2010年11月12日金曜日

上手くいきませんでしたけど何か?・書評・中村隆英『昭和恐慌と経済政策』

例のごとく更新が滞ってしまった。再開します。

cover
昭和恐慌と経済政策
中村隆英
気がついたら日銀がまた量的緩和をやるんだそうで。効果ないんじゃなかったっけ? でも喜ばしい方針転換です。今日の本は中村隆英著『昭和恐慌と経済政策』。正しくタイトル通りの本で、1929年以降の米国経済の急減速の影響という形で始まった不況がなぜ恐慌とまで呼ばれるようになったのか、その原因と目される井上準之助と彼の実施した政策を中心に据えて昭和恐慌の全体像を描いていく。文庫本で手に入りやすい。

金本位制への復帰(金解禁)は浜口雄幸内閣が誕生した昭和4年(1929年)当時、政財界の総意だった。今となっては滑稽ですらあるんだけれども、当時は「経済的理由を超えて金本位制が望ましいという金本位心性」(若田部昌澄『危機の経済政策』p.27)(参照)の時代だった。で、濱口内閣で大蔵大臣に就任したのが金融界出身で元日銀総裁の井上準之助だ。彼はすぐさま金解禁を実施するものの、世界恐慌は始まるし満州の軍は言うこと聞かなくなるしで日本を未曾有の不景気に叩き込んだだけで失敗してしまう。そのあとを高橋是清が継いでリフレ政策に転換。景気は順調に回復しはじめたけれど、2・26事件が起きてしまう。と、こんなあらすじです。

一月に金解禁を実施した昭和5年、壊滅的な状況となったこの一年について、井上は自分がここまでのデフレは予想していなかったと認めている。しかしそれでも彼の方針は翌昭和6年も堅持される。この時点での井上の演説の内容をまとめた箇所があるのだが、これはもうめまいがするほど現代日本の善男善女がもつ経済観とそっくりだと思う。そのまとめをさらにまとめてしまうと、不況によって企業は普段できない合理化をすることができた。さらなるコスト削減をしなければ世界では戦えない。不況に対して政府が財政出動してしまえば、世間の人は動かない。外国もおんなじくらい悪い。今後はだんだんよくなると思う。今は雌伏の時だからぐっと耐えなくちゃダメ。日本国民が一丸となって新しく生まれ変わる必要がある、云々。

平成不況もずいぶん長いのでさすがにこのまんまな人はあんまり見ないけど、ちょっと前まではかなり一般的な感覚だったんじゃなかろうか。さて、その後も井上はかなり強気に緊縮財政に取り組むのだけれど、どうもその強気の根拠は、「そのうちに景気が回復する」ということだったようだ。終わらない不景気なんてない。確かにその通り。しかし失われた二十年が囁かれているここ現代日本では、その言葉は虚しく響くだけだ。

本書を読んで強烈に感じるのは、戦前の日本が如何に個人の力に頼っていたか、ということだ。特に最後の元老西園寺公望は政策の正当性を担保するためにことあるごとに政治家たちから相談を受けるわけだけど、一人の人間がただでさえ複雑な政治問題をいくつも捌けるはずもなく、井上の政策に対しても、その内容を理解していたのかどうか疑問が残るし、どの方針からも微妙に距離をおくことで自身の地位を保っていたようだ。もちろん彼が影響力を維持することで、過激な方針に牽制できたりもしたのだろう。しかしそうやって個人の力に頼り切りになると、外からのチェックも働かないし、メンツの問題が大きくなりすぎる。

井上の金解禁は失敗だったけど、方針転換のチャンスは当時の日本には存在しなかった。金解禁は民政党の一枚看板だったから撤回はできなかった。昭和5年(1930年)に金解禁が実施されたが、その前年にはアメリカで恐慌が起きていて、その影響が世界中に広まりつつあった。そんな時期になぜ不景気になるとわかっている金解禁を実施したのかといえば、世界の趨勢に従うことをアピールしたかったからのようだ。つまり、日本は世界の脅威ではない、とそう主張したかったらしい。金解禁を実施することがなぜそのようなアピールになるのかは本書を読んでいただこう。しかしそれも失敗に終わる。金解禁の翌年の9月、柳条湖事件が起こり、以降政府は不拡大方針を掲げるものの軍は止まらず、日本の国際的な信頼は地に落ちた。さらにこの昭和6年には金本位制の総本山イギリスが金の持ち出しを禁止して、金本位制から離脱してしまう。こうして金解禁のために井上が国民に要求した倹約や、その結果としての大不況はただただ国民を苦しめただけで終わった。浜口内閣の退陣後も、井上は自身の政策の正しさを主張するのだけれど、どうしてもたらればな言い訳に聞こえてしまう。本人も政策の間違いに気づいていた節もある。

井上の政策はことごとく裏目に出た。結果的には不況をさらに深刻化させただけで、国民の苦しみは軍にさらなる求心力を与えることになった。では井上がもっと上手くやれば状況は変わったかといえば、それもないと思う。井上個人はすごく有能な人物だったようだし、不合理な決断ばかり繰り返していたわけでも、情報収集を怠っていたわけでもない。当時の日本の政治は今以上に劇場かつ激情型だったようで、特に政策の変更=政治生命の終わり、という風潮は、貴重な政治的資源の無駄遣いという他ない。政治家がリスクをとって決断し、あとは臨機応変に、というのが民主主義の妥当なあり方だろうけど、当時の日本にとってはそれが相当難しかったようだ。井上のあとを継いだ高橋是清のリフレ政策も、国の経済がかなり追い詰められていたからこそ実現可能だったのだと思う。金解禁を見合わせるか、新平価で解禁して景気の様子をみながら政策を実施して行くなんて選択肢は理屈としては存在していても、実際のところ当時の日本にはなかったようだ。

だとすれば、マニフェストを守らないなんて可愛いものかもしれない。でも、権力が個人に集中してくるとメンツの問題が大きくなりすぎるし、意思決定のスピードもガタ落ちになる。そっちは本当に心配だ。仙谷さんと白川さんにはぜひとも気をつけていただきたい。