2009年4月29日水曜日

『占領下三年のおもいで』について

このエントリは書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』(とその補足)のつづきです。

池田勇人は昭和24年に大蔵大臣に就任した。この『占領下三年のおもいで』(以下『おもいで』)という文章は、それから3年間の出来事を実業之日本編集局長山田勝人に語ったものを編集したものだ。文庫本で100ページ近くあり読み応えのあるものになっている。

で、タイトル通り、占領時代の話なわけで、「はしがき」に次のようにある。

記憶をたどってみると随分面白い話がある。しかし、なにぶんにも生々しいことが多いし、日本も国際社会に独り立ちするようになったのだから、よその国に直接迷惑の及ぶ話しはしないのが礼儀である。それから、個人的な攻撃にわたることもいうべきでない。あの人のためにひどい目にあったという想い出ばなしは、「交断つとも悪声を出さず」という君子の道徳に反する。[p.219]


さすが19世紀生まれ、という感じです。つづいて、世の中から学者といわれるような人がソ連を含んだ全面講和がなされないのなら占領継続のほうがマシ、とかいう人がいるけど信じられないよ、と述べて本文がはじまる。

『均衡財政』では戦後の経済を立て直す政策の解説をしたわけだが、『おもいで』ではその政策を決定するまでのいきさつや、あるいは実現されなかった政策について語っている。

さて、池田が蔵相になったのはドッジの来日直後であった。

私は、昭和二十四年の二月に大蔵大臣になったのだが、それはワシントンから日本経済安定のための九原則が出されて、ドッジがその最初の具体化のために日本に来た直後だった。その時まで、日本の経済はインフレーションの渦巻のなかで崩壊の一歩前にあり、国の予算なども、四、五ヶ月に一度位ずつ補正予算を出す有様で、おまけに国会に安定勢力がなかったから、多い時は数回補正予算を出したことがあったと思う。そうなると、それはもう予算というよりは、大福帳に近いもので、国がその日暮らしをしてきたわけである。ワシントンでも、この有様をこれ以上放置しておけないとみて、ドイツで腕前を示したドッジを東京へ送ったわけだが、丁度一月の総選挙で、民自党が絶対多数をとったために、国内的には、腹さえ決まれば、かなり強引な手術ができる基盤はあったわけだ。[p.220]


ドッジと池田はまず政府の補助金を大きく減らすことで一致するが、この案が司令部では随分と受けが悪い。

[学者の他に:引用者] また司令部内でも、ニュー・ディールの系統を受けた若い理論家達が多かったので、ドッジと私との一致した結論には内外に猛烈な反対があった。[p.221]


二人は反対を押し切ってしまう。そして、

その時ついでに、もしこれが巧くいったら、三年間のうちに全部補給金を切ろう、最後に主食が残るかもしれないが、そこまでゆけば、その時米の統制撤廃ができればよし、できなくとも補給金の額は知れたものだという話をして、二人の間で三年先の約束をした。この約束は九分通り達成されたわけだが、朝鮮動乱が起きて、中共が介入してきたために、今日に至るまで米の問題だけが解決できないでいる。[p.222]


もう一つできなかったのが減税だ。池田の意を察した民自党の幹部がドッジに掛け合ったのだが、

占領軍が日本の国内のポリティックスのために動かされたといわれるのがいやだったから[p.244]


という理由で断られてしまったようだ。池田とドッジは大まかな方針では一致しつつも、具体的な政策では常にもめていた。で、その大まかな方針というのは、財政を均衡させながら国民の生活水準を高めるというもの。

彼[ドッジ]は古典的資本主義の信条を持ち、またその方法論を適用して日本の経済危機を救ったのだから、なるべく金のかからぬ政府を作ろう、という根本的な方針には賛成の人ではあるのだが、冷酷なまでに徹底した信念は、時として、私を困らせることがあった。[p.225]


そうしてインフレが収まると、こんどはデフレの危機が迫ってきた。『均衡財政』にもあるが、池田はリフレ政策の承認を得るために渡米することになった。その前にマッカーサーと面談することになったのだが、その様子が面白い。長く引用しよう。

