2008年10月28日火曜日

前回の補足

前回のエントリーの補足で、竹森俊平『資本主義は嫌いですか』を読んで感心したのは、バブルがあるならその逆もあるだろう、ということ。ある国の経済がバブルと呼ばれる状態なら、例えば日本の土地バブルの場合なら、土地の値段はあるべき水準(ファンダメンタルズ)よりも高く評価されている、といえる。っていうか、そういう説明ばかり聞いてきた気がする。で、ファンダメンタルズよりも低い値段のときも、もちろんあるわけだ。そうでなければだれも投資なんてしないものね。問題は、バブルの場合は大幅に高く評価されるわけだけど、じゃあ大幅に低く評価されることもあるのか? というところで、あるよね、と。それが恐慌と呼ばれる状態なわけだ。

で、ここまではいいんだけど、いかにファンダメンタルズが当てにならないか、ということなんだと思う。そんなものは無いんだろう、本当は。ただある期間はあるように見える、ということなんだろう。

ここで、時価会計の問題点もわかってくる。その時々、経済環境が変わってしまえばモノの値段も変わる。それが果たしてモノの価値を上手く表現できているんだろうか。それよりは、買った時の値段のほうが当てになるんじゃなかろうか。

と、こんなことも書いてあるので、あらためてオススメです。

書評・竹森俊平『資本主義は嫌いですか』

さて遅くなったけども最近読んだ経済書二冊目です。

竹森俊平『資本主義は嫌いですか』

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資本主義は
嫌いですか
竹森俊平
昨今の、すわ金融危機か!?、という情況で、なにやら怪しげな経済書が出回っているらしい。でも竹森俊平の本なら間違いないです。『世界デフレは三度来る』『1997年』、どちらもとても面白いし、分かりやすい。分かりやすいといっても「マンガでわかる」みたいなことじゃなくて、きっちり説明していて、じっくり考えれば分かりやすい、ということ。

人間の経済活動は、あたりまえだけど、とても複雑だから予測どころか何が起こっているのか具体的に説明することさえ難しい。例えば、あなたが今持っている百円玉が1年後、どのような経路をたどってどこにたどり着くのか、予測することは不可能だろうし、その百円があなたのところにたどり着いた経路も、一手前(コンビニでおつりをもらった)までしか分からないはず。

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世界デフレは
三度来る
竹森俊平
たった一つの百円玉さえこの様なので、未来(過去もですけど)をあっさり断言しちゃうオジサンが書いた経済書には要注意だ。

本書は経済学者たちが今の世界をどう見ているのか、とても具体的に紹介してくれるし、今話題の時価会計の問題点を指摘する学者の説も、きっちり書いてある。僕が一番面白く読んだのは何故アメリカ(と原油と穀物)に資本が集中したのか、というところ。答えは中国やロシアなどの新興国の投資先不足だ、というもの。これらの国はせっかく豊かになったのに、国内に投資先がない。いや、あるんだけども、例えば地方に道路を敷いたり電気を通したりすればいいんだけども、国情が不安定であるからお金持ちたちは国内に投資することを避ける。だってせっかく自治体や地方企業に投資しても、上手くいきそうってところで政府に取り上げられたりするかもしれないから。で、こういったお金が国外へ流れ出ている上に、お国の事情もあるんでしょうけど、こういう投資家はとにかくすぐに結果を欲しがるようで、リスキーな投資を好むんだそうだ。ま、なんとなく事情はわかりますね。ちんたらやってたら政府に目をつけられるかもしれないし。

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1997年
竹森俊平
さらに、東南アジアや南米の国々が、1997年のアジア通貨危機以来、外国からお金を借りて国内に投資するというスタイルを捨てて、お金を外国に貸すようになった。今では、借り入れを国内投資にまわしているのは東欧ぐらいだという。

こうやってさまざまな国から流れ出したお金がたどり着いた先が、アメリカであり原油であり穀物だった。

日本は他人のこと言えないんだけど、なんか豊かになるという目標がねじくれちゃったような印象を持った。みんな自分の住んでいる社会を豊かにするよりも、自分が豊かになることを優先させているようだ。貧乏人ならそれが当然だけど、お金持ちがそういう行動を取るのはどうだろう。ほんと、日本人には言われたくないでしょうけど。

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景気ってなんだろう
岩田規久夫
とりあえず読んどけ、という本です。ただ名目金利、実質金利みたいな言葉があたりまえのように出てきます。あと流動性とか。こういった言葉の説明があれば、もっと読者の幅が広がっただろうし、もっと影響力のある本になったと思う。最初の20ページくらいでなんとかならなかったんだろうか。なのでそこらへんがちょっと不安だわ、という人は岩田規久夫『景気ってなんだろう』からどうぞ。ちゃんと説明してくれます。

