテーマになっている回(2012年11月5日放送)があったんですね。で、その日の番組パーソナリティはカンニング竹山さんと、アナウンサーの外山恵理さんで、ゲストが毎日新聞の紙面審査委員の児玉平生(ひらお)さん、そして三菱UFJリサーチ&コンサルティングの片岡剛士さんでした。<br />
<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480066632/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480066632.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
円のゆくえを問いなおす<br />
実証的・歴史的に見た<br />
日本経済<br />
片岡剛士<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
そうなんです。金融緩和は甘え、とか言い出しかねない毎日新聞さんと、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480066632/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">円のゆくえを問いなおす</a>』で日銀の責任を冷徹に浮き彫りにした片岡さんの対決なのです。これは聞くしかありません。んで、ダウンロード可能期間も過ぎちゃってるし、一丁ブログで勝手にまとめてみましょう、というのが今回の趣向でござい。<br />
<br />
序盤では片岡さんから日銀の当座預金などシステムの話があって、これをラジオで説明するのは無理があるだろう、と心配になる出だし。なんとなく「難しいことはともかく日銀にばかり頼る政府はけしからん」みたいな雰囲気になってしまうんじゃないか、と気をもむワタクシ。が、そんなのは全くの杞憂で、中盤以降、児玉さんが毎日新聞っぽいことを言った途端に、片岡さんがことごとく撃ち落とすという展開で、年上相手にさぞやりにくいでしょうに、片岡さんすごい、圧倒的ではないか我が軍は、というリフレ政策支持者としては痛快な番組と相成りました。<br />
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では放送の内容を具体的に見ていきましょう。この放送のタイトルは「日銀が二ヶ月連続の金融緩和。デフレ脱却、景気回復のシナリオとは」となっており、11月初めの追加緩和政策の発表がキッカケになっています。序盤は省略しまして、11分30秒ころの「日本銀行券をジャンジャカ刷りまくるのがダメな理由があれば教えてください」というリスナーのメールに対する片岡さんの返答から。
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片岡さん:今はデフレの状態ですよね。デフレでは人々はお金をあまり借りません。しかしこの状態で、日本銀行が「将来インフレになります。信じてください」と言ってそれを各銀行が信じるならば、国債に投資するよりも、株や債券に投資をしたほうが有利になる、と考えるようになるでしょう。なのでそのように信じてもらえるまで刷ればいいと思います。あとはどうしたら将来インフレになるんだと信じてもらえるか、という点です。日本銀行の場合98年以降ずっと基本的にデフレの状態です。それをインフレにするためには、約束をする、という手があります。なので、当面は1%の物価上昇率を目途にして金融政策をやります、と日銀は言っています。これを信じて欲しい、と日銀は言っているわけですね。</div>
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外山アナ:二ヶ月連続の金融緩和はおよそ9年半ぶり、と言われていますが、その前回のときはどういう状況で、どんな結果になったんですか?</div>
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片岡さん:その当時日銀は量的緩和という政策を行なっていました。これは今現在と基本的には同じで、物価上昇率が0%以上になるまで金融緩和をします、という約束です。これは児玉さんとはご意見の違うところかもしれませんが、2001年の3月から2006年の3月までの量的緩和では、日銀が銀行に対して供給できるお金の総量であるマネタリーベースでみると、前年比で30%が最大でした。リーマンショック後、アメリカの中央銀行、FRB(連邦準備銀行)の場合、マネタリーベースは前年と比べて40%以上、時には50%から60%くらい供給しています。なので日銀の場合、量が足りなかったと言えます。</div>
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外山アナ:少なすぎる?</div>
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片岡さん:はい。ちなみに現在、2012年9月のマネタリーベースは過去最大だと言われるんですが、前年比でいうと、10%増くらいです。なので、たしかに供給はしている。けれど、アメリカのFRBやイギリスのイングランド銀行、あるいは欧州の中央銀行と比べると、日銀のお金の供給量は少ないのです。だから、少ない状況で「上手くいかない」と言うのではなくて、せめて他の国となじくらいやってみてから「上手くいかない」と言ったっていいはずです。</div>
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竹山さん:片岡さんのご意見としては、メールのかたと同じように、もっと刷ればいいじゃないか、ということですね?</div>
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片岡さん:もっと大胆に緩和すべきだと思います。そうしなければ、日銀の目標は信じてもらえません。今の1%という目標すら信じてもらえていないのですから。これは日銀が発表している展望レポートからも明らかで、10月の末に新しい展望レポートが発表されたのですが、そこでは、2012年度はデフレが続く、と予想されています。その前のレポート、例えば今年の4月のものでは、2012年度は僅かではあるけれどインフレになる、と予想されていました。これは海外の景気状況が悪いなど色々な理屈をつけていますが、結論としては物価上昇率がマイナスになっちゃう、ということです。さらに、2014年になっても、当初目標としていた1%という目途を達成できない0.8%程度になるとしてます。なので、このまま行っても1%は無理、という状況です。</div>
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児玉さん:ただ、お金を増やしたからといって借り手が増えるわけでもありません。ではそれでどうなるかというと、緩和に反応する人がいるのです。つまりそれがマーケットです。日銀が今やっていることを、リーマンショック以降、アメリカやヨーロッパもやり始めたのです。日銀の緩和の規模が小さいといいますが、日本はバブル崩壊以降、ずうっと同じことをやってきたわけです。</div>
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片岡さん:いえ、同じことではないと思います。量的緩和のときもそうですが、今のアメリカ、欧州と比べても少ないですね。日銀の量的緩和は日銀当座残高の値を目標にしていたわけですが、FRBの場合はそれがFRB自身の資産の規模なんです。たとえば国債、住宅関連の担保証券とかそういうものを買い入れて、その代金をもって金融緩和としたわけです。サブプライムローンのときに焦げ付いた住宅関連の証券などを買い取り、価格の下支えをしたんですね。なので日銀の緩和とFRBの緩和には重なる部分もありますが、そうでない部分もあるのです。</div>
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児玉さん:日米でボリュームの差はあります。ただ、市場の反応を期待しているわけですが、中でも為替の場合、日銀が金融緩和をすると円が安くなるんですね。円が安くなると、輸入価格が上がるのでデフレ対策にもなります。で、ある意味で、世界中の通貨当局が緩和しているということは、自国の通貨の切り下げ競争をしているということです。</div>
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外山アナ:今回は反応したんですか?</div>
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片岡さん:今回は発表前のタイミングで反応がありました。十月の半ばくらいから追加緩和が予想されて報道にものりました。なのである意味期待が高まっていたわけです。株式市場は今どうなのか、ということよりも、将来どうなるか、という予想によって動きます。
で、30日の発表があった途端、日経平均は一気に下がりました。為替レートもその日は円高になりました。次の日に少し戻しましたが。</div>
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児玉さん:10兆円くらいの緩和が予想されていたんですが、実際に発表されたのは11兆円でしたので、期待とあんまり違わなかったんですね。</div>
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片岡さん:前原さんが政策決定会合に出席しましたが、それでプラス1兆円だったんでしょう。(笑)</div>
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ここで福岡のリスナーのメールの紹介。「緩和は小出しではなくドカンとやったらいいのでは? 白川さんの処方箋にはのってないようですが。白川日銀総裁の地元小倉では、貧乏神とか陰口たたかれます。」とのこと。
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片岡さん:おっしゃる通りです。Too Little, Too Late. なんです。</div>
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外山アナ:じゃあどれくらいやればいいんですか?</div>
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片岡さん:一つ桁が違うかな、と思います。マーケットが驚く、というのが条件ですね。今は、デフレがずっと続くだろうから国債に投資したほうが楽だ、と皆が思っているわけです。</div>
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竹山さん:そこで疑問なんですが、経済の専門家たちにはこれくらいでは驚かないということが分かっているわけですよね、なのになぜこんな額なんですか?</div>
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片岡さん:大規模に緩和するとインフレが制御できなくなるとか、そういう心配をされるかたもいます。私は今現在そんな心配はいらないと思っています、なぜなら今デフレだから。あとは、出来る限り政策のリスクをとりたくない、と思っているんじゃないでしょうか。</div>
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竹山さん:政府が、ですか?</div>
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片岡さん:日銀が、です。日銀にすれば、失敗も成功も責任は日銀が負わなきゃいけない、というわけです。白川さんは来年の4月に任期が切れます。なのでもうあまりリスクはとりたくないんでしょう。私の想像ですが。</div>
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竹山さん:ほかの新聞記事にもそのような話がありましたが、日本の経済を良くしなきゃいけなくて、一般市民のレベルで景気を良くしていかなきゃいけない。そういう事態なのに、リスクを負いたくないなんて感情論で動いてしまうものなんでしょうか?</div>
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児玉さん:マーケット側からみるとそういう面もありますが、世界中が緩和競争をするなかで、そうやって増えたお金がへんなところに行っているのです。例えば新興国の不動産価格があがったり、資源価格があかったりして、そういう悪さもしているわけです。なので途上国なんかは、先進国の為替切り下げ合戦はいい加減にしてくれ、という声もあるんです。
金利が下がって国債の価格が上がれば、金融機関は国債をいっぱい持ってますから喜ぶ人もいるんですが、喜ばない人もいるのです。金融マーケットだけみていれば、そりゃ喜ぶ人が圧倒的に多い、というのが今の仕組みなのです。</div>
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片岡さん:新興国の人々が困るとはおっしゃいますが、一方で便益も得てるはずです。<br />
それに、わが国はデフレですから、デフレで困っている人とデフレで恩恵を受ける人を比べれば、困っている人が圧倒的に多いわけです。GDPデフレーターで言えば94年の半ばくらいからデフレが始まっていますから15年以上はデフレで、失業率も上がったまま、様々なところで社会的な問題が発生しています。たしかに強力な金融緩和を実施してデフレから脱却することで、債権者のみなさんは困るかもしれません。でもずっとデフレでしたから、その間債権者のみなさんは得をしていたじゃないですか、という理屈もあるんですよね。なので、日本経済全体を見れば、デフレ脱却は良くない、とおっしゃるかたはどなたもいらっしゃらないと思いますよ。</div>
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外山アナ:結局11兆円で喜んでいる人は一部で、この人たちはお金を使ってるんですか?</div>
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片岡さん:あまり使っていませんね。ため込んだ方がいいんですから。</div>
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児玉さん:アメリカでリーマンショックの後に大金融緩和をやりました。それは何かと言えば、バブル崩壊で損をした金融機関を救済するためのものでした。これはつまり、バブル崩壊で損をした人々を、もう一度バブルを作って救済しようという発想なのです。</div>
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片岡さん:しかし金融機関を救済しなければ、日本のような不良債権問題が起こってしまい、結果的に割を食うのは一般の国民なわけです。公的資金を使って金融機関を救うのか、金融緩和を使って救うのか、という話ですね。</div>
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児玉さん:ただですね、一般の国民感情からすると金融機関がバブルを生み出して崩壊させたのに、また彼らのために政府のお金どんと使うのは問題になるわけです。大統領選挙でも金融機関の規制が議論されています。</div>
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片岡さん:それは別々の問題です。いきすぎた金融機関の行動を規制する話と、お金の貸し借りの土台となる金融機関の役割を守る話はそれぞれ政策の目的が異なっています。金融緩和は、金融機関を助けると表現することがありますが、それはわれわれ一般市民の生活に結びついてもいるのです。金融機関が倒産しそうになると、今持っている預金がなくなっちゃうかもしれない。一生懸命貯めていたお金がなくなってしまえばわれわれ自身の生活も困ります。そういう事態を防ぐためにやっている金融緩和と、金融機関が利益を追求しすぎて怪しげな証券を売りに出してしまうことなどを規制しなきゃいけないという話は切り分けなくてはいけません。</div>
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外山アナ:私たちのところまで金融緩和の影響を届かせるためにはどうしたら良いのでしょう?</div>
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片岡さん:一つはやはり緩和をより強力に、ということですが、これは手段の話です。もう一つは、今日銀は「目途」として1%の物価上昇率を設定していますが、これは先進国の中でももっとも低い数値です。アメリカは2%ですし、欧州もだいたい2%です。なので、目標の方をもっと上げる、ということです。目標を上げ、手段も強力にする。これをセットでやっていく。</div>
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竹山さん:目標さえ上げれば達成できるものなのでしょうか? それに向けて進んでいくものなのですか?</div>
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児玉さん:それに向けて金融緩和をもっとやれ、という話ですね。できないのなら責任をとりなさい、ということです。</div>
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外山アナ:でも物価が上がっちゃうと消費者はこまりますよね?</div>
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片岡さん:今はデフレですし、物価上昇率が2〜3%ということになれば、失業率は確実に下がります。需要が供給よりもちょこっと高いぐらいのほうが、人もたくさん雇用できるし、経済がよく回っていきます。なぜそうなのかというと、黙っていても技術革新はすすむからなんですね。思い切って均して言ってしまうと、私たちは毎年2%くらいづつ労働生産性を上昇させていますので、その分人がいらなくなるのです。なのでその分の需要が増えて物価がそれに応えていく形にならないと、雇用も維持できないし、賃金も維持できなくなるのです。
で、今の状況というのは、マイナス1%直前のデフレなのですが、これを維持することは結局、人がいらない状況を維持するということになります。
なので、2、3%のマイルドインフレを維持するのが望ましい、と言えるのです。</div>
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外山アナ:では日銀の言う、消費者物価指数が前年比で1%になるまで強力な金融緩和を進めていくっていうのは、大して強力じゃないってことなんですか?</div>
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片岡さん:もっと物価上昇率を上げた方がいいですね。</div>
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児玉さん:ただね、物価って言うのはそんなに簡単にコントロールできるのか、という疑念もあるんです。日銀の資産がそうとう肥大化しておかしくなっている、とみんなが思い始めると、日銀に対する信用が急速に悪化する、ということを言っている人もいます。
もう一点あって、今度の金融緩和の話は、景気対策でありデフレ対策なわけですが、そこで日銀にばかり焦点があたってしまっています。それは、政府が財政出動をして景気を浮揚させることもできるわけですが、今までそれをさんざんやってきて、赤字国債がたまってきて、もうお金は使えないという状況にあるからです。政府として何かやらなくちゃいけないんだけど、その手段がないので、日銀にばかり対策を押しつけているのです。</div>
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片岡さん:あのー、もともと日銀法という法律がありまして、そこで日銀は物価を安定化させるという責務が定められています。なので物価が安定化していない、つまりデフレであることの最大の責任者は日銀なのです。そして、デフレがずうっと継続しているのですから、日銀の仕事は上手く行っていない。政府は日銀の監督者なわけですから、日銀にどのような政策をさせるか、という議論は当然あるわけです。そこで今回、財務大臣と経済再生担当大臣と日本銀行の連名で、デフレ脱却を目指すという共同文書が作られたわけです。</div>
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児玉さん:ただね、日銀の中にある考え方としては、市場に資金需要がないところにお金を出しても、実体経済の刺激にはならない、というものがあります。</div>
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片岡さん:馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない、というやつですね。</div>
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児玉さん:反応するのは金融マーケットだけだ、ということです。</div>
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片岡さん:それは通常の状態ならそうだ、ということですね。デフレではない状態の資金需要と資金供給の話と、デフレ下での資金需要と資金供給の話は別であることを理解しなくてはいけません。</div>
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竹山さん:日銀さんがそれを理解してくれなきゃ困りますよね。</div>
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片岡さん:そうですね。1930年代の大恐慌のときにものすごいデフレになりましたが、このときにFRBはリアルビル・ドクトリン(真正手形説)という考え方をしていて、これがまさに、貨幣需要がないと資金供給はできない、という考え方なのです。そしてFRBがそのような考え方だったからこそ、デフレになっちゃったんです。なので今ではFRBは、過去の教訓に基づいて、二度とそのような考えで金融政策を行わない、と主張しています。
しかし日銀は、貨幣需要がなければお金は刷らないと言っているわけです。業界ではこれを日銀理論なんて呼んだりしていますが、馬に水を与えても馬が飲まなければ意味はない、というわけですね。まずそもそも水が足りないのですが、この考え方が間違っているということは昔の経験からハッキリしているんですね。だからまず緩和を実行することが大事です。</div>
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児玉さん:お金さえ刷れば全てハッピーになると言っている人が結構いるんですが、それもどうかなと思います。</div>
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片岡さん:そこは実体経済と絡んできますからね。ただやったほうが良い理由はあって、まず当座のお金に困っている人たちが救えるかもしれません。今、日経平均株価は一万円割れが続いていて、下手をすると9千円割れとか7千円台になったりする状況です。例えばリーマンショックの影響を直接に被ったアメリカや欧州でも、日本ほどには株価の低迷が長続きしているところはありません。これが事実です。バブル崩壊直前、89年の大納会のときには3万8千円台でした。そこから三分の一以下の低い水準で推移しているわけです。リーマンショックでアメリカがヒドいことになっているとはいっても、アメリカの株価は今あがり続けています。なのでこの違いを理解する必要があります。</div>
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竹山さん:結局金融緩和策として、二ヶ月連続でこの程度のお金──すごい額ではありますが──を出したところで、結論としてはお二人とも、何も変わらない、ということでしょうか?</div>
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児玉さん:そうですね。私の場合は、金融政策にばかり注目するのではなくて、もっと他にもやることがあるだろう、という意見です。例えば新しい産業をおこすための規制緩和、イノベーションのためにお金を使う、減税する、そういったいろんなことをやっていって経済を暖めて行くべきだ、と思っています。</div>
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片岡さん:そこはおっしゃるとおりだと思います。ただ規制緩和をすると言っても、どういった規制緩和をするのか、という問題があります。日本はかなり規制緩和を進めてきましたから。</div>
<div class="burain5">
児玉さん:農業とか医療など、取り残されている部分があります。これは業界が反対して難しいんです。</div>
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片岡さん:しかしそのような政策は、物価を上げるための第一の手段ではない、というところが重要です。まず第一の手段として、日本銀行がお金を刷らなければ、何も解決しません。これをした上で、なおかつ規制緩和などを平行して行っていくことが大事だと思います。</div>
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ここでまたリスナーのメールから。「今回で二回目の金融緩和ということですが、私たちの生活には何の変化もありません。一体誰のための金融緩和なのでしょうか?」
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片岡さん:最終的には私たち一般市民の経済が良くなっていくんですが、一番最初はマーケットです。ここのデフレ予想をインフレ予想に転換していく必要があるわけです。具体的には株価が上がったり、為替レートが円安になってきたり、債券の価格が上がったりして、銀行が国債という形で資産を塩漬けにするのではなくて、危険資産にお金を投資するような形に持って行く必要があります。そうすると、株価が上がるので株を持っている人には資産効果という影響があって消費を増やすでしょうし、予想されるインフレ率が上がればお金を借りるときに、額面の金利よりも借りるコストが安くなるので投資をしやすくなります。これを実質コストが下がる、と言います。そうなってくると需要がでてくる。今一部の大企業などは、借り入れではなくて自己資金で投資をしていますが、需要が出てくると、それだけでは足りなくなってきます。もっともっと生産するためにお金を借りる必要が出てきます。そうして資金需要が出てくるのです。なので、即座に資金需要が起こるということではなくて、資産市場を経由して、それが実体経済に波及する、つまり、GDPが増えるとか需要が増えるという形で波及してから、はじめて貸し出しの需要が起こります。そうすると、国債の名目の金利が上がってきます。そうなれば、日本銀行も、金利を上げないと実体経済が加熱しすぎてしまう、としてそこで初めて金利をあげることが可能なのです。これが正常化の過程です。</div>
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児玉さん:小泉内閣のときにそれを目指したわけですが、それで起きたことと言えば、結局円が下がってデフレ脱却に近づいたのですが、途中で息切れしてしまいました。様々な産業に影響が及ぶように全体を暖めていく必要があったんですね。</div>
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片岡さん:財政政策をもっとやるべきだったかもしれませんね。ただ別の考え方もあります。日本銀行が2006年の3月に量的緩和を解除していますが、そのときは消費者物価指数が0%を3ヶ月間上回っていました。消費者物価指数という統計は、1%弱程度上ぶれする数値です。ですから1%を越えると、そこでようやく0%を越える、というふうに考えられています。そのように統計上の誤差があり、0%程度ではデフレ脱却とは言えない、という議論があったわけですが、結果的に早すぎる引き締めを行ってしまった、これが失敗としてあるわけです。
2006年、2007年というのは、世界経済も好調で、外需という追い風がありました。その追い風のなかで金融緩和を行っていたので、好調なアメリカが容認してくれたこともあり、円安が進みました。なので輸出も増えましたし、それに沿うように設備投資も増えました。なのでそのときにデフレから本格的に脱却できていれば、その投資の成果として得たお金は賃金に還元され、消費にまわるはずでした。しかしそうなる前に、量的緩和をやめてしまったわけです。0%達したからもういいだろう、とか、早く金利を上げたい、ということもあって解除してしまったのです。</div>
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外山アナ:失敗しちゃったわけですよね。そういう反省材料があるのに、二ヶ月連続緩和は9年半ぶりだ! とか言っててこれでホントに大丈夫なのかな、と思うのですが、ホントにデフレ脱却しようとしているのでしょうか?</div>
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片岡さん:私もそこは疑問に思いますね。例えば白川総裁が2月14日におっしゃったように、1%を目途に金融緩和をしていくという発言も、その時点では総裁任期が切れるまで一年以上ありますから、一年間しつこく緩和を続けていれば、マーケットだってその言葉を信じたでしょう。しかし実際には、ちょっとやったら効果を検証しますと言って一回休み、また緩和しますと言ってまた休む。政府に突っつかれたら渋々緩和している、という風に見えてしまうのです。</div>
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児玉さん:日銀のパフォーマンスが良くないのも事実ですよね。アナウンスメント効果といいますが、それがとても弱い。しかし、マーケットというのは気まぐれですし、相手のいることでもあります。日本が金融緩和したとしても、アメリカやヨーロッパが金融緩和をすれば、相殺されてしまいます。</div>
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片岡さん:それは為替の話ですよね。インフレ、デフレというのは国内の問題なので、緩和を行えば国内の投資や株価には着実に反映されます。確かに為替にも影響はありますが、それは緩和をやらない理由にはなりません。</div>
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竹山さん:ということは、マスコミは2ヶ月連続だと大騒ぎしていますし、こうやってこの番組でもテーマにしてますけど、実はそんな大したことでもなんでもなくて、極端に言うとポーズにすぎなくて、野田首相が経済もしっかりやらなきゃいけないとこの間表明したこともあり、政府が日銀をせっついただけだ、と。で、日銀が面倒くさがりながら、影響が出ない程度にやった、そう考えても間違いでもない、とそういうことですか?</div>
<div class="burain5">
児玉さん:そうですね。</div>
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片岡さん:ですね。端的に言うと「できない集」を作っているということです。</div>
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外山アナ:10兆、11兆なんて日銀にとってはへでもないってことですか?</div>
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片岡さん:そうです。</div>
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竹山さん:へでもないし、経済にとってもどうしようもない程度だと。</div>
<div class="burain5">
片岡さん:これ実は二回連続じゃないんですよね。正確には10月は上旬にも一度政策決定会合があって、そのときは緩和を見送っていますから。二ヶ月連続ではあるんですけど、二回連続じゃないんです。細かい話ですが。で、二ヶ月連続ということでこれだけ報道がなされるんですから、次の月も、その次の月も緩和して大きく報道されれば、日銀がようやく本気になってきたと信じてもらえるかもしれませんね。</div>
<div class="burain5">
外山アナ:ちょびちょびやっててもだめなんですか?</div>
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片岡さん:小出しにやってても意味はないでしょう。一回やって休んで、また一回やって二回休むという逐次投入をやっていると、なかなか信じてもらえないんですよね。</div>
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外山アナ:続けないと意味がないんですね。</div>
<div class="burain5">
片岡さん:そうです。目標を決めているわけですからね。1%を目途と決めているんですからそれを達成するように続けなくちゃいけない。</div>
<div class="burain5">
竹山さん:もしずっとやっていれば、言い方は悪いけど、国民がその気になるというか、だまされるというわけじゃないけど、政府と日銀が経済を良くしようとしてるじゃん、と国民が思いこんでホントに良くなっていくという効果もあるんじゃないですか?</div>
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片岡さん:ありますね。株価が上がればそういう雰囲気になるでしょう。</div>
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外山アナ:10回で10兆づつ出すのと、1回で100兆出すのとどっちがいいんですか?</div>
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片岡さん:それは難しいですね。1回で100兆だしても、次もまだ出しますよ、という緩和の姿勢を続けることが大事なんですね。つまりスタンスを明確にすることが大切なのです。なので、一回やって一回お休み、一回やって二回お休みなんてことをして、その理由を総裁がちゃんと人々が納得する形で説明しないのが良くないのです。外国人の投資家というのは、日本銀行のスタンスを見ています。だから日銀がマジになったというのがハッキリしないと、なかなか株とか債券など、予想によって支配される市場は上向きになってきません。</div>
<div class="burain5">
児玉さん:マーケットが意外に思うこと、驚くようなことを続けてやらなくちゃいけないという話ですね。だけど、マーケットが喜べば株価が上がるというのは、本当なんだろうかという疑問もあります。際限なくやるといってもモノには限度というものがあります。</div>
<div class="burain5">
片岡さん:例えば、わが国の国債を全部日銀が買い取ってもインフレにならないのであれば、無税国家になってしまいますよね。税金を使わず、しかも財政赤字を気にせず、無限に国債を発行することが出来てしまうわけですから。こんなハッピーなことはない。でも実際にはそんなことはあり得ませんね。</div>
<div class="burain5">
児玉さん:しかし第二次大戦中に日本は似たようなことをやったわけです。戦時国債をだして、それを日銀がどんどん引き受けていく。そうして戦争に負けて、生産設備が無くなってしまい、赤字だけが残され、大インフレが起きました。国民の資産が無くなってしまったという経験をしたわけです。なので、モノには限度ってもんがあるんですよ。</div>
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片岡さん:もちろんそうです。だからこそ、物価上昇率の1%という目途を決めたわけですよ。インフレターゲットを導入して財政破綻した国はありませんしね。</div>
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児玉さん:インフレターゲットというのは、インフレ率が高い国が、低く安定させるためにはじめたものですから、逆のパターンってあまりないんですよ。</div>
<div class="burain5">
片岡さん:いえ、いくらでもありますよ。決して前例のないことではないんです。なのでやるかやならないかだけです。</div>
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外山アナ:結局二ヶ月連続で終わって、今度は消費税も上がったりしたらたまったもんじゃないですね、国民としては。</div>
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片岡さん:そうですね。政府が出来ることで重要なのは、10月末に発表された日銀の展望レポートによれば、2014年の実質GDP成長率は消費税増税の影響込みで0.6%ぐらいとされています。そこまで落ち込む、という予想をたてています。このような状況であれば、増税は一旦オシャカにして、公共事業、金融緩和を使って政府と日銀はデフレ脱却の歩調を整えるべきだ、という話も出てくるでしょう。</div>
<div class="burain5">
竹山さん:政治的にみると、野田政権は長くとも来年の夏までです。日銀の総裁は春で任期満了です。苦しい状況に置かれている人がいるわけですから、経済的には急がなくてはいけないと思うのですが、今何かをして、来年の夏までに大きく変わっていくモノなのでしょうか? 早く新政権を樹立して、そちらでやったほうがいいんでしょうか? 今野田さんがやっても政権が変わってまた一からなんでしょうか?</div>
<div class="burain5">
児玉さん:今の政権が経済対策をやろうと思っても、参院でねじれていますから、なかなかできないでしょう。なので先日の経済対策で出てきたのは、災害等のための予備費を7000億程度使うという話でした。実体的に意味のある話ではないと思います。だから政治状況がこのようであるというのも、日本の不況を長引かせることにつながっていると思います。なので、政治状況を刷新して、世の中の気分を変えるのも一つの手でしょうね。</div>
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片岡さん:そうですね。政権を変えるときに日本銀行のスタンスを変えるのもいいでしょう。しかし、政府に非があるから、日本の中央銀行は今のままでも良いのかといえば、それは良くないと思います。オバマ政権は危機が起こった直後は急激に公共事業を増やしましたが、それ以降はほとんど出来ていません。そんななかで2%台の経済成長をなんとか達成できているのは、FRBが金融緩和をしているからです。これがなければアメリカ経済はおかしくなっていたでしょう。</div>
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児玉さん:ちょっと心配なのは、アメリカも財政赤字が増えてしまって、財政の崖問題、財政支出を減らそうという動きが出てきています。ヨーロッパの債務危機もギリシャがまた怪しくなってきています。つまりこの先どうなるかわからない、先行きがすごく不透明なんですね。</div>
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片岡さん:財政の崖については、政治的に決着するのではないかと思っています。欧州のほうは、これは年中行事ですから、年末になるたびに大変だーとなってずるずる悪くなっていく、これが繰り返されてきました。</div>
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児玉さん:もう一つは、中国の高度成長がどうも終わりそうだ、という点です。新興国頼みも無理かな、という状況です。</div>
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片岡さん:なので余計国内の対処が重要ですね。</div>
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児玉さん:そこを金融政策だけでやるというのが私には疑問です。いろいろやらなきゃいけないと思います。</div>
<div class="burain5">
竹山さん:お時間ですのでまとめたいと思います。二ヶ月連続の金融緩和というのは、10兆円、11兆円と打ち出されたわけですが、これはあまり効果はない、ということですね?</div>
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片岡さん:そうですね。まだまだ足りません。</div>
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外山アナ:およそ九年半ぶりです! みたいな報道なのに。</div>
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竹山さん:そういう報道があるので勝手にスゴい!と思っちゃってるんですよね。新聞でも一面ででてますし。</div>
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外山アナ:大したこと無いんですね。</div>
