2009年11月30日月曜日

経済学者から首の短いキリンたちへ・書評・田中秀臣『偏差値40から良い会社に入る方法』

cover
偏差値40から
良い会社に
入る方法
田中秀臣
 学生の就職状況が悪いというニュースがでるようになってきた。で、関係ないけど、複雑だったり新奇だったりする出来事に出くわすと、知ったかぶりをしちゃうってのが大人にありがちな反応だ。その反応にも二種類あって、一つは「俺の経験」を大声で言って開き直るというやつで、人一人の経験なんてたかが知れてるんだからそこから一般化はできないよ、とスルーすればいい。もう一つは「そもそも論」で、「そもそも能力のあるヤツなら企業が放っておかない」みたいな確かめようのないことを大声で言ってみたらホントっぽく聞こえたというやつで、これは願掛けと変わらないから、そうなるといいですね、でスルー決定。でも口に出したらだめですよ、そういう人ってメンドクサイから(若者が大人を怖がるのも納得だ)。
 
 今回読んだ本、田中秀臣著『偏差値40から良い会社に入る方法』は「俺の経験」でも「そもそも論」でもない就活本だ(著者の経験も書かれてるけど)。本書のターゲットは就職活動が苦手なフツーの人なので、優秀な俺様が過酷な現実に立ち向かって勝利を得た話をしてやるからお前らもがんばれみたいな本ではない。著者は経済学者なのだ。かなり強引な引用をしてしまうと、経済学者というのはケインズによると、
経済学者はすでに、「社会と個人の調和」を生み出した神学的な、あるいは政治的な(自己責任という)哲学とのつながりを絶っている。経済学者の科学的な分析からも、そのような結論を導くことはない。
 
 僕はこの前の就職氷河期を学生として経験してるけど、この時まともで、凡人にも実行可能なアドバイスなんて存在しなかった(なので『菜根譚』とか読んでた)。その時の僕は思い至らなかったけど、結局のところ大人たちもどうすればいいのか知らなかった。僕の出た大学はその年の内定率が50%で、本書にもあるけどそもそも職を探す学生が減ってしまっていたので、実際に仕事にありついた学生は50%よりも少ないだろう。しかもこれまた本書にあるように、離職率の非常に高い職種、金融営業とか、についた学生が多かったようだ。
 
 で、本書にはいままで見あたらなかった実行可能でまともなアドバイスが具体的に書かれている。特に大事なのは、企業の都合を良く知ろう、ということ。その調べ方、考え方も書いてある。なので、この本を読んで得をするのは学生だけじゃない。極端に言ってしまえば、一生役に立つ心構え(しかも超人的な努力を必要としない)が手に入る。が、その手の金言はいつもそうだけど、すぐに結果が出たりしないかもしれないし、時にはずっと結果が出ないかもしれない。
 
 その理由も本書にある。本書に載っているのは実践的なアドバイスだけじゃなくて、もっと根本的な疑問も提示されている。つまり、本当に個人の問題なのか? という疑問だ。就職活動は求職者側の負担が妙に重い。だからこそ不満足な職に引っかかる人が多いのだと思う。本来なら労働環境や離職率などの情報は求職者に提供されているべきだろう*1。どう考えてもフツーの個人が調べることは難しいんだし。個人の限界を超えているのなら、それは社会の問題だ。だから本書のアドバイスを実行しても結果が出ない可能性もある。
 
 ケインズは拙訳『自己責任主義の終わり』のなかで、キリンの群れを例えに個人の能力に頼る社会のデメリットを説いている。高いところに葉をたくさんつける木と、それに群がるキリンを想像してほしい。キリンは努力してめいっぱい首をのばすだろう。その努力の甲斐あって首の長いキリンが肥え太る一方で、首の短いキリンは飢えていく。

 キリンたちの幸せを心から望むのであれば、首が短いばっかりに飢えていくキリンの苦しみを見逃すべきではないし、激しい闘争の中で踏みにじられていくおいしい葉っぱとか、首の長いキリンの肥満とか、群れの穏やかなキリンたちの表情に垣間見える不安や強欲の邪悪な気配なども素通りしてはいけないはずだ。


 もちろんケインズは個人の能力を否定しているわけではない。彼は、個人の能力や成功は運次第だ、と言っている(のだと思う)。たしかに能力のある人物は存在するが、両親から受け継いだ才能と、それを育てる境遇があればこそだ。100%自力で優秀になる人なんていない。ちょっとマシな参考書にであうのだって運が必要なんだから。
 
 就職氷河期を繰り返してしまうということは、僕たちが何でも個人の問題にすりかえてしまう悪癖に耽っているということでもある。首の短いキリンが飢えているのを見て、「短い首のヤツにはそのような運命がお似合いだ」と言えるだろうか。感情的にそれは難しいだろう。しかし現実の判断としては、僕たちは首が短いという理由で飢えゆくキリンを見捨てている。しかも、首が短ければ、つまりこの場合就職活動が下手ならば、能力が低いといえるのだろうか? という大きな疑問も放置したままだ。あと、能力が高いはずの人たちがどれほど社会に貢献しているのか? という疑問も。
 
 本書の後半部分はまさに、次のケインズの言葉をわかりやすく丁寧に説いているといえる。
 現在の悪しき経済現象の多くは、リスク、不確実性、そして無知の所産である。特定の境遇や能力に恵まれたものが、不確実性と人々の無知を大いに活用することから、さらに同じ理由で大事業はしばしばただのギャンブルになっていることから、富の大規模な不平等が生じるのである。また、これら同じ三つの要因が、労働者の失業の原因であるし、まっとうな商売が期待通りの利益を出さないこと、効率性と生産量が減っていくことの原因でもある。しかしその治療法は個人の働きの中にはない。それどころか、個々人の利害はこの病を悪化させかねない。これらに対する治療法の一つは、中央政府機関による貨幣と信用の計画的なコントロールに求めるべきであるし、一つは、すべての有益な、必要とあらば法で定めてでも公開させたビジネス情報を含む、ビジネス環境に関わる大規模なデータの収集とその広い告知に求めるべきである。これらの対策は、適切な機関が民間事業の複雑な内部構成に働きかけることを通して、社会に対し人々のマネジメント能力(directive intelligence)を十分に発揮させることを促すだろう。その一方で、民間の指導力や私企業の妨げになることもないだろう。そして、たとえこれらの対策が不十分なものであったとしても、現在私たちが持っているものより有益な、次のステップに進むための知識を提供してくれるだろう。


 さらに本書には一生役に立つ就職活動のコツも書かれているのだから、1,400円(+税)は安いと思いますよ。ちなみに、本書後半の内容を詳しく知りたいときは同じ著者の『雇用大崩壊』をおすすめ。
 
*1:本来ハローワークってそのためにあるんでしょうけど、現状では右から来た求人を左の求職者に受け流してるだけに見えますよね。

2009年11月26日木曜日

[訳してみた] J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』 目次と口上

目次



訳者の口上


 突然ですが若田部昌澄著、『危機の経済政策』を引用してみます。
cover
危機の経済政策
若田部昌澄

 しかし何といっても現在最も脚光を浴びているのはケインズ、あるいはケインズ経済学でしょう。「今の時代に頼りにすべき経済学者は一人しかいない。それはケインズだ」とグレゴリー・マンキュー(ハーヴァード大学)は『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムで書きましたし(Mankiw 2008)、2008年ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン(プリンストン大学)も現在は「ケインズの時」であるといいました。またジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学)はケインズ経済学の復活を宣言し、思想的にはリバタリアン(自由至上主義)に分類される人気経済ブロガーのタイラー・コーウェン(ジョージ・メイソン大学)はケインズ『一般理論』のブログ上読書会をはじめました。

[p. 248]
cover
The End of
Laissez-Faire
&
The Economic
Consequences
of The Peace
John Maynard
Keynes

 じゃあ読んでみましょうと思っても、日本語で手に入りやすいケインズの本って『雇用、利子および貨幣の一般理論』ぐらいですよね。あんなの読めるわけねー。ということでケインズの代表的な作品の中で、僕にもなんとか読める短いヤツを訳してみました。原題はJohn Maynard Keynes "The End of Laissez-Faire" (1926)です。普通『自由放任主義の終焉』と訳されているところを今風な感じに変えてみました。自由放任というと、最終的には立派なオジサンが出てきて責任を取る、みたいなパターナリスティックなイメージがあるので(僕だけかな)。『ケインズ全集 第九巻』に収録されている宮崎義一先生の翻訳を参考にして訳しました。
  

 この作品が書かれた背景を、もう一度『危機の経済政策』から引用しましょう。

 1918年に大戦が終了すると主要各国は金本位制への復帰を模索し、アメリカが先陣を切りました。その復帰(1919年)は旧平価によるものでしたので、その後に激しいデフレ不況(1920-21年不況)が到来しました。しかし、このデフレ不況を乗り切った後に、アメリカでは繁栄の20年代が訪れます。
 他方ドイツをはじめとする中欧諸国ではハイパーインフレーション(1922-23年)が起きます。その収束には、金本位制への新平価復帰が必要とされました。20年代のイギリスはマイルドなデフレが進行し失業率が高止まる停滞期を迎えました。1925年4月に旧平価による金本位制復帰を行いましたが、その是非と平価の設定をめぐっては論争が起きました。安定化論者たちは安定化を阻害する金本位制そのものに懐疑的でした。そして、意図的なデフレ政策を意味する旧平価での復帰には反対でした。しかしこれらの論者は金本位制を完全に廃止する提案にまでは至りませんでした。

[p. 30]
 「マイルドなデフレが進行し失業率が高止まる停滞期」、どこかで聞いたことのあるような話です。この『自己責任主義の終わり』はそんな中書かれた一般の人向けのパンフレットだったそうです。なので経済理論について詳しく語ったものではなくて、いかに政府が積極的に経済の安定を図るべきか(でも社会主義に陥らないようにするにはどうしたらいいか)、について解説したものです。安定化というのは今で言うマクロ経済政策の実施です。放っておけば経済は自然に調整されて回復するから何もするな、という考えに反対する人たちを安定化論者といい、彼らが現在のマクロ経済学の礎を築いたわけです。もちろんケインズはその超重要な一人でした。

蛇足:訳してて思ったんですが、第1章の前半部分がとくにメンドクサイです。それってマーケティング的にどうなんですか? ケインズさん。みんなちょっと読んだら引き返しちゃいますよ。

