2012年11月25日日曜日

激突? 毎日新聞 VS 片岡剛士

 引っ越しするのでばたついていて、ブログなんか真っ先に吹っ飛んだわけですが、少しは世事も勉強せねばということで、TBSラジオのDigというラジオ番組のポッドキャストを聞いているわけです。ポッドキャストがダウンロードできるのは放送から一週間なんですが、作業の合間にぼんやりと放送タイトルを見ていたら、日銀の金融緩和がテーマになっている回(2012年11月5日放送)があったんですね。で、その日の番組パーソナリティはカンニング竹山さんと、アナウンサーの外山恵理さんで、ゲストが毎日新聞の紙面審査委員の児玉平生(ひらお)さん、そして三菱UFJリサーチ&コンサルティングの片岡剛士さんでした。

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円のゆくえを問いなおす
実証的・歴史的に見た
日本経済
片岡剛士
そうなんです。金融緩和は甘え、とか言い出しかねない毎日新聞さんと、『円のゆくえを問いなおす』で日銀の責任を冷徹に浮き彫りにした片岡さんの対決なのです。これは聞くしかありません。んで、ダウンロード可能期間も過ぎちゃってるし、一丁ブログで勝手にまとめてみましょう、というのが今回の趣向でござい。

 序盤では片岡さんから日銀の当座預金などシステムの話があって、これをラジオで説明するのは無理があるだろう、と心配になる出だし。なんとなく「難しいことはともかく日銀にばかり頼る政府はけしからん」みたいな雰囲気になってしまうんじゃないか、と気をもむワタクシ。が、そんなのは全くの杞憂で、中盤以降、児玉さんが毎日新聞っぽいことを言った途端に、片岡さんがことごとく撃ち落とすという展開で、年上相手にさぞやりにくいでしょうに、片岡さんすごい、圧倒的ではないか我が軍は、というリフレ政策支持者としては痛快な番組と相成りました。

 では放送の内容を具体的に見ていきましょう。この放送のタイトルは「日銀が二ヶ月連続の金融緩和。デフレ脱却、景気回復のシナリオとは」となっており、11月初めの追加緩和政策の発表がキッカケになっています。序盤は省略しまして、11分30秒ころの「日本銀行券をジャンジャカ刷りまくるのがダメな理由があれば教えてください」というリスナーのメールに対する片岡さんの返答から。

片岡さん:今はデフレの状態ですよね。デフレでは人々はお金をあまり借りません。しかしこの状態で、日本銀行が「将来インフレになります。信じてください」と言ってそれを各銀行が信じるならば、国債に投資するよりも、株や債券に投資をしたほうが有利になる、と考えるようになるでしょう。なのでそのように信じてもらえるまで刷ればいいと思います。あとはどうしたら将来インフレになるんだと信じてもらえるか、という点です。日本銀行の場合98年以降ずっと基本的にデフレの状態です。それをインフレにするためには、約束をする、という手があります。なので、当面は1%の物価上昇率を目途にして金融政策をやります、と日銀は言っています。これを信じて欲しい、と日銀は言っているわけですね。
外山アナ:二ヶ月連続の金融緩和はおよそ9年半ぶり、と言われていますが、その前回のときはどういう状況で、どんな結果になったんですか?
片岡さん:その当時日銀は量的緩和という政策を行なっていました。これは今現在と基本的には同じで、物価上昇率が0%以上になるまで金融緩和をします、という約束です。これは児玉さんとはご意見の違うところかもしれませんが、2001年の3月から2006年の3月までの量的緩和では、日銀が銀行に対して供給できるお金の総量であるマネタリーベースでみると、前年比で30%が最大でした。リーマンショック後、アメリカの中央銀行、FRB(連邦準備銀行)の場合、マネタリーベースは前年と比べて40%以上、時には50%から60%くらい供給しています。なので日銀の場合、量が足りなかったと言えます。
外山アナ:少なすぎる?
片岡さん:はい。ちなみに現在、2012年9月のマネタリーベースは過去最大だと言われるんですが、前年比でいうと、10%増くらいです。なので、たしかに供給はしている。けれど、アメリカのFRBやイギリスのイングランド銀行、あるいは欧州の中央銀行と比べると、日銀のお金の供給量は少ないのです。だから、少ない状況で「上手くいかない」と言うのではなくて、せめて他の国となじくらいやってみてから「上手くいかない」と言ったっていいはずです。
竹山さん:片岡さんのご意見としては、メールのかたと同じように、もっと刷ればいいじゃないか、ということですね?
片岡さん:もっと大胆に緩和すべきだと思います。そうしなければ、日銀の目標は信じてもらえません。今の1%という目標すら信じてもらえていないのですから。これは日銀が発表している展望レポートからも明らかで、10月の末に新しい展望レポートが発表されたのですが、そこでは、2012年度はデフレが続く、と予想されています。その前のレポート、例えば今年の4月のものでは、2012年度は僅かではあるけれどインフレになる、と予想されていました。これは海外の景気状況が悪いなど色々な理屈をつけていますが、結論としては物価上昇率がマイナスになっちゃう、ということです。さらに、2014年になっても、当初目標としていた1%という目途を達成できない0.8%程度になるとしてます。なので、このまま行っても1%は無理、という状況です。
児玉さん:ただ、お金を増やしたからといって借り手が増えるわけでもありません。ではそれでどうなるかというと、緩和に反応する人がいるのです。つまりそれがマーケットです。日銀が今やっていることを、リーマンショック以降、アメリカやヨーロッパもやり始めたのです。日銀の緩和の規模が小さいといいますが、日本はバブル崩壊以降、ずうっと同じことをやってきたわけです。
片岡さん:いえ、同じことではないと思います。量的緩和のときもそうですが、今のアメリカ、欧州と比べても少ないですね。日銀の量的緩和は日銀当座残高の値を目標にしていたわけですが、FRBの場合はそれがFRB自身の資産の規模なんです。たとえば国債、住宅関連の担保証券とかそういうものを買い入れて、その代金をもって金融緩和としたわけです。サブプライムローンのときに焦げ付いた住宅関連の証券などを買い取り、価格の下支えをしたんですね。なので日銀の緩和とFRBの緩和には重なる部分もありますが、そうでない部分もあるのです。
児玉さん:日米でボリュームの差はあります。ただ、市場の反応を期待しているわけですが、中でも為替の場合、日銀が金融緩和をすると円が安くなるんですね。円が安くなると、輸入価格が上がるのでデフレ対策にもなります。で、ある意味で、世界中の通貨当局が緩和しているということは、自国の通貨の切り下げ競争をしているということです。
外山アナ:今回は反応したんですか?
片岡さん:今回は発表前のタイミングで反応がありました。十月の半ばくらいから追加緩和が予想されて報道にものりました。なのである意味期待が高まっていたわけです。株式市場は今どうなのか、ということよりも、将来どうなるか、という予想によって動きます。 で、30日の発表があった途端、日経平均は一気に下がりました。為替レートもその日は円高になりました。次の日に少し戻しましたが。
児玉さん:10兆円くらいの緩和が予想されていたんですが、実際に発表されたのは11兆円でしたので、期待とあんまり違わなかったんですね。
片岡さん:前原さんが政策決定会合に出席しましたが、それでプラス1兆円だったんでしょう。(笑)


ここで福岡のリスナーのメールの紹介。「緩和は小出しではなくドカンとやったらいいのでは? 白川さんの処方箋にはのってないようですが。白川日銀総裁の地元小倉では、貧乏神とか陰口たたかれます。」とのこと。

片岡さん:おっしゃる通りです。Too Little, Too Late. なんです。
外山アナ:じゃあどれくらいやればいいんですか?
片岡さん:一つ桁が違うかな、と思います。マーケットが驚く、というのが条件ですね。今は、デフレがずっと続くだろうから国債に投資したほうが楽だ、と皆が思っているわけです。
竹山さん:そこで疑問なんですが、経済の専門家たちにはこれくらいでは驚かないということが分かっているわけですよね、なのになぜこんな額なんですか?
片岡さん:大規模に緩和するとインフレが制御できなくなるとか、そういう心配をされるかたもいます。私は今現在そんな心配はいらないと思っています、なぜなら今デフレだから。あとは、出来る限り政策のリスクをとりたくない、と思っているんじゃないでしょうか。
竹山さん:政府が、ですか?
片岡さん:日銀が、です。日銀にすれば、失敗も成功も責任は日銀が負わなきゃいけない、というわけです。白川さんは来年の4月に任期が切れます。なのでもうあまりリスクはとりたくないんでしょう。私の想像ですが。
竹山さん:ほかの新聞記事にもそのような話がありましたが、日本の経済を良くしなきゃいけなくて、一般市民のレベルで景気を良くしていかなきゃいけない。そういう事態なのに、リスクを負いたくないなんて感情論で動いてしまうものなんでしょうか?
児玉さん:マーケット側からみるとそういう面もありますが、世界中が緩和競争をするなかで、そうやって増えたお金がへんなところに行っているのです。例えば新興国の不動産価格があがったり、資源価格があかったりして、そういう悪さもしているわけです。なので途上国なんかは、先進国の為替切り下げ合戦はいい加減にしてくれ、という声もあるんです。 金利が下がって国債の価格が上がれば、金融機関は国債をいっぱい持ってますから喜ぶ人もいるんですが、喜ばない人もいるのです。金融マーケットだけみていれば、そりゃ喜ぶ人が圧倒的に多い、というのが今の仕組みなのです。
片岡さん:新興国の人々が困るとはおっしゃいますが、一方で便益も得てるはずです。
 それに、わが国はデフレですから、デフレで困っている人とデフレで恩恵を受ける人を比べれば、困っている人が圧倒的に多いわけです。GDPデフレーターで言えば94年の半ばくらいからデフレが始まっていますから15年以上はデフレで、失業率も上がったまま、様々なところで社会的な問題が発生しています。たしかに強力な金融緩和を実施してデフレから脱却することで、債権者のみなさんは困るかもしれません。でもずっとデフレでしたから、その間債権者のみなさんは得をしていたじゃないですか、という理屈もあるんですよね。なので、日本経済全体を見れば、デフレ脱却は良くない、とおっしゃるかたはどなたもいらっしゃらないと思いますよ。
外山アナ:結局11兆円で喜んでいる人は一部で、この人たちはお金を使ってるんですか?
片岡さん:あまり使っていませんね。ため込んだ方がいいんですから。
児玉さん:アメリカでリーマンショックの後に大金融緩和をやりました。それは何かと言えば、バブル崩壊で損をした金融機関を救済するためのものでした。これはつまり、バブル崩壊で損をした人々を、もう一度バブルを作って救済しようという発想なのです。
片岡さん:しかし金融機関を救済しなければ、日本のような不良債権問題が起こってしまい、結果的に割を食うのは一般の国民なわけです。公的資金を使って金融機関を救うのか、金融緩和を使って救うのか、という話ですね。
児玉さん:ただですね、一般の国民感情からすると金融機関がバブルを生み出して崩壊させたのに、また彼らのために政府のお金どんと使うのは問題になるわけです。大統領選挙でも金融機関の規制が議論されています。
片岡さん:それは別々の問題です。いきすぎた金融機関の行動を規制する話と、お金の貸し借りの土台となる金融機関の役割を守る話はそれぞれ政策の目的が異なっています。金融緩和は、金融機関を助けると表現することがありますが、それはわれわれ一般市民の生活に結びついてもいるのです。金融機関が倒産しそうになると、今持っている預金がなくなっちゃうかもしれない。一生懸命貯めていたお金がなくなってしまえばわれわれ自身の生活も困ります。そういう事態を防ぐためにやっている金融緩和と、金融機関が利益を追求しすぎて怪しげな証券を売りに出してしまうことなどを規制しなきゃいけないという話は切り分けなくてはいけません。
外山アナ:私たちのところまで金融緩和の影響を届かせるためにはどうしたら良いのでしょう?
片岡さん:一つはやはり緩和をより強力に、ということですが、これは手段の話です。もう一つは、今日銀は「目途」として1%の物価上昇率を設定していますが、これは先進国の中でももっとも低い数値です。アメリカは2%ですし、欧州もだいたい2%です。なので、目標の方をもっと上げる、ということです。目標を上げ、手段も強力にする。これをセットでやっていく。
竹山さん:目標さえ上げれば達成できるものなのでしょうか? それに向けて進んでいくものなのですか?
児玉さん:それに向けて金融緩和をもっとやれ、という話ですね。できないのなら責任をとりなさい、ということです。
外山アナ:でも物価が上がっちゃうと消費者はこまりますよね?
片岡さん:今はデフレですし、物価上昇率が2〜3%ということになれば、失業率は確実に下がります。需要が供給よりもちょこっと高いぐらいのほうが、人もたくさん雇用できるし、経済がよく回っていきます。なぜそうなのかというと、黙っていても技術革新はすすむからなんですね。思い切って均して言ってしまうと、私たちは毎年2%くらいづつ労働生産性を上昇させていますので、その分人がいらなくなるのです。なのでその分の需要が増えて物価がそれに応えていく形にならないと、雇用も維持できないし、賃金も維持できなくなるのです。 で、今の状況というのは、マイナス1%直前のデフレなのですが、これを維持することは結局、人がいらない状況を維持するということになります。 なので、2、3%のマイルドインフレを維持するのが望ましい、と言えるのです。
外山アナ:では日銀の言う、消費者物価指数が前年比で1%になるまで強力な金融緩和を進めていくっていうのは、大して強力じゃないってことなんですか?
片岡さん:もっと物価上昇率を上げた方がいいですね。
児玉さん:ただね、物価って言うのはそんなに簡単にコントロールできるのか、という疑念もあるんです。日銀の資産がそうとう肥大化しておかしくなっている、とみんなが思い始めると、日銀に対する信用が急速に悪化する、ということを言っている人もいます。 もう一点あって、今度の金融緩和の話は、景気対策でありデフレ対策なわけですが、そこで日銀にばかり焦点があたってしまっています。それは、政府が財政出動をして景気を浮揚させることもできるわけですが、今までそれをさんざんやってきて、赤字国債がたまってきて、もうお金は使えないという状況にあるからです。政府として何かやらなくちゃいけないんだけど、その手段がないので、日銀にばかり対策を押しつけているのです。
片岡さん:あのー、もともと日銀法という法律がありまして、そこで日銀は物価を安定化させるという責務が定められています。なので物価が安定化していない、つまりデフレであることの最大の責任者は日銀なのです。そして、デフレがずうっと継続しているのですから、日銀の仕事は上手く行っていない。政府は日銀の監督者なわけですから、日銀にどのような政策をさせるか、という議論は当然あるわけです。そこで今回、財務大臣と経済再生担当大臣と日本銀行の連名で、デフレ脱却を目指すという共同文書が作られたわけです。
児玉さん:ただね、日銀の中にある考え方としては、市場に資金需要がないところにお金を出しても、実体経済の刺激にはならない、というものがあります。
片岡さん:馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない、というやつですね。
児玉さん:反応するのは金融マーケットだけだ、ということです。
片岡さん:それは通常の状態ならそうだ、ということですね。デフレではない状態の資金需要と資金供給の話と、デフレ下での資金需要と資金供給の話は別であることを理解しなくてはいけません。
竹山さん:日銀さんがそれを理解してくれなきゃ困りますよね。
片岡さん:そうですね。1930年代の大恐慌のときにものすごいデフレになりましたが、このときにFRBはリアルビル・ドクトリン(真正手形説)という考え方をしていて、これがまさに、貨幣需要がないと資金供給はできない、という考え方なのです。そしてFRBがそのような考え方だったからこそ、デフレになっちゃったんです。なので今ではFRBは、過去の教訓に基づいて、二度とそのような考えで金融政策を行わない、と主張しています。 しかし日銀は、貨幣需要がなければお金は刷らないと言っているわけです。業界ではこれを日銀理論なんて呼んだりしていますが、馬に水を与えても馬が飲まなければ意味はない、というわけですね。まずそもそも水が足りないのですが、この考え方が間違っているということは昔の経験からハッキリしているんですね。だからまず緩和を実行することが大事です。
児玉さん:お金さえ刷れば全てハッピーになると言っている人が結構いるんですが、それもどうかなと思います。
片岡さん:そこは実体経済と絡んできますからね。ただやったほうが良い理由はあって、まず当座のお金に困っている人たちが救えるかもしれません。今、日経平均株価は一万円割れが続いていて、下手をすると9千円割れとか7千円台になったりする状況です。例えばリーマンショックの影響を直接に被ったアメリカや欧州でも、日本ほどには株価の低迷が長続きしているところはありません。これが事実です。バブル崩壊直前、89年の大納会のときには3万8千円台でした。そこから三分の一以下の低い水準で推移しているわけです。リーマンショックでアメリカがヒドいことになっているとはいっても、アメリカの株価は今あがり続けています。なのでこの違いを理解する必要があります。
竹山さん:結局金融緩和策として、二ヶ月連続でこの程度のお金──すごい額ではありますが──を出したところで、結論としてはお二人とも、何も変わらない、ということでしょうか?
児玉さん:そうですね。私の場合は、金融政策にばかり注目するのではなくて、もっと他にもやることがあるだろう、という意見です。例えば新しい産業をおこすための規制緩和、イノベーションのためにお金を使う、減税する、そういったいろんなことをやっていって経済を暖めて行くべきだ、と思っています。
片岡さん:そこはおっしゃるとおりだと思います。ただ規制緩和をすると言っても、どういった規制緩和をするのか、という問題があります。日本はかなり規制緩和を進めてきましたから。
児玉さん:農業とか医療など、取り残されている部分があります。これは業界が反対して難しいんです。
片岡さん:しかしそのような政策は、物価を上げるための第一の手段ではない、というところが重要です。まず第一の手段として、日本銀行がお金を刷らなければ、何も解決しません。これをした上で、なおかつ規制緩和などを平行して行っていくことが大事だと思います。


