2008年9月22日月曜日

Bailoutお助けホットライン

このワシントンポストのコラム、というか小説を読んだ。

面白かった。もしも米国財務省が金融機関を救済するためのフリーダイヤルを開設したら、みたいな話だ。財務省側のアンサーマシーンがなんというか、かわいい。軽く訳してみる。
「あなたは銀行ですか? その時は1を押すか言ってください。証券会社の場合は2を押すか言ってください。」
「2」
「あなたは役員報酬を思いのまま決められますか? その時は1を、うちのポールソンと同じ取締役会のメンバーなら2を、"生き残る体力の無い企業は淘汰されるべき、ただし自分の会社は別。"とお考えなら3を押すか言ってください。」
「3」
と、こんな具合に続いていく(数字とか適当です)。

金融機関の救済には必ずこういった批判がおこる。健全なことだと思う。でも、結局は救済というか、介入せざるを得ないんだと思う。日本がそうだった。だらだらしてても、結局りそなは税金を使って一時国有化したじゃない。そのだらだらの間に金融危機は続き、流動性の罠にはまってしまって、未だに抜け出せていない。

金融危機に政府の介入は必須。しかも素早く。これが日本の失敗の教訓*1だ。
「最後に、支援して欲しい金額を押してください。金額を押し終えたら#を押してください。」
「(金額を入力している)」
「ワァオ! こりゃ大変だ。3営業日以内にファンドを清算してくださいね。それじゃ、またお困りの時は是非。よい一日を!」
*1 日本が大失敗こいている時、スウェーデンは大成功していた。

2008年9月15日月曜日

鍛える話

cover
"The Black Swan"
Nassim
N. Taleb
逆境は人を鍛えるか。一般的にいえるかどうかわからないけど、そういうケースもあるかもしれない。けど、一般的に言えないのならば、逆境が人を鍛えるという信念は捨てて、手を差し伸べるべきだろう。どのみちどんな人にも逆境は訪れるものなんだから。

Nassim N. Talebの"The Black Swan"を読み返していると、「厳しく鍛える」ことの意味を問う話が出てきた。本書に記されている例をまとめると、数十匹のネズミがいるとする。ニューヨークのNNT研究所ではこのネズミたちに微弱な放射線を当てて「厳しく鍛える」(そして街に放つ)。当然、数回の実験ののち、生き残ったネズミはわずかな数になる。さて、この生き残ったネズミは強く鍛え上げられた、と言えるだろうか。ニューヨークの街は新種のネズミに支配されるだろう、と言えるだろうか。もちろん言えないし、鍛え上げられてなどいない。むしろ弱っている。

cover
"Hare brain
Tortoise mind"
Guy Claxton
高いハードルを設定し、厳しい選別を経ることにもリスクはある。最近読んでいる本(Guy Claxton "Hare Brain Tortois Mind")は、人の意識と無意識の関係について書かれた本だが、そこでClaxtonは、意識を使うには多大なエネルギーが必要となるので、計算とか計画とか判断とか暗記とか、意識にむち打って使っていると、無意識(Claxtonは無意識が直観やインスピレーションの源泉であるとする)がお休みしてしまう、という。

脳についても、負荷がつづくと弱体化するということが言えるのだろう。知性のあるハエは早死にする、とかいうニュースを最近聞いたような気がするし。しかし、世の中「厳しくする」ことに正義を感じて正当化している大人が多い。その「正義」の矛先は立場の弱い人たちに向かうし、おまけにもう目的を見失っているからただの嫌がらせになってる。苦しんでいる人が周りにいると自分も苦しいと思うけども。あ、見て見ぬ振りすればいいのか。

2008年9月11日木曜日

マイクロマネジメント

マイクロマネジメントってあんまり日本語では聞かないなあと思った。ウィキペディアには項目があるので、知っている人は知っている、という単語なんでしょう。

僕が知ったのはドラマ"numb3rs"だったと思う。アメリカの刑事ドラマで数学者が事件を解決したりするドラマ。で、どっかの管理職が殺されて、捜査官が「彼はマイクロマネジメントだったのか?」と関係者に聞いていた。初めて聞いた単語だったけど、意味はすぐわかった。

ウィキペディアを引用すると、

マイクロマネジメントとは、管理者である上司が部下の業務に強い監督・干渉を行うことで、一般には否定的な意味で用いられる。マイクロマネジメントを行う管理者は、業務のあらゆる手順を監督し、意志決定の一切を部下に任せない。部下の立場から見れば、上司がマイクロマネジメントを行っていると感じられることは多いが、上司がそのことを自覚することは稀であるとされる。極端な場合は、職場いじめや独善性など、病理的な現象としてとらえられる。