ページの先頭へ


訳者のあとがき


cover
対話でわかる
痛快明快
経済学史
松尾匡
cover
子どもの貧困
阿部彩
 訳してみて、ケインズが引っ張り出してくる例が恣意的なのでは? と思う個所がいくつかありました。ダーウィンってホントにそんな主張したの? とか、特に過激な人の発言だけを切り取ってるんじゃないの? とか。最近読んだ松尾匡『対話でわかる 痛快明快経済学史』でも、ケインズの主張に癖があることに触れていて納得。「わざと読者に論敵の主張を誤解させるような言い回しをして信用をなくして」(p. 185)おいてから攻撃している感じ。

 とはいえ、「タイミングよく有能であったり幸運であったりする個人が、その時点までに実った果実をすべて持って行ってしまうようなシステムは、確実に、良い時期によい場所に居合わせるテクニックを学ぶ大きなインセンティブを人々に与えるだろう。(第3章)」というケインズの言葉にはまったくもって同感です。友人の高校教師が「3教科に絞って小学校から教えれば、たいていの子は早慶に入れさせることができる」とものすごくイヤそうにつぶやいたのを思い出します。学力がまるで遺伝しているかのように親から子へ受け継がれている現状を、阿部彩『子どもの貧困』(参照)でも批判していましたが、これも世襲のひとつの形なのでしょう。

cover
国会学入門
第二版
大山礼子
 ケインズはイングランド銀行を例に「組織のための組織」を防ぐ仕組みを描いていましたが、この場合の民主的な基盤というのが議会でした(第4章参照)。この議会ですが、もちろんイギリスの議会ですから日本の国会とはちがいます。大山礼子『国会学入門 第二版』(参照)にあるように、イギリスの内閣は議会の中にあり、さらに政策を決定する場というよりも、与野党の意見を国民にアピールするパフォーマンスの場であるんだそうです。なのでケインズは、内閣がイングランド銀行総裁を選ぶ責任を、国民が明確に理解できる仕組みを評価しているのだと思います。つまり国民に見える形で、幾分大げさにでもアピールすれば、どこかの中央銀行みたいにこそこそしないだろう、ということなんじゃないでしょうか。その点、日本の場合、内閣は国会の外にある、ということになっているようです。そのため、内閣が議会で政策を堂々とアピールすることがない。総理は議会が選んでいるのだから、内閣に対するチェックも議会の仕事だと思うのですが。ところが、日銀の現総裁、白川さんを選任する時は、ねじれ国会ということで大もめにもめたので国民の注目も集まりました。そしてこのようなニュースもあります。

「日銀総裁人事に民主・西岡氏、反省の弁」


……西岡氏は、「純粋に武藤さんがいい、悪いという前に、政治状況があった」と述べ、当時の自公政権と対決するのが主眼であったと説明した。そのうえで「(財政運営と金融行政を分ける)『財金分離』を理由に武藤さんがはねられたのは、今でもおかしいと思っている」と語った。……

読売新聞
 国民の注目を集めるだけで、民主的な圧力が生まれるということだと思います。もちろんそれだけでは不十分で、ちゃんと議会による修正ができるようでないとダメですが。

 僕は『国会学入門』を読んだ時、イギリスのようなパフォーマンスの場としての議会の利点がよく分からなかったのですが、今回ケインズの文章を読んで、国民の見ている中でパフォーマンスをさせればコミットメントにもなる、と納得しました。日本の国会の本会議は何をやっているのかいまいちよくわからない状態にあります。事実上政策を決めるのは与党内部、そして国会の各委員会です。だから国民からは見えにくい。そこで党首討論が導入されたんでしょうけど、与党側の思惑で実施したりしなかったりするようでは意味がないでしょう(民主党政権になって一度も実現してませんし)。

 なんかケインズと関係なくなっちゃったんでここでおしまい。

ページの先頭へ

J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』第5章

<<第4章||目次||

第5章

 本稿の省察は、組織的に活動する機関を用いて現代の資本主義における政策技術をめいっぱい改善することを目指してなされたものだ。この中に、私たちにとって資本主義の本質的な特徴と思えるものと深刻な矛盾を来すものは一つもない。その特徴とはつまり、個々人の金儲けと貨幣に対する本能的な愛着を、経済というマシーンの強力な原動力とし、それに依存しているという特徴だ。本稿も終わりに近づいたので、話題をそらすわけにはいかないが、それでも読者の皆さんには、次のことを覚えておいていただきたい。つまり、これから数年の間に勃発するであろう、とんでもなく激烈な論争や、絶対に埋まることなどありえなさそうな意見の溝というのは、主に経済政策についての技術的な問題を巡るものではなく、上手く言えないけど、心理的とか、あるいはおそらく道徳を巡る対立なのだということを。

 ヨーロッパ、少なくともその一部では——でもアメリカではちがうと思う——、私たちが個人の貨幣愛を育て後押しし保護しすぎている、という潜在的な反発が広範に存在する。私たちの社会を人々の貨幣愛を刺激することで動かしていくというやり方について、その刺激は少ない方が多いよりも好ましいのかどうか、無条件に決まっている必要はない。社会の事例の比較に基づいて決められるべきだろう。人それぞれ選んだ職業が異なれば、日常生活の中で貨幣愛の演じる役割の大小も異なってくる。さらに歴史家たちは、貨幣愛が現在ほど重要でない社会組織のあれこれについて教えてくれる。ほとんどの宗教とほとんどの哲学は、控えめに言っても、預金口座の数字を増やすことばかり考えている人生を全く評価しない。しかしその一方で、今日の人々の大部分は禁欲的な警句を無視するし、現実に裕福であることの有利さを疑ったりしない。それどころか、人々は、貨幣愛なしでは物事が立ちゆかなくなるし、無茶苦茶なレベルでなければ貨幣愛は上手く機能していることは明らかだ、と考えているようだ。その結果、平均的な人々は問題から目を背けてしまい、複雑で大局的な事柄に対して、自分自身が本当のところ何を考え感じているのか、はっきりしたイメージを持てないでいるのだ。

 頭と心の混乱は、言論の混乱につながる。資本主義的な人生のあり方に切実に反対している人の多くは、まるで資本主義がその資本主義的な目標を上手く達成できていない、として資本主義に反対しているかのようだ。その裏返しで、資本主義の熱烈なファンたちは、不必要なまでに保守的で、政策の技術的な改革さえ拒否する始末だ。それは、改革を実行すれば当の資本主義が強化され長持ちするかもしれないのに、改革へ踏み出すことが資本主義からの離脱の第一歩になるかも知れないと恐れているからだ。しかしそれでも、資本主義は社会運営の手段として効率的なのか、それとも非効率なのかと議論している現在よりも、そして資本主義は社会にとって望ましいのか、それとも本質的に問題を抱えているのかと議論している現在よりも、物事をより明確に把握できる時代が近づいているのかもしれない。私見では、資本主義は上手く管理されれば、現存するどの社会体制よりも効率良く経済的な成果を上げることが出来ると思う。しかし本質的に実に様々な問題を内包してもいる。私たちの課題は、人々の満足いく人生の条件を損なうことのない、めいっぱい効率的な社会の仕組みを機能させることである。

 そして次のステップは政治的なアジテーションや時期尚早な社会の実験ではなく、思考によって踏み出されなければならない。私たちは、理性を働かせて自らの感情を解明する必要があるのだ。現在のところ、私たちの人を思いやる心と実際に下す判断はバラバラになりがちである。これは痛々しくマヒした精神状態と言っていい。現実の行動に移す場合、改革を志す人々は、自分たちの知性と感情を調和させ、明確でハッキリとした目標に着実に近づいていくのでない限り、成功を収めることはないだろう。現在、世界には、正しい目標を正しい方法で目指している政党は、私には見あたらない。物質的な貧困は社会的に実験を行う余地がほとんどない状態でも、明確な変革へのインセンティブを人々に与える。がしかし、物質的な繁栄は、安全な賭に出るチャンスであるかもしれない時に、変革へのインセンティブを奪い去ってしまう。前進するために、ヨーロッパは手段を欠き、アメリカは意志を欠いている。私たちは心の内の感情と外的な事実の関係を誠実に検証して、そこから自然に生まれ出た新しい信念を必要としているのである。

<<第4章||目次||

J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』第4章

<<第3章||目次||第5章>>

第4章

 事あるごとに、自己責任主義の根拠とされてきた形而上学的だったり一般的だったりする原理原則など一掃してしまおう。個人が経済活動において一定規格の「自然的自由」を有しているなんていうのは、まるで事実とちがう。「持てる者」あるいは「持たざる者」に永遠の権利を授ける「契約」なんて存在しない。この世界は常に個人と社会の利害が上手いこと一致するように天上から調整されてはいない。ここ下界でも、両者の利害はそれほど上手く調整されていない。経済学の原則から導いた、文化的で節度ある個人の利益追求はいつだって公共の利益にとってプラスに働く、という推理は正しくない。個人の利益追求がいつでも文化的で節度があるというのも、やっぱり間違いだ。バラバラに自分自身の目的へ突き進む個人は、大抵の場合、あまりにも愚かであるか、あまりにも貧弱であるので、ささやかな結果にたどり着くことさえない。人が集まって群れをなすと、いつだって先を見通すことの出来ないマヌケになってしまうから、個々人は独立していた方が有能であるなんてことは、私たちが経験してきたことと矛盾している。

 なので、私たちは抽象的な結論で満足するわけにはいかない。むしろ、バークが言うところの「法律を作る際の最も細かい問題、つまり、国家が世間知を用いて積極的に指図すべき事柄と、個人の能力が発揮されるのを極力邪魔しないようにほおって置くべき事柄に線を引くこと*1」の結果を詳しく検討し、そのメリットを議論しなければならない。ベンサムが使った用語で、忘れられてしまったがとても有用なものがある。Agenda(なすべきこと)とNon- Agenda(なすべからざること)だ。私たちはこの二つをはっきりと分別しなければならないが、その際に、政府の介入は「一般に不必要」であり、同時に「一般に有害」であるというベンサムが使った大前提*2は退けなくてはならない。おそらく、今時の経済学者の使命というのは、今一度政府のAgendaを Non-Agendaから区別してみせることだろう。そしてそれに続く政治学の使命は、民主主義の枠内でAgendaを実現できる政府のあり方を考案することである。そこで、私が今考えている二つのアイディアを記してみたい。