私は昭和二十五年の四月、渡米するに先立ってマッカーサーと会った。有名な何とかいう百姓のようなパイプを右手にしてマッカーサーが開口一番「金は、」といった時、サスペンスもあり十分な役者であったが、その説くところの深いのには感心させられた。彼は要するに「金」は何世紀の間人類の交易の手段であり、したがって和解の手段であった。ところが、今やその大部分が米国に集まってしまった結果、各国の間の交易の手段は失われんとし、それにしたがって和解の道も閉ざされようとしている。しかも、金に代わるものはまだ生まれていない。その結果としてアメリカには「過剰のための貧困」があり、丁度日本の「貧困のための貧困」と対照をなしている。いずれも困難な問題である。というのである。「金」に代わるものは「信用」なのだ、と私はいおうと思ったが、マッカーサーは一度話し出すとなかなか雄弁で止まらない。「そもそも大蔵大臣というものは」というのが次のセンテンスの始まりで、大蔵大臣は国民から憎まれることをもって職とせねばならぬ(彼がこの時腹の中で、私がその一月ほど前にいった中小企業の五人や十人つぶれても云々ということばを想い浮かべていたことは明らかである)、何となれば、大蔵大臣の職務はできるだけ国の費用を切り詰め、国民の租税負担を軽くすることでなければならぬ。支那の王道は、国民の税金を減らすことを最高の目的とした。古今東西政権の交代をみるに、政道にある者が奢侈にわたれば必ず百姓は一揆し、逆に質素を旨とする王者は長く民生の安定をえている。そこで、貴下の当面の問題は、まず日本国民の税金を減らすこと、それから官吏の給料がいかにも低いから、これを適当に引き上げて、徐々に国民生活の向上をはかることであろうと思う、というのがマッカーサーの考え方の趣旨であった。[p.226]


立派な考えだなあと素直に思います。池田もその点を認めていて高く評価している。が、

ただ、これだけ立派なマッカーサーの考え方が、時として、実際の司令部の行政の上に十分に反映されなかったのは、遺憾というほかはない。[p.227]


反映されなかった理由として、マッカーサーが孤高の人なので、彼の考えを周囲はよく理解できなかったし、彼の考えの勝手な解釈が司令部にあふれて、衝突し、統一のとれぬまま日本政府に押し付けられたため、としている。

さて池田の渡米は経済政策の承認をドッジから得るためだけではなく、経済の好転から独立の気運が高まったきたために、ワシントンに打診するためでもあった。と、ここで先に進む前に、当然の疑問に答えている。

経済問題については、一見、東京の司令部の承認さえ得れば、よさそうに思われるかも知れないが、その時すでにドッジの名は、日本の経済再建から切り離せないまでに高く、彼と交渉せずに、東京の司令部が独断で、財政経済政策の決定をすることは、事実上困難であった。むしろ前にのべたように、当初ドッジの補給金削減案に反対した東京のニュー・ディラーたちは、私などに対しても冷ややかな態度であっただけに、吉田総理としては、東京の司令部の威厳を損なわぬように非常な努力を払い、私の渡米問題についても、マッカーサー元帥とは十分打ち合わせをしたようである。[p.229]


そして渡米と相成るわけだが、彼の地において、一行は「高からず安からぬ中位のホテルに入れられ[p.230]」余計なことを言って東京の司令部を刺激しては困る、ということでタイトなスケジュールが組まれていたそうだ。ここで白洲次郎が登場してくる。

同行した白洲次郎君ははじめ一日くらいは行動をともにしたが、二日目くらいから、自分は財政経済は全然分からぬから見学しても無駄だ、昔の友達がたくさんいるから、油を売ってくる、といい出し、彼だけは行動の自由を確保した。昔の友達というのは、ロックフェラアとか、グルウだとか、政府の役人にとってはうるさい人ばかりで、そこへ出掛けて、白洲君が何をいい出すか分からぬというので、陸軍省や国務省の人は随分気を揉んだらしい。何しろ、日本政府の代表者が占領軍のワクの外で物をいう最初の機会であったから、白洲君は十分に自由を行使して、講和の最初の固めをしたようだが、詳しいことはここではのべない。[p.231]


その次の文は随分謎めいている。

私は吉田総理から一つ「大事なことづけ」をされていた。それを然るべき人に然るべき場合に伝えるのが、他の経済問題より遥かに重大な使命であった。その機会をねらっていたが、色々考えて、結局、ある土曜日の午後、人気のない陸軍省の一室でそれをドッジと、日本問題を担当しているリード博士に伝えた。ドッジは国務相の顧問をかねていたので、これを伝えるのに不適当な人では無論なかったが、あえて彼を選んだのには少しわけがあった。そのわけはいずれのべる時機がくるだろう。[p.231]