2008年10月22日水曜日

マンガ『サナギさん』

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サナギさん
施川ユウキ
僕の大好きなマンガが終了しました。『サナギさん』です。作品の完結は残念。もっと読みたかった。

何がそんなに好きだったのか、作品が完結した今、改めて考えてみました。

ある本*1に、「不安は身体の中にいる一体の動物のようなモノだから、そいつが騒いだからといってパニックを起こすな」みたいなことが書いてありました。その文を読んで以降よく思うのが、「自分が不安を感じているときは、じっくり観察ができていない」ということです。不安を感じている時の僕は、人や出来事に点数を付けることに忙しく、何が起こっているのか全く見えていないのです。「そいつが騒いだからといってパニックを」起こしているというわけです。

サナギさんやフユちゃんならどうでしょう。彼女たちなら、仮に人より劣っていると感じたとしても、パニックを起こして自分より劣っている人を一生懸命探したりしないでしょうね。どう考えても。あの二人なら、そもそもの優劣の基準とやらがどれ程のものか、のんびり観察し始めるんじゃないでしょうか。

僕の好きな例え話に「黒い白鳥」*2があります。黒鳥の存在は、オーストラリアが発見されるまでヨーロッパ人には知られていませんでした。なので、そこでは「白鳥=白い」は当たり前のことだったわけです。もし「白くない白鳥がいるかもしれない説」を唱えようものなら、アホ扱いされたのは間違いなしです。でも黒鳥はそんな時代にだって生きていたわけですから、間違っているのは「白鳥は必ず白い」、という人のほうだったのです。この話は何が言いたいのかというと、たとえ1万羽の白い白鳥を見た事があったとしても、黒鳥が存在しない理由にはならない、ということです。

「白くない白鳥がいるかもしれない説」唱えまくりの世迷い言フレンズ・サナギさんとフユちゃんは、「世の中そんなもん」とか言っちゃう事のバカバカしさを教えてくれました。だから僕は、世の中をのんびり観察していこう、「白くない白鳥がいるかもしれない」と言い続けよう、と思うのです。ぴょんごりして死ぬその日まで。

追記(11/7):たまごまごさんに取り上げていただきました。リンク先は『サナギさん』ファンの色んな思いが集まったエントリーです。是非どうぞ。

*1  Laura Day "Welcome to your crisis"

*2  この話はナシーム・N・タレブ『まぐれ』、同じ著者の"The Black Swan"(未邦訳)に書かれています。追記(11/7):「つーかポパーだろ?」とのツッコミを直にいただく。はい、そのとおりでございます。この例え話のオリジナルはカール・ポパーです。でも読んだことないのでどの本に載っているのかは知りません。無学なワタクシ。

2008年10月16日木曜日

がっくし。『ミチコとハッチン』

『ミチコとハッチン』というアニメを見た。期待していたぶん、がっくしきた。

第一話で、孤児であるハナという少女が、神父に引き取られて、神父の家族に無茶苦茶いじめられている場面があるのだけれど、これが不快になるほど長い。そして、彼らが無防備な少女をいじめる理由が分からないので、ただ不愉快なだけなのだ。

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ハリー・ポッターと
賢者の石
J・K・ローリング
『ハリー・ポッター』シリーズを全部読んだわけじゃないけど、アレもそうとうヒドいいじめのシーンからはじまってた。でも、ハリーを引き取った親戚夫婦の心情も若干ながら描かれるから、彼らがハリーをいじめる理由が読者にはわかる。つまり、魔法使いなんて気持ち悪い、とかまあそんな感じで不安とかもあってキツくあたることを正当化しているんだろうな、で、子供はそれをまねしてるんだろうな、という具合に。

別にハリーの親戚夫婦を擁護しているわけではない。アホが現実を受け止められずアホな思い込みでアホなことをしていて、そのとばっちりがハリーに行ってかわいそうだな、と思うだけだ。だからハナをいじめてるアホにもアホな思い込みがあるはずだ。そうでなきゃ人間あそこまで行かないよ。他人を傷つけることだって正当化しないと続けられないもんだ。