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片岡さん:今までやってませんからスゴいことではあると思いますよ。もっとやったほうがいいですけど。</div>
<div class="burain5">
竹山さん:逆になぜ今までやってないんだっていう。</div>
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外山アナ:今日は、「日銀が二ヶ月連続の金融緩和。デフレ脱却、景気回復のシナリオとは」ということで、毎日新聞紙面審査委員の児玉平生さん、そして三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員の片岡剛士さんをお迎えしてお送りして参りました。ありがとうございました。</div>
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児玉さん:ありがとうございました。</div>
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片岡さん:ありがとうございました。</div>
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おつかれさまでした。さて、そうして日本はもう15年以上もデフレなのです。この間に失われたものを数え上げたってキリがないほどの停滞です。なのに放送中、児玉さんが案の定、「資金需要がないなかで緩和しても…」という真正手形説をもちだしたときは、充分に予期していたこととはいえ、ちょっと残念な感じがしましたね。まだその話してるの? という。そりゃあ、新しい論点がホイホイ出てくるとは思ってませんけど、児玉さんの論点が平気であっちこっちに飛んでいってることもあり、緩和策の何に反対しているのか、お考えがあまりよくわかりませんでした。大メディアのみなさんには、リフレ政策に関する議論が10年以上という時間をかけてしっかり積み上げられてきたことを直視して欲しいですね。<br />
<br />
しかしそれでも、思ったよりも毎日新聞っぽくないなあ、とも思いました。てっきり元朝日新聞の記者さんみたいに「安倍総裁は金融右翼だ!」とか言うのかと思った。(<a href="http://diamond.jp/articles/-/28308">参照</a>) そういえば戦前、新平価解禁四人組は逮捕! とか書いてたのも朝日新聞だそうですね。<br />
<br />
一方で、番組としては台本通りなのかな、とも思うのです。児玉さんが俗説を取り上げて、片岡さんがそれを否定していくという構成だったのかも知れません。でもそうだとすると児玉さんの印象がちょいと悪すぎるので、是非一言、今回はこういう構成で行きますって言っておいて欲しかったです。いや違うならいいんですけど。<br />
<br />
現在は安倍自民党総裁が言明したリフレ政策がヤフーのトップにニュースとして載る時代です。思えば僕がリフレ政策の存在を知ったのはもう8年前ですから、ここ数週間の動きには隔世の感を覚えますね。同時に、安倍総裁の案に対する反論が、今まで幾度となく否定されてきた日銀理論の焼き直しでしかないことに虚しさも感じます。「独裁政権」なんて批判がありましたが、結局印象論かよ、と。(<a href="http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE8AJ01320121120">参照</a>)
とはいえ、日銀がこれ程までに国民の注目を集めてしまったのだから、日銀の栄華もここまでなんだろうと思います。90年代後半から不気味なまでに効果的な情報戦略を実践してきた日銀がこのまま大人しく引っ込むのか、そこがこれからの見所でしょうかね。日銀法改正と引き換えになにか要求してきそうな気もしますが、折り悪く白川日銀総裁も任期切れ間近で、何かと組織としてまとまりにくそうです。<br />
<br />
ちなみにDigでは、11月の20日の放送でも片岡剛士さんが登場しています。これは27日まではダウンロードできると思いますので、是非どうぞ。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-19122489017599684372012-10-06T14:35:00.000+09:002012-11-27T17:33:15.245+09:00[訳してみた] 反日スローガン<br />
Language Logというブログに、先般の反日デモで掲げられたスローガンの英訳とその若干の解説があったので訳してみました。原文にはピンインも記されていましたが、僕はピンインも中国語もまったく読めないので翻訳文では割愛してます。<br />
<br />
原文は『<a href="http://languagelog.ldc.upenn.edu/nll/?p=4205">More anti-Japanese slogans, but with a twist</a>』です。<br />
<br />
<br />
(翻訳はじめ)<br />
<br />
<h4>
さらに反日スローガン、ただしヒネリ有り</h4>
September 21, 2012<br />
by Victor Mair<br />
<br />
<br />
二日前に、「『日本人は全員死んじまえ』」と題したエントリーで私は、尖閣諸島を巡って中国で起きている、暴力的な反日スローガンを掲げたデモについて書いた。それが今は、政府が支援する「日本人をぶっ殺せ」スローガンに触発された形で、同型のスローガンが他ならぬ政府に向けられている。中国政府は自身の弱点を隠すべく種々の宣撫工作を行なってきたし、その弱点には、第十八回の全人代を控えてもなお中国共産党が派閥ごとに鋭く対立していること、そして人民の不満が高まっていることが含まれている。だから、この展開は多くの中国ウォッチャーが予想していたものだ。<br />
<br />
ではここで、実際にあらわれた官製でない、反政府的なスローガンの例を見てみよう。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjhca6Ord8PfLZ8j5ZWKDkB8H-XaHLmNGDjzGcXFSzaYqItFa9Tafz3CJLhYS6wv2f0imMcxXpwvngRzCMeO-8CNL1CfIDqExH8edv_2ZfHfoRVaZB7knHlSa7v6-dCuQjizLKFeTfm-xM/s1600/antij1.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjhca6Ord8PfLZ8j5ZWKDkB8H-XaHLmNGDjzGcXFSzaYqItFa9Tafz3CJLhYS6wv2f0imMcxXpwvngRzCMeO-8CNL1CfIDqExH8edv_2ZfHfoRVaZB7knHlSa7v6-dCuQjizLKFeTfm-xM/s320/antij1.jpg" width="258" /></a></div>
<br />
<br />
<blockquote>
先废劳教再保钓,以防保完被劳教<br />
<br />
(政府は)まず労働者の再教育(政策)を廃止せよ(つまり労働教養(強制収容所に勾留されることが多い)のこと)。そしてその後で、魚釣島を防衛せよ。(魚釣島の)防衛後に人民が「再教育」されないようにするために。<br />
</blockquote>
<br />
訳注:労働教養とは、裁判抜きで人民を勾留できる制度。勾留されると労働改造所に送られて強制労働をさせられると言われている。アメリカ議会でも深刻な人権問題として取り上げられている。(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%95%99%E9%A4%8A">参照</a>)<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi5uT5cLuKN-dtMUxYlBbVUzT8RQ5Mqd2_CHuw_eHYEJZdyI1Yp_W9Mkt8cxhE1T2TjQLEuKBFs3yudzxDbyG9yVJuUgeROM8Aalxj5q5wqgmv2LF72q4gQEnHuywSjWhX6cDsUdZSqYUU/s1600/antij2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi5uT5cLuKN-dtMUxYlBbVUzT8RQ5Mqd2_CHuw_eHYEJZdyI1Yp_W9Mkt8cxhE1T2TjQLEuKBFs3yudzxDbyG9yVJuUgeROM8Aalxj5q5wqgmv2LF72q4gQEnHuywSjWhX6cDsUdZSqYUU/s320/antij2.jpg" width="293" /></a></div>
<br />
<br />
<blockquote>
给我三千城管兵,一定收复钓鱼岛<br />
给我五百贪腐官,保证吃垮小日本<br />
<br />
城管兵が3000人もいれば、魚釣島は間違いなく取り戻せる。<br />
汚職役人が500人もいれば、その食い意地で「小日本」を平らげる。<br />
</blockquote>
<br />
注:<br />
<br />
城管兵とは、人々に非常に恐れられている準警察組織で、都市部において一般の市民(行商人や住んでいる家を破壊されてしまった人々(後述)など)との間にかなり暴力的な衝突を引き起こしている。<br />
<br />
「吃垮」という表現の翻訳は難しい(直訳すれば、「倒れるまで食べる」になる)。これはすべての役人の満たされることのない食欲を指していて、汚職役人かどうかを問題にしている表現ではない(とはいえ、人々は「无官不贪」(腐敗していない役人などいない、つまり役人はみんな腐ってる)とも言っているが)。公式、非公式の統計はどれも、中国共産党の役人が毎年数十億元規模の税金を、宴会や会食に使っていることを示している。だから必然的に、街や企業、国その他諸々を「吃垮」する役人に対しては手厳しい物言いが溢れることになる。つまりこれは、500人の中国汚職役人を交渉のために日本に送り込めば、連中の豚のような食欲でもって小日本を「倒れるまで食べる」ことだろうよ、という意味なのだ。<br />
<br />
さらにこの写真には(台湾の)中華民国の旗がかなり目立つ形で写っている。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtHnL6nlgDF1tD0JximUWbLuI2im1fKhYfgmdAbL9ri9ZDgfqA-UkPaawkvWlAgWY-83y0Kvjdu5_HUgcSFEDVmoq6ypSR7bHuaJZw6vBQ2a-e34HsG6kfv0fDhAZGO5z4D-ckBWEumgA/s1600/antij3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtHnL6nlgDF1tD0JximUWbLuI2im1fKhYfgmdAbL9ri9ZDgfqA-UkPaawkvWlAgWY-83y0Kvjdu5_HUgcSFEDVmoq6ypSR7bHuaJZw6vBQ2a-e34HsG6kfv0fDhAZGO5z4D-ckBWEumgA/s320/antij3.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
<br />
これはここ最近私が目にした中国の写真の中でもっとも悲しい一枚だ。<br />
<br />
<blockquote>
没医保,没社保,心中要有钓鱼岛<br />
就算政府不养老,也要收复钓鱼岛<br />
没物权,没人权,钓鱼岛上争主权<br />
买不起房,修不起坟,寸土不让日本人<br />
<br />
医療保険もなく、社会保障もない。それでもあんたの心にゃ魚釣島があるわけだ。<br />
政府が年寄りの面倒なんか見やしなくても、ワタシらは魚釣島を取り戻さにゃならんわけだ。<br />
財産を私有する権利もなく、人権もない。でも(ワタシらの国は)魚釣島の支配権をもぎ取らにゃならんと必死になってる。<br />
(ワタシらは)家も買えず、墓も建てられない。それでもワタシらは一片の土地を巡って日本人と争うわけだ。<br />
</blockquote>
<br />
では目についた他の例を見ていこう。<br />
<br />
伝統の、政府お墨付きスローガン<br />
<br />
<blockquote>
十亿青年十亿兵,国耻岂待儿孙平<br />
<br />
10億の若者と、10億の兵士。子供たちと孫たちのため、この国家的恥辱を雪ぐのに何を待つことがあるというのか?<br />
</blockquote>
<br />
<br />
風刺系スローガン<br />
<br />
<blockquote>
哪怕吃尽毒奶粉,也要杀光日本人.<br />
哪怕喝遍地沟油,也要挥刀斩倭寇.<br />
哪怕顿顿瘦肉精,也要出兵灭东瀛.<br />
哪怕天天被代表,也要收复钓鱼岛.<br />
哪怕养老没人管,也要占领富士山.<br />
哪怕老家被强拆,也要活捉福原爱.<br />
<br />
たとえ汚れた粉ミルクしか飲むものがなくとも、日本人は全員必ずぶっ殺す。<br />
たとえ全土で地溝油を使うはめになったとしても、刃を研いで倭寇を必ずたたっ斬る。<br />
たとえクレンブテロール入りの肉しか食べれなくなっても、東の海に軍を送り込んで(そこにいる奴らを)必ず粉砕する。<br />
たとえ我々人民がきっちり「代弁されている」のだとしても、魚釣島を必ず取り戻す。<br />
たとえ我々が年老いて面倒を見てくれる人が誰もいなくても、富士山を必ず占領する。<br />
たとえ住み慣れた我が家が強制的に破壊されても、福原愛を必ず生け捕りにする。<br />
</blockquote>
<br />
訳注:<br />
<span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre;"> </span>地溝油は下水や排水から精製した食用油。人体に有害だが、中国政府の管理の外で流通しているため利ざやが大きい。(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%BA%9D%E6%B2%B9">参照</a>)<br />
<span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre;"> </span>クレンブテロールは食肉の赤みを増す効果のある薬物。人体に有害で、中国ではクレンブテロールによる中毒事件が度々起きている。(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB">参照</a>)<br />
<br />
注:<br />
<br />
(訳注:倭寇については略します)<br />
<br />
「代弁されている」とは、ちゃんとした民主制である代わりに、(訳注:人民の意志は中国共産党によって)「代弁されている(represented)」という意味。<br />
<br />
(訳注:福原愛さんについても略します)<br />
<br />
「破壊」とは、悪名高い「拆」で、中国国内でとんでもない騒動と抗議の源泉となっている。(訳注:拙ブログの<a href="http://since20080225.blogspot.com/2012/07/blog-post_14.html">このエントリーを参照</a>)<br />
<br />
<br />
<blockquote>
养贪官,做房奴,决不放弃钓鱼岛.<br />
<br />
クソ役人を肥やすだけの住宅ローン奴隷だとしても、オレらは絶対に魚釣島をあきらめねえ。<br />
</blockquote>
<br />
無数の風刺系スローガンが広がっていることと、そして政府を後ろ盾にした愛国的なスローガンがあきもせず繰り返しあらわれることから判断するに、少なくとも相当な割合の市民は、人々の注意を国内の危機から日本やアメリカ、フィリピンやベトナムなど別のターゲットにシフトさせようという中国共産党のキャンペーンに引っかかってなどいない。<br />
<br />
このごろの中国は、体制側の日本に対する激しい非難を皮肉った、イミテーションという反動で溢れかえっているのだ。<a href="http://www.epochtimes.com/gb/12/9/19/n3686015.htm%E7%BB%84%E5%9B%BE-%E5%A4%A7%E9%99%86%E5%A6%82%E6%AD%A4%E2%80%9C%E5%8F%8D%E6%97%A5%E4%BF%9D%E9%92%93%E2%80%9D-%E7%89%B9%E8%89%B2%E6%A0%87%E8%AF%AD%E7%AC%91%E7%BF%BB%E5%A4%A9" target="_blank">ここを見るとさらにいくつもあるのがわかる。</a><br />
<br />
Language Logの読者の方で、写真にある冷笑的な文句が読める方は、是非コメント欄にその訳を書いてください。<br />
<br />
<br />
(翻訳おわり)<br />
<br />
いやー、おっかない国ですね。強制労働とか地溝油とか。中国の人の多くは反日に熱心ではない、なんて話は聞こえてきますが、本当の所はいまいちわからない。尖閣については日本が実効支配してるわけですから、こちらから騒ぎ立てる必要はないのでしょうし、その上で日本側が冷静になって無用な刺激をせず、あちらさんの腹芸に付き合って見せるのがいいんでしょうけど、なにせ実情がわからないからどうにも不安が拭えないですよね。いっぱしの外交上手な国になりたければそれくらいの不安には耐えろ、ということなんでしょうか。<br />
<br />
追記:<br />
2012年10月7日 文言をちょっと修正。<br />
<br />
追記その2:<br />
2012年10月16日 中国国内で流通する危険な食用油の数々について、日本語で解説している動画が有りました。<a href="http://www.youtube.com/watch?v=BE1mfy8Hh9Q&feature=rellist&playnext=1&list=PLB5AF7028456AF30D">こちら</a>です。元警視庁刑事、北京語通訳捜査官の坂東忠信さんと、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334036740/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">検証 財務省の近現代史</a>』の著者、倉山満さんの対談です。
zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-57039661075429397542012-09-20T23:41:00.002+09:002012-11-27T17:33:40.823+09:00[訳してみた] シカゴの教員スト一週間ほど前に、シカゴで教員組合のストライキがあったそうです。New York Review of Booksというサイトのブログにその背景を解説した記事があったので訳してみました(<a href="http://www.nybooks.com/blogs/nyrblog/2012/sep/12/two-visions-chicagos-schools/" target="_blank">原文リンク</a>)。<br />
<br />
組合側はオバマ政権が進める教育改革に反対しており、その政権側の改革というのが、まあなんというか、おめでたい進歩主義な感じなんですね。勉強すればするほど、努力すればするほど報われる。そういうアレです。<br />
<br />
では本文をどうぞ。かなり教員寄りの記事です。<br />
<br />
<br />
(翻訳はじめ)<br />
<br />
<h3>
シカゴ学校改革:二つのビジョン</h3>
Diane Ravitch
<br />
<br />
<br />
たいていのメディアの報道では、シカゴの教員がストライキをしているのは、彼らがごうつくばりの怠け者だからだ、ということになっている。あるいは、ラーム・エマニュエル市長と労働組合の議長であるカレン・ルイス氏の個人的な衝突がストの原因としているものもある。さらには、エマニュエル市長が授業時間を延長しようとしているが、教員たちがそれに反対しているのが原因だ、というものもある。<br />
<br />
このどれもが正しくない。どの報道でも、両者が(訳注:時間延長の)補償問題では合意に近づいていたことでは一致している──つまり両者を断絶しているのはお金ではないのだ。この前の春、教員組合と教育委員会は授業時間の延長について合意している。だからこれはここでも問題にならない。このストライキは、シカゴの、ひいては国の学校改革の為には何が必要なのか、その問題に対する二つの大変に異なったビジョンの衝突なのだ。<br />
<br />
シカゴの学校制度というのはもう20年近くも前から学校改革の実験場であった。1995年には、シカゴの学校は市長による厳しい統制下におかれるようになり、当時の市長リチャード・デイリーは、ポール・バラスを学校運営の予算管理長官に任命した。そうしてバラスは、学力テストの点を上昇させるべく動き出した。各種部門に特化した学校やチャーター・スクールを開き、同時に予算も均衡させた。バラスが知事選に出るために去っていくと(結果は落選)、デイリー市長は再び教育者でない人物、バラスの代理をつとめていたアーン・ダンカンを管理長官に任命した。ダンカンはチャーター・スクールの熱心な推進派だった。前任者のバラスは改革につぐ改革を押しつけてきたが、ダンカンはそのさらに上を行く人物であった。ダンカン長官は自身の政策プログラムをルネッサンス2010と呼び、成績の悪い学校を閉鎖し、新たに100校を開校することを目指した。そして2009年以降、ダンカンはオバマ政権の教育長官をつとめている。そこで彼は50億ドルの「トップをねらえ(Race to the Top)」プログラムを実施した。このプログラムは、教員の能力を計ること、教員の能力給の上乗せ分を決めること、学校を閉鎖する、あるいは報償を与えることなどを、生徒のテストの点数によって決めていくようにするものだ。さらに民間運営されるチャーター・スクールの普及も大いに後押ししている。<br />
<br />
これがワシントンが支持しているビジョンだ。そして同時にこれは、現在の市長であり、オバマ政権の前の首席補佐官であるラーム・エマニュエルによって任命された、シカゴ市教育委員会が裏書きするビジョンなのだ。つまり、学校はまだまだ閉鎖されるし、民間経営の学校は増えていくし、学力テストもたくさん行われるし、能力給も支払われるし、授業時間は長くなっていくのだ。しかし、そもそもの改革のスタート地点であるシカゴ市そのものでは、ほとんどの研究者たちが、改革の結果はどう贔屓目に見ても微妙なものであることで一致している。つまり、ルネッサンスは起きなかったのだ。20年近い改革ののち、シカゴの学校は全国でもっとも低い成績にとどまったままなのだ。<br />
<br />
シカゴの教職員組合は、また別のビジョンを持っている。彼らはより少人数のクラス、ソーシャル・ワーカーの増員、夏期講習が行われている灼熱状態の施設にエアコンを設置、カリキュラムの完全実施、諸芸術科目と外国語の教師を全ての学校に配属させることを求めている。シカゴには一クラス40人を越える学校もあるし、それどころか、そんな幼稚園まであるのだ。図書室のない学校が160校あり、40%以上の学校には芸術科目の教師がいない。<br />
<br />
教員たちは何を求めているのか? 一番こだわっている点は、教員の能力評価というかなり難解そうな論点である。市長は、その教員が有能(ボーナスゲット!)であるか無能(クビ!)であるかを決める際に、生徒のテストの点数を大いに重視しようとしている。組合側は、テストに基づいた評価は不正確でフェアじゃないとする調査・研究の存在を指摘している。シカゴは公立校が人種ごとに深く分断されていて、若者の暴力レベルの高い街である。教員たちはテストの点数が自分たちの指導の影響だけでなく、教室の外で起きていることの影響も受けていることをよく知っているのだ。<br />
<br />
このストライキは全国的な関心を集めている。それは現政権が後押しする政策が論点となっているためだ。それに、この問題は全国いたるところで起きているものでもある。シカゴだけでなく他の都市でも、教員たちは少人数クラスとバランスのとれたカリキュラムの実施を主張している。あたりまえのように公立校と全く同じ結果になってしまっているのに、改革派は民間経営のチャーター・スクールを増やしたがっている。チャーター・スクールの教員は90%が非組合員なので、右派のお気に入りなのだ。一方教員たちは雇用の安定を求めている。そうすれば気まぐれな理由でクビにならないし、意見の分かれるようなテーマや本について教えられるという学問的自由も手に入るからだ。<br />
<br />
このストライキはオバマ大統領の悩みの種だ。というのも、大統領は来る11月の選挙で欠かせない二つの友軍の板挟みになっているからだ。大統領は労働組合の、特に400万人の教員たちの支持が必要だし、彼らの多くが2008年には当時のオバマ候補を熱心に応援していたのだ。といって、どうしてオバマがラーム・エマニュエルを斬れるだろうか? 大統領にとってはさらに頭の痛いことに、教員たちは政権の「トップをねらえ」プログラムの中核をなす原則にまで反旗を翻すようになっている。このプログラムは、各州が教員を評価し、能力給の額を決め、「しくじった」学校を特定して大量解雇と閉校にまで持ち込めるようにする際に、学力テストを大いに活用するものであり、シカゴのあるイリノイ州を含め、教育改革を表明している各州にその実施のお墨付きを与えるものだ。<br />
<br />
結果から言えばこのストは、賃金体系とか解雇や再雇用の規制を見直す必要がある、といった一見すると実務上の問題のようにして収まってしまうかもしれない(学歴や経験で給料に差をつけたままでいいのかどうか、とか)。しかしそこで残された問題こそがもっとも大きな問題となるだろう。つまり、教師に対するアメと鞭は、生徒にとって良い教育を生み出せるのか? シカゴ市は公教育の民営化を続けるべきなのか? 標準化テストは教師と学校の質を計る手段として適切なのか? 学校改革によって強固な人種間の分断と貧困が乗り越えられるのか? 私たちの社会は都市部の子供たちに、今よりも遙かに高いレベルの教育を授けるだけの余裕があるのか? という問題だ。<br />
<br />
予想通り、ストを実施した教員たちは全国メディアからの非難を浴びることになった。メディアはラーム・エマニュエルの強硬姿勢に感じ入っているが、あちこちの教員たちがシカゴのストに賛同している。多くの人々が彼らを、教員たちのために、そして団体交渉権のために立ち上がったのだと見ているのだ。団体交渉権は、1935年、大恐慌のさなか、ワグナー法が議会を通過したことで認められた(と考えられている)もので、労働者が組合に加入する権利を保障するものだ。標準化テストの濫用と誤用を懸念してきた教育問題の研究者たちは、各種の証拠によらず問題が政治的に解決してしまうことを恐れているようだ。もし市長が勝利すれば、それは教員と組合への横暴、そして学校閉鎖と民間チャーター・スクールの推進政策の勝利と見なされるだろう。反対に、あり得そうにないが教員たちが勝利すれば、シカゴの子供たちが少人数クラスと今よりマシなカリキュラムを手に入れることになるだろう。一番良いのは友好的な落としどころに落ち着くことだろう。つまり、テストは増やさずに優れた教育を約束することだ。<br />
<br />
<br />
(翻訳終わり)<br />
<br />
日本でもかつては少人数クラスが話題になったりしていましたけど、最近はあまり聞きません。<a href="http://since20080225.blogspot.com/2009/11/blog-post.html" target="_blank">阿部彩著『子供の貧困』の書評</a>でも書きましたが、若い人たちに対する無関心が深まっているのかもしれません。高島俊男先生が、<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897722144/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4897722144.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
お言葉ですが…<br />
〈第11巻〉<br />
高島俊男<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
<blockquote class="tr_bq" style="margin: 20px 180px 0px 20px;">
一般に戦後の日本人は学歴に関して苛刻になり、学歴の低い者やない者を容赦しなくなった。学校なんかどこを出てようと出てまいと、立派な人は立派だ、つまらんやつはつまらん、というあたりまえのことが通用しなくなった。<br />
<div style="text-align: right;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897722144/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">お言葉ですが…〈第11巻〉</a> p. 229</div>
</blockquote>
<br />
<br />
と言ってましたが、この変化は、個々人が生まれ持った特徴を社会がネガティブにしか認めなくなってきたとも言い換えられるのではないでしょうか。そういった特徴は、思うようにはならない類のものであり、ときに冷静に直視するのが難しいものにもなります。個人の特徴から目をそらせてテストの点でもって一列に並べてしまう。まあそのほうが管理は楽です。さらに日本の学校は行事が目白押しですから、表面的には忙しいでしょうが、個々人の特徴を見極めて教育する、という点ではほぼ何もしていない。現場の先生に丸投げで、組織的には楽なもんです。<br />
<br />
これじゃ職場でノルマを一律に課すようなもので、企業の利益のためならば場合によっては正当化もされましょうが、子供たちをそのように扱う目的は何なのでしょう?<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
■ ■ ■</div>
<br />
シカゴと言えば、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4906700039/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">高山マミ著『ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと』</a>と<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750512052/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">同『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在――シカゴの黒人ファミリーと生きて』</a>によると、今時のシカゴの黒人コミュニティでは誰も『ブルース・ブラザーズ』を見てないとか。もう心底ショック。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-44952181313582262962012-07-29T15:07:00.000+09:002013-01-27T00:15:02.189+09:00[訳してみた] 復習:QE3までの道のり<br />
さて、前々回は<a href="http://www.about.com/#!/editors-picks/">About.com</a>の<a href="http://since20080225.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html">「デフレとは何で、どうすれば防げるのか」という記事を訳した</a>のでした。<br />
<br />
で、最近はLIBORってのが大はやりだそうで、あーやっぱりねー、この季節はLIBORだよねー、と知ったかぶりしてればいいんじゃないかな、とそう考えているわけです。どうせ誰も知らないんだし。<br />
<br />
ちょっと前まではTARPだとかTALFとか言ってたのにもう飽きたのかよ、という話で、こういう難しい話題は最新ニュースを追っかけてもぜんぜん理解が進まないので、二週遅れくらいがちょうどいいというのが僕の持論であります。論ってほど大した話ではありませんが。<br />
<br />
ということで、QE3の実施が予想される昨今、2007年のサブプライムローン危機とそれに続く金融危機に対して、アメリカの中央銀行、連邦準備銀行がどんな政策を実施してきたのか、そこを解説した記事を前々回同様About.comから引っ張ってきて訳してみました。記事はどれも短いものなので、このエントリーにまとめてしまいたいと思います。はやりのLIBORについての記事もあります。数年前の記事なので今般の不正問題についてはもちろん触れていませんが、それだけに問題の大きさがよく感じられる、そんな記事だと思います。<br />
<br />
記者さんは<a href="http://useconomy.about.com/bio/Kimberly-Amadeo-22286.htm">Kimberly Amadeoさん</a>と<a href="http://bonds.about.com/bio/Thomas-Kenny-100480.htm">Thomas Kennyさん</a>です。ご両人とも投資顧問をされているそうです。<br />
<br />
(お詫び:記事中、リンクがたくさんあるんですけど、メンドクサイので元ページから辿ってください。リンク切れも結構ありますが。あと、政策の名称、TARPとかMMIFFとかは、わりとノリで訳してますんで真に受けないでください。)<br />
<br />
<h3 id="contents">
目次</h3>
<ul>
<li>Kimberly Amadeoさんの記事</li>
<ul>
<li><a href="#other_than_ff">金利以外にも手段はある</a></li>
<ul>
<li><a href="#tool_box">刺激策の道具箱</a></li>
<ul>
<li><a href="#taf">TAF</a></li>
<li><a href="#tarp">TARP</a></li>
<li><a href="#talf">TALF</a></li>
<li><a href="#mmiff">MMIFF</a></li>
<li><a href="#cpb">短期社債買取プログラム</a></li>
<li><a href="#financial_stability">財務省の金融安定化プログラム</a></li>
</ul>
</ul>
<li><a href="#libor">LIBORの何がそんなに重要なのか</a></li>
</ul>
<br />
<li>Thomas Kennyさんの記事</li>
<ul>
<li><a href="#qe">量的緩和って何?</a></li>
<li><a href="#op_twist">オペレーション・ツイストって何?</a></li>
</ul>
<br />
<li><a href="#afterwords">訳してみて</a></li>
</ul>
<br />
<div style="text-align: center;">
______________</div>
<br />
<br />
<h3 id="other_than_ff">
<a href="http://useconomy.about.com/od/monetarypolicy/p/Other_tools.htm">連銀にはフェデラル・ファンド・レート以外の手もある</a></h3>
2011年1月13日<br />
<br />
フェデラル・ファンド・レート(訳注:日本で言う翌日物金利。銀行間で資金を融通しあう時の金利。「中央銀行が金利を上げた(下げた)」というと、通常この金利のことを指す。以下FF金利)に加えて、連銀には金融政策を決めていくためのツールがまだまだあります。こういったツールは、FF金利の操作に比べて使われる頻度も低く、記事になることもありません。しかし、大不況(訳注:the Great Recession. 2008年に始まった不況を指す)の際、FF金利が事実上ゼロにまで低下した後に、連銀が金融市場を下支えするために、重点的に用いられました。
<br />
<br />
<br />
<h4>
準備預金</h4>
<br />
準備預金とは、市中の銀行が連銀支店に預けなくてはいけないお金のことです。2010年の12月30日の時点では、銀行の全預金額が5880万ドル以上の場合、その10%を預け入れなくてはいけません。準備預金が少なくて済めば、銀行はそれだけ多く貸し出せるようになるわけですね。こうしてお金が経済に多めに注入されることで、経済成長が刺激されるのです。準備預金の金額が高くなると、小さな銀行には大変な重荷になります。そもそもたくさん貸し出すだけのお金を持っていないからです。そのために、預金額が1070万ドル以下の銀行は、準備預金を行う必要はありません。預金額が1070万ドルから5880万ドルの銀行は、その3%を預けなくてはいけません。2008年に連銀は、この準備預金に金利を支払うことにしました。
<br />
<br />
(訳注:2011年12月29日以降は、当座預金を中心とした預金の総額が1150万ドル以下の場合は0%、1150万ドル以上7100万ドル以下は3%、7100万ドル以上が10%だそうです。(<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Reserve_requirement">参照</a>))
<br />
<br />
連銀が準備預金の割合を変えることはあまりありません。それは一つには、各銀行が新しい割合にあわせて、ポリシーや手続きを変えるのには多大なコストがかかるからです。それに何より、FF金利の調整を行えば、全く同じ結果が得られるのです。混乱もコストも少なく済みます。
<br />
<br />
<br />
<h4 discount_window="discount_window">
ディスカウント・ウィンドウ(連銀貸し出し)</h4>
<br />
連銀はディスカウント・ウィンドウ制度を通して、準備預金の基準を満たしている銀行にお金を貸し出します。この金利(ディスカウント金利)は、FF金利よりも高く設定されています。各銀行が、このディスカウント・ウィンドウ制度を利用するのは、普通、他行から翌日物金利でお金が借りられなかった時だけです。ですから、連銀がこの手を使うのは、緊急事態に限られます。Y2Kの混乱時、9/11直後や大不況などがそうでした。『銀行危機への連銀の介入(Federal Intervention in the Banking Crisis)』を参照してください。
<br />
<br />
<br />
<h4 id="discout_rate">
ディスカウント金利</h4>
<br />
ディスカウント金利は、連銀がディスカウント・ウィンドウ制度を通して、各銀行にお金を貸し出す際に課す金利のことです。通常FF金利に1%ポイント足した金利になります。これは借りすぎ防止のためです。
<br />
<br />
<br />
<h4 id="money_supply">
マネーサプライ</h4>
<br />
これは社会に出回っている通貨の総量で、連銀が毎週報告しています。
<br />
<br />
<ul>
<li>M1は、通貨と当座預金です。</li>
<li>M2は、M1にMMF、譲渡性預金、貯蓄預金をあわせたものです。</li>
</ul>
<br />
(訳注:同じ当座預金と言っても、日米で微妙に差があるようです。ここで言う譲渡性預金も、日本で言うところの定期預金に近いとか。(<a href="http://questionbox.jp.msn.com/qa3714211.html">参照その1</a>)(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B2%E6%B8%A1%E6%80%A7%E9%A0%90%E9%87%91">参照その2</a>))<br />
<br />
連銀はFF金利を下げることでマネーサプライを増やします。すると、各銀行は、準備預金を維持するコストを下げることができるのです。そうして、各銀行は貸し出せるお金が増え、消費者のお財布のお金も増えるのです。<br />
<br />
<h4 id="alphabet_soup">
その他のアルファベットごった煮スープ</h4>
<br />
連銀は先の大不況と闘うために、新しい、斬新なプログラムをたくさん作り出しました。実に素早く作り上げられたので、各プログラムの名前はその働きを専門用語で表現しただけのものになってしまいました。銀行家には分かる名前かもしれませんが、ほとんどの人には何のことだかさっぱりです。難解な用語の頭文字を並べた結果、おいしいプログラムのアルファベットごった煮スープが出来上がったわけですが、一般市民を混乱させてしまっています。これについては、<a href="http://draft.blogger.com/blogger.g?blogID=7599400674626791108#tool_box">こちらの連銀の道具箱</a>を御覧ください。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a>
</div>
<br />
<br />
<br />
<h3 id="tool_box">
<a href="http://useconomy.about.com/od/criticalssues/u/fixing_economy.htm#s7">刺激策の道具箱</a></h3>