さて、独立についての話は、というと、

結論だけをいえば、当時のワシントンの空気は、国務省は、占領が長びくと問題がうるさいから、とにかく、日本を独立させてしまえという論であり、国防省はあれだけの国をみすみす共産勢力に渡すわけにはゆかない、占領にあきてきたのはわかるが、それならばできる限りの自主権を日本に与えるいわゆる「戦争終結宣言」というような形をとるのがよくはないか、ただし、マッカーサーは一足飛びに講和条約に行けという主張だから、うまくこれに賛成するかどうかわからぬ、仮に賛成しなければ勢い現状維持ということになっても仕方がない、という考え方をしていたようである。[p.236]



cover
均衡財政
附・占領下三年の
おもいで
池田勇人
帰朝後、池田が吉田総理にした報告の抜粋がのっているが、これも面白い。ジョンソン国防長官とアチソン国務長官の相違、トルーマンの性格、ダレス日本担当官の影響などが記されている。が、すでに僕は本文を引用しすぎていると思うので、ここら辺でやめよう。次に「今日に至るまで米の問題だけが解決できないでいる」という米の統制の問題について書いて終わりにしよう。

米の統制撤廃は、インフレの間は農家に非常に人気のあるスローガンだったので、政治家達は声高に訴えていたけど、インフレが収束していくと、とうの農家が統制撤廃に反対しはじめた。つまり、物不足のうちは、いくらでも高く売れるのだから価格統制なんて邪魔以外の何者でもない。市場価格のほうが公定価格よりもかなり高いのだ。だからヤミで随分もうけた農家がいる。が、物の生産が回復してくると、当然、物の値段は下がる。だから今度は価格を統制して、市場価格より高く売りたい、というわけだ。補助金の問題というのは大体こんな感じなんですね、今も昔も*1

この後は司令部とのうんざりするような交渉、朝鮮戦争の勃発、講和条約のための国内調整(ここでは麻生太郎総理大臣のご両親が登場する)、そして講和会議の様子が描かれている。どれも無類の面白さなので、是非読んでみてください。最後に池田がとくに記しているフランスの外務大臣ロベール・シューマンの講和会議での演説を引用しよう。

「条約が寛大なのはただ人類愛からそうしたのではない。勝った者が負けた者をむやみにいじめても、結局、強い者は再び頭をもたげてくる。そういう現実的な考慮が今度の条約の底に流れている」とのべ、「フランスとしては今日のように不安な世界でこういう条約を結ぶことに、多少の危険がともなっているのは知っている。しかし、ひっきょう世の中に、絶対たしかだというものは無いのだから、まずまず危険の少ない方を選ぶしかないだろう」。最後に「われわれの平和のための努力を、たえず組織的に、また継続的に、曲解をするむきがあるのは遺憾だ」といったが、ソ連の名もあげず、だからどうしようともいわずに、ひょこひょことまた壇を下りて行った。
ことばも簡潔だが、いっていることがおよそ現実的で、どこか地方の村会の、年寄りの議長の報告を聞いているようであった。[p.310]


*1:米の補助金って今もこんな感じなんでしょうか? よくしりません。ただ、川島博之『「食料危機」をあおってはいけない』みたいな本を読むと、まあ外国でも当たり前のようだし、問題の規模としても小さく感じるのでどうでもいいか、と思わなくもない。もちろん保護されている分だけ消費者が負担しているわけだけど、当面はしかたないかな、と。

2009年4月28日火曜日

郷原信郎@ニコ生

今日、ニコニコ生放送で元検事の郷原信郎さんのインタビューがあったので見てた。もちろん西松建設の違法献金事件がテーマだ。

結論:まさかのセクシーボイス

お話の内容は従来通りで実に正論だと思う。小沢さんは早く秘書官の裁判をするように要求すべきなのに何をやっているのか、とのこと。番組冒頭はぶっちゃけトーク*1だったけど、全体的には落ち着いていて今回の捜査の問題点を分かりやすく説明してた。たぶん数日中にアーカイブとして見れるようになると思うので、是非。ニコニコ動画を検索すると出てくると思います。