ここでまたリスナーのメールから。「今回で二回目の金融緩和ということですが、私たちの生活には何の変化もありません。一体誰のための金融緩和なのでしょうか?」

片岡さん:最終的には私たち一般市民の経済が良くなっていくんですが、一番最初はマーケットです。ここのデフレ予想をインフレ予想に転換していく必要があるわけです。具体的には株価が上がったり、為替レートが円安になってきたり、債券の価格が上がったりして、銀行が国債という形で資産を塩漬けにするのではなくて、危険資産にお金を投資するような形に持って行く必要があります。そうすると、株価が上がるので株を持っている人には資産効果という影響があって消費を増やすでしょうし、予想されるインフレ率が上がればお金を借りるときに、額面の金利よりも借りるコストが安くなるので投資をしやすくなります。これを実質コストが下がる、と言います。そうなってくると需要がでてくる。今一部の大企業などは、借り入れではなくて自己資金で投資をしていますが、需要が出てくると、それだけでは足りなくなってきます。もっともっと生産するためにお金を借りる必要が出てきます。そうして資金需要が出てくるのです。なので、即座に資金需要が起こるということではなくて、資産市場を経由して、それが実体経済に波及する、つまり、GDPが増えるとか需要が増えるという形で波及してから、はじめて貸し出しの需要が起こります。そうすると、国債の名目の金利が上がってきます。そうなれば、日本銀行も、金利を上げないと実体経済が加熱しすぎてしまう、としてそこで初めて金利をあげることが可能なのです。これが正常化の過程です。
児玉さん:小泉内閣のときにそれを目指したわけですが、それで起きたことと言えば、結局円が下がってデフレ脱却に近づいたのですが、途中で息切れしてしまいました。様々な産業に影響が及ぶように全体を暖めていく必要があったんですね。
片岡さん:財政政策をもっとやるべきだったかもしれませんね。ただ別の考え方もあります。日本銀行が2006年の3月に量的緩和を解除していますが、そのときは消費者物価指数が0%を3ヶ月間上回っていました。消費者物価指数という統計は、1%弱程度上ぶれする数値です。ですから1%を越えると、そこでようやく0%を越える、というふうに考えられています。そのように統計上の誤差があり、0%程度ではデフレ脱却とは言えない、という議論があったわけですが、結果的に早すぎる引き締めを行ってしまった、これが失敗としてあるわけです。 2006年、2007年というのは、世界経済も好調で、外需という追い風がありました。その追い風のなかで金融緩和を行っていたので、好調なアメリカが容認してくれたこともあり、円安が進みました。なので輸出も増えましたし、それに沿うように設備投資も増えました。なのでそのときにデフレから本格的に脱却できていれば、その投資の成果として得たお金は賃金に還元され、消費にまわるはずでした。しかしそうなる前に、量的緩和をやめてしまったわけです。0%達したからもういいだろう、とか、早く金利を上げたい、ということもあって解除してしまったのです。
外山アナ:失敗しちゃったわけですよね。そういう反省材料があるのに、二ヶ月連続緩和は9年半ぶりだ! とか言っててこれでホントに大丈夫なのかな、と思うのですが、ホントにデフレ脱却しようとしているのでしょうか?
片岡さん:私もそこは疑問に思いますね。例えば白川総裁が2月14日におっしゃったように、1%を目途に金融緩和をしていくという発言も、その時点では総裁任期が切れるまで一年以上ありますから、一年間しつこく緩和を続けていれば、マーケットだってその言葉を信じたでしょう。しかし実際には、ちょっとやったら効果を検証しますと言って一回休み、また緩和しますと言ってまた休む。政府に突っつかれたら渋々緩和している、という風に見えてしまうのです。
児玉さん:日銀のパフォーマンスが良くないのも事実ですよね。アナウンスメント効果といいますが、それがとても弱い。しかし、マーケットというのは気まぐれですし、相手のいることでもあります。日本が金融緩和したとしても、アメリカやヨーロッパが金融緩和をすれば、相殺されてしまいます。
片岡さん:それは為替の話ですよね。インフレ、デフレというのは国内の問題なので、緩和を行えば国内の投資や株価には着実に反映されます。確かに為替にも影響はありますが、それは緩和をやらない理由にはなりません。
竹山さん:ということは、マスコミは2ヶ月連続だと大騒ぎしていますし、こうやってこの番組でもテーマにしてますけど、実はそんな大したことでもなんでもなくて、極端に言うとポーズにすぎなくて、野田首相が経済もしっかりやらなきゃいけないとこの間表明したこともあり、政府が日銀をせっついただけだ、と。で、日銀が面倒くさがりながら、影響が出ない程度にやった、そう考えても間違いでもない、とそういうことですか?
児玉さん:そうですね。
片岡さん:ですね。端的に言うと「できない集」を作っているということです。
外山アナ:10兆、11兆なんて日銀にとってはへでもないってことですか?
片岡さん:そうです。
竹山さん:へでもないし、経済にとってもどうしようもない程度だと。
片岡さん:これ実は二回連続じゃないんですよね。正確には10月は上旬にも一度政策決定会合があって、そのときは緩和を見送っていますから。二ヶ月連続ではあるんですけど、二回連続じゃないんです。細かい話ですが。で、二ヶ月連続ということでこれだけ報道がなされるんですから、次の月も、その次の月も緩和して大きく報道されれば、日銀がようやく本気になってきたと信じてもらえるかもしれませんね。
外山アナ:ちょびちょびやっててもだめなんですか?
片岡さん:小出しにやってても意味はないでしょう。一回やって休んで、また一回やって二回休むという逐次投入をやっていると、なかなか信じてもらえないんですよね。
外山アナ:続けないと意味がないんですね。
片岡さん:そうです。目標を決めているわけですからね。1%を目途と決めているんですからそれを達成するように続けなくちゃいけない。
竹山さん:もしずっとやっていれば、言い方は悪いけど、国民がその気になるというか、だまされるというわけじゃないけど、政府と日銀が経済を良くしようとしてるじゃん、と国民が思いこんでホントに良くなっていくという効果もあるんじゃないですか?
片岡さん:ありますね。株価が上がればそういう雰囲気になるでしょう。
外山アナ:10回で10兆づつ出すのと、1回で100兆出すのとどっちがいいんですか?
片岡さん:それは難しいですね。1回で100兆だしても、次もまだ出しますよ、という緩和の姿勢を続けることが大事なんですね。つまりスタンスを明確にすることが大切なのです。なので、一回やって一回お休み、一回やって二回お休みなんてことをして、その理由を総裁がちゃんと人々が納得する形で説明しないのが良くないのです。外国人の投資家というのは、日本銀行のスタンスを見ています。だから日銀がマジになったというのがハッキリしないと、なかなか株とか債券など、予想によって支配される市場は上向きになってきません。
児玉さん:マーケットが意外に思うこと、驚くようなことを続けてやらなくちゃいけないという話ですね。だけど、マーケットが喜べば株価が上がるというのは、本当なんだろうかという疑問もあります。際限なくやるといってもモノには限度というものがあります。
片岡さん:例えば、わが国の国債を全部日銀が買い取ってもインフレにならないのであれば、無税国家になってしまいますよね。税金を使わず、しかも財政赤字を気にせず、無限に国債を発行することが出来てしまうわけですから。こんなハッピーなことはない。でも実際にはそんなことはあり得ませんね。
児玉さん:しかし第二次大戦中に日本は似たようなことをやったわけです。戦時国債をだして、それを日銀がどんどん引き受けていく。そうして戦争に負けて、生産設備が無くなってしまい、赤字だけが残され、大インフレが起きました。国民の資産が無くなってしまったという経験をしたわけです。なので、モノには限度ってもんがあるんですよ。
片岡さん:もちろんそうです。だからこそ、物価上昇率の1%という目途を決めたわけですよ。インフレターゲットを導入して財政破綻した国はありませんしね。
児玉さん:インフレターゲットというのは、インフレ率が高い国が、低く安定させるためにはじめたものですから、逆のパターンってあまりないんですよ。
片岡さん:いえ、いくらでもありますよ。決して前例のないことではないんです。なのでやるかやならないかだけです。
外山アナ:結局二ヶ月連続で終わって、今度は消費税も上がったりしたらたまったもんじゃないですね、国民としては。
片岡さん:そうですね。政府が出来ることで重要なのは、10月末に発表された日銀の展望レポートによれば、2014年の実質GDP成長率は消費税増税の影響込みで0.6%ぐらいとされています。そこまで落ち込む、という予想をたてています。このような状況であれば、増税は一旦オシャカにして、公共事業、金融緩和を使って政府と日銀はデフレ脱却の歩調を整えるべきだ、という話も出てくるでしょう。
竹山さん:政治的にみると、野田政権は長くとも来年の夏までです。日銀の総裁は春で任期満了です。苦しい状況に置かれている人がいるわけですから、経済的には急がなくてはいけないと思うのですが、今何かをして、来年の夏までに大きく変わっていくモノなのでしょうか? 早く新政権を樹立して、そちらでやったほうがいいんでしょうか? 今野田さんがやっても政権が変わってまた一からなんでしょうか?
児玉さん:今の政権が経済対策をやろうと思っても、参院でねじれていますから、なかなかできないでしょう。なので先日の経済対策で出てきたのは、災害等のための予備費を7000億程度使うという話でした。実体的に意味のある話ではないと思います。だから政治状況がこのようであるというのも、日本の不況を長引かせることにつながっていると思います。なので、政治状況を刷新して、世の中の気分を変えるのも一つの手でしょうね。
片岡さん:そうですね。政権を変えるときに日本銀行のスタンスを変えるのもいいでしょう。しかし、政府に非があるから、日本の中央銀行は今のままでも良いのかといえば、それは良くないと思います。オバマ政権は危機が起こった直後は急激に公共事業を増やしましたが、それ以降はほとんど出来ていません。そんななかで2%台の経済成長をなんとか達成できているのは、FRBが金融緩和をしているからです。これがなければアメリカ経済はおかしくなっていたでしょう。
児玉さん:ちょっと心配なのは、アメリカも財政赤字が増えてしまって、財政の崖問題、財政支出を減らそうという動きが出てきています。ヨーロッパの債務危機もギリシャがまた怪しくなってきています。つまりこの先どうなるかわからない、先行きがすごく不透明なんですね。
片岡さん:財政の崖については、政治的に決着するのではないかと思っています。欧州のほうは、これは年中行事ですから、年末になるたびに大変だーとなってずるずる悪くなっていく、これが繰り返されてきました。
児玉さん:もう一つは、中国の高度成長がどうも終わりそうだ、という点です。新興国頼みも無理かな、という状況です。
片岡さん:なので余計国内の対処が重要ですね。
児玉さん:そこを金融政策だけでやるというのが私には疑問です。いろいろやらなきゃいけないと思います。
竹山さん:お時間ですのでまとめたいと思います。二ヶ月連続の金融緩和というのは、10兆円、11兆円と打ち出されたわけですが、これはあまり効果はない、ということですね?
片岡さん:そうですね。まだまだ足りません。
外山アナ:およそ九年半ぶりです! みたいな報道なのに。
竹山さん:そういう報道があるので勝手にスゴい!と思っちゃってるんですよね。新聞でも一面ででてますし。
外山アナ:大したこと無いんですね。
片岡さん:今までやってませんからスゴいことではあると思いますよ。もっとやったほうがいいですけど。
竹山さん:逆になぜ今までやってないんだっていう。
外山アナ:今日は、「日銀が二ヶ月連続の金融緩和。デフレ脱却、景気回復のシナリオとは」ということで、毎日新聞紙面審査委員の児玉平生さん、そして三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員の片岡剛士さんをお迎えしてお送りして参りました。ありがとうございました。
児玉さん:ありがとうございました。
片岡さん:ありがとうございました。

 おつかれさまでした。さて、そうして日本はもう15年以上もデフレなのです。この間に失われたものを数え上げたってキリがないほどの停滞です。なのに放送中、児玉さんが案の定、「資金需要がないなかで緩和しても…」という真正手形説をもちだしたときは、充分に予期していたこととはいえ、ちょっと残念な感じがしましたね。まだその話してるの? という。そりゃあ、新しい論点がホイホイ出てくるとは思ってませんけど、児玉さんの論点が平気であっちこっちに飛んでいってることもあり、緩和策の何に反対しているのか、お考えがあまりよくわかりませんでした。大メディアのみなさんには、リフレ政策に関する議論が10年以上という時間をかけてしっかり積み上げられてきたことを直視して欲しいですね。

 しかしそれでも、思ったよりも毎日新聞っぽくないなあ、とも思いました。てっきり元朝日新聞の記者さんみたいに「安倍総裁は金融右翼だ!」とか言うのかと思った。(参照) そういえば戦前、新平価解禁四人組は逮捕! とか書いてたのも朝日新聞だそうですね。

 一方で、番組としては台本通りなのかな、とも思うのです。児玉さんが俗説を取り上げて、片岡さんがそれを否定していくという構成だったのかも知れません。でもそうだとすると児玉さんの印象がちょいと悪すぎるので、是非一言、今回はこういう構成で行きますって言っておいて欲しかったです。いや違うならいいんですけど。

 現在は安倍自民党総裁が言明したリフレ政策がヤフーのトップにニュースとして載る時代です。思えば僕がリフレ政策の存在を知ったのはもう8年前ですから、ここ数週間の動きには隔世の感を覚えますね。同時に、安倍総裁の案に対する反論が、今まで幾度となく否定されてきた日銀理論の焼き直しでしかないことに虚しさも感じます。「独裁政権」なんて批判がありましたが、結局印象論かよ、と。(参照) とはいえ、日銀がこれ程までに国民の注目を集めてしまったのだから、日銀の栄華もここまでなんだろうと思います。90年代後半から不気味なまでに効果的な情報戦略を実践してきた日銀がこのまま大人しく引っ込むのか、そこがこれからの見所でしょうかね。日銀法改正と引き換えになにか要求してきそうな気もしますが、折り悪く白川日銀総裁も任期切れ間近で、何かと組織としてまとまりにくそうです。

 ちなみにDigでは、11月の20日の放送でも片岡剛士さんが登場しています。これは27日まではダウンロードできると思いますので、是非どうぞ。

2012年10月6日土曜日

[訳してみた] 反日スローガン


Language Logというブログに、先般の反日デモで掲げられたスローガンの英訳とその若干の解説があったので訳してみました。原文にはピンインも記されていましたが、僕はピンインも中国語もまったく読めないので翻訳文では割愛してます。

原文は『More anti-Japanese slogans, but with a twist』です。


(翻訳はじめ)

さらに反日スローガン、ただしヒネリ有り

September 21, 2012
by Victor Mair


二日前に、「『日本人は全員死んじまえ』」と題したエントリーで私は、尖閣諸島を巡って中国で起きている、暴力的な反日スローガンを掲げたデモについて書いた。それが今は、政府が支援する「日本人をぶっ殺せ」スローガンに触発された形で、同型のスローガンが他ならぬ政府に向けられている。中国政府は自身の弱点を隠すべく種々の宣撫工作を行なってきたし、その弱点には、第十八回の全人代を控えてもなお中国共産党が派閥ごとに鋭く対立していること、そして人民の不満が高まっていることが含まれている。だから、この展開は多くの中国ウォッチャーが予想していたものだ。

ではここで、実際にあらわれた官製でない、反政府的なスローガンの例を見てみよう。



先废劳教再保钓,以防保完被劳教

(政府は)まず労働者の再教育(政策)を廃止せよ(つまり労働教養(強制収容所に勾留されることが多い)のこと)。そしてその後で、魚釣島を防衛せよ。(魚釣島の)防衛後に人民が「再教育」されないようにするために。

訳注:労働教養とは、裁判抜きで人民を勾留できる制度。勾留されると労働改造所に送られて強制労働をさせられると言われている。アメリカ議会でも深刻な人権問題として取り上げられている。(参照



给我三千城管兵,一定收复钓鱼岛
给我五百贪腐官,保证吃垮小日本

城管兵が3000人もいれば、魚釣島は間違いなく取り戻せる。
汚職役人が500人もいれば、その食い意地で「小日本」を平らげる。

注:

城管兵とは、人々に非常に恐れられている準警察組織で、都市部において一般の市民(行商人や住んでいる家を破壊されてしまった人々(後述)など)との間にかなり暴力的な衝突を引き起こしている。

「吃垮」という表現の翻訳は難しい(直訳すれば、「倒れるまで食べる」になる)。これはすべての役人の満たされることのない食欲を指していて、汚職役人かどうかを問題にしている表現ではない(とはいえ、人々は「无官不贪」(腐敗していない役人などいない、つまり役人はみんな腐ってる)とも言っているが)。公式、非公式の統計はどれも、中国共産党の役人が毎年数十億元規模の税金を、宴会や会食に使っていることを示している。だから必然的に、街や企業、国その他諸々を「吃垮」する役人に対しては手厳しい物言いが溢れることになる。つまりこれは、500人の中国汚職役人を交渉のために日本に送り込めば、連中の豚のような食欲でもって小日本を「倒れるまで食べる」ことだろうよ、という意味なのだ。

さらにこの写真には(台湾の)中華民国の旗がかなり目立つ形で写っている。



これはここ最近私が目にした中国の写真の中でもっとも悲しい一枚だ。

没医保,没社保,心中要有钓鱼岛
就算政府不养老,也要收复钓鱼岛
没物权,没人权,钓鱼岛上争主权
买不起房,修不起坟,寸土不让日本人

医療保険もなく、社会保障もない。それでもあんたの心にゃ魚釣島があるわけだ。
政府が年寄りの面倒なんか見やしなくても、ワタシらは魚釣島を取り戻さにゃならんわけだ。
財産を私有する権利もなく、人権もない。でも(ワタシらの国は)魚釣島の支配権をもぎ取らにゃならんと必死になってる。
(ワタシらは)家も買えず、墓も建てられない。それでもワタシらは一片の土地を巡って日本人と争うわけだ。

では目についた他の例を見ていこう。

伝統の、政府お墨付きスローガン

十亿青年十亿兵,国耻岂待儿孙平

10億の若者と、10億の兵士。子供たちと孫たちのため、この国家的恥辱を雪ぐのに何を待つことがあるというのか?


風刺系スローガン

哪怕吃尽毒奶粉,也要杀光日本人.
哪怕喝遍地沟油,也要挥刀斩倭寇.
哪怕顿顿瘦肉精,也要出兵灭东瀛.
哪怕天天被代表,也要收复钓鱼岛.
哪怕养老没人管,也要占领富士山.
哪怕老家被强拆,也要活捉福原爱.

たとえ汚れた粉ミルクしか飲むものがなくとも、日本人は全員必ずぶっ殺す。
たとえ全土で地溝油を使うはめになったとしても、刃を研いで倭寇を必ずたたっ斬る。
たとえクレンブテロール入りの肉しか食べれなくなっても、東の海に軍を送り込んで(そこにいる奴らを)必ず粉砕する。
たとえ我々人民がきっちり「代弁されている」のだとしても、魚釣島を必ず取り戻す。
たとえ我々が年老いて面倒を見てくれる人が誰もいなくても、富士山を必ず占領する。
たとえ住み慣れた我が家が強制的に破壊されても、福原愛を必ず生け捕りにする。

訳注:
地溝油は下水や排水から精製した食用油。人体に有害だが、中国政府の管理の外で流通しているため利ざやが大きい。(参照
クレンブテロールは食肉の赤みを増す効果のある薬物。人体に有害で、中国ではクレンブテロールによる中毒事件が度々起きている。(参照

注:

(訳注:倭寇については略します)

「代弁されている」とは、ちゃんとした民主制である代わりに、(訳注:人民の意志は中国共産党によって)「代弁されている(represented)」という意味。

(訳注:福原愛さんについても略します)

「破壊」とは、悪名高い「拆」で、中国国内でとんでもない騒動と抗議の源泉となっている。(訳注:拙ブログのこのエントリーを参照


养贪官,做房奴,决不放弃钓鱼岛.