TARP、TALF、TAF。2008年を通して、連銀と財務省は、金融市場の崩壊を何とか回避するために、たくさんの新しいプログラムを生み出しました。そういったプログラムがどんなものだったのか見ていきましょう。政府をして国家の銀行ならしめた(すくなくとも一時的に)、その方法はどんなものだったのでしょうか。
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="taf">TAF - 連銀の期間競争入札制度</span><br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2007/12/21/fed-auctions-40-billion-in-loans-to-rescue-banks.htm">連銀、銀行救済のために、400億ドルの貸し出しを競争入札方式で行う</a></h3>
2007年12月21日<br />
<br />
先週、連銀は、他行から資金を調達出来ない銀行を救済するために、400億ドルの短期貸し出しを競争入札方式で行いました。ここで救済されたのは、サブプライム危機によって、不良債権を抱えている恐れのある銀行です。<br />
<br />
どの貸出先が、どの程度の不良債権なのか、これは誰にもわかりませんから、銀行はお互いに資金を融通しあうのを恐れるようになっています。この年の瀬に、自分のところの帳簿に潜む不良負債に足を引っ張られる事態は、どの銀行も避けたいのです。そこで、金融市場の流動性確保のために、連銀は、200億ドルの貸し出しの競争入札を、二度行いました。12月11日と20日です。(参照:連銀のプレスリリース。2007年12月12日)<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
これは貸し出しですから、このお金は連銀に返さなくてはいけないものです。ですから納税者の負担になるはずのないものです。もちろん、銀行がデフォルトしてしまえば、究極的には納税者が責任を取らなくてはいけなくなるかもしれません。セービングス・アンド・ローン危機の時がそうでした。あの時は納税者が1240億ドルを負担することになりました。<br />
<br />
しかしそれ以上に、銀行がデフォルトしたとなれば、それは金融市場の機能の信頼性が大きく損なわれているというシグナルとなるかもしれません。そうなると、株式市場での下落を、さらには不況を引き起こしてしまうかもしれないのです。<br />
<br />
そうさせないために、連銀は1月いっぱい、この競争入札を行う予定です。これで各銀行は、自分のところの帳簿上、どれが不良債権なのか、そしてどの程度の金額なのかを、整理する機会が得られるはずです。(参照:連銀のプレスリリース。2007年12月12日)<br />
<br />
またこれによって、最近シティバンクやモルガン・スタンレーが行ったように、各銀行も、新たな融資を受ける機会を得るはずです。(参照:「シティ、アブダビファンドに株を売却」2007年11月27日、「モルガン・スタンレー、評価損を計上」2007年12月19日)<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<span id="tarp">TARP - 銀行救済</span><br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/od/glossary/g/TARP.htm">TARPプログラム</a></h3>
2007年12月21日<br />
<br />
定義:不良資産救済プログラム(TARP)は、2008年の10月に、7000億ドルにのぼる銀行救済法案の一部として生まれました。TARPは本来、逆オークションという仕組みを利用して、各銀行に、焦げ付いた不動産担保証券の販売価格を財務省に申し出る権利を与えるものでした。銀行側が、不動産担保証券ごとに売値を提案し、TARP側がその最安値を選んで買い取る、という手順です。しかし、財務省がお金を払いすぎる可能性もありましたし、銀行側も充分な価格では売れないのではないかと恐れたために、結局このプランは棚上げとなりました。<br />
<br />
かわりに、財務省はTARP資金の1050億ドルを使って、次の8つの銀行の優先株式を買い取りました。バンク・オブ・ニューヨーク・メロン、ゴールドマン・サックス、J・P・モルガン、モルガン・スタンレー、バンク・オブ・アメリカ/メリル・リンチ、シティグループ、ウェルス・ファーゴ、ステイト・ストリートの8つです。この資本再注入プログラムは、各銀行に配当の5%を政府に支払うよう求め、さらに後にそれが9%まで上がることになっています。これは各銀行が株式を買い戻すことを促すためです。今後銀行の株価が上がるでしょうから、そこで政府は利益を得るわけです。<br />
<br />
TARP資金は、<br />
<br />
<ul>
<li>AIG(400億ドル)</li>
<li>地方銀行(920億ドル)</li>
<li>三大自動車メーカー(248億ドル)</li>
<li>シティグループとバンクオブアメリカ(450億ドル)</li>
</ul>
<br />
の優先株式の取得、または貸付のためにも使われました。<br />
<br />
加えて、TARPから200億ドルが連銀のTALFプログラムに貸し出されました。しかし2008年、連邦議会ではTARPの7000億ドルの半分しか承認されませんでした。(財務省によると)残りは使われていません。<br />
<br />
オバマ大統領は、各銀行に課税をし、TARPで失われるであろう1200億ドルから1410億ドルを、納税者に返還させようとしています。大統領は、銀行の活動の中でもリスクの高い活動から、10年を越える期間、徴税をしようと計画しています。これは銀行の日常的な業務に対する課税ではありませんが、(訳注:手数料の値上げなどで)利用者の負担になるかもしれません。(参照:「オバマ大統領、大銀行に課税かhttp://www.huffingtonpost.com/2010/01/13/too-big-to-fail-tax-obama_n_420358.html」)<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="talf">TALF - クレジットカードなどの救済</span>
<br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2008/11/12/paulson-and-bernanke-to-revive-credit-card-lending.htm">ポールソン長官とバーナンキ議長、クレジットカードの貸し出し回復を狙う</a></h3>
2008年11月12日<br />
<br />
財務省のヘンリー・ポールソン長官は、TARPプログラムの焦点を、時間のかかりすぎる焦げ付き不動産担保証券から、金融システムにもっと素早く資本を注入できる方法に移しています。この資本再注入プログラムでは、8つの大銀行に1150億ドルが注入されました。これらの銀行はわが国の金融資産のおよそ半分を所有しているのです。これを受けて、信用市場は緩和ぎみになり、LIBOR金利も下がりました。<br />
<br />
ポールソン長官は、このプログラムで注入した資金は、民間のローンのレバレッジに使われるよう設計されており、さらに銀行以外の金融機関にも適用されるようになり、消費者信用市場の凍結の問題にも取り組んでいくものだ、と発表しました。クレジットカード、自動車ローン、学費ローンの1兆ドルの流通市場(訳注:既発債券が取り引きされる市場。(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%88%B8%E5%B8%82%E5%A0%B4">参照</a>))が、現在停止状態です。この市場は本来、こういったローンの資金の40%を供給していました。そこで連銀は、この信用プログラムで財務省と協力することになるかもしれません。ポールソン長官は、プログラムの資金を規制外の金融機関に対して使うのを嫌がっています。つまり、自動車関連企業ですね。今年割り当てられたTARP資金3500億ドルのうち、残っているのは600億ドルだけなのです。<br />
<br />
<ul>
<li>400億ドルはAIGの優先株購入に充てられました。</li>
<li>1250億ドルは、上位9大銀行の優先株購入に充てられました。</li>
<li>1250億ドルは、全国の地域銀行の優先株購入に充てられました。</li>
</ul>
<br />
(参照:米国財務省、プレスリリース、2008年11月12日。AP通信、Dems see auto aid as Treasury shifts focus、2008年11月12日)<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
消費者のローンの流通市場を救済しなければ、多くのクレジットカード会社、自動車ローン会社がキャッシュフローに問題を抱えることになりかねません。そして、サーキット・シティ社のように破産に追い込まれるところも出てくるでしょう。加えて、クレジットカードローンが(住宅ローンがそうだったように)、審査がぐっと厳しくなって、消費者支出を締め付けることになるでしょう。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="mmiff">MMIFF - 短期金融市場の救済プログラム</span><br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2008/10/21/fed-loans-540-billion-to-bail-out-money-market-funds.htm">連銀、金融市場救済のため、5400億ドルの貸し出し</a></h3>
2008年10月21日<br />
<br />
連銀は、各MMF(訳注:短期社債等で運用する投資信託の一種。当座預金のように利用する個人、企業が多い。リーマン・ショックを受けて解約が殺到した)が一斉解約に耐えられるだけの現金をまかなえるように、5400億ドルを貸し出すと発表しました。8月以来、5000億ドル以上の資金がMMF市場から引き上げられています。これは、大変多くの企業が、当面の資金としてMMFに預けていたものです。銀行が貸し出しを渋っていたため、LIBOR金利が高どまりし、企業は資金をため込むようになっています。<br />
<br />
連銀のMMF救済プログラム(MMIFF)は、JPモルガン・チェースによって管理・運用されることになりました。MMIFFは、返済期限が90日以内の譲渡性預金証書、コマーシャル・ペーパー(短期社債)などを6000億ドルまで買い取れることになっています。足りない600億ドルは、各MMF自身から調達される予定です。コマーシャル・ペーパーの一部をMMIFFから買い戻す義務があるのです。<br />
<br />
9月19日、連銀は、資産保証付きコマーシャル・ペーパー短期金融市場相互ファンド流動性プログラム(ALMF)を作りました。この制度は、1228億ドルを銀行に貸しだし、各MMFからコマーシャル・ペーパーを買い上げさせるためのものです。10月15日の時点で、1228億ドル分の未払い債券がありました。9月21日には、財務省が各MMFの500億ドル分を保証すると発表しました。連銀がこの新しい買い取りプログラムを発表したことは、信用市場の一部がまだその機能を停止していることを示しています。(参照:連銀、プレスリリース、2008年10月21日。ブルームバーグ、Fed to provide $540 billion to aid money funds、2008年10月21日)<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="cpb">短期社債買取プログラム</span>
<br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2008/10/27/fed-17-trillion-commercial-loan-program-started-today.htm">連銀の1.7兆ドルの民間向けローン・プログラム、本日開始</a></h3>
2008年10月27日<br />
<br />
連銀は今日から民間銀行になります。お金を貸してくれる銀行が見つからなかった企業の短期社債を1.7兆ドルまで買い上げることを約束したのです。金利は2%から4%になる見込みで、平時なら高めの金利ですが、最近のLIBOR金利からみると低い値です。連銀は先週、リスクが少ない企業の三ヶ月社債を購入する契約をすませています。モルガン・スタンレー、ジェネラル・エレクトリック社の金融部門、フォード自動車クレジット、GMAC LL社などです。<br />
<br />
連銀は、10月7日、企業が営業を続けるのに充分なキャッシュフローを供給するために、このプログラムを発表しました。コマーシャル・ペーパーは、企業が賃金を支払ったり、毎日の請求書の支払いの際の資金源です。合衆国内のコマーシャル・ペーパーは1兆4500億ドルで、これは9月のはじめからみると、3500億ドル、20%も減ってしまっているのです。(参照:WSJ.com、IOU, Uncle Sam: Loans Start Today、2008年10月27日)<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
連銀のこのローンプログラムは、キャッシュフローが足りないせいで倒産する企業を減らすためのものです。ワシントン・ミューチュアル社がそのように経営破綻してしまいましたね。また、流動性の不足の問題がありましたから、このプログラムによって金利も低くなるはずです。何より重要なのは、これで1929年の大恐慌のような世界的規模の不況を防ぐことができそうだ、という点です。大恐慌は流動性の不足と、それによる破産の連鎖によって引き起こされました。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="zero">ゼロ金利政策</span>
<br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2008/12/17/fed-drops-rate-to-near-zero.htm">連銀、金利をほとんどゼロに</a></h3>
2008年12月17日<br />
<br />
FOMC(訳注:連邦公開市場委員会。連銀の政策を決定する場)は、FF金利を大幅に低下させました。「0.25%から0の間」というもので、連銀史上もっとも低い金利です。これはつまり、連銀は金利のコントロールを失ったことを意味します。そして、連銀は経済を刺激して不況から脱出するために、手持ちのそのほかのツールを使っていくことになります。連銀のベン・バーナンキ議長は、焦げ付き不動産担保付き債券を買い上げる可能性もある、と述べています。これは、各銀行が再び貸し付けを行えるようにするための処置です。そして同時に、FOMCはディスカウント金利を0.5%に引き下げました。<br />
<br />
連銀は、世界経済がより深刻な不況に落ち込まないようにするためには、素早く、アグレッシブに行動しつづけなくてはならないと考えています。<br />
<br />
この秋、石油価格が下落していることから、連銀はインフレについては懸念していません。連銀のアクションは、拡張的金融政策でもって金融市場を下支えしていくという決意の、さらなるシグナルとなるでしょう。(参照:FOMCステートメント、2008年10月29日)<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
連銀の目標は、LIBOR金利を引き下げて、一つでも多くの住宅ローンのデフォルトを防ぎ、変動金利住宅ローンを支払い可能な水準に留めておくことです。連銀は今、最後の貸し手として振る舞っています。つまりこの場合、連銀がお金を貸し出す意志のある唯一の銀行である、ということです。連銀が発表した多くのプログラム、民間貸し出しプログラムやクレジットカードの返済困難な負債の買い取りは、まさに今動き出したばかりですから、効果があらわれるまでは今少し時間がかかります。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<span id="financial_stability">財務省による金融安定化プログラム</span>
<br />
<h3>
<a href="http://useconomy.about.com/b/2009/02/17/geithner-pledges-2-trillion-to-revive-bank-lending.htm">ガイトナー長官、2兆ドルの金融安定化プラン発表</a></h3>
2009年2月17日<br />
<br />
財務省のティム・ガイトナー長官は、新たな金融安定化プランの一環として、銀行貸し出しを復活させるために2兆ドルを用意すると述べました。このプランの資金の半分は、焦げ付いた不動産担保付き債券を各銀行から買い上げるために使われます。ガイトナー長官によれば、5000億ドルは、新しく設立される官民投資プログラムで用いられます。これが1兆ドルまで拡張されるかもしれません。このプログラムは、民間の投資機関が焦げ付いた資産を買う際に資金を提供していくものです。<br />
<br />
プランのもう半分は、連銀による消費者および企業向け融資イニシアティブです。このプログラムは連銀のTALFプログラムの拡張版です。TALFプログラムは、停止状態にあったクレジットカード、自動車ローン、学費ローンの1兆ドルの流通市場の救済策でした。通常ならば、こうしたローンの40%の資金を、民間セクターの市場が供給していました。<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
ガイトナー長官が示したパッケージには、各銀行が持つ住宅ローンの抵当権執行を防ぐため、両プログラムから500億ドルの資金が供給されることも含まれています。銀行はローン契約を修正して、支払額を減らさなくてはいけません。<br />
<br />
連邦政府のこのさらなる介入は、各銀行の焦げ付き資産をさらに1兆から2兆ドル減らすために必要なものです。これは、10年続く日本式の不況を防ぐために必要な策なのです。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="#contents">目次へ</a></div>
<br />
<br />
<h3 id="libor">
<a href="http://useconomy.about.com/b/2007/12/19/what-is-libor-why-it-is-high-and-how-it-affects-you.htm">LIBORとは何で、どうして高くなっていて、それが自分に何の関係があるのか?</a></h3>
2007年12月19日<br />
<br />
読者からの質問です。
<br />
<div style="padding-left: 2em;">
昨日、New York Timesの、LIBOR金利が多くの中央銀行の金利と矛盾している、という記事を読んで思ったのですが、LIBOR金利が元のままだったとしても、その影響がサブプライムの借り手だけでなくて中央銀行や民間の銀行にも及ぶことになっていたのでしょうか?
</div>
この質問にお答えするには、まず、LIBOR金利が何なのか、その仕組みと重要性を説明する必要がありますね。LIBORとは、London InterBank Offered Rateの頭文字です。これは、銀行がお互いに資金の貸し借りをする際の金利の、世界的な目安なのです。合衆国の場合、連銀が決めるFF金利が通常、LIBOR金利とかけ離れないようになっています。<br />
<br />
2007年の銀行の流動性危機の結果、各銀行はお互いに資金を貸し出すのを恐れるようになりました。そのためにLIBOR金利がFF金利と関係なく上昇してしまったのです。連銀は、各銀行が資金の貸し借りを再開できるようにLIBOR金利を下げようと試みています。ですが連銀の思惑通りには行っていないのが現状です。実のところ、金融市場の安定化が実現しない限り、LIBOR金利は、FF金利との仲むつまじい日常には戻ってこないかもしれません。(参照:Fed Governor Kroszner Says Credit Crisis May Not Be Over、2007年10月22日)<br />
<br />
<h4>
で、これがワタシに何か関係あるの?</h4>
<br />
変動金利の住宅ローンの多く、そしてクレジットカードの金利は、LIBORをベースに決められています。金利が変更されるときにLIBORが高いと、月々の支払額も高くなります。こういうタイプの融資を受けていれば、こうして家計がきつくなっていくんですね。このような融資を受けていないとか、クレジットカードの支払いは毎月全額払っているという場合でも、LIBORが高ければ経済の中の流動性が下がってしまいます。これが来年2008年に不況の引き金を引いてしまう可能性があるのです。<br />
<br />
<br />
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<br />
<br />
<h3 id="qe">
<a href="http://bonds.about.com/od/advancedbonds/a/What-Is-Quantitative-Easing.htm">量的緩和って何?</a></h3>
<br />
<h4>
イントロダクション</h4>
<br />
連邦準備銀行(連銀)は、経済のパフォーマンスと金融市場に対してますます積極的な役割を担うようになっています。またそのための道具もたくさん持ち合わせています。その中でも一番知られた道具が、短期金利を変更する能力です。これによって経済のトレンドと、満期に関わらずすべての債券の利回りの水準に影響を与えるのです。中央銀行が経済成長を刺激したいと考えた場合、低金利政策を実施します。逆にインフレを抑えたいときは金利を高く維持します。しかし近年、このアプローチが問題に直面しているのです。連銀は金利を事実上のゼロにまで下げきってしまったのです。つまり、もはや連銀は、金利政策で経済成長を刺激する能力を持っていません。この問題にせっつかれる形で、連銀は武器庫に別の武器を探しにいきました。それが量的緩和です。<br />
<br />
<h4>
量的緩和、その基礎</h4>
<br />
まず、量的緩和の意図とはどんなものか考えていきましょう。連銀(あるいはどこの中央銀行でもかまいませんが)は、お金を作り出して、債券やその他の金融資産を各銀行から買い上げることで、量的緩和を実施します。こうして各銀行では、貸し出しに使える現金が増えるわけです。貸し出しが勢いよく増えると、回り回って、資金調達が上手く行きやすくなるはずですね──たとえば、新しいオフィスビルの建設計画の資金などです。こういった計画によって、人々が仕事に就くことができますから、そうして経済の成長につながっていくのです。加えて、連銀が買い上げることで債券の供給が減り値段が上がりますから、利回りが下がります。利回りが下がると、回り回って、借り手のコストが下がり、経済が拡大していく燃料を注ぎ込むことになるのです。<br />
<br />
これが、量的緩和というアイディアが、少なくとも理論上は上手くいく仕組みです。しかし現実には、銀行は増えた現金を貸し出さなきゃいけないわけではないのです。もし銀行が貸し渋っていたり、いまいち投資活動に自信がないという状態であったら(2008年の金融危機以降のここ数年がまさにそういう状態でしたが)、マネーサプライが多くても、連銀が想定していた通りの成長のエンジンとはならないかもしれません。<br />
<br />
<h4>
QE1とQE2</h4>
(訳注:量的緩和は英語でQuantitaitive EasingなのでQE)
<br />
2008年の金融危機のさなか、経済の低成長と高い失業率のために、連銀は、2008年の11月から2010年の6月までの期間、量的緩和政策を行うことで経済を刺激せざるを得なくなりました。この政策プログラムが終了したその直後、低成長、ヨーロッパの債務危機の勃興、そして金融市場の新たなる不安定という形で問題が表面化してきました。連銀は、量的緩和政策の第二ラウンド、QE2に突入していきます。これには6000億ドル分の短期債券の買い入れが含まれていました。QE2は、2010年の11月から2011年の6月まで行われ、金融市場で激論を引き起こしましたが、しっかりとした経済成長を生み出すことはありませんでした。QE1の場合と同様、QE2が終了したあとも、物足りない経済指標とパッとしない株式市場のパフォーマンスが続いただけでした。市場はすぐに、量的緩和の次のラウンドを期待するようになりました。これがQE3と呼ばれているんですね。<br />
<br />
この20年の間、量的緩和は、日本銀行、イングランド銀行、そしてヨーロッパ中央銀行で採用されています。<br />
<br />
<h4>
量的緩和への反論</h4>
<br />
連銀のQEプログラムには、政治的な立場を越えて激しい批判があります。量的緩和への反論の中には、<br />
<br />
<ul>
<li>QEは経済よりも銀行を救済しているだけだ。銀行は、貸し出しを積極的に増やすよりも、現金を「キープ」することで自分のところのバランスシートを強化することを選べるのだから。</li>
<br />
<li>お金を生み出すことで、連銀は外国の通貨に対するドルの競争力を削いでいる。(需要と供給ですね。需要が一定であるとして、ドルの供給が多いほど、その値段が下がっていきます。この場合、一ドルで買える外国通貨の「量」が少なくなる、ということです。)</li>
<br />
<li>マネーサプライの増加はインフレを生み出す。連銀の政策の実施と、その影響が経済に反映されるのにはズレがあるから、インフレが抑えられないほど急激に進むかもしれない。</li>
<br />
<li>ドルの大供給が、ゆっくりと増えている財の供給に追いつくとき、量的緩和は資産価格の「バブル」を生み出す。実際、量的緩和政策の後には、コモディティ価格の急激な上昇があり、消費者物価を押し上げた。</li>
</ul>
<br />
<br />
これらの批判によって、普通ではありえないような反対運動連合が形成されています。ロン・ポール氏のような保守派から、「ウォールストリートを占拠せよ運動」まで量的緩和に反対しています。「連銀をお払い箱に」というかけ声は、量的緩和政策が始まる頃にはすでに相当大きなものになっていました。しかし同時に量的緩和政策は、金融危機に続く深刻な不況から世界経済が立ち直るのに役だったのだと認められてもいるのです。<br />
<br />
<h4>
QE3はあるのか?</h4>
<br />
2012年の6月時点では、連銀が量的緩和をもう一度実施する可能性はかなり高くなっています。さまざまな機会を通じて、連銀のベンジャミン・バーナンキ議長は、条件がそろえば米国経済にさらにお金を注ぎ込んでいくことをハッキリと述べています。さらなる量的緩和の実施の引き金となりそうな出来事といえば、米国経済が再び不調になるとか、ヨーロッパの債務危機が悪化するとか、合衆国の政治家が年度末を迎えるまえに「財政タイムリミット(fiscal cliff)」に対処できなかった場合などでしょう。<br />
<br />
(訳注:財政タイムリミット(fiscal cliff: 財政の崖)とは、2013年度から各種の増税が実施されることになっていて、それが不況の引き金となるかもしれない、という懸念のこと。今年度中に議会が妥協策をまとめなければ、数千億ドル規模の増税が実施されてしまう)<br />
<br />
連銀はまた、「オペレーション・ツイスト」という政策も実施してきました。これはお金を刷らずに経済を刺激するよう設計された政策です。これについては私の「<a href="http://draft.blogger.com/blogger.g?blogID=7599400674626791108#op_twist">オペレーション・ツイストとは何か?</a>」という記事をみてください。<br />
<br />
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<br />
<br />
<h3 id="op_twist">
<a href="http://bonds.about.com/od/advancedbonds/a/What-Is-Operation-Twist.htm">オペレーション・ツイストとは何か?</a></h3>
<br />
「オペレーション・ツイスト」は、2011年後半から、連邦準備銀行(連銀)の指揮で行われる、経済の活性化を狙った政策プログラムです。連銀の主導で長期国債を買い上げ、同時に短期国債の一部を売る政策のニックネームがオペレーション・ツイストで、過去に実施されたことのある政策です。この「オペレーション・ツイスト」という言葉が最初に使われたのは1961年です。チャビー・チェッカーの歌にも出てくる言葉で、連銀はこの時と似た政策を試みたのです。<br />
<br />
オペレーション・ツイストは、大きく二つの部分からなります。一つは2011年の9月から2012年の6月までの期間実施され、連銀の資産の4000億ドル分が転換されます。二つ目は、2012年7月から同年の12月まで実施され、総額で2670億ドル分になる予定です。連銀は、オペレーション・ツイストの後半は、依然低成長のままである米国経済への対策であると発表しました。<br />
<br />
<h4>
何でツイストなの?</h4>
<br />
この政策のアイディアはつまり、連銀が長期の債券を購入することで、債券の価格を上昇させ、金利を下げることができる、というものです(債券の価格と金利は正反対に動きますからね)。そして同時に短期の債券を売ることで、金利があがることになります(価格が落ちるでしょうから)。このプログラムは、買いと売りの二つのアクションを組み合わせると、イールド・カーブ(訳注:債券の利回り曲線)が「ツイスト」するところからつけられたのです。<br />
<br />
<h4>
連銀はどうして長期国債の金利を下げたいの?</h4>
<br />
長期金利が低下すると、家を買おう、車を買おう、事業の計画を進めようとする人たちにとってローンが払いやすくなりますから、これによって経済成長が促進されると見込まれているのです。<br />
<br />
<h4>
オペレーション・ツイストの前に連銀は何かしたの?</h4>
<br />
オペレーション・ツイストは、2008年の金融危機に対応して連銀が行った大政策シリーズの三つ目です。最初はまず、短期金利を事実上のゼロ金利にまで下げました。これによってわれらが中央銀行は、経済成長を狙ってこれ以上金利を切り下げることができなくなりました。そこで打った次の手が、量的緩和です。これは、より長期の米国債と不動産担保付き証券を公開市場から買い上げることで、長期金利を下げようという試みでした。連銀は量的緩和政策を2ラウンド行い、市場関係者はこれを「QE1」と「QE2」と呼んでいます。2011年の夏、QE2の直後に、わが国の経済は再び失速する様相を呈してきました。すぐさまQE3を発動するよりも、連銀はまずこのオペレーション・ツイストを発表したのです。<br />
<br />
<h4>
オペレーション・ツイストの反応はどんなものだったの?</h4>
<br />
この政策プログラムのちゃんとした発表に先だって、長期金利は、政策の実施の期待を反映し始めました。そういう意味では、この政策は短いスパンでは目的を達したといえるでしょう。しかし、長いスパンで見ると、まだ判決は出せません。1961年版のオペレーション・ツイストの研究では、米国債の金利は0.15パーセントポイントしか下がりませんでした。そして住宅ローン金利と企業の借り入れ金利にもほとんど影響がありませんでした。<br />
<br />
金融関係者の中では、オペレーション・ツイストには経済を好転させたり、失業率を下げる力は無い、と見られています。ブルームバーグは42人の経済学者にアンケートを行い、その61%がこのプログラムには効果が無いだろうと答え、15%が景気回復の妨げにさえなる、と答えています。実際に、金融危機のどん底からオペレーション・ツイストの開始までの3年間、連銀の数々の政策にも関わらず、経済は停滞したままで、失業率は高止まりしています。これは、連銀による超低金利政策のもとでも、ローンの需要が低いままであることを意味します。<br />
<br />
この政策への反応は、USAトゥデイに載ったワシントン大学のグレン・マクドナルド経済学教授の言葉が一言でよく表していると思います。教授はオペレーション・ツイストをして「大きないびき」と呼んだのでした。<br />
<br />
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<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 id="afterwords">
訳してみて</h3>
<br />
連銀っていろいろやってたんだなあ、というのが訳してみた感想です。非伝統的な金融政策への非難はいろいろありますが、これだけやってデフレにならず、ハイパーインフレにもならず、経済は(日本よりは)成長し、失業率は理想的とは行かないけれど改善したんですから、これだけの手を打たなければもっとヒドいことになっていた、と考えていいんじゃないでしょうか。<br />
<br />
いや、連銀が企業を救済しなければ今頃もっと景気は良くなっていたはずだ、という主張もありえますが、日本の現状を見ると、なかなか度胸のいる発言ではあります。<br />
<br />
連銀はその後インフレターゲットを導入するわけですが、やはりこれだけいろいろ手を打った後だと、人々の物価予想にも良く効くんじゃないでしょうか。現に、連銀の掲げた2%という目標値はすでに長い間達成され続けてきた数値です。今後連銀がこの目標値を大きくはずすと考える材料がないわけですね。<br />
<br />
そう考えると、連銀のインタゲは、ここ十年でほとんど達成したことのない目標値を掲げた日銀とは説得力が違います。方法も、意気込みすらも示さず、かつてほとんど達成できていない目標値を掲げるというのは、無責任でなくてなんというんでしょうかね。<br />
<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480066632/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480066632.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
円のゆくえを問いなおす<br />
実証的・歴史的に見た<br />
日本経済<br />
片岡剛士<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
日銀の政策の評価については、これはもう片岡剛士著『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480066632/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">円のゆくえを問いなおす</a>』を読んでもらうのが一番でしょう。日銀の政策に何が欠けているのか、そこが本当に丁寧に、そして詳しくデータに沿って解説されています。このデフレ、円高、不況が、究極的には日本人の不勉強から来ているのがよくわかると思います(反省)。<br />
<br />
さて、連銀のバーナンキ議長は、QE3の具体的な話は避けつつも、「追加措置を講じる用意がある」と表明しています(<a href="http://jp.reuters.com/article/jp_financial/idJPTJE86G00T20120717">参照</a>)。ヨーロッパの債務危機の先行きが危ぶまれる中、日本人の経済生活をあずかるわれらが日本銀行は、危急の事態に備えて何かしているんでしょうか。日銀の方針が、専門家にしかわからない記事や観測気球的な記事ではなく、堂々のステートメントとして新聞に載るような日々が訪れることを願ってやみません。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
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zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-24362859664338002912012-07-14T00:53:00.000+09:002012-07-14T00:53:09.973+09:00かの国の名に心胆寒からしめるの巻<br />
お隣の国の名は中国ですが、これは当然中華人民共和国の略、あるいは世界の中心という意味での中国なわけです。従前は支那と呼んでいたけど今はそれはダメだ、ということになっているというのも、もうおなじみのところですね。<br />
<br />
支那と英単語のchinaの根っこは同じで秦なのだ、というのもやっぱりおなじみのお話。ホントかどうか、僕は知りません。<br />
<br />
僕は中国語はさっぱりなんだけど、<a href="http://languagelog.ldc.upenn.edu/nll/?p=4026" target="_blank">こんな英語の記事</a>を見かけたのでご紹介。(元記事のコメント欄でいきなり支那だの空海だのが出てきて驚いちゃうんですが、なんと英語の<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Shina_%28word%29" target="_blank">Wikipediaに支那が立項されている</a>んですね。支那そば、シナチクにまで言及してます。)<br />
<br />
<br />
中国の(ったってその国土同様広大でしょうが)ネットで、ちょっとしたジョークがある由。英語のchinaを、中国語でどう表記するのか、というジョーク。日本語で、clubを倶楽部と書くみたいなことで、chinaという英単語の「音」を漢字でどう表現しましょうか、ということです。<br />
<br />
独身の男性なら、妻哪でchinaだよね、となるんだそうで、妻はまあそのままですが、哪は「どこに」という意味だそうです。つまり嫁さんどこだ? なわけですが、ま、音のほうは qīnǎ となるそうで、四声とかちんぷんかんぷんですが、chinaと似てる、という程のことなんでしょう。<br />
<br />
元記事には、女たらしの場合「妾哪」(愛人どこだ?)、役人の場合「权哪(权は権)」(権力どこだ?)などにつづいて、最後に、そりゃウチの政府に言わせれば拆哪と書いてchinaだよ、どっとはらい、という落ちです。拆哪でもチャイナ、という発音(あるいはそれに近い音)になるんだそうです。<br />
<br />
改訂版の新字源を見ると、拆(タク・セキ)は手と斧でうつ動作と音を表しているとのこと。手で裂く、ぶちこわす、tear downといった意味です。哪は「どこを?」でしたから、つまりこのジョークは、政府が何の前振りもなしに、人が住んでいる建物を勝手にこわしちゃう、その標的を探しまわっていることをネタにしているわけですね。<br />
<br />
え? 中国政府ってそんなことするの? いやー、おっかないですなあ。という表題なのでした。<br />
<div>
<br /></div>zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-27942163155047535582012-07-03T11:52:00.002+09:002012-11-27T17:34:15.090+09:00[訳してみた] デフレとは何で、どうすれば防げるのか<a href="http://About.com/">About.com</a>というところに、デフレについての基本的な<a href="http://economics.about.com/cs/inflation/a/deflation.htm">解説</a>があったので訳してみました。経済学関連翻訳ブログ『<a href="http://econdays.net/" target="_blank">道草</a>』にはとても載りそうにない初歩的な解説です。これであなたも道草を読みこなせる! といきますかどうか。<br />
<br />
解説の執筆者はMike Moffattさん。カナダの経済学の先生だそうですが、現在はAbout.comの記者さんではないようです。(<a href="http://economics.about.com/bio/Mike-Moffatt-8348.htm">About.comのプロフィール</a>)(<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Mike_Moffatt">wikipediaのページ</a>)<br />
<br />
この解説を読むと、毎度おなじみの「日銀はすでに金融緩和を行っていて、市中の銀行はお金がジャブジャブになっているのでこれ以上は意味がない」という主張のナンセンスさがよくわかると思います。<br />
<br />
では本文をどうぞ。まずはMoffatt先生への質問のメールからはじまります。<br />
<br />
原文はAbout.comのWhat Is Deflation and How Can it Be Prevented?です。(<a href="http://economics.about.com/cs/inflation/a/deflation.htm">リンク</a>) 記事に日付がないので書かれた正確な時期は不明ですが、2002年の年末以降のようです。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
______________________</div>
<br />
(翻訳はじめ)<br />
<br />
<br />
<h1>デフレとは何で、どうすれば防げるのか</h1>
<h3>お金を刷ってデフレを克服する</h3>
<br />
<br />
<br />
