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2014年3月25日火曜日

挫折のない人生・書評・村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』

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日本の行政
活動型官僚制の変貌
村松岐夫
今年2014年の四月一日から、つまり来週から消費税が5%から8%に上がる。このブログではずっと政府の、そして主に日銀の政策についての疑問を書いてきました。僕自身就職氷河期世代の比較的はじめの方だし、いろいろ本を読んでいるとどうも僕くらいから50代前半くらいまでの人は、年金でもババを引くことになりそうで、どうしたって我が国の経済状況についてはあれこれ思いを巡らせてしまうので、今回の増税もかなりの心配事なのです。

増税が発表された2013年の10月とか11月ごろは、意外と景気が失速しないのではないか、という楽観的な観察もあったし、そうだといいなと心から思っていたけれど、いざ10〜12月のGDPの値が出てみると思ったより良くないもんだから、やれ貿易赤字のせいだ、ウクライナの混乱のせいだと、増税から目を逸らさせようとするかのような話が沸いてでていますよね。21世紀も十年以上たって未だに貿易赤字というか経常収支に対する国民の無知に付け入ろうという人たちがいることにまず驚いちゃうんだけれど、引っかかる方も引っかかる方で、やっぱり人間日々のお勉強が大事ですね(棒)。

(と思ったら、Foreign Affairsの新しい号を読んでいると、アメリカでも相変わらず貿易赤字の数値だけでどうのこうの言う人がいて困るみたいな記事が。どこも大変なんですね。[(Mis)leading Indicators --- Why Our Economic Numbers Distort Reality
By Zachary Karabell])

さて、増税とか年金とか、そしてたぶん貿易赤字の話題とかに当事者として関わっていながら、なかなか顔と名前が出てこない人たちがいるわけです。そう、政治家、ではなくて、国民、でもなくて、官僚です。官僚というのはとにかく悪い奴だ、なんて意見にはくみしませんが、はっきりいって何者なのかよくわからなくてキモいわけです。特に財務省は官庁のなかの官庁などと言われ、ものすごくエラいらしいんだけど、じゃあそのトップ、事務次官の名をどれだけの人が知っているのかといえば、新聞にもテレビにも出てこない以上、知っている人は限られてくる。ちなみに今回の増税が決定した時の財務事務次官は木下康司さんで、任期は今年の6月までだそうですよ。

で、以前から、日銀や財務省の人たちはどうして経済学の穏当なところ、多くの学者の合意がとれているところに基づいた政策を政治家に提示しないのだろう、と思っていたわけです。それに対してはバカ仮説はじめ、様々な仮説があるわけですが、一番の疑問は、間違っている政策を主張しているのに、組織としての統制がとれているように見えることでした。どうして異を唱える人たちが集団として出てこないのだろう? で、巷間よく言われるのは、天下りが約束されていることで、役所内で波風をたてようなんて人はいなくなる、というものです。これには一定の説得力はあるものの、それだけで若手(40代含む)まで手懐けられるだろうか、と感じていました。

そこで今回読んだ本、村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』です。1994年の本で、55年体制が崩れた! と大騒ぎしてたころのもの。副題にもあるように、様々な政策、そして法の運用に大きな影響力を持つ我が国の官僚を分析した本です。97年の省庁再編以前の本なので、当然本書の内容を現在の官僚にそのまま当てはめることはできないけれど、我が国のキャリア官僚が持つ「らしさ」はどこからきているのか、それを考える重要なヒントが詰まった一冊です。

