ジョシュはまわりからのプレッシャーが増えていくなかで、ジャック・ケルアックの作品を通じて東洋思想に(いささかエキセントリックな)興味を抱き、やがて老子にであう。18歳の少年にとって、「老子は、物質的な欲求に対する自分の複雑な思いをほぐしてくれた[p.96]」という。
古代中国の思想をもっと学びたいという思いで、ジョシュはウィリアム・C・C・チェンという人の太極拳のクラスに入る。当初はテレビでよく見るようなゆったりした動きの訓練を受けていたのだが、その学びの早さと深さから、ジョシュはpush hand クラスへ入ることを勧められる。
push hand というのはどうやら投げ技が中心の格闘技のようだ。(参考動画)本書によると、大会は一日で行われ、ケガを負わずに勝ち進むのはかなり難しいのだそうだ。
心優しいチェス少年のジョシュがそんなものに挑戦するのもすでに驚きだが、彼は数年のうちに全米チャンピオン、そして世界チャンピオンになってしまうのだから、なんだかもうあきれてしまう。しかも自分の体重に比べて重い階級に挑んだというんだから。
太極拳のチャンピオンへの道はまるでドラゴンボールなんだけど、相変わらずジョシュは優しい青年のままだ。学ぶことが人の感情と密接に関わっているという、彼の心に深く根ざしたアイディアをもとに、彼は早く深く学ぶあり方を探っていく。
それは僕が読むところでは、強がったり悪ぶったり、世慣れた風を装ったり、知ったかぶりをしたりするようでは何も学べない、ということだ。そんなの当然だろ、と思ってしまうところに僕の浅はかさがあるんだなと痛感してます、ハイ。
より実践的には次の三つのステップで学習を深めていく。まずやる気をなくすような事が起きても真正面から対応したり、あるいは全否定したりしない。慌てない。感情を爆発させない。力を抜いて、やり過ごす手を考える。ちょっと顔でも洗って気分転換しよう。散歩するのもいい。
次に逆境を利用する。猛獣に立ち向かうような勇ましさではなく、逆境におかれた時にしかできないような事を考える。ジョシュの場合、利き腕である右腕を負傷してしまった時、ケガの治療に専念するのではなく、それと並行して、左腕一本で相手の攻撃を無効化する練習に取り組んだという。平常時ではなかなか思い切った特化というのは踏み切れないものだからこそ、逆境を利用しない手はない、というわけだ。
そして三つ目。それは己を知ること。自分が特に集中できた状況をよく観察して、その原因を知ること。そうすれば、自分にとって優れた環境を意図的に造り出すことができる。本書の例では、あるバスケットボール選手の場合、敵地でブーイングを浴びてると調子がいいことに気づき、相手チームのファンを挑発するような仕草をしたりするんだそうだ。これはたぶん、自分を刺激するストレスの種類を見分けよう、ということなんじゃないかと思う。時間的なプレッシャーだったり、怒りであったり、恐怖や不安であったり。感じてしまうと身動きが取れなくなるようなイヤなストレスは上手に避けて、良い刺激になるようなストレスを選びとっていくということなんだろう。ジョシュの示唆するところでは、何らかのかたちで緊急事態を連想させるような状況が、人をぐんと集中させクリエイティブな状態にさせるという。なので肉体的なストレス、空腹とか疲れとか、から探っていくといいかもしれない。
本書はジョシュのパーソナルな話と、プラクティカルな話の両方が上手く組み合わさっていて、読んでいてとても楽しかった。どちらの話にせよ、この書評もどきで扱ったものはほんの一部でしかないので、とても読み応えがあると思います。
最後にジョシュのいいやつっぷりが最も良くでてると僕が勝手に思ってる箇所を引用して、このだらだら書評を終えよう。
My answer is to redefine the question. Not only do we have to be good at waiting, we have to love it. Because waiting is not waiting, it is life. Too many of us live without fully engaging our minds, waiting for that moment when our real lives begin. Years pass in boredom, but that is okay because when our true love comes around, or we discover our real calling, we will begin. Of course the sad truth is that if we are not present to the moment, our true love could come and go and we wouldn't even notice. And we will have become someone other than the you or I who would be able to embrace it. I believe an appreciation for simplicity, the everyday --the ability to dive deeply into the banal and discover life's hidden richness-- is where success, let alone happiness, emerges.
The Art of Learning
Josh Waitzkin
拙訳 ( )内はすべて引用者による。:
(突然大きなチャンスが訪れたらどうすればいいのかという疑問に対して)僕の答えは、質問をよく見直してみる、というものだ。僕たちは待つことが得意にならなきゃいけないだけじゃなく、愛さなくてもいけない。というのも、待つことは待つことじゃなくて、人生だから。僕たちの内の多くの人が、その精神を遊ばせたまま、本当の人生が始まるのを待っている。退屈のうちにいく年も過ぎていくが、それでいい。だって、本当の恋人に巡り会えた時に、あるいは天職を見つけ出した時に、僕たちの人生は始まるのだから。もちろん、残念な真実として、その決定的な瞬間に僕たちが居合わせなければ、生涯のパートナーはただ通り過ぎるだけだし、僕たちも気づくことさえないだろう。そして僕らは、その瞬間をものにした僕やあなたとは、ちがう人物になってしまっているだろう。それでも、僕はシンプリシティ(単純さ)に価値があると信ずる。平凡さのなかに深く潜って人生の隠された豊かさを発見する能力があれば、日常こそが成功とそして当然幸福が、現れる場所になる。
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