<b>Q</b>:今メディアで、デフレになるんじゃないかというのが話題です。デフレが何なのかということと、デフレになったらどんな面倒が起こるかということは知ってるつもりです。で、政府がお金を刷るとインフレになるんだったよな、とも思うんです。ということは、この二つを「事実」から言って、デフレを防ぎたいなら、政府がお金を刷ればいいだけなんじゃないのか、と、こう思うわけです。(なんて単純おバカなデフレ対策でしょう!)<br />
<br />
お金を刷ることというのは、何かお金を刷る以上の問題があるんでしょうか? 刷ったお金を出回らせるのは、連銀が債券を買うことで、その代金が経済に注入されるということですよね? 一体どんな理屈でお金を刷るとインフレになるんでしょうか? そうやってデフレを解消することは、現在の低金利にも影響を与えるんでしょうか? 与える(あるいは与えない)としたらどうしてでしょうか?<br />
<br />
<b>A</b>:デフレは2001年ごろから話題になってきましたね。そしてデフレ懸念は当面消えそうにありません。まずは、ご質問ありがとうございました。<br />
<br />
<h4>
デフレとはなにか?</h4>
<a href="http://economics.about.com/cs/econometrics/l/blglossary.htm" target="_blank">当サイトの経済用語辞典</a>によると、デフレーションとは、「物価の低下が持続すること。インフレーションの対義語。インフレ率(計測法方は複数ある)がマイナスの場合、その経済はデフレ期である。」とあります。そして『なぜお金には価値があるの?(<a href="http://economics.about.com/cs/neoclassical/a/value_of_money.htm" target="_blank">Why does money have value?</a>)』という記事では、お金の価値が商品よりも相対的に低くなったときに、インフレが起きると説明しています。ですから、デフレは単純にその逆の場合に起きるのです。つまり一定期間、ある経済圏のなかで、お金の価値が、商品よりも相対的に高くなった場合です。その記事のロジックにしたがえば、デフレは以下の四つの要素が組み合わさって起きると考えられます。<br />
<br />
<ol>
<li>お金の供給量が減った</li>
<li>商品の供給量が増えた</li>
<li>お金に対する需要が増えた</li>
<li>商品に対する需要が減った</li>
</ol>
<br />
デフレは一般的には、商品の供給がお金の供給よりも大きくなったときに起こります。上の四つの要素を満たしていますね。この四つの要素は、なぜ価格の上がる商品と下がる商品があるのかを上手く説明しています。パーソナルコンピューターの価格は、この15年間でどんどん下がってきました。これは、技術の進歩によって、PCの供給がお金の供給を上回ってきたからです。1980年代には、1950年代の野球カードが急激に値上がりしました。これは野球カードの需要が増大したことと、野球カードとお金の供給量が基本的に変わらなかったことによります。ということで、デフレが心配ならお金の量を増やせばいいじゃない、というご提案は、上の四要素をみた限りでは、ナイスですね。<br />
<br />
そこで連銀はお金の供給量を増やすべきだ、と結論づける前に、デフレの害がホントはどの程度のものなのか、そして、連銀はお金の量を変えることができるのか、そこをハッキリさせておきましょう。まずは、デフレによって引き起こされる問題のほうを見ていきましょう。
たいていの経済学者は、デフレを経済の病気であると見なすこと、そして、別の病気の一症状だとみなすこと、このどちらにも同意するはずです。『デフレーション:そのメリット、デメリット、そしてその厄介なところ(<a href="http://capitalismmagazine.com/2001/12/deflation-the-good-the-bad-and-the-ugly/" target="_blank">Deflation: The Good, The Bad and The Ugly</a>)』という記事の中で、キャピタリズム・マガジン(<a href="http://capitalismmagazine.com/" target="_blank">Capitalism Magazine</a>)のドン・ラスキンさんは、ジェイムス・ポールソンさん(訳注:証券会社のエコノミスト)の「良いデフレ」と「悪いデフレ」という区別を検証しています。ポールソンさんのこの分類は、明らかに、彼がデフレを、別の経済上の変化による症状と見なしていることを示していますね。ポールソンさんによれば「良いデフレ」は、企業が「コスト削減と効率性の向上を追求した結果、商品をどんどん安い価格でコンスタントに作れるようになる」ときに起こるといいます。これはまさに、先ほどのデフレを引き起こす四つの要素の二番目、「商品の供給量が増えた」に相当しますね。ポールソンさんは、これが「GDPの成長を力強くし、利益の成長を大きくのばし、しかもインフレにせずに失業率を低くできる」ので「良いデフレ」なのだ、としています。<br />
<br />
「悪いデフレ」のほうはもっと定義の難しいコンセプトです。ポールソンさんはシンプルに、「悪いデフレとは、販売価格のインフレ傾向が低いにも関わらず、企業がもうコスト削減や効率性の改善を続けられないときに起こる」としています。ラスキンさんも私も、この考え方はちょっと受け入れられません。このような説明は、物事の一面でしかないと思うのです。ラスキンさんは、悪いデフレは実際には「一国の中央銀行による、その国の会計通貨単位の再評価」なのだ、と結論づけています。これは煎じ詰めて言えば先ほどの4要素の一番目、「お金の量が減った」にあたります。ということで、「悪いデフレ」はお金の量が相対的に減ったことで起き、「良いデフレ」は商品の量が相対的に増えたことで起きる、というわけです。<br />
<br />
と、このような説明には、根本的に欠陥があるのです。というのも、デフレは「相対的な」変化によって引き起こされるものだからです。ある年の商品の供給量が10%増え、お金の供給量は3%しか増えなかったら、デフレになりますね。ではこれは「良いデフレ」でしょうか、それとも「悪いデフレ」でしょうか? 商品の供給が増えているんですから、「良いデフレ」なんですけど、中央銀行のお金の供給がそれに追いついていないのですから、「悪いデフレ」でもあるはずです。「商品」なのか「お金」なのかを問うのは、「両手をパチンと合わせたとき、音を鳴らしたのは右手か左手か」と問うようなものです。「商品の量が急速に増えた」とか「お金の量の増え方が遅すぎる」という表現は、根っこでは同じことなのです。だって商品とお金をつきあわせて比べてるんですから。なので、「良いデフレ」と「悪いデフレ」という用語にはもうお引き取りを願うべきでしょう。<br />
<br />
デフレを病と見なすこと、最近ではこちらのほうが経済学者の同意を得やすいでしょう。ラスキンさんは、デフレの真の問題は、商売上の取引関係をぶちこわすことにある、と言っています。「お金の借り手から見れば、契約上支払うべきローンの購買力が大きくなっていき、同時に、ローンで購入した資産が名目価格で減少し始める。貸し手から見れば、デフレ下では借り手がローンによって破産する確率が上がる」としています。<br />
<br />
ノムラ・セキュリティーズのエコノミスト、コリン・アッシャーさんは<a href="http://www.rferl.org/" target="_blank">Radio Free Europe</a>(訳注:該当するページが見つからなかったので、ホームページにリンクしておきました)で、デフレの問題は、「デフレになると、衰退の連鎖反応がおきることににあります。企業の利益が少なくなるので、人を雇わなくなります。すると、人々はお金をあまり使わないようにしようと考えるようになり、それを受けて、企業の利益がさらに減ります。これらすべてが、衰退の連鎖となっていくのです。」と述べています。さらにデフレには心理的な作用もあり、「人々の心理に深く根ざし、自己増殖していきます。消費者は車や家といった高価な商品をあきらめるようになるのです。だって将来値下がりすることが分かっているんですから」とも。
<a href="http://money.cnn.com/2002/11/07/news/economy/deflation/" target="_blank">CNNマネーのマーク・ゴングロフさん</a>も同様の意見です。ゴングロフさんによれば「人々にモノを買う意志が無い状態で価格が下落していると、消費者が購入を延期する悪循環につながります。モノが今後もっと安くなるって皆知っているわけですからね。すると、企業は利益を上げられなくなったり、借金を払えなくなったりします。そうなれば、生産や雇用を縮小させます。するとさらに商品への需要が低下し、さらなる低価格につながっていくのです。」<br />
<br />
デフレについて一家言ある経済学者全員にアンケートをとったわけではありませんが、デフレについてのざっくりとしたコンセンサスがどんなものなのかは、なんとなく分かっていただけたのではないでしょうか。<br />
<br />
さらに見逃されがちな心理的要素として、ほとんどの労働者は自分の賃金を名目値でみている、という点があります。広く一般の物価が下がっているのだから、賃金だって下がっているはずなんだけど……、というところにもデフレの問題があります。現実には、賃金は下がる方向にたいしてはかなり「べたついて」下がりにくいのです。物価が3%上がり、社員の賃金も3%上がれば、大まかにいって、上る前と何も変わっていません。これは、物価が2%下がって、社員の賃金が2%カットされたときでも同じです。しかし、社員が賃金を名目でみていた場合、3%増えたほうが、2%減るのよりもうれしいはずです。低めのインフレが起きていれば、産業内で賃金の調整をするのは簡単ですが、デフレは労働市場の硬直を引き起こします。この硬直はやがて、労働力の活用という点で非効率を引き起こし、経済成長を鈍化させます。<br />
<br />
さて、ここまでデフレが望ましくない理由をいくつか見てきました。今こそ「デフレ対策として何ができるか」と問わねばなりません。初めの四つの要素のうち、一番コントロールが簡単なのが、一番目の「お金の供給量」です。お金の供給量を増やすことで、インフレ率を引き上げることができますから、そうしてデフレを防げばいいのです。<br />
<br />
なぜこれが上手くいくのかというのを理解するためには、まずお金の供給量(以下マネーサプライ)の定義を知る必要がありますね。マネーサプライというのは、みなさんのお財布に入っているお札やコインことだけではありません。経済学者のアンナ・J・シュウォーツさんによれば、<a href="http://www.econlib.org/library/Enc/MoneySupply.html" target="_blank">マネーサプライの定義</a>は以下のようになります。<br />
<br />
「合衆国のマネーサプライは、通貨(連邦準備制度と財務省によって発行されるドル紙幣とコイン)と、民間の銀行とそのほか信用組合、貯蓄貸付組合などの金融機関に一般の人々が預けている種々の預金で構成される。」<br />
<br />
そして、経済学者がマネーサプライを調べる時に使う基準は、大きくいって三つに分かれます。<br />
<br />
「<br />
M1:お金の交換媒介としての機能に絞った小さめの計測基準<br />
M2:お金の価値保蔵の機能も含めたちょっと広めの計測基準<br />
M3:お金の代替物と見なされるような金融商品も含めたかなり大きめな計測基準
<br />
<br />
(訳注:見やすくするために書式を変えています。文はそのままです。)」<br />
<br />
連銀には、マネーサプライを変化させるために自由に使える手段がいくつもあります。そうしてインフレ率を上げたり下げたりしているんです。連銀がインフレ率を変化させるために一番よく使う手は、金利の操作です。連銀が金利を変化させることで、マネーサプライも変化するのです。仮に、連銀が金利を下げようと考えているとしましょう。これは、代金を支払って国債を買い入れることで実現できます。債券を市場から買うことで、債券の供給量が減りますね? するとその債券の価格が上昇し、金利が下がるのです。債券の価格と金利の関係は、私の『配当税カットと金利(Dividend Tax Cut and Interest Rates)』という<a href="http://economics.about.com/cs/interestrates/l/aa012303c.htm" target="_blank">記事の三ページ目</a>で説明してあります。連銀が金利を下げたいと考えたとき、連銀は国債を購入し、そうすることでお金を市場に注入します。債券を受け取るには、持ち主さんにお金を渡さなくてはいけませんからね。このように、連銀は、国債を買って金利を低下させることで、マネーサプライを増やすことができるのです。逆に、国債を売って金利を上げて、マネーサプライを減らすこともできます。<br />
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金利の操作は、インフレ率を下げたり、デフレを防ぐ際に普通に使われる手段です。CNNマネーのゴングロフさんは、連銀の研究を参照して、「一例ですが、日本のデフレは、1991年から1995年の間に日本銀行が、金利をもう2%低くするだけで防げていたでしょう」と言っています。コリン・アッシャーさんは、金利があまりに低すぎて、この方法でデフレをコントロールすることができなくなる場合もある、と指摘しています。まさに日本が現在そのような状況で、金利は事実上ゼロになっています。金利の操作は、状況がそろっていれば、マネーサプライを変化させてデフレを抑える手段として有効だ、ということですね。<br />
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ついに大本の質問にたどり着きました。「お金を刷ることというのは、何かお金を刷る以上の問題があるんでしょうか? 刷ったお金を出回らせるのは、連銀が債券を買うことで、その代金が経済に注入されるということですよね?」そう、それこそ今見てきたことなのです。連銀が国債を買うためのお金だって、どこかからやってきたお金のはずですよね? 通常、公開市場操作(訳注:中央銀行が市場で国債を売買すること)をする際、連銀は単にお金を無から生み出して使っているのです。ということで、経済学者が「お金をもっと刷る」「連銀が金利を下げる」と言う場合、たいていそれは同じ事を指しています。日本のように、金利がすでにゼロになってしまっている場合は、もうそれ以上何かできる余地というのはほとんどありません。ですからこの方法でデフレと闘ってもあまり上手くいかないでしょう。幸い、合衆国の金利は日本ほど低くありませんけどね。<br />
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さて、来週は、マネーサプライを変化させるための、他にもよく使われる方法を見ていきましょう。合衆国も今後、デフレと闘っていくためにそういった手段も検討していく必要が出てくるかもしれません。<br />
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(翻訳おわり)<br />
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さて、「お金ジャブジャブ説」の問題点がおわかりでしょうか。そうです、デフレじゃん! ということですね。お金がジャブジャブだろうが、大蔵省がしゃぶしゃぶだろうが、今日本はデフレなんです。デフレにはこの解説にあるような大きな害があるんですから、ゼロ金利だから何もしない、などという選択肢なんて本来あるはずもないのです。「お金ジャブジャブ説」はまるで、船は絶賛沈没中だけど、バケツで水をくみ出してるからもう何もしない、と言っているようなもの。いや、沈んでるから! ものすごく! どうしてこんな主張が大手メディアに乗り続けているんでしょうか?<br />
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最後に、来週はそのほかのデフレ対策を、とMoffatt先生が書いてますけど、その記事が見あたらないんですよね。ということで、手前味噌ではありますが、当ブログの過去記事から、デフレ対策を扱ったものをご紹介しましょう。<br />
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<a href="http://since20080225.blogspot.jp/2009/09/book-lovers.html" target="_blank">勝間和代のBook Loversを聴いた その1</a><br />
<a href="http://since20080225.blogspot.jp/2009/09/book-lovers2.html" target="_blank">勝間和代のBook Loversを聴いた その2</a><br />
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<span class="Apple-style-span" style="color: black;"><a href="http://since20080225.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html" target="_blank">飯田泰之×宮崎哲弥 トークセッションに行ってきた</a></span><br />
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どれも長いですけど対談です。ちょいと覗いてみてください。
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追記<br />
7月6日:ツイッターで@maedaさんからご指摘をいただきました。ありがとうございます。「会計通過単位」と「債権」を「会計通貨単位」と「債券」に改めました。
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7月13日:Wikipediaによりますと、「2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を良いデフレとして問題ではないとする立場をとった。」(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ゼロ金利政策">参照</a>)とのこと。さらに昨年の段階で与謝野馨経済財政担当大臣(当時)は、「(略)1%そこらの物価の下落というのは、物価上昇に比べて、むしろ望ましい姿であるかもしれないし、もしかしたら生産性が高まっている所以かもしれないというので、あまりデフレを強調し過ぎて、デフレだ、デフレだと言って自己暗示にかかる経済というのはあまり良くない議論だと私個人は思っています。」(<a href="http://diamond.jp/articles/print/13709">参照</a>)とのこと。さて2012年、日本は良いデフレ論を乗り越えることができるんでしょうか。嘆息。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-36389470349152828662012-06-28T00:18:00.000+09:002012-11-27T17:35:21.494+09:00[訳してみた]なぜまともな人に仕事がないのか『なぜまともな人に仕事がないのか』という本の著者の<a href="http://knowledge.wharton.upenn.edu/article.cfm?articleid=3027">インタビュー記事</a>がとてもおもしろかったので、訳してみました。もとサイトはペンシルバニア大学ウォートン校のものです。えー、ちなみに本は読んでません。iPhoneのkindleアプリでも積ん読ってできるんですね、知らなかったなー(棒) ま、そのうち読むかもしれません。
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さて著者は経営学の教授さんだそうで、その人が書いた『なぜまともな人に仕事がないのか』なのですから、これはもう嫌な予感しかしないわけです。国際競争力ガー、生産性ガーという話なんじゃないの? やだよ、そんなの。というのが経済学関連書を読む現代日本人の正しい反応というものでしょう。<br />
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あに図らんや、おとうと図るや、このピーター・カペリ教授、失業者が増えた理由の第一を、そもそも仕事が少なからだ、と言明しております。ということでどうかご安心ください。<br />
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日本でも雇用のミスマッチとよく言われるけれど、アメリカでも同様なようで、カペリ先生、そこに噛み付いています。それは企業側の言い分に過ぎないし、現実に起きていることとはちがう。企業が人々に押し付けている雇用プロセスが本当に効果を発揮しているのか、それを検証する責任が企業にはあるのだ、とのこと。他に、空きポストを放置するコスト、報道に対する批判、などが話題になっています。<br />
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これは日本でもいえますね。若い人の就職活動があまりに迂遠で、求職者の負担ばかり大きく、しかも本当に企業が欲している人材を選別できているのかどうかもわからない。これでは無責任と言われてもしかたがないでしょう。<br />
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では以下本文をどうぞ。<br />
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原文はKnowledge@Whartonの"Why Good People Can't Get Jobs: Chasing After the 'Purple Squirrel'"です。(<a href="http://knowledge.wharton.upenn.edu/article.cfm?articleid=3027">リンク</a>)<br /><br />
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(翻訳はじめ)
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<h3>なぜまともな人に仕事がないのか:むらさき色のリスを追い回すコスト</h3>
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ペンシルバニア大学ウォートン校の<a href="https://mgmt.wharton.upenn.edu/profile/1307/">ピーター・カペリ教授</a>(経営学)の新著、『なぜまともな人に仕事がないのか 技能のミスマッチと企業にできること(Why Good People Can't Get Jobs: The Skills Gap and What Companies Can Do About It)』が、今日労働に関わるすべての人々、雇用主、労働者、リクルーター、そしてアカデミズムとメディアの間で話題になっています。カペリ教授は、雇用主サイドから繰り返し発せられる、求職者に充分な技能が備わっていないという議論の誤りを指摘しています。そして教授は、むしろ責めを負っているのは企業側であり──雇用とトレーニングのコストについてきちんと情報を集めていない、というのがその一点です──、さらに、応募者をコンピュータで管理するシステムが、求めている人材を見つけやすくするどころか、逆に見つけにくくしている、と主張しています。<br />
<br />
カペリ教授は、<a href="http://chr.wharton.upenn.edu/#id=chr&num=1">ウォートン校の人材センター</a>の長でもあります。今日は当サイトの記者と共に、新著について語ってもらいました。以下はその模様です。
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<b>記 者</b>:ピーターさん、お時間をいただきましてありがとうございます。さて、この本では実に幅広い議論が展開されていますが、その中の一つに、不況と冷え切った労働市場のもとで、企業は巨大な求職者予備軍を相手によりどりみどりといった状況になり、雇用の際により厳しく選別するようになっている、というテーマがありますね。しかしそれでも、満足な技能を備えた求職者が見つからない、と言い放つ企業もあるわけです。このことについてお聞かせください。
</div>
<div class="burain4">
<b>ピーター・カペリ</b>:まずすべてのプロセスを雇用主がコントロールしていることを理解しておきましょう。雇用主側が仕事の定義をし、応募条件を作り、募集の文言を決めているのです。給与の水準を定めて、どの程度おいしい仕事なのかをわかるようにしておき、その後に、選別に取りかかるわけですね。そこで応募者の情報に目を通し、より分けていきます。<br />
何よりハッキリしているのは、現在、シンプルに仕事が足りていない、ということです。だから雇用主がえり好みができる状態であるのは間違いありません。しかしえり好みすることをここで問題として扱う気はありません。雇用主側が見極めに時間をかけて、いざ雇う段階までなかなか進まないのは、べつにことさら驚くことでもありませんよね。なんといっても見極めるべき求職者の数が多いのですから。こんなに長い行列ができているのですから、最初の一人を採用する必要なんてないでしょう? 不自然な、そして誰から見ても良くない点はそこではなくて、「いや、雇い渋っているんじゃなくて、雇いたいと思う人があらわれないので、ずうっと雇っていないんだ」という雇用主の存在なのです。この問題の答えを出すにはまず、雇用のプロセス上すべての決定を、他ならぬ雇用主側が行っているというところから始める必要があると思います。では、このような雇用主というのは、なにか間違ったことをしていると言えるのでしょうか?
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:それはそうでしょう。だって仕事を探している人の存在と、雇用主側の意に満たない人しかいないという主張はマッチしてませんからね。教授が提示した問題の一つに、「ホームデポ(訳注:住宅工具の大型チェーン店)」流の雇用プロセスというのがありました。これは、雇用をまるで食洗機の部品交換のように行うもので、空いた仕事を壊れた部品と見なして、部品を食洗機にはめ込むように新しく来た人を仕事につかせておしまい、というやり方です。しかし一方で、仕事のポストを無理に埋める必要はない、今いる社員で回せばいい、と感じている企業があります。こういった企業は、空きポストが多すぎることで本業に支障がでる日がくることを理解していません──いえ、本業でなくても、会社の成長、利益率の向上、競争力でも言えることです。これも問題の一つではないですか? 雇用を遅らせる企業と、その見えないコストを理解せずにそうしている企業です。
</div>
<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:はい、間違いなくそこが問題なのです──ほとんどの組織の内部で行われている会計システムは、空きポストを維持するコストについては何も教えてくれません。会計システムは、誰かを雇い入れるコストは簡単に教えてくれるのですが、社員の貢献を計ることはできないのです。なので、たいていの企業では、会計システムの教えからいって、空きポストを維持することでお金を節約しているように見えてしまっているのです。会計システムを信じる限り、急いで人を雇う必要なんてどこにもないのです。問題はここから始まっていると、私は考えています。これは明らかに、社会にとっても雇用主にとっても良くないことです。しかし問題は雇用主である企業の内側から生まれているのです。会計システムが、人を雇わないように仕向けているのですから。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:教授はまた、企業が市場価格の給与を支払っていない事も問題視しています。企業側は労働市場に向けて、とりあえずきわどい球を投げてきているようです。しかし、人を安く雇えるときに、どうして市場価格を支払わなくてはいけないのでしょう?
</div>
<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:いや実は支払いたくても支払えないんですよ──というのが企業側の言い分ですよね? マンパワー社による調査がありまして、雇用主に雇いたい人材が見つからずに困っているかどうかを聞いています。その調査では、だいたい11%の雇用主が、問題は雇用主側が提示する給与で仕事を引き受けてくれる人がいないこと、と答えています。つまり11%が、給与を充分に支払っていないと認めているわけです。11%が認めたという事は、実際にはこの倍はあると思います。人は自分自身が生み出している問題には鈍感なものです。ですから認めたのはほんの一部なのでしょう。まあ、とりあえず低めのきわどい球を投げるのは責めないとしても、その上で人材が見つからないと言うのであれば、それは技能のミスマッチと呼んではいけません。求める技能と持っている技能のミスマッチなどではなくて、単に渋ちんなだけです。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:この本には「ミスマッチなのは技能ではなくてトレーニング」という章があります。そこでは1979年のデータが載っていて、その当時の若者は平均で、年に二週間半の期間、トレーニングを受けていたとあります。それが1991年になると、前の年に何らかのトレーニングを受けた若い労働者は、わずか17%になってしまっています。過去五年以内にトレーニングを受けた、という人でも21%しかいませんでした。教授は、徒弟制のような、仕事をしながらトレーニングをしていく仕組みが特に崩れていると指摘しています。では、現在の社員や将来の雇用のためにトレーニングを行う仕組みを整備していく、そういう努力が企業側に不足していることが、「技能のミスマッチ」とよばれるものの大部分を引き起こしている、ということなのでしょうか?
</div>
<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:そうです。特に政策に携わる人たちの間でよく言われることですが、学校がダメなせいで、子供たちは必要なだけの学位と知識を持たずに社会に出てきてしまい、雇用主側の意に沿った人材が見あたらない、という説があります。しかし、その雇用主自身のデータを見てみると、雇用主が人材を獲得する際に直面する懸念事項で、学問的な技能が大きな話題になったことなど一度もありません。現に、雇用主側の求職者に対する注文は、私が調べているこの30年間ぐらいほとんど変わっていないのです。そしてその注文というのは、端的に言って、いつの時代であっても老人が若者に対して抱く思いと同じなのです──若い奴には勤勉さが足らん、職場での態度がなっとらん、仕事はもっと一生懸命やるものだ、こういったことです。実のところ企業側は、学校を出たての若者なんかぜんぜん探していないのです。雇用主が何を求めているのか調べてみれば、それは結局経験です──どの企業も、3年から5年くらいの経験を持った人を探し回っています。企業が本当に求めている技能は教室では学べないもので、その仕事をしながらでしか学べないのです。ですから、応募要件が浮き世離れしているのはたいてい、企業が、今現在別の会社でまったく同じ仕事をしている誰かを探し回っているせいなのです。そしてこれが、雇用主が今現在失業中の応募者に会いたくない理由でもあるんですよね…。募集しているその仕事にすでに就いている人を探してるんです。問題は、学校を出たてで経験の無い人にその仕事を与えようという人がいないことです。以前にその仕事をやったことが無い人を採用し、トレーニングを授けようという人がいないのです。<br />
すでにトレーニングを受けている人を雇った企業を見れば、楽なほうを選んだな、とその気持を理解することはできます──少なくとも、そっちのほうが楽に見えたのでしょう。しかしそうすることで同時に、誰もが入門者を避けるわけですから、技能ミスマッチ問題を生み出してもいるのです。そしてやはり多くのケースで、水準に達している人──特殊な技能はのぞきますが──を採用し、トレーニングするのは、様々な面で充分に引き合うのです。トレーニング期間の給与は低めにしておけますし、雇う前に技能のいくつかは身につけてくることを条件にしたって別に構わないのですから。しかし会計システムがあるために、雇用主の大多数は、人をトレーニングするコストについて何も知らないままでいるのです。すでに仕事についている人を追い回して雇い入れることで、本当にお金が節約できているのか、ぜんぜん見当もつかないのです。
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<div class="burain4">
<b>記 者</b>:教授のこの本は、キャッチ22状態(訳注:自縄自縛の堂々巡り)で満たされていると言えるのではないでしょうか。雇用主は、社員が会社を辞めてしまうことを恐れているので、トレーニングを授けたくない──確かに労働者はますます企業を辞めやすくなっていますし──、そうなればトレーニングの費用がすべて無駄になってしまうわけですからね。しかしこれは同時に、すでにトレーニングを受けた求職者の数がますます少なくなって、見つけづらくなることも意味しています。どうも手詰まりな印象がありますね。
</div>
<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:そしてこれは労働者にとってもキャッチ22状態なのです──その仕事の経験が無いために、最初の一歩を踏み出すことさえできないのです。重要なことですが、雇用主側は、以前はずっとこのようなトレーニングを行ってきたんです。トレーニングを行い、さらに利益を出す方法があったのです。徒弟制がその例ですが、弟子をとるというのはずっと、働きながら学ぶ有力なアプローチでした。医師を育成する方法も同じです。コンサルタントや会計士を育てる方法もまったく同じです。こういった会社──会計事務所やコンサルティング企業は、事実上すべての社員が5年以内で辞めていきます。しかしそういったやり方のなかで、人々は働きながら学んでいるのです。つまり、そういった業界では人々はトレーニングを受けているのです。会社はそれでも、全員が学びながら働いているにも関わらず、そんな社員を使ってお金儲けができているのです。これに近いことを多くの企業で実施できるかどうかなんてすぐに見当がつきそうなものですが、「ウチでは無理だね」という脊髄反射的な答えが返ってくるのです。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:無職の応募者が差別される理由がたくさんある、と指摘してらっしゃいます。企業側は、そういった応募者の技能が時代遅れになっているとか、高齢すぎると感じているのかもしれません。連邦政府が差別を禁止するという手段をのぞいて、この問題を回避する方法はあるのでしょうか? 政府による禁止が上手く機能することはまずないでしょうから。
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<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:高齢の労働者の問題は特に重要です。というのも、高齢の労働者というのは普通、企業側が雇用の際に求めるものをすべて持っているからです──仕事への姿勢、経験、準備期間も育成期間も必要がない、または少ない、などです。しかしそれでも、高齢の労働者に対する差別はありふれています。禁止する法律はありますが、実行力はありません。<br />
問題は、雇用主側が、自分たちの利害を自己診断しているところから始まっていると思います。皮肉なことですが。私は何も、雇用主は一心に社会の為に何かを行うべきだ、と言っているのではありません。今企業が行っていること、つまり、すでにどこか別の会社に雇われている人々という小さなグループを追い回す行為が、そもそも企業自身の利害に一致していない、と言っているのです。人をトレーニングすることは理にかなっていますし、人にチャンスを与えることも理にかなっているのです。空きポストを本気で埋める為に、応募条件をもっと現実的なものにするのも、やっぱり理にかなっているのです。なので一番の難問はこれなのです。企業側が、自分の利害に沿って行動していない、という点です。ではどうしたら、企業はもっと上手く立ち回れるのでしょうか? 外部の人に手伝ってもらうことも可能でしょうね。常によその会社の人材を追い求めることがどれほど高くつくか、ということを学者とかに指摘してもらえば良いのです。たとえば、本校の同僚に<a href="https://mgmt.wharton.upenn.edu/profile/1385/">マシュー・ビドウェル教授</a>がいるのですが、彼が実に<a href="http://knowledge.wharton.upenn.edu/article.cfm?articleid=2961">興味深い研究</a>を行っています。よその会社から人を雇った場合と、生え抜きの人の場合を比較しているのです。すると、生え抜きの人のほうが、コストの面でも生産性の面でも優れていました──これはよその会社にいた人は絶対に雇うべきではない、という意味ではありません。そうではなくて、会社の内部で成長させていくことは、間違いなく引き合う、ということなのです。なので、雇用主側はまず、情報をしっかり集めるところから始めるべきだと考えます。皮肉なのは、そのほかの業務については、たとえば仕入先の質や在庫を抱えるコストなんかについては、詳細な情報を持っているのです。それが人事となると、何も分からなくなってしまっているんですね。
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<b>記 者</b>:近頃では、典型的な企業の人事部の役割が効率化、省力化されてきていて、雇用のプロセスの中で重要性を失っているのではないでしょうか?
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<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:この20年間にわたり、人事部は骨抜きにされ続けてきたという面があると思います。特に不況時にはリストラが行われますし、人事部は狙われやすいですよね。トレーニングを担当する部門は、もうほとんどの企業から姿を消しています。また、新人を発掘する様々な機能も同様に失われてしまいました。昔でしたら、求人を出す際、職務の内容などは人事部に相談して作っていました。人事部の人はそのためにいたのですし、もし応募条件が浮き世離れしていたり、労働市場とズレまくっていたら、その人が止めてくれていたのです。それが今ではそんな人はいなくなってしまった。そして基本的に、今時の「ほしいものリスト」式の応募条件は、<a href="http://knowledge.wharton.upenn.edu/article.cfm?articleid=2947">応募者管理ソフトで作られています</a>。実際の応募者が生きた人間の目に触れるのは、雇用プロセスの最終段階だけです。つまり、私たちは雇用プロセスの自動化を進めてすぎているのです。自動化それ自体に問題はありません、結局応募者をふるいにかける必要はあるんですから。しかし、プロセスから人間も一緒に排除しようというのは、重要な決定を機械に一任してしまうことなのです。人間による判断がやっぱりとても重要です。
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<b>記 者</b>:さらに、多くの求職者が、管理ソフトの裏をかく術を身につけてきています。たとえば、履歴書や経歴書などにキーワードを忍ばせておく、といったことです。ソフトウェアによる管理がますます洗練されているように見える一方、抜け穴もあるわけですね。
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<b>カペリ</b>:そうです。そこが大変重要なポイントです。ソフトの裏をかける人は応募プロセスの先に進みますから、会社側も面接で直に接触できます。しかし、そうでない人とは出会うこともないのです。果たして雇用主側は、本当にそんな人を雇いたいのでしょうか? 制度の裏をかくような人物ですよ? そのこと自体が、どんな人物であるかを物語っている、とも言えるでしょう。しかし求めていた技能については何の情報も得られません。
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<b>記 者</b>:性格や自己を律する能力といったことはほとんど分からないですよね。
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<b>カペリ</b>:それこそ雇用主側が求めている情報なんですけどね。
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<b>記 者</b>:教授はまた、「熟練の労働者が見つからず企業困惑」といった見出しで記事を書く傾向があるとして、新聞メディアの責任も指摘しています。「求人、夢見がちなのは企業側」なんて記事は書かないんですね。とはいえ、メディアがそう簡単に変わることはないでしょう。連中がより分析的になり、深層をえぐるようになるとは思えません。そこで、メディアの情報から事実だけを手に入れるにはどうしたらよいのでしょう?
