承前:その3
ストレスフルな状況に接したときに、自分の感情(怒りとか、つらい、寂しいという気持ちとか)を否定すべきではない、とジョシュはいう。そうではなくて、自分に対する攻撃的な要素を自分のために利用するべきであるという。が、彼自身認めるところだが、そんなことは簡単にはできない。
今日は、あの『ボビー・フィッシャーを探して』の少年がなぜチェスを辞めてしまったのか、という話。
ジョシュが16歳のとき、チェスプレイヤーとして次の二つの道のどちらかを選ぶことになった。それは、より攻撃的な戦い方を身につける道と、彼自身の持ち味をのばす道。
あの映画を見た人ならば、ここで不思議に思うだろう。そんなの決まっているじゃないか。選ぶ必要なんかない。ジョシュはジョシュらしく戦うことで勝利してきたんじゃないか。
映画のなかで、ジョシュの母はとても賢く愛情深い女性として描かれているけれど、本書によれば、彼女、ボニー・ウェイツキンはそれ以上の人物であるようだ。
彼女は動物たちと瞬間的に仲良くなってしまうムツゴロウさんのような人でもあるらしい。田舎に旅行した時の話で、牧場の人は馬がおびえたり騒いだりしていると、ボニーを呼んでなだめてもらうのだそうだ。
ボニーによると、馬をなつける方法は二つあるという。一つは馬が逃げないようにロープでつなぎ、馬が我を忘れるような騒音をたてて脅す。馬はやがて疲れきって服従するようになる。「衝撃と畏怖」と呼ばれる方法だ。
もう一つは馬と正面から対峙することなく、やさしくなでる。食べ物をあたえる。毛繕いをする。やがて馬はなれてきて、あなたを好きになる。馬の魂を壊さずに、馬を、時には成長しきった馬でさえも、そうやって手なずけることができる。こうしてできた人と馬の関係では、個性が塗りつぶされるというようなことはない。
にもかかわらず、ジョシュのチェスプレイヤーとしてのキャリアは、「衝撃と畏怖」の道を行くことになる。あの映画の反響が、ジョシュとそのまわりの人々にそのような選択を迫った部分もあるようだ。そしてその結果ジョシュは、「競技者としての重力の中心を失った(I lost my center of gravity as a competitor.)[p.87]」のだった。
つづき:その5
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