元々財務官僚でもあった高橋洋一さんの本を読んでいたので、財務省のキャリア官僚は入省して数年で地方の税務署長になる、という話は知っていました。本書にはさらにその根っこの話があります。
筆者は、日本の高級官僚集団の管理において最も注意を払われているのは、激しい競争をさせるが同時に、「脱落者を出してはいけない」という人事管理戦略であると思う。
村松岐夫著『日本の行政 活動型官僚制の変貌』50ページ
とし、
高級官僚に機密も重要問題もゆだねる日本の行政の能率は、公共セクターのポスト(誘因)競争という経済学的説明だけでは十分とはいえない。経済的誘因以上に、忠誠を確保しなければならない。そのため、心理的自信の維持を可能にするための「育成人事」(自信の継続と熟練の開発)が行われる。
同上
といいます。ここから先は就職氷河期世代にはまぶしすぎる世界なので苦手な人は気をつけてくださいね。
具体的な事例をあげれば、たとえば大蔵省が行う税務署派遣がある。これは、経験五年ぐらいの若者の派遣である。これには失敗しないように補佐がついている。仕事への学習の機会を与えると同時に、失敗の危険回避が行われている。外国経験・省間委員会への参加なども大事に扱われていることを実感させる場面である。その他、挫折感をいだかせないメカニズムが各所で働いている。そして、最終的には天下りが保障されるのである。このようにキャリア組の忠誠は確保される。
本書51ページ
どうですか? 目的が忠誠なのか洗脳なのかよくわからない研修しか知らない一般庶民からするとなんとキラキラと輝いていることか。で、なぜこんなことが必要なのかと言えば、役人の数が少ないから、だといいます。数が少ないので、一人一人の効率を挙げて人員の不足をカバーしようというわけです。

何にせよ、この「挫折感フリー」な職場というのが、財務官僚が結束する理由だという説ですが、僕は大いに得心しました。確かにこんな職場に長くいれば、そこの空気を乱すのは難しいでしょう。一方で激烈な出世競争もあるわけですから、省としての方針が決まってしまえば、もう内部の力ではどうにもならないのだろうとも思います。

本書では実に幅広い論点が扱われているのでそれらをここでまとめるようなことはしませんが、著者が一貫して主張するのは、日本の官僚制は70年代、80年代まではあるいは上手く機能してきたが、それは欧米諸国へのキャッチアップが国是であったためで、その時期は目的が共有されて省庁間のセクショナリズムを抑えやすかった。しかし80年代も後半になると明確で統一感のある目的を持てず、いたずらに省益を追うようになり、デメリットが目立つ。それを克服するには、トップの指導力を増強することだ、としています。これは別に政治家が細かいところまであれこれ口を出すということではなくて、首相とその側近たちに情報を上げない省庁があるようではイカンよね、という話。
ある官庁は、新入者の研修において他官庁との折衝の秘訣を次のように教える。すなわち、理論的にでき得る限りの主張をせよ。ここまでは当然である。情報を集めよ。これも当然である。その後、不利な結論が出そうになったら、とにかく粘れ、時間をかけて粘れと教えるのだろうである。その上、省庁ごとの決定の透明度は低い。許認可の実施においても、基準が明確でないし、容易に変わる。これでは個人間の公平の達成は困難である。そうであれば、トップはトップで、各所から主要な情報を吐き出させ国益に結びつける装置を工夫すべきである。
本書106ページ
20年も不景気の我が国でしたが、この間経済政策、特に金融政策はじりじりとした停滞を続けていました。あの停滞も、誰かがどこかで「粘った」のかもしれません。というか、速水・福井・白川日銀が本石町で粘ってましたよね。

そして、昨年9月末までの増税政局では、アベノミクス効果で増税せずとも税収が回復しつつあることが、なぜかテレビ、新聞ではほとんど語られませんでした。税収が増えているのになぜ増税する必要があるのか、増税を主張する人たちでこの疑問に答えられた人がいたでしょうか。ここでも国益とは別の何かを目的とした「粘り」が感じられました。20年続いた被害を一年でどうにかすることはできないのだから、今は好景気を維持することが大事だ、という当たり前の感覚は、この粘りと、やったことの結果は今すぐ味わいたいという焦れた老人のような欲求の前に無視されたように感じました。

さて、なんだかんだといって政治というか、政党のほうが官僚よりも強いのだ、というのも本書の重要な観察の一つです。これこそ本当に大切な論点だと思います。それは、政治家は必ず民意を気にする存在であり、その政治家がアホで、素朴理論(たとえは貿易黒字は国の利益だ、みたいな)に疑いを持たないでいると、民意を煽って政治家を操ろう、追い込んでしまおうというインセンティブを、官僚に与えてしまうからです。