クソ役人を肥やすだけの住宅ローン奴隷だとしても、オレらは絶対に魚釣島をあきらめねえ。

無数の風刺系スローガンが広がっていることと、そして政府を後ろ盾にした愛国的なスローガンがあきもせず繰り返しあらわれることから判断するに、少なくとも相当な割合の市民は、人々の注意を国内の危機から日本やアメリカ、フィリピンやベトナムなど別のターゲットにシフトさせようという中国共産党のキャンペーンに引っかかってなどいない。

このごろの中国は、体制側の日本に対する激しい非難を皮肉った、イミテーションという反動で溢れかえっているのだ。ここを見るとさらにいくつもあるのがわかる。

Language Logの読者の方で、写真にある冷笑的な文句が読める方は、是非コメント欄にその訳を書いてください。


(翻訳おわり)

いやー、おっかない国ですね。強制労働とか地溝油とか。中国の人の多くは反日に熱心ではない、なんて話は聞こえてきますが、本当の所はいまいちわからない。尖閣については日本が実効支配してるわけですから、こちらから騒ぎ立てる必要はないのでしょうし、その上で日本側が冷静になって無用な刺激をせず、あちらさんの腹芸に付き合って見せるのがいいんでしょうけど、なにせ実情がわからないからどうにも不安が拭えないですよね。いっぱしの外交上手な国になりたければそれくらいの不安には耐えろ、ということなんでしょうか。

追記:
2012年10月7日 文言をちょっと修正。

追記その2:
2012年10月16日 中国国内で流通する危険な食用油の数々について、日本語で解説している動画が有りました。こちらです。元警視庁刑事、北京語通訳捜査官の坂東忠信さんと、『検証 財務省の近現代史』の著者、倉山満さんの対談です。

2012年9月20日木曜日

[訳してみた] シカゴの教員スト

一週間ほど前に、シカゴで教員組合のストライキがあったそうです。New York Review of Booksというサイトのブログにその背景を解説した記事があったので訳してみました(原文リンク)。

組合側はオバマ政権が進める教育改革に反対しており、その政権側の改革というのが、まあなんというか、おめでたい進歩主義な感じなんですね。勉強すればするほど、努力すればするほど報われる。そういうアレです。

では本文をどうぞ。かなり教員寄りの記事です。


(翻訳はじめ)

シカゴ学校改革:二つのビジョン

Diane Ravitch


たいていのメディアの報道では、シカゴの教員がストライキをしているのは、彼らがごうつくばりの怠け者だからだ、ということになっている。あるいは、ラーム・エマニュエル市長と労働組合の議長であるカレン・ルイス氏の個人的な衝突がストの原因としているものもある。さらには、エマニュエル市長が授業時間を延長しようとしているが、教員たちがそれに反対しているのが原因だ、というものもある。

このどれもが正しくない。どの報道でも、両者が(訳注:時間延長の)補償問題では合意に近づいていたことでは一致している──つまり両者を断絶しているのはお金ではないのだ。この前の春、教員組合と教育委員会は授業時間の延長について合意している。だからこれはここでも問題にならない。このストライキは、シカゴの、ひいては国の学校改革の為には何が必要なのか、その問題に対する二つの大変に異なったビジョンの衝突なのだ。

シカゴの学校制度というのはもう20年近くも前から学校改革の実験場であった。1995年には、シカゴの学校は市長による厳しい統制下におかれるようになり、当時の市長リチャード・デイリーは、ポール・バラスを学校運営の予算管理長官に任命した。そうしてバラスは、学力テストの点を上昇させるべく動き出した。各種部門に特化した学校やチャーター・スクールを開き、同時に予算も均衡させた。バラスが知事選に出るために去っていくと(結果は落選)、デイリー市長は再び教育者でない人物、バラスの代理をつとめていたアーン・ダンカンを管理長官に任命した。ダンカンはチャーター・スクールの熱心な推進派だった。前任者のバラスは改革につぐ改革を押しつけてきたが、ダンカンはそのさらに上を行く人物であった。ダンカン長官は自身の政策プログラムをルネッサンス2010と呼び、成績の悪い学校を閉鎖し、新たに100校を開校することを目指した。そして2009年以降、ダンカンはオバマ政権の教育長官をつとめている。そこで彼は50億ドルの「トップをねらえ(Race to the Top)」プログラムを実施した。このプログラムは、教員の能力を計ること、教員の能力給の上乗せ分を決めること、学校を閉鎖する、あるいは報償を与えることなどを、生徒のテストの点数によって決めていくようにするものだ。さらに民間運営されるチャーター・スクールの普及も大いに後押ししている。

これがワシントンが支持しているビジョンだ。そして同時にこれは、現在の市長であり、オバマ政権の前の首席補佐官であるラーム・エマニュエルによって任命された、シカゴ市教育委員会が裏書きするビジョンなのだ。つまり、学校はまだまだ閉鎖されるし、民間経営の学校は増えていくし、学力テストもたくさん行われるし、能力給も支払われるし、授業時間は長くなっていくのだ。しかし、そもそもの改革のスタート地点であるシカゴ市そのものでは、ほとんどの研究者たちが、改革の結果はどう贔屓目に見ても微妙なものであることで一致している。つまり、ルネッサンスは起きなかったのだ。20年近い改革ののち、シカゴの学校は全国でもっとも低い成績にとどまったままなのだ。

シカゴの教職員組合は、また別のビジョンを持っている。彼らはより少人数のクラス、ソーシャル・ワーカーの増員、夏期講習が行われている灼熱状態の施設にエアコンを設置、カリキュラムの完全実施、諸芸術科目と外国語の教師を全ての学校に配属させることを求めている。シカゴには一クラス40人を越える学校もあるし、それどころか、そんな幼稚園まであるのだ。図書室のない学校が160校あり、40%以上の学校には芸術科目の教師がいない。

教員たちは何を求めているのか? 一番こだわっている点は、教員の能力評価というかなり難解そうな論点である。市長は、その教員が有能(ボーナスゲット!)であるか無能(クビ!)であるかを決める際に、生徒のテストの点数を大いに重視しようとしている。組合側は、テストに基づいた評価は不正確でフェアじゃないとする調査・研究の存在を指摘している。シカゴは公立校が人種ごとに深く分断されていて、若者の暴力レベルの高い街である。教員たちはテストの点数が自分たちの指導の影響だけでなく、教室の外で起きていることの影響も受けていることをよく知っているのだ。

このストライキは全国的な関心を集めている。それは現政権が後押しする政策が論点となっているためだ。それに、この問題は全国いたるところで起きているものでもある。シカゴだけでなく他の都市でも、教員たちは少人数クラスとバランスのとれたカリキュラムの実施を主張している。あたりまえのように公立校と全く同じ結果になってしまっているのに、改革派は民間経営のチャーター・スクールを増やしたがっている。チャーター・スクールの教員は90%が非組合員なので、右派のお気に入りなのだ。一方教員たちは雇用の安定を求めている。そうすれば気まぐれな理由でクビにならないし、意見の分かれるようなテーマや本について教えられるという学問的自由も手に入るからだ。

このストライキはオバマ大統領の悩みの種だ。というのも、大統領は来る11月の選挙で欠かせない二つの友軍の板挟みになっているからだ。大統領は労働組合の、特に400万人の教員たちの支持が必要だし、彼らの多くが2008年には当時のオバマ候補を熱心に応援していたのだ。といって、どうしてオバマがラーム・エマニュエルを斬れるだろうか? 大統領にとってはさらに頭の痛いことに、教員たちは政権の「トップをねらえ」プログラムの中核をなす原則にまで反旗を翻すようになっている。このプログラムは、各州が教員を評価し、能力給の額を決め、「しくじった」学校を特定して大量解雇と閉校にまで持ち込めるようにする際に、学力テストを大いに活用するものであり、シカゴのあるイリノイ州を含め、教育改革を表明している各州にその実施のお墨付きを与えるものだ。

結果から言えばこのストは、賃金体系とか解雇や再雇用の規制を見直す必要がある、といった一見すると実務上の問題のようにして収まってしまうかもしれない(学歴や経験で給料に差をつけたままでいいのかどうか、とか)。しかしそこで残された問題こそがもっとも大きな問題となるだろう。つまり、教師に対するアメと鞭は、生徒にとって良い教育を生み出せるのか? シカゴ市は公教育の民営化を続けるべきなのか? 標準化テストは教師と学校の質を計る手段として適切なのか? 学校改革によって強固な人種間の分断と貧困が乗り越えられるのか? 私たちの社会は都市部の子供たちに、今よりも遙かに高いレベルの教育を授けるだけの余裕があるのか? という問題だ。

予想通り、ストを実施した教員たちは全国メディアからの非難を浴びることになった。メディアはラーム・エマニュエルの強硬姿勢に感じ入っているが、あちこちの教員たちがシカゴのストに賛同している。多くの人々が彼らを、教員たちのために、そして団体交渉権のために立ち上がったのだと見ているのだ。団体交渉権は、1935年、大恐慌のさなか、ワグナー法が議会を通過したことで認められた(と考えられている)もので、労働者が組合に加入する権利を保障するものだ。標準化テストの濫用と誤用を懸念してきた教育問題の研究者たちは、各種の証拠によらず問題が政治的に解決してしまうことを恐れているようだ。もし市長が勝利すれば、それは教員と組合への横暴、そして学校閉鎖と民間チャーター・スクールの推進政策の勝利と見なされるだろう。反対に、あり得そうにないが教員たちが勝利すれば、シカゴの子供たちが少人数クラスと今よりマシなカリキュラムを手に入れることになるだろう。一番良いのは友好的な落としどころに落ち着くことだろう。つまり、テストは増やさずに優れた教育を約束することだ。


(翻訳終わり)

日本でもかつては少人数クラスが話題になったりしていましたけど、最近はあまり聞きません。阿部彩著『子供の貧困』の書評でも書きましたが、若い人たちに対する無関心が深まっているのかもしれません。高島俊男先生が、
cover
お言葉ですが…
〈第11巻〉
高島俊男
一般に戦後の日本人は学歴に関して苛刻になり、学歴の低い者やない者を容赦しなくなった。学校なんかどこを出てようと出てまいと、立派な人は立派だ、つまらんやつはつまらん、というあたりまえのことが通用しなくなった。


と言ってましたが、この変化は、個々人が生まれ持った特徴を社会がネガティブにしか認めなくなってきたとも言い換えられるのではないでしょうか。そういった特徴は、思うようにはならない類のものであり、ときに冷静に直視するのが難しいものにもなります。個人の特徴から目をそらせてテストの点でもって一列に並べてしまう。まあそのほうが管理は楽です。さらに日本の学校は行事が目白押しですから、表面的には忙しいでしょうが、個々人の特徴を見極めて教育する、という点ではほぼ何もしていない。現場の先生に丸投げで、組織的には楽なもんです。

これじゃ職場でノルマを一律に課すようなもので、企業の利益のためならば場合によっては正当化もされましょうが、子供たちをそのように扱う目的は何なのでしょう?

■ ■ ■

シカゴと言えば、高山マミ著『ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと』同『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在――シカゴの黒人ファミリーと生きて』によると、今時のシカゴの黒人コミュニティでは誰も『ブルース・ブラザーズ』を見てないとか。もう心底ショック。

2012年7月29日日曜日

[訳してみた] 復習:QE3までの道のり


さて、前々回はAbout.com「デフレとは何で、どうすれば防げるのか」という記事を訳したのでした。

で、最近はLIBORってのが大はやりだそうで、あーやっぱりねー、この季節はLIBORだよねー、と知ったかぶりしてればいいんじゃないかな、とそう考えているわけです。どうせ誰も知らないんだし。

ちょっと前まではTARPだとかTALFとか言ってたのにもう飽きたのかよ、という話で、こういう難しい話題は最新ニュースを追っかけてもぜんぜん理解が進まないので、二週遅れくらいがちょうどいいというのが僕の持論であります。論ってほど大した話ではありませんが。

ということで、QE3の実施が予想される昨今、2007年のサブプライムローン危機とそれに続く金融危機に対して、アメリカの中央銀行、連邦準備銀行がどんな政策を実施してきたのか、そこを解説した記事を前々回同様About.comから引っ張ってきて訳してみました。記事はどれも短いものなので、このエントリーにまとめてしまいたいと思います。はやりのLIBORについての記事もあります。数年前の記事なので今般の不正問題についてはもちろん触れていませんが、それだけに問題の大きさがよく感じられる、そんな記事だと思います。

記者さんはKimberly AmadeoさんThomas Kennyさんです。ご両人とも投資顧問をされているそうです。

(お詫び:記事中、リンクがたくさんあるんですけど、メンドクサイので元ページから辿ってください。リンク切れも結構ありますが。あと、政策の名称、TARPとかMMIFFとかは、わりとノリで訳してますんで真に受けないでください。)

目次


______________


連銀にはフェデラル・ファンド・レート以外の手もある

2011年1月13日

フェデラル・ファンド・レート(訳注:日本で言う翌日物金利。銀行間で資金を融通しあう時の金利。「中央銀行が金利を上げた(下げた)」というと、通常この金利のことを指す。以下FF金利)に加えて、連銀には金融政策を決めていくためのツールがまだまだあります。こういったツールは、FF金利の操作に比べて使われる頻度も低く、記事になることもありません。しかし、大不況(訳注:the Great Recession. 2008年に始まった不況を指す)の際、FF金利が事実上ゼロにまで低下した後に、連銀が金融市場を下支えするために、重点的に用いられました。


準備預金


準備預金とは、市中の銀行が連銀支店に預けなくてはいけないお金のことです。2010年の12月30日の時点では、銀行の全預金額が5880万ドル以上の場合、その10%を預け入れなくてはいけません。準備預金が少なくて済めば、銀行はそれだけ多く貸し出せるようになるわけですね。こうしてお金が経済に多めに注入されることで、経済成長が刺激されるのです。準備預金の金額が高くなると、小さな銀行には大変な重荷になります。そもそもたくさん貸し出すだけのお金を持っていないからです。そのために、預金額が1070万ドル以下の銀行は、準備預金を行う必要はありません。預金額が1070万ドルから5880万ドルの銀行は、その3%を預けなくてはいけません。2008年に連銀は、この準備預金に金利を支払うことにしました。

(訳注:2011年12月29日以降は、当座預金を中心とした預金の総額が1150万ドル以下の場合は0%、1150万ドル以上7100万ドル以下は3%、7100万ドル以上が10%だそうです。(参照))

連銀が準備預金の割合を変えることはあまりありません。それは一つには、各銀行が新しい割合にあわせて、ポリシーや手続きを変えるのには多大なコストがかかるからです。それに何より、FF金利の調整を行えば、全く同じ結果が得られるのです。混乱もコストも少なく済みます。


ディスカウント・ウィンドウ(連銀貸し出し)


連銀はディスカウント・ウィンドウ制度を通して、準備預金の基準を満たしている銀行にお金を貸し出します。この金利(ディスカウント金利)は、FF金利よりも高く設定されています。各銀行が、このディスカウント・ウィンドウ制度を利用するのは、普通、他行から翌日物金利でお金が借りられなかった時だけです。ですから、連銀がこの手を使うのは、緊急事態に限られます。Y2Kの混乱時、9/11直後や大不況などがそうでした。『銀行危機への連銀の介入(Federal Intervention in the Banking Crisis)』を参照してください。


ディスカウント金利


ディスカウント金利は、連銀がディスカウント・ウィンドウ制度を通して、各銀行にお金を貸し出す際に課す金利のことです。通常FF金利に1%ポイント足した金利になります。これは借りすぎ防止のためです。


マネーサプライ


これは社会に出回っている通貨の総量で、連銀が毎週報告しています。

  • M1は、通貨と当座預金です。
  • M2は、M1にMMF、譲渡性預金、貯蓄預金をあわせたものです。

(訳注:同じ当座預金と言っても、日米で微妙に差があるようです。ここで言う譲渡性預金も、日本で言うところの定期預金に近いとか。(参照その1)(参照その2))

連銀はFF金利を下げることでマネーサプライを増やします。すると、各銀行は、準備預金を維持するコストを下げることができるのです。そうして、各銀行は貸し出せるお金が増え、消費者のお財布のお金も増えるのです。

その他のアルファベットごった煮スープ


連銀は先の大不況と闘うために、新しい、斬新なプログラムをたくさん作り出しました。実に素早く作り上げられたので、各プログラムの名前はその働きを専門用語で表現しただけのものになってしまいました。銀行家には分かる名前かもしれませんが、ほとんどの人には何のことだかさっぱりです。難解な用語の頭文字を並べた結果、おいしいプログラムのアルファベットごった煮スープが出来上がったわけですが、一般市民を混乱させてしまっています。これについては、こちらの連銀の道具箱を御覧ください。





刺激策の道具箱

TARP、TALF、TAF。2008年を通して、連銀と財務省は、金融市場の崩壊を何とか回避するために、たくさんの新しいプログラムを生み出しました。そういったプログラムがどんなものだったのか見ていきましょう。政府をして国家の銀行ならしめた(すくなくとも一時的に)、その方法はどんなものだったのでしょうか。



TAF - 連銀の期間競争入札制度

連銀、銀行救済のために、400億ドルの貸し出しを競争入札方式で行う

2007年12月21日

先週、連銀は、他行から資金を調達出来ない銀行を救済するために、400億ドルの短期貸し出しを競争入札方式で行いました。ここで救済されたのは、サブプライム危機によって、不良債権を抱えている恐れのある銀行です。

どの貸出先が、どの程度の不良債権なのか、これは誰にもわかりませんから、銀行はお互いに資金を融通しあうのを恐れるようになっています。この年の瀬に、自分のところの帳簿に潜む不良負債に足を引っ張られる事態は、どの銀行も避けたいのです。そこで、金融市場の流動性確保のために、連銀は、200億ドルの貸し出しの競争入札を、二度行いました。12月11日と20日です。(参照:連銀のプレスリリース。2007年12月12日)

で、これがワタシに何か関係あるの?


