2009年5月30日土曜日

失業率の悪化に思う


失業率が5%になった。

雇用情勢が急速に悪化している。4月の労働力調査では、完全失業率(季節調整値)が5.0%で、5年5カ月ぶりに5%台になった。

失業率の悪化は予想されていたので驚く様なことではないけれど、やっぱりいやなニュース。で、雇用対策用に15兆円の補正予算が通ったけど、なんだかなあ、という感じ。というのも、日本の1400兆円もあるらしい個人資産はどこいっちゃったわけ? と思うから。

為政者には、1400兆円の個人資産と金融政策と雇用をセットで見て欲しいと思う。貯蓄を取り崩すくらいなら借金したほうがマシってのは個人レベルではよく見られる不合理なんだそうだ。でも、個人ならその不合理のコスト(借金の金利)を支払うのは本人なわけだから、不合理な選択もまた自由、といえる*1。でも国家がそれをやると、借金のコストは国民全員で支払い、「貯蓄を取り崩さない」という利益は貯蓄している人たちだけが享受することになる。つまりお金のない人から、お金のある人に利益の移転が起きているわけだ*2以前にも書いたけど、お金を貯めることにもリスクはある。そのリスクはお金を貯める人が負わなきゃいけないものだ。

街を歩いていると、人通りの多い場所なのに何年もシャッターをおろしている建物があったりする。東京の世田谷通りなんかでもそういう建物は結構ある。以前は、「勝手すぎるなあ」と思ってた。だっていくら自分の土地だからといって何年もシャッターをおろしっぱなしじゃあ、まわりのお店だって辛いでしょう、と考えてたから。今もそういう考えをもってはいるけれど、勝手というよりは、どうしたらいいかわからないのかな、と思うようになった。高齢化の一側面なんじゃないだろうか、と。

ものすごく頭のいい官僚が作ったものすごく複雑な政策ならばこういう状態を打破できるのか、といえば、そんなことはまったくないだろう。たぶん、人々の活動を活発にすることでしか変わっていかないんだと思う。だが現状維持のコストを他人に押し付けられる環境なら、人はそうしてしまう。

短期的には借金で雇用を支える必要もあるだろう。でも長期的には1400兆円の個人資産を活用するほか道はない*3。そのためには経済をインフレ基調にすべきだと、やっぱり思う。


*1:限度はあると思うけど。

*2:車買うためとか、2、3年の生活費とか、そういった貯蓄の話じゃないですよ。

*3:長期的な経済発展に疑問をお持ちの向きもありましょうが、だから何? ですよ。せめて資本が十分に活用されたのを見届けた上で、それ以上の発展があるかないか論じればよろしいんじゃないかしら。気が早い。

2009年5月22日金曜日

定額給付金の正しい使い方

僕はまだもらってない定額給付金ですが、ニコニコ動画にこんな動画がありました。



正しい! そしてこれを見ると如何に給付金額が少なすぎたかよくわかります。でもこの動画のきっかけにはなったんですね。

定額給付金について以前書いたエントリー:減税の効果と定額給付

2009年5月20日水曜日

"Bad day"


下の動画はDaniel Powterという人の"Bad day"という曲。結構ヒットした曲で、名曲だとおもう。結構好きだ。僕にとって特別な曲というわけじゃないけど、口ずさむとなかなか楽しい曲。



歌詞は、落ち込んでいる人にむかって、「今日はツイてなかっただけだよ」と呼びかけている。そのことはちゃんと記録に残ってる。だからちょっと休んで仕切り直そうぜ、と。

最近、かつて自分が過ごした場所に行ってみた。ただ歩き回るだけで何をするわけじゃない。生まれてから8年間、両親が離婚するまで住んだ町とか、だらだら7年も通ってた大学とそこまでの通学路とか。20年前にみた商店街の看板を覚えていた。桜の木も覚えていた。

自分が過去に縛られていると思ったことはなかった。過去には何も無いと知っていたから。でも「縛られていない」「過去には何も無い」と言ってしまうことは、自分が過ごしたそれなりにタフな少年時代の苦しみを放置することでもあった。ということに気づいた。

