均衡財政 附・占領下三年の おもいで 池田勇人 |
で、均衡財政を目指せば国債の発行には消極的になるに決まっている。国が借金をすれば一時的に出るお金がふえるけど、長期的には使えるお金が減るんだから。だから今となっては不吉なタイトルだった。でも本書を読みはじめてすぐに杞憂だったことが分かった。池田のいう均衡財政とは国民の自発的な貯蓄を促すためのものだった。ま、本書は不況対策についての本じゃないからあたりまえなんですね。でもさ、ほらどこぞの国だとさ、不況だって言うのに増税とか以下略。
本書は昭和27(1952)年*1に出版された。つまり日本が独立を回復した年だ。池田は昭和23(1948)年に大蔵省を辞めて翌、昭和24(1949)年に衆議院議員になってそのまま大蔵大臣に抜擢されている。その大蔵大臣としての三年間の政策をみずから解説したのが本書だ。この年までの経済状況をビックリするくらい簡単にまとめると、終戦後は激しいインフレ→それを抑えるための超均衡予算(ドッジライン)実施→あれ? 全体的にはいい感じなんじゃない?→朝鮮戦争勃発→特需とよばれる異常な好景気→それも一段落。戦争成金がブーたれる、といった感じ。この本では朝鮮戦争ではなくて、朝鮮動乱と呼ばれている。その朝鮮動乱が終わるまであと一年、という時代。
本書は実に充実の一冊であるので、なかなか要約が難しい。ので、三つのテーマを取り出して、それらに沿って概観していこう。なのでこの三つのテーマが順番に出てくるということでは、もちろんない。
一つ目は終戦から昭和27年までの日本経済の解説。主にインフレ対策について。二つ目は現在、つまり昭和27年の日本経済が持つ問題を税制や金融制度を通して語っている。そして三つ目はこれからの日本はどうあるべきかという問い。これを経済政策を通して語っている。
三つのテーマは本書のあらゆるところで、時には同時に顔を出す。池田の説明は常に具体的な数字に基づくが、小さな辻褄に拘泥しているのではなく、決して全体を見失わない。なので読者は個々の政策の来歴というか必要性を実にスムーズに理解できるようになっている。
ではまず一つ目。終戦後の日本経済について。ここからは(僕の勝手な)要約を赤くする。でこの書評の地の文はそのまま。
インフレはモノと金のバランスが崩れたところから起こる。敗戦後は何よりもまず生産の増強が優先された。生産の増強は復金を含めた財政赤字によって行われ、そのためにインフレが生まれたが経済的基盤が脆弱であるので、放置されていた。そこで、昭和24年に銀行家ドッジ氏が来日し、「超均衡予算」が組まれた。これが上手くいってインフレは収まった。一個人や一企業には厳しいこともあったと思うが、全体としてはどうしても必要なやむを得ない措置だったと思う。
その後朝鮮動乱が起こるんだけど、その影響について。
「特需」は均衡財政下での不安を一気に追い払ってしまった。が、昭和26年には異常なブームは収まっていた。「特需」がなくても日本経済の回復は順調であったと思う。
そして二つ目のテーマ。現在(昭和27年)の日本の問題。
インフレのせいで資本の蓄積が進んでいない。これからは更なる減税を通して資本の蓄積を促したい。銀行のオーバーローンというのが問題視されている。つまり銀行が手元の預金額に比べて大幅に貸しすぎているという問題。「特需」の後ということもあり、不況になるんじゃないかと心配されているので、オーバーローンを今すぐ解消しなくてはいけないと考える人々も居るようだ。
このオーバーローンという問題は、なんだかバブル崩壊以降の不良債権問題と似てますな。で、池田はこの問題は解決するに越したことはないが、今すぐである必要はない、という。経済が成長していく過程で解消に向かえばそれで良い、とする。
そしてやっぱりオーバーローンの原因は資本の蓄積が足りないこと。そもそも資本が少ないから、銀行の貸し出しに頼った企業経営をするしかなかったのであって、その解決策も銀行をどうにかするのではなくて、資本の蓄積と金融市場の整備を進めて資金を調達しやすくする政策が妥当である。
インフレはお金の価値が下がる現象なので、そうなるとだれもお金を貯めようとは思わない。だから銀行はお金を集められなくなる。なので預金よりもかなり多めに貸し出しをしなければ企業はつぶれていくだけだった、ということだろう。で、その銀行をなんとかするだけじゃ意味ないよ、と。うーん。大局観というやつですな。
三つ目。今後どうするの?
