ラベル misc の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル misc の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008年12月19日金曜日

今日、

不思議な別れがあった。お互いに探って探って別れたという感じだった。残念だし寂しい。だからこれで良かったと思うわけでもない(思わないわけでもない)。けど、この別れがなにかの証しであるような感覚がある。道が続いていることの確証であるかのような。

cover
蟲師
漆原友紀
蟲師というマンガが終了した。大好きな作品だったから残念だし寂しいのだけど、今日経験した別れのような不思議なさわやかさがある。

蟲師・ギンコの旅は、第1話と同じようにつづいているのだろう。また出会う、という思いとは違う。でも、ああ、そうか、人の歩いている道は同じ道だったんだ。その証しだったのかもしれない。

数ヶ月前からpreciselyに予告されていたような、それでいて突然の、予期できない別れだった。

2008年12月18日木曜日

My seasonal disease

毎年のことで自分でも笑ってしまうんだけど、僕は4月と11月、すごく調子が悪い。で、これも毎年なんだけど、いっつも「あ、今回は大丈夫じゃん。快調!」とか思ってる。本気で。でも振り返ると、あーやっぱダメだったよ、と思い至る。今年はブログをはじめたので、エントリの数に如実に表れているので分かりやすい。

体調を崩すわけでもないし、生活が乱れるわけでもないけど、会話が最小限になったりする。鬱っぽいんですな。学生時代は、だからすごく苦労した。入学とかクラス替えがあるからもちろん緊張するのでそのせいもあるけど、もうデフォルトで無口、しかもそわそわしてる。まあ僕は出だしでつまずかなかったことなんてないからいーんだけどさ。

で、11月の精神状態を振り返ってみると、どうも一発どでかいホームランを狙っているせいで身構えてしまっていたような気がする。でもそれでいて、いつも通りちまちまやっていることもあったしなー。ようわからん。ただ、効率的で理論的である事に拘ったり、計算や計画や分析ばかりして、じっくり観察したり、素直に感じたりすることはなかったかもしれない。かっちょいいロボットのプラモデルでも作ればよかったのかもしれない。あとレゴとか。

今回、あ、やっと終わったよダメタイム、としみじみ感じたのは、アニメOne Pieceの第380話を観た時だった。ブルックの過去と現在が悲しくも楽しく重なっていくという感動的な回で、原作でも象徴的だったシーンを見事に描ききったな、と思わせる素晴らしいエピソードだった。お話の中心となる歌、「ビンクスの酒」は今までに何度か登場してきていたけれど、今回のアレンジがとても良かった。裏メロっていうんでしょうか、バイオリンがさわやかで切なげで、人々の思いをなぞっているようでした。



YouTubeのコメント欄をみると、誰も思う事は同じだなあとうれしくなる。日本語でも英語でも、「この海賊団に入りたい!」というコメントが必ずある。僕も同感ですよ!

あと記憶違いかもだけど、冬!っていう気温になったのもその頃だったような気がする。もしそうなら春とか秋がダメってことなのかなあ。

2008年12月17日水曜日

FRBのリフレ政策と幸せな人。


FRBがゼロ金利と量的緩和政策を宣言した。バーナンキさんはFRBの議長になる前、日本に対して量的緩和政策を説いていた。それを自分の国で実行したわけだ。その内容はまさにリフレ政策だ。量的緩和政策は日銀が初めて行ったことで有名だが、今回のFRBのそれはもっと本格的なものだ。どの程度実施するのか事前に決めていない、つまり事態が改善されるまでやる、という力強いもので、腰の引けた日銀バージョンとは大違いだ。

日銀はこの期に及んで何もしない、何かしても出し惜しみしすぎて評価されないという情況が続いていた。これで追い込まれた感じですなあ。実際に日米の金利差が逆転してしまったんだから。体面ばかりにこだわって戦力の逐次投入した挙げ句こんなことに。日銀ざまぁ、日銀涙目(って実際に苦しんだのは国民であるわけだから笑ってられないんだけど)。

さらに今回の危機で、普段から金融政策なんか効果ないよ、リフレ派ってばかじゃないの的な悪口をいいつのってきた経済学者(とか評論家とか)が次々に転向しているのだという。「今更かよ」と思うのは、まあ人情として有ります。だってリフレ派が言っていたことは経済学の教科書に書いてあることなんだから。それを「根拠が無い」とか言われてもね。コーゾーカイカクをすれば景気が良くなるって話のほうが根拠が無いじゃんか。

しかし危機に態度が変わるのは当然のことだから別にいい。問題は彼らが今の今まで危機だと思っていなかったってことだ。失業率が高止まりし、自殺者の数も減らず、アメリカ頼みの景気で、出生率も低い。これが彼らにとって危機ではなかったというのが驚きなのだ。

