2010年4月26日月曜日

CPIの誤差について

 先日、2月の消費者物価指数について書いたエントリに、Agitさんからコメントを頂いた。引用させてもらいます。

CPIの上方バイアスについてなのですが、様々なところで「1%くらい大きめの数字が出てしまう」という意見をよく聞きます。
最近また聞くようになったのは自民の山本幸三議員が国会で持ち出したからだと思いますが、これ多分日銀の白塚重典氏の推計(0.9%)から来ている数字ですよね?
しかしあの推計は「多くの大胆な仮定の上に試算した結果で」あり,「数値は,必ずしも精度の高いものではないとの点は十二分に念頭におく必要がある。」と本人が書いていたと記憶しています。
例え「大胆な仮定」が全て当たっていたとしても、推計が発表されたのは1998年で、CPIが1995年基準だった時の事です。
あれからもう2回も基準改定があり、ヘドニック法も一部の品目で採用され、中間年見直しまで始まってるわけで、当時とは全然状況が違ってますよね?
実際白塚氏本人が2005年に「上方バイアスは、縮小方向にあると考えられる。」ってペーパー書いてますし、そもそも「CPIの上方バイアスについては、その大きさを固定的なものと考えることは適当でな」いと書いてます。
いつまでも0.9%という数字が一人歩きしている事のほうが問題ではないかと思うのですが、いかがお考えでしょうか。

 もう僕のバカさ大爆発で恥ずかしいんだけども、CPIには1%くらいの上方バイアス、と丸暗記状態でした。で、ちょっとだけ調べたのでそれをまとめます。

CPIの問題点


 従来から指摘されていたCPIの問題点を、ここにある宇都宮浄人氏の文章をもとに挙げてみる。
 
 1. 品質の変化
  
 2. 新製品

 これが全部ではないけれど、「日米いずれの計測結果でも、最も大きなバイアスが生じているとされた部分は、 品質調整及び新製品の登場にかかる部分である」、と本文中にもあるのでとりあえずこれらをみていこう。
 

改善策


 品質の変化に対応するために導入されたのが、ヘドニック法というものなんだそうだけど、この総務省の統計調査部の人たちの文章(ヘドニック法について(PDF))を見ると、パソコンなど品質の変化が激しい製品にこのヘドニック法を適用しているそうな。で、宇都宮氏は、ヘドニック法を不用意に使うと今度は下方バイアスがでる可能性を指摘していて、こうした懸念に対して総務省は、国際的にみて日本のCPIはヘドニック法を適用している商品の数が多いわけではないので、問題があるとは言えない、とのこと。あと、宇都宮氏は消費者の選択肢が少ない(あるいは無い)場合に、機械的に品質の変化を織り込んでいくと、変化を過大評価することになるのでは、とも述べている。しかし現状では、ヘドニック法以外に品質の変化に対応する方法がないようだ。
 
 そして、新製品が出てきた時の対応としては、総務省統計局のページを見ると、

Q. 新しい製品が次々と登場しますが、それらの価格変動が反映されていないということはないですか。

A. 調査銘柄については、各品目において代表的な銘柄の出回り状況を調べ、調査銘柄の出回りが少なくなっている場合には、出回りの多い銘柄に変更します。この変更は定期的(年2回)に行っていますが、例えば調査銘柄が製造中止になって後継の新製品が発売されるなど、出回りが急速に変化する場合は、定期的な変更時期以外でも調査銘柄の変更を行い、新製品の迅速な取り込みを図っています。このような調査銘柄の変更は、毎年数十件程度行っており、常時、品目を代表する銘柄の価格をフォローする仕組みになっています。

消費者物価指数に関するQ&A


どのくらいのバイアスがあるのか


 で、どの程度のバイアスがあるんだろうか? 正直よくわからなかった。1998年に白塚重典氏がCPIの上方バイアスは0.9%と発表してから、現在までに改善策が打たれてきたわけだけど、その結果どうなったのかはよくわからない。無視できる程度なのかそうでないのか。
 
 安売りに対応できているのか、とか、一品目一銘柄で実態をうまく観察できるのか、という論点もあり、誤差の問題は当然つきまとうわけだけど、改善策が打たれたのだから、以前よりは精度が上がったとみていいと思う。

 もちろん、誤差が狭まっていてもデフレであることにかわりはない。でも「日銀は上方バイアスを無視している」という批判は的外れかもしれない。

Agitさん、ご指摘ありがとうございました。

2010年4月2日金曜日

戦いは数だよ兄貴!・短め書評・日経BPムック 新しい経済学の教科書

cover
新しい経済学の教科書
日経BPムック
 ブログ・事務屋稼業でJD-1976さんが紹介されていたので読んでみたのが日経BPムック『新しい経済学の教科書』。

 まず冒頭の1章は経済学の基礎的な考え方(比較優位とかインセンティブとか)から始まり、日本経済、ビジネスと経済学、アジア経済、そして個別の経済問題と、本書が扱っているトピックは幅広い。しかも、というか当たり前だけど、どの記事も経済学の基本的な考え方に沿っているから、とても高度な話題が出てきてもさほど難しく感じないでわかった気になっちゃう。

 僕が個人的にもっともおすすめするのは6章、「気鋭の論客がズバリ切る! 経済問題の最前線」だ。ここでは20人のエコノミストたちが、メディアと景気、就職氷河期の長期的影響、財政再建、金融危機など具体的な問題について短めに解説した文章が集められている。どの記事もこの社会のどこにどのような問題(というか非効率)があるのかを知るのにとても良い記事だが、それ以上にこれだけの数の経済学者たちがどちらの方角を向いているのか一望できてしまうところがとても良い。もちろん彼らが同じ方向を向いているなんてことはありえない。でも、ある種の方向にだけは絶対に向いていないということにすぐに気づくだろう。ドルの支配体制が、とか、日本の社会構造の変化によりメインバンクが、とか、リフレ政策は異端or時代遅れor禁じ手、とか、彼らはそういう話は絶対にしない。

 もしあなたがネット上(や新聞やテレビ)のドラマティックな経済与太話に影響を受けやすい人ならば、本書をお守り代わりとして買うべきだ。そしてアメリカや中国をだしにした経済エンターテイメントや、日本は特殊だ! と言い張るだけの固陋な人々のどこか恫喝めいた決死の逃避行に出くわしたら、素直に本書を開こう。そしてそんな与太を信じるのならば、これだけの数の経済学者を説得しなければならず、そんなことは一生かけても無理だ、ということを思い出そう。