*1 マカロック(J.R. McCullock)の『政治経済学原理』(Principles of Political Economy)に引用がある。
*2 ベンサムの死後に刊行されたボーリング編『政治経済学綱要』(1843)より。

 (1) 統制力と行政組織の理想的な大きさというのは、大抵の場合、個人と現代国家の間にあるはずである。そこで私の提案は、国家の仕組みの内側で活動する準自治組織体(semi-autonomous organization bodies)の成長と普及の中にこそ進歩がある、というものだ。準自治組織体が担当する領域での活動の基準は、各組織体によって定められた公共の利益の追求、これ一点である。なので、その組織自身のための利益追求という目的は、この組織体のとりくみから除外されることになる。とはいえ、人々の間に利他的な行動が広まるまでは、特定の集団、階級、公共の機関にそれぞれの利益を追求する余地を残しておくことが必要であるかもしれない。またこの組織体は、日常の業務については明確な基準内で自治的に対処するが、究極的には議会を通して民主的に表明される国民の主権に従属する。

 私の提案は中世の独立自治組織の復活とみなされるかもしれない。しかし、いずれにせよイギリスでは、自治的な団体(corporations)が統治の方式として重要性を失ったことはなく、我が国の慣習にも親和的である。実は、このような組織の例をすでに存在するものからあげるのはとても簡単である。私が先に述べたような、独立した自治を獲得しているか獲得しかけている組織。総合大学、イングランド銀行[中央銀行]、ロンドン港湾委員会、そして鉄道会社を含めてもよいだろう。ドイツにもそんな例があるにちがいない。

 しかしもっと興味深いのは、株式組織(Joint Stock Institutions)の傾向である。株式組織は、ある程度の年季と規模に達すると、個人主義的な私企業というより、公的な自治組織といった状態に近づいていっている。ここ数十年で最も興味深く、それでいてあまり気づかれない社会の展開があって、それは、大企業が自ら社会のものっぽくなっていく傾向だ。巨大な組織——とくに大きな鉄道会社や公益事業団体、さらに大銀行や保険会社——がある程度成長すると、出資者たち、つまり株主たちはほぼ完全に経営から分離される。その結果、経営陣にとって、大きな利潤を生み出すことに対する直接的で個人的な関心が二次的なものになっていく。このような段階に近づくと、その組織の安定性と名声の方が、株主のために最大の利潤を上げることよりも経営陣にとって重要になってくる。そうなると、株主は社会的文化的に妥当な配当で満足しなければならない。というのも、一度このような状態が確立すれば経営の眼目は社会や顧客からの批判を回避することに置かれることが多いからだ。これは組織が大きくなったり半ば独占的な地位を得て人々の目に付きやすくなって、風評に弱くなったりした時になおさら当てはまる。理屈の上では自由な個々人の財産であり、なんら拘束されることのない組織が上記のような傾向を持つことの極端な例は、おそらくイングランド銀行であろう。これはもうほとんど真実と言っていいのだが、イングランド銀行総裁が政策を決定する時に、この王国のあらゆる階級の人々のことよりも株主を優先させるなんて事はあり得ないだろう。つきなみな配当を受け取ること以上の株主の権利は、もうほとんどなくなってしまった。それは、他の大きな組織についてもだいたい同様である。時間がたつにつれ他の大組織も、自ら社会のものになっていく。

 しかしこれは100%良いことばかりというわけではない。今見てきた事[組織の社会化]が保守主義の台頭と企業の衰えの原因となっている。実際私たちは国家社会主義の長所と同様、短所もたくさん経験してきた。それでも私たちが目撃しているのは進化の自然な経路であると私は思う。私的利益の際限のない追求に反対する社会主義の戦いは、些細な点においてさえ毎日のように勝利を得ている。この特定の話題——それ以外の話題では社会主義の戦いは熾烈なものだが—— では両者の対立は、もはや差し迫った問題ですらない。例えば、鉄道会社の国有化問題ほど、重要な政治問題と言われていながら、実際には重要でも何でもなく、イギリスの経済活動の再編成からほど遠いものはない。

 大きな事業、特に公益事業団体や他の巨大な固定資産を必要とする事業は、今はまだある程度社会化される必要がある。しかしこの「ある程度の社会化」の有り様について、私たちは柔軟に考えなければならない。昨今の自然な傾向[大組織の自発的な社会化]の利点を生かしていく必要があるし、おそらく私たちは国務大臣が直接的な責任を負う中央政府機関よりも準自治組織を選ぶべきなのだ。

 私が教条的な国家社会主義を批判するのは、それが社会の運営のために人々の利他主義的な衝動を求めているからではなく、それが自己責任主義に反するものだからでも、人々が金儲けする自由を奪うものだからでも、また、大胆な社会実験をためらわないものだからでもない。私はこれらすべてに喝采をおくろう。私が批判する理由はそれが現実に起きていることの重要さを見逃しているからであり、実際、国家社会主義というのは誰かが百年前に言ったことの誤解に基づいて作られた、五十年前の問題に対処するための古くさい計画の生き残りと変わるところがないからである。19世紀の国家社会主義は、ベンサムや、自由競争その他の理念から生まれたものであり、19世紀の個人主義に流れる哲学と同じものが、ある部分ではより明確に、ある部分ではよりわかりにくくなった別バージョンでしかない。どちらも揃って自由を強調し、一方は控えめに目前の自由に対する制限を回避しようとするが、もう一方は積極的に、世襲であろうが努力の結果であろうがとにかく独占的な地位をブチ壊そうとする。この二つは同じ知的雰囲気に対する異なったリアクションなのである。

 (2) さて次に、Agenda(なにをすべきか)の基準に移ろう。近い将来の内に急いでやらなければならないこと、やるのが望ましいことの中で、どれが特に妥当なのか示したい。私たちは、「技術上社会のもの」である事業と、「技術上個人のもの」である事業の区別を目指す必要がある。国家の最も重要なAgenda は、私的な領域において個人がすでに満足している活動に関係しないところで、個人の手には負えない役割や、国家が決めなければ他に決めようのない意志決定などに関係することである。政府にとって重要なことは、個人がすでに行っていることをしないこと(個人より上手に、あるいは下手にやってもいけない)、そして現在のところ全く手つかずのことをやることである。

 実際の政策を作ることは今回の私の目的から外れている。なので、私が最も頭を悩ませることになった問題の中から、具体例を示すにとどめよう。

 現在の悪しき経済現象の多くは、リスク、不確実性、そして無知の所産である。特定の境遇や能力に恵まれたものが、不確実性と人々の無知を大いに活用することから、さらに同じ理由で大事業はしばしばただのギャンブルになっていることから、富の大規模な不平等が生じるのである。また、これら同じ三つの要因が、労働者の失業の原因であるし、まっとうな商売が期待通りの利益を出さないこと、効率性と生産量が減っていくことの原因でもある。しかしその治療法は個人の働きの中にはない。それどころか、個々人の利害はこの病を悪化させかねない。これらに対する治療法の一つは、中央政府機関による貨幣と信用の計画的なコントロールに求めるべきであるし、一つは、すべての有益な、必要とあらば法で定めてでも公開させたビジネス情報を含む、ビジネス環境に関わる大規模なデータの収集とその広い告知に求めるべきである。これらの対策は、適切な機関が民間事業の複雑な内部構成に働きかけることを通して、社会に対し人々のマネジメント能力(directive intelligence)を十分に発揮させることを促すだろう。その一方で、民間の指導力や私企業の妨げになることもないだろう。そして、たとえこれらの対策が不十分なものであったとしても、現在私たちが持っているものより有益な、次のステップに進むための知識を提供してくれるだろう。

 さて二つ目の例は、貯蓄と投資に関することだ。次の三つのことに関して、知的な判断に基づいた、調和のとれた行動が求められている、と私は考えている。まず、共同体が全体として貯蓄すべき規模について。そしてその中から海外投資として国外に出すべき規模について。さらに現在の投資市場の仕組みが、国内の最も生産的な経路に沿って貯蓄資金を分配できているのかどうかについてだ。わたしはこういったことを、現状のように民間の判断と私的な利殖活動の出たとこ勝負に全面的に任せられてはいけないと思う。

 三つ目の例は、人口に関することだ。各国にとって最も適切な人口の規模が現在よりも大きいのか小さいのか、それとも同じ水準を維持するのか、真剣に考えなければならない時期がすでにきている。そして政策が決定されたら、絶対に実行しなくてはならない。そうすれば、共同体が将来生まれてくる人々の頭数ばかりでなく、彼らの生まれ持った素質にも注目していくような時代がやってくるだろう。

<<第3章||目次||第5章>>

J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』第3章

<<第2章||目次||第4章>>

第3章

 経済学者というのは、他の科学者たちと同様、初学者を前にしたときには最もシンプルな仮説を取り上げて説明を始めるものだ。これは決して最もシンプルな仮説が最も現実に近いからではない。経済学者が次に記すような想定をするのも、一つにはそのような理由からだが、私のみるところもう一つの理由があって、それはただこの科目の伝統に従っているだけ、とうものだ。その想定とは、個人の試行錯誤を通して正しい道を進んだものは栄え、誤った道を選んだものは滅びていくというプロセスを経て、生産的な資源の最適な分配が行われる、というものである。この想定は、誤った方向に自身の資本や労働力を投入しようとしているものを止めるべきではない、ということを暗に意味しているのだ。つまりこれこそが最大の利益を生み出せるものを発見する方法である。効率の悪い弱きものの破滅によって、最も効率の良いものが選び抜かれる血も涙もない過酷な生存競争というわけだ。このような考え方は、過酷な競争のコストを無視している。それでいて、競争によって得られた結果を勝手に永続的なものと想定し重要視している。もしも生きることの目的が出来る限り高いところにある木の葉をむしり取ることであったなら、最も効率の良い方法は、首の短いキリンが餓死するのに任せてればいい。そうすれば最も首の長いキリンが得られることだろう。