*1:秘書官逮捕の一報を聞いた時は、これで小沢さんがやめればラッキー、と思ったんだそうです。

政府による暗黙の保護、あるいはちょっとだけ経済学に触れて思ったこと


日本の個人資産は1400兆円ともいわれる。とんでもない額だ。このお金は金融市場を通してさまざまなプロジェクトに使われるべきものだ。そうでなければただのケチだ。

しかし現状はケチのほうであるようだ。つまり資金が必要な人のところに届いていない。

僕が思うに、これは政府の保護の問題であると思う。日本のお年寄りがお金を使わないのは、社会保障がちゃんとしていないから、と説明されることが多い。別に間違っているとも思わないが、億単位の金を庭に埋めるとか、高齢者たちは平均して二十年分の生活費を溜め込んでいるとか聞くと、ちょっと社会保障だけでは説明できないと思う。

大金を溜め込む、ということは、溜め込んだ大金の価値が将来的にも変わらない、と想定している、ということではないか。来年のことをいえば鬼が笑うわけだが、十年後の物価水準なんて予想するだけばからしいというものだ。にもかかわらず溜め込んでいるということは、インフレは絶対に起きない、と考えているということだろう。

物事にはつねにトレードオフがあるわけで、お金を貯める、という行為ににも当然リスクがある。それは「金額は増えても、お金の価値は減ることがある」ということだ。

池田勇人が繰り返し述べていたように、インフレが20%とか30%とかいう状況では、人は絶対にお金を溜め込んだりしない。今年の100万円が来年になると80万円の価値になってしまうのだから、今のうちに100万円ぶんの価値あるモノやサービスと交換したほうがいい。だから経済がインフレ気味だと景気がいいようだ、という経験則があるわけだ。

いまの日本のお金持ちも、当然インフレのリスクを負っている。はずなんだけど、ここで政府の保護があると思う。本来なら、インフレをヘッジするために、ある程度のリスクをとっていかないといけない。例えば100万円を一年間投資するとして、年率3%のインフレに耐えればよし、とするなら、一年後に103万円以上になってなければ損をしてしまうわけだ*1。ただお金を貯めるだけでも3%の利益をださなきゃならない。そのためには投資先を慎重に選んだり、あるいは有望な投資先そのものを発掘しなきゃならない。そこで金融機関はお金持ちからの圧力をうけていろいろ動き回るわけだ。そうやって人物が発見されて、投資され、利益を上げたり上げなかったりして、お金が世の中を回っていいく。そこまでやっても、結果的にインフレ率が5%だったら、二万円の損になってしまうし、さらに、貯めるだけでなく利殖もしようとなったら、更に更にがんばらないといけない。

が、そうはなっていないようだ。まるでお金持ちの「インフレをヘッジしなきゃならない!」という気持ちがまったく存在していないかのようだ。で、それは政府(日銀も)が暗黙の保護をあたえているからなんだろう。お金持ちは政府がインフレを許容しないことを知っている。だから投資先を探すこともない。本来なら、お金持ちはある程度のリスクをとっていかないと、自分の財産を守ることができない。そして、だから、経済には始めから貧困をなくす力が備わっている、ということもできるだろう*2。お金持ちが財産を守ろうとすれば、それは誰かのチャンスになるというわけだ。が、この経済に備わった力を、今の日本政府は押さえ込んでしまっているんじゃないだろうか。

当然そこにもトレードオフがある。お金持ちがリスクを負わずに財産を守ることができるということは、誰かが代わりにその代価を支払っている、ということだ。ただ、誰がどういう形で支払っているかは、それほど自明なことじゃない。まあ就職氷河期とか労働環境の悪化は一つの形でしょうが、もっと微妙でとらえ難い形もあるだろうし、誰か、というのも、若者であることが多いだろうけど、そうでない事も少なくないんだろう。このとらえ難さが、与謝野大臣の次の発言を、なんというか許してしまうんだと思う。

国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)の見通しだと日本は今年、6〜7%程度のマイナス成長になるという。マイナス3%という欧米経済の見通しに比べるとかなりマイナス幅が大きい。それを今回の経済危機対策で欧米並みの落ち込みまでかさ上げできると思っている。

時事超流
与謝野馨 財務・金融・経済財政相に聞く
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090424/193016/


財務・金融・経済財政大臣がこういうことを言っていればインフレになる心配はまったくないだろう。ここでいう成長とは日本経済が造り出すモノ(やサービス)の量が、前年に比べて増えた、ということだ。それがマイナスであるというのは、造り出す量が減っているということで、その分仕事が減っているという事でもある。先日のエントリでも書いたが、少ない需要に多すぎる供給をあわせるのは、人に死ねといっているようなものだ。なぜそんなことが許容できるのか僕には分からない。

で、この事実上のデフレターゲットはすこぶる上手くいっているように見える。ならば、インフレターゲットも上手くいくんじゃない? 今は溜め込んだお金を使う時だ。デフレなんだから。

*1:複利って何それ? おいしいの?