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サムライチャンプルー
で、それがぜんぜん無いので、もうホント不愉快なだけなんだな。暴力の描写をポンっと渡されるだけ。リアルなのかも知れないけど僕には分からない。一体あの長いいじめのシーンで、視聴者はどういうリアクションを期待されているのだろう。「神父一家め! なんてヒドい奴らなんだ。でも今に見てろ!」とかそんな感じなんだろうか。第一回でそれはないんじゃないかな。この作品はマングローブというところが作っているんだけど、同社の仮想時代劇『サムライチャンプルー』をちょっとだけみた時にも思ったことがあって、それが、「あー、なんか学級会で元気よく発言する優等生が作った感じ*1」ってこと。先生受けしか考えてない。そういう先生がマングローブにいるんだろう、きっと。すごくお洒落な作品なので、たぶんお洒落先生なんだろう。で、今回もそんな感じなんでしょうか。

アニメっぽいアニメじゃないものを目指した作品だろうから、単純にアニメでよくあるシーンを作ったら浮いて見えたというだけのことなのかもしれない。でもさー、なんかさー、期待してたぶんだけねー。

まだ第一話なので次も見ます。第一話としては期待はずれでした。四話くらいまでは期待してます。

あと、ホントの先生ってのはモジモジして歯切れの悪い生徒を愛するんだよ。そういう生徒が一番、物事を大きく深く見てるから。一つの質問に答えが10も20も思い浮かんで上手く答えられない子を愛おしく見守っているんだよ。

追記:未だに"The Black Swan"を読み返してるんだけど、今日読んだ箇所にこんな文があった。ざっくりまとめると、「sensationalとempiricalを見分けられるようになれ!」という感じ。ここで話題にしたシーンはsensationalなだけでempiricalじゃないんだ、と得心した。名作ってのはどんなに荒唐無稽でも、empiricalな部分があるから感動するんだろう。

*1 日本びいきで、サムライになりたくて仕様がないオランダ人が出てくるところでそう思った。そのオランダ人は「日本もいつか外国人をうけいれてくれるだろう」的なことを言うのだ。教科書の「鎖国」という表現が見直されるようなご時世に、と思ってそこで見るのやめた。アンボイナ事件とか、制作者たちはどう思ってるんだろう。

2008年10月9日木曜日

書評・トラスト立木『この国の経済常識はウソばかり』

金融システムの崩壊が心配され、世界の6中銀が協調利下げをしたり、日銀が何もしなかったりするさなか、二冊の経済書を読んだ。まずはこちらから。
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この国の
経済常識は
ウソばかり
トラスト立木


以前に著者が立木信という名前で書いた『若者を喰い物にし続ける社会』という本の続編と言って良いだろう。僕は『若者を〜』も読んだけど、説得力のある本だった(←細かいところは覚えてない)。著者は新聞記者らしい。前著からの主張と同じように、世代会計という方法を使って日本財政の現状を分析・解説している。その上で、如何に新聞やテレビで語られる経済ニュースが的外れであるかを、幾分センセーショナルにこき下ろしている。

そしてこのセンセーショナルな部分が、僕は気に入らなかった。
「日本国債の格付けは、欧米の主要格付け機関によると、長らくボツワナ以下でしたから、財務省としては気が気ではありません。」(p.126)
といった表現があるのだけど、一体だから何だというのだろう。こういった表現が結構唐突にでてくる。国内の金融機関に国債を安定的に買ってもらわないと金利が上がったり下がったりして大変だから、金融を完全に自由にはできない。という説明の直後に、先に引用した文が現れる。なんだかなあ。金融機関はその格付けを参考にして国債を買っているとは思えないし、一体何が言いたいのだろう。

僕が気になる点は他にもあって、デフレについて触れない、というところだ。
「価格は通貨によって計られます。その通貨の価値を激変させてしまうこと、つまりインフレは、価格の問題解決機能を強化するマジック、いわば金融のドーピング策です。」(p.129)
なぜこんな表現なのか本当に理解に苦しむが、まず思うのは、それを言うならデフレだって同じでしょう? ということ。著者がリフレ政策を支持しているのかどうかは、結局よく分からないけど、どうもデフレの害に鈍感であるのは間違いないようだ。それと、著者にとって関心があるのは財政であってこの国の経済ではないようだ。ま、これは印象でしかないんですけど。

頷ける主張もある良い本だとは思うけど、マスコミの中の人だものな、という諦めも感じてしまう。財政に焦点を合わせすぎで、必要以上に暗い未来を見ていると思う。なので、ただ煽っているだけじゃないのかと疑ってしまう。本のタイトル『この国の経済常識はウソばかり』は、本当にその通りだと思うけど、その犯人はジャーナリズムでしょ、とも思う。嘆息。