僕はリフレ政策が需要を喚起すると考えているので、リフレ政策がこういった苦境から脱出するための基礎になるだろうと思っている。

話変わって、どの本か忘れてしまったのだけど、幸せな人はどんな人か、という話があった(タレブだったような気もするけど、不確かです。)。幸せな人は、大切なことにはすごくこだわるが、それ以外のことにはとことん無頓着であるという。つまり、人の生き死にはもちろん、人の気持ちにすごくこだわるのだという。寂しい思いをしていないだろうか。辛い日々を過ごしているのではないだろうか。そうやって人を思いやっているのだそうだ。そしてその一方で、表面的なこと、例えば収入が、学歴が、外見が、というようなことには全然こだわらないのだという。

日々生きて、楽しんでいることこそが大事なのだ、とそういうことだ。でも、子供が欲しいと思えばどうしたってお金がかかる。仲間と過ごそうと思ったってお金はいる。バブル崩壊以降、不景気のツケはほとんど若者が支払ってきた(不安定な雇用や低賃金、子供をあきらめるという形で)。こんなことが十年以上続いている。これを大切なことの危機と見ないのであれば、それはきっと不幸な人なのだろう。人の気持ちよりも体面を保つ事に汲々として年を取っていくのは、それはそれでつらいものだろう。

が、盛者必衰。戦後育ちの老人たちの天下もいつかは終わる。それが終わった時、僕らが体面にこだわっているようなら、僕らの負けだ。

2008年9月11日木曜日

マイクロマネジメント

マイクロマネジメントってあんまり日本語では聞かないなあと思った。ウィキペディアには項目があるので、知っている人は知っている、という単語なんでしょう。

僕が知ったのはドラマ"numb3rs"だったと思う。アメリカの刑事ドラマで数学者が事件を解決したりするドラマ。で、どっかの管理職が殺されて、捜査官が「彼はマイクロマネジメントだったのか?」と関係者に聞いていた。初めて聞いた単語だったけど、意味はすぐわかった。

ウィキペディアを引用すると、

マイクロマネジメントとは、管理者である上司が部下の業務に強い監督・干渉を行うことで、一般には否定的な意味で用いられる。マイクロマネジメントを行う管理者は、業務のあらゆる手順を監督し、意志決定の一切を部下に任せない。部下の立場から見れば、上司がマイクロマネジメントを行っていると感じられることは多いが、上司がそのことを自覚することは稀であるとされる。極端な場合は、職場いじめや独善性など、病理的な現象としてとらえられる。

(中略)
また、指示・命令を与えることによって、管理者自身が有能さや職務の重要さを示していると感じることもある。このような管理者は、実際には職務に必要な能力や創造性を欠いているにも関わらず、自尊心を満たせる状況を自分で作り上げていると考えられる。
(中略)
マイクロマネジメントを行う管理者は、部下が相談なしに決断を行うことを、たとえそれが部下の権限の範囲内であったとしても、たいへん不快に感じ る。深刻な場合には、社員の自尊心や心身の健康に大変悪い影響を与える。社員が十分な自己評価を持てなくなり、能力の成長を難しくするので、そのような場 合はすぐに転職するのが最良の選択肢かもしれない。

とまあ、そういうことです。よくある話。僕もマイクロマネジメントな上司の下で働いたことはあるけど、そのときの印象から言うと、不安なんじゃないの、と思った。自分に対して否定的な出来事が起こるのを恐れているように見えた。どっちつかずの指示を人づてに出して質問を封じ(その間、上司自身は何処かに行っている)、こちらで判断して仕事のできを見せたらやっぱり怒られた、なんてほんとよくある話ですよね。これって相当ビビってるわけです。もし部下が自分の的確な指示通りに動いて失敗したら、それは自分に対して否定的な出来事だから起こしてはいけないことなんでしょう。

彼らは会社がつぶれない程度の不景気が一番居心地がいいんじゃないかな。そういう時って一致団結!とか堂々とファシズムができるから。そうすれば失敗はファシズムに反対する奴のせいで、成功はファシズムを導いたオレのおかげになる。

どうしたら経済が発展するのか。って人類の大問題だけど、コレって言う答えはない。でも試行錯誤が出来ないと発展しない、とは言えそうだ。で、試行錯誤は当然失敗をするということでもあるので、失敗を病的に恐れるマイクロマネジメントとは相容れない。