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<b>カペリ</b>:まあそれが私にとっての大問題でした──それがこの本を書いた動機の一つでもあるのです。新聞を開けば、あふれんばかりの逸話、事例が載っていますよね。そして国政の場、ワシントンに行けば、本当に多くの人がそういった個別の逸話や事例を思い思いに選び出し、それが我が国の経済全体で起きている現象なんだと思いこんでいるのです。基本的に、私がこの『なぜまともな人に仕事がないのか』でやったことは、ある程度まとまった量の、現実のデータを調べることです。そしてデータを見れば、新聞に載っているような逸話がどれも真実ではないことが分かるはずです。たとえば、雇用主側が新聞が伝える通りの行動をしていないことなんかが分かります。新聞記者の方々が、ほんの二三でいいので質問をぶつけてくれればいいのに、と思います。雇用主側が、技能の面でミスマッチがあって、求める水準に達する応募者がいない、と言うとき、彼らは単に、状況を自己診断しているだけなのです。しかし実際に起きているのは、単に企業が人を雇えずにいて、その理由は分からない、ということでしょう? ミスマッチ云々というのは雇用主側がそう言っているというだけなのです。これはただ単に、雇用主側が出した応募条件がクレイジーな代物だとか、給与が低すぎるとか、ふるいの目が細かすぎて誰も通れなかっただけなのに、雇いたくなる人材がいないんだ、と言っているわけです。
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<b>記 者</b>:この本の中に、どの世代も重大な技術革新を経験していると感じてきた、という箇所があって、面白く思いました。考えてみれば、電力、電話、自動車すべてが10年のうちに広く使えるようになった時代もあったのですね。しかし、現在の、何でもコンピューターが動かす私たちの時代の変化の大きさでさえ、以前の変化と特に変わらないという教授の指摘は、ちょっと信じられないのです。現在の医療、ナノテクノロジー、ロボット工学の変化はすごいですから。
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<b>カペリ</b>:ここでの真の疑問は、雇用のミスマッチが発生するほど、技能の要求水準を高めるような事態が起きているのか、ということです。ご存知のように、いつの時代にも新しいテクノロジーを身につけなくては就けない仕事があります。そしてそうでない仕事もあるのです。合衆国の全仕事を並べてみれば、増えていくものもあれば、少なくなっていくのもあるでしょうが、増えているほうには、大きなグループが二つ見つかるはずです。需要に応じて増えている高給の仕事、そして、医療ケア、介護など、給与は低いけれど需要に応じてものすごく増えている仕事です。全部ひっくるめると、(訳注:必要な技術水準は)全体ではあまり大きな変化にはなりません。すべての職業を貫くような構造的な変化は起きていないのです。今時はコンピュータとITがとにかく重要なんだ、というのが私たちの口癖なわけですが、PCがオフィスに登場したのはもう30年から35年前ですよね。社員みんなのデスクにPCが置かれていなかった光景、それをあなたが最後に見たのは何年前でしょうか? 思い出せる人もいるでしょうが、ほとんどの労働者はもうそんな光景を見たことさえないのです。コンピューターはそれくらい長い間利用されてきました。<br />
私が思うに、私たちは、若い人たちがブラックベリーやiTunesを始終使い倒しているのを見て圧倒されているんじゃないでしょうか。しかし年のいった人だって同じテクノロジーを利用しているじゃないですか。同じ事ですよね? 違うのは、若い人たちは24時間友達としゃべっていて、私たちが友たちと話す時間はもっと短い、という点だけです。なので、テクノロジーが違うのではないのです。若者がテクノロジーを使い倒していることに、私たちの意識が集中してしまっているだけなのです。でも私たちだって使ってはいるのです。
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<b>記 者</b>:我が国の新卒は、他国の新卒よりも技術的、質的に劣っているという主張はどうでしょうか。教授はOECDの報告を引いて、合衆国の学生は先進国中でだいたい真ん中あたりであることを示していますね。同時に、たとえばアジアの国々が、教育と職業訓練の面で合衆国に追いついてきているとも書いています。この点で我が国が心配しなくてはいけないことが何かあるのでしょうか。
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<b>カペリ</b>:先ほど話題になった説──学校がマズいので技能のミスマッチが起きている説──は本当に強力で、それは我が国では学校がとにかくヒドい状況なんだ、という見方が根付いているからです。しかし平均で見ればそれは事実ではないのです。学校制度はこの20年間で、少しずつ改善を続けてきました。もちろん我が国にはまだ極端にヒドい学校が残ってはいるので、そういった学校がやたらと注目を集めているのです。しかしそれは我が国のほんの一部分にすぎません。すばらしい学校も、ヒドい学校もあるのです。外国と比べてみると、私たちはだいたい真ん中です。そして結構長い間真ん中あたりにいました。<br />
高校の生徒の学力世界トップ5には、シンガポール、上海、香港が含まれています。競争相手をヨーロッパに絞ってみると、私たちはやっぱり真ん中くらいです。違う点があるといえば、我が国では大学に通う人がよその国よりも多い、というところでしょう。ですから、合衆国の典型的な労働者は、たいていの国に比べて高い教育を受けているのです。我が国の教育はまだ充分ではない、と主張する人たちもいます。でも何をもって充分とするかという議論は、それこそ永遠に続けられますよね。なのでやはり、次のシンプルな点が大事ですね。雇用主側は、応募者の学力について文句なんか言ってない、という点です。そして、特に合衆国で顕著なのですが、労働者や学生たちは、どのような経歴を積めば仕事につけるのか、何を専攻すれば仕事につけるのか、それを見極めようとして身を削っているのです。<br />
さらに理系が足りない、という説も強力ですね。ここでいう理系というのは、科学、技術、工学、数学です。工学のある種の仕事は、いまでこそ超人手不足ですが、5年前まではぜんぜんそんなことはありませんでした…。なので、工学のある分野に進んだとしても、自分が労働市場に出た年に上手いこと人手不足になるかどうかは賭なのです。もし求人が少ないとなれば、他の分野に進んだ人と同じ問題に直面することになります。しかもそれに加えて、理系の技能はあっという間に時代遅れになってしまうのです。特にIT関連の技術がそうです。<br />
なので、たとえばコンピューター・プログラマーとしてのキャリアを目指すのは、技能が時代遅れになってしまうという点では、理想的なものとは言えないかもしれません。労働市場に放り出されると、また別の言語を身につける道を見つける必要があります。さらに、数学や科学を専攻した場合だと、そのまま数学や科学の仕事に就くのは至難のワザです。たとえばここ、ペンシルバニア大学を見ても、理系の学生の大部分は、コンサルティング企業や投資銀行に就職していきます。ですから、どこかの産業が数学や生物学の学位を持った人材を大々的に募集したけれど、見つけることができなかった、なんて事態は起きていないのです。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:この本の副題は、「技能のミスマッチと企業にできること」です。この問題の解決策が示唆されています。すでにいくらか触れてらっしゃいますが、この問題を少しでも和らげる方法を二三ご教示くださいますか?
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<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:もし私が雇用主であれば、まず空きポストを維持することのコストをちゃんと把握しているかどうかを調べますね──実はつい先週、同じ事を経営者さんたちの前で述べたのですが。もちろん、調査にはコストがかかるでしょうけどね。自分でトレーニングを施すコストと、よその会社の社員を追い求めるコスト、どちらが大きいのか、理解しているでしょうか? もしこの疑問の答えを持っているのなら、空きポストにもコストがあることを理解しはじめていることになります。どこかの誰かを永遠に追い求めることを、IT業界ではむらさき色のリス探し、と言います。あまりにユニークで、平均をものすごく上回る、どこまでも完璧な人材、しかし決して見つかることのない人材──そんな人を追っかけるのは、賢いやり方とはいえないでしょう。ですから、きっと私たちは応募条件を修正して、とりあえず空きポストを埋めて、さっさと仕事に取りかかるべきなんですよ。果たして多くの企業は、会計事務所がしているように、そしてかつて職業別労働組合が技能検定という形でおこなっていたように、トレーニングをしながらお金儲けをする方法を見つけることは不可能なのでしょうか? 直感に頼り切りになるのではなく、理にかなったやり方を探すこともできないのでしょうか? 直感は間違うことだってあるのに。今少なくない企業が、トレーニングでは得ることのできないむらさき色のリスが目の前にあらわれるのをひたすら待っているだけです。待つのに忙しいので、人々が普通にがんばるチャンスを用意する暇もないのでしょうか? 別のやり方を検討していきましょう。まったく理にかなっていないのですから。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:最後になりますが、労働者サイドにはどのようなアドバイスがありますか?
</div>
<div class="burain4">
<b>カペリ</b>:仕事を探している場合、まず気をつけておかなくてはいけないことは、大局を見れば、仕事が見つからないのはあなた個人の責任ではないということです。単に、仕事を探す人の数に比べ、仕事の数が足りていないのが現状なのです。しかも膨大な数の仕事が不足しています。なので、仕事が見つからなくてもご自分を責めないでください。<br />
次に、現行の雇用プロセス、特に自動化が進んでいるところをふまえると、ベストなアドバイスは、目新しいものではないのですが、自動化の裏をかけるかどうか、そして、実際の人物に会って応募書類だけでは分からない様々な技能を持っていることを納得してもらえるかどうかを確認しよう、ということですね。さらに、雇用のリスクを小さくしたいと願う人事担当者の気持ちになってみるのが良いでしょう。これは不況でなくても役に立ちます。人事担当者は本当にその仕事をやりたがっている人を見つけたいものなのです。担当者があなたで納得するかどうか、考えてみてください。
</div>
<div class="burain4">
<b>記 者</b>:ピーターさん、どうもありがとうございました。
</div>
<br />
(翻訳おわり)
</div>
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
______________________
</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492260986/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4492260986.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
偏差値40から<br />
良い会社に<br />
入る方法<br />
田中秀臣<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
カペリ教授の問題意識は、田中秀臣先生の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492260986/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">偏差値40から良い会社に入る方法</a>』(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2009/11/40.html">参照</a>)と共通しているようです。現状は個人の手に負えるものではないけれど、できることもある、といったところでしょうか。<br />
<br />
あと、言い回しについていけなくて途中で投げ出した本で、豊田義博著『<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%B1%E6%B4%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E8%BF%B7%E8%B5%B0-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%B1%8A%E7%94%B0-%E7%BE%A9%E5%8D%9A/dp/4480065857/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">就活エリートの迷走</a>』というのがありまして、そこに日本の新卒のみなさんがヤキモキしている、エントリーシート導入の経緯とその結果、みたいな話がありました。導入した企業からすると、エントリーシートで応募者をふるいにかけた結果、本来求めていた人材を逃しているんじゃないかという不安がある、のだそうです。「絶対に通るエントリーシートの書き方」みたいな本もあるようで、雇用のプロセスをカッチリしすぎてしまうと、受験テクニックならぬ就活テクニックを研究するコストが充分引き合ってしまうんでしょう。カペリ教授の指摘そのままですね。<br />
<br />
マクロの経済状況を考えると、ついつい、企業も苦しいからなあ、と思ってしまうのですが、あんまり時流に乗ろうとかしないで基本的なところではぶれないで欲しいですね。我が国でも浮き世離れした求人、「空求人」の問題があります。そして言わずと知れたサービス残業があるわけです。人を雇うという企業活動の基本的なところでお茶目してしまうのなら、景気の良し悪しによらず、批判は受けますよ、そりゃあ。<br />
<br />
マクロで見れば、失業率が高いということはまだまだ賃金が高どまりしているということなのでしょう。だから失業率の改善には賃金の切り下げが有効だ、とこうなるわけです。しかし細かく見れば、一律に賃金が高くなっているわけではありません。仕事の実態以上に高くなっているところと、仕事の実態よりもものすごく低くなっているところがあるわけです。そして後者はたいてい立場の弱いところに集中します。だから、「まだまだ賃金が高い」みたいな情報ばかり流れてしまうと、ただでさえ立場の強い雇用主側の振る舞いに、専門家がお墨付きを与えてしまっているようにも見えてしまう。陰鬱な学問の面目躍如で、ここら辺にも経済学の不人気な理由がある気がしますね。<br />
<br />
とはいえ、我が国が一番に取り組むべきことは、やはり景気が良くないことのはずではあるのです。でもそうして、日銀があんな感じで放置され、就職氷河期を繰り返しすほどの長い不況のなかで、それでも企業が人材不足であると感じているというのだから(<a href="http://www.j-cast.com/kaisha/2012/06/19136212.html?p=all">参照</a>)、その反省を国民が勝手に雇用プロセスに反映させたって罰はあたらないでしょう。当局が動くのを待っていたって仕方がないですよ。カペリ教授も言うように、人をトレーニングしないコストだってあるんですから。<br />
<br />
特に世代間での賃金差が大きすぎるのは、所得移転という点からも組織の健全さという点からも、そして社会の長期的な安定という点からも好ましくないのですから、もっと堂々と批判していきたいですね。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
■ ■ ■</div>
<br />
ついつい完璧を求めてしまうのは人類の通弊でありまして、自分に完璧を求めれば不安と憂鬱で身動きできなくなり、他人に求めれば若い芽をせっせと摘むはめになる。荒唐無稽な空求人は、企業がハローワークにお願いされて渋々だした求人であることが多いようです。でも、だからといってその場のノリで完璧を要求しちゃだめですよ。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-44382204604664586592012-06-19T01:15:00.001+09:002012-09-16T11:29:17.317+09:00落日のエリート<br />
また別のアメリカの左派的な雑誌『The Nation』に<a href="http://www.thenation.com/article/168265/why-elites-fail?wpisrc=nl_wonk">面白い記事</a>があった。今回はそれを僕なりにまとめてみたいと思います。<br />
<br />
<br />
C・Hayesという人のWhy Elites Fail?(なぜエリートはしくじるのか)という記事で、このHayesさんの新著を元にした記事のようだ。<br />
<br />
話のつかみはこうだ。ニューヨークにはハンター・カレッジ・スクールという学校がある。日本で言う中高一貫の公立校であり、ニューヨーク中から才能ある子供が集まってくる。なぜか。ハンター校は独自の入学試験を行っていて、毎年200人弱の生徒しか突破できないほどの難関校なのだ。Hayesさんはそこの卒業生だそうだ。で、彼が在学していた1995年当時、生徒の12%が黒人、6%がヒスパニックだったという。<br />
<br />
それが2009年には黒人が3%、ヒスパニックが1%になってしまっている。なぜだろう? 最近は両親共に白人である子供が減ってるなんてニュースも聞いていたのに。実は、Hayesさんの学生時代にはなくて、今はあるものが関係するという。それはハンター校へ入学するための予備校だ。ハンター校入学を目指す小学生が、放課後に英単語を覚えて計算練習をするために数千ドルかかるのだ。なかには時給90ドルの家庭教師をつける家庭もある。<br />
<br />
かつてハンター校は実力主義の象徴のような学校だった。コネも金もここではおとなしくするしかなかった。テストの点が基準より上ならどんな子でも入学できた。しかも学費はタダだ。まさにアメリカンドリームの体現だった。<br />
<br />
それが結局、裕福な白人家庭の子弟が集まる学校になってしまったのだ。予備校に通ったり家庭教師が付いている小学生が高得点をおさめるような入学テストばかりやるようになってしまった。なぜだろうか?<br />
<br />
Hayesさんは20世紀初頭の社会学者Michelsを引きつつ、実力主義は必然的に寡頭制にたどり着く、と言う。まず実力主義(忘れてましたけど、これmeritocracyのことです)には二つ条件があって、一つ目は「個々人の能力に差があることを認めつつ、一番才能があって一番働き者なヤツを、一番難しくて一番重要な仕事に就かせる」こと、二つ目は「信賞必罰をしっかり実行する」こと。二つ目の条件はつまり、親が実力者だからって大目に見ちゃだめだよ、ということですね。逆も同じ。<br />
<br />
と、まあ実力主義には誰もが惹かれるさわやかな魅力があるわけですが、Hayesさん曰く、私たちはここで厳然たる「実力主義、鉄の掟」に阻まれてしまう。まず時間の経過とともに、実力主義を採用する体制そのものによって、信賞必罰がゆがめられてしまうのだ。<br />
<br />
人の出来不出来を目の当たりにすると、私たちは機会の平等の実現をあきらめてしまう。信賞必罰を行うよりも、個々人の能力差にばかり関心が行ってしまうのだ。ぶっちゃけ、仕事をしたりブログを書いたりしゃべったりしなければ能力イコール肩書きであるし、日本でも「学歴ロンダリング」なんて言葉が生まれるように、肩書きのほうはでっち上げが可能だ。そして、実力主義の階梯を駆け上がっていった人々は、自分の友人、仲間、親族、そして子供のためにハードルを下げてやる方法を必ず見つけだす。そうして低めのハードルを越えてきた人物によって重要な地位が埋まっていく。つまり、実力主義を謳い、その恩恵を受けた人々が、自分の意志で寡頭制の準備にはげむのだ。<br />
<br />
ハンター校の卒業生はエリート大学に進学していくのだが、多くのエリート大学でマイノリティ家庭出身の学生は増えてはいる。しかしそれ以上の勢いで、「依怙贔屓グループ」出身の学生が増えているのだ。依怙贔屓グループというのは、両親がその大学の卒業生である家庭の子、スポーツ推薦の子、大学職員の子、セレブと政治家の子、寄付金を出した家庭の子だ。<br />
<br />
これにさらに、予備校に行けるといった面での有利さも加わるわけで、ここまでくるともはや実力主義とは似ても似つかない。現状を「裕福な白人へのアファーマティブ・アクション」と批判する人もいるそうだ。<br />
<br />
もしも実力主義が純粋な形で機能していれば、人々の格差は広がっていくはずだ。しかし同時に、信賞必罰に伴う社会階層をまたいだ移動も活発になっているはずでもある。で、Hayesさんは、アメリカは格差は拡大しているけど階層間の移動は活発でない、と言う。(それはしようがないような気もしますね。トンビが鷹を生むのは希で、普通、蛙の子は蛙なんですから。ま、鷹から生まれたトンビがね……)<br />
<br />
で、ここから格差の話なんだけど、省略。割とよくある話なので。<br />
<br />
問題は、「実力主義、鉄の掟」のせいで、エリート層が自家中毒を起こしている、というところ。エリート層に生まれ育ちながら、能力の方が伴わない人は必ずいる。けれど、掟があるのでこの人たちも重要な地位に就いていく。すると、この人たちがいろいろやらかして、能力が伴っている人がその尻拭いに追われている。これが、21世紀初頭のアメリカで起きていることなのだという。<br />
<br />
エリートのみなさんは肩書きにこだわる一方で、実力主義の、その肝心かなめの知性にはあまり興味がないようだ。いや、そうじゃない。彼らはある意味で「知性」にとりつかれている。ただし、一般に言うよりももっと邪悪なたぐいのそれなのだ。<br />
<br />
彼らが信奉する知性とは、きれいに序列づけることが可能であり、人間が二人いれば必ず差が付くものであり、どちらが上とも言い難いなんて事態はあり得ないものなのだ。<br />
<br />
日本でこういう人たちが集まるところといえば霞ヶ関でしょうね。メリケンではウォールストリートなんだそうです。で、その中の人、イーライさん(仮名)によると「僕は良い学校を出て、頭の良い連中に囲まれて仕事をしてるけど、いまだかつて一度も、賢い連中が集まっていると自称しつつ、それがホントだった職場にいたことなんてないですよ」とのこと。この手のエリートさんたちは、自分で自分のことを頭が良いと言い、仲間のことも頭が良いと言い、そのうちに本気でそう信じ込むという宗教の人たちなわけですが、やがてその宗教の外側の人まで、その篤い信仰に心打たれて、思わず彼らの聡明さを信じてしまうところが厄介。イーライさん、さらに曰く「アメリカはもう、ウォールストリートのいいなりですよね。ウォールストリートが本当に一番賢いのかどうか、賢さの自家中毒に陥っていないかどうか、連中が自分が口にした言葉の意味を本当に分かっているかどうかなんて関係ない。それがアメリカの文化なんですよ」<br />
<br />
本来、他人にあれこれと指図する地位に就くのであれば、必要なものは知性だけではなかったはずだ。人の痛みを理解する心とか、倫理的な厳格さだって重要だった。いや、知性にはそういった側面もあったはずだ。だから人は知性に魅了されるのだ。<br />
<br />
しかし、現代エリートの知性は人を脅しつけるだけだ。誰が上で誰が下なのかを思い知らせるためだけのものだ。組織で何か決定をしようとすれば、最後にものを言うのは一番賢い人の意見だ。こういう人に他人をいたわる気持ちがないと、そりゃ大変なことになりますよね。<br />
<br />
では、いかに大変なことになったのか。この前のブッシュ政権下で行われた戦争捕虜に対する決定が例としてでている。テロなので捕虜とは違うというロジックを出してきたのは、チェイニー副大統領の側近、デービッド・アディントン氏だった。ブッシュ政権の黒幕はチェイニー氏だ、とよく言われていたけど、アディントン氏はその「チェイニーのチェイニー」と呼ばれるほどの人物だった。<br />
<br />
で、この人がむちゃくちゃ頭が良かったんだそうだ。もうこの人が何か言うとみんな反論できなくなっちゃう。日本で言うと誰だろう? 宮沢喜一さんかな? で、口を開けば相手の意見を否定する人だったそうですよ。いや、アディントンさんがね。<br />
<br />
この邪教の信徒たちの困ったところは、頭の良さで目立つためには、頭が良いと目されている人物の主張を全面的に受け入れる他ない、というところにある。そうしないと信者仲間からバカかと思われちゃうからね。そうして自主独立の精神を投げ出してしまうのだ。<br />
<br />
その結果どうなるのか? 制度的な腐敗が始まる。製薬会社からお金や特権をもらっちゃう医師。投資家からお金をもらい、投資家のために格付けを行っていたのに、そのうちに金融機関から直接お金をもらっちゃうようになった格付け機関。あのアイスランド政府が破綻するホンの数年前に、その政府から12万ドルで依頼を受けて、政府の経済政策に裏書きを与えちゃった経済学者(ミシュキンさんですね)。こういった人たちはお金に困っているわけじゃない。これは制度的な腐敗なのだから、現実世界の生活が問題なのじゃない。信仰上の何かなのだろう。霞が関の前例踏襲主義も、バカだと思われたくないという衝動があるのかもしれない。先輩の決定に異を唱えれば、知性の序列から外れていることを宣言したようなものなんじゃないか。<br />
<br />
Hayesさんは最後に、エリートが誰のために働いているのか私たちには分からない、と言う。すくなくとも、私たちのために働いているわけではなさそうだ、とも。<br />
<br />
さて、だいぶ僕の勝手な考えも混じったまとめであることをもう一度書いておきましょうかね。でもだいたい本文に沿っているつもりではあります。<br />
<br />
我が国もやっぱりペーパーテストの文化を持っていて、大学受験等の結果は個々人の実力を反映したものである、ということになっている。しかし現実には子供たちの家庭の経済的な格差を反映している部分もあるのだ。本当に実力主義を徹底したいのであれば、入試の問題を毎年ガラッと変えて事前の対策ができないようにすればいいのだが、日本の街という街にあふれんばかりの塾・予備校の数を見れば、無理だな、と思う。<br />
<br />
ではそんな風にして重要な地位に就いていったニッポンのエリートさんたちの、ここ最近の動向をちょっと振り返ってみましょう。<br />
<br />
2009年、民主党は増税しませんよ、と訴えて政権の座についた。2010年、民主党は増税するかも、と言って選挙に負けた。そして今年、民主党は、重要なことを決めるのに選挙なんかしないことに決めたようだ。なお新聞各社は新聞代の軽減税率(非課税?)適用を求めているもよう。<br />
<br />
2009年、郵便不正事件で、大阪地検の特捜部は後に無罪になる厚労省の管理職員を逮捕した。結局省内では単独犯だった厚労省職員、上村被告は、取り調べの際に検事に誘導されて、上司に命令されたことにしてしまった(裁判では上司の関与を否定していた)。その後、担当検事の前田検事が違法捜査をしちゃったとして、その上役二人と共に逮捕された。<br />
<br />
<table class="shoei_left"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%81%8C%E9%9A%A0%E3%81%99650%E5%85%86%E5%86%86%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%B3%87%E7%94%A3-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E6%B4%8B%E4%B8%80/dp/4062172011/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4062172011.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
財務省が隠す<br />
650兆円の国民資産<br />
高橋洋一<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
2010年、陸山会事件で、参院選挙直前に民主党の石川知裕議員(当時)が今度は東京地検の特捜部によって逮捕された。石川氏は政治資金報告書の不備を認める供述をしたが、これが一部(全部?)、担当検事による捏造だった。検察は担当の田代検事の「記憶ちがい」だったとして、この件を不起訴とした。結局陸山会事件は、誰が何のためにどれほど悪質なことをしたのかよくわからなくなっている。小沢さんは怪しい、という国民感情が根強いせいか、検察の怪しさのほうがちょっと霞んでいるけど、検察がこのままでは国民は大変困る。<br />
<br />
次に、最近高橋洋一先生の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062172011/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">財務省が隠す650兆円の国民資産</a>』を読んだので、この話と通じるところを抜き書きしてみよう。まずは日銀の話。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
自ら数値目標を挙げるわけでもないので、日銀には政策の失敗も成功もない。したがって、失敗の責任を追及されることもない。<br />
<div style="text-align: right;">
p. 206</div>
</blockquote>
<br />
信賞必罰がゆがんでいるのがわかります。つづいて邪教の外側の人たちが障気に当てられている話。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
多くの国民は、政府は厳密におカネを管理していると思っているだろうが、実態は逆である。一言でいえば、どんぶり勘定。だから、雇用保険料を取りすぎていたりするのだ。<br />
(略)<br />
そもそも役人には数字に弱い人が多い。東大法学部出身者が多いのだから、当然ともいえる。また数字に弱いから、それをごまかすために文章テクニックに頼っているという見方もできる。<br />
<div style="text-align: right;">
pp. 245-246</div>
</blockquote>
<br />
これが日本のエリートの現実なのだ。優秀さの自家中毒を起こしていて修正が効かない。同じような失態を延々繰り返す。僕を含めて民主国家の国民というのは健忘症の気があるので、エリートたちのしくじりをボンヤリとしか覚えておらず、しくじった人がどういう処遇を受けたのかなんて気にもしていない。そのために同じようなポストに同じような人物が就く。だから、<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
もうそろそろ日本人は、官僚は優秀だという幻想を捨てなければならないときに来ていると思う。官僚は優秀でも有能でもない。もちろん、有能な人もいるが、全員がそうだというわけではない。組織全体で見ると、むしろ、レベルは低いとすらいえる。<br />
もし、霞ヶ関が有能な頭脳集団であれば、この国の経済はこれほど激しく地盤沈下していなかったはずだ。債務残高が1000兆円に迫るという状況もないはずである。<br />
<div style="text-align: right;">
pp. 208-209</div>
</blockquote>
<br />
そう、エリートとて別に成功していないという現実を直視するべきなのだ。矢を放って当たったところに的を書いて成功だと言い張るのが精一杯なのだ。社会には問題があって、私たちはそれに地道に取り組まなくてはいけない。頭の良いエリートが魔法のように解決してくれたりはしない。邪教だなんだと罵ってもなにも変わらないのだ(スミマセン)。<br />
<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897722144/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4897722144.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
お言葉ですが…<br />
〈第11巻〉<br />
高島俊男<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
特に彼らが独立精神を失ってしまうのが大問題で、民主国家である以上、どんな問題であろうと、その解決策の中には「異なる考えの人々の共存」が必ず含まれる。テストで選抜する以上、知性の序列化は仕方ないとしても、その結果をことさらに崇めるのは、意識的にやめていく必要がある。序列のどこに位置しようと、耳を傾けるべき意見が存在することを日々確認して生きていかなくちゃいけない。そこでうっかりしていると、「市民、幸せですか?」「市民、幸福は義務です」なんて声がどこからか響いてくる、なんてことにもなりかねない。引用ばっかで申し訳ないけど、最後に僕の大好きな高島俊夫先生の本から引用しよう。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
一般に戦後の日本人は学歴に関して苛刻になり、学歴の低い者やない者を容赦しなくなった。学校なんかどこを出てようと出てまいと、立派な人は立派だ、つまらんやつはつまらん、というあたりまえのことが通用しなくなった。民主社会はイヤな社会である。主である「民」は学歴くらいしか人を判断する基準を持たない。バカは人の悲しみを理解しようとしない。<br />
<div style="text-align: right;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897722144/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">お言葉ですが…〈第11巻〉</a> p. 229</div>
</blockquote>
<br />
でも民主主義でやってくしかないんですから、ま、がんばりましょう。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-50665086933345769562012-06-13T21:17:00.000+09:002012-06-13T21:17:16.338+09:00予言者二人<br />
アメリカの左派向け雑誌「the American Prospect」に、<a href="http://prospect.org/article/our-most-widely-ignored-public-intellectuals">面白い記事</a>があった。<br />
<br />
日本でもおなじみの経済学者、J・スティグリッツとP・クルーグマンは米国民に広く読まれているのに、どうして彼らの警告は政府に受け入れられないのか、という記事。<br />
<br />
本文は二人の簡単な来歴と主張のまとめがほとんどで、米国での二人の立場が、大恐慌時代のイギリスにおけるケインズのそれと似ていることなんかも書いてある。<br />
<br />
で最後のほうに、この執筆者が考える、二人がか弱い予言者のままでいる理由が二つ載っている。一つは、二人とも政治家を名指しで批判するので、個人的な怨恨から二人の言うことを聞こうとする政治家がいないこと。そして二つ目は、なんと言っても世の中が保守的になっている、ということ。民主党の大統領でさえ緊縮財政に意欲を燃やし、格差を深めることなんかお構いなしなのだ。こんな時代に政界がスティグリッツ、クルーグマン両人の主張を受け入れるなんて、そりゃもう革命だ。<br />
<br />
記事は、二人の主張がもっと認められれば、米国はもっと健全な社会になるのに、と結んでいる。<br />
<br />
うーん。緊縮財政ってのは人を虜にするアイディアなんだなあと改めて思いますねえ。浪費に対して敏感なしっかり者、怠惰を許さない働き者、苦難をじっと堪え忍ぶ頑張りやさん。これさえ掲げていたらもう美徳の塊みたいな人間になった気になるのかしらん。<br />
<br />
世の中が保守化しているといっても、別に保守派の権勢が大いに伸張しているわけではないように思う。いざ自分が当事者っぽくなると、進歩的なみなさんが進歩的(a.k.a 非現実的)な主張を、既得権層に都合のいい成果主義にさり気なくすり替えるようになってるだけじゃないでしょうかね。<br />
<br />
ひるがえって我が国のGDPの内訳をみれば、公的固定資本形成は1990年代半ばをピークにすこぶる順調に下がっていって、今やそのピークの半分になっちゃった(1996年に約40兆円だったのが、2010年には約20兆円。2011年には約21兆円。<a href="http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html">参照</a>)。ピークの頃が異常だったというのも一理ありますけど、減った分の雇用はどうなったんでしょうねえ。<br />
<br />
と、どこから見ても立派な緊縮財政なのだけど、(裕福な)高徳の(老)志士たちの願う世の中が実現しているようには見えません。彼らの志についていけない我々庶民の怠惰が原因なのでしょうね、きっと。<br />zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-61176052745582116582012-06-02T12:35:00.000+09:002012-06-02T13:50:44.787+09:00アメリカの五月の失業率昨日発表されたアメリカの五月の失業率が良くなかった。8.2%だった。で、New York Timesにこんな記事が。<br />
<br />
<a href="http://www.nytimes.com/2012/06/02/business/jobs-report-makes-federal-reserve-more-likely-to-act.html?_r=1">Jobs report makes Federal Reserve more likely to act</a><br />
<br />
要約すると、失業率が悪化したのでFRBにさらなるアクションが求められていくのは避けられない。米国債の買い換えにも限度があるから、ポートフォリオの拡大で対応する頃合いだろう、というもの。
<br />
<br />
他にボストン連銀の頭取が追加緩和策を提案している話とか、FRBがどうしようとも政治家からは色々言われるだろうという話、インフレ率が2%でFRBが適性としてる値である話なんかがあって、なんだかため息が出てしまいましたね。日本の新聞でこんな記事が書かれる日がくるんだろうか。<br />
<br />
以前僕は、日本の新聞でCPIの上方バイアスが話題になる日なんて絶対にこない(<a href="http://since20080225.blogspot.jp/2010/06/blog-post.html">参照</a>)、と書いちゃったことがあるんだけど、この間どこかの新聞の社説(どこかは完全に忘れた)ではちょっとそれに触れていたんですよね。話題になっているのとは違うけれど、もしかしたら、と思わせるものではあった。だからひょっとすると日本でも大手の新聞が「<b>失業率が高いので</b>日銀の追加緩和が求められる見込み」なんて記事を載せる日が来るかも知れない。
<br />
<br />
いや、無理か。これだけ生活保護で大騒ぎしているのに失業率が話題にすらならないんだから。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-42876878249250405522012-05-31T20:37:00.000+09:002012-05-31T20:37:05.595+09:00賢人たちの早合点<br />
<a href="http://blogs.psychcentral.com/always-learning/2012/05/teaching-bright-kids-to-slow-down/" target="_blank">こんな記事</a>に出くわした。頭の良い子が教師とヨーイドンで算数のテストをしてみると、子供の方が問題を解くスピードが速いという。理由は簡単で、先生は計算のプロセスをきっちり書き留めているけど、賢い子は頭の中でやってしまうからだ。<br />
<br />
さすがに賢い子はちがうなあ、というところだけど、時間が経つとまた別の光景になる。先生の答えと生徒の答えが違うのだ。生徒は自分がごく些細なミスをしたのに気づく(先生が書いたプロセスがあったから気づいたわけだ)。そしてまた別の問題でも答えが違う。<br />
<br />
元記事のタイトルを見れば何が問題なのかは明らかだろう。つまり、賢い子にはゆっくりやっていくことを教えなきゃいけない、ということだ。賢い子は授業を聞いているだけで分かってしまう。そして授業で知ったそのやり方が上手く行かないとわかると(賢い子にはそれがすぐにわかる)、彼らはすぐにあきらめてしまう。別のやり方があるかも、なんてことは思いもしない。<br />
<br />
<a href="http://well.blogs.nytimes.com/2012/05/31/afraid-to-speak-up-at-the-doctors-office/?smid=tw-nytimeswell&seid=auto" target="_blank">また別の記事</a>があって、今度はThe New York Timesのブログ。こちらは医師と患者の関係が主題だ。ある研究が紹介されていて、それによると医師に対して質問したり反論するのを極度にためらう人たちがいるという。彼らはもしかしたら自分の発言が医師を怒らせるのではないか、下手をすると治療や手術で報復されるのではないか、と恐れている。この調査研究の対象になった人々の多くは50才以上で、高級住宅地に住み、大学院に通っていた人たちだ。<br />
<br />
これは医師が権威を振りかざしているということなのだろうか。そうかも。元記事では、医師と患者が協力して治療を進めていくというコンセプトが医師の独りよがりであることを指摘している。なんだかんだ言って患者の気持ちになっていないのだ、と。<br />
<br />
まあそうなんだろうなあ、とも思うんだけれども、明らかに賢い人たちのこの恐れは何なのだろう。<br />
<br />
二つの記事で共通するのは、賢さと早合点だ。そして早合点したが最後、せっかくの賢さが意味を失ってしまっている。賢いのに問題を解けていないし、賢いのに自分が望む医療が得られていない。<br />
<br />
人がすぐ最悪の可能性を想定するのは、まあ仕様がない。そうでなければ人類はどこかで絶滅していたはずだ。森の中で獣のうなり声を聞いて、熊や虎でなく子猫を想像するような生き物はとっくに淘汰されているだろう。<br />
<br />
でももう日本人とかアメリカ人の日常だったら、常識的な程度に慎重であれば充分なのに、なんでこんなに何でもかんでも怖いんだろう。犬とか猫のほうがよっぽど落ち着いてる気がする。<a href="http://logsoku.com/thread/engawa.2ch.net/poverty/1336102088/" target="_blank">年金をもらえるかどうか若い人が心配している</a>なんてのは、賢い子が授業で教わったやり方が通じなくていきなり投げ出しているような、そんな感じがする。<br />
