2009年11月26日木曜日

[訳してみた] J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』 目次と口上

目次



訳者の口上


 突然ですが若田部昌澄著、『危機の経済政策』を引用してみます。
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危機の経済政策
若田部昌澄

 しかし何といっても現在最も脚光を浴びているのはケインズ、あるいはケインズ経済学でしょう。「今の時代に頼りにすべき経済学者は一人しかいない。それはケインズだ」とグレゴリー・マンキュー(ハーヴァード大学)は『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムで書きましたし(Mankiw 2008)、2008年ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン(プリンストン大学)も現在は「ケインズの時」であるといいました。またジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学)はケインズ経済学の復活を宣言し、思想的にはリバタリアン(自由至上主義)に分類される人気経済ブロガーのタイラー・コーウェン(ジョージ・メイソン大学)はケインズ『一般理論』のブログ上読書会をはじめました。

[p. 248]
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The End of
Laissez-Faire
&
The Economic
Consequences
of The Peace
John Maynard
Keynes

 じゃあ読んでみましょうと思っても、日本語で手に入りやすいケインズの本って『雇用、利子および貨幣の一般理論』ぐらいですよね。あんなの読めるわけねー。ということでケインズの代表的な作品の中で、僕にもなんとか読める短いヤツを訳してみました。原題はJohn Maynard Keynes "The End of Laissez-Faire" (1926)です。普通『自由放任主義の終焉』と訳されているところを今風な感じに変えてみました。自由放任というと、最終的には立派なオジサンが出てきて責任を取る、みたいなパターナリスティックなイメージがあるので(僕だけかな)。『ケインズ全集 第九巻』に収録されている宮崎義一先生の翻訳を参考にして訳しました。
  

 この作品が書かれた背景を、もう一度『危機の経済政策』から引用しましょう。

 1918年に大戦が終了すると主要各国は金本位制への復帰を模索し、アメリカが先陣を切りました。その復帰(1919年)は旧平価によるものでしたので、その後に激しいデフレ不況(1920-21年不況)が到来しました。しかし、このデフレ不況を乗り切った後に、アメリカでは繁栄の20年代が訪れます。
 他方ドイツをはじめとする中欧諸国ではハイパーインフレーション(1922-23年)が起きます。その収束には、金本位制への新平価復帰が必要とされました。20年代のイギリスはマイルドなデフレが進行し失業率が高止まる停滞期を迎えました。1925年4月に旧平価による金本位制復帰を行いましたが、その是非と平価の設定をめぐっては論争が起きました。安定化論者たちは安定化を阻害する金本位制そのものに懐疑的でした。そして、意図的なデフレ政策を意味する旧平価での復帰には反対でした。しかしこれらの論者は金本位制を完全に廃止する提案にまでは至りませんでした。

[p. 30]
 「マイルドなデフレが進行し失業率が高止まる停滞期」、どこかで聞いたことのあるような話です。この『自己責任主義の終わり』はそんな中書かれた一般の人向けのパンフレットだったそうです。なので経済理論について詳しく語ったものではなくて、いかに政府が積極的に経済の安定を図るべきか(でも社会主義に陥らないようにするにはどうしたらいいか)、について解説したものです。安定化というのは今で言うマクロ経済政策の実施です。放っておけば経済は自然に調整されて回復するから何もするな、という考えに反対する人たちを安定化論者といい、彼らが現在のマクロ経済学の礎を築いたわけです。もちろんケインズはその超重要な一人でした。

蛇足:訳してて思ったんですが、第1章の前半部分がとくにメンドクサイです。それってマーケティング的にどうなんですか? ケインズさん。みんなちょっと読んだら引き返しちゃいますよ。

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訳者のあとがき


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対話でわかる
痛快明快
経済学史
松尾匡
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子どもの貧困
阿部彩
 訳してみて、ケインズが引っ張り出してくる例が恣意的なのでは? と思う個所がいくつかありました。ダーウィンってホントにそんな主張したの? とか、特に過激な人の発言だけを切り取ってるんじゃないの? とか。最近読んだ松尾匡『対話でわかる 痛快明快経済学史』でも、ケインズの主張に癖があることに触れていて納得。「わざと読者に論敵の主張を誤解させるような言い回しをして信用をなくして」(p. 185)おいてから攻撃している感じ。

 とはいえ、「タイミングよく有能であったり幸運であったりする個人が、その時点までに実った果実をすべて持って行ってしまうようなシステムは、確実に、良い時期によい場所に居合わせるテクニックを学ぶ大きなインセンティブを人々に与えるだろう。(第3章)」というケインズの言葉にはまったくもって同感です。友人の高校教師が「3教科に絞って小学校から教えれば、たいていの子は早慶に入れさせることができる」とものすごくイヤそうにつぶやいたのを思い出します。学力がまるで遺伝しているかのように親から子へ受け継がれている現状を、阿部彩『子どもの貧困』(参照)でも批判していましたが、これも世襲のひとつの形なのでしょう。

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国会学入門
第二版
大山礼子
 ケインズはイングランド銀行を例に「組織のための組織」を防ぐ仕組みを描いていましたが、この場合の民主的な基盤というのが議会でした(第4章参照)。この議会ですが、もちろんイギリスの議会ですから日本の国会とはちがいます。大山礼子『国会学入門 第二版』(参照)にあるように、イギリスの内閣は議会の中にあり、さらに政策を決定する場というよりも、与野党の意見を国民にアピールするパフォーマンスの場であるんだそうです。なのでケインズは、内閣がイングランド銀行総裁を選ぶ責任を、国民が明確に理解できる仕組みを評価しているのだと思います。つまり国民に見える形で、幾分大げさにでもアピールすれば、どこかの中央銀行みたいにこそこそしないだろう、ということなんじゃないでしょうか。その点、日本の場合、内閣は国会の外にある、ということになっているようです。そのため、内閣が議会で政策を堂々とアピールすることがない。総理は議会が選んでいるのだから、内閣に対するチェックも議会の仕事だと思うのですが。ところが、日銀の現総裁、白川さんを選任する時は、ねじれ国会ということで大もめにもめたので国民の注目も集まりました。そしてこのようなニュースもあります。

「日銀総裁人事に民主・西岡氏、反省の弁」


……西岡氏は、「純粋に武藤さんがいい、悪いという前に、政治状況があった」と述べ、当時の自公政権と対決するのが主眼であったと説明した。そのうえで「(財政運営と金融行政を分ける)『財金分離』を理由に武藤さんがはねられたのは、今でもおかしいと思っている」と語った。……

読売新聞
 国民の注目を集めるだけで、民主的な圧力が生まれるということだと思います。もちろんそれだけでは不十分で、ちゃんと議会による修正ができるようでないとダメですが。

 僕は『国会学入門』を読んだ時、イギリスのようなパフォーマンスの場としての議会の利点がよく分からなかったのですが、今回ケインズの文章を読んで、国民の見ている中でパフォーマンスをさせればコミットメントにもなる、と納得しました。日本の国会の本会議は何をやっているのかいまいちよくわからない状態にあります。事実上政策を決めるのは与党内部、そして国会の各委員会です。だから国民からは見えにくい。そこで党首討論が導入されたんでしょうけど、与党側の思惑で実施したりしなかったりするようでは意味がないでしょう(民主党政権になって一度も実現してませんし)。

 なんかケインズと関係なくなっちゃったんでここでおしまい。

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