「国の借金が1000兆円だから今こそ」増税が必要だ、「オリンピックが決まったから今こそ」増税が必要だ、「このままで年金が持たないから今こそ」増税が必要だ、「人口が減るから今こそ」増税が必要だ。こういった説が政界の空気となって、自分の手柄としての増税をしたい人たちの思惑が実現していっているわけですから、政治家にはどうしても政策の善し悪しを判断する力をつけてもらわないと困るわけです。本書は1994年の本ですが、それから20年たって、現状は悪い方に進んでいると思います。特に現政権に強い影響力がある麻生大臣、石破幹事長からは政策の理解を深めようという気が感じられません。というかなんとなく政策を選んできただけで、根拠なんかないんじゃないかという印象しかありません。安倍総理自身は勉強家のようですが、自民党内では多勢に無勢というもので、消費税増税も押し切られたように見えます。そういう状況にあって、財務省はまるで国民生活には関心がないようで、さらなる増税を目指しているようです。この点に関しては、日銀の三代続いたプロパー総裁時代を終わらせた黒田現総裁に格別の期待をするわけにもいきません。彼だって財務省出身ですから、省の方針に外部から口を出すことはありえないでしょう。

挫折のない人生を与えてくれた組織に忠誠を尽くすのは人情です。ならば政治の力で進むべき方向を示さなきゃいけない。僕からすればアベノミクスはその方向性を明確に示していると思うけれど、たぶん、増税して財務省の権限を増やしたい挫折を知らない人や、そのおこぼれが欲しい人、そして何でもいいから直ぐにストレスを解消したい老人たちには届いていないのでしょう。

本書の重要なメッセージは、我が国の官僚の活動量の多さに目を向けよ、ということだと思います。彼らがそれほどまでに活動的になるにはそれなりのインセンティブがあるし、活動的であるがゆえに、その範囲も国民の多くがぼんやり感じているよりも広く、政治、メディア、大学それぞれの世界で意外に大活躍しちゃっているわけです。何より、彼らにとって国民生活の改善、つまり国益には、必ずしもインセンティブを感じていないという点が大事です。

そして彼ら自身では、その膨大な活動量をどうするのか、減らすのか維持するのか、活動範囲を狭めるのかこのままでいくのかを決めることはできないのです。彼らの活動をどこに向けるのか、それは国民が政治の場で決めることです。本書の出版から20年経って、国民は官僚の領分について、相変わらずおっかなびっくり、当の官僚の顔色をうかがいながら、野放しにしているのが現状だと思います。

2013年9月20日金曜日

消費税増税について官邸にメールした

各種報道では、安倍総理がすでに来年4月の消費税増税を決断したかのように言われていますね。一方で、安倍総理本人の口からはまだ何も語られていません。明らかな誤報、あるいは宣伝工作が行われているという異常な事態が続いています。

ということで、官邸にメールしました。何の意味があるのかわからないけれど、ただじっと安倍総理の発表を待つのはあまりに辛かったので。メールの内容を要約すると、札幌で塾講師をしている就職氷河期ど真ん中のワタクシですが、財務省が何と言おうが1997年の増税の轍を踏まないでください、アベノミクスで税収は増えていると聞いています、まだデフレです、教え子たちを路頭に迷わせるような政策はやめてください、というもの。

官邸のホームページはこちら。増税はまだ決定事項ではありません。この消費税増税に関する法律は、増税しないことを公約として政権を取った民主党が、選挙の数年後に牽引役となって作った法律であり、最近の選挙で争点になったことのない政策です。我が国の民主的基盤を維持・強化するためにも、近々の消費税増税の是非を選挙で国民に問うべきでしょう。解散がすぐには無理ならば、附則18条にもとづいて、総理が増税を先送りにすべきです。

財務省の現事務次官、木下康司さんが増税の旗振り役だと言われています。一官僚に政策の失敗の責任など取りようもなく、せいぜい天下り先の格が下がるくらいでしょう。そんな人物に結果的にであるにしろ、いいように使われてしまっている国会議員の先生方は、この政策の行方を真剣に考えてもらいたいものです。税収が増えているのに、あるいは増える見込みが強いのに、なぜすぐに増税しなければならないのでしょう?

