2009年7月27日月曜日

二つの道 書評じゃないよ・Josh Waitzkin "The Art of Learning" その4

承前:その3

ストレスフルな状況に接したときに、自分の感情(怒りとか、つらい、寂しいという気持ちとか)を否定すべきではない、とジョシュはいう。そうではなくて、自分に対する攻撃的な要素を自分のために利用するべきであるという。が、彼自身認めるところだが、そんなことは簡単にはできない。

今日は、あの『ボビー・フィッシャーを探して』の少年がなぜチェスを辞めてしまったのか、という話。

ジョシュが16歳のとき、チェスプレイヤーとして次の二つの道のどちらかを選ぶことになった。それは、より攻撃的な戦い方を身につける道と、彼自身の持ち味をのばす道。
あの映画を見た人ならば、ここで不思議に思うだろう。そんなの決まっているじゃないか。選ぶ必要なんかない。ジョシュはジョシュらしく戦うことで勝利してきたんじゃないか。

映画のなかで、ジョシュの母はとても賢く愛情深い女性として描かれているけれど、本書によれば、彼女、ボニー・ウェイツキンはそれ以上の人物であるようだ。

彼女は動物たちと瞬間的に仲良くなってしまうムツゴロウさんのような人でもあるらしい。田舎に旅行した時の話で、牧場の人は馬がおびえたり騒いだりしていると、ボニーを呼んでなだめてもらうのだそうだ。

ボニーによると、馬をなつける方法は二つあるという。一つは馬が逃げないようにロープでつなぎ、馬が我を忘れるような騒音をたてて脅す。馬はやがて疲れきって服従するようになる。「衝撃と畏怖」と呼ばれる方法だ。

もう一つは馬と正面から対峙することなく、やさしくなでる。食べ物をあたえる。毛繕いをする。やがて馬はなれてきて、あなたを好きになる。馬の魂を壊さずに、馬を、時には成長しきった馬でさえも、そうやって手なずけることができる。こうしてできた人と馬の関係では、個性が塗りつぶされるというようなことはない。

にもかかわらず、ジョシュのチェスプレイヤーとしてのキャリアは、「衝撃と畏怖」の道を行くことになる。あの映画の反響が、ジョシュとそのまわりの人々にそのような選択を迫った部分もあるようだ。そしてその結果ジョシュは、「競技者としての重力の中心を失った(I lost my center of gravity as a competitor.)[p.87]」のだった。

つづき:その5

2009年7月22日水曜日

読んでみた・ジル・ドスタレール『ケインズの闘い』

"The Art of Learning"はちょっとお休みで、今回はジル・ドスタレール『ケインズの闘い』について。

何せ五千円以上もする本なので図書館で借りて、で、もうすぐ返さなければいけないので、急いで感想など。

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ケインズの闘い
ジル・ドスタレール
ジョン・メイナード・ケインズが誰か、なんて説明はいらないだろう。とにかく市場に任せておけば全てはやがて効率的になる、という古典経済学に反旗を翻した人だ。この本はケインズの伝記のようなところもあるけれど、重点が置かれているのは彼の思考や主張で、友情や恋愛など人間関係はそこそこ詳しく描かれるものの、あくまで彼の考えの道筋を説明するためのものだ。

そのケインズの考え方の基本は、「不確実性の性格を考慮すると、将来の善のために現在の幸福を犠牲にすることには危険がともなう」[p.208]というものだ。有名な「長期的にはわれわれは皆死んでいる」というやつですな。この考え方があるので、彼は計画経済、つまり共産主義を敵視したし、物事が時空を超えて理論通り振る舞うと信じきっている古典経済学を攻撃したわけだ。

とはいえ、ケインズとその仲間たちの話もかなり面白い、が、それは実際に読んでもらった方が100倍楽しいこと間違いなしなので書かないで、ここではケインズとケインズ以前の経済思想をさくっとみてみよう。僕は経済学を専門的に勉強したことはないので、まったく的外れなものになる可能性大なのでご了承を。

なんといっても経済の大問題は失業だ。失業を放置すればやがて国が傾く。では、ケインズ以前の経済思想は失業をどうみていたのだろう。

セイの法則で有名なフランスの経済学者ジャン=バティスト・セイは、供給があればそれと同じだけ需要もあるので、非自発的失業は存在しない、という考え。ま、古典的ですね。無茶いうな、という気もします。

次にデイビッド・リカード。イギリスの人ですね。ミスター比較優位。彼は、生産力が短期的に跳ね上がると失業が発生することがある、が、需要が足りないということなどありえないと主張。リカードはラッダイト運動(紡績機ぶち壊し運動)にある程度共感してたそうで、これは驚きだった。なんとなく自由主義を愛するオジサン、というイメージだったので技術革新にはもちろん肯定的なのかなと根拠なく思ってた。やり手の商人だし。