*2:この力がそのうちバブルを生み出すんだろう。バブルの発生を防ぐことはできるのか、そもそも防ぐべきなのか、というのは議論の別れるところ。

2009年4月27日月曜日

補足・書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』

先日のこのエントリの補足です。

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下村治
「日本経済学」の実践者
上久保敏
池田勇人といえば所得倍増計画。そしてその経済政策のブレーンといえば下村治。なのだけれど、『均衡財政』では下村の名前は出てこない。下村治については上久保敏『下村治「日本経済学」の実践者』が最近出た。未読。さらに下村治の『日本経済成長論』も復刊された。未読。

『均衡財政』で扱われている時代はインフレの時代だった。日本は戦争を経て、モノを造り出す能力、つまり供給ががくんと落ちてしまっていた。でも需要のほうはそれほど減っていないから、モノがたりなくなって値上げしやすい状況にあったわけだ。そうしてヤミ市場が生まれていった。つまり「もっと金をだせば売ってやる」というわけだ。供給は短期間にどうにかなるようなものじゃない。人口が増えたり、教育が行き届いたり、労働環境が整ったりしないと伸びない。なので需要のほうを供給にあわせなきゃならなかった。これが均衡財政ってことだ。

翻って2009年の日本は供給は充分にある。足りないのは需要だ。これはバブル崩壊以降変わらない。そしてこれを放置するとデフレになる。

私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。[p.55]

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日本経済成長論
下村治
とあるように、池田の時代と状況がちがうからといって、彼の言葉が現在に通用しないわけじゃない。彼はドッジと共にインフレと戦って日本を救ったが、昭和25年にはリフレ政策の承認を得るために渡米しているのは先日書いた通り。結果的には朝鮮戦争が起こり経済はインフレになったが、決してインフレを抑えるためならばデフレもやむなし、という人じゃない。それも当然で、少ない需要に多すぎる供給をあわせるってのはつまり、ラッダイト、なら穏やかなもんで、人に死ねといっているようなものだからだ。

池田は国民の自発的な貯蓄を促すために腐心した。1400兆円といわれる個人資産は、その成果といえるかもしれない。本来ならその資産は金融市場を通して生産的な活動に利用されるはずのものだ*1。だがそうはなっていない。


追記:本書に納められている『占領下三年のおもいで』についてのエントリを書きました。

*1:池田はそういった資産を「貯蓄国債」を発行して利用しようと考えていたようだ。

2009年4月26日日曜日

なにがしたいんだ


4月24日、こんなニュースがあったとさ。

世界経済は予断許さず 日銀総裁、包括的な政策発動を訴え


日経新聞web魚拓

日本銀行の白川方明総裁は(中略)潤沢な資金供給や金融機関への公的資金の投入、包括的な景気刺激策の発動が必要と訴えた。


………なんか腹立つ。

この人、ものすごく頭のいい人なんでしょうが、日銀のような重要な組織のトップには向いていないのでは? 

不況になると人々がお金を使わなくなる、ってのは誰でもわかる話。消費は誰かの収入になるものだ。だから不況下では人々の収入は落ちてしまう。そして少ない収入は消費をさらに少なくする。この悪循環を立たなきゃ不況は終わらない。だから人々の代わりに政府が使う。道路整備したり減税したり給付金を配ったりすればいい。この際多少無駄になっても構わない。例えば政府がお金を使って穴を掘って埋めもどしたとしよう。これはもうどうしようもなく無駄だが、少なくとも穴を掘って埋めた人は給料を得る。その人にとってはとても意味があるだろうし、その人が歯を治療したり娘にケータイを買ってやったりするだろうから消費も一人分戻ってくる。不況の時にはそんな無駄なことでさえ充分意味がある*1

もう一つできることがある。人々がお金を使わない、というのは、言い換えれば人々はお金の価値を高く評価している、ということでもある。なので、お金の価値を少し下げてやれば良い。そうすれば人々はお金よりもモノを手に入れたり、サービスを受けるほうが価値がある、と感じるようになる。そしてこれができるのは中央銀行だけだ*2

さて今、各国の中央銀行がリスクのある資産(債券とかね)をバシバシ買い込んでいる。当然資産の代わりにお金を払うわけで、そうやって中央銀行は市場にお金を注ぎ込んでいるわけだ。そうすれば世に出回るお金の量が増えるし、更に、お金を発行している中央銀行がリスクを取ることで、お金に対する信頼を少し傷つけることができる。そうして人々がお金を手元に置いておくよりも、モノやサービスに価値を感じてくれれば不況は終わるだろう。

翻って我らが日銀は、なんつったって「失われた10年(15年?)」を生み出した元凶なわけで、なんでも「包括的な景気刺激策の発動が必要と訴えた」そうですが、それはあなたの仕事でしょう! 「銀行券ルール」とか訳の分からんことを言って景気対策を渋っているのはどこの誰だよ!