失われた10年とか言われるけれど、若者のダメさを繰り返し確認することで言いようの無い不安を紛らわせていただけの10年だったのではないか、そう考えると、不安です。

2008年8月9日土曜日

組織と目的

cover
指導者の条件
山本七平
山本七平『指導者の条件』を読んだ。鋭いなーと思うこともしばしばだったけど、それはちょっと、というところもまた多い。三十年近く経った後知恵から、それはないでしょう、と感じているのは確かで、それはアンフェアだけど、やっぱり「日本は特殊だ!」という結論ありきなんじゃないの、と思ってしまうなあ。

求められている指導者として、池田勇人が上がっていた。池田は所得倍増をやりたくて総理になった。次の佐藤栄作は世話人タイプの指導者で政治家の世話することが目的みたいなもんで、独自の政策課題なんてなかった。田中角栄に至っては総理になることが目的であって、日中国交正常化をしたいとかそんなのなかったよ、と山本はいう(大意ですよ)。

これには思い当たることがあって、池田は総理になる前、岸内閣の通産大臣をしている(改造前は無任所大臣)。入閣前、池田は岸の強引なやり方を批判し、「おれは絶対に入らない。政治というものは数であり、数は金の力だ、というような金権政治の岸内閣には絶対に入らない」(伊藤昌哉『池田勇人とその時代』)とまで言っていた。なのに、彼は入閣するのだ。岸は警職法のごたごたで国民の支持を失い、なんとしても大物を入閣させたかったとき、「君の政策を実現するためにも、ぜひ、通産大臣になってほしい」(前掲書)と池田を誘ったのだ。池田が改造前の参議院選挙の演説で所得倍増をうったえていたのを岸は知っていたのだった。

池田の入閣は、彼の周囲の人間たちも不満だったそうだ。夫人にまで本当に良かったのか、と問われたという。池田も含め、誰も、一年後に彼が総理になるとは思っていなかった。

池田には所得倍増という目的があったからこそ、前言を顧みずに通産大臣の任を引き受けたのだろう。こういうタイプの指導者といえば、もちろん小泉純一郎が思い浮かぶわけで、彼の郵政民営化も総理就任以前から掲げた持論だった。自民党をぶっ壊すってのもあったね。

安倍前総理はふたを開けてみれば、祖父の岸信介とは全然違う総理だったけど、その目的は国民から見るとちょっと曖昧だったかもしれない(憲法改正は目的ではあったんでしょうけど、今イチはっきりしなかった)。でも公務員改革とか重要な政策を実行してもいるし、辞任のいきさつを見れば、総理になることが目的だった人だとは思えない。年金問題のような短期的には何も出来ないようなことで引きずりおろされるべきではない人だったと思う。

さて福田総理はどうだろうか。世話人タイプ丸出し感はあるけど、この苦しい時期に総理になろうって人がそういうタイプだとは思えない(思いたくない)。ただやっぱり彼の目的は曖昧だ。今回の改造も、何を目指したものかよくわからない。でもこういう評価は後知恵の部分もかなりあると思うので、ま、保留ですかね。無目的で与謝野馨を起用はしないでしょ。リフレ派としては苦しい時期ですが。

2008年8月6日水曜日

今日の一言

iGoogleというサービスを使っていて、"Quotes of the Day"というガジェットを利用している。毎日三つ、名言を教えてくれるおせっかいなガジェットで、毎回読んだりはしないんだけど、たまに面白いこともある。で、今日のジェシカ・アルバ嬢のは面白かった。
My theory is that if you look confident you can pull off anything - even if you have no clue what you're doing.
- Jessica Alba

試訳
自信たっぷりって顔でいればなんだってできるってのがアタシの持論。たとえ自分が何をしているのか全く分かってなくてもね。


世の中、最初にかましとけばなんとかなるし、なんとかなってきた、というオジサンが多すぎますよね。あなた、何してるかわかってんの?と問いつめたいところですが、そんなの意味ないですか、そうですか。

2008年7月22日火曜日

ワークライフバランス

ワークライフバランスというと、「そんなことより一人前の社会人(とか職人とか)になれよ。泥のように10年働けとは言わないけどさ」的な嫌味?を聞くことがよくある。

一人前というのも随分曖昧で、人を裁く基準としてはおっかないことこの上ないけど、そもそも、一人前を実現するために、一人分の努力と根性と忍耐だけで済んでいたのか? と考えてしまう。

家事とか子育てとか、もちろん夫として父としても一人前なんですよね、わかります。それでいて奥さんの働きたい気持ちも尊重してきたんですよね、わかります。と嫌味を返したくなる。ま、「それはあいつ(奥さん)が望んだこと」なんですよね、自己責任ですよね、わかります。