セイとリカードに共通しているのは、需要不足の否定、だ。貯蓄は将来の消費であるから、その分需要を生む。なので貯蓄=経済発展。だから金持ちの貯蓄は美徳である、と。

そして最近じゃすっかり偽予言者扱いのマルサス。この人もイギリス人。彼は貯蓄の購買力(お金の量)だけが問題なのではなく、買う意欲も重要だ、と考えていたそうで、つまり有効需要のアイディアですね。お金を貯めるだけで使わない人がいれば、そのお金の分失業が生まれる。買う意欲(=需要)が足りなければ失業が発生してしまう。だから買う意欲のないケチンボをなんとかしなきゃ、と。

そしてケインズはこのマルサスの考え方を完全に受け継いでいて、その最も過激な主張が、金利生活者の安楽死、というアイディアだった。まあ本気かどうか知りませんけど。さらにマルサスといえば『人口論』、人口は幾何級数的に増えるけど食物は算術級数的にしか増えないからアレだ、というアレですがケインズはこの見方にも共感していたそうな(wikipediaのリカードの頁をみたら彼もマルサスの人口論には賛成していたそうです。当時はすごく説得力が感じられたんですかね)。

cover
雇用・利子
および貨幣の
一般理論
J・M・ケインズ
ケインズはリカードをずいぶんこき下ろしていて、マルサスではなくリカードが学界で地位を確立したことで経済学は100年遅れた、とまで言っている。また、のちに『雇用・利子および貨幣の一般理論』とよばれる本の校正をしている時、ケインズはバーナード・ショウに、自分の新しい理論によって、「マルクス主義のリカード的基礎は打ち壊されるでしょう」[p.435]と言い、さらにヴァージニア・ウルフには「古いリカード体系が打ち捨てられ、すべてのことが新しい基礎のうえに築かれるのをあなたは見るでしょう」[p.436]と言ったという。

ケインズによれば経済を発展させるのは貯蓄ではない。貯蓄はケインズが唾棄しつつも慣れ親しんだヴィクトリア朝のいやらしい偽善的な道徳であって、人々にとって有害である。アニマルスピリットに導かれた投資こそが経済を発展させる。また、貯蓄は格差をいっそう拡大し、永続的なものにしている。だからこそ、金利生活者に安楽死を、という過激な主張がうまれたようだ。

ケインズ自身はエリート主義な人だった。そのせいか労働者の自己責任みたいな話には我慢ならなかったようだ。本書の最後の文を引用しよう。

 ケインズの見るところでは、貧困・不平等・失業・経済恐慌という問題は、外生的な偶発事でもなければ、不節制に対する懲罰でもなく、むしろそれは、十分に組織されていない社会や人間的誤謬の結果である。したがって、大きな改革の実行によってそうした問題を緩和すること、あるいはそれを解消することは、都市国家に集結した諸個人の手にかかっている。このような改革は、われわれが今日知っている資本主義経済の状況のなかで可能なのだろうか。ケインズは、それが可能であると信じていたか、あるいは少なくともそうであることを望んでいた。<福祉国家>の確立は彼が正しかったことを証明したように思われたけれども、情勢は一変した。それでもなお、資本主義の健康状態についての彼の診断ーー今となっては半世紀以上も前に提示されたことになるーーは、これまでよりもさらに適切なものとなっている。将来に何が起こるかを知っていると主張することは、誰にもできない。しかしながら将来をつくることは、われわれの手にかかっている。おそらくこれが、ジョン・メイナード・ケインズの主要なメッセージである。
[p.570]

 

2009年7月19日日曜日

更新もままならないくせに

新しくブログをはじめてしまいました。読んだ本の気になった箇所を長めに引用するだけのブログです。どうぞよろしく。

鄙夫/hifu/の本棚

2009年7月17日金曜日

書評? Josh Waitzkin "The Art of Learning" その3

承前:その2

もう書評じゃないよなあ。今回は太極拳の話に行く前に、ジョシュの転機になった出来事についてです。

インドでのチェスの大会の時、ジョシュは16歳なのだが、大事な試合中に突然、地震にみまわれる。まわりの人々は急いで建物から出て行ったが、ジョシュはそこに残り、どうすれば勝利できるのか考えていたという。