*1:もちろん政府が意味のあることに使うほうがなおいい。でも、何が意味があるのかを決めるのには時間がかかる。不況で困っている人は、今仕事やお金が必要なわけで、時間がかかればかかるほど余計に苦しむことになる。なので多少無駄でもこの際割り切るべきだと思う。アメリカのグリーン・ニューディールは環境保護に反対する人が少ないからすんなり決まったんだろう。ま、それでも中央銀行ができることにくらべると時間は随分かかる。

*2:ホントはそうじゃない。民主国家なんだから、国民の代表である政府が決めてしまえば何でもできるでしょう。それが一時期話題になった政府発行紙幣だ。ま、日銀がちゃんと仕事すれば必要のないものではある。



2009年4月24日金曜日

書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』

毎度更新のペースが一定しないけど、こんなもんです。

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均衡財政
附・占領下三年の
おもいで
池田勇人
さて、今回読んだ本は池田勇人著『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』。以前に、池田勇人の側近であった伊藤昌哉が書いた『池田勇人とその時代』の書評を書いたときから、読まなきゃいかんなあと思いつつ先送りにしてきた本。なぜってそりゃあ本書のタイトルが不吉すぎるから。今世界は100年に一度とかいう経済危機に直面しているわけで、こんな時に均衡財政(税収と政府の支出が釣り合っていること)の維持なんか自殺行為だ。人々がお金を使わない、これつまり不況なわけで、そのために人々は充分な所得を手に入れることができない。そんなときは政府が代わりに使いまくる! そうして所得が増えれば、人々は安心してまたお金を使うようになる。ここで政府が何もしなければ、どこぞの国みたいに失われた10年とかそんな目にあうという寸法ですよ。

で、均衡財政を目指せば国債の発行には消極的になるに決まっている。国が借金をすれば一時的に出るお金がふえるけど、長期的には使えるお金が減るんだから。だから今となっては不吉なタイトルだった。でも本書を読みはじめてすぐに杞憂だったことが分かった。池田のいう均衡財政とは国民の自発的な貯蓄を促すためのものだった。ま、本書は不況対策についての本じゃないからあたりまえなんですね。でもさ、ほらどこぞの国だとさ、不況だって言うのに増税とか以下略。

本書は昭和27(1952)年*1に出版された。つまり日本が独立を回復した年だ。池田は昭和23(1948)年に大蔵省を辞めて翌、昭和24(1949)年に衆議院議員になってそのまま大蔵大臣に抜擢されている。その大蔵大臣としての三年間の政策をみずから解説したのが本書だ。この年までの経済状況をビックリするくらい簡単にまとめると、終戦後は激しいインフレ→それを抑えるための超均衡予算(ドッジライン)実施→あれ? 全体的にはいい感じなんじゃない?→朝鮮戦争勃発→特需とよばれる異常な好景気→それも一段落。戦争成金がブーたれる、といった感じ。この本では朝鮮戦争ではなくて、朝鮮動乱と呼ばれている。その朝鮮動乱が終わるまであと一年、という時代。

本書は実に充実の一冊であるので、なかなか要約が難しい。ので、三つのテーマを取り出して、それらに沿って概観していこう。なのでこの三つのテーマが順番に出てくるということでは、もちろんない。

一つ目は終戦から昭和27年までの日本経済の解説。主にインフレ対策について。二つ目は現在、つまり昭和27年の日本経済が持つ問題を税制や金融制度を通して語っている。そして三つ目はこれからの日本はどうあるべきかという問い。これを経済政策を通して語っている。

三つのテーマは本書のあらゆるところで、時には同時に顔を出す。池田の説明は常に具体的な数字に基づくが、小さな辻褄に拘泥しているのではなく、決して全体を見失わない。なので読者は個々の政策の来歴というか必要性を実にスムーズに理解できるようになっている。