 異なる産業間で生産手段を理想的に分配するこの方法に対応して、購買力の理想的な分配についても似たような想定が存在する。まずはじめに、個々人はいろいろな選択肢を試行錯誤して検討して、自分が最も欲しいものを「最もお得だと考えたところ」に見出す。さらにこれは、各消費者が自らの購買力を自分にとって最も有利になるように使うというだけでなく、商品の方も、その商品を誰よりも欲しがっている消費者の下へたどり着くということになっている。なぜなら、一番欲しがっている人が、一番良い値をつけるから。ということで、もし私たちがキリンを放ったらかしにすると、(1)木の葉の消費量が最大になる。なぜなら、低い位置にある葉っぱしか食べられないキリンが飢え死にするから。(2)キリンたちは届く範囲で最もみずみずしい葉を選んで食べ、(3)「あの葉っぱが食べたい!」と最も強く思ったキリンが最も遠くまで首を伸ばそうとするはずだ。このようにして、よりジューシーな葉っぱから食べられていくし、首を伸ばす努力に値すると思われる葉から食べられていくだろう。

 自然淘汰が邪魔されることなく進歩を導き出していく。そのためには今見てきたような条件を想定しなくてはいけないわけだが、その想定は自己責任主義を支える二つの急ごしらえな想定の一つでしかない(にもかかわらず文字通りの真実として受け入れられているのだが)。そのもう一つの想定は、個々人の全的な努力を引き出すにたるだけの必要十分なチャンス(個々人が自由に金儲けできるチャンス)が存在している、という想定である。自己責任主義の下では、利益というのは、己の能力だか運だかを使って、自分の時間や資本を正しい時に正しい場所で保持しているものに転がり込むことになっている。タイミングよく有能であったり幸運であったりする個人が、その時点までに実った果実をすべて持って行ってしまうようなシステムは、確実に、良い時期によい場所に居合わせるテクニックを学ぶ大きなインセンティブを人々に与えるだろう。こうして人間の行動の理由のうち最も強力なもの、つまり貨幣に対する愛着が、最も効率よく富を生むとされる方法を通して、経済の資源を分配するために利用されるのだ。

 ここまでに簡単に触れてきた経済的な自己責任主義と、ダーウィニズムの間の平行関係は、ハーバート・スペンサーが真っ先に気づいたように、今ではとても接近してきている。ダーウィンは、性愛が性的な選抜を通して作用することで、競争による自然淘汰を補助し、最適であると同時に最も望ましい進化のコースを導く、と主張した。同様に個人主義者は、貨幣愛が利益の追求を通じて作用することで、自然淘汰を補助し、(交換価値で計られた)人々が最も欲しがるものの最大規模の産出をもたらす、と主張するのである。

 このような理屈のシンプルさと美しさは実にたいしたもので、当の理屈が事実に基づいているのではなく、簡便のために用意した不完全な仮説に基づいていることなんかを見事に忘れさせてくれるほどだ。個人が自身の利益のために自律して活動することが、社会全体として最も多くの富を生み出すという結論は、一つどころではない非常識な想定に基づいているのである。その想定は生産と消費のプロセスにまで及んでいて、将来のビジネス環境や必要な所得などをしっかりと予見することは可能であり、またそのような予知をする機会は十分に存在するという全く人間的でないものだ。経済学者というのは、たいてい、次のような複雑な問題が持ち上がった場合、議論のシンプルさを保つため、そういう問題を後回しにするものだ。(1)有効な生産力が消費に比べて大きい場合。(2)共通費用、結合費用がある場合。(3)内部の諸経済が生産の集約に向かう傾向を持っている場合。(4)様々な調整に長い時間が必要な場合。(5)無知がはびこり知を圧倒している場合。(6)独占企業と労働組合が取引の平等を妨げている場合。——このような場合に経済学者たちは、現実の分析を後回しにするのである。さらに、先ほどの単純化された仮説が現実を正確に反映したものではない、と理解している経済学者の多くでさえ、あの仮説が「自然」であり、だからこそ理想的な状態を表していると結論づけているのである。彼らは、あの単純化された仮説を健全なものと見なし、それ以上に複雑なものはどこか病的なものと見なすのだ。

 しかし、事実の取り扱いに関する疑問の他にも考えなきゃいけない問題があって、生存競争そのもののコスト、その性質についてや、富というものが好ましくないところに集まりがちであることなども、ちゃんと計算に入れているのかどうかという問題だ。キリンたちの幸せを心から望むのであれば、首が短いばっかりに飢えていくキリンの苦しみを見逃すべきではないし、激しい闘争の中で踏みにじられていくおいしい葉っぱとか、首の長いキリンの肥満とか、群れの穏やかなキリンたちの表情に垣間見える不安や強欲の邪悪な気配なども素通りしてはいけないはずだ。

 ところが、自己責任の原則には、経済学の教科書の他にも頼もしい味方がいるのである。立派な思想家や、分別ある人々の頭の中に自己責任主義が根付いているのは、彼らの天敵——その一つは保護主義で、もう一つはマルクス派社会主義——が低レベルな連中だからである、というのは認めざるをえない。この二つの主義は、主に自己責任主義にとって好都合な前提をブチ壊す性質を持っているというだけでなく、全く理屈に合わないという点でも共通している。両者とも貧弱な思考、そして物事のプロセスを分析して結論を導く能力の欠如の見本である。この二つへの反論のために自己責任の原則にお呼びがかかるわけだが、別に絶対にそうしなければ論破できないわけではないのだ。二つの内、保護主義は少なくとも説得力はあるし一般によく受ける主張であるから、それにすり寄っていく連中がいるのは不思議ではない。しかし、マルクス派社会主義は、人類の思想の歴史をたどる者たちにとって、凶兆でありつづけるだろう。あんなにも非論理的で鈍くさえない教義が、いったいどうやって人々の頭脳と歴史的なイベントに対して、あんなにも強力で消えがたい影響を及ぼすことが出来たのだろう。いずれにせよ、この二つの主張のあからさまな科学的欠陥が、19世紀において自己責任主義が特権と権威を手にするのに大いに貢献したのである。

 あの誰の目にも明らかで、大規模な社会活動の中央集権化——先の戦争の遂行——でさえも、改革を志す人々を勇気づけたり、古くさい偏見を追い払ったりすることはなかった。いや実際、どちらの側にも言い分はたくさんあるのだ。国家に統合された生産組織のなかでの戦争体験は、おりこうさんたちの頭の中に平時でも同じ事をやってみたいという楽観的な渇望を残していった。戦時社会主義は平和時には想像することさえ難しい程の大量の富(wealth)を生み出したことは間違いない。というのも、大量に作られた財やサービスは、すぐに何の役にも立つこともなく消えてしまう運命にあったが、それでも富ではあったからだ。無駄にした労力の異常な量や、浪費的でコストを全く気にしない雰囲気は、倹約で将来の蓄えばかり考えている精神にとっては唾棄すべきことだったはずなのに。

 個人主義と自己責任主義は古くは18世紀後半から19世紀初頭にかけての政治的道徳哲学にそのルーツがあるにもかかわらず、社会がどうあるべきかということに関して、ついにがっちりと人々の心をつかんではなさなくなった。だがこれは、当時のビジネス界のニーズや願望に追従しなければ成しえなかっただろう。この二つの哲学は、かつて我らのヒーローだった偉大なるビジネスマンに目一杯の自由を与えた。マーシャルは常々このように言っていた。「西洋世界で最も才能のある人々、少なくともその半数はビジネス界にいる。」 当時の「より高いレベルの想像力(the higher imagination)」はそこで活用された。そのような人々の活動に、私たちの進歩への希望が集中していったのだ。マーシャルは次のように書いている*1。

「この階級の人々は、自らの頭の中にこしらえた常に変化するビジョンの中に生きている。そのビジョンというのは、彼らの望む結果へと至る様々なルートのことで、どのルートを進んでも自然が彼らの邪魔をするという困難がある。だからビジョンには、自然の障害に打ち勝つためのアイディアも含まれている。しかしこのような想像力も、人々の信頼を得ることはそんなにない。なぜなら、好き勝手に暴れ回ることが許されているわけではないからだ。その[想像力の]力強さもまた、より強固な意志の統制を受ける。なので、その[企業家の]想像力の最高の栄誉とは、とても単純な方法で偉大な結果を出すこと、になるのだ。その単純さとは、どうやったらパッと見そのアイディアと同じくらい素晴らしい無数のアイディアを退けることが出来たのか誰にもわからないほどに、あるいは、専門家だけがようやく推理できる程に単純なのだ。このような人物の想像力は、チェスの名人の想像力にも似て、壮大な計画の妨げを予測することと、素晴らしい提案に対し常に反撃の手段を用意して拒絶していくことに使われるのである。人間の本質において、彼の強靱な精神力はお手軽なユートピア思考を受け入れる無責任な精神の対極にあるものだ。その無責任さというのは、チェスのたとえで言うならば、白駒も黒駒も自由勝手にに動かしてチェスの最大の難問を解いている下手なプレイヤーの図々しい手際の良さといったところだろう。」

*1 「経済騎士道の社会的可能性」("The Social Possibilities of Economic Chivalry," Economic Journal, 1907, xvii, p. 9)

 この文章はまさに、「産業界の勤勉なるリーダー」のよくできた肖像画である。いわば彼は、個人主義のお師匠なのであり、他の芸術家たちと同様に、自分の利益のために生きることで、私たちのために生きているのである。とはいえ、芸術家同様、彼ら実業家もすすけた偶像になりかけてはいるのだが。というのも、その手で私たちを楽園へ連れて行ってくれるのが彼らなのか、大変疑わしくなってきたから。

 こういった様々な要素が現代の知性がもつバイアス、精神構造、正統性をもたらしている。本来の理屈が持っていた説得力の多くはすでに失われているにもかかわらず、よくあることだが、結論の方が理屈よりも長生きなのだ。今ロンドンのシティ[金融街]で公共の利益のための行動を呼びかけることは、60年前にカソリック主教と『種の起源』について話し合うようなものだ。どちらも最初のリアクションは知的なものではなく道徳的なものになるに決まってる。正統性こそが問題なのだから、議論の説得力が増すほどに敵意も深まる。それでも、こののろまなモンスターの棲みかに飛び込んで、その主張とその系譜をたどってきたのは、そのモンスターが私たちを支配してきたのは、彼の優れた能力のためではなく、親から受け継いだもののためだったことを示したかったからだ。