ここからは引用をしていこう。まずもっとも大事な目標は何か、というところから。
われわれは、心から世界平和の維持を念願する。だから、日本経済の運営に当たってもまた、この念願を実現するために、必要な経済条件を造り出すことが根本の目標とならなければならない。では、どういう経済条件が世界平和の維持のために必要だろうか。 第一には、国民の生活水準の向上をはかること。第二には、失業者を減らして完全雇用を維持すること。第三には社会福祉の増進をはかること。第四には、これらのことを、わが国だけで実現するのでなく、他国と互いに協力しつつ実現して、世界人類全体の安定と福祉を増進してゆくこと。[p.42]
均衡財政とか、健全財政とかいうと、なにか消極的なものに考える向きもあるかもしれないが、しかし、われわれの目標は、経済の進歩、発展、というところにあることを、ここに強調しておきたい。[p.43]
この目標が達せられなかったらどうなるのか。
人間が働く意志を有しながら、働くべき職がないということは、誠に堪え難いことであり、不幸なことである。失業が社会的な疾病ともいうべき慢性的な状態になると、偏った思想が生まれ、戦争が誘発される。第二次世界大戦が、遠く1930年前後の世界的不況に起因するという見方は、決して間違っていない。[p.45]
国民の生活水準を向上させ、完全雇用を継続するとともに、生産技術の進歩、働く環境の改善、公衆衛生の向上、教育の普及、文化の発展、社会保障の増進などを図ることは、近代国家の任務である。このような経済的社会的進歩発展が続けられてこそ、その進歩発展を阻害し、ひっくりかえす戦争を避けようとする意志も、また確固たるものとなる。[p.46]
池田のいうことは、今の日本には当てはまらないのだろうか。この十五年、池田が掲げた世界平和のための四つの目標のうち、生活水準の向上と完全雇用の維持については、なぜかあまり語られなくなっているように思う。んでは、どんな経済政策がいいんでしょう?
私は、大蔵大臣として過去三カ年余りにわたって、いわゆるディスインフレ政策を実行してきたが、私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。私は、大蔵大臣就任以来ずっとこの考え方を通してきた。これが一般にディスインフレ政策とよばれたのは、たまたまその間に、急激な悪性インフレの克服に努力し、一応の安定を回復するや、今度は、朝鮮動乱勃発に伴うブームに対処しなければならなかったためであって、経済諸条件がディスインフレ政策をとることを必要としたからである。[p.55]
つまり、戦後の経済状況故のディスインフレ政策であって、状況が変われば、当然政策も変わる。
国民こぞって真剣に努力した甲斐あって、あのひどかったインフレがほとんど何の混乱もなく、世界史上まさに「奇跡的」といってよいほどに収束された。ところが、昭和二十五年の春頃には、私の予想したとおり安定恐慌的な現象がでてきた。私は自分の政治的感覚から見て、どうしてもデフレ傾向の緩和をはかるべき程度まできていると考えたので、早速司令部の人たちにこの意見をのべた。結局ドッジ氏に直接経済情勢を説明してその了解を得ることが必要だ、ということになり、減税、輸出増進のための輸出銀行の設立、預金部資金の活用、官公吏の給与引上等のリフレーションというか、言わばディスデフレ的ないろいろの腹案を持って私が渡米することになった。[p.56]
この案をドッジは承認したのだが、朝鮮戦争勃発のために経済は再びインフレ基調となり政策も再びディスインフレ的になっていった。それにしても当時の読者にはリフレーションという言葉はおなじみだったみたいですね。
以上のように、私はインフレとデフレを、ともに調整することを、財政金融政策の任務と考えている。従って、講話によって独立したからといって、この基本的な考え方を変更すべきだとは考えていない。基本的にはあくまで「健全な経済」を維持してゆくべきである。今後の財政金融政策の基調が、ディスインフレか、ディスデフレかは、今後の経済条件の変化如何にかかるのである。[p.57]
ここまで長々と引用したのは、池田の視点があくまで全体的なものであることを示したかったからだ。池田は、個人や個々の企業については自由で民主的であるべきで、今の(もちろん昭和27年の)経営者は政府に頼りすぎていると思う、と書いている。「近代国家の任務」は環境の整備であって細かいことに口を出すことじゃない。そういった考えが、有名な「貧乏人は麦を食え」「ヤミをやっていた中小企業の五人十人がたおれたってかまわない」*2という発言の裏にあったのだと思う。
くどいけど、この本は日本が独立を果たした昭和27(1952)年に書かれたものだ。今75歳の人が生まれたのが昭和9(1934)年、満州事変が一応収まったその翌年だから、彼らが18歳の頃になる。つまり今の老人にとっても、この本は遠いというか、よほど興味を持たなければ読んでいない本だろう。そしてこの本のすごいところは経済の全体像を見失わないよう注意深く物事を見ている、というところだと思うんだけど、その注意の射程は「遠く1930年前後の世界的不況」にまで及んでいる(まあこのときは20年前くらいの話だけど)。つまり、全体像をとらえるには人の一生は基準として小さすぎるし、時に短すぎる、ということだ。まれに老人たちを「粉骨砕身で戦後の経済成長を担った」というように表現する人がいるけれど、僕はなんか失礼だな、と感じる。彼らなりの一人一人の人生があったんだから、それを勝手に了解して全体像に組み込むな、と思う。池田だったらそうはしないだろうと思う。そして彼の考える全体像が控えめにいっても妥当なものだったからこそ、日本の経済発展はなし得たんだろう。なので現在の為政者たちも、個別の現象に拘泥するよりも、全体像の把握に注意深くなって欲しい。そうすれば自ずからとるべき道は見えてくるんじゃないだろうか。
追記:この本には付録として「占領下三年のおもいで」という文章がのせられている。これは実業之日本編集局長山田勝人に池田が語ったことを編集したものだ。これが抜群に面白い。司令部やドッジ、シャウプとのやり取りや、吉田茂との関係などが、そんなにはっきりとは書かれていないけど、ほんのり分かるように書かれている。次のエントリではこの文章について書いてみるつもりです。
さらに追記:補足エントリを書きました。こちらです。
さらにさらに追記:書きました。「『占領下三年のおもいで』について」
*1:僕の母が生まれた年だ。
*2:池田は記者クラブの人たちに、無愛想だ、と嫌われていたので、彼らに狙い撃ちにされたようだ。このエントリを参照。
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