ではまず一つ目。終戦後の日本経済について。ここからは(僕の勝手な)要約を赤くする。でこの書評の地の文はそのまま。

インフレはモノと金のバランスが崩れたところから起こる。敗戦後は何よりもまず生産の増強が優先された。生産の増強は復金を含めた財政赤字によって行われ、そのためにインフレが生まれたが経済的基盤が脆弱であるので、放置されていた。そこで、昭和24年に銀行家ドッジ氏が来日し、「超均衡予算」が組まれた。これが上手くいってインフレは収まった。一個人や一企業には厳しいこともあったと思うが、全体としてはどうしても必要なやむを得ない措置だったと思う。


その後朝鮮動乱が起こるんだけど、その影響について。

「特需」は均衡財政下での不安を一気に追い払ってしまった。が、昭和26年には異常なブームは収まっていた。「特需」がなくても日本経済の回復は順調であったと思う。


そして二つ目のテーマ。現在(昭和27年)の日本の問題。

インフレのせいで資本の蓄積が進んでいない。これからは更なる減税を通して資本の蓄積を促したい。銀行のオーバーローンというのが問題視されている。つまり銀行が手元の預金額に比べて大幅に貸しすぎているという問題。「特需」の後ということもあり、不況になるんじゃないかと心配されているので、オーバーローンを今すぐ解消しなくてはいけないと考える人々も居るようだ。


このオーバーローンという問題は、なんだかバブル崩壊以降の不良債権問題と似てますな。で、池田はこの問題は解決するに越したことはないが、今すぐである必要はない、という。経済が成長していく過程で解消に向かえばそれで良い、とする。

そしてやっぱりオーバーローンの原因は資本の蓄積が足りないこと。そもそも資本が少ないから、銀行の貸し出しに頼った企業経営をするしかなかったのであって、その解決策も銀行をどうにかするのではなくて、資本の蓄積と金融市場の整備を進めて資金を調達しやすくする政策が妥当である。


インフレはお金の価値が下がる現象なので、そうなるとだれもお金を貯めようとは思わない。だから銀行はお金を集められなくなる。なので預金よりもかなり多めに貸し出しをしなければ企業はつぶれていくだけだった、ということだろう。で、その銀行をなんとかするだけじゃ意味ないよ、と。うーん。大局観というやつですな。

三つ目。今後どうするの?

ここからは引用をしていこう。まずもっとも大事な目標は何か、というところから。

われわれは、心から世界平和の維持を念願する。だから、日本経済の運営に当たってもまた、この念願を実現するために、必要な経済条件を造り出すことが根本の目標とならなければならない。では、どういう経済条件が世界平和の維持のために必要だろうか。  第一には、国民の生活水準の向上をはかること。第二には、失業者を減らして完全雇用を維持すること。第三には社会福祉の増進をはかること。第四には、これらのことを、わが国だけで実現するのでなく、他国と互いに協力しつつ実現して、世界人類全体の安定と福祉を増進してゆくこと。[p.42]


均衡財政とか、健全財政とかいうと、なにか消極的なものに考える向きもあるかもしれないが、しかし、われわれの目標は、経済の進歩、発展、というところにあることを、ここに強調しておきたい。[p.43]


この目標が達せられなかったらどうなるのか。

人間が働く意志を有しながら、働くべき職がないということは、誠に堪え難いことであり、不幸なことである。失業が社会的な疾病ともいうべき慢性的な状態になると、偏った思想が生まれ、戦争が誘発される。第二次世界大戦が、遠く1930年前後の世界的不況に起因するという見方は、決して間違っていない。[p.45]


国民の生活水準を向上させ、完全雇用を継続するとともに、生産技術の進歩、働く環境の改善、公衆衛生の向上、教育の普及、文化の発展、社会保障の増進などを図ることは、近代国家の任務である。このような経済的社会的進歩発展が続けられてこそ、その進歩発展を阻害し、ひっくりかえす戦争を避けようとする意志も、また確固たるものとなる。[p.46]


池田のいうことは、今の日本には当てはまらないのだろうか。この十五年、池田が掲げた世界平和のための四つの目標のうち、生活水準の向上と完全雇用の維持については、なぜかあまり語られなくなっているように思う。んでは、どんな経済政策がいいんでしょう?