これは貸し出しですから、このお金は連銀に返さなくてはいけないものです。ですから納税者の負担になるはずのないものです。もちろん、銀行がデフォルトしてしまえば、究極的には納税者が責任を取らなくてはいけなくなるかもしれません。セービングス・アンド・ローン危機の時がそうでした。あの時は納税者が1240億ドルを負担することになりました。

しかしそれ以上に、銀行がデフォルトしたとなれば、それは金融市場の機能の信頼性が大きく損なわれているというシグナルとなるかもしれません。そうなると、株式市場での下落を、さらには不況を引き起こしてしまうかもしれないのです。

そうさせないために、連銀は1月いっぱい、この競争入札を行う予定です。これで各銀行は、自分のところの帳簿上、どれが不良債権なのか、そしてどの程度の金額なのかを、整理する機会が得られるはずです。(参照:連銀のプレスリリース。2007年12月12日)

またこれによって、最近シティバンクやモルガン・スタンレーが行ったように、各銀行も、新たな融資を受ける機会を得るはずです。(参照:「シティ、アブダビファンドに株を売却」2007年11月27日、「モルガン・スタンレー、評価損を計上」2007年12月19日)


TARP - 銀行救済

TARPプログラム

2007年12月21日

定義:不良資産救済プログラム(TARP)は、2008年の10月に、7000億ドルにのぼる銀行救済法案の一部として生まれました。TARPは本来、逆オークションという仕組みを利用して、各銀行に、焦げ付いた不動産担保証券の販売価格を財務省に申し出る権利を与えるものでした。銀行側が、不動産担保証券ごとに売値を提案し、TARP側がその最安値を選んで買い取る、という手順です。しかし、財務省がお金を払いすぎる可能性もありましたし、銀行側も充分な価格では売れないのではないかと恐れたために、結局このプランは棚上げとなりました。

かわりに、財務省はTARP資金の1050億ドルを使って、次の8つの銀行の優先株式を買い取りました。バンク・オブ・ニューヨーク・メロン、ゴールドマン・サックス、J・P・モルガン、モルガン・スタンレー、バンク・オブ・アメリカ/メリル・リンチ、シティグループ、ウェルス・ファーゴ、ステイト・ストリートの8つです。この資本再注入プログラムは、各銀行に配当の5%を政府に支払うよう求め、さらに後にそれが9%まで上がることになっています。これは各銀行が株式を買い戻すことを促すためです。今後銀行の株価が上がるでしょうから、そこで政府は利益を得るわけです。

TARP資金は、

  • AIG(400億ドル)
  • 地方銀行(920億ドル)
  • 三大自動車メーカー(248億ドル)
  • シティグループとバンクオブアメリカ(450億ドル)

の優先株式の取得、または貸付のためにも使われました。

加えて、TARPから200億ドルが連銀のTALFプログラムに貸し出されました。しかし2008年、連邦議会ではTARPの7000億ドルの半分しか承認されませんでした。(財務省によると)残りは使われていません。

オバマ大統領は、各銀行に課税をし、TARPで失われるであろう1200億ドルから1410億ドルを、納税者に返還させようとしています。大統領は、銀行の活動の中でもリスクの高い活動から、10年を越える期間、徴税をしようと計画しています。これは銀行の日常的な業務に対する課税ではありませんが、(訳注:手数料の値上げなどで)利用者の負担になるかもしれません。(参照:「オバマ大統領、大銀行に課税かhttp://www.huffingtonpost.com/2010/01/13/too-big-to-fail-tax-obama_n_420358.html」)



TALF - クレジットカードなどの救済

ポールソン長官とバーナンキ議長、クレジットカードの貸し出し回復を狙う

2008年11月12日

財務省のヘンリー・ポールソン長官は、TARPプログラムの焦点を、時間のかかりすぎる焦げ付き不動産担保証券から、金融システムにもっと素早く資本を注入できる方法に移しています。この資本再注入プログラムでは、8つの大銀行に1150億ドルが注入されました。これらの銀行はわが国の金融資産のおよそ半分を所有しているのです。これを受けて、信用市場は緩和ぎみになり、LIBOR金利も下がりました。

ポールソン長官は、このプログラムで注入した資金は、民間のローンのレバレッジに使われるよう設計されており、さらに銀行以外の金融機関にも適用されるようになり、消費者信用市場の凍結の問題にも取り組んでいくものだ、と発表しました。クレジットカード、自動車ローン、学費ローンの1兆ドルの流通市場(訳注:既発債券が取り引きされる市場。(参照))が、現在停止状態です。この市場は本来、こういったローンの資金の40%を供給していました。そこで連銀は、この信用プログラムで財務省と協力することになるかもしれません。ポールソン長官は、プログラムの資金を規制外の金融機関に対して使うのを嫌がっています。つまり、自動車関連企業ですね。今年割り当てられたTARP資金3500億ドルのうち、残っているのは600億ドルだけなのです。

  • 400億ドルはAIGの優先株購入に充てられました。
  • 1250億ドルは、上位9大銀行の優先株購入に充てられました。
  • 1250億ドルは、全国の地域銀行の優先株購入に充てられました。

(参照:米国財務省、プレスリリース、2008年11月12日。AP通信、Dems see auto aid as Treasury shifts focus、2008年11月12日)

で、これがワタシに何か関係あるの?


消費者のローンの流通市場を救済しなければ、多くのクレジットカード会社、自動車ローン会社がキャッシュフローに問題を抱えることになりかねません。そして、サーキット・シティ社のように破産に追い込まれるところも出てくるでしょう。加えて、クレジットカードローンが(住宅ローンがそうだったように)、審査がぐっと厳しくなって、消費者支出を締め付けることになるでしょう。



MMIFF - 短期金融市場の救済プログラム

連銀、金融市場救済のため、5400億ドルの貸し出し

2008年10月21日

連銀は、各MMF(訳注:短期社債等で運用する投資信託の一種。当座預金のように利用する個人、企業が多い。リーマン・ショックを受けて解約が殺到した)が一斉解約に耐えられるだけの現金をまかなえるように、5400億ドルを貸し出すと発表しました。8月以来、5000億ドル以上の資金がMMF市場から引き上げられています。これは、大変多くの企業が、当面の資金としてMMFに預けていたものです。銀行が貸し出しを渋っていたため、LIBOR金利が高どまりし、企業は資金をため込むようになっています。

連銀のMMF救済プログラム(MMIFF)は、JPモルガン・チェースによって管理・運用されることになりました。MMIFFは、返済期限が90日以内の譲渡性預金証書、コマーシャル・ペーパー(短期社債)などを6000億ドルまで買い取れることになっています。足りない600億ドルは、各MMF自身から調達される予定です。コマーシャル・ペーパーの一部をMMIFFから買い戻す義務があるのです。

9月19日、連銀は、資産保証付きコマーシャル・ペーパー短期金融市場相互ファンド流動性プログラム(ALMF)を作りました。この制度は、1228億ドルを銀行に貸しだし、各MMFからコマーシャル・ペーパーを買い上げさせるためのものです。10月15日の時点で、1228億ドル分の未払い債券がありました。9月21日には、財務省が各MMFの500億ドル分を保証すると発表しました。連銀がこの新しい買い取りプログラムを発表したことは、信用市場の一部がまだその機能を停止していることを示しています。(参照:連銀、プレスリリース、2008年10月21日。ブルームバーグ、Fed to provide $540 billion to aid money funds、2008年10月21日)




短期社債買取プログラム

連銀の1.7兆ドルの民間向けローン・プログラム、本日開始

2008年10月27日

連銀は今日から民間銀行になります。お金を貸してくれる銀行が見つからなかった企業の短期社債を1.7兆ドルまで買い上げることを約束したのです。金利は2%から4%になる見込みで、平時なら高めの金利ですが、最近のLIBOR金利からみると低い値です。連銀は先週、リスクが少ない企業の三ヶ月社債を購入する契約をすませています。モルガン・スタンレー、ジェネラル・エレクトリック社の金融部門、フォード自動車クレジット、GMAC LL社などです。

連銀は、10月7日、企業が営業を続けるのに充分なキャッシュフローを供給するために、このプログラムを発表しました。コマーシャル・ペーパーは、企業が賃金を支払ったり、毎日の請求書の支払いの際の資金源です。合衆国内のコマーシャル・ペーパーは1兆4500億ドルで、これは9月のはじめからみると、3500億ドル、20%も減ってしまっているのです。(参照:WSJ.com、IOU, Uncle Sam: Loans Start Today、2008年10月27日)

で、これがワタシに何か関係あるの?


連銀のこのローンプログラムは、キャッシュフローが足りないせいで倒産する企業を減らすためのものです。ワシントン・ミューチュアル社がそのように経営破綻してしまいましたね。また、流動性の不足の問題がありましたから、このプログラムによって金利も低くなるはずです。何より重要なのは、これで1929年の大恐慌のような世界的規模の不況を防ぐことができそうだ、という点です。大恐慌は流動性の不足と、それによる破産の連鎖によって引き起こされました。



ゼロ金利政策

連銀、金利をほとんどゼロに

2008年12月17日

FOMC(訳注:連邦公開市場委員会。連銀の政策を決定する場)は、FF金利を大幅に低下させました。「0.25%から0の間」というもので、連銀史上もっとも低い金利です。これはつまり、連銀は金利のコントロールを失ったことを意味します。そして、連銀は経済を刺激して不況から脱出するために、手持ちのそのほかのツールを使っていくことになります。連銀のベン・バーナンキ議長は、焦げ付き不動産担保付き債券を買い上げる可能性もある、と述べています。これは、各銀行が再び貸し付けを行えるようにするための処置です。そして同時に、FOMCはディスカウント金利を0.5%に引き下げました。

連銀は、世界経済がより深刻な不況に落ち込まないようにするためには、素早く、アグレッシブに行動しつづけなくてはならないと考えています。

この秋、石油価格が下落していることから、連銀はインフレについては懸念していません。連銀のアクションは、拡張的金融政策でもって金融市場を下支えしていくという決意の、さらなるシグナルとなるでしょう。(参照:FOMCステートメント、2008年10月29日)

で、これがワタシに何か関係あるの?


連銀の目標は、LIBOR金利を引き下げて、一つでも多くの住宅ローンのデフォルトを防ぎ、変動金利住宅ローンを支払い可能な水準に留めておくことです。連銀は今、最後の貸し手として振る舞っています。つまりこの場合、連銀がお金を貸し出す意志のある唯一の銀行である、ということです。連銀が発表した多くのプログラム、民間貸し出しプログラムやクレジットカードの返済困難な負債の買い取りは、まさに今動き出したばかりですから、効果があらわれるまでは今少し時間がかかります。



財務省による金融安定化プログラム

ガイトナー長官、2兆ドルの金融安定化プラン発表

2009年2月17日

財務省のティム・ガイトナー長官は、新たな金融安定化プランの一環として、銀行貸し出しを復活させるために2兆ドルを用意すると述べました。このプランの資金の半分は、焦げ付いた不動産担保付き債券を各銀行から買い上げるために使われます。ガイトナー長官によれば、5000億ドルは、新しく設立される官民投資プログラムで用いられます。これが1兆ドルまで拡張されるかもしれません。このプログラムは、民間の投資機関が焦げ付いた資産を買う際に資金を提供していくものです。

プランのもう半分は、連銀による消費者および企業向け融資イニシアティブです。このプログラムは連銀のTALFプログラムの拡張版です。TALFプログラムは、停止状態にあったクレジットカード、自動車ローン、学費ローンの1兆ドルの流通市場の救済策でした。通常ならば、こうしたローンの40%の資金を、民間セクターの市場が供給していました。

で、これがワタシに何か関係あるの?


ガイトナー長官が示したパッケージには、各銀行が持つ住宅ローンの抵当権執行を防ぐため、両プログラムから500億ドルの資金が供給されることも含まれています。銀行はローン契約を修正して、支払額を減らさなくてはいけません。

連邦政府のこのさらなる介入は、各銀行の焦げ付き資産をさらに1兆から2兆ドル減らすために必要なものです。これは、10年続く日本式の不況を防ぐために必要な策なのです。




LIBORとは何で、どうして高くなっていて、それが自分に何の関係があるのか?

2007年12月19日

読者からの質問です。
昨日、New York Timesの、LIBOR金利が多くの中央銀行の金利と矛盾している、という記事を読んで思ったのですが、LIBOR金利が元のままだったとしても、その影響がサブプライムの借り手だけでなくて中央銀行や民間の銀行にも及ぶことになっていたのでしょうか?
この質問にお答えするには、まず、LIBOR金利が何なのか、その仕組みと重要性を説明する必要がありますね。LIBORとは、London InterBank Offered Rateの頭文字です。これは、銀行がお互いに資金の貸し借りをする際の金利の、世界的な目安なのです。合衆国の場合、連銀が決めるFF金利が通常、LIBOR金利とかけ離れないようになっています。

2007年の銀行の流動性危機の結果、各銀行はお互いに資金を貸し出すのを恐れるようになりました。そのためにLIBOR金利がFF金利と関係なく上昇してしまったのです。連銀は、各銀行が資金の貸し借りを再開できるようにLIBOR金利を下げようと試みています。ですが連銀の思惑通りには行っていないのが現状です。実のところ、金融市場の安定化が実現しない限り、LIBOR金利は、FF金利との仲むつまじい日常には戻ってこないかもしれません。(参照:Fed Governor Kroszner Says Credit Crisis May Not Be Over、2007年10月22日)

で、これがワタシに何か関係あるの?


変動金利の住宅ローンの多く、そしてクレジットカードの金利は、LIBORをベースに決められています。金利が変更されるときにLIBORが高いと、月々の支払額も高くなります。こういうタイプの融資を受けていれば、こうして家計がきつくなっていくんですね。このような融資を受けていないとか、クレジットカードの支払いは毎月全額払っているという場合でも、LIBORが高ければ経済の中の流動性が下がってしまいます。これが来年2008年に不況の引き金を引いてしまう可能性があるのです。




量的緩和って何?


イントロダクション


連邦準備銀行(連銀)は、経済のパフォーマンスと金融市場に対してますます積極的な役割を担うようになっています。またそのための道具もたくさん持ち合わせています。その中でも一番知られた道具が、短期金利を変更する能力です。これによって経済のトレンドと、満期に関わらずすべての債券の利回りの水準に影響を与えるのです。中央銀行が経済成長を刺激したいと考えた場合、低金利政策を実施します。逆にインフレを抑えたいときは金利を高く維持します。しかし近年、このアプローチが問題に直面しているのです。連銀は金利を事実上のゼロにまで下げきってしまったのです。つまり、もはや連銀は、金利政策で経済成長を刺激する能力を持っていません。この問題にせっつかれる形で、連銀は武器庫に別の武器を探しにいきました。それが量的緩和です。

量的緩和、その基礎


まず、量的緩和の意図とはどんなものか考えていきましょう。連銀(あるいはどこの中央銀行でもかまいませんが)は、お金を作り出して、債券やその他の金融資産を各銀行から買い上げることで、量的緩和を実施します。こうして各銀行では、貸し出しに使える現金が増えるわけです。貸し出しが勢いよく増えると、回り回って、資金調達が上手く行きやすくなるはずですね──たとえば、新しいオフィスビルの建設計画の資金などです。こういった計画によって、人々が仕事に就くことができますから、そうして経済の成長につながっていくのです。加えて、連銀が買い上げることで債券の供給が減り値段が上がりますから、利回りが下がります。利回りが下がると、回り回って、借り手のコストが下がり、経済が拡大していく燃料を注ぎ込むことになるのです。

これが、量的緩和というアイディアが、少なくとも理論上は上手くいく仕組みです。しかし現実には、銀行は増えた現金を貸し出さなきゃいけないわけではないのです。もし銀行が貸し渋っていたり、いまいち投資活動に自信がないという状態であったら(2008年の金融危機以降のここ数年がまさにそういう状態でしたが)、マネーサプライが多くても、連銀が想定していた通りの成長のエンジンとはならないかもしれません。

QE1とQE2

(訳注:量的緩和は英語でQuantitaitive EasingなのでQE)
2008年の金融危機のさなか、経済の低成長と高い失業率のために、連銀は、2008年の11月から2010年の6月までの期間、量的緩和政策を行うことで経済を刺激せざるを得なくなりました。この政策プログラムが終了したその直後、低成長、ヨーロッパの債務危機の勃興、そして金融市場の新たなる不安定という形で問題が表面化してきました。連銀は、量的緩和政策の第二ラウンド、QE2に突入していきます。これには6000億ドル分の短期債券の買い入れが含まれていました。QE2は、2010年の11月から2011年の6月まで行われ、金融市場で激論を引き起こしましたが、しっかりとした経済成長を生み出すことはありませんでした。QE1の場合と同様、QE2が終了したあとも、物足りない経済指標とパッとしない株式市場のパフォーマンスが続いただけでした。市場はすぐに、量的緩和の次のラウンドを期待するようになりました。これがQE3と呼ばれているんですね。

この20年の間、量的緩和は、日本銀行、イングランド銀行、そしてヨーロッパ中央銀行で採用されています。

量的緩和への反論


連銀のQEプログラムには、政治的な立場を越えて激しい批判があります。量的緩和への反論の中には、

  • QEは経済よりも銀行を救済しているだけだ。銀行は、貸し出しを積極的に増やすよりも、現金を「キープ」することで自分のところのバランスシートを強化することを選べるのだから。

  • お金を生み出すことで、連銀は外国の通貨に対するドルの競争力を削いでいる。(需要と供給ですね。需要が一定であるとして、ドルの供給が多いほど、その値段が下がっていきます。この場合、一ドルで買える外国通貨の「量」が少なくなる、ということです。)

  • マネーサプライの増加はインフレを生み出す。連銀の政策の実施と、その影響が経済に反映されるのにはズレがあるから、インフレが抑えられないほど急激に進むかもしれない。

  • ドルの大供給が、ゆっくりと増えている財の供給に追いつくとき、量的緩和は資産価格の「バブル」を生み出す。実際、量的緩和政策の後には、コモディティ価格の急激な上昇があり、消費者物価を押し上げた。


これらの批判によって、普通ではありえないような反対運動連合が形成されています。ロン・ポール氏のような保守派から、「ウォールストリートを占拠せよ運動」まで量的緩和に反対しています。「連銀をお払い箱に」というかけ声は、量的緩和政策が始まる頃にはすでに相当大きなものになっていました。しかし同時に量的緩和政策は、金融危機に続く深刻な不況から世界経済が立ち直るのに役だったのだと認められてもいるのです。

QE3はあるのか?


2012年の6月時点では、連銀が量的緩和をもう一度実施する可能性はかなり高くなっています。さまざまな機会を通じて、連銀のベンジャミン・バーナンキ議長は、条件がそろえば米国経済にさらにお金を注ぎ込んでいくことをハッキリと述べています。さらなる量的緩和の実施の引き金となりそうな出来事といえば、米国経済が再び不調になるとか、ヨーロッパの債務危機が悪化するとか、合衆国の政治家が年度末を迎えるまえに「財政タイムリミット(fiscal cliff)」に対処できなかった場合などでしょう。

(訳注:財政タイムリミット(fiscal cliff: 財政の崖)とは、2013年度から各種の増税が実施されることになっていて、それが不況の引き金となるかもしれない、という懸念のこと。今年度中に議会が妥協策をまとめなければ、数千億ドル規模の増税が実施されてしまう)

連銀はまた、「オペレーション・ツイスト」という政策も実施してきました。これはお金を刷らずに経済を刺激するよう設計された政策です。これについては私の「オペレーション・ツイストとは何か?」という記事をみてください。



オペレーション・ツイストとは何か?


「オペレーション・ツイスト」は、2011年後半から、連邦準備銀行(連銀)の指揮で行われる、経済の活性化を狙った政策プログラムです。連銀の主導で長期国債を買い上げ、同時に短期国債の一部を売る政策のニックネームがオペレーション・ツイストで、過去に実施されたことのある政策です。この「オペレーション・ツイスト」という言葉が最初に使われたのは1961年です。チャビー・チェッカーの歌にも出てくる言葉で、連銀はこの時と似た政策を試みたのです。

オペレーション・ツイストは、大きく二つの部分からなります。一つは2011年の9月から2012年の6月までの期間実施され、連銀の資産の4000億ドル分が転換されます。二つ目は、2012年7月から同年の12月まで実施され、総額で2670億ドル分になる予定です。連銀は、オペレーション・ツイストの後半は、依然低成長のままである米国経済への対策であると発表しました。

何でツイストなの?