その時の様子を、彼は次のように語る。

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The Art of Learning
Josh Waitzkin
Everything started to shake and the lights went out. The rafters exploded with noise, people ran out of the building. I sat still. I knew what was happening, but I experienced it from within the ches position. There was a surreal synergy of me and no me, pure thought and the awareness of a thinker ---I wasn't me looking at the chess position, but I was aware of myself and the shaking world from within the serenity of pure engagement--- and then I solved the shess problem. Somehow the earthquake and the dying lights spurred me to revelation. I had a crystallization of thought, resurfaced, and vacated the trembling playing room. When I returned and play resumed, I immediately made my move and went on to win the game. [p.53]

拙訳:建物が揺れはじめ、明かりが全て消えた。屋根の木材がものすごい音をたてていて、人々は建物の外へ逃げ出した。僕はじっと座っているだけだった。何が起きているのかちゃんとわかっていた。でも僕は地震をチェスの駒の配置の中から感じていたのだった。それは僕と僕でないもの(純粋な思考と、思考するものの気づき)の非現実的なシナジーだった。僕はチェス盤を眺めている僕ではなく、純粋な没頭の持つ静けさの中から、自分自身と地震で揺れている世界を認識していた。理由はどうあれ、地震とそれに続いて明かりが消えたことが刺激となって、僕は啓示を受けたのだった。僕は水晶のように明晰な思考に入り込んでいたけれど、我に返り、まだ揺れている会場を後にした。そして試合が再開されると、僕は席に座り、すぐさま一手打ち、一気に勝利した。


なんだかスーパーサイヤ人誕生! みたいなシーンだけども、ジョシュは自分の意志でこのときの明晰な状態に入れるようになりたい、と考えた。そのために「気をそらすもの」に対処しなければならないのだが、ジョシュの経験した地震はそうとうに大きな「気をそらすもの」なわけだ。にも関わらず、ジョシュは心をクリエイティブな状態に保っていた。つまりジョシュの発見は、「気をそらすもの」への対処の仕方によって、人のパフォーマンスは劇的に変化する、ということだ。喫茶店でおばちゃんが騒いでて本に集中できない、バイクの音がうるさくて勉強が続かない、というようなことから、大きい地震がきているのにトップレベルのチェスの試合に勝ってしまう、というようなことまで変化の幅は大きい。

そうしてスーパーサイヤ人になるためのロードマップをジョシュは示しているのだが、それによると、まず何が起きても(作業なり何なりを)続けられるようになり、その後に、何が起きてもそれを自分の有利なものにしてしまえるようになり、最後に、完全に充足した状態で自分で何かを起こして、それを刺激にクリエイティブな状態になれる、という。

さあ、だんだんアヤシクなってきましたね。つづきます。

つづき:その4

2009年7月12日日曜日

最低賃金を上げるという話

民主党が最低賃金を1,000円に上げるという政策を思いついちゃったそうだ。

実際に実行したとして、結果がどうなるかよくわからないけど、働くことにまつわるルールっていうのは、一部の人が異常に有利にならないようにする、というものであるべきだ。国民の力がフルに活かされることを目標にすれば、当然、各人の意欲を大事にする社会をつくらなきゃいけない。特権階級がいるような社会で健全なやる気を維持できる人は多くない。

そして今最賃を値上げするというのは、一部の人を有利にしてしまうと思う。たぶん高学歴の若者が一瞬有利になって、その後馬車馬のように無慈悲な働き方を強いられる。で、全体的には採用が減るだろうから、今まで通り、既得権をもつ正社員がさらに有利になって、また若者の負担が増えるんじゃないかな。

働く人の権利を守らないことに定評のあるアメリカで、労働者の年齢差別を禁止したり、履歴書に写真をのせなかったり(これは法律? 習慣?)することの意味を考えなきゃいけない。それをしてしまうと一部の人が有利になりすぎてしまうからだ。裏を返せば、他の一部の人たちに負担が集中してしまうということだ。日本に住んでいて、年齢とか見た目のことで理不尽を感じたことのない人なんていないはずだ。最賃をいじる前にするべきことがいくらでもあるでしょう。最賃を上げるのは人手不足になってからで十分だ。

2009年7月9日木曜日

書評・Josh Waitzkin "The Art of Learning" その2

承前:その1

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The Art of Learning
Josh Waitzkin
映画のヒットで、ジョシュは一夜にしてセレブの仲間入りを果たした。チェスの大会に出れば人だかりができて、女の子が電話番号を書いた紙をわたしてくる。フツーの高校生なら有頂天になって我を忘れてしまうところだが、幼い頃からチェスを愛してやまない彼だから、ミーハーな注目を集めてしまうことは、対処しなきゃいけない大きなノイズではあったが、自分を見失うということはなかったようだ。