<br />
結局いくら賢くても(そして賢くなくても)ゆっくり一歩ずつ進むしかないし、一見権威主義者っぽく見える医者だってきっとそれは分かってくれるんじゃないだろうか。いや、権威主義な医者は嫌ですけどね(権威を振りかざす人がいるのは、それが効果的だからだ。人は瞬間的に、上手くいかない可能性をいくらでも思いつくことができる反面、上手くいく可能性をドブに捨てる生き物だから、いかついオジサンが白衣を着てるだけでもう負け戦感覚になるので、そこは気を使っていきましょうよ、やっぱり)。でも、不安や恐怖がわき出てくるのは仕方ないけど、権威主義者をのさばらせないためにも、何とかそれに振り回されず早合点しないようにしたいなあ、と思ったのでした。<br />zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-90961192195440521832012-05-28T18:41:00.000+09:002012-05-28T18:41:42.892+09:00クイズ! 幸せってなんだっけ?<br />
何事もなかったかのように今年初めての更新です。あけおめ。<br />
<br />
とても寒い国の作家さんが、幸せな家庭はどこも似てるけど、不幸せな家庭は千差万別だ、みたいなことを言ってましたよね。<br />
<br />
なんでもメリケンには実験哲学(experimental philosophy)なる分野があるそうで、哲学的な疑問にユニークな実験でアプローチしてみよう、ということらしい。で、ちょっと面白い実験がありました。<br />
<br />
はい、ここでクイズです。マリアさんは二人の子供を育てています。子供たちの将来を豊かなものにしようと日々がんばっています。時には旧友との時間を楽しんだりもします。彼女は毎晩、子供たちの長期的な教育プランについて考えます。とても充実していて、とても楽しい。さて、あなたは彼女が幸せだと思いますか? <br />
<br />
次に別の宇宙のマリアさんを想像してみましょう。ただし心理的な状態は先程の宇宙のマリアさんと同じです。今度のマリアさんは、とにかく有名になりたくてしようがない人です。映画スターと知りあうために、毎日忙しく、そして派手に遊びまわっています。友達なんかどうでもいいし、別に正直に生きようとも思っていません。有名になるのが大事なんですから。お酒も浴びるように飲みます。毎晩アレなお薬を服用したりします。でも、気持ちは充実しているのです。さて、あなたは彼女が幸せだと思いますか?<br />
<br />
この<a href="http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=SPkcOBEuUD0" target="_blank">インタラクティブ・ビデオ</a>(YouTubeですよ)では、似た様な質問が4つ繰り返されます。だいたい字幕がでてますけども、英語がメンドクサイ人の為に一応ざっと説明すると、子育てをがんばっていて毎日充実しているマリアさんの幸福度、有名人になるために毎日がんばって派手に遊びまわって充実しているマリアさんの幸福度、子育てをがんばっていて毎日ひどい思いをしているマリアさんの不幸度、有名人になるために毎日ひどい思いをしながら派手に遊びまわっているマリアさんの不幸度、ビデオではこの幸福度と不幸度を二つづつ測るように指示されます(七段階で評価します)。<br />
<br />
その結果、何が分かるのでしょうか? 僕にとってはかなり予想外な展開となりました。なので英語でもいいぜ、という方はまずビデオを進めてください。ここからはネタバレになりますから。<br />
<br />
<br />
さて、答えを言ってしまいますが、この質問の統計を取り平均を出してみると、人々は、充実している二人のマリアさんの幸福度にはバラバラの評価を下し、ひどい思いをしている二人の不幸度は同じくらいに評価したのでした。充実している二人では、子育てマリアさんの幸福度が断然高く評価されました。そして不幸度の方は、どちらのマリアさんでも同じ中程度の評価だったのです。<br />
<br />
つまり? つまり、人は他人の幸せを「何をしているのか」によって評価するけれど、不幸せの方は「何をしているのか」は関係ない、ということです。<br />
<br />
やっぱり人は意味のある人生を送らなければ幸福とは言えないのだ、と人々は考えているのかもしれません。不幸とちがって幸福は気持ちの問題ではないのだ、ただ忙しくしていればいいわけではないのだ、と。<br />zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-55381561015005414672011-08-06T17:03:00.002+09:002011-08-06T23:24:58.260+09:00CPI改定直前、デフレが続く7月の終わりに発表された消費者物価指数(CPI)を確認しておこう。<br />
<br />
<blockquote>概況<br />
(1) 総合指数は平成17年を100として99.9となり,前月比は0.1%の下落。前年同月比は0.2%の上昇となった。<br />
<br />
(2) 生鮮食品を除く総合指数は99.7となり,前月比は0.2%の下落。前年同月比は0.4%の上昇となった。<br />
<br />
(3) 食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数は97.3となり,前月比は0.1%の下落。前年同月比は0.1%の上昇となった。</blockquote><div style="text-align: right;"><a href="http://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/index-z.htm">統計局のページ http://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/index-z.htm</a></div><br />
前年同月比は3つの指標とも上昇しているのものの、小幅なものでしかない。しかも、消費者物価指数は基準年の改定が近づいているのだ。<br />
<br />
CPIの誤差を是正する手段は幾つか導入されているものの(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2010/04/cpi.html">参照</a>)、今のところどうにもならないのが時間経過による誤差だ。なので五年に一度、物価の基準年が改定され、各商品等のウエイト付も変更される。<br />
<br />
前回の改定は2006年に行われ、基準年が平成17(2005)年になった。その結果、CPIは改定前よりも0.5%押し下げられた。つまり2006年頃には見かけ以上にデフレが深刻だったということだ。にもかかわらず、日銀は、改定前にCPIがプラスであることを理由に、量的緩和政策を解除してしまった。<br />
<br />
さて、今回の改定を目前に控え、内閣府は次のような発表をした。<br />
<br />
<blockquote>現時点で把握できる品目の入れ替えや、指数の基準時を2010年に変更することの算術的な効果(指数のリセット効果)を踏まえ、消費者物価のコアとコアコア指数を試算すると、2011年1~6月の前年同期比は平均で-0.7~-0.8%ポイント前後の押下げ効果が見込まれる。</blockquote><div style="text-align: right;"><a href="http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/h01_02.html#c1_4">平成23年度 年次経済財政報告 http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/h01_02.html#c1_4</a></div><br />
ということで、おそらく今現在の物価状況はCPIの数字より相当低そうだ。日銀が前回のような暴挙に出ることはないと思うけど、これを放置することだって十分暴挙といえる。<br />
<br />
ちなみに経済財政報告では、CPIの改定について触れたすぐあとで、デフレ脱却のための処方箋を載せている。<br />
<br />
<blockquote>物価動向を規定する要素として、需給ギャップとともに重要な要素は人々の期待物価上昇率の変動である。将来的な期待物価上昇率が安定していれば、例えば一時的に石油価格が上昇しても他の価格には波及しにくく、物価全体としてはインフレになりにくい。逆に、人々が物価下落の長期化を予想すれば、需給状況が改善しても最終価格への価格転嫁は難しく、デフレ傾向は改善し難い。すなわち、デフレ脱却のためには人々の期待物価自体を安定的なプラスにする必要がある。</blockquote><div style="text-align: right;">同上 (上のリンク先からちょっと下の部分をみてください)</div><br />
さらに巷で噂のデフレ人口減少原因説についても、<br />
<br />
<blockquote>(略)生産年齢人口が減少している日本、ドイツ、エストニア、ハンガリーについては、物価上昇率はまちまちであり、5%を超える物価上昇率のハンガリーから物価下落の日本まで相当の幅がある。ここでも、生産年齢人口の減少と物価下落が併存しているのは我が国だけである。<br />
こうした単純な相関関係を見る限り、生産年齢人口が減少しているからといってデフレになるとはいえない。生産年齢人口の減少が物価下落に結びつくための仲介的な、第三の要因があって初めて、我が国のような生産年齢人口の減少と物価下落の併存が生じていると考える方がよさそうである。</blockquote><div style="text-align: right;"><a href="http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/h01_02.html#a1_2_2">同上 http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/h01_02.html#a1_2_2</a></div><br />
とバッサリ。<br />
<br />
前回の<a href="http://since20080225.blogspot.com/2011/08/3.html">エントリで高橋洋一さんの「ちょっと風が吹けばリフレ政策が実現する可能性がでてきます」という言葉</a>を引いたけれども、ホントそんな感じ。<br />
<br />
とりあえず改定後日銀が何を言い出すのか、野田大臣ばりに注視していきたい。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-58447409203658817282011-08-04T11:33:00.006+09:002011-08-09T09:51:15.015+09:00エコノ3アミーゴス観察記ブログサボってました。久しぶり過ぎてbloggerの編集ページが一新してるの知らなくてびっくりです。再開です。<br />
<br />
ustreamに高橋洋一さん、田中秀臣さん、上念司さん三人揃ってエコノ・スリー・アミーゴスのトークライブ「<a href="http://www.ustream.tv/recorded/16189049">震災増税2011、日本は二度死ぬ !</a>」の動画があるということで見てみました。三時間くらいあるので何回かに分けて、<a href="http://www.minecraft.net">MINECRAFT</a>で<a href="http://www.youtube.com/results?search_query=branch+mining">ブランチ・マイニング</a>をしながら、見るというより聞いている感じでしたけど、お硬くなく、楽しげで、そしてかなり過激でとても面白かったです。<br />
<br />
なんといっても高橋さんの官僚話がスゴイです。基本的には官僚についてのトークがメインで、政策の話はおまけ程度なので小難しいということもなく、三時間があっという間でした、途中歌もあるし。<br />
<br />
うろ覚えですけど高橋さんの官僚話をまとめてみます。スッカスカのまとめなので興味を持たれたら動画を見てください。<br />
<br />
<ul>
<li>官僚は利益を求めて動いている。</li>
<li>官僚にとっての利益は天下り先の確保。</li>
<li>財務省が税収増ではなくあくまで増税にこだわるのは、新しく増税することで各種業界団体が財務省に擦り寄ってきて、「うちの業界の税率は特別に下げてください」と言ってくるので、そこで「じゃあ天下り先用意しといて」と取引を持ちかけたいから。景気が良くなって同じ税率で税収が増えても官僚にとって利益はない。</li>
<li>官僚が学者を取り込むのは簡単。経済学者の場合、ノーベル賞受賞者にあわせてやったり、飛行機で「たまたま席があいてるんですが」とか言ってファーストクラスに乗せてやればコロリといく。</li>
<li>官僚が学者の論文を書いてやっている。名義だけ学者が書く。</li>
<li>震災増税を支持する学者は、官僚のポイントを稼いで立派な肩書きのポストを欲しがっているのではないか。彼らが普段教えているバローの課税平準化理論と矛盾してしまっている。</li>
<li>日銀の白◯総裁ははっきりいってそこまで頭が良くない。</li>
<li>日銀の◯川総裁は上司に付き従うのはうまかったけど総裁になるような人じゃない。本人もなれると思ってなかった。</li>
<li>日銀は職員の家柄とかにもこだわっていたらしい。</li>
<li>与謝野大臣は与謝野晶子の色紙のコピーを記者に配ってる。</li>
<li>震災の二日後に菅総理に増税を申し入れた谷垣氏はヒドすぎ。</li>
</ul>
<br />
まだまだ過激な話がありますが、それは動画の方で。上念さんが「官僚はずいぶんお金を欲しがっているけれど、家が貧乏なんですか?」と言っていて、たぶんココが一般の国民が最も疑問に思うところでしょう。貧乏なわけはないから、きっと官僚の天下りはお金ではなくて何か別の理由があるんだろう、と考えたりするわけです。この疑問に対しては田中さんが「官僚同士、学歴では差が付かない。差が付くのは天下り先とかお金とかイケメンだとかそういう部分になってるんですよ」と答えてました。なるほど。にんげんっていいな。<br />
<br />
官僚の天下りが問題になると、「日本の役人はマシな方。賄賂をもらわないし」みたいな話がだいたい出てきますが、どうでしょうね。事実上税金を使い込んでるんですからあんまり自慢にはならないと思いますし、組織的に効率良く使い込んでるので、金額面でもマシな方と言い切れるかどうか。こういう、特に直接の利害関係があるわけでもないのに官僚の肩を持ったりする人々についてのお話もありました。<br />
<br />
学者の寂しい生活の中に官僚が入り込んで操ってしまうその手管たるや、学者の皆さんには失礼ながら、爆笑せずにはいられませんでした。まあカワイイですよね、ある意味。<br />
<br />
さて、官僚と学者さんは小さな社会でなにやら楽しげですが、では現状は打開できるんでしょうか?<br />
<br />
<div class="burain5">
田中さん「高橋さんからみてガチンコでデフレ脱却を訴えている議員って何人くらいいますか?」</div>
<div class="burain5">
高橋さん「二桁いないね。でも政策ってそんなもん」</div>
<div class="burain5">
上念さん「逆に言えばガチンコで増税を言っている人も少ないんですよね」</div>
<div class="burain5">
高橋さん「そうです。議員の6割くらいは状況次第で動きます。だから昔に比べればいい勝負できるようになってる。デフレに疑問を持つ人が増えているのは事実ですよ。だからちょっと風が吹けばリフレ政策が実現する可能性は出てきてます」</div>
<br />
で、戦術としてはデフレよりも円高によるダメージを全面に押し出すべきで、今後は民主党の代表選で候補者が明言するかどうかに注目、とのこと。<br />
<br />
この動画を見て改めて思うんですが、官僚の人だって定年を迎えてすぐポックリ逝くつもりなんて無いでしょうから、引退後まあ20年くらいは生きようと考えてるんだと思います。で、20年もあったら反省とかしちゃう日も一日くらいはあると思うんですよね。現役のときは同類の人たちと一緒に「オレたち悪くないよね」と確認し合ってればいいんでしょうけど、引退したらさすがにそうはいかないだろうからちょっと心配です。それとも深く考えなければ過去の行いなんて気にせずに生きていけるんでしょうか。例えば日銀の白川○裁がテレビに出て「物価が下がっててびっくりした」的な発言で庶民人気を取ろうとして、ある意味大当たりしたこととか忘れられるんでしょうか。元々頭のいい人たちですから、それはちょっと信じられないですね。まあ余計なお世話ですけど。<br />
<br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110802#p4">田中さんによると次回は9月頃にある</a>そうなので、楽しみです。<br />
<br />
動画はパート2まであります。<br />
<br />
<a href="http://www.ustream.tv/recorded/16189049"><br />
【Live Wire #25】震災増税2011、日本は二度死ぬ ! 1<br />
http://www.ustream.tv/recorded/16189049<br />
</a><br />
<br />
<a href="http://www.ustream.tv/recorded/16191654"><br />
【Live Wire #25】震災増税2011、日本は二度死ぬ ! 2<br />
http://www.ustream.tv/recorded/16191654<br />
</a>zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-71080708090675990392011-04-01T15:08:00.000+09:002011-04-01T15:08:06.030+09:00地震から三週間。地震から今日で三週間になる。<br />
<br />
被害の状況は依然不透明で、福島原発も先の読めない事態が続いている。被災にあった方々にはお見舞いを、現場で活動されている方々には感謝を申し上げます。<br />
<br />
もう三週間という気もするし、まだ三週間という気もするけど、この間、自分は無視するには無理のある程度の不安を抱えながらも、そこそこ冷静でいられたように思う。もちろんそれは僕が独り身で東京にいて、ここまで飛んでくる放射線量も少なく、余震も頻発こそすれどもそんなに大きくなく、津波の心配もいらず、安全だったからだ。<br />
<br />
それでも身の回りには、買い占めが起きてスーパーの棚がガラガラになったり、節電のために街が暗くなったりして、それなりの変化は起きていた。<br />
<br />
でもそういう見た目の変化はあっても、ほとんどの人々はさほど変わっていないようだ。一部不安を強く感じて、それが行動に出た人もいるだろうけど、それは一部。多くの人は普通に暮らしている風だ。<br />
<br />
一方で、もう地震以前のようには生きられくなってしまった。大切なものを失った人も多い。もうどうすることも出来ない変化が、一時に、たくさんの人の身に起きた。<br />
<br />
それでも、この人生が自分の人生であることには変りない。地震前に自分の人生を生きていたように、地震後も自分の人生を生きていく。直接被災しなかった人は、とくにそれがやりやすいはずだ。<br />
<br />
ということで東京の人々の多くは、なんということもなく地震後の人生を生きているように見える。地震前の人生を再現することなんてできないのだから、地震によって変わった自分の人生を生きるしかない。でも大切なものを失ってしまった人たちは、地震前の人生に強く強く惹かれるだろう。彼らが地震後の人生を歩んでいくためには、きっと、地震後の人生にカンタンに乗り込んで行けた僕たちが必要だ。これからちょっと時間が経って、当然の悲しみが少し和らいだら、彼らを誘って一緒に何かをしよう。地震後の人生にも出来ることはあるって、その時までに伝えられるようになっていきたい。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-91451998809906988402011-01-25T00:34:00.005+09:002011-01-29T13:00:00.479+09:00飯田泰之×宮崎哲弥 トークセッションに行ってきた<p> とっくにあけましておめでとうございましてました。今頃新年一発目の更新です。今年も当ブログをヨロシクお願いします。<br />
</p><p><table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047102571/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4047102571.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
ゼロから学ぶ<br />
経済政策<br />
日本を幸福にする<br />
経済政策の作り方<br />
飯田泰之<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> さて昨年の12月18日に池袋のジュンク堂で開催された経済学者飯田泰之さんと評論家宮崎哲弥さんのトークセッションに行ってきたので、今回はそのまとめをしたいと思います。<br />
</p><p> 素のiPhone4で録音してまして、うまくとれるのか不安でしたが、意外にもくっきりとした音声で、しかもマイクを使わなかった方の声も拾ってました。すごいぞiPhone!<br />
</p><p> セッションの時間は2時間はなかったと思います。まずは飯田さんの『ゼロから学ぶ経済政策』という本の紹介から話が始まりました。ちなみに本書では経済政策を大きく三つに分けています。セッション内で飯田さんは次のように説明していました。<br />
</p><h3>成長政策</h3><p class=burain4>(飯田さん:以下敬称略)「成長政策」は長期的に生産性をあげていくためにするものです。同じ機械、同じ人数でもより価値のあるものを作り出せるようにすることですね。ここでいう価値は数だけでなく質も含みます。<br />
</p><br />
<h3>安定化政策</h3><p class=burain4>(飯田)企業で働いているかたはよくわかると思いますが、明日の景気がどうなるかわかならい状態で、新しい機械を買ってください、新社屋建てましょう、新しく人を雇い入れてくださいと言ったところで無理な話です。つまり長期的な成長のための投資や人材の育成を行うためには、ある程度景気が安定していなければならない。そのための政策が「安定化政策」です。<br />
</p><br />
<h3>再分配政策</h3><p class=burain4>(飯田)現実にはものすごく必要なものなのですが、「再分配政策」だけは経済学的には根拠が薄弱です。再分配の基本は金持ちから取って貧しい人に与える、というものです。この考え方はすごく狭い意味での経済学からは出てきません。やや社会哲学の範疇と言えると思います。<br />
</p><br />
<p> このまとめでは僕が特に面白く思ったところを文字に起こしていきます。なのでいろいろ間違いもありましょうが、もちろんそれは僕のせいですよ。まずはセッションの冒頭からいきましょう。文中一部敬称略です。<br />
</p><br />
<p><h3 id="c_l">目次</h3><ul><li><a href="#talk1">日米の経済政策観</a></li>
<li><a href="#talk2">どうすれば経済が発展していくのか。二つの考え方</a></li>
<li><a href="#talk3">日本のデフレと雇用について</a></li>
<li><a href="#talk4">為替がどう雇用に影響するのか。為替政策の国際比較</a></li>
<li><a href="#talk5">日銀に対する疑問。インフレは怖い?</a></li>
<li><a href="#talk6">あるべき中央銀行の姿と日本の経済学者</a></li>
<li><a href="#talk7">税の話:法人税と相続税</a></li>
質疑応答 <ul><li><a href="#talk8">通貨切り下げ競争について</a></li>
<li><a href="#talk9">民主党政権と経済政策</a></li>
<li><a href="#talk10">どうすれば財政再建できるのか</a></li>
</ul></ul></p><br />
<h3 id="talk1">日米の経済政策観</h3><p class=burain4>(宮崎)どうでしょう、日本経済は少しは復活したでしょうか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)微妙に悪くなりつつも、最近はアメリカがよくなってくれたので、以前よりはマシなところもあるという感じでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)FRBのバーナンキさんがちょっと前に48兆円の思い切った緩和策を打ち出したのが効いたんでしょう?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね。アメリカの場合は経済が悪くなったときに「何がなんでも支える」という政策の哲学のようなものあがあります。日本の場合、経済が悪くなると改善しようとするよりも、どうにかしてあきらめようとします。あるいはあきらめてもいいという論理を探そうとしますね。論壇がそうなってしまうのは分からなくはないと思います、もちろん良くはないですが。しかし政治家が一生懸命「これは俺のせいじゃない」という理屈を探すんですよね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)あきらめちゃうんですよね。丸山眞男が日本には作為の契機がない、といっています。「変えるぞ」という意思を持って社会を変えよう、とは思わないんですね。日本では社会の変化をまるで天災のように扱う傾向があります。なので社会状況が悪化しても手を出さずに適応しようとする。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk2">どうすれば経済が発展していくのか。二つの考え方</h3><p class=burain4>(飯田)ケインズとシュンペーターは20世紀経済学の二大スターです。まずはシュンペーターの考え方、彼の考えはこういうものです。景気がいい時と悪い時の振幅は大きいほうがいい、なぜなら景気が悪化したときに古い技術を使っていたり、人材の管理のうまくいっていない企業は市場から退出していくから。そうして残った機械や建物がもっと生産性の高い企業に利用され、同様に失業した労働者が雇われて、経済が新しい発展のフェーズに入っていく。これをシュンペーターは創造的破壊と呼びました。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)スクラップ・アンド・ビルドの考え方なんですね、シュンペーターは。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)その一方でケインズ、あるいは彼に続くアメリカのケインジアンたちの考え方というのは、景気が安定していたほうが安心して投資も人材育成もできるから、経済もより成長していく、というものです。<br />
この二つの考え方は90年代に研究が進みまして、どうやら戦後については安定していたほうが経済成長していた、と言えます。その理由は、シュンペーターが想定している20世紀初頭の企業というのは、かなりプリミティブな技術を使って営業しているんですね。ドイツ製の紡績機を買ってきて、そこに上級技師と下働きを十人はりつけて、という感じです。ところが現代の日本でそのような企業は存在しません。製造業でも職場ごとで生み出される工夫、こうしたら少し便利、こうやったらちょっと効率があがる、そういう小さな積み重ねが日本の強みなわけです。ホワイトカラーの職種でも会社内のチームワークがとても重要ですから、このような手で触れないようなタイプの技術というのが、現代に近くなればなるほど必要になってきます。この技術が昔の技術と違うのは、会社が潰れたときに、チームワークや社内にだけ通用した知識を持ち出して再利用できない、というところです。つまり会社が潰れれば技術もゼロになってしまう。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)個人やチームとしての技術だけでなく、会社同士のネットワークという技術もありますね。ネットワークの中核的な会社が潰れてしまうと会社同士の繋がりもなくなってしまう。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そう考えると、昔のように、会社が潰れたとき、そこで働いていた労働者が簡単に別の企業でより高い生産性を発揮するとは、ちょっと考えづらい。というわけで、どうもケインジアンのほうが正しいのではないか、と考えられるようになり、ここからは実証研究の範疇ですが、90年代にラミーという人の有名な研究が出てきたりもしました。さらにこれは最近の実証研究ですが、面白いことに産業間のスクラップ・アンド・ビルドが激しいほうが成長率が高いことが分かりました。ただ条件があって、それは国レベルの経済が安定していることです。インフレやデフレが続いていると、経済は成長していなかったのです。これは不思議な現象です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)産業の盛衰と国の経済は連動しないんですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)ある産業が衰退するだけだと、国全体で平均が下がるので成長しないんですが、伸びている産業と衰退する産業が両方あると成長するんですね。しかもそれが活発に起きているのがいいんです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)それは最近で言うと、公共投資が随分減っているので、地方の土建屋さんはとても苦しんでいるわけですが、年来の構造改革的な考えから言うと、じゃあ転職すればいいじゃないか、となるわけですよね。もっと有望な産業、今の民主党政権なら介護とか福祉と言うでしょう、そういうもっと生産性の高いところ、人手の足りないところに行けばいいという話になるんですけど、本当にそういうものなのですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)小泉政権だったらIT産業でしたね。僕が範とすべきと考える産業転換の例は炭鉱です。三井三池闘争というのは最終的には雲散霧消していくわけですよね。ある意味で活動家のおもちゃになっていくわけですが、どう頑張ったって櫛の歯が抜けるように人がいなくなっていく。なぜなら、いま炭坑で貰っているお給料よりももっと高いお給料を出してくれる製造業があるからです。これは、産業が潰れたから移るのではなく、勝手に移ってしまっている状況です。同じ状況がバブル期にも起きました。80年代に多かった倒産のタイプは、後継者がいないために起きたものです。つまり町工場の経営は順調だけれど、息子が大学をでたらもっと給料のよい会社に勤めてしまったので、跡継ぎがいなくなり、じゃあ閉じましょう、という倒産です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)おやじさん、悲しいなあ。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね(笑)。でも今の倒産に比べるとずっと幸福な倒産だと思います。今は借金まみれになって倒産というケースが多いですから。<br />
というわけで、ちょっと古めの経済学の教科書に書いてあるようなスクラップ・アンド・ビルドというよりも、のっぺりと成長していくほうが、より高い成長率であると言えそうなんです。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk3">日本のデフレと雇用について。</h3><p class=burain4>(宮崎)ここまでの話だと、今はデフレで経済が不安定なので、まず安定化政策を実施すべき、ということでした。そしてデフレから脱却して経済が安定してきたら成長政策をやる、これでいいんでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね。ただ成長政策でも景気の足を引っ張らないものなら今からでもどんどんやっていけばいいと思います。例えば許認可の簡素化などは効率を上げて需要も掘り起こすでしょうからやっていい。しかし既存の産業を意図的に潰すような政策は、やるとしても今ではないです。むしろ人手不足とインフレでどうにもならなくなった時にやるべきです。<br />
労働者が常識的な範囲で目一杯働いて、工場や設備も使い過ぎじゃなくて丁度いいくらいに目一杯動かした時のGDP、これを潜在成長率とか潜在GDPといいますが、現在の日本では、これが実際のGDPよりも35兆円から、計算によっては50兆円高いんですね。GDPというのは詰まるところ日本人の所得です。その所得が今490兆円、日本の経済ががフル稼働するだけでこれが530~540兆円になるわけです。少なくとも一割弱増える。これが活かされるだけで全然状況が変わってきます。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)ということは今はデフレのせいでそれだけの人的、物的資源が使われていないということですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)すごく怖いのは、先程もお話したように、現代の技術というのは人間に付随したものなんです。失業していたり単純労働を長く続けていたり、ニート、フリーター生活が長いと、働くことで身につく技術を身につける機会を逃している、そういう人たちが増えているのが本当によくないと考えています。そろそろ僕はオオカミ少年になりそうなんですが、2003年と2007年に出した本でもう今すぐにこの問題に手を付けないと大変だと書いたので今回は書かなかったんです(笑)。でも状況としてはどうにもならなくなってきてはいるのでせめて一刻も早く手を打つべきです。失われた時間は戻ってこないんですから。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)でも今年も新卒は高校も大学も就職氷河期のようですし、再びロスト・ジェネレーションが生まれてしまうのではないかと言われています。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんですねえ。やはり企業側が新しい人を採るのをものすごく怖がっています。さらに言えば、これを言うといろんなところから石が飛んで来るんですが、50代正社員をどうしてもクビにできなんですよ。特に上場企業クラスになると、50代正社員一人のお金で、新入社員3~4人雇えるんですね。なのでなんとか新入社員のほうを雇ってもらえないかと…。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)でも50代でクビになるのはキツイですよ。まだローンだって残ってるかもしれないし。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんです。そこで待遇の引き下げができればいいんですが、これは先進各国どこでもそうなんですが、待遇の引き下げというのは難しいんです。日本の場合さらに、50代の人数が多いという問題もあります。しかも年功序列賃金がまだ生きていたので、仕事に対して給料が上がりすぎているんです。大分下がってはきている部分もありますが。なのでこの経済状態で彼らの給料水準を維持するのは厳しいです。<br />
当たり前のことですが、自分の仕事以上のお給料を貰っている人がいるということは、自分の仕事以下のお給料を貰っている人がいるということです。では多く貰っているのが50代正社員だとすれば、少なく貰っているのは誰かといえば、非正規労働の人たちです。<br />
別に50代の賃金を新入社員と同じにしてくれというわけではなくて、1割カットを飲んでくれれば、かなり社会は変わるでしょう。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)それでも難しいでしょうね。先ごろ政府の税制調査会が法人税の引き下げを決めました。税制の話はまたあとでしますが、政府は引き下げの交換条件としてナントカ雇用を増やして欲しい、と言っています。こういうやりかたは有効なのでしょうか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)単純に言って意味が分からないですね(笑)。お願いするだけなのか? と。短期的に出来ることといえば雇用調整助成金の拡大くらいしかないですね。これは給料を肩代わりして失業を防ぐためのものです。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk4">為替がどう雇用に影響するのか。為替政策の国際比較。</h3>ここからは為替の話。前項から続いてます。<br />
<p class=burain4>(宮崎)雇用に対して他に手はないんですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですねえ、僕が安定化政策の範囲内と考えているものがあります。それが円がドルに対して108円になることです。105円でもいいです。少なくとも100円台。出来れば100円台後半にまでなると景色が変わってきます。2003年〜2005年に、有名なテイラー溝口介入というのがありました。菅政権も為替介入しましたが二回か三回、テイラー溝口介入は二年間に渡って行われました。この介入によって最も大きく変わったのは九州の北半分と東北の南半分です。何が変わったのかというと、製造業が戻ってきたんです。現在の物価で調整すると、1ドル105円をこえると国内での生産の方が得になるというタイプの企業が多いんですね。中国、最近はベトナムに移っていますが、そこに現地法人をたてて管理の人間をおいて部品等を輸送して、というコストを考えると1ドル100円だとトントンになり105円だと俄然日本が有利になります。<br />
この考え方をそのまま適用しているのが韓国です。もちろん韓国経済が問題を抱えていないということではないんですが、日本に比べるとはるかに優秀なパフォーマンスを残しています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)つまりウォン安が韓国の好調を支えているということですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうです。田中秀臣さんじゃないですけれども、いま第三次韓流ブームですね。この韓流ブームとウォン安を比べるとぴったりと合うんです。つまり韓国のコンテンツを日本のメディアが激安で買ってこれるんですね、ウォン安だと。実際にリーマンショック前と比べると、日本円から見てウォンは6割程度になっています。4割引セールをやっているようなものです。一時期個人が大きめのトランクをもってソウルに行きアウトレットでブランド品を買いあさり日本にかえってきてヤフオクで売る、それだけで結構なお金儲けになってしまう、そういうことがありました。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)韓国のウォン安は皮肉なことに、通貨当局等が意図的にやったことではないんですよね。その逆に日本は意図的に円高にしています。興味深い現象です。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)僕は韓国に対して別の見方をしています。1997年の通貨危機によってウォン安が来た。その結果韓国経済はV字回復を遂げます。それ以降の韓国は、なんというか味をしめたようなそんな感じがあります。ウォン安にすれば何とかなる、そう考えているんじゃないでしょうか。実際その通り、何とかなってます。<br />
その韓国と同じ現象が、今ドイツで起きています。今ドイツの輸出産業の延びは戦後最大じゃないかと言われています。その理由ですが、ドイツには通貨安の意図もなにも、ギリシャのせいで勝手にユーロが安くなっているんですね。そのユーロ安の恩恵だけはドイツが受けているという非常に恵まれている状態です。<br />
それに比べて日本の場合、円高を指向する理由が分からないですね。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
ここからは<br />
<h3 id="talk5">日銀に対する疑問。インフレは怖い?</h3>前項と続いています。<br />
<p class=burain4>(宮崎)韓国もドイツもある意味で日本と似ていて、輸出が経済に重要な地位を占めています。ならばそういう成功例を見ていれば、当然日本も円安誘導をしたくなる、というのが普通の考え方だと思うんですが、なぜそうならないんでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)それには学者っぽくいいますと、二つの仮説があります。<br />
第一の仮説は「バカ仮説」です(笑)。つまりバカだから、という。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)その主体は誰なんですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)日本銀行、または政府ですね。<br />
もうひとつは別のインセンティブがあるからだ、という仮説です。これはちょっと陰謀論めいた話ですが、円の価値を継続的に高めたい、という思惑があるのではないか。なぜならば円を国際的に流通する通貨にしたいから。つまり円の国際化を果たしたいからである、という話です。アジア地域の基軸通貨になりたいということですね。日本銀行としては基軸通貨を統御している中央銀行になりたい。政府としては基軸通貨を持っている一等国になりたい。第二次大東和共栄圏というところでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)ホントにそんなことを思っている人がいるの?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)元日銀総裁の速水さんは明確にそういうことを言っていました。円の国際化のために必要な政策、とか。その次の福井さんはそこまで脇が甘くないのでそんなことは言いませんでしたが。現総裁の白川さんは福井さんよりはしっぽが出やすい人ですよ。<br />