この政策のアイディアはつまり、連銀が長期の債券を購入することで、債券の価格を上昇させ、金利を下げることができる、というものです(債券の価格と金利は正反対に動きますからね)。そして同時に短期の債券を売ることで、金利があがることになります(価格が落ちるでしょうから)。このプログラムは、買いと売りの二つのアクションを組み合わせると、イールド・カーブ(訳注:債券の利回り曲線)が「ツイスト」するところからつけられたのです。

連銀はどうして長期国債の金利を下げたいの?


長期金利が低下すると、家を買おう、車を買おう、事業の計画を進めようとする人たちにとってローンが払いやすくなりますから、これによって経済成長が促進されると見込まれているのです。

オペレーション・ツイストの前に連銀は何かしたの?


オペレーション・ツイストは、2008年の金融危機に対応して連銀が行った大政策シリーズの三つ目です。最初はまず、短期金利を事実上のゼロ金利にまで下げました。これによってわれらが中央銀行は、経済成長を狙ってこれ以上金利を切り下げることができなくなりました。そこで打った次の手が、量的緩和です。これは、より長期の米国債と不動産担保付き証券を公開市場から買い上げることで、長期金利を下げようという試みでした。連銀は量的緩和政策を2ラウンド行い、市場関係者はこれを「QE1」と「QE2」と呼んでいます。2011年の夏、QE2の直後に、わが国の経済は再び失速する様相を呈してきました。すぐさまQE3を発動するよりも、連銀はまずこのオペレーション・ツイストを発表したのです。

オペレーション・ツイストの反応はどんなものだったの?


この政策プログラムのちゃんとした発表に先だって、長期金利は、政策の実施の期待を反映し始めました。そういう意味では、この政策は短いスパンでは目的を達したといえるでしょう。しかし、長いスパンで見ると、まだ判決は出せません。1961年版のオペレーション・ツイストの研究では、米国債の金利は0.15パーセントポイントしか下がりませんでした。そして住宅ローン金利と企業の借り入れ金利にもほとんど影響がありませんでした。

金融関係者の中では、オペレーション・ツイストには経済を好転させたり、失業率を下げる力は無い、と見られています。ブルームバーグは42人の経済学者にアンケートを行い、その61%がこのプログラムには効果が無いだろうと答え、15%が景気回復の妨げにさえなる、と答えています。実際に、金融危機のどん底からオペレーション・ツイストの開始までの3年間、連銀の数々の政策にも関わらず、経済は停滞したままで、失業率は高止まりしています。これは、連銀による超低金利政策のもとでも、ローンの需要が低いままであることを意味します。

この政策への反応は、USAトゥデイに載ったワシントン大学のグレン・マクドナルド経済学教授の言葉が一言でよく表していると思います。教授はオペレーション・ツイストをして「大きないびき」と呼んだのでした。





訳してみて


連銀っていろいろやってたんだなあ、というのが訳してみた感想です。非伝統的な金融政策への非難はいろいろありますが、これだけやってデフレにならず、ハイパーインフレにもならず、経済は(日本よりは)成長し、失業率は理想的とは行かないけれど改善したんですから、これだけの手を打たなければもっとヒドいことになっていた、と考えていいんじゃないでしょうか。

いや、連銀が企業を救済しなければ今頃もっと景気は良くなっていたはずだ、という主張もありえますが、日本の現状を見ると、なかなか度胸のいる発言ではあります。

連銀はその後インフレターゲットを導入するわけですが、やはりこれだけいろいろ手を打った後だと、人々の物価予想にも良く効くんじゃないでしょうか。現に、連銀の掲げた2%という目標値はすでに長い間達成され続けてきた数値です。今後連銀がこの目標値を大きくはずすと考える材料がないわけですね。

そう考えると、連銀のインタゲは、ここ十年でほとんど達成したことのない目標値を掲げた日銀とは説得力が違います。方法も、意気込みすらも示さず、かつてほとんど達成できていない目標値を掲げるというのは、無責任でなくてなんというんでしょうかね。

cover
円のゆくえを問いなおす
実証的・歴史的に見た
日本経済
片岡剛士
日銀の政策の評価については、これはもう片岡剛士著『円のゆくえを問いなおす』を読んでもらうのが一番でしょう。日銀の政策に何が欠けているのか、そこが本当に丁寧に、そして詳しくデータに沿って解説されています。このデフレ、円高、不況が、究極的には日本人の不勉強から来ているのがよくわかると思います(反省)。

さて、連銀のバーナンキ議長は、QE3の具体的な話は避けつつも、「追加措置を講じる用意がある」と表明しています(参照)。ヨーロッパの債務危機の先行きが危ぶまれる中、日本人の経済生活をあずかるわれらが日本銀行は、危急の事態に備えて何かしているんでしょうか。日銀の方針が、専門家にしかわからない記事や観測気球的な記事ではなく、堂々のステートメントとして新聞に載るような日々が訪れることを願ってやみません。


2012年7月14日土曜日

かの国の名に心胆寒からしめるの巻


お隣の国の名は中国ですが、これは当然中華人民共和国の略、あるいは世界の中心という意味での中国なわけです。従前は支那と呼んでいたけど今はそれはダメだ、ということになっているというのも、もうおなじみのところですね。

支那と英単語のchinaの根っこは同じで秦なのだ、というのもやっぱりおなじみのお話。ホントかどうか、僕は知りません。

僕は中国語はさっぱりなんだけど、こんな英語の記事を見かけたのでご紹介。(元記事のコメント欄でいきなり支那だの空海だのが出てきて驚いちゃうんですが、なんと英語のWikipediaに支那が立項されているんですね。支那そば、シナチクにまで言及してます。)


中国の(ったってその国土同様広大でしょうが)ネットで、ちょっとしたジョークがある由。英語のchinaを、中国語でどう表記するのか、というジョーク。日本語で、clubを倶楽部と書くみたいなことで、chinaという英単語の「音」を漢字でどう表現しましょうか、ということです。

独身の男性なら、妻哪でchinaだよね、となるんだそうで、妻はまあそのままですが、哪は「どこに」という意味だそうです。つまり嫁さんどこだ? なわけですが、ま、音のほうは qīnǎ となるそうで、四声とかちんぷんかんぷんですが、chinaと似てる、という程のことなんでしょう。

元記事には、女たらしの場合「妾哪」(愛人どこだ?)、役人の場合「权哪(权は権)」(権力どこだ?)などにつづいて、最後に、そりゃウチの政府に言わせれば拆哪と書いてchinaだよ、どっとはらい、という落ちです。拆哪でもチャイナ、という発音(あるいはそれに近い音)になるんだそうです。

改訂版の新字源を見ると、拆(タク・セキ)は手と斧でうつ動作と音を表しているとのこと。手で裂く、ぶちこわす、tear downといった意味です。哪は「どこを?」でしたから、つまりこのジョークは、政府が何の前振りもなしに、人が住んでいる建物を勝手にこわしちゃう、その標的を探しまわっていることをネタにしているわけですね。

え? 中国政府ってそんなことするの? いやー、おっかないですなあ。という表題なのでした。

2012年7月3日火曜日

[訳してみた] デフレとは何で、どうすれば防げるのか

About.comというところに、デフレについての基本的な解説があったので訳してみました。経済学関連翻訳ブログ『道草』にはとても載りそうにない初歩的な解説です。これであなたも道草を読みこなせる! といきますかどうか。

解説の執筆者はMike Moffattさん。カナダの経済学の先生だそうですが、現在はAbout.comの記者さんではないようです。(About.comのプロフィール)(wikipediaのページ

この解説を読むと、毎度おなじみの「日銀はすでに金融緩和を行っていて、市中の銀行はお金がジャブジャブになっているのでこれ以上は意味がない」という主張のナンセンスさがよくわかると思います。

では本文をどうぞ。まずはMoffatt先生への質問のメールからはじまります。

原文はAbout.comのWhat Is Deflation and How Can it Be Prevented?です。(リンク) 記事に日付がないので書かれた正確な時期は不明ですが、2002年の年末以降のようです。


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(翻訳はじめ)


デフレとは何で、どうすれば防げるのか

お金を刷ってデフレを克服する




Q:今メディアで、デフレになるんじゃないかというのが話題です。デフレが何なのかということと、デフレになったらどんな面倒が起こるかということは知ってるつもりです。で、政府がお金を刷るとインフレになるんだったよな、とも思うんです。ということは、この二つを「事実」から言って、デフレを防ぎたいなら、政府がお金を刷ればいいだけなんじゃないのか、と、こう思うわけです。(なんて単純おバカなデフレ対策でしょう!)

お金を刷ることというのは、何かお金を刷る以上の問題があるんでしょうか? 刷ったお金を出回らせるのは、連銀が債券を買うことで、その代金が経済に注入されるということですよね? 一体どんな理屈でお金を刷るとインフレになるんでしょうか? そうやってデフレを解消することは、現在の低金利にも影響を与えるんでしょうか? 与える(あるいは与えない)としたらどうしてでしょうか?

A:デフレは2001年ごろから話題になってきましたね。そしてデフレ懸念は当面消えそうにありません。まずは、ご質問ありがとうございました。

デフレとはなにか?

当サイトの経済用語辞典によると、デフレーションとは、「物価の低下が持続すること。インフレーションの対義語。インフレ率(計測法方は複数ある)がマイナスの場合、その経済はデフレ期である。」とあります。そして『なぜお金には価値があるの?(Why does money have value?)』という記事では、お金の価値が商品よりも相対的に低くなったときに、インフレが起きると説明しています。ですから、デフレは単純にその逆の場合に起きるのです。つまり一定期間、ある経済圏のなかで、お金の価値が、商品よりも相対的に高くなった場合です。その記事のロジックにしたがえば、デフレは以下の四つの要素が組み合わさって起きると考えられます。

  1. お金の供給量が減った
  2. 商品の供給量が増えた
  3. お金に対する需要が増えた
  4. 商品に対する需要が減った

デフレは一般的には、商品の供給がお金の供給よりも大きくなったときに起こります。上の四つの要素を満たしていますね。この四つの要素は、なぜ価格の上がる商品と下がる商品があるのかを上手く説明しています。パーソナルコンピューターの価格は、この15年間でどんどん下がってきました。これは、技術の進歩によって、PCの供給がお金の供給を上回ってきたからです。1980年代には、1950年代の野球カードが急激に値上がりしました。これは野球カードの需要が増大したことと、野球カードとお金の供給量が基本的に変わらなかったことによります。ということで、デフレが心配ならお金の量を増やせばいいじゃない、というご提案は、上の四要素をみた限りでは、ナイスですね。

そこで連銀はお金の供給量を増やすべきだ、と結論づける前に、デフレの害がホントはどの程度のものなのか、そして、連銀はお金の量を変えることができるのか、そこをハッキリさせておきましょう。まずは、デフレによって引き起こされる問題のほうを見ていきましょう。 たいていの経済学者は、デフレを経済の病気であると見なすこと、そして、別の病気の一症状だとみなすこと、このどちらにも同意するはずです。『デフレーション:そのメリット、デメリット、そしてその厄介なところ(Deflation: The Good, The Bad and The Ugly)』という記事の中で、キャピタリズム・マガジン(Capitalism Magazine)のドン・ラスキンさんは、ジェイムス・ポールソンさん(訳注:証券会社のエコノミスト)の「良いデフレ」と「悪いデフレ」という区別を検証しています。ポールソンさんのこの分類は、明らかに、彼がデフレを、別の経済上の変化による症状と見なしていることを示していますね。ポールソンさんによれば「良いデフレ」は、企業が「コスト削減と効率性の向上を追求した結果、商品をどんどん安い価格でコンスタントに作れるようになる」ときに起こるといいます。これはまさに、先ほどのデフレを引き起こす四つの要素の二番目、「商品の供給量が増えた」に相当しますね。ポールソンさんは、これが「GDPの成長を力強くし、利益の成長を大きくのばし、しかもインフレにせずに失業率を低くできる」ので「良いデフレ」なのだ、としています。

「悪いデフレ」のほうはもっと定義の難しいコンセプトです。ポールソンさんはシンプルに、「悪いデフレとは、販売価格のインフレ傾向が低いにも関わらず、企業がもうコスト削減や効率性の改善を続けられないときに起こる」としています。ラスキンさんも私も、この考え方はちょっと受け入れられません。このような説明は、物事の一面でしかないと思うのです。ラスキンさんは、悪いデフレは実際には「一国の中央銀行による、その国の会計通貨単位の再評価」なのだ、と結論づけています。これは煎じ詰めて言えば先ほどの4要素の一番目、「お金の量が減った」にあたります。ということで、「悪いデフレ」はお金の量が相対的に減ったことで起き、「良いデフレ」は商品の量が相対的に増えたことで起きる、というわけです。

と、このような説明には、根本的に欠陥があるのです。というのも、デフレは「相対的な」変化によって引き起こされるものだからです。ある年の商品の供給量が10%増え、お金の供給量は3%しか増えなかったら、デフレになりますね。ではこれは「良いデフレ」でしょうか、それとも「悪いデフレ」でしょうか? 商品の供給が増えているんですから、「良いデフレ」なんですけど、中央銀行のお金の供給がそれに追いついていないのですから、「悪いデフレ」でもあるはずです。「商品」なのか「お金」なのかを問うのは、「両手をパチンと合わせたとき、音を鳴らしたのは右手か左手か」と問うようなものです。「商品の量が急速に増えた」とか「お金の量の増え方が遅すぎる」という表現は、根っこでは同じことなのです。だって商品とお金をつきあわせて比べてるんですから。なので、「良いデフレ」と「悪いデフレ」という用語にはもうお引き取りを願うべきでしょう。

デフレを病と見なすこと、最近ではこちらのほうが経済学者の同意を得やすいでしょう。ラスキンさんは、デフレの真の問題は、商売上の取引関係をぶちこわすことにある、と言っています。「お金の借り手から見れば、契約上支払うべきローンの購買力が大きくなっていき、同時に、ローンで購入した資産が名目価格で減少し始める。貸し手から見れば、デフレ下では借り手がローンによって破産する確率が上がる」としています。

ノムラ・セキュリティーズのエコノミスト、コリン・アッシャーさんはRadio Free Europe(訳注:該当するページが見つからなかったので、ホームページにリンクしておきました)で、デフレの問題は、「デフレになると、衰退の連鎖反応がおきることににあります。企業の利益が少なくなるので、人を雇わなくなります。すると、人々はお金をあまり使わないようにしようと考えるようになり、それを受けて、企業の利益がさらに減ります。これらすべてが、衰退の連鎖となっていくのです。」と述べています。さらにデフレには心理的な作用もあり、「人々の心理に深く根ざし、自己増殖していきます。消費者は車や家といった高価な商品をあきらめるようになるのです。だって将来値下がりすることが分かっているんですから」とも。 CNNマネーのマーク・ゴングロフさんも同様の意見です。ゴングロフさんによれば「人々にモノを買う意志が無い状態で価格が下落していると、消費者が購入を延期する悪循環につながります。モノが今後もっと安くなるって皆知っているわけですからね。すると、企業は利益を上げられなくなったり、借金を払えなくなったりします。そうなれば、生産や雇用を縮小させます。するとさらに商品への需要が低下し、さらなる低価格につながっていくのです。」

デフレについて一家言ある経済学者全員にアンケートをとったわけではありませんが、デフレについてのざっくりとしたコンセンサスがどんなものなのかは、なんとなく分かっていただけたのではないでしょうか。

さらに見逃されがちな心理的要素として、ほとんどの労働者は自分の賃金を名目値でみている、という点があります。広く一般の物価が下がっているのだから、賃金だって下がっているはずなんだけど……、というところにもデフレの問題があります。現実には、賃金は下がる方向にたいしてはかなり「べたついて」下がりにくいのです。物価が3%上がり、社員の賃金も3%上がれば、大まかにいって、上る前と何も変わっていません。これは、物価が2%下がって、社員の賃金が2%カットされたときでも同じです。しかし、社員が賃金を名目でみていた場合、3%増えたほうが、2%減るのよりもうれしいはずです。低めのインフレが起きていれば、産業内で賃金の調整をするのは簡単ですが、デフレは労働市場の硬直を引き起こします。この硬直はやがて、労働力の活用という点で非効率を引き起こし、経済成長を鈍化させます。

さて、ここまでデフレが望ましくない理由をいくつか見てきました。今こそ「デフレ対策として何ができるか」と問わねばなりません。初めの四つの要素のうち、一番コントロールが簡単なのが、一番目の「お金の供給量」です。お金の供給量を増やすことで、インフレ率を引き上げることができますから、そうしてデフレを防げばいいのです。

なぜこれが上手くいくのかというのを理解するためには、まずお金の供給量(以下マネーサプライ)の定義を知る必要がありますね。マネーサプライというのは、みなさんのお財布に入っているお札やコインことだけではありません。経済学者のアンナ・J・シュウォーツさんによれば、マネーサプライの定義は以下のようになります。

「合衆国のマネーサプライは、通貨(連邦準備制度と財務省によって発行されるドル紙幣とコイン)と、民間の銀行とそのほか信用組合、貯蓄貸付組合などの金融機関に一般の人々が預けている種々の預金で構成される。」

そして、経済学者がマネーサプライを調べる時に使う基準は、大きくいって三つに分かれます。


M1:お金の交換媒介としての機能に絞った小さめの計測基準
M2:お金の価値保蔵の機能も含めたちょっと広めの計測基準
M3:お金の代替物と見なされるような金融商品も含めたかなり大きめな計測基準 

(訳注:見やすくするために書式を変えています。文はそのままです。)」

連銀には、マネーサプライを変化させるために自由に使える手段がいくつもあります。そうしてインフレ率を上げたり下げたりしているんです。連銀がインフレ率を変化させるために一番よく使う手は、金利の操作です。連銀が金利を変化させることで、マネーサプライも変化するのです。仮に、連銀が金利を下げようと考えているとしましょう。これは、代金を支払って国債を買い入れることで実現できます。債券を市場から買うことで、債券の供給量が減りますね? するとその債券の価格が上昇し、金利が下がるのです。債券の価格と金利の関係は、私の『配当税カットと金利(Dividend Tax Cut and Interest Rates)』という記事の三ページ目で説明してあります。連銀が金利を下げたいと考えたとき、連銀は国債を購入し、そうすることでお金を市場に注入します。債券を受け取るには、持ち主さんにお金を渡さなくてはいけませんからね。このように、連銀は、国債を買って金利を低下させることで、マネーサプライを増やすことができるのです。逆に、国債を売って金利を上げて、マネーサプライを減らすこともできます。

金利の操作は、インフレ率を下げたり、デフレを防ぐ際に普通に使われる手段です。CNNマネーのゴングロフさんは、連銀の研究を参照して、「一例ですが、日本のデフレは、1991年から1995年の間に日本銀行が、金利をもう2%低くするだけで防げていたでしょう」と言っています。コリン・アッシャーさんは、金利があまりに低すぎて、この方法でデフレをコントロールすることができなくなる場合もある、と指摘しています。まさに日本が現在そのような状況で、金利は事実上ゼロになっています。金利の操作は、状況がそろっていれば、マネーサプライを変化させてデフレを抑える手段として有効だ、ということですね。

ついに大本の質問にたどり着きました。「お金を刷ることというのは、何かお金を刷る以上の問題があるんでしょうか? 刷ったお金を出回らせるのは、連銀が債券を買うことで、その代金が経済に注入されるということですよね?」そう、それこそ今見てきたことなのです。連銀が国債を買うためのお金だって、どこかからやってきたお金のはずですよね? 通常、公開市場操作(訳注:中央銀行が市場で国債を売買すること)をする際、連銀は単にお金を無から生み出して使っているのです。ということで、経済学者が「お金をもっと刷る」「連銀が金利を下げる」と言う場合、たいていそれは同じ事を指しています。日本のように、金利がすでにゼロになってしまっている場合は、もうそれ以上何かできる余地というのはほとんどありません。ですからこの方法でデフレと闘ってもあまり上手くいかないでしょう。幸い、合衆国の金利は日本ほど低くありませんけどね。

さて、来週は、マネーサプライを変化させるための、他にもよく使われる方法を見ていきましょう。合衆国も今後、デフレと闘っていくためにそういった手段も検討していく必要が出てくるかもしれません。

(翻訳おわり)
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さて、「お金ジャブジャブ説」の問題点がおわかりでしょうか。そうです、デフレじゃん! ということですね。お金がジャブジャブだろうが、大蔵省がしゃぶしゃぶだろうが、今日本はデフレなんです。デフレにはこの解説にあるような大きな害があるんですから、ゼロ金利だから何もしない、などという選択肢なんて本来あるはずもないのです。「お金ジャブジャブ説」はまるで、船は絶賛沈没中だけど、バケツで水をくみ出してるからもう何もしない、と言っているようなもの。いや、沈んでるから! ものすごく! どうしてこんな主張が大手メディアに乗り続けているんでしょうか?