この本なんか読むと、90年代初頭までの女性新入社員キツかったろうなあ、と思う。一人暮らしができないくらいの薄給で、しかも自腹でペン習字を習わなきゃいけない、って人間なめてんのか。一人前ってのはこういうことをするんですね、わかります。

そうやって一人前の男性を生み出し保護したところで、不景気には勝てなかったじゃないの。その程度の一人前ならば、父であること、夫であること、息子であることを、若い男性は望むだろうし、女性だって夫を一人前にするために自分の人生を投げ捨てるようなことはしない。

道は人に遠からず、っていうじゃない。人に出来ないことは、人の道から外れてる。女性を犠牲にして男性を一人前にするのは、もう出来ないことだ。もう人の道から外れてる。べつにおじさんが悪いってんじゃなくて、時代が変わったんですよ、ということでしょう。盛者必衰なんですから。

2008年7月20日日曜日

あの世代

あの世代は人数が多いからずっと競争競争で大変だったとかよく聞く。だがちょっと待ってほしい((c)朝日新聞)。基本、好景気だったでしょ?

伊藤昌哉『池田勇人とその時代』を古本でゲットしたので堂々の引用。()内は引用者注。漢数字を書き換えた。


(経済)成長率が問題になり、宏池会事務局案は7.2%、10年間で国民所得を倍増するという計画だった。下村(治。池田勇人の経済政策ブレーン)案は11%で、結局、池田は、36年(1961年)以降、最初の3年間は9%でいくという方針をたてた。当初の成長率を高く見こんだのは、ちょうどその間に、終戦後のベビー・ブームに生まれた連中が就業する時期がやってくる。それまでに経済の規模を大きくしておかないと、失業問題がおきるという配慮からだった。これは目算がはずれ、38年には、多くなった人口の大部分が、所得が上がったために上級学校へ進学するようになり、若年労働者の需給はかえってひっ迫するという状態になる。


こういう状況と、不景気下での競争とどちらが大変なのか。僕が大学を卒業したとき、学校の内定率は50%だった。はたしてあの世代が経験してきたという競争は氷河期世代が経験してきた血で血を洗うような、死屍累々のものだったのか。経済がぐんぐん拡大して需要もたっぷりな中(1970年代半ばくらいまで?)での競争と、マイナス成長をも経験しつつ需要が低迷しまくっている中での競争と、どちらが激しい競争なのか。

さらに言えば、当時、女性は大学まで行ったとしても、就職にあたって同年代の男性の競争相手になることはほとんどなかったんじゃなかろうか。もちろん当時の企業が女性を受け入れなかったのはあの世代のせいじゃないし、あの世代の女性たちの選択肢の少なさに鈍感ではだめだとは思う。が、若者の就業問題が、事前に、政策課題としてちゃんと議論されていたことを無視して、競争が激しかったとは言わないでほしい。池田勇人は若者が職を奪い合うような状態を避けるために、高めの経済成長を目指したのだし、現に避けることができたのでは?

こう言うと、「昔はモノがなかった」的な戦術に切り替えてくるだろう。でもさ、そんなことを言ってしまうと、戦争に連れて行かれて殺された世代もいるわけで、「死人に口無しってこと? それはいっちゃいけないんじゃないの」的な空気になるだけだ。

最近読んだ本*1のなかで「あの世代の人たちは、子供たちが自分たちより貧しい生活しかできないことをみて、罪悪感を感じている(でも上手く対応できない)。」というようなことが書いてあって、なるへそ、と思った。たぶんあの世代は、好景気が当たり前すぎて、子供たちが苦しんでいる理由が不景気だとは思っていないのだろう。なので、本人に問題があるから苦しんでいる、というかなり分かりやすい悪役みたいな考え方になってるんじゃないだろうか(弱者は滅べ!的な。でも我が子だし…)。

こんな分かりやすい悪役が昭和30年代を舞台にした映画『Always』を観て喜び、キャスティング・ヴォートを握りしめつつ年金の話ばかりするもんだから、そりゃあ嫌われるはず。「好景気を政策的に支持すれば、その罪悪感と心中しなくても済みますよ」と誰か言ってあげればいいと思う。

*1 信田さよ子『母が重くてたまらない—墓守娘の嘆き

2008年7月3日木曜日

発見と発明

科学は発明ではなくて発見だ、とよくいわれる。本当にそのとおりだと思う。

当然社会科学だって発見だ。以前のエントリでも書いたけど、「労働条件改善のためにメインバンクの協力が必要」という話があった。ぼくらは神様じゃないので、物理法則を無視して空を飛ぶ方法を発明する事はできない。同様に、社会にありもしないルールを発明したって社会が変わるわけじゃない。答えは身の回りにある。観察して、発見する。仮説をたてることもあるだろう。検証してみたら当てが外れることもあるだろう。でも基本は、観察して発見すること、これが科学である。