<<第2章||目次||第4章>>

J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』第2章

<<第1章||目次||第3章>>

第2章

 18世紀の哲学と、白日の下にさらされた宗教の破綻。この中からでてきたのが、ビジネスマンこそが利己主義と社会主義の矛盾を解くことが出来る、というアイディアである。私は経済学者がその考えに科学的なお墨付きを与えた、と書いた。が、それは簡便のためであったので、急いで補足したいと思う。正確に言えば、経済学者たちは、そのようなことを言ったと思われているのである。偉大な経済学者たちの著作にはそのような教条的な発言はみられない。自己責任主義とは大衆を煽るだけのような連中の言葉の中にこそあるものであり、ヒュームの利己主義を受け入れる一方で、ベンサムの平等主義も受け入れてしまうような功利主義者たちの言葉なのだ*1。それは彼らがこの両者を統合するために信じるしかなかった信条なのだ。経済学者たちの言葉は、自己責任主義の解釈に確かに役に立った。しかしこの教義が人気を博したのは、当時の政治哲学者たちのお気に入りだったことにその理由がある。政治経済学者のせいではない。

*1 レズリー・スティーヴンが要約しているコールリッジの主張は実に共感できるものだ。「功利主義者というものは、すべての結束をブチ壊し、社会を個人的利益を追求するための闘技場にしてしまい、秩序、郷土愛、詩的な心情、そして宗教を打ち落とす。」

「我らに自由を」という格言は、17世紀の終わり頃にコルベートに進言した商人ルジャンドルのものであると長い間言われてきた*1。一方で、この文句を明確に自己責任主義とかけて書き記した人物は疑いなく判明している。1751年頃のアルジャンソン侯爵だ*2。侯爵は、政府が貿易に手出しをしないことの有利さを熱心に説いた最初の人物だ。より良く統治したければ、より少なく統治せよ*3。彼曰く、製造業が不振である真の理由は、私たちが彼らに与えている保護なのだ*4。"Laissez faire, telle devrait être la devise de toute puisssance publique, depuis que le monde est civilisé." "Detestable principe que celui de ne vouloir notre grandeur que par l'abaissement de nos voisins! Il n'y a que la méchanteté du coeur de satisfaites dans ce principe, et l'intérêt y est opposé. Laissez faire, morbleu! Laissez faire!!"[ zajuji:この二つの文はご覧の通りフランス語です。zajujiはフランス語が全くわからないので、『ケインズ全集第九巻』より、宮崎義一先生の訳を以下に引用させてもらいます。「自由放任、この言葉こそ、世界の文明化とともに、あらゆる政府当局の標語にならねばならなくなった。」「われわれの隣人の地位を低下させることによって、はじめて自分自身の偉大さを望むことができるような、憐れむべき原理よ! この原理によって満足させられる精神は、悪意と敵意しかなく、そこでは利害が対立している。おお神よ、願わくは自由放任をこそ! 自由放任をこそ!!」 ]

*1 "Que faut-il faire pour vous aider?" とコルベートは尋ねた。すると"Nous laisser faire,"とルジャンドルは答えた。
*2 この言葉の歴史については以下を参照せよ。オンケン『自由放任の格率』(Oncken, Die Maxime Laissez faire et Laissez passer. ) 次に続く引用の大部分はここからとられたものだ。アルジャンソン侯爵の主張は、オンケンによって指摘されるまで、見逃されてきたものだ。その理由の一つは、私が引用した文章が発表されたときを含め、存命中、彼は匿名を用いていたこと(Journal Economique, 1751)。もう一つは彼の作品が完全な形で公開されるのは1858年までなかったことによる(おそらく存命中は回し読みされていただろう)(Mémoires et Journal inédit du Marquis d'Argenson)。
*3 "Pour gouverner mieux, il faudrait gouverner moins."
*4 "On ne peut dire autant de nos fabriques: la vraie cause de leur declin, c'est la protection outrée qu'on leur accorde."

 ついに私たちは見まごうことのない自己責任の経済原則を手に入れた。そしてその最も熱心な主張は自由貿易であった。このフレーズと考え方はその時からパリ中を流れるうねりとなっている。しかし、自己責任主義が時代を超えて読み継がれる著作の中に定着するのにはまだ時間がかかった。重農主義者——とくにド・ゴネーとケネー——と自己責任主義を結びつけようという試みは古くからあったものの、自己責任主義を訴える著作上ではほとんど支持されてこなかった。もちろん重農主義者たちは個人の利益と公共の利益の根源的な調和という考え方の支持者たちではあったのだが。一方で、自己責任というフレーズは、アダム・スミス、リカード、マルサスの著作中には見あたらない。さらにこの考えが教条的な形で示されることもない。アダム・スミスといえばもちろん自由貿易主義者であり、18世紀の様々な貿易制限に反対していた。しかし彼の航海法や高利禁止法に対する態度は、彼が教条的な人物ではなかったことを示している。彼の有名な「見えざる手」についての文章も、ぺーリーの神の摂理につながるものであって自己責任という経済的ドグマではない。シジウィックとクリフ・レズリーが指摘するように、アダム・スミスの「自然的自由の明らかで単純なシステム」という主張は、政治経済の専門家としての問題意識からではなく、有神論的で楽観的な世界観からでてきたもので、それは彼の『道徳感情論』(Theory of Moral Sentiments, 1759)のなかに見て取れる*1。自己責任主義というフレーズが英国で初めて一般的に使われたのは、有名なフランクリン博士の文章であったろうと思う*2。実際、私たちの祖父たちがよく理解していた、そしてやがて功利主義哲学に取り込まれた自己責任主義は、ベンサム——彼は経済学者ではない——の後期の著作の中にようやくちゃんとした形で発見できるという有様だ。例えば『政治経済学綱要』(A Manual of Political Economy)*3の中で彼は、「一般的な原則として、政府は何もしてはならないし、しようと思ってもいけない。こういった場合、政府のモットーあるいは標語は、お静かに、であるべきだ。……農家や製造業者や商人の政府に対するこの要求は、ディオゲネスのアレキサンダー大王に対する要求、私の日差しを遮らないでください、のように穏やかで妥当なものである。」

*1 シジウィック『政治経済学原理』(Sidgwick, Principles of Political Economy, p. 20.)
*2 ベンサムは"laisseznous faire,"という表現を使っている。『著作集』(Works, p. 440)
*3 1793年に執筆され、一つの章が1798年に『イギリス双書』(Bibliothequé Britannique)で発表された。全文はボーリングの編集による『著作集』(Works)で1843年に刊行された。

 この時から自由貿易のための政治キャンペーンが始まった。マンチェスター学派とか呼ばれる連中やベンサム流の功利主義者たちの影響、そして二流の経済評論家の発言力、マルティノー女史とマーセット夫人の啓蒙書、こういったことが重なり合って、自己責任主義は政治経済学が到達した実用的で正統な結論であるとして、一般の人々の心に定着してしまったのだ。とはいうものの、この間にマルサス的な人口過剰の考え方が今あげたような人たちに広く受け入れられたから、 18世紀後半の陽気な自己責任主義はなりをひそめ、19世紀の前半の自己責任主義は陰鬱なものになっていくという大きな違いも生まれたのだが*1。

*1 シジウィックの前掲書を参照(op. cit., p. 22)。「アダム・スミスがいう政府の活動範囲の制限をおおむね認めた経済学者たちでさえ、晴れやかに制限を主張したのではなく、悲しげに、しぶしぶそうしたのである。つまり「自然的自由」がもたらした結果として現在の社会秩序があり、それを賞賛するために主張したのではなく、政府が選び取るかも知れないその他の人工的な秩序にくらべたら一番マシ、と考えての主張だった。」

 マーセット夫人の『政治経済学にかんする対話』(Marcet, Conversation on Political Economy, 1817)の中で、「キャロライン」という登場人物は富裕層の支出をコントロールするという考えに固執する役回りである。が、418ページにいたり、彼女はついに敗北を認めるのであった。

キャロライン——この問題について学べば学ぶほどこれまで対極にあると思っていた国同士の利害と個人の利害が完璧に調和するって事が納得できました。

B夫人——自由で広い視野を持っている人は皆、いつだって同じような結論にたどり着くものです。さらにお互いに寛容な心で接するよう教えてもくれますね。ここからもわかるように、科学というのは単なる経験的な知識に止まるものではないのです。


 B夫人は、キャロラインが感じた自己責任主義への疑問を時々は認めてくれていたが、キリスト教知識普及協会が1850年までばらまいていた『若い人々のためのやさしい教訓集』(Easy Lessons for the Use of Young People)では、それすらも許されていない。それによれば「引き締めであろうと、緩和であろうと、あるいは買い入れであろうと、売却であろうと政府が市場のお金のやりとりに介入するのは、悪い結果を引き起こしこそすれ、良い結果を生むことなどほとんどない」のであって、真の自由とは「まわりの人々に害をなすのでない限り、自分の持ち物、時間、強み、技術を自分の思うとおりに使えるような状態のこと」を言うのだという。

 つまり、自己責任主義という教義は教育システムをも取り込んでしまったのである。そうしてつまらないお説教になってしまった。この政治哲学はそもそも、 17、18世紀に王やお偉い聖職者たちを追い落とすために急造されたわけだが、今や赤ん坊のミルクとなり、文字通り、子ども部屋に入り込んでしまった。

 そしてついに、バスティアの著作の中に、この手の政治経済学が信奉する宗教の最もあからさまで、最も熱狂的な表現を私たちは発見する。『経済の調和』(Bastiat, Harmonies Economiques)の中で彼は、「私は、この人間社会を司る神の摂理がいかに調和しているか、それを立証してみようと思う。この法則が不調和に陥ることなく調和しているのは、すべての原則、すべての理由、すべての行為の源泉、すべての利害、これらが互いに協力し合って一つの大いなる最終目標への向かっているからである。……その目標というのは、すべての階級が同じ水準に向けて限りなく接近するということであり、しかもその水準というのは上昇し続けるのだ。これを言い換えれば、社会全体が良くなっていく中で、個人間の平等が実現するということになる。」こんな調子だから、他の司祭連中と同じく、彼が自身の信仰告白を記したときも、次のようになったのは当然だった。「この物質世界を絶妙なバランスで作り上げた神が、人間社会の調整を躊躇したはずがないと、私は信じる。また神が、自ら動き出すことのない分子と同様に、自由な個々人を結びつけ調和に向かって動かしてきたと信じる。……私は何ものにも邪魔されない社会の傾向というものを信じる。それは、人類が一段上の共通の倫理、知能、肉体レベルに向かって恒常的に接近するという傾向である。しかも同時に、それのレベルは、無限に上昇していくのである。人類の平和的発展を一歩ずつ実現していくために必要なのは、この傾向が乱されないようにすることであり、個々人が持っているこの傾向が発揮される自由を破壊しないことであると、私は信じる。」

 ジョン・スチュアート・ミルの時代から、著名な経済学者たちはこのような考え方に強く反対してきた。キャナン教授は次のように述べている。「名声も実績もあるイギリスの経済学者が、社会主義に対する全面的な攻撃の最前線に参加することは、まずないだろう。」 とはいえ、キャナンはこう補足する。「名が知られていようがいまいが、すべての経済学者には、社会主義的政策の欠点を指摘する準備が常に出来ていると言っていい。*1」 経済学者はすでに、「社会と個人の調和」を生み出した神学的な、あるいは政治的な哲学とのつながりを絶っている。経済学者の科学的な分析からも、そのような結論を導くことはない。

*1 キャナン『生産と分配に関する諸言説』(Cannan, Theories of Production and Distribution, p. 494.)

