本書はコカ・コーラの元社長によるビジネスの指南書、なんだけど、タイトルにあるように、どうすれば成功するかを説明するのではなく、続けていれば失敗する行いについて語ったものだ。なので、ビジネスで失敗したければリスクをとるのをやめればいい、とか失敗したければ官僚組織を愛するべきである、というふうに語られるわけだ。もちろん皮肉でそういう表現を使っているんだけど、本書を読んでいくと、誰でも見覚えのあるような光景ばかり描かれているので、皮肉もいっそう痛烈に感じちゃったりする。
著者のドナルド・キーオは、本書が書かれた時に81歳。今も現役のビジネスマンだそうだ。「はじめに」で著者の経歴が語られているので詳しくは書かないけど、著者ほどのビジネス経験をもつ人は、まあ滅多にいない。なにせ世界最大級の企業の社長だったわけだから。にもかかわらず、かなりの数の読者が彼の主張に深く共感するんじゃないだろうか。とても滋養たっぷりの本です。
本書を紹介するのに最も適しているのが、「法則5 反則すれすれのところで戦う」だろう。要約すると、あなたがルールすれすれで仕事をしているのなら、短期的、時には長期的にさえ成功するかも知れないが、最期には惨めな敗北となるだろう、となる。
以前に書評したCharles Murrayの"Real Education"で著者のMurrayは、現在の大人達の倫理は崩壊している、と述べていた(たぶん。うろ覚え)。本書でキーオも同様のことをいっていて、教育政策の本とビジネス指南書が同じことを言うというのは面白い。もっとも、Murrayは倫理教育にかなり期待していたけど、キーオはどうも否定的であるようだ。
で、真っ先に思いつくのは、労働環境のことだ。本書でもこの法則を説明するときに、労働環境の悪さについてコカ・コーラ社で実際に起こったこと、そしてそれに対処したことが語られている。
日本の労働環境が一般に良いのか悪いのか、僕はよく知らない。ただ、個別には無茶苦茶な企業があることは知っている。もちろん、無茶な基準のルールならば、ルールに問題があるといえるだろう。が、そんな込み入った話じゃない。八百屋がカボチャを他所の畑からだまって持ってきて店に並べるようなことをしちゃいけないのと同様、労働力を利用したらその代金を払え、といっているだけだ。なのにその、ただ働きしない、させないという基本的なルールがまったく守られていない企業が存在する。しかもそういう企業は、長時間労働に耐えられないとなれば、たるんでるの甘えてるのと罵り、ルールを守らないどころか、守る人間をバカにするような態度を取り、恥じない。あまつさえ、己が正義であるかのように「最近の若者は」「自分の若い頃は」「労働とは」とくる。まさに外道。盗人猛々しいとはことことだ。
キーオは、第二次大戦時に傷病兵を収容する病院に勤務していたことから、人の弱さ、を知ったという。誰でも傷つけばひどく落ち込む。時に「急速にどこまでも [p.51]」。だから、
思いやりと敬意をもって他の人たちに接するのは、人として義務だというに止まらない。われわれ人類が生き残っていくために不可欠なのである。倫理を無視する人はしばらくの間、うまくいくことがありうるし、かなりの期間にわたってうまくいくこともある。しかし倫理感覚に欠け、謙虚さに欠けることから、いずれ失敗する。土台が腐っていれば、永続する強固な事業を築くことはできない。[p.51]
ある、毎年過労死でニュースになるような企業では(中の人に聞いた話だと)、最近経営者が交代して、過去半年分くらいの残業代を全部支払う、と社員に伝えてきたそうだ。その企業は社員に対して敬意なんか全然払ってこなかったけど赤字続きだった。ルール違反をしてもうまくいくことがある、とキーオがいうように、そういうことがあるというだけで、常に競争で有利ということもない。なのになぜ(もちろん僕を含めて)人々はわざわざ罪深い道を選ぶのか。ちなみに、中の人は今回の経営陣の判断を「ずるい」と評していた。口止め料のような感じがしたのだろう。結局敬意を払っていないのだ。
「わたしは企業経営に一生をかけてきたが、成功を保証できる法則や段階式の方法は、どんなことについてでも編み出せていない [p.15]」という81歳のおじいちゃんが書いた本書を読んで、強く思ったことがある。それは、人の一生は一つの価値観の善し悪しを検証するには短すぎる、ということだ。別に命の尊さに気づくのに70年かかる、と言いたいのじゃなくて、男は仕事が一番とか言って安い労働力をさらに買いたたく様な真似をして、自分が自分と他人にしてきたことを自覚するころには、もう手遅れなんじゃないのか、ということだ。自覚しながら同じことを続けるなんて事はできないだろうし、自覚したときはしがみついてきた価値観が崩壊したときで、しがみついてきたということは、人生のうち相当な時間をその価値観のために捧げてきたということだ。そこから、心機一転、新しい人生の幕開けだ! YATTA! なんて人がどれ程いるだろう。人は「急速にどこまでも」落ち込むのだ。そう考えると、人の一生は短い。
著者はドラッカーを引いて、
ピーター・ドラッカーはビジネス倫理などありえないと語っている。あるのは、限定のつかない倫理だけだと。自分の生活の中で、ビジネスと他の部分を分けることはできない。
と言っている。まことにその通りだと思う。(もちろん僕を含めて)多くの人は「仕事だから」という理由でやりすぎたりやらなすぎたりすることがあるけど、これは人生においてやるべきでないことをやり、やらなきゃいけないことをやっていないということなのだろう。
やっちゃいけないことをして、やらなきゃいけないことをやらないのだから、やっぱり「反則すれすれで戦う」と失敗するのだ。では、どうすればいいのか? 本書には「法則6 考えるのに時間を使わない」という章がある。「どうしても失敗したいのなら、考える時間をとらないことが不可欠だ。 [p.116]」 そういうことです。
繰り返すが本書は成功のための本じゃない。こうすれば失敗する、という本だ。しかし、それでも失敗がなくなる、なんてことはない。人は弱いものだし、みんなやってるから、というのはそう簡単に振り払える誘惑じゃない。「経営陣はまともに仕事をしていれば、時々は失敗することがある [p.116]」と著者は言うが、経営陣に限った話では無いだろう。それでもこの本が滋養たっぷりなのは、失敗をゼロにはできなくても、どのように生きるのかは選ぶことができる、と教えてくれるからだ。ルール違反に加担するかどうか、考える時間をとるかどうか、究極的には自分で選ぶことができる。自ら失敗を大きく深くする道を選べば、失敗は致命的になるだろう。だからこそ、本書は別の道を読者に勧めている。