私は、大蔵大臣として過去三カ年余りにわたって、いわゆるディスインフレ政策を実行してきたが、私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。私は、大蔵大臣就任以来ずっとこの考え方を通してきた。これが一般にディスインフレ政策とよばれたのは、たまたまその間に、急激な悪性インフレの克服に努力し、一応の安定を回復するや、今度は、朝鮮動乱勃発に伴うブームに対処しなければならなかったためであって、経済諸条件がディスインフレ政策をとることを必要としたからである。[p.55]


つまり、戦後の経済状況故のディスインフレ政策であって、状況が変われば、当然政策も変わる。

国民こぞって真剣に努力した甲斐あって、あのひどかったインフレがほとんど何の混乱もなく、世界史上まさに「奇跡的」といってよいほどに収束された。ところが、昭和二十五年の春頃には、私の予想したとおり安定恐慌的な現象がでてきた。私は自分の政治的感覚から見て、どうしてもデフレ傾向の緩和をはかるべき程度まできていると考えたので、早速司令部の人たちにこの意見をのべた。結局ドッジ氏に直接経済情勢を説明してその了解を得ることが必要だ、ということになり、減税、輸出増進のための輸出銀行の設立、預金部資金の活用、官公吏の給与引上等のリフレーションというか、言わばディスデフレ的ないろいろの腹案を持って私が渡米することになった。[p.56]


この案をドッジは承認したのだが、朝鮮戦争勃発のために経済は再びインフレ基調となり政策も再びディスインフレ的になっていった。それにしても当時の読者にはリフレーションという言葉はおなじみだったみたいですね。

以上のように、私はインフレとデフレを、ともに調整することを、財政金融政策の任務と考えている。従って、講話によって独立したからといって、この基本的な考え方を変更すべきだとは考えていない。基本的にはあくまで「健全な経済」を維持してゆくべきである。今後の財政金融政策の基調が、ディスインフレか、ディスデフレかは、今後の経済条件の変化如何にかかるのである。[p.57]


ここまで長々と引用したのは、池田の視点があくまで全体的なものであることを示したかったからだ。池田は、個人や個々の企業については自由で民主的であるべきで、今の(もちろん昭和27年の)経営者は政府に頼りすぎていると思う、と書いている。「近代国家の任務」は環境の整備であって細かいことに口を出すことじゃない。そういった考えが、有名な「貧乏人は麦を食え」「ヤミをやっていた中小企業の五人十人がたおれたってかまわない」*2という発言の裏にあったのだと思う。

くどいけど、この本は日本が独立を果たした昭和27(1952)年に書かれたものだ。今75歳の人が生まれたのが昭和9(1934)年、満州事変が一応収まったその翌年だから、彼らが18歳の頃になる。つまり今の老人にとっても、この本は遠いというか、よほど興味を持たなければ読んでいない本だろう。そしてこの本のすごいところは経済の全体像を見失わないよう注意深く物事を見ている、というところだと思うんだけど、その注意の射程は「遠く1930年前後の世界的不況」にまで及んでいる(まあこのときは20年前くらいの話だけど)。つまり、全体像をとらえるには人の一生は基準として小さすぎるし、時に短すぎる、ということだ。まれに老人たちを「粉骨砕身で戦後の経済成長を担った」というように表現する人がいるけれど、僕はなんか失礼だな、と感じる。彼らなりの一人一人の人生があったんだから、それを勝手に了解して全体像に組み込むな、と思う。池田だったらそうはしないだろうと思う。そして彼の考える全体像が控えめにいっても妥当なものだったからこそ、日本の経済発展はなし得たんだろう。なので現在の為政者たちも、個別の現象に拘泥するよりも、全体像の把握に注意深くなって欲しい。そうすれば自ずからとるべき道は見えてくるんじゃないだろうか。

追記:この本には付録として「占領下三年のおもいで」という文章がのせられている。これは実業之日本編集局長山田勝人に池田が語ったことを編集したものだ。これが抜群に面白い。司令部やドッジ、シャウプとのやり取りや、吉田茂との関係などが、そんなにはっきりとは書かれていないけど、ほんのり分かるように書かれている。次のエントリではこの文章について書いてみるつもりです。

さらに追記:補足エントリを書きました。こちらです。

さらにさらに追記:書きました。「『占領下三年のおもいで』について



*1:僕の母が生まれた年だ。

*2:池田は記者クラブの人たちに、無愛想だ、と嫌われていたので、彼らに狙い撃ちにされたようだ。このエントリを参照

またもテンプレ替え

はい。そうなんです。テンプレート変えました。長文書き散らしブログなのに一行が短かったので変えました。反省はしていない。

ひと月ぶりのエントリがこんな感じです。