2009年6月23日火曜日

「去私」の人?

この間所用でお役所に行った。んで、待ち時間があったので、壁にかかってるテレビをみて待ってた。テレビのニュースをじっとみるなんて久しぶりだなあと思ってたら、与謝野大臣が出てきた。僕は新聞も読まないし、大臣の顔を見るのはホントに久しぶりだったんだけど、なんか随分痩せてるじゃないですか。やっぱ三大臣兼務なんて無理ですよ。

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山本七平の
日本の歴史(上)
山本七平
『山本七平の日本の歴史(上)』の中で、著者は夏目漱石の『こころ』を分析しながら、日本人にありがちな精神的な態度を提示している。勝手な要約をしてしまうと、危機や変化に出会った時、日本人は「去私」足らんとする。つまり自分の欲望や理想や目的をなげうって、周囲の人のために動いているかのように振る舞うということだ。このような指導者は超人的な虚のエネルギーを生み出す。何せ本人には目的がないかのような状態だから、周囲の人はいくらでも忖度できるわけで、どんどん祭り上げられてゆく。そして周囲の思惑がぶつかり合って事態がどちらに転がるか、まったく予想ができない。このような人物の例として乃木希典があげられている。乃木は明治天皇が崩御した時に自決したが、「去私」であるのだからそれも当然だったわけだ。要約はここまで。

無理をするのも「去私」の一形態なんじゃないんだろうか。しかし「去私」は人の頭の中にだけ存在するのであって、現実の問題に対しては何の効力も持たない。もちろん与謝野さんが「去私」の人かどうか、僕は知らない。でも、三大臣兼務ってのはもう超人の域だと思う。また、彼がよく言う「責任」というのも、誰の誰に対する責任なのかよく分からない。国の債務を担うのは現役世代なのだから、返済の仕方はその世代に任せるのがスジじゃないの? と僕は思う。今増税したって債務の総額から言えば微々たるものだ。返済そのものよりも、返済しやすい経済状態を目指したほうがいい。時間をかけて返していけば負担も分散できる。

親になって子供が思春期くらいになると、「去私」の構えで子供に接する人たちを結構よく見かける。僕の母もそうだったし、友人の親もそうだったようだ。自分の目的や理想を押し殺して、ただあなたの幸せを願ってる、みたいな。それは美しい態度なのかもしれないが、子供達の不安や焦燥感を癒す事は無い。

僕たちが「去私」を回避して現実と向き合うためには、おそらく凡庸な理想を(ひっそりと)掲げることが大事なんじゃないかと思っている。子供達には善良であって欲しいものだし、国の債務の返済は過激なものでなく、余裕のあるものであって欲しい。まったく凡庸だ。しかし、「将来世代に負担をかけない」という理想は、人智を離れてると思う。これでは現実に対処することは難しいだろう。

なんか話がよくわからなくなりましたが、結局言いたいことは、無理したって行いが正当化されたりしないよ、ということでした。身体にもよくなさそうなんで、三大臣兼務は辞めて欲しいですね。

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