難しい専門用語を羅列する人に対して、うさんくさいな、と思っていた。かくいう自分も学生の頃は気取って、というか、気取る事しかしなかったので、うさんくさく思われてたんじゃないかな。だからそれは猛反省なんだけど、そういう人は発明をしているんだと思う。もちろん難しい現象を研究していれば、専門用語が必要になるのは当然。でも、本来専門用語は定義のしっかりしたものであるはずだ。でなければ難しい現象を扱えないだろう。そういったものを定義を共有していない人に向かって言っても、ただの発明でしかない。メインバンクなんて言葉は専門用語として正確な定義を持っていないから専門用語ですらないダメ発明だけど、そんなもので労働政策を論じるべきじゃない。

科学じゃないものに価値がないとかそういうことじゃない。友達と話すのに自分の想いを定義付けして共有する必要はない。見てくればかり気にしている人には気をつけろ!という話。

2008年6月16日月曜日

通り魔事件の反応

テレビのニュースは見ないし、新聞もとってないし、最近だとネットでニュースを仕入れるのも抑え目なので、雑感という以上のものにはならないけども。

聞こえてくる秋葉原の通り魔事件の反応に、事件とは別のイヤな気持ちを持った。

なんでも各地で派遣社員に対する扱いが変わってきているという。上司が以前より丁寧な口調で接してきたりするのだそうだ。

しかし、あのような卑劣な犯罪の為に僕たちが変わらなければならないというのは、なんだかとても屈辱的だ。こう書くと、「派遣なんて自業自得」、というふうにとられるのかもしれないけどそうではなくて、相手が派遣社員だろうが誰であろうが、人として尊重しないような態度は、通り魔と関係なく恥ずべき行為だ。それを社会的に(マスメディア的に?)注目され同情が生まれてるっぽくなると手のひら返しというのは、なんというかもう、本当にやりきれない。

職場での扱いがヒドくたって、将来が不安だったって、人は通り魔にはならない。でも、こういう反応をきくと、原因は派遣! と言いたくなるのも理解できる。

今回の件で態度を翻した上司たちは、こんなことがなければ正しい行為と恥ずべき行為の区別もつかないのだろうか。『あなたの職場のイヤな奴』問題というのは、本当に根が深く、かつ、影響の甚大な問題なのだと、改めて思う。
 

2008年6月13日金曜日

看板からはわからないもの

池田勇人関連のエントリで、志が重要なんだ、というようなことを書いた。

それはホントに信じている事だけど、だからといってこれ見よがしに掲げられた志を真に受けるほどナイーブでもない。

『あなたの職場のイヤな奴』にもあるけど、クソッタレ撲滅ルールを掲げておきながらクソッタレを放置するような職場は、ただクソッタレが放置されている職場よりもヒドい職場なのだ。

含羞とか、謙虚さとかの向こうにある志。看板からはわからない。

2008年6月12日木曜日

こちら久々の

2008年1-3月期のGDP二次速報が発表されましたね。

新聞は例によって4%の成長! と叫んどりますが、こちらをみると、

http://cloudy9.fc2web.com/sna/qe081/v/ritu-jfy0811.html


そうなんです。2007年度はこちら久々の低成長なんですねー。2002年度といいますと思い出深いのが、2003年度の内定をもらった人が過去最低の年ってことですよ(たぶん)。我が母校はたしか50%くらいじゃなかったかな? アタクシ? もちろん漏れました。以来低成長人生まっしぐらで。

それでも今回は雇用不安で騒がれたりはしていないわけで(むしろ高成長とかいってるし)、やっぱ団塊の世代の大量退職のせいですかね。うーん。こうもあっさり世代交代が起こることもあれば、就職氷河期のように手の打ちようがないこともある*1。世の無常を感じますなあ。

で、こんなお話が。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080611/1213186264


先方のコメント欄でお返事をいただいたので考えてみた。

アメリカは大恐慌みたいなことにはならないようだけれども、不景気は避けられないのかも、という雰囲気。アメリカがモノを買わなくなると、ま、世界中が困るわけです。そうなると、やっぱり日本、期待されてるのかな。日本の需要が回復、成長すればアメリカが買わない分くらいは埋め合わせられるかも。でもその兆しなんてまったくないわけですが。


*1 若者の雇用不安が事前に政策課題として議論されていなかったので、打つ手がなかった、あるいは派遣ナントカ法の改正ぐらいしかなかったわけで。それこそ池田勇人みたいに、若者の雇用のために経済成長予測を大きく見積もって、それを実現させていくこともできたのかも。目標があれば日銀だって少しは協力してくれたんじゃないかな?