話がずれるかもしれませんが、日本銀行は非常に国際的な評価が高いんです。日経新聞なんかでも「日銀の政策は世界中が褒めている」みたいな記事が出たりします。そりゃ褒めてくれるに決まってるんですよね、世界の不況を一手に引き受けようという覚悟ある中央銀行なんですから。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)志高いねぇ。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんです(笑)。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)国民経済を犠牲にしてでも世界経済に貢献しよう、と。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)世界経済のために死す、という。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)そうやって国際的なプレステージを得ているので、なかなか円を適正な水準にしようという気にはならない、という仮説ですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)この二つの仮説のどちらかを採る人が多いんですけど、僕の意見はこの二つとはまったく違います。僕にも日本銀行に勤める友人がいます。彼らの話を聞くと、何をやっていいか分からない、というんですね。その理由は冒頭で出た「作為の契機」とつながるんですが、日本銀行がどこまでやってよくて、どこまでやったらだめなのか、全くわかならい状態なので何もできない。ここで意志をもって何かをしてそれが失敗してしまうと、「それは日銀が決めることじゃない」と言われてしまって困る。ならば何もしないでボンヤリしていよう、むちゃくちゃに政治圧力がかかってきた時だけちょっと動いたフリをしてやり過ごそう、それが個人の処世術として正しいんだ。日銀はそう考えている、というのが僕の仮説です。<br />
日銀の権限がどれほどのものなのか、実は日本銀行法を読んでもよく分からないんですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)そういう意味では日銀の中にいる人たちの理解は正しいんです。日本銀行は法的には「ぬえ」のような存在です。ですから日銀内の人たちのためにも日本銀行法は変えたほうがいいと思います。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)僕も日本銀行法はさっさと変えて、権限を明確にしてあげたらいいと思っています。権限が不明確なままなので、日銀は政界の空気だけを読んで動くようになりました。そう考えると、実は日本銀行は独立以来、何も方針の無いままきたのではないか、という疑いもあるわけです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)真の意味で独立していない?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんです。どこまで独立なのかわからない。ちょっと専門的にいうと、中央銀行に独立性を与える場合は、目標設定とその手順についてかなり法律で縛られます。この一番の典型例がイギリス、ニュージーランドです。コモンウェルス系の国ですね。これらの国では中央銀行の役割が法律でぎちぎちに定められています。この逆に法律による縛りが極端にない国がシンガポールです。シンガポールの中央銀行は財務省の一部局のさらにその1セクションです。日本で言うとかつての政策投資銀行のような感じですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)私がよく分からないのは、アメリカだと大統領とバーナンキFRB議長が一緒になって今の経済状況に対処するなんてことを国民に明言したりしますよね。日本ではなぜああいうのがないんでしょう。あれをすると日銀の独立性に触れるんでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)ちょっと陰謀論っぽいですが、日本銀行総裁の後なんてきらびやかな人生が待っているわけです。ですから、じーっとして特に目立たなければ穏便に総裁をやめた後、どっかの総研の理事長をやって、そのあとナントカグローバル戦略研究所にいって、という感じですからね(笑)。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)昨日の新聞なんかではFRBがアメリカの雇用情勢に深い関心を持っている、とありました。日本の新聞に載ってるわけです。でも日銀が日本の雇用情勢に懸念を表明して具体的な対策を明らかにした、なんて記事はついぞ見たことがありません。なぜですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)たすき掛け人事と呼ばれてましたね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)大蔵省で事務次官に一歩届かなかった人か、事務次官を引退した人の最初のポストでした。そういう人たちは当然高い目標は掲げません。彼らは役人人生の最期の花道を飾っていたわけで、傷つくようなことはしたくないんですよ。なので可もなく不可もなくを狙ってその後の素晴らしい人生を迎えたいわけですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)もっと根本的には、なんで財務省の人とか日銀にずっといた人しか日銀総裁になれないんでしょうか? バーナンキは学者さんですしグリーンスパンもFRBに長年勤めてた人じゃないわけですよね。そういう人たちを流行りの言葉で言えば政治任用してトップに据える、なぜこれができないんでしょう?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)…そうなんですよねぇ。実際アメリカでは戦後、FRB出身の議長はいません。アメリカには6個の連銀があるわけですが、そのトップはだいたい経済学者か民間の銀行の大物経営者です。さらにそのトップの議長は、学者か研究者、あるいは政治家に近いタイプの人です。日本の場合は、日銀が財務省の一部局だったころの習慣が根強くて、福井前総裁が典型的ですが、入行時に総裁レースに参加できる人が数名に絞られているんですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)それは財務省の出世レースと同じじゃないですか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうです。そのレールに乗っている人はこのレースがなくなると困っちゃうんですよね。官僚機構の典型的な問題点ですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)よく言われるのは、日銀総裁というのは極めて高度な金融の技術に対する知識が必要で、経験と知識が両方なくてはいけない。だから民間の銀行家や、象牙の塔にこもっていた学者には務まらないのだ、という話です。これは本当なんですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)それは官僚がいっつも使うロジックですよね。じゃあ実際アメリカは上手く出来ていないのか、と問うこともできますし、現実には中央銀行で勤め上げた人が総裁になる国の方が少ないと思います。ですからそこに拘る必要はないと思います。もしも完全に官僚の領分にしたければ、97年以前の状態、あるいはシンガポールのようなスタイルにするべきです。有り体にいえば独立性を完全に無くして財務省や金融庁の一部局にしてしまえばいい。<br />
しかし現状は独立性もあり、官僚の領分でもあるわけです。非常に相性の悪い性質が同居しています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)政治家が選挙民の願うまま好景気を演出するために、国債を乱発し中央銀行にそれを大量に引き受けさせ通貨を増やして、景気を過熱させてハイパーインフレーションを発生させてしまうのではないか、その懸念があるから、日銀の独立性が必要なんだ、そう一般的には言われています。それについてはどうお考えですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)二つ考え方があると思います。一つ目はすごく乱暴な議論ですが、ご年配の方に窺いたいんですが、インフレが問題だった70年代と今、どちらの経済状態が悪いか、ということです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)(年配の来場者にむけて)いかがですか?<br />
</p><p class=burain4>(来場者A)オイルショックがあってすごい就職難で大変でした。しかしちゃんと原因が分かる状態でもありました。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)今のほうがマシのように思えますか?<br />
</p><p class=burain4>(来場者A)老年にはいいでしょうね(笑)。<br />
</p><p class=burain4>(来場者B)閉塞感があるんですね、今は。それが違いますね。70年代はこれから日本は発展するという夢があったと申しますか、今はこれからどうなるかわからないという不安感が先立つ感じですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)漂流しているような感じですね。<br />
</p><p class=burain4>(来場者B)我々年寄りは、先程もおっしゃられたようにデフレでもいいんですけれど、日本全体としてはね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)オイルショック以後ですが、影響が極端に強く出た73、74年を除いた75年から80年までを見ると、指標面では今のほうが悪いんです。失業率も倍ぐらいあります。とくに若年失業については比べものにならないくらい今のほうが高いです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)あのころは2.5%くらいでしたよね、失業率。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんです。そのころは働いても物価が上がりすぎて食えない。今は働くところがない。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)就職しても物価が高いから苦しいっていう状況だったんだ。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)それに対して今は就職ができないんです。深刻なところでは、大阪府で20代の失業率が20%を超えた月がありました。これは失業と呼んでいいのかどうか。若者だけに限って言うと『怒りの葡萄』のような状態です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)棄民ですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)インフレで働いても食えないという状況と、デフレで働き口がないという状況。閉塞感はやはり働き口がないほうが大きいんじゃないでしょうか。これがインフレに対する一つ目の考え方です。<br />
もう一つは、70年代のようなインフレの行き過ぎを防ぐために生まれたインフレーション・ターゲットです。実を言いますと、継続性こそが政策の命です。例えば、今日お金をあげるので(減税)来年倍にして返してくれ(増税)、と言われれば、もらったお金を使う人はいません。同様にインフレでも、今年はインフレを抑えるけれども、来年は選挙もあるしわかりません、では効果がないんです。来年もその先も最初の約束を守る必要があります。中央銀行の独立性はその最初の約束を守るために必要なものなんです。中央銀行に一度命令を出せば途中で方針を変えたりしない、これを実現するための道具が独立性です。決して中央銀行が方針から何から全部決めるという意味の独立性じゃない。<br />
ですから中央銀行が独立するためには、何年間どのくらいのインフレ率、あるいは失業率を目指します、という政府からの注文が必要なんです。一度その注文を受ければ、その期間方針を変えず政治介入もうけない、これが中央銀行の独立性です。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk6">あるべき中央銀行の姿と日本の経済学者</h3>前項から続いてます。<br />
<p class=burain4>(宮崎)私は失業率ターゲッティング、雇用ターゲッティングが良いと考えています。なぜなら、雇用というのは景気の最終出口なんです。これを目標とすれば、必然的に長い時間をかけたコミットメントになります。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね。僕も両立てが良いと思っています。世界を見てみると、殆どの国はインフレのみでやっています。インフレーション・ターゲットですね。唯一違うのがアメリカです。物価と雇用を使ってます。なぜかというとアメリカの中央銀行法が出来たのは1930年代なんです。つまり大恐慌の頃で、人々の最大の関心が雇用だったからなんですね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)なのでFRBが雇用について積極的に発言していくなんてことがあるわけですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうです。だいたい、経済学者同士で議論すると雇用の最大化という目標はいらない、という結論になります。ただこれは経済学者のダメなところだと僕は思います。経済学者は名目成長率ターゲットがいい、あるいはGDPギャップのほうがいい指標だ、と言うことが多いんです。それは僕も重々承知です。研究者ですから。だけど、政治の文脈のなかで名目成長率ターゲットという言葉を使って、どう法案を作ってどう国会を通せばいいんですか? それだったらインフレと雇用の両睨みのほうが、より理解を得やすい言葉だと思います。名目成長率ターゲットに近いと言えば近いわけですし。純粋に理論的な解決策に固執するあまり、セカンド・ベストな方法に対してものすごく厳しい。これは日本の経済学界の問題だと思っています。<br />
インフレーション・ターゲットへの批判は大きく分けて二つあります。一つは経済学をまったく分かっていないタイプの批判ですが、もう一つは現代経済学の知見からするとそれはセカンド・ベストに過ぎないんだという批判です。それは僕も分かっていますが、今より良くなるってところは認めて欲しい。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)政治はセカンド・ベストの世界ですね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんですよね。あまりも純情というか純粋というか、政治の文脈の中で通せないじゃないか、と思うんです。そう反論すると、「お前はもう学者をやめたのか!」と怒られちゃうんですよ。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
そして<br />
<h3 id="talk7">税の話:法人税と相続税</h3>やっぱり前項から続いています。<br />
<p class=burain4>(宮崎)さて、税の話です。民主党は税制改革の大綱を出しました。どうお考えですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)大綱では法人税を下げてるんですが、日本の法人税は高く、しかし税収は低いんです。その理由は表向きの課税額は高いのに、控除がたくさんありすぎて実効税率は低いということです。なので企業がしっかり業界団体に入ってお上とつるむと言っては言葉が悪いですが、上としっかりネゴができていれば、意外と実効税率が低くなります。なので5%下がってもあまりうれしくないんじゃないですかね。<br />
僕自身は、法人税はもっと控除を無くす代わりに20%まで下げてしまえ、と思っています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)そのように法人税を下げるとどういう事になるんでしょう?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)まず海外から日本への直接投資がしやすくなります。今海外の企業がなぜこんなにも日本に入ってこないかというと、日本の表面税率は40%ですが、業界団体が日本に入ってきてほしくないと考えている外資系企業は、ホントにこの40%の税率が適用されるんです。内輪ではちゃんと控除税制を使い、よそ者には税率を全面適用する。このことを日本なのになぜかチャイニーズ・ウォールと呼んでいるんですが、これが関税障壁のような働きをしています。こんなことをするくらいなら、全員一律に課すかわりに税率を低くすれば、海外企業も入ってきやすくなります。<br />
さらに新しい企業の後押しにもなるでしょう。控除を中心にして実効税率を下げるという仕組みは、長くその業界にいる企業や、控除の使い方に長けている企業にとっては有利ですが、新参者には不利です。実際には、控除を無くして税率を20%にしよう、といえば経団連は大反対するでしょう。ただ堂々と大反対はできないでしょうから、いろいろな理屈を付けてくると思います。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)税率を20%に下げても税収は今とそんなに変わらないものでしょうか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)ちょっと落ちると思います。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)ちょっとしか落ちない?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)現在の実効税率は25~30%だと言われています。それよりやや下げるのが良いと思います。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)もし飯田さんのシナリオ通りに外資を呼びこむことができれば、税収は上がる可能性もあるわけですね?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね。20%だと事実上、世界でも指折りの低さになりますから。<br />
今回の大綱で一番どうしようもないと思ったのは、財政再建したいのか景気をどうにかしたいのか全然分からないというところです。<br />
法人税はなんとなく景気に配慮したのかな、という感じですが他はよくわかりません。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)そうなんです。相続税は再分配と世代間での資産の流動性を高めるという意味合いが強いんでしょうし、所得税も再分配に関わるものでしょうね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)仮に財政再建が必要だと思っていたとしましょう。その時に税率を上げなければいけないのは今回のような年収1,500万円超の層ではないんです。この層の人たちはとにかく人数が少ないので、本人にとっては増税は苦しいでしょうけど、国家財政にとってはほとんど影響がありません。本当は800万~1,200万円の層を増税しなくてはいけないんですが、これは民主党にとって一番増税できない人々なんですね。なのでそこからは取れないから500万円の層を薄く増税しました。<br />
海外と比べて日本で目立って税率の低い層というのは、為替次第なところもありますが、だいたい800万~1,300万、1,400万円くらいまでの層です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)この層は数が多いの?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)ボリューム・ゾーンなんです。平均よりちょっと上なので、人数が多くて、言葉が悪いですが絞れる、そういう層です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)今は1,200万円というと結構な高額所得者だと思います。そんなに多いんですか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)もちろん700万~1,000万円というのも一つのボリューム・ゾーンですが、1,200万円前後もそれなりにいます。イメージとしては安定的な大企業で正社員の4、50代というところです。<br />
それに比べて、課税最低限の議論がよくされたりして話題になるんですが、年収500万円以下の層は人数はすごく多いんですけれども、その層を増税するというのは乾いた雑巾を絞るようなもので、もう出てこないんです。なので日本の税制を考えたときに何とかしなくてはいけないのは1,000万円超のボリューム・ゾーンなんです。<br />
そして最大のボリューム・ゾーンといえば、資産家、資産をもった高齢者です。が、ここには怖くて手をつけられない、という状況です。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)本来なら税金は、消費、資産、所得、この三つに対してバランスよくかけていくのが良いとされています。ところが直接税、間接税の話、つまり所得と消費ばかりが話題になってしまって、日本は資産課税というのがものすごく立ち遅れていますよね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)全くその通りですね。僕は、固定資産税を大幅に上げるのは難しいと思っていますが、せめて相続税を上げて欲しい。日本では毎年80兆円以上の相続財産が発生していると言われています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)一般的には、課税の対象になっている相続財産は10兆円と言われているんですよ。そのうちのだいたい10%が相続税として納められています。なのでだいたい1兆3,000億円くらいが相続税の税収になっています。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)これは緩すぎる。実効税率1%を超えたくらいですから。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)実際は80兆あるんだけれどもさっきの話と同じように様々な控除があって、結局10兆円くらいになっている。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)どうやって控除を利用するかというと、7,000万円までは無税相続ができます。そしてだいたい男性のほうが早く亡くなりますから、まず奥さんと子供で第一回の分割相続をする。ここで無税相続が利用できますね。そして今度は奥さんが亡くなった時にもう一度控除を使うチャンスがあるわけです。このようにして、事実上日本人全体で、全相続の中で相続税が発生するのは4%と言われています。<br />
非常に変な話ですが、事故で亡くなった場合、相続税はガッポリ持って行かれてしまうんです。分割の順序が上手く出来ていなかったり、対策が出来ないないからです。例えば金融資産で持っていたりすると表面税率通り持って行かれます。<br />
このように節税があまりにも容易な税金が日本には多すぎます。で、このような状態よりは、相続税の場合、3億円を超える相続案件はほとんど出ないので、最高税率を下げてもいいから、ここでもやはりボリューム・ゾーンである5,000万~1億円の層にしっかり課税していくのが良いと思います。この層からとり逃しているのが相続税が集まらない理由です。<br />
僕の考えでは、配偶者の控除は仕方ないとして、配偶者以外の控除は無しにすると、年10兆円集まります。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)10兆円というと今の消費税に匹敵しますね。消費税を倍にしたのと同じ効果がある。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうです。なので僕はまず、資産課税である相続税から手を付けるべきだと思っています。実際に相続する方も、5,000万円の土地を1,000万円で買える権利を一生に一回行使できるんですから、このくらいは払ってもらえないだろうかと。普通そういうチャンスは巡ってこないですから。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk8">通貨切り下げ競争について</h3>つづいて質疑応答から。<br />
<p class=burain4>(質問者A)先ほど1ドル105円くらいが良いというお話がありました。今世界的な通貨切り下げ競争と言われています。ここでもし日本が円安に向かうとどうなるんでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)例えば日本が金融緩和をしてドル安に持って行こうとする、そうするとアメリカがさらに金融緩和をするかもしれない。そうなれば円ドルレートは変わらないかもしれません。しかしそのとき円はドル以外の通貨に対して大幅に安くなるので、ある程度の効果があるでしょう。<br />
世界的な通貨切り下げ競争が起きるということは、ざっくりと言ってしまうと世界中、すべての国でお金を撒いているということです。これで世界経済は立ち直って行くでしょう。1929年に始まる大恐慌では通貨切り下げ競争が起きて良くなかった、というのがある時期までの教科書的な見解でしたが…。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)今でもジャーナリズムレベルでは有力な見解です。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)1980年代以降ピーター・テミンなどの国際学派と呼ばれる大恐慌研究を行う人達によって、「大恐慌があの程度ですんだのは通貨切り下げ競争をやったからだ」という見解が出てきます。つまり通貨を切り下げるとインフレ圧力がかかるわけですが、それを各国が行ったおかげで大恐慌から脱出できた、そういう見解が有力になってきたんです。実際に、通貨切り下げ競争で唯一大きな被害を受けたのは、競争に参加しなかった国でした。当時はフランスがそうでした。フランスは最後まで大恐慌から脱出することなく終わりました。<br />
もしかしたら各国がそんな極端な緩和をせずにそこそこにしておくのがベストなのかもしれないんですが、少なくとも外国がやっている以上、自分のところにだけ影響はない、なんてことはありえないでしょうね。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)各国がどんどんお金を出しているといことは、世界中で過剰流動性が発生しているということですよね。これの悪影響はないんでしょうか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)たぶんどこかの国でバブルになるでしょう。過剰流動性がどこかの国でバブルを産む、このことを以て通貨切り下げ競争を批判する人がいますが、日本政府としては少なくとも日本じゃなければいいんじゃないかな、と思います(笑)。これは冗談ですが、バブルを防ぐ方法は金融政策だけじゃありません。インフレにするとか為替レートを変えるというのは金融政策でしかできませんが、バブルを防ぐには、例えば土地バブルなら総量規制を入れればいい。これは日本では実に良く効きました。つまりバブルには他に手が残されているのでそこまで神経質にならなくてもいいのではないでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)しかしバブルが起きて総量規制のような対策を取ってまた崩壊すれば社会には大きな禍根が残るでしょう。なのでそう簡単な話でもないと思います。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)その場合はトービン税タイプの短期保有に課税する税を導入するという手もあります。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk9">民主党政権と経済政策</h3><p class=burain4>(質問者B)三点ほどよろしいでしょうか。一点目は先日菅総理が成長戦略として第三の道を提唱しました。それは福祉を産業として育てようというものでした。福祉関連の仕組みは非常に効率が悪いのが現状ですが、果たして福祉というのは経済を引っ張るような成長産業になるのか疑問を感じるのですが、どうお考えでしょうか?<br />
二つ目は事業仕分けについてですが、私はある市の事業仕分けに携わっていたのですが、そこで感じたのは政府がいろんな事業を作って地方都市でやっているわけですが、それは法律に基づいてやっているものの、非常に効率が悪いんです。それを批判しても法律を盾にしてやり方を変えないわけです。ということは、法律を変えなければ効率も変わらないということです。つまり法律の仕分けが必要だと思います。それについてお考えを窺いたいと思います。<br />
三点目は、名古屋市長の河村さんについてです。彼は減税を言い出しましたけれども、これこそ民主主義にとって大変重要な政策だと思っています。これからは減税政策というのが何かキーになるような気がしています。この河村さんの政策についてもお願いします。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)まず管さんの福祉の話はまったく仰るとおりでして、福祉という産業が日本経済の為になるということは、介護であるとか福祉サービスを受ける側が喜んでお金を払う、そういう状態になるということです。ところが、次のご質問にも繋がりますが、実際には法律でがんじがらめになっているために非常に典型的なサービスしか行えない。福祉は個別性が大変強い産業ですから、自由なサービス業として育てていくならば、成長産業になっていくことは可能だと思いますが、現在のように規制されたシステムのままで大きくしていこうと思ったら結局補助金を出すしかないでしょう。補助金を効率よく配るなんてことが出来るとは僕は思いませんので、管さんの政策の実現は非常に厳しいと思います。<br />
次に事業仕分けですが、これについては僕も言いたいことがありまして、あんなものに政治的資源を割き過ぎだ、ということです。事業仕分けで節約できる金額は何千億円です。もちろん僕個人としては一生見ることのない額ですが、現在の日本の財政規模は100兆円です。事実上、本丸である消費税、そして社会保障の議論に入らないために事業仕分けで盛り上がっているのではないか。そう見えてしまいます。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)この事業仕分け的なことというのは今まで財務省がやってきました。それを公開の場でステージに立つ人を替えてやっているという以上のことではないように思います。もちろん政治的な意味はあるのかもしれません。先般特別会計の事業仕分けが行われましたが、結局その中核部分にはあまり手を入れられなかったわけです。財務省の所管である外為特会にも12兆円ほどある国債整理基金特別会計にしても手を付けませんでした。これを見ると、事業仕分けを動かしている人達というのは、実は表にいる蓮舫さんたちではないのかな、とそう思います。<br />
私も質問者さんの仰る改革が必要だと思いますが、今の事業仕分けは明確な法的根拠なくやっているので、先は長いなと考えます。<br />
河村さんについてですが、私は彼が日本で始めてのアメリカ型のリバータリアニズムの政治家になるんじゃないかと思っています。私はコミュニタリアンですが、リバータリアンの考え方を尊重しているんです。同意はしませんが。そういう意味で減税を自ら打ち出していく河村さんは、新しい政治家のタイプだろうと見ています。<br />
飯田さんに聞きたいんですが、減税というのは財政政策になるんですよね? それでずうっと前から言われている疑問ですが、減税と公共投資つまり積極的にお金を出していく政策とどちらが効果があるんでしょうか?<br />
アメリカだと共和党が減税指向で、民主党が公共政策指向という大まかな傾向があって有権者も投票しやすいと思うんですが、日本はそうなっていませんよね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)日本では明確に減税を主張する人がほとんどいません。河村さんくらいのもので、中央政界では本当に少ないですね。<br />
単純にいって、経済効果だけの話をしますと、国民全体が均質的、つまり同じような働き方、収入であれば減税と公共事業の区別はあまり重要ではなくなります。ところが格差がある場合には、減税が効かない可能性はあります。あと付け足すと、地方レベルだと財政政策は未だに効果がある程度あります。<br />
減税はどちらかというと富裕層が好むもので、アメリカの共和党というのはある程度収入がある人が支持をするわけですが、ただ、貧しい共和党員というのがたくさんいますね。日本でこれに近いのが小泉内閣を熱狂的に支持した低所得者層でしょうね。<br />
河村さんの話ですが、僕自身は道州制にして、法人税と法人事業税を一本化したものと消費税の自主権を州に与えてはどうかと思っています。所得税は全国で一律である必要があると考えています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)消費税に関しては高橋洋一さんは消費税の本流は地方税だとずっとおっしゃっていますよね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)はい。よくアメリカは消費税がない、と言っている人がいるんですが、アレは州によるんです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)まとめることが出来ないからない、と言っているだけなんですよね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうなんです。国税としての消費税は確かにないんです。もともと消費税というのは安定財源なので地方自治のためのお金に向いているんです。それに対して格差を埋める政策というのは全国的なものですから国税が担当するんです。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)所得税とか法人税とか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうです。そこで法人税を地方に渡しちゃえば、切り下げ合戦になるんじゃないかと考えています。そうなると20%くらいで落ち着くんじゃないでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)不思議なのは河村さんと大阪の橋下さんが連携する動きをみせていることです。二人は少なくとも経済思想的には正反対です。橋下さんは税率はそのままで行政サービスの質を下げるという実質的な増税をし、河村さんは財政政策として減税をした。この二人が人気を得ているのは不思議です。<br />
</p><p class=burain4>(質問者B)議員の数がすごく多くて給料が高い。こういう現象が全国にあります。河村さんはこの問題にも発言しています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)河村さんは国会議員のころから、議員の定数を減らし給料を下げるべきだと言っていましたね。<br />
</p><p class=burain4>(質問者B)日本の議員の給料の水準は世界的にも高いでしょう。これはどう考えても財政危機を叫ぶ現状と合いません。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)河村さんと橋下さんという話に戻ると、この二人は共和党と民主党のような関係なんですよ。この二人がそれなりの支持を獲得している。ならば、自民党と民主党がある程度各階級の代表性をもつようにもう少し動いてくれたら良いのではと思います。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)それは政界再編を望む、ということですか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)はい、僕はそれを望んでいます。<br />
</p><div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<h3 id="talk10">どうすれば財政再建できるのか</h3><p class=burain4>(質問者C)私は増税ではなくて景気を良くして税収を増やすというのが良いと考えています。どうお考えでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)私は増税で財政再建は出来ないと思っています。景気を良くすることを通してしか日本の財政構造を改善することは不可能だと考えますが、そう思わない人が多いようです。<br />
</p><p class=burain4>(質問者C)通貨発行益(シニョレッジ)を利用すればデフレからも脱却できて、景気も改善して一石二鳥だと思います。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)その場合、政府発行紙幣のようなものをお考えでしょうか。<br />
</p><p class=burain4>(質問者C)いえ、ただ中央銀行が国債を引き受ければいいと思っています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)私としては反論もなにもないのですが、飯田さんはすこしお立場が違いますね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)財政について言うと、アレシナとペロッティという人たちの有名な研究がありまして、この研究によると財政再建を上手く成し遂げた国というのは、一個だけの手段に頼らなかったんです。寄与度でいうと三分の一を歳出カットで、三分の一を増税で、そして残りを景気回復でまかなったんです。実際には半分くらいが景気回復のおかげですが、この三つができた国が財政再建に成功しました。<br />
そしてそこで最低のパターンというのが、増税から始めることでした。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)順番が重要なんですね?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)順番が重要なんです。景気が回復してきたところで少しずつ税金を上手に上げていき、歳出についても社会保障費の抑制をやる。これを順番にやらないといけないんです。<br />
増税を最初にやって失敗した国はイタリア、ギリシャ、スペインです。これらの国を見ていくと、まず与党が増税を発表します。すると与党が選挙に負けます。なので増税が出来なくなる。次の政権与党が大盤振る舞いをする。財政危機がくる。増税を発表する…。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)ちょっと待って。聞いてたら日本がその道を歩んでいるような気がしてきたんだけど。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)真性財政破綻とでも呼ぶべきかたちですね。これではもう財政破綻という以上に、もう何も打つ手なしになってしまう。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)民主党は増税を発表して参院選を大敗しました。今ココ、という感じですか。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)そうですね、さらに増税を訴えれば選挙に負けて政界再編、小党乱立になるかもしれません。その中で増税を口にしなかった、あるいは振る舞い酒をバンバン出した政党が相対的に勝つ。そしてもっと財政が悪化する。もっと大幅な増税が必要になる。こうやっているうちにデフォルト宣言に至る、これが一番典型的な財政破綻のパターンです。<br />
よく考えてみれば分かるんですが、日本は500兆円のGDP、そして1,000兆円の負債があるといったってその裏側には700兆円の資産を持っているわけです。まともな指導者がいれば財政破綻は絶対にしません。ですから日本が財政破綻するとしたら、まともじゃない指導部に率いられた時でしょう。<br />
</p><table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062166526/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4062166526.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
消費税「増税」はいらない!<br />
財務省が民主党に教えた<br />
財政の大嘘<br />
高橋洋一<br />
</a></td></tr>
</tbody></table><p class=burain4>(宮崎)その話は高橋洋一さんの『消費税「増税」はいらない! 財務省が民主党に教えた財政の大嘘』という新刊にも書かれています。飯田さんの本の次にはこちらもどうぞ。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)僕はある時点での消費税増税は不可避だと思っています。なぜかというと、消費税というのは唯一引退世代からも取れる税金だからです。これからどんどん高齢化していくわけですから少しは負担してもらわないともちません。<br />
そこで僕としては、消費税の増税を10%までに抑えられたら財政再建が成功したと言っていいと思います。もちろん形の上だけ、国民経済がどうなってもいいから財政再建しろ!といえば誰でもできます。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)消費税40%にしてもいいんだったらそうだよね。<br />
</p><p class=burain4>(飯田)なので、なんとか上手に経済成長と歳出削減を使って消費税10%までに抑えられたら成功、10~15%の間だったら優良可不可でいったら可、15%を超えたら財政再建に失敗したと言っていいと思います。そのくらいのじんわりと10%まで、という形にもっていければいいんじゃないかと考えています。<br />
</p><p class=burain4>(宮崎)質問者の方が言った通貨発行益についてはどう考えていますか? マネタイゼーション、つまり国の借金を日銀が肩代わりする、そういう考え方というのはどうなんでしょうか?<br />
</p><p class=burain4>(飯田)全くアリだと思いますよ。実際にはいつでもマネタイズが出来る、と法律上明記しておくだけでも効果があると思います。実際にマネタイズするかどうかは別の問題ですし、そこまでやらなくてもある程度回復すると考えています。<br />
</p>(おしまい)<br />
<div style="text-align:center;"><a href="#c_l">目次へ</a></div><br />
<p> 後半はまとめじゃなくなってますが、どれも省略するにはもったいない話なので載せました。こうやってお二人の話を聞いていると、日本の経済停滞について構造的な要因ばかり注目されて、景気という要因や金融政策が話題になりにくいのも理由のないことでもないよなあと思いますね。<br />
</p><p> 当日の池袋は忘年会シーズンで殺人的な人ごみでしたけど、お二人のお話は本当に楽しかったです。来場者は40名ほどでしたが、しっかし経済学ってホント女子に人気がないんですねえ(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2009/09/book-lovers2.html#girls">参照</a>)。<br />
