2011年4月1日金曜日

地震から三週間。

地震から今日で三週間になる。

被害の状況は依然不透明で、福島原発も先の読めない事態が続いている。被災にあった方々にはお見舞いを、現場で活動されている方々には感謝を申し上げます。

もう三週間という気もするし、まだ三週間という気もするけど、この間、自分は無視するには無理のある程度の不安を抱えながらも、そこそこ冷静でいられたように思う。もちろんそれは僕が独り身で東京にいて、ここまで飛んでくる放射線量も少なく、余震も頻発こそすれどもそんなに大きくなく、津波の心配もいらず、安全だったからだ。

それでも身の回りには、買い占めが起きてスーパーの棚がガラガラになったり、節電のために街が暗くなったりして、それなりの変化は起きていた。

でもそういう見た目の変化はあっても、ほとんどの人々はさほど変わっていないようだ。一部不安を強く感じて、それが行動に出た人もいるだろうけど、それは一部。多くの人は普通に暮らしている風だ。

一方で、もう地震以前のようには生きられくなってしまった。大切なものを失った人も多い。もうどうすることも出来ない変化が、一時に、たくさんの人の身に起きた。

それでも、この人生が自分の人生であることには変りない。地震前に自分の人生を生きていたように、地震後も自分の人生を生きていく。直接被災しなかった人は、とくにそれがやりやすいはずだ。

ということで東京の人々の多くは、なんということもなく地震後の人生を生きているように見える。地震前の人生を再現することなんてできないのだから、地震によって変わった自分の人生を生きるしかない。でも大切なものを失ってしまった人たちは、地震前の人生に強く強く惹かれるだろう。彼らが地震後の人生を歩んでいくためには、きっと、地震後の人生にカンタンに乗り込んで行けた僕たちが必要だ。これからちょっと時間が経って、当然の悲しみが少し和らいだら、彼らを誘って一緒に何かをしよう。地震後の人生にも出来ることはあるって、その時までに伝えられるようになっていきたい。