本書によれば、トップレベルのチェスの世界とは何かとおっかないトコロのようで、試合中、対戦相手の気をそらすために、色々仕掛けるプレイヤーも多いんだそうだ。例えば、映画でも描かれていたけど、先手がなかなか試合を始めなかったりしていた。ジョシュがローティーンのころにソ連が崩壊して、ロシアから亡命してきたチェスプレイヤーが多かったそうで、中でも子供達はチェスのコーチとともにアメリカにわたってきていたという。彼らは独特なワザを多く持っていたそうだ。例えば、試合中にロシア語で何かを言う。コーチとロシア語で何か話す。机の下で相手の足を蹴る、等々。一度、ジョシュとロシア出身のプレイヤーがアメリカ代表としてインドの大会に参加した時、他国からアメリカへの抗議が殺到したそうだ。

もちろんジョシュはそういった戦い方を嫌ったが、対戦相手がそうである以上、何か対策を練らなければならなかった。そしてこの「気をそらすもの」との戦いが、本書の最大のテーマである。つまり『ボビー・フィッシャーを探して』という映画の成功は、ジョシュに一層の「気をそらすもの」対策への傾倒を迫ったわけだ。

そのうちにジョシュは、普段以上の集中力が発揮される瞬間に気づく。それは「気をそらすもの」にどう対処するかによって現れたり消えたりする異常な集中力だった。気をそらされる、というのは、どうやら自分の感情やあり方と深く関わっている、とジョシュは考えた。そしてその頃、彼は太極拳とであう。

つづく

追記:書きました。その3

2009年7月5日日曜日

書評・Josh Waitzkin "The Art of Learning" その1

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ボビー・フィッシャー
を探して
『ボビー・フィッシャーを探して』という映画をみて、とても面白かったので、登場人物のその後が知りたくなった。映画はある実在の天才チェス少年の話で、その父親が書いた同名の本("Searching for Bobby Fisher")が原作だ。タイトルのボビー・フィッシャーはチェスの名人。奇行で有名な人だったそうだ。映画に出てくるわけじゃなくて、彼のエピソードが少年によって語られるだけだ。それでもタイトルに出てくるのは、少年がボビー・フィッシャーの再来であると期待されていたから。少年が周囲の期待にどう反応するか、というのがこの映画の見所だろう。

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The Art of Learning
Josh Waitzkin
その少年がジョシュ・ウェイツキン。これから書評しようとする本"The Art of Learning"の著者だ。彼は21歳以下の全米チャンピオンに8回なった。その彼にとって上述の映画はとても重要な役割をもっている。映画はアメリカ本国でかなりヒットしたそうだが、そのことが、ジョシュのチェスプレイヤーとしての人生に大きく影響することになった。映画はジョシュが6歳から8歳くらいまでをえがいているが、封切られた時、彼は高校生だったそうだ。

著者のことを、僕はあたりまえのようにジョシュと書いてるけど、彼にはそうさせる魅力がある。とてもやさしいのだ。『ボビー・フィッシャーを探して』は、彼の優しさについての映画でもある。

本書"The Art of Learning"のタイトルは、おそらく孫氏の兵法"The Art of War"をもじってつけられたんだと思うけど、タイトル通り、学習法についての本だ。でも、ジョシュの人生についても多くページを割いている。

チェスも将棋もわからない僕が本書を手に取ったのは映画のジョシュがあまりに素敵な人物であったからだが、一読してみて驚いたのは、彼がすでにチェスを辞めていたことだ。

もちろん、個人的にはプレイしているんだと思うけど、大会に出てタイトルを争ったりはもうしていない。そしてそのきっかけが、あの映画だったという。

その2へつづく

2009年7月1日水曜日

経済財政政策担当大臣に林芳正氏

今日7月1日のニュース。短い記事なので全文引用させてもらいます。

経済財政に林芳正氏=国家公安は林幹雄氏−首相、自民人事は見送り



麻生太郎首相は1日、与謝野馨財務相と佐藤勉総務相の閣僚ポスト兼務を一部解き、経済財政相に林芳正前防衛相を、国家公安委員長に林幹雄自民党幹事長代理をそれぞれ起用することを決めた。一方、検討していた自民党役員人事については、党内の反発を考慮し、見送る方針だ。 (2009/07 /01-17:43)



先日こんなエントリを書いたけど、よかったです。遅すぎるけど。今そうするなら、なぜ以前にしないのか。そもそもなぜ兼務させたのか、よくわからないですね。

それはともかく、活躍する時間はほとんど残されてはいないでしょうけど、新大臣の林芳正さんは、ホームページを見ると、「尊敬する人:高橋是清」とあります。やったね。期待します。結果を求めるのは無茶だけど、経済政策の雰囲気を変えて欲しいですね。堂々と経済成長を目指して欲しい。