2011年8月4日木曜日

エコノ3アミーゴス観察記

ブログサボってました。久しぶり過ぎてbloggerの編集ページが一新してるの知らなくてびっくりです。再開です。

ustreamに高橋洋一さん、田中秀臣さん、上念司さん三人揃ってエコノ・スリー・アミーゴスのトークライブ「震災増税2011、日本は二度死ぬ !」の動画があるということで見てみました。三時間くらいあるので何回かに分けて、MINECRAFTブランチ・マイニングをしながら、見るというより聞いている感じでしたけど、お硬くなく、楽しげで、そしてかなり過激でとても面白かったです。

なんといっても高橋さんの官僚話がスゴイです。基本的には官僚についてのトークがメインで、政策の話はおまけ程度なので小難しいということもなく、三時間があっという間でした、途中歌もあるし。

うろ覚えですけど高橋さんの官僚話をまとめてみます。スッカスカのまとめなので興味を持たれたら動画を見てください。

  • 官僚は利益を求めて動いている。
  • 官僚にとっての利益は天下り先の確保。
  • 財務省が税収増ではなくあくまで増税にこだわるのは、新しく増税することで各種業界団体が財務省に擦り寄ってきて、「うちの業界の税率は特別に下げてください」と言ってくるので、そこで「じゃあ天下り先用意しといて」と取引を持ちかけたいから。景気が良くなって同じ税率で税収が増えても官僚にとって利益はない。
  • 官僚が学者を取り込むのは簡単。経済学者の場合、ノーベル賞受賞者にあわせてやったり、飛行機で「たまたま席があいてるんですが」とか言ってファーストクラスに乗せてやればコロリといく。
  • 官僚が学者の論文を書いてやっている。名義だけ学者が書く。
  • 震災増税を支持する学者は、官僚のポイントを稼いで立派な肩書きのポストを欲しがっているのではないか。彼らが普段教えているバローの課税平準化理論と矛盾してしまっている。
  • 日銀の白◯総裁ははっきりいってそこまで頭が良くない。
  • 日銀の◯川総裁は上司に付き従うのはうまかったけど総裁になるような人じゃない。本人もなれると思ってなかった。
  • 日銀は職員の家柄とかにもこだわっていたらしい。
  • 与謝野大臣は与謝野晶子の色紙のコピーを記者に配ってる。
  • 震災の二日後に菅総理に増税を申し入れた谷垣氏はヒドすぎ。

まだまだ過激な話がありますが、それは動画の方で。上念さんが「官僚はずいぶんお金を欲しがっているけれど、家が貧乏なんですか?」と言っていて、たぶんココが一般の国民が最も疑問に思うところでしょう。貧乏なわけはないから、きっと官僚の天下りはお金ではなくて何か別の理由があるんだろう、と考えたりするわけです。この疑問に対しては田中さんが「官僚同士、学歴では差が付かない。差が付くのは天下り先とかお金とかイケメンだとかそういう部分になってるんですよ」と答えてました。なるほど。にんげんっていいな。

官僚の天下りが問題になると、「日本の役人はマシな方。賄賂をもらわないし」みたいな話がだいたい出てきますが、どうでしょうね。事実上税金を使い込んでるんですからあんまり自慢にはならないと思いますし、組織的に効率良く使い込んでるので、金額面でもマシな方と言い切れるかどうか。こういう、特に直接の利害関係があるわけでもないのに官僚の肩を持ったりする人々についてのお話もありました。

学者の寂しい生活の中に官僚が入り込んで操ってしまうその手管たるや、学者の皆さんには失礼ながら、爆笑せずにはいられませんでした。まあカワイイですよね、ある意味。

さて、官僚と学者さんは小さな社会でなにやら楽しげですが、では現状は打開できるんでしょうか?