最後に、来週はそのほかのデフレ対策を、とMoffatt先生が書いてますけど、その記事が見あたらないんですよね。ということで、手前味噌ではありますが、当ブログの過去記事から、デフレ対策を扱ったものをご紹介しましょう。

勝間和代のBook Loversを聴いた その1
勝間和代のBook Loversを聴いた その2

飯田泰之×宮崎哲弥 トークセッションに行ってきた


どれも長いですけど対談です。ちょいと覗いてみてください。

追記
7月6日:ツイッターで@maedaさんからご指摘をいただきました。ありがとうございます。「会計通過単位」と「債権」を「会計通貨単位」と「債券」に改めました。

7月13日:Wikipediaによりますと、「2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を良いデフレとして問題ではないとする立場をとった。」(参照)とのこと。さらに昨年の段階で与謝野馨経済財政担当大臣(当時)は、「(略)1%そこらの物価の下落というのは、物価上昇に比べて、むしろ望ましい姿であるかもしれないし、もしかしたら生産性が高まっている所以かもしれないというので、あまりデフレを強調し過ぎて、デフレだ、デフレだと言って自己暗示にかかる経済というのはあまり良くない議論だと私個人は思っています。」(参照)とのこと。さて2012年、日本は良いデフレ論を乗り越えることができるんでしょうか。嘆息。

2012年6月28日木曜日

[訳してみた]なぜまともな人に仕事がないのか

『なぜまともな人に仕事がないのか』という本の著者のインタビュー記事がとてもおもしろかったので、訳してみました。もとサイトはペンシルバニア大学ウォートン校のものです。えー、ちなみに本は読んでません。iPhoneのkindleアプリでも積ん読ってできるんですね、知らなかったなー(棒) ま、そのうち読むかもしれません。

 さて著者は経営学の教授さんだそうで、その人が書いた『なぜまともな人に仕事がないのか』なのですから、これはもう嫌な予感しかしないわけです。国際競争力ガー、生産性ガーという話なんじゃないの? やだよ、そんなの。というのが経済学関連書を読む現代日本人の正しい反応というものでしょう。

 あに図らんや、おとうと図るや、このピーター・カペリ教授、失業者が増えた理由の第一を、そもそも仕事が少なからだ、と言明しております。ということでどうかご安心ください。

 日本でも雇用のミスマッチとよく言われるけれど、アメリカでも同様なようで、カペリ先生、そこに噛み付いています。それは企業側の言い分に過ぎないし、現実に起きていることとはちがう。企業が人々に押し付けている雇用プロセスが本当に効果を発揮しているのか、それを検証する責任が企業にはあるのだ、とのこと。他に、空きポストを放置するコスト、報道に対する批判、などが話題になっています。

 これは日本でもいえますね。若い人の就職活動があまりに迂遠で、求職者の負担ばかり大きく、しかも本当に企業が欲している人材を選別できているのかどうかもわからない。これでは無責任と言われてもしかたがないでしょう。

 では以下本文をどうぞ。

 原文はKnowledge@Whartonの"Why Good People Can't Get Jobs: Chasing After the 'Purple Squirrel'"です。(リンク

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(翻訳はじめ)


なぜまともな人に仕事がないのか:むらさき色のリスを追い回すコスト


 ペンシルバニア大学ウォートン校のピーター・カペリ教授(経営学)の新著、『なぜまともな人に仕事がないのか 技能のミスマッチと企業にできること(Why Good People Can't Get Jobs: The Skills Gap and What Companies Can Do About It)』が、今日労働に関わるすべての人々、雇用主、労働者、リクルーター、そしてアカデミズムとメディアの間で話題になっています。カペリ教授は、雇用主サイドから繰り返し発せられる、求職者に充分な技能が備わっていないという議論の誤りを指摘しています。そして教授は、むしろ責めを負っているのは企業側であり──雇用とトレーニングのコストについてきちんと情報を集めていない、というのがその一点です──、さらに、応募者をコンピュータで管理するシステムが、求めている人材を見つけやすくするどころか、逆に見つけにくくしている、と主張しています。

 カペリ教授は、ウォートン校の人材センターの長でもあります。今日は当サイトの記者と共に、新著について語ってもらいました。以下はその模様です。
記 者:ピーターさん、お時間をいただきましてありがとうございます。さて、この本では実に幅広い議論が展開されていますが、その中の一つに、不況と冷え切った労働市場のもとで、企業は巨大な求職者予備軍を相手によりどりみどりといった状況になり、雇用の際により厳しく選別するようになっている、というテーマがありますね。しかしそれでも、満足な技能を備えた求職者が見つからない、と言い放つ企業もあるわけです。このことについてお聞かせください。
ピーター・カペリ:まずすべてのプロセスを雇用主がコントロールしていることを理解しておきましょう。雇用主側が仕事の定義をし、応募条件を作り、募集の文言を決めているのです。給与の水準を定めて、どの程度おいしい仕事なのかをわかるようにしておき、その後に、選別に取りかかるわけですね。そこで応募者の情報に目を通し、より分けていきます。
 何よりハッキリしているのは、現在、シンプルに仕事が足りていない、ということです。だから雇用主がえり好みができる状態であるのは間違いありません。しかしえり好みすることをここで問題として扱う気はありません。雇用主側が見極めに時間をかけて、いざ雇う段階までなかなか進まないのは、べつにことさら驚くことでもありませんよね。なんといっても見極めるべき求職者の数が多いのですから。こんなに長い行列ができているのですから、最初の一人を採用する必要なんてないでしょう? 不自然な、そして誰から見ても良くない点はそこではなくて、「いや、雇い渋っているんじゃなくて、雇いたいと思う人があらわれないので、ずうっと雇っていないんだ」という雇用主の存在なのです。この問題の答えを出すにはまず、雇用のプロセス上すべての決定を、他ならぬ雇用主側が行っているというところから始める必要があると思います。では、このような雇用主というのは、なにか間違ったことをしていると言えるのでしょうか?
記 者:それはそうでしょう。だって仕事を探している人の存在と、雇用主側の意に満たない人しかいないという主張はマッチしてませんからね。教授が提示した問題の一つに、「ホームデポ(訳注:住宅工具の大型チェーン店)」流の雇用プロセスというのがありました。これは、雇用をまるで食洗機の部品交換のように行うもので、空いた仕事を壊れた部品と見なして、部品を食洗機にはめ込むように新しく来た人を仕事につかせておしまい、というやり方です。しかし一方で、仕事のポストを無理に埋める必要はない、今いる社員で回せばいい、と感じている企業があります。こういった企業は、空きポストが多すぎることで本業に支障がでる日がくることを理解していません──いえ、本業でなくても、会社の成長、利益率の向上、競争力でも言えることです。これも問題の一つではないですか? 雇用を遅らせる企業と、その見えないコストを理解せずにそうしている企業です。
カペリ:はい、間違いなくそこが問題なのです──ほとんどの組織の内部で行われている会計システムは、空きポストを維持するコストについては何も教えてくれません。会計システムは、誰かを雇い入れるコストは簡単に教えてくれるのですが、社員の貢献を計ることはできないのです。なので、たいていの企業では、会計システムの教えからいって、空きポストを維持することでお金を節約しているように見えてしまっているのです。会計システムを信じる限り、急いで人を雇う必要なんてどこにもないのです。問題はここから始まっていると、私は考えています。これは明らかに、社会にとっても雇用主にとっても良くないことです。しかし問題は雇用主である企業の内側から生まれているのです。会計システムが、人を雇わないように仕向けているのですから。
記 者:教授はまた、企業が市場価格の給与を支払っていない事も問題視しています。企業側は労働市場に向けて、とりあえずきわどい球を投げてきているようです。しかし、人を安く雇えるときに、どうして市場価格を支払わなくてはいけないのでしょう?
カペリ:いや実は支払いたくても支払えないんですよ──というのが企業側の言い分ですよね? マンパワー社による調査がありまして、雇用主に雇いたい人材が見つからずに困っているかどうかを聞いています。その調査では、だいたい11%の雇用主が、問題は雇用主側が提示する給与で仕事を引き受けてくれる人がいないこと、と答えています。つまり11%が、給与を充分に支払っていないと認めているわけです。11%が認めたという事は、実際にはこの倍はあると思います。人は自分自身が生み出している問題には鈍感なものです。ですから認めたのはほんの一部なのでしょう。まあ、とりあえず低めのきわどい球を投げるのは責めないとしても、その上で人材が見つからないと言うのであれば、それは技能のミスマッチと呼んではいけません。求める技能と持っている技能のミスマッチなどではなくて、単に渋ちんなだけです。
記 者:この本には「ミスマッチなのは技能ではなくてトレーニング」という章があります。そこでは1979年のデータが載っていて、その当時の若者は平均で、年に二週間半の期間、トレーニングを受けていたとあります。それが1991年になると、前の年に何らかのトレーニングを受けた若い労働者は、わずか17%になってしまっています。過去五年以内にトレーニングを受けた、という人でも21%しかいませんでした。教授は、徒弟制のような、仕事をしながらトレーニングをしていく仕組みが特に崩れていると指摘しています。では、現在の社員や将来の雇用のためにトレーニングを行う仕組みを整備していく、そういう努力が企業側に不足していることが、「技能のミスマッチ」とよばれるものの大部分を引き起こしている、ということなのでしょうか?
カペリ:そうです。特に政策に携わる人たちの間でよく言われることですが、学校がダメなせいで、子供たちは必要なだけの学位と知識を持たずに社会に出てきてしまい、雇用主側の意に沿った人材が見あたらない、という説があります。しかし、その雇用主自身のデータを見てみると、雇用主が人材を獲得する際に直面する懸念事項で、学問的な技能が大きな話題になったことなど一度もありません。現に、雇用主側の求職者に対する注文は、私が調べているこの30年間ぐらいほとんど変わっていないのです。そしてその注文というのは、端的に言って、いつの時代であっても老人が若者に対して抱く思いと同じなのです──若い奴には勤勉さが足らん、職場での態度がなっとらん、仕事はもっと一生懸命やるものだ、こういったことです。実のところ企業側は、学校を出たての若者なんかぜんぜん探していないのです。雇用主が何を求めているのか調べてみれば、それは結局経験です──どの企業も、3年から5年くらいの経験を持った人を探し回っています。企業が本当に求めている技能は教室では学べないもので、その仕事をしながらでしか学べないのです。ですから、応募要件が浮き世離れしているのはたいてい、企業が、今現在別の会社でまったく同じ仕事をしている誰かを探し回っているせいなのです。そしてこれが、雇用主が今現在失業中の応募者に会いたくない理由でもあるんですよね…。募集しているその仕事にすでに就いている人を探してるんです。問題は、学校を出たてで経験の無い人にその仕事を与えようという人がいないことです。以前にその仕事をやったことが無い人を採用し、トレーニングを授けようという人がいないのです。
 すでにトレーニングを受けている人を雇った企業を見れば、楽なほうを選んだな、とその気持を理解することはできます──少なくとも、そっちのほうが楽に見えたのでしょう。しかしそうすることで同時に、誰もが入門者を避けるわけですから、技能ミスマッチ問題を生み出してもいるのです。そしてやはり多くのケースで、水準に達している人──特殊な技能はのぞきますが──を採用し、トレーニングするのは、様々な面で充分に引き合うのです。トレーニング期間の給与は低めにしておけますし、雇う前に技能のいくつかは身につけてくることを条件にしたって別に構わないのですから。しかし会計システムがあるために、雇用主の大多数は、人をトレーニングするコストについて何も知らないままでいるのです。すでに仕事についている人を追い回して雇い入れることで、本当にお金が節約できているのか、ぜんぜん見当もつかないのです。
記 者:教授のこの本は、キャッチ22状態(訳注:自縄自縛の堂々巡り)で満たされていると言えるのではないでしょうか。雇用主は、社員が会社を辞めてしまうことを恐れているので、トレーニングを授けたくない──確かに労働者はますます企業を辞めやすくなっていますし──、そうなればトレーニングの費用がすべて無駄になってしまうわけですからね。しかしこれは同時に、すでにトレーニングを受けた求職者の数がますます少なくなって、見つけづらくなることも意味しています。どうも手詰まりな印象がありますね。
カペリ:そしてこれは労働者にとってもキャッチ22状態なのです──その仕事の経験が無いために、最初の一歩を踏み出すことさえできないのです。重要なことですが、雇用主側は、以前はずっとこのようなトレーニングを行ってきたんです。トレーニングを行い、さらに利益を出す方法があったのです。徒弟制がその例ですが、弟子をとるというのはずっと、働きながら学ぶ有力なアプローチでした。医師を育成する方法も同じです。コンサルタントや会計士を育てる方法もまったく同じです。こういった会社──会計事務所やコンサルティング企業は、事実上すべての社員が5年以内で辞めていきます。しかしそういったやり方のなかで、人々は働きながら学んでいるのです。つまり、そういった業界では人々はトレーニングを受けているのです。会社はそれでも、全員が学びながら働いているにも関わらず、そんな社員を使ってお金儲けができているのです。これに近いことを多くの企業で実施できるかどうかなんてすぐに見当がつきそうなものですが、「ウチでは無理だね」という脊髄反射的な答えが返ってくるのです。
記 者:無職の応募者が差別される理由がたくさんある、と指摘してらっしゃいます。企業側は、そういった応募者の技能が時代遅れになっているとか、高齢すぎると感じているのかもしれません。連邦政府が差別を禁止するという手段をのぞいて、この問題を回避する方法はあるのでしょうか? 政府による禁止が上手く機能することはまずないでしょうから。
カペリ:高齢の労働者の問題は特に重要です。というのも、高齢の労働者というのは普通、企業側が雇用の際に求めるものをすべて持っているからです──仕事への姿勢、経験、準備期間も育成期間も必要がない、または少ない、などです。しかしそれでも、高齢の労働者に対する差別はありふれています。禁止する法律はありますが、実行力はありません。
 問題は、雇用主側が、自分たちの利害を自己診断しているところから始まっていると思います。皮肉なことですが。私は何も、雇用主は一心に社会の為に何かを行うべきだ、と言っているのではありません。今企業が行っていること、つまり、すでにどこか別の会社に雇われている人々という小さなグループを追い回す行為が、そもそも企業自身の利害に一致していない、と言っているのです。人をトレーニングすることは理にかなっていますし、人にチャンスを与えることも理にかなっているのです。空きポストを本気で埋める為に、応募条件をもっと現実的なものにするのも、やっぱり理にかなっているのです。なので一番の難問はこれなのです。企業側が、自分の利害に沿って行動していない、という点です。ではどうしたら、企業はもっと上手く立ち回れるのでしょうか? 外部の人に手伝ってもらうことも可能でしょうね。常によその会社の人材を追い求めることがどれほど高くつくか、ということを学者とかに指摘してもらえば良いのです。たとえば、本校の同僚にマシュー・ビドウェル教授がいるのですが、彼が実に興味深い研究を行っています。よその会社から人を雇った場合と、生え抜きの人の場合を比較しているのです。すると、生え抜きの人のほうが、コストの面でも生産性の面でも優れていました──これはよその会社にいた人は絶対に雇うべきではない、という意味ではありません。そうではなくて、会社の内部で成長させていくことは、間違いなく引き合う、ということなのです。なので、雇用主側はまず、情報をしっかり集めるところから始めるべきだと考えます。皮肉なのは、そのほかの業務については、たとえば仕入先の質や在庫を抱えるコストなんかについては、詳細な情報を持っているのです。それが人事となると、何も分からなくなってしまっているんですね。
記 者:近頃では、典型的な企業の人事部の役割が効率化、省力化されてきていて、雇用のプロセスの中で重要性を失っているのではないでしょうか?
カペリ:この20年間にわたり、人事部は骨抜きにされ続けてきたという面があると思います。特に不況時にはリストラが行われますし、人事部は狙われやすいですよね。トレーニングを担当する部門は、もうほとんどの企業から姿を消しています。また、新人を発掘する様々な機能も同様に失われてしまいました。昔でしたら、求人を出す際、職務の内容などは人事部に相談して作っていました。人事部の人はそのためにいたのですし、もし応募条件が浮き世離れしていたり、労働市場とズレまくっていたら、その人が止めてくれていたのです。それが今ではそんな人はいなくなってしまった。そして基本的に、今時の「ほしいものリスト」式の応募条件は、応募者管理ソフトで作られています。実際の応募者が生きた人間の目に触れるのは、雇用プロセスの最終段階だけです。つまり、私たちは雇用プロセスの自動化を進めてすぎているのです。自動化それ自体に問題はありません、結局応募者をふるいにかける必要はあるんですから。しかし、プロセスから人間も一緒に排除しようというのは、重要な決定を機械に一任してしまうことなのです。人間による判断がやっぱりとても重要です。
記 者:さらに、多くの求職者が、管理ソフトの裏をかく術を身につけてきています。たとえば、履歴書や経歴書などにキーワードを忍ばせておく、といったことです。ソフトウェアによる管理がますます洗練されているように見える一方、抜け穴もあるわけですね。
カペリ:そうです。そこが大変重要なポイントです。ソフトの裏をかける人は応募プロセスの先に進みますから、会社側も面接で直に接触できます。しかし、そうでない人とは出会うこともないのです。果たして雇用主側は、本当にそんな人を雇いたいのでしょうか? 制度の裏をかくような人物ですよ? そのこと自体が、どんな人物であるかを物語っている、とも言えるでしょう。しかし求めていた技能については何の情報も得られません。
記 者:性格や自己を律する能力といったことはほとんど分からないですよね。
カペリ:それこそ雇用主側が求めている情報なんですけどね。
記 者:教授はまた、「熟練の労働者が見つからず企業困惑」といった見出しで記事を書く傾向があるとして、新聞メディアの責任も指摘しています。「求人、夢見がちなのは企業側」なんて記事は書かないんですね。とはいえ、メディアがそう簡単に変わることはないでしょう。連中がより分析的になり、深層をえぐるようになるとは思えません。そこで、メディアの情報から事実だけを手に入れるにはどうしたらよいのでしょう?
カペリ:まあそれが私にとっての大問題でした──それがこの本を書いた動機の一つでもあるのです。新聞を開けば、あふれんばかりの逸話、事例が載っていますよね。そして国政の場、ワシントンに行けば、本当に多くの人がそういった個別の逸話や事例を思い思いに選び出し、それが我が国の経済全体で起きている現象なんだと思いこんでいるのです。基本的に、私がこの『なぜまともな人に仕事がないのか』でやったことは、ある程度まとまった量の、現実のデータを調べることです。そしてデータを見れば、新聞に載っているような逸話がどれも真実ではないことが分かるはずです。たとえば、雇用主側が新聞が伝える通りの行動をしていないことなんかが分かります。新聞記者の方々が、ほんの二三でいいので質問をぶつけてくれればいいのに、と思います。雇用主側が、技能の面でミスマッチがあって、求める水準に達する応募者がいない、と言うとき、彼らは単に、状況を自己診断しているだけなのです。しかし実際に起きているのは、単に企業が人を雇えずにいて、その理由は分からない、ということでしょう? ミスマッチ云々というのは雇用主側がそう言っているというだけなのです。これはただ単に、雇用主側が出した応募条件がクレイジーな代物だとか、給与が低すぎるとか、ふるいの目が細かすぎて誰も通れなかっただけなのに、雇いたくなる人材がいないんだ、と言っているわけです。
記 者:この本の中に、どの世代も重大な技術革新を経験していると感じてきた、という箇所があって、面白く思いました。考えてみれば、電力、電話、自動車すべてが10年のうちに広く使えるようになった時代もあったのですね。しかし、現在の、何でもコンピューターが動かす私たちの時代の変化の大きさでさえ、以前の変化と特に変わらないという教授の指摘は、ちょっと信じられないのです。現在の医療、ナノテクノロジー、ロボット工学の変化はすごいですから。
カペリ:ここでの真の疑問は、雇用のミスマッチが発生するほど、技能の要求水準を高めるような事態が起きているのか、ということです。ご存知のように、いつの時代にも新しいテクノロジーを身につけなくては就けない仕事があります。そしてそうでない仕事もあるのです。合衆国の全仕事を並べてみれば、増えていくものもあれば、少なくなっていくのもあるでしょうが、増えているほうには、大きなグループが二つ見つかるはずです。需要に応じて増えている高給の仕事、そして、医療ケア、介護など、給与は低いけれど需要に応じてものすごく増えている仕事です。全部ひっくるめると、(訳注:必要な技術水準は)全体ではあまり大きな変化にはなりません。すべての職業を貫くような構造的な変化は起きていないのです。今時はコンピュータとITがとにかく重要なんだ、というのが私たちの口癖なわけですが、PCがオフィスに登場したのはもう30年から35年前ですよね。社員みんなのデスクにPCが置かれていなかった光景、それをあなたが最後に見たのは何年前でしょうか? 思い出せる人もいるでしょうが、ほとんどの労働者はもうそんな光景を見たことさえないのです。コンピューターはそれくらい長い間利用されてきました。
 私が思うに、私たちは、若い人たちがブラックベリーやiTunesを始終使い倒しているのを見て圧倒されているんじゃないでしょうか。しかし年のいった人だって同じテクノロジーを利用しているじゃないですか。同じ事ですよね? 違うのは、若い人たちは24時間友達としゃべっていて、私たちが友たちと話す時間はもっと短い、という点だけです。なので、テクノロジーが違うのではないのです。若者がテクノロジーを使い倒していることに、私たちの意識が集中してしまっているだけなのです。でも私たちだって使ってはいるのです。
記 者:我が国の新卒は、他国の新卒よりも技術的、質的に劣っているという主張はどうでしょうか。教授はOECDの報告を引いて、合衆国の学生は先進国中でだいたい真ん中あたりであることを示していますね。同時に、たとえばアジアの国々が、教育と職業訓練の面で合衆国に追いついてきているとも書いています。この点で我が国が心配しなくてはいけないことが何かあるのでしょうか。
カペリ:先ほど話題になった説──学校がマズいので技能のミスマッチが起きている説──は本当に強力で、それは我が国では学校がとにかくヒドい状況なんだ、という見方が根付いているからです。しかし平均で見ればそれは事実ではないのです。学校制度はこの20年間で、少しずつ改善を続けてきました。もちろん我が国にはまだ極端にヒドい学校が残ってはいるので、そういった学校がやたらと注目を集めているのです。しかしそれは我が国のほんの一部分にすぎません。すばらしい学校も、ヒドい学校もあるのです。外国と比べてみると、私たちはだいたい真ん中です。そして結構長い間真ん中あたりにいました。
 高校の生徒の学力世界トップ5には、シンガポール、上海、香港が含まれています。競争相手をヨーロッパに絞ってみると、私たちはやっぱり真ん中くらいです。違う点があるといえば、我が国では大学に通う人がよその国よりも多い、というところでしょう。ですから、合衆国の典型的な労働者は、たいていの国に比べて高い教育を受けているのです。我が国の教育はまだ充分ではない、と主張する人たちもいます。でも何をもって充分とするかという議論は、それこそ永遠に続けられますよね。なのでやはり、次のシンプルな点が大事ですね。雇用主側は、応募者の学力について文句なんか言ってない、という点です。そして、特に合衆国で顕著なのですが、労働者や学生たちは、どのような経歴を積めば仕事につけるのか、何を専攻すれば仕事につけるのか、それを見極めようとして身を削っているのです。
 さらに理系が足りない、という説も強力ですね。ここでいう理系というのは、科学、技術、工学、数学です。工学のある種の仕事は、いまでこそ超人手不足ですが、5年前まではぜんぜんそんなことはありませんでした…。なので、工学のある分野に進んだとしても、自分が労働市場に出た年に上手いこと人手不足になるかどうかは賭なのです。もし求人が少ないとなれば、他の分野に進んだ人と同じ問題に直面することになります。しかもそれに加えて、理系の技能はあっという間に時代遅れになってしまうのです。特にIT関連の技術がそうです。
 なので、たとえばコンピューター・プログラマーとしてのキャリアを目指すのは、技能が時代遅れになってしまうという点では、理想的なものとは言えないかもしれません。労働市場に放り出されると、また別の言語を身につける道を見つける必要があります。さらに、数学や科学を専攻した場合だと、そのまま数学や科学の仕事に就くのは至難のワザです。たとえばここ、ペンシルバニア大学を見ても、理系の学生の大部分は、コンサルティング企業や投資銀行に就職していきます。ですから、どこかの産業が数学や生物学の学位を持った人材を大々的に募集したけれど、見つけることができなかった、なんて事態は起きていないのです。
記 者:この本の副題は、「技能のミスマッチと企業にできること」です。この問題の解決策が示唆されています。すでにいくらか触れてらっしゃいますが、この問題を少しでも和らげる方法を二三ご教示くださいますか?
カペリ:もし私が雇用主であれば、まず空きポストを維持することのコストをちゃんと把握しているかどうかを調べますね──実はつい先週、同じ事を経営者さんたちの前で述べたのですが。もちろん、調査にはコストがかかるでしょうけどね。自分でトレーニングを施すコストと、よその会社の社員を追い求めるコスト、どちらが大きいのか、理解しているでしょうか? もしこの疑問の答えを持っているのなら、空きポストにもコストがあることを理解しはじめていることになります。どこかの誰かを永遠に追い求めることを、IT業界ではむらさき色のリス探し、と言います。あまりにユニークで、平均をものすごく上回る、どこまでも完璧な人材、しかし決して見つかることのない人材──そんな人を追っかけるのは、賢いやり方とはいえないでしょう。ですから、きっと私たちは応募条件を修正して、とりあえず空きポストを埋めて、さっさと仕事に取りかかるべきなんですよ。果たして多くの企業は、会計事務所がしているように、そしてかつて職業別労働組合が技能検定という形でおこなっていたように、トレーニングをしながらお金儲けをする方法を見つけることは不可能なのでしょうか? 直感に頼り切りになるのではなく、理にかなったやり方を探すこともできないのでしょうか? 直感は間違うことだってあるのに。今少なくない企業が、トレーニングでは得ることのできないむらさき色のリスが目の前にあらわれるのをひたすら待っているだけです。待つのに忙しいので、人々が普通にがんばるチャンスを用意する暇もないのでしょうか? 別のやり方を検討していきましょう。まったく理にかなっていないのですから。
記 者:最後になりますが、労働者サイドにはどのようなアドバイスがありますか?
カペリ:仕事を探している場合、まず気をつけておかなくてはいけないことは、大局を見れば、仕事が見つからないのはあなた個人の責任ではないということです。単に、仕事を探す人の数に比べ、仕事の数が足りていないのが現状なのです。しかも膨大な数の仕事が不足しています。なので、仕事が見つからなくてもご自分を責めないでください。
 次に、現行の雇用プロセス、特に自動化が進んでいるところをふまえると、ベストなアドバイスは、目新しいものではないのですが、自動化の裏をかけるかどうか、そして、実際の人物に会って応募書類だけでは分からない様々な技能を持っていることを納得してもらえるかどうかを確認しよう、ということですね。さらに、雇用のリスクを小さくしたいと願う人事担当者の気持ちになってみるのが良いでしょう。これは不況でなくても役に立ちます。人事担当者は本当にその仕事をやりたがっている人を見つけたいものなのです。担当者があなたで納得するかどうか、考えてみてください。
記 者:ピーターさん、どうもありがとうございました。