歩いてみて、過去に何かあったとしても、もう僕を縛ることはできないんだ、過去は僕のbad daysだったんだと、思えるようになった。ツイてなかっただけ。僕は子供だったし、何にも知らないただの若者だった。そう思ったとたん、過去が過去になったんだと感じた。カレンダーをみて、ああ、もう五月か、と感じるようにそう感じた。

これからも断続的にbad dayはあるだろう。でも永遠に続くかのようなbad daysはもうおしまい。これからは自分の境遇を思い出して今日を台無しにしたりしない。心の中で誰かを責めて一日を過ごしたりもしない。

2009年5月18日月曜日

書評・ドナルド・R・キーオ『ビジネスで失敗する人の10の法則』

cover
ビジネスで
失敗する人の10の法則
ドナルド・R・キーオ
本書はコカ・コーラの元社長によるビジネスの指南書、なんだけど、タイトルにあるように、どうすれば成功するかを説明するのではなく、続けていれば失敗する行いについて語ったものだ。なので、ビジネスで失敗したければリスクをとるのをやめればいい、とか失敗したければ官僚組織を愛するべきである、というふうに語られるわけだ。もちろん皮肉でそういう表現を使っているんだけど、本書を読んでいくと、誰でも見覚えのあるような光景ばかり描かれているので、皮肉もいっそう痛烈に感じちゃったりする。

著者のドナルド・キーオは、本書が書かれた時に81歳。今も現役のビジネスマンだそうだ。「はじめに」で著者の経歴が語られているので詳しくは書かないけど、著者ほどのビジネス経験をもつ人は、まあ滅多にいない。なにせ世界最大級の企業の社長だったわけだから。にもかかわらず、かなりの数の読者が彼の主張に深く共感するんじゃないだろうか。とても滋養たっぷりの本です。

本書を紹介するのに最も適しているのが、「法則5 反則すれすれのところで戦う」だろう。要約すると、あなたがルールすれすれで仕事をしているのなら、短期的、時には長期的にさえ成功するかも知れないが、最期には惨めな敗北となるだろう、となる。

以前に書評したCharles Murrayの"Real Education"で著者のMurrayは、現在の大人達の倫理は崩壊している、と述べていた(たぶん。うろ覚え)。本書でキーオも同様のことをいっていて、教育政策の本とビジネス指南書が同じことを言うというのは面白い。もっとも、Murrayは倫理教育にかなり期待していたけど、キーオはどうも否定的であるようだ。

で、真っ先に思いつくのは、労働環境のことだ。本書でもこの法則を説明するときに、労働環境の悪さについてコカ・コーラ社で実際に起こったこと、そしてそれに対処したことが語られている。

日本の労働環境が一般に良いのか悪いのか、僕はよく知らない。ただ、個別には無茶苦茶な企業があることは知っている。もちろん、無茶な基準のルールならば、ルールに問題があるといえるだろう。が、そんな込み入った話じゃない。八百屋がカボチャを他所の畑からだまって持ってきて店に並べるようなことをしちゃいけないのと同様、労働力を利用したらその代金を払え、といっているだけだ。なのにその、ただ働きしない、させないという基本的なルールがまったく守られていない企業が存在する。しかもそういう企業は、長時間労働に耐えられないとなれば、たるんでるの甘えてるのと罵り、ルールを守らないどころか、守る人間をバカにするような態度を取り、恥じない。あまつさえ、己が正義であるかのように「最近の若者は」「自分の若い頃は」「労働とは」とくる。まさに外道。盗人猛々しいとはことことだ。

キーオは、第二次大戦時に傷病兵を収容する病院に勤務していたことから、人の弱さ、を知ったという。誰でも傷つけばひどく落ち込む。時に「急速にどこまでも [p.51]」。だから、

思いやりと敬意をもって他の人たちに接するのは、人として義務だというに止まらない。われわれ人類が生き残っていくために不可欠なのである。倫理を無視する人はしばらくの間、うまくいくことがありうるし、かなりの期間にわたってうまくいくこともある。しかし倫理感覚に欠け、謙虚さに欠けることから、いずれ失敗する。土台が腐っていれば、永続する強固な事業を築くことはできない。[p.51]