田中さん「高橋さんからみてガチンコでデフレ脱却を訴えている議員って何人くらいいますか?」
高橋さん「二桁いないね。でも政策ってそんなもん」
上念さん「逆に言えばガチンコで増税を言っている人も少ないんですよね」
高橋さん「そうです。議員の6割くらいは状況次第で動きます。だから昔に比べればいい勝負できるようになってる。デフレに疑問を持つ人が増えているのは事実ですよ。だからちょっと風が吹けばリフレ政策が実現する可能性は出てきてます」

で、戦術としてはデフレよりも円高によるダメージを全面に押し出すべきで、今後は民主党の代表選で候補者が明言するかどうかに注目、とのこと。

この動画を見て改めて思うんですが、官僚の人だって定年を迎えてすぐポックリ逝くつもりなんて無いでしょうから、引退後まあ20年くらいは生きようと考えてるんだと思います。で、20年もあったら反省とかしちゃう日も一日くらいはあると思うんですよね。現役のときは同類の人たちと一緒に「オレたち悪くないよね」と確認し合ってればいいんでしょうけど、引退したらさすがにそうはいかないだろうからちょっと心配です。それとも深く考えなければ過去の行いなんて気にせずに生きていけるんでしょうか。例えば日銀の白川○裁がテレビに出て「物価が下がっててびっくりした」的な発言で庶民人気を取ろうとして、ある意味大当たりしたこととか忘れられるんでしょうか。元々頭のいい人たちですから、それはちょっと信じられないですね。まあ余計なお世話ですけど。

田中さんによると次回は9月頃にあるそうなので、楽しみです。

動画はパート2まであります。


【Live Wire #25】震災増税2011、日本は二度死ぬ ! 1
http://www.ustream.tv/recorded/16189049



【Live Wire #25】震災増税2011、日本は二度死ぬ ! 2
http://www.ustream.tv/recorded/16191654

2010年12月14日火曜日

役人なんてららら・書評・新藤宗幸『司法官僚』

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司法官僚
裁判所の権力者たち
新藤宗幸
このブログでは経済学関連の本を取り上げることが多いので日銀の悪口じゃなくて問題点をよく話題にするんだけれども、結局その問題点は経済学というよりもお役所ってことなんだろうなあというのが正直なところ。だって日銀はぜんぜん批判に答えないし、政策を変更してもちゃんとした説明をしてくれないし、すぐ一般市民には難しい技術的な話を始めるし、なんかフツーに性格わるいですよね。で、そのお役所問題は司法府にもあるんだよ、というのが行政学者による今回の本、新藤宗幸著『司法官僚 裁判所の権力者たち』だ。扱っているテーマが司法でありその官僚機構批判であるのでとにかく漢字が多い。肩書きも法律の名前も漢字漢字漢字。読むのはちょっと大変でした。本書では裁判員制度についても扱っているけど、この書評では触れません。裁判員制度についての本は沢山あるので。

裁判官のお給料は誰が決めているのだろう。裁判官の次の転勤先を決めるのは? 裁判所法という法律に定められているところでは、最高裁判所の裁判官たちが決めることになっているそうだ(裁判官会議)。ただ全国に3,500人いる裁判官とその仲間たちの処遇のいちいちを彼らが決めるのは現実的ではないので、実質的には最高裁判所事務総局(所属する人数は30人前後)という部署が一切を取り仕切り、裁判官会議が「それでいいです」みたいな感じで承認を与えるんだそうだ。で、この事務総局ってのが本書のいう司法官僚のみなさんがいるところであり、お役所問題をばりばり生み出しているところでもある。 どんなお役所問題なのかというと、例えば、1947年、訴訟の数に対して判事が不足してたので、当面の措置として、戦前の予備判事制度をもとに判事補制度がつくられた。この制度のおかげで数年の実務経験がある判事補は裁判の指揮をとることができるようになったわけだが、それから60年、いまだにこの応急手当的なはずの制度が事実上裁判官になるための唯一の道として生きている。ここにかなり不透明な裁判官の選抜プロセスがある。法的に当面の措置だった制度を使って出世レースが行われているらしい。

