2010年8月31日火曜日

書評・夏休み読書感想文・その1

毎日暑くて眠れない夏。だらだらするだけで疲れちゃう日々なのでブログもサボってたけど再開しよう。

そんな日々に読んだ本から何冊か、夏休みの宿題っぽく感想文を。今回はその1。その2まであります。

久繁哲之介『地域再生の罠』


cover
地域再生の罠
久繁哲之介
面白かった。何が面白いって、「あの地方都市はなんだか景気がいいって評判だけど、それってホント?」という疑問に答えてくれるから。本書によれば、なんてことはない、成功している地方都市というのは、それほど突飛な方法を使ったりしてなくて、地元の市民、企業、役所が地道に活動した結果だったりするので、大きな商業施設を立てて成功した! とか、大きなイベントを開催して成功した! という話は「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の虚しい遠吠えであることが多いようだ。

本書はこの「成功にとりつかれた日本の中高年男性」が日本全国津々浦々で巻き起こす珍騒動を、その顛末も含めて、冷静に時間をかけて観察して分析した本だ。一読すれば、「やっぱりな」と感じる人も多いだろう。日々街を歩いて感じる違和感の理由をこれでもかというくらいはっきりと指摘してくれるので、とっても気持ちいい反面、身近にいる「成功にとりつかれた日本の中高年男性」の顔が浮かんできてイライラもするだろう。

以前秋田市に旅行に行ったとき、札幌と東京でしか暮らしたことのない僕は、なんて不便な街なんだ、と思ったものだった。どうして路面電車か地下鉄を作らないんだろうと不思議に感じた。車がなければ生活できない街は必然的に街中が駐車場だらけになってしまう。そんなに小さな街でもないのにもったいないな、というのがその旅行の感想だった(何しに行ったんだ)。

一方で、本書によれば岐阜市はコンパクトシティ構想、つまり歩いて暮らせるくらいコンパクトな街を目指すべく路面電車を廃止したそうだ。岐阜市は40万人都市だ。本書もその政策を厳しく批判しているけど、僕も同感だ。公共交通機関は都市にとって生命線だと思う。岐阜市には行ったことはないけど、いくらコンパクトシティを標榜したって市民の多くは中心部には住めないし、住みたくもないだろう。そうなればバスを利用するか車を所有するかだけど、結局時間かお金かどちらかの形で生活の費用がかさむだけだ。ある程度発展した都市に新しく交通機関を導入するのが大変だ、という話ならわかるけど、今あるものを廃止してしまうというのは、正直理解できない。

僕の育った札幌の市営地下鉄は万年赤字体質(と思ってたら今や黒字出しまくりで補助金も減らしてるとか(参照)。しらんかったなあ。2011年8月9日追記)だけど、だからって廃止せよなんて声は上がらない。雪国だけど車を持つ必要がないってのは、特に若い人やお年寄りにとっては本当に大きな利点だと思う。本書では、青森の駅ビルなどを例に自治体が赤字でも運営すべき価値のある事業を紹介している。

本書には「成功にとりつかれた日本の中高年男性」最大の弱点が身も蓋もなく暴露されている。それは「上から目線」そして「勉強しない、何も考えない」である。もうちょっと具体的には、計画段階で出来の悪いアンケート結果にしがみつく。失敗するとうすうす気づいているにも関わらず前例主義に染まって同じ失敗を繰り返す。他の街と同じ政策だから、あるいは前例どおりだからといって責任を取らない。おや? そういえば日本銀ナントカという組織がやたら自作のアンケートばかり重視して十年以上も結果がでてないのに平然と自分たちの功績を誇っていたりしたような…。ともかく、本書は地域再生計画がモゾモゾと出来上がっていく滑稽なプロセスとその成れの果てをあけっぴろげに解説してしまっている。「やっぱりなあ」とも思うけど、「想像したよりもヒドイ」とも思う。オジサンたちはあんなに偉そうだったから、もっと根拠があるのかと思ってた。

本書は名指しこそしていないけど、都市名と計画なんて隠しようも無いわけで、問題の能なしが誰なのか地元の人なら一発で分かる仕組みになっている。もちろん、なんでもかんでもオジサンのせいにすればいいってんじゃなくて、市民の生活の改善が目的なのだから、他ならぬ市民が粘り強く関わっていかないと、再生計画は上手くいかないどころか、孫の代まで続く問題をこしらえるハメになるよ、ということなのだ。で、粘り強く関わっていくうちにナントカさんはこの問題に始めから取り組んでいたんだから云々みたいな話になって結局そのオジサンの一言が不相応な重みを持っちゃったりするんでしょうね。とりあえず「上から目線」そして「勉強しない、何も考えない」という罠にはまらないように頑張りたいと思います。

夏休み読書感想文 その2へ

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントをどうぞ。古い記事でもお気軽に。