 ケアンズは、1870年、ロンドンのユニバーシティカレッジの「政治経済と自己責任主義」(Political Economy and Laissez-faire)という講義において、おそらくオーソドックスな経済学者としては初めて、自己責任主義全般に対する真っ正面からの攻撃を行った。彼はこう断言する。「自己責任という格言は、いかなる科学的根拠も持たない。せいぜいお手軽な経験則でしかない。*1」 これこそがここ50年の主導的な経済学者たちの見解であった。例えば、アルフレッド・マーシャルの最も重要な著作のいくつかは、個人と社会の利害が調和しないケースの解明に向けられている。にもかかわらず、経済学者というものは、個人主義的で自己責任主義を教えて回っている人であり、また、そうあるべきだという一般的な印象に対し、最も優れた経済学者たちの慎重で独断を避ける姿勢が広く評価されることはなかった。

*1  ケアンズは同じ講義の中で、この「支配的な見解」について、実によくまとめている。「今現在の支配的見解とはつまり、政治経済学は富を最速でため込む方法と、それを最も公平に配分する方法を解き明かす、という類のものだ。人間社会において、個々人は手つかずのまま放置されているときにこそ、最も繁栄するというその見解によれば、個々人として己の感じるままに自己利益を追求させ、政府や世評などの締め付けのない状態、しかし暴力や詐欺のない状態、そういう時に、個々人は最も力を発揮するのだという。これが、自己責任の原則としてよく知られたものだろう。そして政治経済学というのは、この格言の科学っぽい表現だと思われているようだ。その表現とは、個人、私企業の自由の証明であり、あらゆる産業が抱える問題に対する充分な解決策なのである。」

<<第1章||目次||第3章>>

J・M・ケインズ『自己責任主義の終わり』第1章

||目次(PDFあります)||第2章>>
Creative Commons License

自己責任主義の終わり

ジョン・メイナード・ケインズ


訳:zajuji
[ ]内は訳者による補足です。

第1章

 私たちが便宜的に個人主義とか自己責任主義とまとめている社会のあるべき姿についての考え方がある。それは他のライバル思想とか、人々の感覚から飛び出してきたようなものからいろいろと栄養分をもらってたりする。実に100年以上にわたって、哲学者たちは私たちの精神を支配してきた。というのも、この[個人主義って大事だねという]件について彼らは、それはもう奇跡的に一致してたし、少なくともそう見えた。というわけで、相変わらず私たちはまだ新しい音楽にあわせて踊ってさえいないが、雰囲気は変わってきている。とはいえ、かつてくっきりはっきりと政治的な連中を導いていた声も、いまではぼんやりと曖昧にしか聞こえない。さまざまな楽器によるオーケストラ。正確な音を発するコーラス。こういったものがついに遠く去ろうとしている。
 
 17世紀の終わり、君主の神権は自然的自由と社会契約に置き換えられ、教会の神権は宗教的寛容の原理と「絶対的に自由で自発的」な「人々の自発的な共同体としての教会」という見方に置き換えられた*1。 そして50年後には、神聖さの根拠と義務としての絶対的な発言力は、利益(効用)の打算に置き換えられることになった。ロックとヒュームの手によって、この原則は個人主義の礎を築いた。社会契約論は、個々人に様々な権利がそなわっているとする。それが新しい倫理学である。それは個人を中心に据え、合理的な自己愛がもたらすものを科学的に探求するということ、それ以外の何ものでもない。ヒュームはいう。「徳が要求するただ一つの関心事とは打算であり、より大きな幸福へのたしかな選好である*2。」 このアイディアは、たしかに保守派や法律家たちの実際の考えと一致している。彼らは所有権や所有しているものを個人がどうしようとかまわない自由に対して、知的で申し分のない足場を提供した。これこそが、今私たちが感じている雰囲気への、18世紀からの貢献の一つだ。
 
*1 ロック『寛容についての書簡』(John Locke, A Letter Concerning Toleration.)
*2 ヒューム『道徳の諸原理に関する一研究』第60節(David Hume, An Enquiry Concerning the Principles of Morals, section lx.)

 個人を称揚する目的は君主と教会との決着をつけることだった。その影響として——社会契約論がもたらした新しい倫理的な意義を通して——所有権と時効取得を強化することになった。が、まもなく、世の空気は自らを再び個人主義と相対する立場におくことになる。ぺーリーとベンサムは、ヒュームとその先輩たちの手から功利的快楽主義*1を受け取ったが、それを公共の利益にまで応用して見せた。ルソーは、ロックから社会契約論を取り出し、そこから一般意志を描き出した。どちらの場合も、新しく人々の平等を強調するという美徳によってその移行を遂げている。「ロックは彼の社会契約論を、社会全般の安全を考え、人類の生得的な平等というアイディアを修正するために活用した。その平等に、財産や特権の平等をも含意させようとしたのだ。しかしルソーの社会契約論では、平等はスタート地点であるというだけでなく、ゴールでもある*2。」

*1  ぺーリー大執事はいう。「私は、人間の本質的な威厳と許容力についてのよくある熱弁のほとんどを退ける。肉体に対する魂の優越だとか、人間の動物的な部分に対する理性の優位だとか、あるいは、満足感には価値あるもの、優雅なもの、繊細なものがある一方、下品で、不潔で、好色なものもあるといったものだ。なぜなら、持続性と強度以外の点で、これらの快楽は互いに変わらないものだからだ。」——『道徳および政治哲学の諸原理』(Principles of Moral and Political Philosophy, Bk.I, chap.6.)
*2 レズリー・スティーヴン『十八世紀のイギリス思想』(Leslie Stephen, English Thought in Eighteenth Century, ii, 192.)

 ぺーリーとベンサムも同じ地点にたどり着いたのだが、たどったルートが異なる。ぺーリーは、自身の快楽主義に対して利己的な結論をもたせることを回避したが、そのために、超自然的で都合の良い神を用いた。「徳とは」と彼は言う。「人類への奉仕であり、神の意志への従順さであり、永遠の幸福のためにあるということである。」——こうやって、「私」と「他人」を同等のものに引き戻したのだ。ベンサムは同様の結論に、純粋理性を使ってたどり着いた。彼の議論では、特定の個人、あるいは自分自身の幸福を、他の誰かの幸福よりも大事に思う理論的な根拠などないという。故に、最大多数の最大幸福が人生の唯一の理性的な目標となる——ヒュームから効用の概念を持ってきてはいるが、その賢人の[次にあげる]皮肉が効いた命題は忘れてしまったようだ。「自分の指がちょっと傷つくことよりも、全世界の破滅を選ぶというのは、まったく理性に反しているというわけではない。同様に、どこかの国の全く知らない人がちょっとしたことで困らないようにするために、自らの破滅を選ぶのも、全く理性に反しているとは言えない。... 理性とは、情の奴隷であるし、ただそうあるべきだ。そして情以外のものに従い奉仕するなんてことは、フリだってできない。」
 
 ルソーは人類の平等を自然状態から引き出した。ぺーリーは神の意志から、ベンサムは血も涙もない数理的な原則から引き出した。こうして平等と利他主義は、政治哲学の世界に足を踏み入れた。そして、ルソーとベンサムが合わさったところから民主主義と功利的社会主義が生まれ出た。これが二つ目の、長く忘れられていたが今もなお命脈を保っている潮流である。この潮流は多くの詭弁を生み出し、未だに私たちの思考が持つ性質に浸透している。
 
 しかし、この流れは第一の潮流を駆逐しなかった。19世紀初頭に奇跡的な合体が起こったのだ。ロック、ヒューム、ジョンソン、そしてバークの保守的な個人主義[これが第一の潮流]と、ルソー、ぺーリー、ベンサム、そしてゴドウィン*1の社会主義と民主的平等主義[第二の潮流]の調和が起こったのだ。

*1  ゴドウィンはすべての政府は邪悪である、というところまで自己責任主義を広げた。この点については、ベンサムもほとんど賛成していた。ゴドウィンの場合、平等という原則は極端な個人主義そして無政府主義へ近づいていった。彼はいう。「どんな時でも私的な判断を行使すること、これこそは言葉で表せないほどに美しいドクトリンなのだ。だから、真の政治家たるものは、このドクトリンを少しでも妨げようなどという考えには、無限のためらいを必ず感じるだろう。」——レズリー・スティーヴン、前掲書(Vide Leslie Stephen, op. cit., ii, 277.)
 