(翻訳おわり)


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cover
偏差値40から
良い会社に
入る方法
田中秀臣
カペリ教授の問題意識は、田中秀臣先生の『偏差値40から良い会社に入る方法』(参照)と共通しているようです。現状は個人の手に負えるものではないけれど、できることもある、といったところでしょうか。

 あと、言い回しについていけなくて途中で投げ出した本で、豊田義博著『就活エリートの迷走』というのがありまして、そこに日本の新卒のみなさんがヤキモキしている、エントリーシート導入の経緯とその結果、みたいな話がありました。導入した企業からすると、エントリーシートで応募者をふるいにかけた結果、本来求めていた人材を逃しているんじゃないかという不安がある、のだそうです。「絶対に通るエントリーシートの書き方」みたいな本もあるようで、雇用のプロセスをカッチリしすぎてしまうと、受験テクニックならぬ就活テクニックを研究するコストが充分引き合ってしまうんでしょう。カペリ教授の指摘そのままですね。

 マクロの経済状況を考えると、ついつい、企業も苦しいからなあ、と思ってしまうのですが、あんまり時流に乗ろうとかしないで基本的なところではぶれないで欲しいですね。我が国でも浮き世離れした求人、「空求人」の問題があります。そして言わずと知れたサービス残業があるわけです。人を雇うという企業活動の基本的なところでお茶目してしまうのなら、景気の良し悪しによらず、批判は受けますよ、そりゃあ。

 マクロで見れば、失業率が高いということはまだまだ賃金が高どまりしているということなのでしょう。だから失業率の改善には賃金の切り下げが有効だ、とこうなるわけです。しかし細かく見れば、一律に賃金が高くなっているわけではありません。仕事の実態以上に高くなっているところと、仕事の実態よりもものすごく低くなっているところがあるわけです。そして後者はたいてい立場の弱いところに集中します。だから、「まだまだ賃金が高い」みたいな情報ばかり流れてしまうと、ただでさえ立場の強い雇用主側の振る舞いに、専門家がお墨付きを与えてしまっているようにも見えてしまう。陰鬱な学問の面目躍如で、ここら辺にも経済学の不人気な理由がある気がしますね。

 とはいえ、我が国が一番に取り組むべきことは、やはり景気が良くないことのはずではあるのです。でもそうして、日銀があんな感じで放置され、就職氷河期を繰り返しすほどの長い不況のなかで、それでも企業が人材不足であると感じているというのだから(参照)、その反省を国民が勝手に雇用プロセスに反映させたって罰はあたらないでしょう。当局が動くのを待っていたって仕方がないですよ。カペリ教授も言うように、人をトレーニングしないコストだってあるんですから。

 特に世代間での賃金差が大きすぎるのは、所得移転という点からも組織の健全さという点からも、そして社会の長期的な安定という点からも好ましくないのですから、もっと堂々と批判していきたいですね。

■ ■ ■

 ついつい完璧を求めてしまうのは人類の通弊でありまして、自分に完璧を求めれば不安と憂鬱で身動きできなくなり、他人に求めれば若い芽をせっせと摘むはめになる。荒唐無稽な空求人は、企業がハローワークにお願いされて渋々だした求人であることが多いようです。でも、だからといってその場のノリで完璧を要求しちゃだめですよ。

2012年6月19日火曜日

落日のエリート


また別のアメリカの左派的な雑誌『The Nation』に面白い記事があった。今回はそれを僕なりにまとめてみたいと思います。


C・Hayesという人のWhy Elites Fail?(なぜエリートはしくじるのか)という記事で、このHayesさんの新著を元にした記事のようだ。

話のつかみはこうだ。ニューヨークにはハンター・カレッジ・スクールという学校がある。日本で言う中高一貫の公立校であり、ニューヨーク中から才能ある子供が集まってくる。なぜか。ハンター校は独自の入学試験を行っていて、毎年200人弱の生徒しか突破できないほどの難関校なのだ。Hayesさんはそこの卒業生だそうだ。で、彼が在学していた1995年当時、生徒の12%が黒人、6%がヒスパニックだったという。

それが2009年には黒人が3%、ヒスパニックが1%になってしまっている。なぜだろう? 最近は両親共に白人である子供が減ってるなんてニュースも聞いていたのに。実は、Hayesさんの学生時代にはなくて、今はあるものが関係するという。それはハンター校へ入学するための予備校だ。ハンター校入学を目指す小学生が、放課後に英単語を覚えて計算練習をするために数千ドルかかるのだ。なかには時給90ドルの家庭教師をつける家庭もある。

かつてハンター校は実力主義の象徴のような学校だった。コネも金もここではおとなしくするしかなかった。テストの点が基準より上ならどんな子でも入学できた。しかも学費はタダだ。まさにアメリカンドリームの体現だった。

それが結局、裕福な白人家庭の子弟が集まる学校になってしまったのだ。予備校に通ったり家庭教師が付いている小学生が高得点をおさめるような入学テストばかりやるようになってしまった。なぜだろうか?

Hayesさんは20世紀初頭の社会学者Michelsを引きつつ、実力主義は必然的に寡頭制にたどり着く、と言う。まず実力主義(忘れてましたけど、これmeritocracyのことです)には二つ条件があって、一つ目は「個々人の能力に差があることを認めつつ、一番才能があって一番働き者なヤツを、一番難しくて一番重要な仕事に就かせる」こと、二つ目は「信賞必罰をしっかり実行する」こと。二つ目の条件はつまり、親が実力者だからって大目に見ちゃだめだよ、ということですね。逆も同じ。

と、まあ実力主義には誰もが惹かれるさわやかな魅力があるわけですが、Hayesさん曰く、私たちはここで厳然たる「実力主義、鉄の掟」に阻まれてしまう。まず時間の経過とともに、実力主義を採用する体制そのものによって、信賞必罰がゆがめられてしまうのだ。

人の出来不出来を目の当たりにすると、私たちは機会の平等の実現をあきらめてしまう。信賞必罰を行うよりも、個々人の能力差にばかり関心が行ってしまうのだ。ぶっちゃけ、仕事をしたりブログを書いたりしゃべったりしなければ能力イコール肩書きであるし、日本でも「学歴ロンダリング」なんて言葉が生まれるように、肩書きのほうはでっち上げが可能だ。そして、実力主義の階梯を駆け上がっていった人々は、自分の友人、仲間、親族、そして子供のためにハードルを下げてやる方法を必ず見つけだす。そうして低めのハードルを越えてきた人物によって重要な地位が埋まっていく。つまり、実力主義を謳い、その恩恵を受けた人々が、自分の意志で寡頭制の準備にはげむのだ。

ハンター校の卒業生はエリート大学に進学していくのだが、多くのエリート大学でマイノリティ家庭出身の学生は増えてはいる。しかしそれ以上の勢いで、「依怙贔屓グループ」出身の学生が増えているのだ。依怙贔屓グループというのは、両親がその大学の卒業生である家庭の子、スポーツ推薦の子、大学職員の子、セレブと政治家の子、寄付金を出した家庭の子だ。

これにさらに、予備校に行けるといった面での有利さも加わるわけで、ここまでくるともはや実力主義とは似ても似つかない。現状を「裕福な白人へのアファーマティブ・アクション」と批判する人もいるそうだ。

もしも実力主義が純粋な形で機能していれば、人々の格差は広がっていくはずだ。しかし同時に、信賞必罰に伴う社会階層をまたいだ移動も活発になっているはずでもある。で、Hayesさんは、アメリカは格差は拡大しているけど階層間の移動は活発でない、と言う。(それはしようがないような気もしますね。トンビが鷹を生むのは希で、普通、蛙の子は蛙なんですから。ま、鷹から生まれたトンビがね……)

で、ここから格差の話なんだけど、省略。割とよくある話なので。

問題は、「実力主義、鉄の掟」のせいで、エリート層が自家中毒を起こしている、というところ。エリート層に生まれ育ちながら、能力の方が伴わない人は必ずいる。けれど、掟があるのでこの人たちも重要な地位に就いていく。すると、この人たちがいろいろやらかして、能力が伴っている人がその尻拭いに追われている。これが、21世紀初頭のアメリカで起きていることなのだという。

エリートのみなさんは肩書きにこだわる一方で、実力主義の、その肝心かなめの知性にはあまり興味がないようだ。いや、そうじゃない。彼らはある意味で「知性」にとりつかれている。ただし、一般に言うよりももっと邪悪なたぐいのそれなのだ。