ある、毎年過労死でニュースになるような企業では(中の人に聞いた話だと)、最近経営者が交代して、過去半年分くらいの残業代を全部支払う、と社員に伝えてきたそうだ。その企業は社員に対して敬意なんか全然払ってこなかったけど赤字続きだった。ルール違反をしてもうまくいくことがある、とキーオがいうように、そういうことがあるというだけで、常に競争で有利ということもない。なのになぜ(もちろん僕を含めて)人々はわざわざ罪深い道を選ぶのか。ちなみに、中の人は今回の経営陣の判断を「ずるい」と評していた。口止め料のような感じがしたのだろう。結局敬意を払っていないのだ。

「わたしは企業経営に一生をかけてきたが、成功を保証できる法則や段階式の方法は、どんなことについてでも編み出せていない [p.15]」という81歳のおじいちゃんが書いた本書を読んで、強く思ったことがある。それは、人の一生は一つの価値観の善し悪しを検証するには短すぎる、ということだ。別に命の尊さに気づくのに70年かかる、と言いたいのじゃなくて、男は仕事が一番とか言って安い労働力をさらに買いたたく様な真似をして、自分が自分と他人にしてきたことを自覚するころには、もう手遅れなんじゃないのか、ということだ。自覚しながら同じことを続けるなんて事はできないだろうし、自覚したときはしがみついてきた価値観が崩壊したときで、しがみついてきたということは、人生のうち相当な時間をその価値観のために捧げてきたということだ。そこから、心機一転、新しい人生の幕開けだ! YATTA! なんて人がどれ程いるだろう。人は「急速にどこまでも」落ち込むのだ。そう考えると、人の一生は短い。

著者はドラッカーを引いて、

ピーター・ドラッカーはビジネス倫理などありえないと語っている。あるのは、限定のつかない倫理だけだと。自分の生活の中で、ビジネスと他の部分を分けることはできない。

と言っている。まことにその通りだと思う。(もちろん僕を含めて)多くの人は「仕事だから」という理由でやりすぎたりやらなすぎたりすることがあるけど、これは人生においてやるべきでないことをやり、やらなきゃいけないことをやっていないということなのだろう。

やっちゃいけないことをして、やらなきゃいけないことをやらないのだから、やっぱり「反則すれすれで戦う」と失敗するのだ。では、どうすればいいのか? 本書には「法則6 考えるのに時間を使わない」という章がある。「どうしても失敗したいのなら、考える時間をとらないことが不可欠だ。 [p.116]」 そういうことです。

繰り返すが本書は成功のための本じゃない。こうすれば失敗する、という本だ。しかし、それでも失敗がなくなる、なんてことはない。人は弱いものだし、みんなやってるから、というのはそう簡単に振り払える誘惑じゃない。「経営陣はまともに仕事をしていれば、時々は失敗することがある [p.116]」と著者は言うが、経営陣に限った話では無いだろう。それでもこの本が滋養たっぷりなのは、失敗をゼロにはできなくても、どのように生きるのかは選ぶことができる、と教えてくれるからだ。ルール違反に加担するかどうか、考える時間をとるかどうか、究極的には自分で選ぶことができる。自ら失敗を大きく深くする道を選べば、失敗は致命的になるだろう。だからこそ、本書は別の道を読者に勧めている。

2009年5月1日金曜日

2009年5月1日の記録


たいしたエントリにはなりそうにないけども。

今日五月一日に、三月の失業率が発表された。前月よりも0.4%悪化した4.8%だった。また消費者物価指数も発表された。原油や食料品を含んだ数値でもマイナスとなった。

さらに日銀の政策決定会合も開かれた。結論は「様子見」だったそうだ。金利も現状維持。金融政策の効果を見極めたいらしい。

いったい彼らは失業を何だと思っているのだろう。日銀の政策委員に選ばれた時、「よし、失業を減らして、完全雇用を目指すぞ」と思わなかったのだろうか。思わなかったのなら、今すぐ辞めてもらいたいもんだ。