2008年6月5日木曜日

メインバンク

池田勇人エントリはちょっとお休み。

友達から聞いた話。非正規雇用の労働環境を改善する、あるいは正規雇用化するには企業が変わる事が必要で、そのためにはメインバンクの理解が欠かせない、らしい。

最近の何かの記事らしい。検索下手なので見つけられなかったです。なんでも、労働問題の専門家の記事らしいですよ。

それにしてもメインバンクですよ、こうなったら(?)。日本を陰で操るメインバンクですよ。官僚、銀行、ヤクザが牛耳っているんですよ、日本は。なので銀行さんにお願いして日本を変えてもらいましょうよ、そうしましょうよ。

独占禁止法にこんな箇所がある。「原則として他の国内の会社の議決権のうち、銀行については5%,保険業については10%を超えて、議決権を取得又は保有してはならない。」これはお金の貸し手が、借り手企業を意のままにしたりしないようにするための法律だ。果たして日本の銀行はこの法律の精神を踏み越えてまで企業経営に介入しているんだろうか。もしそうなら、この国は結局官僚と銀行とヤクザに牛耳られてるってことなんだろう。

ありもしないメインバンクの理解を得ても、何も解決しないんじゃないの? 専門家ってこわいね。

参考:三輪 芳朗、J.マーク ラムザイヤー『日本経済論の誤解』


いもしない専門家にむけて書いているような気がしてきたけど、まあいいや。

温故知新について

温故知新を言う人は多い。論語に出てくる言葉だ。けど、この四字熟語を聞くといつも思う。続きがなかったっけ? と。

子の曰く、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。

先生がいわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。」
金谷治訳


温故知新は人に教えとくための条件なわけだ。僕はもちろん学者でもないし、小さい頃から古典に親しむようなこともなかったし、今だって深く論語を理解する才覚なんかないけど、それでもこの奇妙な本を読んでいくと、孔子は「人の師」であることに随分慎重なんだな、と思う。「教えることに倦まないで」なんて表現がよく出てくる。孟子も、人間の欠点は人の師になりたがること、とか言ってるし、古の賢人たちにとって「人の師」であることは、なにか危なっかしく見えたのだろうか。

で、温故知新を言う人は多い、ですよ。彼らは「人の師」を目指しているから、あるいは、「人の師」であることの危うさを避けたいから、温故知新を掲げているんですよね、きっと。
 

2008年5月27日火曜日

結局統計ってつかえるの? その3

しか し、統計が弱い人を救うことだってあるかもしれない。日銀だって統計に基づいて、弱い人になってしまった失業者を救えるだろうし。そしてとくにエアーズの 本はその可能性が多岐に渡ることを示しているように思える。たとえば教育とか医療の分野で、属人的な判断を減らして統計に基づいた判断を導入すれば、効率 だけでなく公正さも向上させられる可能性があるようだ。

で、結局統計ってつかえるの? なわけだが、分かりません。ただ己の中の第二審判 決に従えば、統計の結果だけが騒がれているような時は気をつけろってことでしょうか。教育でいえば、日本の子供の学力が上がった下がったというのは無視し てもよさそう。でもある教授法を使うとテストの点数が、とか、出席率が、とかいう話なら、拒絶するのは待った方がいい。特に、直観に反する現象というのは なんというかチャンスなんじゃないかと思う。

自分で考える教育よりも、分からないところはさっさと答えを見ちゃう教育のほうが、特に学校 では、上手くいく。そういう反直観的な統計が出てきたときに、保身に走って拒絶するのはもったいない。というか保身に走ると、老後は塗炭の苦しみを味わう ことになる気がする。効率も公正さも向上させるチャンスを潰したのかもしれないんだから、そのために傷ついた人たちのことをさっぱり忘れるなんて出来ない と思う。

そう、統計を真に受けても、拒絶しても、人生ヒドいことになるかもしれない。統計にもまた、第一法則はないということでした。ちゃんちゃん。

結局統計ってつかえるの? その2

さぼっているうちに日銀総裁が白川さんに決定。時宜を失った感じはするけどまあいいや。

このエントリは僕のような愚か者に統計は必要か? ということだった。モテるのか? 金持ちになれるのか? というのが問題なのだ。幸せか? というのがね。

統計とにらめっこして幸せってのは無理っぽい、というのが率直なところで、例えば、「二十代の若者100億人に聞きました。あなたの初セックスはいつですか?」 で、平均が16歳とかになると、もう自殺ですよ、若者たち。どうしても遅いとかはやいとか(いやそういう意味じゃなくて)言い出して、世間と歩調を合わすことの重要性を必要以上に心に刻んじゃうんじゃないかな。世間に合わせることが人生の目的になっちゃうんじゃないか。

