2014年3月25日火曜日

挫折のない人生・書評・村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』

cover
日本の行政
活動型官僚制の変貌
村松岐夫
今年2014年の四月一日から、つまり来週から消費税が5%から8%に上がる。このブログではずっと政府の、そして主に日銀の政策についての疑問を書いてきました。僕自身就職氷河期世代の比較的はじめの方だし、いろいろ本を読んでいるとどうも僕くらいから50代前半くらいまでの人は、年金でもババを引くことになりそうで、どうしたって我が国の経済状況についてはあれこれ思いを巡らせてしまうので、今回の増税もかなりの心配事なのです。

増税が発表された2013年の10月とか11月ごろは、意外と景気が失速しないのではないか、という楽観的な観察もあったし、そうだといいなと心から思っていたけれど、いざ10〜12月のGDPの値が出てみると思ったより良くないもんだから、やれ貿易赤字のせいだ、ウクライナの混乱のせいだと、増税から目を逸らさせようとするかのような話が沸いてでていますよね。21世紀も十年以上たって未だに貿易赤字というか経常収支に対する国民の無知に付け入ろうという人たちがいることにまず驚いちゃうんだけれど、引っかかる方も引っかかる方で、やっぱり人間日々のお勉強が大事ですね(棒)。

(と思ったら、Foreign Affairsの新しい号を読んでいると、アメリカでも相変わらず貿易赤字の数値だけでどうのこうの言う人がいて困るみたいな記事が。どこも大変なんですね。[(Mis)leading Indicators --- Why Our Economic Numbers Distort Reality
By Zachary Karabell])

さて、増税とか年金とか、そしてたぶん貿易赤字の話題とかに当事者として関わっていながら、なかなか顔と名前が出てこない人たちがいるわけです。そう、政治家、ではなくて、国民、でもなくて、官僚です。官僚というのはとにかく悪い奴だ、なんて意見にはくみしませんが、はっきりいって何者なのかよくわからなくてキモいわけです。特に財務省は官庁のなかの官庁などと言われ、ものすごくエラいらしいんだけど、じゃあそのトップ、事務次官の名をどれだけの人が知っているのかといえば、新聞にもテレビにも出てこない以上、知っている人は限られてくる。ちなみに今回の増税が決定した時の財務事務次官は木下康司さんで、任期は今年の6月までだそうですよ。

で、以前から、日銀や財務省の人たちはどうして経済学の穏当なところ、多くの学者の合意がとれているところに基づいた政策を政治家に提示しないのだろう、と思っていたわけです。それに対してはバカ仮説はじめ、様々な仮説があるわけですが、一番の疑問は、間違っている政策を主張しているのに、組織としての統制がとれているように見えることでした。どうして異を唱える人たちが集団として出てこないのだろう? で、巷間よく言われるのは、天下りが約束されていることで、役所内で波風をたてようなんて人はいなくなる、というものです。これには一定の説得力はあるものの、それだけで若手(40代含む)まで手懐けられるだろうか、と感じていました。

そこで今回読んだ本、村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』です。1994年の本で、55年体制が崩れた! と大騒ぎしてたころのもの。副題にもあるように、様々な政策、そして法の運用に大きな影響力を持つ我が国の官僚を分析した本です。97年の省庁再編以前の本なので、当然本書の内容を現在の官僚にそのまま当てはめることはできないけれど、我が国のキャリア官僚が持つ「らしさ」はどこからきているのか、それを考える重要なヒントが詰まった一冊です。

元々財務官僚でもあった高橋洋一さんの本を読んでいたので、財務省のキャリア官僚は入省して数年で地方の税務署長になる、という話は知っていました。本書にはさらにその根っこの話があります。
筆者は、日本の高級官僚集団の管理において最も注意を払われているのは、激しい競争をさせるが同時に、「脱落者を出してはいけない」という人事管理戦略であると思う。
村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』50ページ
とし、
高級官僚に機密も重要問題もゆだねる日本の行政の能率は、公共セクターのポスト(誘因)競争という経済学的説明だけでは十分とはいえない。経済的誘因以上に、忠誠を確保しなければならない。そのため、心理的自信の維持を可能にするための「育成人事」(自信の継続と熟練の開発)が行われる。
同上
といいます。ここから先は就職氷河期世代にはまぶしすぎる世界なので苦手な人は気をつけてくださいね。
具体的な事例をあげれば、たとえば大蔵省が行う税務署派遣がある。これは、経験五年ぐらいの若者の派遣である。これには失敗しないように補佐がついている。仕事への学習の機会を与えると同時に、失敗の危険回避が行われている。外国経験・省間委員会への参加なども大事に扱われていることを実感させる場面である。その他、挫折感をいだかせないメカニズムが各所で働いている。そして、最終的には天下りが保障されるのである。このようにキャリア組の忠誠は確保される。
本書51ページ
どうですか? 目的が忠誠なのか洗脳なのかよくわからない研修しか知らない一般庶民からするとなんとキラキラと輝いていることか。で、なぜこんなことが必要なのかと言えば、役人の数が少ないから、だといいます。数が少ないので、一人一人の効率を挙げて人員の不足をカバーしようというわけです。