(中略)
また、指示・命令を与えることによって、管理者自身が有能さや職務の重要さを示していると感じることもある。このような管理者は、実際には職務に必要な能力や創造性を欠いているにも関わらず、自尊心を満たせる状況を自分で作り上げていると考えられる。
(中略)
マイクロマネジメントを行う管理者は、部下が相談なしに決断を行うことを、たとえそれが部下の権限の範囲内であったとしても、たいへん不快に感じ る。深刻な場合には、社員の自尊心や心身の健康に大変悪い影響を与える。社員が十分な自己評価を持てなくなり、能力の成長を難しくするので、そのような場 合はすぐに転職するのが最良の選択肢かもしれない。

とまあ、そういうことです。よくある話。僕もマイクロマネジメントな上司の下で働いたことはあるけど、そのときの印象から言うと、不安なんじゃないの、と思った。自分に対して否定的な出来事が起こるのを恐れているように見えた。どっちつかずの指示を人づてに出して質問を封じ(その間、上司自身は何処かに行っている)、こちらで判断して仕事のできを見せたらやっぱり怒られた、なんてほんとよくある話ですよね。これって相当ビビってるわけです。もし部下が自分の的確な指示通りに動いて失敗したら、それは自分に対して否定的な出来事だから起こしてはいけないことなんでしょう。

彼らは会社がつぶれない程度の不景気が一番居心地がいいんじゃないかな。そういう時って一致団結!とか堂々とファシズムができるから。そうすれば失敗はファシズムに反対する奴のせいで、成功はファシズムを導いたオレのおかげになる。

どうしたら経済が発展するのか。って人類の大問題だけど、コレって言う答えはない。でも試行錯誤が出来ないと発展しない、とは言えそうだ。で、試行錯誤は当然失敗をするということでもあるので、失敗を病的に恐れるマイクロマネジメントとは相容れない。

失われた10年とか言われるけれど、若者のダメさを繰り返し確認することで言いようの無い不安を紛らわせていただけの10年だったのではないか、そう考えると、不安です。

2008年9月4日木曜日

料理は楽し

以前に紹介したよしながふみ『きのう何食べた?』を読んで以来、なんか妙に料理が楽しくなってきた。もともと嫌いじゃないし、基本的には自炊なので見た目では変化は無いんだけど、なんか楽しい。

改めて料理は結果であるな、と思う。火がちゃんと通っている、これだ。この結果さえでればやり方なんてどうでもいい気がしてきた。できれば美味しいほうがいいし、栄養のバランスも大事だ。でも、まず食える、食って腹を壊さない、これですよ。

レシピ本はちょこちょこ買うんだけど、一冊に2つレギュラー入りしたらいいほうで、かなり打率は低い。でもこの間買った本はすごく良かったのでご紹介。
cover
おべんとうの
ちいさなおかず
300
コマツザキ・アケミ
もう『おべんとうのちいさなおかず 300』というタイトルで説明しきってるんで何が良かったのかだけ書きますけど、種類が多い、簡単、応用が利く。お弁当用なので味付けは濃いけれども、そこは勘で乗り越える。すると、普段のお食事に、あら不思議、二品ぐらい増えちゃうのだ。

自炊を始めて十年ちょいなんだけど、おかずをどかっと一品つくって飯と汁(無い時も多い)というパターンか、もう丼だのチャーハンだのパスタだのを一品どーんで終わりというのがほとんどだった。こういう食事だとすぐにお腹がすくし、栄養も偏るし、そして一番気が重いのが、食材があまってしまうことだった。その食材はその料理でしか使えなくて、なんかスゲー仕事出来ない奴みたいな気分になるのよね。

でもこの本があると、中途半端に残った食材がバシバシ片付く。レシピ本通りに作る人ってあまりいないでしょうから、材料を増やしたり減らしたりで冷蔵庫内に秩序が生まれる。これがすごく楽しい。おすすめです。安いし(1,000円)。本屋で見ていたら似たような本が幾つかあったので相性のよさげなのを探してくださいな。

cover
ケンタロウの
おかずの王様
ケンタロウ
でもさすがにお弁当のおかずなので脇役チックなメニューが多いです。で、おかずの主役は、『ケンタロウのおかずの王様』でカバー。なんつったって王様だし。これも簡単、応用が利く、食材が手に入りやすいメニューばかりなのでおすすめ。しかも派手目な料理が多いので人に食わせても喜ばれこそすれ、貧乏臭いとか言われないよ。ただ味付けが似たものが多いのでそこはやっぱり勘でなんとかしよう。

大げさに言ってしまうと一つ壁を超えた感じすらしてます。食費もだいぶ下がったし。