彼らが信奉する知性とは、きれいに序列づけることが可能であり、人間が二人いれば必ず差が付くものであり、どちらが上とも言い難いなんて事態はあり得ないものなのだ。

日本でこういう人たちが集まるところといえば霞ヶ関でしょうね。メリケンではウォールストリートなんだそうです。で、その中の人、イーライさん(仮名)によると「僕は良い学校を出て、頭の良い連中に囲まれて仕事をしてるけど、いまだかつて一度も、賢い連中が集まっていると自称しつつ、それがホントだった職場にいたことなんてないですよ」とのこと。この手のエリートさんたちは、自分で自分のことを頭が良いと言い、仲間のことも頭が良いと言い、そのうちに本気でそう信じ込むという宗教の人たちなわけですが、やがてその宗教の外側の人まで、その篤い信仰に心打たれて、思わず彼らの聡明さを信じてしまうところが厄介。イーライさん、さらに曰く「アメリカはもう、ウォールストリートのいいなりですよね。ウォールストリートが本当に一番賢いのかどうか、賢さの自家中毒に陥っていないかどうか、連中が自分が口にした言葉の意味を本当に分かっているかどうかなんて関係ない。それがアメリカの文化なんですよ」

本来、他人にあれこれと指図する地位に就くのであれば、必要なものは知性だけではなかったはずだ。人の痛みを理解する心とか、倫理的な厳格さだって重要だった。いや、知性にはそういった側面もあったはずだ。だから人は知性に魅了されるのだ。

しかし、現代エリートの知性は人を脅しつけるだけだ。誰が上で誰が下なのかを思い知らせるためだけのものだ。組織で何か決定をしようとすれば、最後にものを言うのは一番賢い人の意見だ。こういう人に他人をいたわる気持ちがないと、そりゃ大変なことになりますよね。

では、いかに大変なことになったのか。この前のブッシュ政権下で行われた戦争捕虜に対する決定が例としてでている。テロなので捕虜とは違うというロジックを出してきたのは、チェイニー副大統領の側近、デービッド・アディントン氏だった。ブッシュ政権の黒幕はチェイニー氏だ、とよく言われていたけど、アディントン氏はその「チェイニーのチェイニー」と呼ばれるほどの人物だった。

で、この人がむちゃくちゃ頭が良かったんだそうだ。もうこの人が何か言うとみんな反論できなくなっちゃう。日本で言うと誰だろう? 宮沢喜一さんかな? で、口を開けば相手の意見を否定する人だったそうですよ。いや、アディントンさんがね。

この邪教の信徒たちの困ったところは、頭の良さで目立つためには、頭が良いと目されている人物の主張を全面的に受け入れる他ない、というところにある。そうしないと信者仲間からバカかと思われちゃうからね。そうして自主独立の精神を投げ出してしまうのだ。

その結果どうなるのか? 制度的な腐敗が始まる。製薬会社からお金や特権をもらっちゃう医師。投資家からお金をもらい、投資家のために格付けを行っていたのに、そのうちに金融機関から直接お金をもらっちゃうようになった格付け機関。あのアイスランド政府が破綻するホンの数年前に、その政府から12万ドルで依頼を受けて、政府の経済政策に裏書きを与えちゃった経済学者(ミシュキンさんですね)。こういった人たちはお金に困っているわけじゃない。これは制度的な腐敗なのだから、現実世界の生活が問題なのじゃない。信仰上の何かなのだろう。霞が関の前例踏襲主義も、バカだと思われたくないという衝動があるのかもしれない。先輩の決定に異を唱えれば、知性の序列から外れていることを宣言したようなものなんじゃないか。

Hayesさんは最後に、エリートが誰のために働いているのか私たちには分からない、と言う。すくなくとも、私たちのために働いているわけではなさそうだ、とも。

さて、だいぶ僕の勝手な考えも混じったまとめであることをもう一度書いておきましょうかね。でもだいたい本文に沿っているつもりではあります。

我が国もやっぱりペーパーテストの文化を持っていて、大学受験等の結果は個々人の実力を反映したものである、ということになっている。しかし現実には子供たちの家庭の経済的な格差を反映している部分もあるのだ。本当に実力主義を徹底したいのであれば、入試の問題を毎年ガラッと変えて事前の対策ができないようにすればいいのだが、日本の街という街にあふれんばかりの塾・予備校の数を見れば、無理だな、と思う。

ではそんな風にして重要な地位に就いていったニッポンのエリートさんたちの、ここ最近の動向をちょっと振り返ってみましょう。

2009年、民主党は増税しませんよ、と訴えて政権の座についた。2010年、民主党は増税するかも、と言って選挙に負けた。そして今年、民主党は、重要なことを決めるのに選挙なんかしないことに決めたようだ。なお新聞各社は新聞代の軽減税率(非課税?)適用を求めているもよう。

2009年、郵便不正事件で、大阪地検の特捜部は後に無罪になる厚労省の管理職員を逮捕した。結局省内では単独犯だった厚労省職員、上村被告は、取り調べの際に検事に誘導されて、上司に命令されたことにしてしまった(裁判では上司の関与を否定していた)。その後、担当検事の前田検事が違法捜査をしちゃったとして、その上役二人と共に逮捕された。

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財務省が隠す
650兆円の国民資産
高橋洋一
2010年、陸山会事件で、参院選挙直前に民主党の石川知裕議員(当時)が今度は東京地検の特捜部によって逮捕された。石川氏は政治資金報告書の不備を認める供述をしたが、これが一部(全部?)、担当検事による捏造だった。検察は担当の田代検事の「記憶ちがい」だったとして、この件を不起訴とした。結局陸山会事件は、誰が何のためにどれほど悪質なことをしたのかよくわからなくなっている。小沢さんは怪しい、という国民感情が根強いせいか、検察の怪しさのほうがちょっと霞んでいるけど、検察がこのままでは国民は大変困る。

次に、最近高橋洋一先生の『財務省が隠す650兆円の国民資産』を読んだので、この話と通じるところを抜き書きしてみよう。まずは日銀の話。

自ら数値目標を挙げるわけでもないので、日銀には政策の失敗も成功もない。したがって、失敗の責任を追及されることもない。
p. 206

信賞必罰がゆがんでいるのがわかります。つづいて邪教の外側の人たちが障気に当てられている話。

多くの国民は、政府は厳密におカネを管理していると思っているだろうが、実態は逆である。一言でいえば、どんぶり勘定。だから、雇用保険料を取りすぎていたりするのだ。
(略)
そもそも役人には数字に弱い人が多い。東大法学部出身者が多いのだから、当然ともいえる。また数字に弱いから、それをごまかすために文章テクニックに頼っているという見方もできる。
pp. 245-246

これが日本のエリートの現実なのだ。優秀さの自家中毒を起こしていて修正が効かない。同じような失態を延々繰り返す。僕を含めて民主国家の国民というのは健忘症の気があるので、エリートたちのしくじりをボンヤリとしか覚えておらず、しくじった人がどういう処遇を受けたのかなんて気にもしていない。そのために同じようなポストに同じような人物が就く。だから、

もうそろそろ日本人は、官僚は優秀だという幻想を捨てなければならないときに来ていると思う。官僚は優秀でも有能でもない。もちろん、有能な人もいるが、全員がそうだというわけではない。組織全体で見ると、むしろ、レベルは低いとすらいえる。
もし、霞ヶ関が有能な頭脳集団であれば、この国の経済はこれほど激しく地盤沈下していなかったはずだ。債務残高が1000兆円に迫るという状況もないはずである。
pp. 208-209

そう、エリートとて別に成功していないという現実を直視するべきなのだ。矢を放って当たったところに的を書いて成功だと言い張るのが精一杯なのだ。社会には問題があって、私たちはそれに地道に取り組まなくてはいけない。頭の良いエリートが魔法のように解決してくれたりはしない。邪教だなんだと罵ってもなにも変わらないのだ(スミマセン)。

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お言葉ですが…
〈第11巻〉
高島俊男
特に彼らが独立精神を失ってしまうのが大問題で、民主国家である以上、どんな問題であろうと、その解決策の中には「異なる考えの人々の共存」が必ず含まれる。テストで選抜する以上、知性の序列化は仕方ないとしても、その結果をことさらに崇めるのは、意識的にやめていく必要がある。序列のどこに位置しようと、耳を傾けるべき意見が存在することを日々確認して生きていかなくちゃいけない。そこでうっかりしていると、「市民、幸せですか?」「市民、幸福は義務です」なんて声がどこからか響いてくる、なんてことにもなりかねない。引用ばっかで申し訳ないけど、最後に僕の大好きな高島俊夫先生の本から引用しよう。

一般に戦後の日本人は学歴に関して苛刻になり、学歴の低い者やない者を容赦しなくなった。学校なんかどこを出てようと出てまいと、立派な人は立派だ、つまらんやつはつまらん、というあたりまえのことが通用しなくなった。民主社会はイヤな社会である。主である「民」は学歴くらいしか人を判断する基準を持たない。バカは人の悲しみを理解しようとしない。

でも民主主義でやってくしかないんですから、ま、がんばりましょう。

2012年6月13日水曜日

予言者二人


アメリカの左派向け雑誌「the American Prospect」に、面白い記事があった。

日本でもおなじみの経済学者、J・スティグリッツとP・クルーグマンは米国民に広く読まれているのに、どうして彼らの警告は政府に受け入れられないのか、という記事。

本文は二人の簡単な来歴と主張のまとめがほとんどで、米国での二人の立場が、大恐慌時代のイギリスにおけるケインズのそれと似ていることなんかも書いてある。

で最後のほうに、この執筆者が考える、二人がか弱い予言者のままでいる理由が二つ載っている。一つは、二人とも政治家を名指しで批判するので、個人的な怨恨から二人の言うことを聞こうとする政治家がいないこと。そして二つ目は、なんと言っても世の中が保守的になっている、ということ。民主党の大統領でさえ緊縮財政に意欲を燃やし、格差を深めることなんかお構いなしなのだ。こんな時代に政界がスティグリッツ、クルーグマン両人の主張を受け入れるなんて、そりゃもう革命だ。

記事は、二人の主張がもっと認められれば、米国はもっと健全な社会になるのに、と結んでいる。

うーん。緊縮財政ってのは人を虜にするアイディアなんだなあと改めて思いますねえ。浪費に対して敏感なしっかり者、怠惰を許さない働き者、苦難をじっと堪え忍ぶ頑張りやさん。これさえ掲げていたらもう美徳の塊みたいな人間になった気になるのかしらん。

世の中が保守化しているといっても、別に保守派の権勢が大いに伸張しているわけではないように思う。いざ自分が当事者っぽくなると、進歩的なみなさんが進歩的(a.k.a 非現実的)な主張を、既得権層に都合のいい成果主義にさり気なくすり替えるようになってるだけじゃないでしょうかね。

ひるがえって我が国のGDPの内訳をみれば、公的固定資本形成は1990年代半ばをピークにすこぶる順調に下がっていって、今やそのピークの半分になっちゃった(1996年に約40兆円だったのが、2010年には約20兆円。2011年には約21兆円。参照)。ピークの頃が異常だったというのも一理ありますけど、減った分の雇用はどうなったんでしょうねえ。

と、どこから見ても立派な緊縮財政なのだけど、(裕福な)高徳の(老)志士たちの願う世の中が実現しているようには見えません。彼らの志についていけない我々庶民の怠惰が原因なのでしょうね、きっと。

2012年6月2日土曜日

アメリカの五月の失業率

昨日発表されたアメリカの五月の失業率が良くなかった。8.2%だった。で、New York Timesにこんな記事が。

  Jobs report makes Federal Reserve more likely to act

 要約すると、失業率が悪化したのでFRBにさらなるアクションが求められていくのは避けられない。米国債の買い換えにも限度があるから、ポートフォリオの拡大で対応する頃合いだろう、というもの。 

他にボストン連銀の頭取が追加緩和策を提案している話とか、FRBがどうしようとも政治家からは色々言われるだろうという話、インフレ率が2%でFRBが適性としてる値である話なんかがあって、なんだかため息が出てしまいましたね。日本の新聞でこんな記事が書かれる日がくるんだろうか。

 以前僕は、日本の新聞でCPIの上方バイアスが話題になる日なんて絶対にこない(参照)、と書いちゃったことがあるんだけど、この間どこかの新聞の社説(どこかは完全に忘れた)ではちょっとそれに触れていたんですよね。話題になっているのとは違うけれど、もしかしたら、と思わせるものではあった。だからひょっとすると日本でも大手の新聞が「失業率が高いので日銀の追加緩和が求められる見込み」なんて記事を載せる日が来るかも知れない。

いや、無理か。これだけ生活保護で大騒ぎしているのに失業率が話題にすらならないんだから。

2012年5月31日木曜日

賢人たちの早合点


こんな記事に出くわした。頭の良い子が教師とヨーイドンで算数のテストをしてみると、子供の方が問題を解くスピードが速いという。理由は簡単で、先生は計算のプロセスをきっちり書き留めているけど、賢い子は頭の中でやってしまうからだ。

さすがに賢い子はちがうなあ、というところだけど、時間が経つとまた別の光景になる。先生の答えと生徒の答えが違うのだ。生徒は自分がごく些細なミスをしたのに気づく(先生が書いたプロセスがあったから気づいたわけだ)。そしてまた別の問題でも答えが違う。

元記事のタイトルを見れば何が問題なのかは明らかだろう。つまり、賢い子にはゆっくりやっていくことを教えなきゃいけない、ということだ。賢い子は授業を聞いているだけで分かってしまう。そして授業で知ったそのやり方が上手く行かないとわかると(賢い子にはそれがすぐにわかる)、彼らはすぐにあきらめてしまう。別のやり方があるかも、なんてことは思いもしない。

また別の記事があって、今度はThe New York Timesのブログ。こちらは医師と患者の関係が主題だ。ある研究が紹介されていて、それによると医師に対して質問したり反論するのを極度にためらう人たちがいるという。彼らはもしかしたら自分の発言が医師を怒らせるのではないか、下手をすると治療や手術で報復されるのではないか、と恐れている。この調査研究の対象になった人々の多くは50才以上で、高級住宅地に住み、大学院に通っていた人たちだ。

これは医師が権威を振りかざしているということなのだろうか。そうかも。元記事では、医師と患者が協力して治療を進めていくというコンセプトが医師の独りよがりであることを指摘している。なんだかんだ言って患者の気持ちになっていないのだ、と。

まあそうなんだろうなあ、とも思うんだけれども、明らかに賢い人たちのこの恐れは何なのだろう。

二つの記事で共通するのは、賢さと早合点だ。そして早合点したが最後、せっかくの賢さが意味を失ってしまっている。賢いのに問題を解けていないし、賢いのに自分が望む医療が得られていない。

人がすぐ最悪の可能性を想定するのは、まあ仕様がない。そうでなければ人類はどこかで絶滅していたはずだ。森の中で獣のうなり声を聞いて、熊や虎でなく子猫を想像するような生き物はとっくに淘汰されているだろう。

でももう日本人とかアメリカ人の日常だったら、常識的な程度に慎重であれば充分なのに、なんでこんなに何でもかんでも怖いんだろう。犬とか猫のほうがよっぽど落ち着いてる気がする。年金をもらえるかどうか若い人が心配しているなんてのは、賢い子が授業で教わったやり方が通じなくていきなり投げ出しているような、そんな感じがする。

結局いくら賢くても(そして賢くなくても)ゆっくり一歩ずつ進むしかないし、一見権威主義者っぽく見える医者だってきっとそれは分かってくれるんじゃないだろうか。いや、権威主義な医者は嫌ですけどね(権威を振りかざす人がいるのは、それが効果的だからだ。人は瞬間的に、上手くいかない可能性をいくらでも思いつくことができる反面、上手くいく可能性をドブに捨てる生き物だから、いかついオジサンが白衣を着てるだけでもう負け戦感覚になるので、そこは気を使っていきましょうよ、やっぱり)。でも、不安や恐怖がわき出てくるのは仕方ないけど、権威主義者をのさばらせないためにも、何とかそれに振り回されず早合点しないようにしたいなあ、と思ったのでした。

2012年5月28日月曜日

クイズ! 幸せってなんだっけ?


何事もなかったかのように今年初めての更新です。あけおめ。

とても寒い国の作家さんが、幸せな家庭はどこも似てるけど、不幸せな家庭は千差万別だ、みたいなことを言ってましたよね。

なんでもメリケンには実験哲学(experimental philosophy)なる分野があるそうで、哲学的な疑問にユニークな実験でアプローチしてみよう、ということらしい。で、ちょっと面白い実験がありました。

はい、ここでクイズです。マリアさんは二人の子供を育てています。子供たちの将来を豊かなものにしようと日々がんばっています。時には旧友との時間を楽しんだりもします。彼女は毎晩、子供たちの長期的な教育プランについて考えます。とても充実していて、とても楽しい。さて、あなたは彼女が幸せだと思いますか? 

次に別の宇宙のマリアさんを想像してみましょう。ただし心理的な状態は先程の宇宙のマリアさんと同じです。今度のマリアさんは、とにかく有名になりたくてしようがない人です。映画スターと知りあうために、毎日忙しく、そして派手に遊びまわっています。友達なんかどうでもいいし、別に正直に生きようとも思っていません。有名になるのが大事なんですから。お酒も浴びるように飲みます。毎晩アレなお薬を服用したりします。でも、気持ちは充実しているのです。さて、あなたは彼女が幸せだと思いますか?

このインタラクティブ・ビデオ(YouTubeですよ)では、似た様な質問が4つ繰り返されます。だいたい字幕がでてますけども、英語がメンドクサイ人の為に一応ざっと説明すると、子育てをがんばっていて毎日充実しているマリアさんの幸福度、有名人になるために毎日がんばって派手に遊びまわって充実しているマリアさんの幸福度、子育てをがんばっていて毎日ひどい思いをしているマリアさんの不幸度、有名人になるために毎日ひどい思いをしながら派手に遊びまわっているマリアさんの不幸度、ビデオではこの幸福度と不幸度を二つづつ測るように指示されます(七段階で評価します)。

その結果、何が分かるのでしょうか? 僕にとってはかなり予想外な展開となりました。なので英語でもいいぜ、という方はまずビデオを進めてください。ここからはネタバレになりますから。


さて、答えを言ってしまいますが、この質問の統計を取り平均を出してみると、人々は、充実している二人のマリアさんの幸福度にはバラバラの評価を下し、ひどい思いをしている二人の不幸度は同じくらいに評価したのでした。充実している二人では、子育てマリアさんの幸福度が断然高く評価されました。そして不幸度の方は、どちらのマリアさんでも同じ中程度の評価だったのです。

つまり? つまり、人は他人の幸せを「何をしているのか」によって評価するけれど、不幸せの方は「何をしているのか」は関係ない、ということです。

やっぱり人は意味のある人生を送らなければ幸福とは言えないのだ、と人々は考えているのかもしれません。不幸とちがって幸福は気持ちの問題ではないのだ、ただ忙しくしていればいいわけではないのだ、と。