</p><p> さて菅総理が買った本(<a href="http://www.asahi.com/politics/update/0110/TKY201101100318.html">参照</a>)を見てズッコケた人も多かっただろう新年ですが、追い打ちのごとく与謝野さんが経済担当相になったりして、この調子だと残念ながら日本を幸福にする経済政策の実現は今年も難しそうです。とはいえ、なんだか日本社会の経済学理解は少しは進んでるんじゃないかな、と楽観もしてみたり。例えばこんなニュースが。<br />
<a href="http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-19120920110120"><h4>日銀法改正案、自民党も提出すべき=中川元幹事長</h4></a><br />
</p><p> この20年の停滞というのは無視できない結果なわけで、お役所のエリート(笑)な人たちがいくら一生懸命説明してもあまり説得力はなく、いいから早く手を打ってくれという声に応えられない菅政権の前途は険しそうです。<br />
</p>zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-40775404810230653662010-12-14T11:13:00.009+09:002011-08-09T20:31:56.068+09:00役人なんてららら・書評・新藤宗幸『司法官僚』<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004312000/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4004312000.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
司法官僚<br />
裁判所の権力者たち<br />
新藤宗幸<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
このブログでは経済学関連の本を取り上げることが多いので日銀の悪口じゃなくて問題点をよく話題にするんだけれども、結局その問題点は経済学というよりもお役所ってことなんだろうなあというのが正直なところ。だって日銀はぜんぜん批判に答えないし、政策を変更してもちゃんとした説明をしてくれないし、すぐ一般市民には難しい技術的な話を始めるし、なんかフツーに性格わるいですよね。で、そのお役所問題は司法府にもあるんだよ、というのが行政学者による今回の本、新藤宗幸著<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004312000/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">『司法官僚 裁判所の権力者たち』</a>だ。扱っているテーマが司法でありその官僚機構批判であるのでとにかく漢字が多い。肩書きも法律の名前も漢字漢字漢字。読むのはちょっと大変でした。本書では裁判員制度についても扱っているけど、この書評では触れません。裁判員制度についての本は沢山あるので。<br />
<br />
裁判官のお給料は誰が決めているのだろう。裁判官の次の転勤先を決めるのは? 裁判所法という法律に定められているところでは、最高裁判所の裁判官たちが決めることになっているそうだ(裁判官会議)。ただ全国に3,500人いる裁判官とその仲間たちの処遇のいちいちを彼らが決めるのは現実的ではないので、実質的には最高裁判所事務総局(所属する人数は30人前後)という部署が一切を取り仕切り、裁判官会議が「それでいいです」みたいな感じで承認を与えるんだそうだ。で、この事務総局ってのが本書のいう司法官僚のみなさんがいるところであり、お役所問題をばりばり生み出しているところでもある。 どんなお役所問題なのかというと、例えば、1947年、訴訟の数に対して判事が不足してたので、当面の措置として、戦前の予備判事制度をもとに判事補制度がつくられた。この制度のおかげで数年の実務経験がある判事補は裁判の指揮をとることができるようになったわけだが、それから60年、いまだにこの応急手当的なはずの制度が事実上裁判官になるための唯一の道として生きている。ここにかなり不透明な裁判官の選抜プロセスがある。法的に当面の措置だった制度を使って出世レースが行われているらしい。<br />
<br />
本書のすごいところは、著者による調査が実に細かいところまで及んでいることだ。裁判官の経歴を細かく追っていて、現役の人たちだけでなく過去にさかのぼって調査している。この点はおそらく裁判官たちの問題意識の高さも関わっているんだろう。本書では、匿名ではあるけれど、多くの裁判官が事務総局のあり方に疑問を呈している。<br />
<br />
さてその事務総局だが、現在局長をつとめるのは裁判官だ。というかここ数十年、裁判官が局長をつとめている。法律上は裁判官でなければ局長になれないわけじゃないけど、なんとなくお役所的にそうなっている。そして問題は、事務総局で働く裁判官が選ばれるプロセスが、先ほど書いたように出世レース的なものになっているらしいことだ。<br />
<br />
憲法上、裁判官というのは独立した存在でなくてはいけないんだそうだ。つまり組織の都合に左右されずに判決をくださなくてはいけない。しかし司法府においてお役所的出世レースが開催されている以上、裁判官の独立はずーっと危険な状態にあったということだ。<br />
<br />
弁護士たちのあいだでは事務総局というのは相当に問題視されているようで、事務総局が裁判官たちに何かほのめかしたり、暗黙に圧力をかけたりして判決を統制しているのではないか、と疑われている。これは根拠のないことではなくて、74年の多摩川の堤防決壊による多摩川水害訴訟では、一審で住民側の勝訴だったけれど、国の控訴をうけた高裁では国側の逆転無罪となった。やがて高裁判決以前に事務総局によって全国の裁判官を集めた協議会が立ち上げられていたことが朝日新聞にスクープとして載った。なぜこれがスクープなのかといえば、当時は都市の発展とともに水の必要量も利用量も増え、従来までの治水能力ではまかないきれなくなっていた。そのために水害が都市部で多く起きていたが、そのような水害に対する訴訟はすべてこの協議会で事務総局が示した見解に沿ったものだった。つまり一人一人独立していなければならない裁判官の判決が統制されていたことになる。(pp. 165)<br />
<br />
元事務総局長だった人の談話がのっていて、なんでも事務総局というのはほとんど権限なんかなくて、まあ人事くらいのもんで、言われているほど強権的じゃない、とか。なんか日本経済に対して言われるほど影響力はないと自負していた日銀みたいですね。とはいえ、人事に関しては認めているわけだ。<br />
<br />
ではその人事を見てみよう。裁判官が誕生するには、まず司法試験にうかった人たちが判事補になるところから始まる。数年たつと彼らは裁判官になるのだけど、問題は、判事補になって2〜3年のうちにすでに事務総局長になるための選抜が始まっているらしいということだ。選ばれた彼らは事務総局で働くことになるので「局付き」と呼ばれるんだけれど、大抵が判事補になって2〜3年、遅くとも5年のうちに「事務総局長になれるかなレース」の出場権を獲得することになる。彼らはエリート。それ以外の人は脱落。もう事務総局長にはなれない。<br />
<br />
このときに選ばれた判事補の、いったい何が事務総局のお眼鏡にかなったのかは一切不明だ。彼らの思想信条が理由ではないか、と本書は推測している。では普通の裁判官の人事評価は何にもとづいているのか? 弁護士たちは、裁判所は「影の人事評価」のようなことをしているのだろう、と批判していた。そして裁判所は従来それを公式に否定していたんだけれども、小渕内閣の司法制度改革審議会からの公開要請があると、あっさり人事評価の用紙を提出してきた。じゃあなんで何十年も否定してたんだよという話だけれど、ともかく審議会は裁判所に対してもうちょっと透明性を高めなさいよと言ったのだけど、事態はあまり改善していないようだ。言ってやるようなら役人じゃないよね。<br />
<br />
裁判官も転勤の多い職業のようだけど、誰が何処に行くのかももちろん事務総局が決めていて、思わず笑ってしまうのだけど、転勤を命じられた当の本人はなぜ転勤を命じられたのか、転勤先で何を期待されているのか、一切知らされていないという。あるケースでは家族の都合もあり転勤は難しいと感じた裁判官が上司(裁判所長)にかけあったところ、その上司も自分の部下が転勤する理由を知らされていなかったそうだ。この転勤が、事務総局の意に反した判決に対する懲罰的な意味合いがあるのではないかと疑われている。ちょっと穿ち過ぎかなとも思うけど、わけのわからん秘密主義のせいでものすごく疑わしく見えちゃってる。理由も告げずにあっちからこっちに異動させる。ブラック企業じゃないですか。<br />
<br />
司法官僚の問題がとくにやっかいなのは、選良による有無を言わさぬ方向転換が難しいところだ。日銀はルーピーな首相が近づいていっただけで意見を変えたけど(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2010/06/blog-post.html">参照</a>)、最高裁判所の裁判官会議に首相が口出しをしたら大問題になるだろう。なんといっても戦前の司法省は完全に行政側の組織で、市民と国の対立を解消したり緩和したりする能力をもっていなかったのだから、その反省をもとに作られた現在の司法制度の改革に政治家が積極的に関わるのは難しそうだ。識者を集めた審議会の提言が精一杯なんじゃないだろうか。<br />
<br />
裁判官になろうなんて人はどう考えたって日本人の平均よりもだいぶ上のほうの頭脳を持っているはずだ。その彼らにしてこの様なのだと思うとかなり憂鬱。官僚制は社会の発展の基盤なのだと思うけど、それだけに青雲の志をもった中の人がどうにか出来るようなものでもないのだろう。やっぱりミルトン・フリードマンの教えの通り(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2009/09/book-lovers.html#bureaucracy">参照</a>)、お役人には裁量を与えちゃいけないということだろうから、事務総局から法的にも曖昧なその権限を奪い、本書の提言にもあるように、事務総局長には識者や弁護士をあてるよう法改正すべきだ。その役目は立法府たる国会で、当然超党派での法案提出が望ましいんだけれども、そのためには裁判所内行政の問題が国民の目に明らかでなきゃいけないだろう。この問題にいきなり政治家が出てきて果たして僕たちが冷静でいられるのかかなり怪しい(この点に関しては国会運営のやり方を変える必要があると思う。まず本会議で趣旨説明、その後委員会で審議という形に(<a href="http://since20080225.blogspot.com/2009/10/blog-post_15.html">参照</a>))。であれば、この問題が進展するには相当の時間が必要になるだろう。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-77163629142230095072010-11-12T11:21:00.003+09:002010-12-14T11:54:29.193+09:00上手くいきませんでしたけど何か?・書評・中村隆英『昭和恐慌と経済政策』例のごとく更新が滞ってしまった。再開します。<br />
<br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061591304/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4061591304.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
昭和恐慌と経済政策<br />
中村隆英<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>気がついたら日銀がまた量的緩和をやるんだそうで。効果ないんじゃなかったっけ? でも喜ばしい方針転換です。今日の本は中村隆英著『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061591304/glaharerl-22/ref%3Dnosim/">昭和恐慌と経済政策</a>』。正しくタイトル通りの本で、1929年以降の米国経済の急減速の影響という形で始まった不況がなぜ恐慌とまで呼ばれるようになったのか、その原因と目される井上準之助と彼の実施した政策を中心に据えて昭和恐慌の全体像を描いていく。文庫本で手に入りやすい。<br />
<br />
金本位制への復帰(金解禁)は浜口雄幸内閣が誕生した昭和4年(1929年)当時、政財界の総意だった。今となっては滑稽ですらあるんだけれども、当時は「経済的理由を超えて金本位制が望ましいという金本位心性」(若田部昌澄『<a href=”http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535555745/glaharerl-22/ref%3Dnosim/”>危機の経済政策</a>』p.27)(<a href=”http://since20080225.blogspot.com/2010/03/blog-post_16.html”>参照</a>)の時代だった。で、濱口内閣で大蔵大臣に就任したのが金融界出身で元日銀総裁の井上準之助だ。彼はすぐさま金解禁を実施するものの、世界恐慌は始まるし満州の軍は言うこと聞かなくなるしで日本を未曾有の不景気に叩き込んだだけで失敗してしまう。そのあとを高橋是清が継いでリフレ政策に転換。景気は順調に回復しはじめたけれど、2・26事件が起きてしまう。と、こんなあらすじです。<br />
<br />
一月に金解禁を実施した昭和5年、壊滅的な状況となったこの一年について、井上は自分がここまでのデフレは予想していなかったと認めている。しかしそれでも彼の方針は翌昭和6年も堅持される。この時点での井上の演説の内容をまとめた箇所があるのだが、これはもうめまいがするほど現代日本の善男善女がもつ経済観とそっくりだと思う。そのまとめをさらにまとめてしまうと、不況によって企業は普段できない合理化をすることができた。さらなるコスト削減をしなければ世界では戦えない。不況に対して政府が財政出動してしまえば、世間の人は動かない。外国もおんなじくらい悪い。今後はだんだんよくなると思う。今は雌伏の時だからぐっと耐えなくちゃダメ。日本国民が一丸となって新しく生まれ変わる必要がある、云々。<br />
<br />
平成不況もずいぶん長いのでさすがにこのまんまな人はあんまり見ないけど、ちょっと前まではかなり一般的な感覚だったんじゃなかろうか。さて、その後も井上はかなり強気に緊縮財政に取り組むのだけれど、どうもその強気の根拠は、「そのうちに景気が回復する」ということだったようだ。終わらない不景気なんてない。確かにその通り。しかし失われた二十年が囁かれているここ現代日本では、その言葉は虚しく響くだけだ。<br />
<br />
本書を読んで強烈に感じるのは、戦前の日本が如何に個人の力に頼っていたか、ということだ。特に最後の元老西園寺公望は政策の正当性を担保するためにことあるごとに政治家たちから相談を受けるわけだけど、一人の人間がただでさえ複雑な政治問題をいくつも捌けるはずもなく、井上の政策に対しても、その内容を理解していたのかどうか疑問が残るし、どの方針からも微妙に距離をおくことで自身の地位を保っていたようだ。もちろん彼が影響力を維持することで、過激な方針に牽制できたりもしたのだろう。しかしそうやって個人の力に頼り切りになると、外からのチェックも働かないし、メンツの問題が大きくなりすぎる。<br />
<br />
井上の金解禁は失敗だったけど、方針転換のチャンスは当時の日本には存在しなかった。金解禁は民政党の一枚看板だったから撤回はできなかった。昭和5年(1930年)に金解禁が実施されたが、その前年にはアメリカで恐慌が起きていて、その影響が世界中に広まりつつあった。そんな時期になぜ不景気になるとわかっている金解禁を実施したのかといえば、世界の趨勢に従うことをアピールしたかったからのようだ。つまり、日本は世界の脅威ではない、とそう主張したかったらしい。金解禁を実施することがなぜそのようなアピールになるのかは本書を読んでいただこう。しかしそれも失敗に終わる。金解禁の翌年の9月、柳条湖事件が起こり、以降政府は不拡大方針を掲げるものの軍は止まらず、日本の国際的な信頼は地に落ちた。さらにこの昭和6年には金本位制の総本山イギリスが金の持ち出しを禁止して、金本位制から離脱してしまう。こうして金解禁のために井上が国民に要求した倹約や、その結果としての大不況はただただ国民を苦しめただけで終わった。浜口内閣の退陣後も、井上は自身の政策の正しさを主張するのだけれど、どうしてもたらればな言い訳に聞こえてしまう。本人も政策の間違いに気づいていた節もある。<br />
<br />
井上の政策はことごとく裏目に出た。結果的には不況をさらに深刻化させただけで、国民の苦しみは軍にさらなる求心力を与えることになった。では井上がもっと上手くやれば状況は変わったかといえば、それもないと思う。井上個人はすごく有能な人物だったようだし、不合理な決断ばかり繰り返していたわけでも、情報収集を怠っていたわけでもない。当時の日本の政治は今以上に劇場かつ激情型だったようで、特に政策の変更=政治生命の終わり、という風潮は、貴重な政治的資源の無駄遣いという他ない。政治家がリスクをとって決断し、あとは臨機応変に、というのが民主主義の妥当なあり方だろうけど、当時の日本にとってはそれが相当難しかったようだ。井上のあとを継いだ高橋是清のリフレ政策も、国の経済がかなり追い詰められていたからこそ実現可能だったのだと思う。金解禁を見合わせるか、新平価で解禁して景気の様子をみながら政策を実施して行くなんて選択肢は理屈としては存在していても、実際のところ当時の日本にはなかったようだ。<br />
<br />
だとすれば、マニフェストを守らないなんて可愛いものかもしれない。でも、権力が個人に集中してくるとメンツの問題が大きくなりすぎるし、意思決定のスピードもガタ落ちになる。そっちは本当に心配だ。仙谷さんと白川さんにはぜひとも気をつけていただきたい。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-45557693930347510652010-09-06T14:01:00.001+09:002010-09-06T18:59:56.236+09:00iPhone買ったさて、買ったばかりで浮かれまくりのiPhoneから更新してみる。<br />
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どこでもブログを書いて気軽に更新出来るようになったので、さぞ更新頻度が上がることでしょうと思いきや、やっぱりリンクを貼ったりするのが結構難しいというかめんどくさいので、そういうところはPCでやらざるを得ないかなという印象ですね。<br />
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ちょっと迷ったけどAppleのキーボードを買ってみた。もともと常に本を数冊持ち歩くので、折りたたみのキーボードでなければダメってこともなかったし、結果的にはとてもよい感じで文章の入力ができてます。<br />
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iPhoneの漢字変換はとても優秀だけど、変換キー(というかスペースキー)を押すタイミングを気持ち遅らせないと最後に押したキーを認識せずに変換候補を探してしまうのでそこは注意が必要。でも、フリックキーの数倍の速度で打ち込んでいるのにちゃんとついてきているのはすごい。出先でも気軽に長文を思う存分打ち込みたくて、いつもバッグを持ち歩いている人ならiPhoneはかなり正解に近いんじゃないだろうか。<br />
<br />
あとはワープロソフトなんだけどこれはすんなり決められそうにない。これから色々試さなきゃいけない予感。とりあえず今はEvernoteに書きちらかしてあとでmac bookでまとめる、みたいな感じです。ちょっとめんどくさい。当面App探しの旅にでます。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-71546755701874100572010-08-31T16:00:00.010+09:002010-12-14T11:55:40.657+09:00書評・夏休み読書感想文・その2この夏に読んだ本のなかから。その2です。その1は<a href="http://since20080225.blogspot.com/2010/08/1.html">コチラ</a>。<br />
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<h3>高橋洋一『日本経済のウソ』</h3><br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065636/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480065636.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
日本経済のウソ<br />
高橋洋一<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> 本書は著者が各種媒体で書いた文章を再構成したものだ、と思う。そのためか、ちょっと読みにくかった。でも著者の従来の主張を最近の数字で語り直したという感じで、リフレ政策支持者の新しい弾薬庫、といった趣がある。例えば、<br />
<br />
・「麻生政権の財政出動では十分ではありませんでした。経済規模から見れば、GDPが日本の2.4倍のアメリカで78兆円、日本とほぼ同じGDPの中国で56兆円の景気刺激策でしたが、日本の第二次補正予算は14兆円でした。」(pp. 24)<br />
<br />
・「2009年の政権交代時、日本の10年国債の利回り(収益の割合)は1.2%、10年物価連動国債の利回りは2.4%です。これから一般物価の将来予想はマイナス1.2%となります。一方、アメリカの10年国債の利回りは3.2%、10年物価連動国債の利回りは1.5%です。これから一般物価の将来予想はマイナス1.7%となります。したがって、日本とアメリカで、それぞれ名目金利は1.2%と3.2%、実質金利は2.4%と1.5%です。このように実質金利が日本のほうが高いので、今後日本の設備投資に懸念があるのは当然です。」(p.27)<br />
<br />
<p style="font-size: 80%; padding: 25px;">追記:2010/Oct/13<br />
上の引用箇所でアメリカの一般物価の将来予想が「マイナス1.7%」というのはおかしい、という指摘をコメント欄で頂きました。本書で確認したところ「マイナス1.7%」となっていましたが、そこがマイナスだとアメリカもデフレということになってしまうので、本書自体(と僕の引用)のミスですね。 (追記終わり)<br />
</p><br />
日本の経済対策が不十分なこと、日本の金利は特別低いわけじゃないこと、こういったことが2008年以降、世界経済の停滞と各国の対策を経て証明されてしまったのだ。あと、本書にあるグラフはどれも日銀の仕事ぶりをこれでもかというくらい浮き彫りにするもので、強く印象に残った。<br />
<br />
個人的には為替介入の仕方が2000年以降変わったというところが勉強になった。介入のための資金は市場を通して調達されているので、ただ介入しただけではハイパワードマネーは増えない。これはまったくの不勉強でした。言い訳をすれば、日銀があれだけ介入を嫌がるもんだから、日銀が介入のための資金を供給してるのかと思うのは人情ってもんでしょう。現実にはそうではなくて、日銀が国債を買い上げない限り、市場のお金が移動するだけということらしい。いや勉強になりました。<br />
<br />
奇妙なことにこの本にも「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の影がちらついてるような気がする。<br />
<br />
<h3>狩集紘一『暴力相談 「こわがらせる人」との交渉術』</h3><br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121503554/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4121503554.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
暴力相談<br />
狩集紘一<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> 本屋でなんとなく手にとってみたら面白そうだったので買ってみた本。で、面白かった。なによりもとても実践的なので、これを読んで損する人なんてそうそういないだろう。<br />
<br />
著者は警察官として暴力団対策に携わってきた人で、引退後、その経験と知恵を市民と共有する活動をしているそうだ。暴力団やそんな感じの人と接触したときにどうすればいいのか、その方法をかなり具体的に(どんなふうに話せばいいのかというぐらい具体的に)、解説しているうえに、脅しつける人の心理まで解説していて、「なるほどな」「やっぱりな」と納得すること請け合いだ。そして彼らの心理を知ってしまうと、あんまり怖くなくなっちゃうんですな。なのでどうも話しの通じないオジサンとお付き合いのあるかたは是非どうぞ。<br />
<br />
ところでアマゾンのレビューを見ると、対策がどれも同じという批判があるけど、その通り。それは副題にもなっている「こわがらせる人」ってのが一種類しかいないってことを示唆している。つまり「成功にとりつかれた男性」ってことだと思う。もちろん実際の現場はそれぞれ事情が異なるだろうし、予想のできないことが起こったりもするだろうけど、本書が提示する対策には説得力があると思う。<br />
<br />
<h3>ヤマザキマリ『イタリア家族 風林火山』</h3><br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/482117023X/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/482117023X.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
イタリア家族<br />
風林火山<br />
ヤマザキマリ<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> あの『テルマエ・ロマエ』の作者のエッセイ漫画。買うかどうかとても悩んだ本だ。エッセイ漫画にはただでさえ薄い財布をペッタンコにされてきたので、どうしても警戒してしまう。が、本書は文句なくおすすめです。『テルマエ・ロマエ』の主人公ルシウスのモデルは著者の旦那さんだ、という話はどこかで聞いていたんだけど、僕が想像していた夫婦像とはまるでちがった。きっとみなさんが想像しているものともちがうだろう。とにかく意外だった。そもそも著者がこういう感じの人だとは『テルマエ・ロマエ』からは想像できなかったなあ。そしてさらに、著者と旦那さんの馴れ初めは必読だ。読み始めて三十数ページ、不覚にも号泣してしまった。その他は爆笑してました。9月には『テルマエ・ロマエ』の2巻が出るそうでそちらも楽しみです。<br />
<br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047267708/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img width="150px" height="150px" src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/616k8BmFjIL._SL500_AA300_.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
テルマエ・ロマエII<br />
ヤマザキマリ<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> 当然だけどこの本には「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の影はちらついていない。むしろ「オマエはいったい何にとりつかれているんだ、というイタリア男性」の影というか、男性に限った話でもない何かがちらついているというかモロ見えだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3>ロバート・I・サットン『あなたの職場のイヤな奴』</h3><br />
<table class=shoei><tbody>
<tr><td style="text-align: center; line-height: 1em;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062141361/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4062141361.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="cover" style="border: 0px none ; margin: 3px;" /><br />
あなたの職場の<br />
イヤな奴<br />
ロバート・I・サットン<br />
</a></td></tr>
</tbody></table> ひどい労働環境で働いている友人の誕生日に贈るので久しぶりに読み返してみた。とにかく、じっと耐えていればイカれてる職場が勝手に治ったりすることなんてないし、沈みゆく船につきあう贅沢が許されるほど人の一生は長くない。直接的な因果関係があるとは言わないけど、やっぱ日銀仕事しろと改めて思った。日銀という職場がイカれてるのかもしれないけど。<br />
<br />
当然、この本には「成功にとりつかれた男女」の話しか載っていない。自分は大丈夫と思ったら、それが「クソッタレ」病のサインです。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-67674207932235123482010-08-31T15:47:00.004+09:002011-08-09T20:40:34.334+09:00書評・夏休み読書感想文・その1毎日暑くて眠れない夏。だらだらするだけで疲れちゃう日々なのでブログもサボってたけど再開しよう。<br />
<br />
そんな日々に読んだ本から何冊か、夏休みの宿題っぽく感想文を。今回はその1。<a href="http://since20080225.blogspot.com/2010/08/2.html">その2</a>まであります。<br />
<br />
<h3>
久繁哲之介『地域再生の罠』</h3>
<br />
<table class="shoei"><tbody>
<tr><td style="line-height: 1em; text-align: center;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065628/glaharerl-22/ref%3Dnosim/" style="text-decoration: none;"><img alt="cover" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4480065628.09.MZZZZZZZ.jpg" style="border: 0px none; margin: 3px;" /><br />
地域再生の罠<br />
久繁哲之介<br />
</a></td></tr>
</tbody></table>
面白かった。何が面白いって、「あの地方都市はなんだか景気がいいって評判だけど、それってホント?」という疑問に答えてくれるから。本書によれば、なんてことはない、成功している地方都市というのは、それほど突飛な方法を使ったりしてなくて、地元の市民、企業、役所が地道に活動した結果だったりするので、大きな商業施設を立てて成功した! とか、大きなイベントを開催して成功した! という話は「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の虚しい遠吠えであることが多いようだ。<br />
<br />
本書はこの「成功にとりつかれた日本の中高年男性」が日本全国津々浦々で巻き起こす珍騒動を、その顛末も含めて、冷静に時間をかけて観察して分析した本だ。一読すれば、「やっぱりな」と感じる人も多いだろう。日々街を歩いて感じる違和感の理由をこれでもかというくらいはっきりと指摘してくれるので、とっても気持ちいい反面、身近にいる「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の顔が浮かんできてイライラもするだろう。<br />
<br />
以前秋田市に旅行に行ったとき、札幌と東京でしか暮らしたことのない僕は、なんて不便な街なんだ、と思ったものだった。どうして路面電車か地下鉄を作らないんだろうと不思議に感じた。車がなければ生活できない街は必然的に街中が駐車場だらけになってしまう。そんなに小さな街でもないのにもったいないな、というのがその旅行の感想だった(何しに行ったんだ)。<br />
<br />
一方で、本書によれば岐阜市はコンパクトシティ構想、つまり歩いて暮らせるくらいコンパクトな街を目指すべく路面電車を廃止したそうだ。岐阜市は40万人都市だ。本書もその政策を厳しく批判しているけど、僕も同感だ。公共交通機関は都市にとって生命線だと思う。岐阜市には行ったことはないけど、いくらコンパクトシティを標榜したって市民の多くは中心部には住めないし、住みたくもないだろう。そうなればバスを利用するか車を所有するかだけど、結局時間かお金かどちらかの形で生活の費用がかさむだけだ。ある程度発展した都市に新しく交通機関を導入するのが大変だ、という話ならわかるけど、今あるものを廃止してしまうというのは、正直理解できない。<br />
<br />
僕の育った札幌の市営地下鉄は万年赤字体質(と思ってたら今や黒字出しまくりで補助金も減らしてるとか(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84">参照</a>)。しらんかったなあ。2011年8月9日追記)だけど、だからって廃止せよなんて声は上がらない。雪国だけど車を持つ必要がないってのは、特に若い人やお年寄りにとっては本当に大きな利点だと思う。本書では、青森の駅ビルなどを例に自治体が赤字でも運営すべき価値のある事業を紹介している。<br />
<br />
本書には「成功にとりつかれた日本の中高年男性」最大の弱点が身も蓋もなく暴露されている。それは「上から目線」そして「勉強しない、何も考えない」である。もうちょっと具体的には、計画段階で出来の悪いアンケート結果にしがみつく。失敗するとうすうす気づいているにも関わらず前例主義に染まって同じ失敗を繰り返す。他の街と同じ政策だから、あるいは前例どおりだからといって責任を取らない。おや? そういえば日本銀ナントカという組織がやたら自作のアンケートばかり重視して十年以上も結果がでてないのに平然と自分たちの功績を誇っていたりしたような…。ともかく、本書は地域再生計画がモゾモゾと出来上がっていく滑稽なプロセスとその成れの果てをあけっぴろげに解説してしまっている。「やっぱりなあ」とも思うけど、「想像したよりもヒドイ」とも思う。オジサンたちはあんなに偉そうだったから、もっと根拠があるのかと思ってた。<br />
<br />
本書は名指しこそしていないけど、都市名と計画なんて隠しようも無いわけで、問題の能なしが誰なのか地元の人なら一発で分かる仕組みになっている。もちろん、なんでもかんでもオジサンのせいにすればいいってんじゃなくて、市民の生活の改善が目的なのだから、他ならぬ市民が粘り強く関わっていかないと、再生計画は上手くいかないどころか、孫の代まで続く問題をこしらえるハメになるよ、ということなのだ。で、粘り強く関わっていくうちにナントカさんはこの問題に始めから取り組んでいたんだから云々みたいな話になって結局そのオジサンの一言が不相応な重みを持っちゃったりするんでしょうね。とりあえず「上から目線」そして「勉強しない、何も考えない」という罠にはまらないように頑張りたいと思います。<br />
<br />
<a href="http://since20080225.blogspot.com/2010/08/2.html">夏休み読書感想文 その2へ</a>zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7599400674626791108.post-41361437326808941372010-07-05T10:50:00.011+09:002010-07-05T10:59:37.894+09:00リフレ選挙 引越しだ何だとばたばたしつつも選挙です。今や各政党のマニフェスト入りが当たり前になっているデフレ脱却ですが、今回はその目立ったところをまとめるぜという企画です。取り上げる政党は民主党、自民党、みんなの党、そしてたちあがれ日本です。引用部分は赤くします。<br />
<br />
まず民主党のマニフェスト(<a href="http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2010/index.html#pdf">参照</a>:民主党の政権政策)から。PDFをダウンロードしてみると、四ページ目のど真ん中、どーんと大きな文字で、<br />
<div style="padding-left:1em;color: red;"><dl><li>「政府と日本銀行が協力して集中的な取り組みを進め、早期にデフレを克服。」</li>
<li>「名目成長率3%超、実質成長率2%超の経済成長。(2020年度までの平均)」</li>
</dl></div>とあります。集中的な取り組みってなんでしょうかね。コレ以外の経済政策については規制緩和と産業政策っぽいことしか書いていないようです。<br />
<br />
つぎに自民党(<a href="http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/22_sensan/index.html">参照</a>:自民党政策集)。経済政策を扱っている三ページ目のトップに、「<span style="color: red;">この3年間に、金融政策、税・財政政策、成長戦略など、あらゆる政策を総動員し、早期のデフレ脱却と景気回復を図り、名目4%成長を目指します。仕事を創り、誰もが働く場を得られる社会を実現します。</span>」と頼もしい。具体的には<b>「<span style="color: red;">当面の経済財政運営</span>」</b>として「<span style="color: red;">デフレ脱却を急ぐため、下限がゼロを超える物価目標(例えば1.5%プラスマイナス1.0%)を定めるなどの金融緩和政策や「日米欧中を中心とした国際マクロ政策協調(平成のプラザ合意)」をはじめ、税・財政政策、成長戦略など、あらゆる政策を総動員し、GDPギャップ解消を進めます。</span>」と書いていて、実際の政策にも踏み込んでいます。全部をちゃんと読んだわけじゃないけど(長いので)、日銀のあり方に言及した箇所はないようでした。それにしても産業政策がお好きなんですねえ。<br />
<br />
つづいてみんなの党(<a href="http://www.your-party.jp/policy/manifest.html">参照</a>:みんなの党の選挙公約)。経済政策については<b>「<span style="color: red;">世界標準の経済政策を遂行し、生活を豊かにする!</span>」</b>という見出しで、<b>「</b><span style="color: red;">1.年率4%以上の名目成長により、10年間で所得を5割アップさせることを目標とする。</span><b>」</b>というふうに始まりいろいろあって<b>「</b><span style="color: red;">10.中央銀行は手段の独立性を有するが、目標は国民が決めるとの世界標準のコンセンサスに従い、物価安定目標を設定し、危機脱出後の成長軌道を確保。</span><b>」</b>という感じ。成長戦略については別ページ(<a href="http://www.your-party.jp/policy/strategy.html">参照</a>:みんなの党成長戦略)を設けて説明していて、そこでは、「<span style="color: red;">デフレからの脱却が、成長のための大前提である。デフレギャップ解消のため財政金融一体政策を講ずる。当面40兆円のデフレギャップを解消するためには、財政政策とセットで、金融政策を講じ通貨供給量を拡大する必要がある。</span>」とか「<span style="color: red;">政府から日銀に対し、例えば、20兆円の中小企業向けローン債権に政府保証を付与した上で、金融機関から日銀が買い取ることを要請できるようにする。これにより、地域金融機関のローン債権がキャッシュに変わることで、貸出余力が高まり、有効需要創出の効果が期待できる。</span>」とあります。<br />
<br />
さて自民党とみんなの党がかなり明確に悪魔的な政策(<a href="http://jp.reuters.com/article/economicNews%20/idJPnTK001385920070903">参照</a>:官房長官時代の与謝野氏の発言)に手を出しているんですけど、それでは、金融危機のさなか経済担当の大臣を三つも兼務して、特に何もしないという斬新な政策を打ち出した与謝野馨氏が共同代表をつとめるたちあがれ日本の経済政策はどうなっているのでしょう(<a href="http://www.tachiagare.jp/">参照</a>:たちあがれ日本のHP)。<b>「<span style="color: red;">強い国際競争力で「本物の成長」を持続する</span>」</b>と題してはじまる経済政策ですが、その三番目に、<b>「<span style="color: red;">早期デフレ脱却へ民間貸出を増大</span>」</b>とあります。内容は、<b>「</b><span style="color: red;">過度の量的緩和には、国債バブルと資本逃避のリスクがあります。持続的なデフレ脱却のためには、民間金融機関がリスク回避で貸出しをしぶり、成長機会を奪っている現状を打破することが不可欠です。</span><b>」</b>続いて、<b>「</b><span style="color: red;">民間貸出の年10%増加など、数値目標を掲げ、政府・日銀一体でリスク投資(研究開発、設備投資、M&Aなど)を支援します。</span><b>」</b>となっています。<br />
<br />
本当は民主党についてもっと書きたかったんですけど、デフレ脱却についてはあんなもんなんですよね。あとたちあがれ日本の言葉のチョイスが良くないな、と思いました(いえ、党名という意味でなくて)。「本物の」とか「リスクがあります」とか、もう議論する気ないだろ、と。本物かどうかだれが決めるんじゃい、とか、そりゃ何にだってリスクはあるじゃろがい、どの程度のリスクなのかがもんだいなんじゃろーにとか思っちゃいますね。個人的には今回の選挙、一択クイズです。zajujihttp://www.blogger.com/profile/14476938033966291816noreply@blogger.com0