前回の(二ヶ月前の)エントリでも書いたけど、朝日新聞のお茶目事件だって、統計を真に受けた結果じゃん。幸せではないだろう、そんな生き方は。

じゃあなんで統計を真に受けた素人は幸せではないのか。それが世間にみえるから、といってしまうとぐるぐる回ってるような気がするけどいいや、別に。

cover
アダム・スミス
堂目卓生
最近、堂目卓生『アダム・スミス—「道徳感情論」と「国富論」の世界』を読んだのだけれども、んで、とっても良い本でしたけども、そのなかで、「弱い人は第一審の判決を、賢人は第二審の判決を受け入れる」というようなことが書かれてあった。第一審というのは世間の目ということで、第二審というのは「公正な観察者」、つまり、世間体にとらわれない、といって自分の利益ばかり考えてるわけでもない人なんだそうだ。マイナスイオンとかに踊らされると弱い人、そうでないと賢人、みたいなことでしょうか。ここは僕の理解なので眉唾ですけど。

そして弱い人と賢人は個人の中で同居している、というようなことも書いてあった気がする。そうそう、で、モノによっては普段賢人なアイツも弱い人になっちゃうことがあって、その最たるものが失業で、やっぱり失業すると落ち込むからねえ、という話。

新聞に載るような分かりやすく加工された統計結果が、第一審判決として弱い人の人生をコントロールすることは、十分に考えられる、というかそんなのばっかり見てきたし、自分にもそういうところがある。だから凡愚な僕に統計はいらない、かもしれない。すくなくとも、新聞テレビで紹介されるような数字は無視しちゃった方が無難かも。

2008年3月19日水曜日

結局統計ってつかえるの?

ものすごく使えるよ派
エアーズ『その数学が戦略を決める』
飯田泰之『考える技術としての統計学』

基本使えないよ派
Taleb "The Black Swan"


cover
その数学が
戦略を決める
イアン・エアーズ
最近読んだ本を参考に、結局統計って使えるの? とくに我ら一般庶民に、という問題を考えてみる。

今日本では日銀総裁が決まらなくてすごくもめているけど、日銀の政策は統計が無いと成り立たない最たるものでしょう。だって一億人以上の経済活動をすべて把握は出来ないから、具体的な、誰がどこで何を買ったの売ったのということは切り捨てて、100人、1,000人でどんな傾向があるのかを見ていく事になる。いわばどんぶり勘定だ。ホントは箸で一粒ひとつぶ取り出して調べることが出来たら一番いいけど、ま、無理。統計をとるのに時間がかかって、五年前のデータで来年の事を決めるわけにもいかないもの。

なので統計は正確ではない。そんなの当たり前。正確に把握できないから統計が必要なんだ。何年か前に、うっすらとした記憶なんだけど、朝日新聞社内で起きた事件があった。靖国神社に首相が参拝しても良い? ダメ? っていう調査をして、51%/49%で参拝賛成が多かった(逆かも)。そしたら上役と部下が喧嘩になって、たぶん部下が「そういう時代になったんですよ」とか言ったんじゃないの? 上役が部下を殴ったっていう事件。その後どうなったのか全く知らないし興味もないけど、間の抜けた話です。誤差でしょ、どう見ても。賛成も反対もおんなじくらいです、とはいえるけど、どっちが多い、とはいえない。統計は正確じゃないから、何かを読み取るには慎重さが必要なわけだ。そしてだから、統計は分かりにくい。

ただ単に正確じゃない、っていうだけじゃない。どういうふうに不正確なのか、これも大問題だ。さっきの靖国参拝のデータは、たぶん小泉純一郎氏が首相だった時の話だ。いま聞いたら違う回答をする人も多いんじゃないか。これはつまり、データが古いから正確でない、ということになる。

cover
考える技術としての
統計学
飯田泰之
日銀の仕事は物価の安定だけれども、そこで参考にするのが消費者物価指数(CPI)だ。CPIにはバイアス(偏り)があることが知られている。スーパーで売っている商品の価格を調べるにしても、すべてのスーパーを調べるのは無理だから、いくつかのお店を抜き出して調べるわけだ。でも人々は絶対に同じ店で同じものを買い続けるわけではなくて、そのときどきで安いお店に行ったりもする。だから同じお店を調べ続けると、実際に人々が使った金額よりも多めに、ココ大事、多めに価格を見積もってしまう。他にも、三年前に外付けハードディスク120Gを2万円で買ったとしよう。で、今年、320Gを2万円で買いました。これで僕は同じものを同じ値段で買ったと言えるだろうか。もちろん言えない。でも、CPI調査の品目はそんなに細かく分かれていないから、性能が上がって実質の値段が下がっているケースはCPIに反映されない。だからこれも実際よりも値段が高め、ハイまた来た、高めに計算されてしまう。