 しかしながら、この両極端の合体は、この時期にノリノリな状態だった経済学者たちがいなければ実現が困難だったろう。私的な生活の優位と公共の利益の神聖な調和は、明らかにぺーリーの主張に見て取れる。そして、その考えに充分な科学的根拠を与えたのは、経済学者たちだった。個人が自然の摂理に従って、自由に、文化的に自分の幸福を追求すれば、いつだって社会一般の利益も同時に満たすようになるというのだ! 私たちの哲学的な困難はこれで解決だ。少なくとも、己の自由を守るために全力で取り組むことの出来る人にとっては。
 
 政府には人々の生活に介入する権利はない、という哲学の原則。そして一切の介入は不要であるという完璧な神の計画。そこに、やっぱり介入は不必要であるという科学的な証拠が現れたのである。これが人々の思想の第三の潮流である。この思想はまさに、「個々人が己の生活を良くしようと励むこと」が、公共の利益の基礎となると考えていたアダム・スミスに見いだすことが出来る。が、19世紀が始まるまでは、意識的に発展させられなかった。しかしやがて、自己責任主義の原則は、個人主義と社会主義を調和させるに至った。そして最大多数の最大幸福をヒューム的な利己主義の中に実現させた。そうして政治哲学者は、ビジネスマンにその席を明け渡すことになったのだ。ビジネスマンは自分の利益を追求することで、政治哲学者の最高善(summum bonum)を手に入れることが出来てしまうのだ。
 
 それでもプディングに必要な材料はまだそろっていない。まず、その多くが19世紀にまで持ち込まれてしまった18世紀の権力の腐敗と無能である。政治哲学者たちの個人主義は、自己責任主義を指向していたし、(場合によっては)神による、あるいは科学的な個人の利益と公共の利益の調和もまた自己責任主義を指し示してはいた。しかしそれ以上に、当時の支配者層の愚かさというのは、現実的な人々を自己責任主義へと強く駆り立てた。人々のそういった想いは今も変わっていない。18世紀の政府がやったことは、ほとんどすべてと言っていいほど、有害で不必要であったか、そういうふうに見えたのだ。
 
 その一方で、1750年から1850年の間に、個々人の創意によって物質的な進歩がみられた。しかも、統制のとれた国家なんていうものの指図を受けずになされた進歩だった。この経験がとても自然に感じられる理屈を補強した。哲学者と経済学者たちは、いろいろ深い理由があるけど、結局私企業が自由に活動したら社会全体の幸福を増進させるよ、と語るようになった。ビジネスマンにとってこれ以上の哲学があるだろうか? また、これを実際に目撃した人が、彼の生きた時代を彩る進歩の恩寵を否定することが出来ただろうか? しかもその恩寵は、「金儲けに夢中」な個人の活動がもたらしたのだ。政府の介入は最小限にとどめ、経済活動には手をつけずあるがままにして、成功を求めるというあっぱれな動機に突き動かされている人々の技術と創意にゆだねられるべきである。つまりそういう教義をはぐくむ土壌が出来上がっていたのだ。神聖であったり、自然であったり、科学的であったりする土壌が。
 
 そしてそのころまでには、ぺーリーとその眷属の影響力は衰えていて、ダーウィンによる革新が人々の信念を揺さぶっていた。古い信念と新しい信念。これほどまで相容れないものはないと思われた。この世界を神聖なる時計職人の偉業とみる教義と、この世界を確率と混沌、そして気の遠くなるような長い時間から成り立っているとみる教義。しかしある一点において、新しいアイディアは、古い考えを補強することになった。それまで経済学者たちは「富、商業の発展、機械化は自由競争によってもたらされたのであり、自由競争こそがロンドンをつくったのだ」と教えていた。しかし進化論者たちはさらに先を行っていた。「自由競争が人類をつくったのだ」と。もはや人間の目は超人的なデザインの存在を示すものではなく、すべてが奇跡的に上手くいった結果得られたものであり、自由競争と自己責任主義の下でこそあり得たことなのだ。適者生存の原則は、リカード的経済学の幅広い一般化と捉えることができた。この壮大な統合の下では、政府による介入は不要であるばかりでなく、邪悪な行為であるのだった。なんといっても、私たちが太古の海のバクテリアからアフロディーテのように立ち上がった力強いプロセスの前進を妨害するものと見なされたのだから。
 
 それゆえ、私は19世紀の政治哲学に特異な調和をみる。それは、多様で相争う学派を統一し、もろもろを一つの結論に一致させることに成功している。ヒュームとぺーリー、バークとルソー、ゴドウィンとマルサス、コベットとハスキッソン、ベンサムとコールリッジ、ダーウィンとオックスフォード主教。実際のところ、彼ら [対立者たち] は互いに同じこと ——つまり個人主義と自己責任主義——を説いていたのだ。これこそが英国国教会なのであり、その使徒たちなのだ。さらに経済学者の一団が、この教義からわずかにでも逸脱すれば、不信心の報いとして経済的困窮は免れない、と証明することになっていたわけだ。
 
 これらの理屈や雰囲気が、自覚のあるなしに関わらず、私たちがここまで強力に自己責任主義に惹かれる理由であるし、貨幣価値の操作、投資の方向性や人口問題に政府が介入しようとすると多くの人に熱のこもった疑念を抱かせる理由でもある。とはいえ、この堕落した時代、私たちの多くはこの問題に気づいてさえいないのだが。ところが実際には、私たちは彼らの著作を読んでさえいない。仮に読んで理解したならば、彼らの議論はバカげていると考えるだろう。にもかかわらず、もしホッブス、ロック、ヒューム、ルソー、ぺーリー、アダム・スミス、ベンサム、そしてマーティノー女史が、彼らが考えたように考えずに、そして書き記しように書き記さなければ、私たちは現在考えているようには考えていないだろうと思うのだ。人々の間で有力なものの考え方の歴史を研究することは、人間の精神の解放のためには不可欠な準備作業である。現在のことばかり知っていることと、過去のことばかり知っていること、私にはどちらがより人を保守的にするのかわからない。

||目次(PDFあります)||第2章>>

2009年11月15日日曜日

2009年11月14日土曜日

今日のTwitter Fri, Nov 13

  • 04:13  書きました。 今日のTwitter Thu, Nov 12 http://bit.ly/4doaFL
  • 09:33  朝からサッポロ一番ミソラーメンなんぞをつくって食べたので、満腹。眠い。
  • 12:33  二重課税はだめでしょ。
  • 12:35  実質金利をマイナスにするってのはインフレってことじゃないの? リフレじゃん。
Powered by twtr2src.

2009年11月13日金曜日

今日のTwitter Thu, Nov 12

  • 04:22  書きました。 今日のTwitter Wed, Nov 11 http://bit.ly/rueyA
  • 09:29  さむいっすな。今年は湯たんぽを買い換えるのだ。まずゆたぽん試す。
  • 09:46  グールド魚類画帳 リチャード・フラナガン @yonda4 途中。読むのが楽しい。
Powered by twtr2src.

2009年11月12日木曜日

今日のTwitter Wed, Nov 11

  • 04:19  書きました。 今日のTwitter Tue, Nov 10 http://bit.ly/3x2aj8
  • 10:37  ハリセルさんのところのコメント欄、なんだかなー、という感じだね。一から十まで説明しなければ、説明しない方が悪いとでも思っているんだろうか。ちょっとは自分で調べようとは思わないんだろうか。学ぶ意志のない人を説得するのは不可能ってことなのかも。
  • 10:45  確かに面白いのは否定できない。http://bit.ly/CbiIs
  • 10:46  こんな雨の日なのに、配送いっぱい頼んでしまった。ごめりんこ。
  • 10:48  気になる曲があって、ちょっと調べたらソニーだった。iTMSで買えないだけでなんかイライラしてしまう体になっちゃったよ。便利すぎるモンね。
  • 11:03  午後からは雨脚が弱まるとか。雨足? 雨脚? 雨フット雨レッグ
  • 11:09  @kdmytk おおおお! ありがとうです! 一つ賢くなった。速さが売りのレインフットと強さで勝負のレインレッグ。  [in reply to kdmytk]
  • 11:16  「複雑な話をわかりやすく説明する=頭良い」とは限らない。ということにアサハカなワタクシは20代半ばまで気がつかなかった。
  • 12:06  すばらしい。水掛け論から抜け出す大きなきっかけになるんじゃないだろうか。RT @kazuyo_k: デフレ危機論争について、ブログに私、勝間和代の想いを載せました。読んでいただけると、幸いです。 http://ow.ly/BbR2
  • 12:14  さっき上手くtwitできてなかった。これね。http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ikedanob/status/5584075163 面白いのは否定できないけど不毛。
  • 16:32  低調な午後。そして郵便物は届かない。
  • 21:53  相棒みてた。古畑っぽかった。近藤さんだし。
  • 22:05  頭痛ーん。
Powered by twtr2src.

2009年11月11日水曜日

今日のTwitter Tue, Nov 10

  • 00:09  @night_in_tunisi どうも池田さんは、ハイパワードマネーの増加→市場→マネーサプライの増加というプロセスが気に入らないようですね。しきりにマネーストックの変化の小ささに注目させようとしている。民間銀行の貸出し態度を問題にされたら「外生説」批判もやりづらいんでしょう。  [in reply to night_in_tunisi]
  • 04:16  書きました。 今日のTwitter Mon, Nov 09 http://bit.ly/Y0Dpw
  • 08:14  http://bit.ly/4BG5AV
  • 08:14  おっと。
  • 08:14  矢野先生の記事に対する反応をみても、経済学というのは本当に人々の「何か言いたくなる」感を刺激するよな、と思う。自分が経済学を勉強したかどうか、本人が一番よく知っているはずなのに。いや自戒を込めて、そう思うわけです。http://bit.ly/4BG5AV
  • 10:01  買い物ちょちょいと済ます。moldexが日本にちゃんと上陸して欲しい。耳栓高いよ。一セット70円でもまだ高いよ。
  • 11:42  一気に商品を見てたら疲れた。安くて丈夫そうなのが多いね。軍用品。http://bit.ly/CbiIs
  • 17:57  初Javariしてみた。翌日配送なのかー。13,000円で三足買ってみた。
  • 17:58  今日は明太子パスタと、鶏肉とにんじんの煮物。
  • 22:46  gomez "how we operate" 久しぶりに聴いた。あーやっぱこの声いいわー。
Powered by twtr2src.

2009年11月10日火曜日

今日のTwitter Mon, Nov 09

  • 04:03  書きました。 今日のTwitter Sun, Nov 08 http://bit.ly/3HEymm
  • 10:40  そういえば学校の就職あっせんって厚労省は把握してるのかな。民間が職業の斡旋をすると差別とかあってよくないよね→じゃあ国がやります、っていう理解なんだけど、新卒がすべてみたいな現状で新卒へのあっせんを国が把握していなかったら意味ないんじゃないの。
  • 10:41  むしろそこにこそ国の介入の余地があるようなきがする。新卒に偏った採用には今も昔も批判が多いのだから、企業の都合じゃなくて国民の都合で介入しちまえよ。
  • 10:43  最近ケインズの文章を読んでる。たしかにペダンティックなところもあるけど、大抵は率直な文章だった。でもフツーに読みづらいけど
  • 10:45  きのうはバイオハザードUCをハードでオールSクリアを達成したので、今日はちょっと疲れ気味。ほんと良くできたゲームだった。
  • 18:06  世の中のお金がどれだけ増えるかというのは、民間の銀行の貸し出し意欲に左右されるわけだから、そのお金の量があんまり増えていないからイングランド銀行はインタゲを実行していない、と匂わせるのはミスリーディングだろう。
  • 18:06  政策の効果が社会に反映されるには時間がかかる。
  • 18:20  マネーストックは結果であって、政策の意図を読み取るためのものじゃないと思う。
  • 23:41  @night_in_tunisi ありがとうございます。一つ勉強になりました。>「貨幣内生説」 ケインズが内生とも外生ともとれる立場を取っていたそうで、やはり極端な結論は無理がありそうですね。http://bit.ly/CbiIs
  • 23:49  あー。本読んでない。そのくせ買ったり借りたりしてる。
Powered by twtr2src.