何にせよ、この「挫折感フリー」な職場というのが、財務官僚が結束する理由だという説ですが、僕は大いに得心しました。確かにこんな職場に長くいれば、そこの空気を乱すのは難しいでしょう。一方で激烈な出世競争もあるわけですから、省としての方針が決まってしまえば、もう内部の力ではどうにもならないのだろうとも思います。

本書では実に幅広い論点が扱われているのでそれらをここでまとめるようなことはしませんが、著者が一貫して主張するのは、日本の官僚制は70年代、80年代まではあるいは上手く機能してきたが、それは欧米諸国へのキャッチアップが国是であったためで、その時期は目的が共有されて省庁間のセクショナリズムを抑えやすかった。しかし80年代も後半になると明確で統一感のある目的を持てず、いたずらに省益を追うようになり、デメリットが目立つ。それを克服するには、トップの指導力を増強することだ、としています。これは別に政治家が細かいところまであれこれ口を出すということではなくて、首相とその側近たちに情報を上げない省庁があるようではイカンよね、という話。
ある官庁は、新入者の研修において他官庁との折衝の秘訣を次のように教える。すなわち、理論的にでき得る限りの主張をせよ。ここまでは当然である。情報を集めよ。これも当然である。その後、不利な結論が出そうになったら、とにかく粘れ、時間をかけて粘れと教えるのだろうである。その上、省庁ごとの決定の透明度は低い。許認可の実施においても、基準が明確でないし、容易に変わる。これでは個人間の公平の達成は困難である。そうであれば、トップはトップで、各所から主要な情報を吐き出させ国益に結びつける装置を工夫すべきである。
本書106ページ
20年も不景気の我が国でしたが、この間経済政策、特に金融政策はじりじりとした停滞を続けていました。あの停滞も、誰かがどこかで「粘った」のかもしれません。というか、速水・福井・白川日銀が本石町で粘ってましたよね。

そして、昨年9月末までの増税政局では、アベノミクス効果で増税せずとも税収が回復しつつあることが、なぜかテレビ、新聞ではほとんど語られませんでした。税収が増えているのになぜ増税する必要があるのか、増税を主張する人たちでこの疑問に答えられた人がいたでしょうか。ここでも国益とは別の何かを目的とした「粘り」が感じられました。20年続いた被害を一年でどうにかすることはできないのだから、今は好景気を維持することが大事だ、という当たり前の感覚は、この粘りと、やったことの結果は今すぐ味わいたいという焦れた老人のような欲求の前に無視されたように感じました。

さて、なんだかんだといって政治というか、政党のほうが官僚よりも強いのだ、というのも本書の重要な観察の一つです。これこそ本当に大切な論点だと思います。それは、政治家は必ず民意を気にする存在であり、その政治家がアホで、素朴理論(たとえは貿易黒字は国の利益だ、みたいな)に疑いを持たないでいると、民意を煽って政治家を操ろう、追い込んでしまおうというインセンティブを、官僚に与えてしまうからです。

「国の借金が1000兆円だから今こそ」増税が必要だ、「オリンピックが決まったから今こそ」増税が必要だ、「このままで年金が持たないから今こそ」増税が必要だ、「人口が減るから今こそ」増税が必要だ。こういった説が政界の空気となって、自分の手柄としての増税をしたい人たちの思惑が実現していっているわけですから、政治家にはどうしても政策の善し悪しを判断する力をつけてもらわないと困るわけです。本書は1994年の本ですが、それから20年たって、現状は悪い方に進んでいると思います。特に現政権に強い影響力がある麻生大臣、石破幹事長からは政策の理解を深めようという気が感じられません。というかなんとなく政策を選んできただけで、根拠なんかないんじゃないかという印象しかありません。安倍総理自身は勉強家のようですが、自民党内では多勢に無勢というもので、消費税増税も押し切られたように見えます。そういう状況にあって、財務省はまるで国民生活には関心がないようで、さらなる増税を目指しているようです。この点に関しては、日銀の三代続いたプロパー総裁時代を終わらせた黒田現総裁に格別の期待をするわけにもいきません。彼だって財務省出身ですから、省の方針に外部から口を出すことはありえないでしょう。

挫折のない人生を与えてくれた組織に忠誠を尽くすのは人情です。ならば政治の力で進むべき方向を示さなきゃいけない。僕からすればアベノミクスはその方向性を明確に示していると思うけれど、たぶん、増税して財務省の権限を増やしたい挫折を知らない人や、そのおこぼれが欲しい人、そして何でもいいから直ぐにストレスを解消したい老人たちには届いていないのでしょう。

本書の重要なメッセージは、我が国の官僚の活動量の多さに目を向けよ、ということだと思います。彼らがそれほどまでに活動的になるにはそれなりのインセンティブがあるし、活動的であるがゆえに、その範囲も国民の多くがぼんやり感じているよりも広く、政治、メディア、大学それぞれの世界で意外に大活躍しちゃっているわけです。何より、彼らにとって国民生活の改善、つまり国益には、必ずしもインセンティブを感じていないという点が大事です。

そして彼ら自身では、その膨大な活動量をどうするのか、減らすのか維持するのか、活動範囲を狭めるのかこのままでいくのかを決めることはできないのです。彼らの活動をどこに向けるのか、それは国民が政治の場で決めることです。本書の出版から20年経って、国民は官僚の領分について、相変わらずおっかなびっくり、当の官僚の顔色をうかがいながら、野放しにしているのが現状だと思います。