子どもの貧困 阿部彩 |
本書で言う貧困とは相対的な貧困を指す。先日長妻大臣が取り上げた日本の貧困率と同じものだ。なので日本国内で所得の多少を比較して、中央値の50%に満たない所得の世帯は貧困、となる。この数字を使うと、他国の貧困とくらべればマシとかいわれそうだけど、著者のいうように、その社会の中では比較的貧しいということと、文化や社会を考慮せずとも絶対的に貧しいという状態というのは、それほどかけ離れたものではない。
いま、仮に、靴が買えず、裸足で学校に行かなければならない子どもが日本にいたとしよう。日本の一般市民のほとんどは、この子をみて「絶対的貧困」の状態にあると考えるだろう。しかし、もし、この子がアフリカの農村に住んでいるのであれば、その村の人々は、靴がないことを必ずしも「絶対的貧困」とは思わないかも知れない。つまり、「絶対的貧困」であっても、それを判断するには、その社会における「通常」と比較しているのであり、「相対的観点」を用いているのである。とはいえ、もちろんこれは目安だ。相対貧困率は所得でみているから、働いていないけど現金をたっぷり貯め込んだ高齢者も、貧困にカウントされてしまう。でもそういうケースはそんなに多くないと思うが、やっぱり、ここからこっちが貧困、という線を日常生活の中で引くことは無理だ。でも、何かあるとすぐに「感じ方は人それぞれだから」と言って問題をなかったことにしてしまうのはもうやめたい。
[p.43]
さて、本書では数多くの理不尽が描かれている。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ! といいたくなるような話ばかりだ。こんな状態でよく年金をネタに馬鹿騒ぎができたな、と率直に思う。
例えば、若い夫婦がいて夫の所得だけでは子育てがままならないとしたら、この夫婦はどうするだろうか。おそらく妻も働きに出るだろう。そうすれば世帯としての所得は増えるからだ。あったりまえの足し算だ。しかし、日本ではこの足し算がぎりぎりでかろうじて成り立っているという有様なのだ。これは、ふたり親世帯において、共働きすることで貧困率がどの程度改善するか、というOECDの国際比較から言えることだ(本書第2章)。例えばアメリカの場合、ふたり親世帯で一人が働いている場合の貧困率が30%と異常に高いが、共働きの場合、10%を下回る。ドイツの場合、一人就業の場合は7~8%の貧困率、共働きの場合はそれが2~3%まで改善している。では日本はどうだろうか。一人就業の時は12.3%の貧困率で、共働きの時は10.6%だ。もうぎりっぎりなのだ。
これは、女性、小さな子を持つ親、新卒ではない人たちが労働市場で差別を受けていることの現れだろう。ふたり親世帯でこの有様だから、片親世帯はさらに追い詰められている。シングルマザーの場合、子育ての時間を犠牲にしなければちゃんとした仕事にありつくことは不可能と言っていいだろう(勝間和代さんみたいな人はめったにいない)。僕の経験から言うと、やっぱり小学校高学年から中学生の間、母と過ごした時間はかなり少なかったし、とにかく断片的だった。あの状況でもし僕が幼児であったら彼女はどうしただろうと思うと、なかなかひやっとするものがある。さらに、両親が離婚すると母親が子供を引き取るケースが圧倒的に多いが、圧倒的に多くの父親が養育費を払わない。僕の父もそうだった。こうして立場の弱い人ほど負担が重くなっているのが日本の現状なのだ*1。
こういう風に書くと、辛い境遇から社会的に成功した人の話がでてきたりするが、その成功者たちも統計の数字を改善させるほどには成功していないようなので、その能力や努力、忍耐力を使ってもらってもうちょっとナントカならないものだろうか。さらに言えば、親が常人以上の能力や努力や忍耐力がなければ貧困にぐっと近づいてしまうというのならば、子供の貧困問題の解決は運まかせになってしまう。実際には、小さな子供を抱えながらも共働きだったり片親であるなら、当然、人並み以上の努力をしていると思うけれど。
本書はデータがとても充実しているので、是非手元においておきたい一冊だ。テレビや新聞であつかえる量ではないので、この本を読まなければ、余程専門的な本を読んでいない限り、日本子供たちの現状を知ることは難しいだろう。
さらに、本書を読んだ後に、景気対策を重視する経済学者の意見に逆らうのもかなり難しくなっているだろう。なぜなら、著者の考える貧困対策と経済学者たちの考える景気対策が同じものだからだ。長めに引用しよう。(日本にとって重要なのは、)
「多くの」ではなく、「よい」就労である。「よい」の中には、収入がよいというだけではなく、「ディーセント」(decent = まっとうな)という意味も含まれる。母親も父親も、「まっとうな」時間に帰宅し、子育てを楽しみ、かつ、「まっとうな」給与が得られる仕事をもつという意味である。
第2章にて指摘した問題を思い出してほしい。日本のふたり親世帯は、勤労者が一人の場合の貧困率はOECD平均を下回るものの、勤労者が二人の世帯(共働き世帯)の場合の貧困率は、勤労者一人の世帯と大きく変わらず、OECD平均の二倍以上となる。つまり女性(母親)の収入が貧困率の削減にほとんど役立っていないのである。ほかの国では、ふたり親世帯が共働きであると、貧困率が大きく減少する。日本の母子世帯の貧困率が突出しているのも同じ理由による。
今の日本の労働市場には、「ディーセント・ジョブ」がどんどん少なくなってきている。男性にも、女性にも、「ディーセント・ジョブ」を増やすこと、これが子どもの貧困を抜本的に解決する最大の方法である。
[pp.228]
この主張は、オバマ政権誕生のときに大統領経済諮問委員会(CEA)の議長に任命されたクリスティーナ・ローマー氏の主張と同じだ。以前、彼女の就任時のインタビューについてのエントリーを書いたけど、彼女も職の数だけではなく、その質が重要だ、と説いていた。クリスティーナ・ローマー氏といえば、大恐慌の研究で有名な経済学者だ。彼女は、大恐慌の原因をデフレとその対策の失敗とし、デフレ脱却のための金融政策の重要性を強く主張している(英語版Wikipediaの記事)。本書の著者と経済学者の主張の一致は、この問題が個々人の能力や努力によっては(つまり運まかせでは)、解決しないということを強く示唆しているのだろう。
*1: どこで読んだのか正確には思い出せないので名前はふせるけど、ある女性作家が「日本のシングルマザーたちの就業率が高いのは、働かなければ得られない満足感があるから」的なことを書いていて、ずいぶんと悔しく思ったことがある。今思えば、彼女のその言葉のおかげで、僕は機会費用の概念を受け入れやすくなったのかもしれない。悔しいのは変わらずだけど。
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