cover
The Black Swan
N.N.Taleb
日銀はなぜか、日本ではこういった上方バイアスはあんまりないよ、と言っている。とくに根拠があるわけではないようだ。1.8%ポイントぐらい高めに出てるよ、という人もいる。1.8%ポイントはすごいよ、やばいよ。だって日銀は、日本の物価はほとんど変化していない(CPIがゼロ近傍)からデフレじゃない的なことを言っているけど、もし1.8ポイント多めに評価しているとしたら、本当の日本の物価は1.2~5%で下がっていることになって、しかもここ十年以上そんな感じで、立派なデフレなわけだ。

こういうふうに調査の過程で結果が歪んでしまうことがある。というか必ず歪んでいる。日銀のようなエリート集団でさえ、統計をうまく使えていないんじゃないかと疑われる昨今、果たして縁なき衆生である我々が統計を使うメリットなんてあるんでしょうか。続く。

2008年3月12日水曜日

When you down and troubled.

なんとなく落ち込んでいて、nothing is going rightってな気分。友達? うーん。

こういうときはアランだ。でアラン『幸福論』。

ぱらぱらとめくって読んでみる。「25 予言」

占い師の話だ。占い師の言う事には耳を傾けない方がいい、ということ。

この世ではどんな出来事が起こるかわからない。だから、どんな強靭な判断力をも揺るがすような偶然の一致も起こる。あなたは不気味だが起こりそうもない予言を笑っている。でも、その予言が一部分でも成就したら、もう笑わないだろう。そうなったら、どんなに勇気のある人でも結果を見てからという気持ちになるだろう。われわれの不安というのは、だれでも知っているとおり、 破局そのものと同じようにわれわれを苦しめるものである。二人の予言者がお互い知らずに、同じことを予言することだってある。こういう一致にもかかわらず、あなたの知性の許す以上に、あなたを不安にしないなら、ぼくはあなたに脱帽する。

今、タレブの"The Black Swan"を(まだ)読んでいることもあって、実に腑に落ちる話だった(偶然でしょうけど)。アランはこのあと、重要な出来事は、どんなに賢くなったって予測できないんだから、人生のあれやこれやに未来を読み込まないで、目前のことだけ見ていればいい、というようなことを言う。

タレブは予測すんな、と言う。予測すると予測できなかったことが起こるので、当然予測してないからダメージでかいよ、と。それは予測しなくても同じなんじゃ? と思うけど、人間一度予測を立てればそれに沿って動くのは人情、予測を立てなかったときより無駄に資本を使っちゃう。だって「破局そのものと同じようにわれわれを苦しめる」んだもの。自分一人ならいいけど、組織となると無駄とか言ってられない。人的被害は埋め合わせできない。

「長期的には我々は皆、死んでいる」とは北斗の拳の名台詞じゃなくてケインズのお言葉でした。未来のことを考えれば不安になる(そうでなければ脱帽する)し、100年後には僕を含めて皆さんのほとんどが死んでいる。先の事ばっかり言ってないで今、景気対策を! リフレ政策を!

あれ? そんな話だったっけ?

2008年2月29日金曜日

本当に怖い婆さん

今日、怖い婆さんを見た。
小柄でやせてて背筋ピンッの婆さんが、小学生くらいの孫娘に怒鳴ってるんだけど、孫の応答が実にフツーで、孫の言うことだけ聞いていたらおばあちゃんとの楽しいおしゃべりにしか思えなかったろう。

孫に「自転車であっちまで行き、そこで待て」という趣旨のことを申し渡してるんだけど、いちいち大声なので怒っているように聞こえるし、何度も何度も「わかった?」とか「ちゃんと待ってんだよ!」と確認とるし、「移動アンド待機」命令もこれでもかってくらいに繰り返していた。妙に迫力があって、怒り馴れているというか、哲学のようなものを感じたね。孫だからといって無条件に信用しないし、そのことを堂々と見せつけるぜ!って感じの「自分は絶対間違ってない」哲学。

孫も「わかった」とか「うん」とか、それはそれは繰り返してるんだけど、別におびえているとか面倒くさそうということは全然ないみたい。だからまあいいお婆ちゃんなんだろう、きっと。

馴れなんでしょうけど、孫スゲー。いやあれは怖いって。