2009年4月27日月曜日

補足・書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』

先日のこのエントリの補足です。

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下村治
「日本経済学」の実践者
上久保敏
池田勇人といえば所得倍増計画。そしてその経済政策のブレーンといえば下村治。なのだけれど、『均衡財政』では下村の名前は出てこない。下村治については上久保敏『下村治「日本経済学」の実践者』が最近出た。未読。さらに下村治の『日本経済成長論』も復刊された。未読。

『均衡財政』で扱われている時代はインフレの時代だった。日本は戦争を経て、モノを造り出す能力、つまり供給ががくんと落ちてしまっていた。でも需要のほうはそれほど減っていないから、モノがたりなくなって値上げしやすい状況にあったわけだ。そうしてヤミ市場が生まれていった。つまり「もっと金をだせば売ってやる」というわけだ。供給は短期間にどうにかなるようなものじゃない。人口が増えたり、教育が行き届いたり、労働環境が整ったりしないと伸びない。なので需要のほうを供給にあわせなきゃならなかった。これが均衡財政ってことだ。

翻って2009年の日本は供給は充分にある。足りないのは需要だ。これはバブル崩壊以降変わらない。そしてこれを放置するとデフレになる。

私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。[p.55]

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日本経済成長論
下村治
とあるように、池田の時代と状況がちがうからといって、彼の言葉が現在に通用しないわけじゃない。彼はドッジと共にインフレと戦って日本を救ったが、昭和25年にはリフレ政策の承認を得るために渡米しているのは先日書いた通り。結果的には朝鮮戦争が起こり経済はインフレになったが、決してインフレを抑えるためならばデフレもやむなし、という人じゃない。それも当然で、少ない需要に多すぎる供給をあわせるってのはつまり、ラッダイト、なら穏やかなもんで、人に死ねといっているようなものだからだ。

池田は国民の自発的な貯蓄を促すために腐心した。1400兆円といわれる個人資産は、その成果といえるかもしれない。本来ならその資産は金融市場を通して生産的な活動に利用されるはずのものだ*1。だがそうはなっていない。


追記:本書に納められている『占領下三年のおもいで』についてのエントリを書きました。

*1:池田はそういった資産を「貯蓄国債」を発行して利用しようと考えていたようだ。

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