2009年11月7日土曜日

今日のTwitter Fri, Nov 06

  • 05:21  書きました。 今日のTwitter Thu, Nov 05 http://bit.ly/1HY4U1
  • 12:52  始まったばかりだけど、快挙です。応援します! RT @kazuyo_k: 昨日の菅大臣との会合をまとめました。 国家戦略室への提言「まず、デフレを止めよう〜若年失業と財政再建の問題解決に向けて」 http://ff.im/-b3yNN #デフレ危機_
  • 13:06  風邪気味。
  • 13:07  ラーメンを食べている最中に鼻水が垂れるという危機から生還した。ぎりぎりの戦いだった。
  • 13:10  貧乏人だが生活は基本的にカードを使ってる。のでゴールドカードのお誘いがかなり多い。入らないですよ。恥ずかしいので。
  • 20:04  エネループ買いに行ったら単3だけなかった。新型と入れ替えの時期だったんだなー。
  • 20:28  バーナンキの背理法の認知度があがるといいな。中央銀行はインフレを作り出すことはできない、とかそんな話はもううんざり。
  • 20:39  十五年の停滞かあ。なんかよくわからないテキトーな社会の変化が起きて、ふわっと価格が調整されて、停滞から抜け出してもおかしくない時間だよなあ。
  • 20:42  スーパー極上キムチが気になる。
Powered by twtr2src.

2009年11月6日金曜日

今日のTwitter Thu, Nov 05

  • 06:09  書きました。 今日のTwitter Wed, Nov 04 http://bit.ly/1RwHQB
  • 09:54  久しぶりだよtwitter。きのうは一日ディキシー・チックス聴いてことしか覚えてない。
  • 09:55  DJヨーグルトのCD買った。忙しい人のための、みたいなヤツ。
  • 10:42  今月one pieceの新刊出ると思いこんでた。
  • 10:43  先日の日銀総裁の発言をみると、なんか信仰告白みたいに思えた。アレを説得するのは無理。政治でやるしかない。
  • 13:01  メディアが「総合知識人」を好んで「専門知識人」を避けるという話だけど、そもそも知識人を避けている気もする。http://bit.ly/1AH5LH
  • 13:16  http://bit.ly/heHN8 "自民党はやっぱりというかなんというか、野党になってからの空気っぷりからしても、 何にも考えてなかったというのが明らか" ここすごく同感。偉い人の反対は偉そうな人。
Powered by twtr2src.

2009年11月5日木曜日

運まかせ・書評・阿部彩『子どもの貧困—日本の不公平を考える』

cover
子どもの貧困
阿部彩
 日本の貧困率が話題になっている昨今、読んでみたのが本書、阿部彩著『子供の貧困—日本の不公平を考える』だ。2008年の11月に出た本だから、ちょうど一年前になる。正直に言って、冷静に読み進めるのが難しかった。僕自身、母子家庭で育ったので立場の弱い人に負担が集中してしまうことは経験的に知っていたつもりだったけど、なんというか、壮大な無関心が進行中なのだな、とガックリきた。著者があくまで慎重に、淡々と描く日本の子供たちの現状は、「自己責任」というフレーズでは隠しきれないほど深刻だ。
 
 本書で言う貧困とは相対的な貧困を指す。先日長妻大臣が取り上げた日本の貧困率と同じものだ。なので日本国内で所得の多少を比較して、中央値の50%に満たない所得の世帯は貧困、となる。この数字を使うと、他国の貧困とくらべればマシとかいわれそうだけど、著者のいうように、その社会の中では比較的貧しいということと、文化や社会を考慮せずとも絶対的に貧しいという状態というのは、それほどかけ離れたものではない。
いま、仮に、靴が買えず、裸足で学校に行かなければならない子どもが日本にいたとしよう。日本の一般市民のほとんどは、この子をみて「絶対的貧困」の状態にあると考えるだろう。しかし、もし、この子がアフリカの農村に住んでいるのであれば、その村の人々は、靴がないことを必ずしも「絶対的貧困」とは思わないかも知れない。つまり、「絶対的貧困」であっても、それを判断するには、その社会における「通常」と比較しているのであり、「相対的観点」を用いているのである。
[p.43]
とはいえ、もちろんこれは目安だ。相対貧困率は所得でみているから、働いていないけど現金をたっぷり貯め込んだ高齢者も、貧困にカウントされてしまう。でもそういうケースはそんなに多くないと思うが、やっぱり、ここからこっちが貧困、という線を日常生活の中で引くことは無理だ。でも、何かあるとすぐに「感じ方は人それぞれだから」と言って問題をなかったことにしてしまうのはもうやめたい。

 さて、本書では数多くの理不尽が描かれている。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ! といいたくなるような話ばかりだ。こんな状態でよく年金をネタに馬鹿騒ぎができたな、と率直に思う。
 
 例えば、若い夫婦がいて夫の所得だけでは子育てがままならないとしたら、この夫婦はどうするだろうか。おそらく妻も働きに出るだろう。そうすれば世帯としての所得は増えるからだ。あったりまえの足し算だ。しかし、日本ではこの足し算がぎりぎりでかろうじて成り立っているという有様なのだ。これは、ふたり親世帯において、共働きすることで貧困率がどの程度改善するか、というOECDの国際比較から言えることだ(本書第2章)。例えばアメリカの場合、ふたり親世帯で一人が働いている場合の貧困率が30%と異常に高いが、共働きの場合、10%を下回る。ドイツの場合、一人就業の場合は7~8%の貧困率、共働きの場合はそれが2~3%まで改善している。では日本はどうだろうか。一人就業の時は12.3%の貧困率で、共働きの時は10.6%だ。もうぎりっぎりなのだ。
 
 これは、女性、小さな子を持つ親、新卒ではない人たちが労働市場で差別を受けていることの現れだろう。ふたり親世帯でこの有様だから、片親世帯はさらに追い詰められている。シングルマザーの場合、子育ての時間を犠牲にしなければちゃんとした仕事にありつくことは不可能と言っていいだろう(勝間和代さんみたいな人はめったにいない)。僕の経験から言うと、やっぱり小学校高学年から中学生の間、母と過ごした時間はかなり少なかったし、とにかく断片的だった。あの状況でもし僕が幼児であったら彼女はどうしただろうと思うと、なかなかひやっとするものがある。さらに、両親が離婚すると母親が子供を引き取るケースが圧倒的に多いが、圧倒的に多くの父親が養育費を払わない。僕の父もそうだった。こうして立場の弱い人ほど負担が重くなっているのが日本の現状なのだ*1
 
 こういう風に書くと、辛い境遇から社会的に成功した人の話がでてきたりするが、その成功者たちも統計の数字を改善させるほどには成功していないようなので、その能力や努力、忍耐力を使ってもらってもうちょっとナントカならないものだろうか。さらに言えば、親が常人以上の能力や努力や忍耐力がなければ貧困にぐっと近づいてしまうというのならば、子供の貧困問題の解決は運まかせになってしまう。実際には、小さな子供を抱えながらも共働きだったり片親であるなら、当然、人並み以上の努力をしていると思うけれど。
 
 本書はデータがとても充実しているので、是非手元においておきたい一冊だ。テレビや新聞であつかえる量ではないので、この本を読まなければ、余程専門的な本を読んでいない限り、日本子供たちの現状を知ることは難しいだろう。
 
 さらに、本書を読んだ後に、景気対策を重視する経済学者の意見に逆らうのもかなり難しくなっているだろう。なぜなら、著者の考える貧困対策と経済学者たちの考える景気対策が同じものだからだ。長めに引用しよう。(日本にとって重要なのは、)
「多くの」ではなく、「よい」就労である。「よい」の中には、収入がよいというだけではなく、「ディーセント」(decent = まっとうな)という意味も含まれる。母親も父親も、「まっとうな」時間に帰宅し、子育てを楽しみ、かつ、「まっとうな」給与が得られる仕事をもつという意味である。
 第2章にて指摘した問題を思い出してほしい。日本のふたり親世帯は、勤労者が一人の場合の貧困率はOECD平均を下回るものの、勤労者が二人の世帯(共働き世帯)の場合の貧困率は、勤労者一人の世帯と大きく変わらず、OECD平均の二倍以上となる。つまり女性(母親)の収入が貧困率の削減にほとんど役立っていないのである。ほかの国では、ふたり親世帯が共働きであると、貧困率が大きく減少する。日本の母子世帯の貧困率が突出しているのも同じ理由による。
 今の日本の労働市場には、「ディーセント・ジョブ」がどんどん少なくなってきている。男性にも、女性にも、「ディーセント・ジョブ」を増やすこと、これが子どもの貧困を抜本的に解決する最大の方法である。
[pp.228]

 この主張は、オバマ政権誕生のときに大統領経済諮問委員会(CEA)の議長に任命されたクリスティーナ・ローマー氏の主張と同じだ。以前、彼女の就任時のインタビューについてのエントリーを書いたけど、彼女も職の数だけではなく、その質が重要だ、と説いていた。クリスティーナ・ローマー氏といえば、大恐慌の研究で有名な経済学者だ。彼女は、大恐慌の原因をデフレとその対策の失敗とし、デフレ脱却のための金融政策の重要性を強く主張している(英語版Wikipediaの記事)。本書の著者と経済学者の主張の一致は、この問題が個々人の能力や努力によっては(つまり運まかせでは)、解決しないということを強く示唆しているのだろう。


*1: どこで読んだのか正確には思い出せないので名前はふせるけど、ある女性作家が「日本のシングルマザーたちの就業率が高いのは、働かなければ得られない満足感があるから」的なことを書いていて、ずいぶんと悔しく思ったことがある。今思えば、彼女のその言葉のおかげで、僕は機会費用の概念を受け入れやすくなったのかもしれない。悔しいのは変わらずだけど。