本書のすごいところは、著者による調査が実に細かいところまで及んでいることだ。裁判官の経歴を細かく追っていて、現役の人たちだけでなく過去にさかのぼって調査している。この点はおそらく裁判官たちの問題意識の高さも関わっているんだろう。本書では、匿名ではあるけれど、多くの裁判官が事務総局のあり方に疑問を呈している。

さてその事務総局だが、現在局長をつとめるのは裁判官だ。というかここ数十年、裁判官が局長をつとめている。法律上は裁判官でなければ局長になれないわけじゃないけど、なんとなくお役所的にそうなっている。そして問題は、事務総局で働く裁判官が選ばれるプロセスが、先ほど書いたように出世レース的なものになっているらしいことだ。

憲法上、裁判官というのは独立した存在でなくてはいけないんだそうだ。つまり組織の都合に左右されずに判決をくださなくてはいけない。しかし司法府においてお役所的出世レースが開催されている以上、裁判官の独立はずーっと危険な状態にあったということだ。

弁護士たちのあいだでは事務総局というのは相当に問題視されているようで、事務総局が裁判官たちに何かほのめかしたり、暗黙に圧力をかけたりして判決を統制しているのではないか、と疑われている。これは根拠のないことではなくて、74年の多摩川の堤防決壊による多摩川水害訴訟では、一審で住民側の勝訴だったけれど、国の控訴をうけた高裁では国側の逆転無罪となった。やがて高裁判決以前に事務総局によって全国の裁判官を集めた協議会が立ち上げられていたことが朝日新聞にスクープとして載った。なぜこれがスクープなのかといえば、当時は都市の発展とともに水の必要量も利用量も増え、従来までの治水能力ではまかないきれなくなっていた。そのために水害が都市部で多く起きていたが、そのような水害に対する訴訟はすべてこの協議会で事務総局が示した見解に沿ったものだった。つまり一人一人独立していなければならない裁判官の判決が統制されていたことになる。(pp. 165)

元事務総局長だった人の談話がのっていて、なんでも事務総局というのはほとんど権限なんかなくて、まあ人事くらいのもんで、言われているほど強権的じゃない、とか。なんか日本経済に対して言われるほど影響力はないと自負していた日銀みたいですね。とはいえ、人事に関しては認めているわけだ。

ではその人事を見てみよう。裁判官が誕生するには、まず司法試験にうかった人たちが判事補になるところから始まる。数年たつと彼らは裁判官になるのだけど、問題は、判事補になって2〜3年のうちにすでに事務総局長になるための選抜が始まっているらしいということだ。選ばれた彼らは事務総局で働くことになるので「局付き」と呼ばれるんだけれど、大抵が判事補になって2〜3年、遅くとも5年のうちに「事務総局長になれるかなレース」の出場権を獲得することになる。彼らはエリート。それ以外の人は脱落。もう事務総局長にはなれない。

このときに選ばれた判事補の、いったい何が事務総局のお眼鏡にかなったのかは一切不明だ。彼らの思想信条が理由ではないか、と本書は推測している。では普通の裁判官の人事評価は何にもとづいているのか? 弁護士たちは、裁判所は「影の人事評価」のようなことをしているのだろう、と批判していた。そして裁判所は従来それを公式に否定していたんだけれども、小渕内閣の司法制度改革審議会からの公開要請があると、あっさり人事評価の用紙を提出してきた。じゃあなんで何十年も否定してたんだよという話だけれど、ともかく審議会は裁判所に対してもうちょっと透明性を高めなさいよと言ったのだけど、事態はあまり改善していないようだ。言ってやるようなら役人じゃないよね。

裁判官も転勤の多い職業のようだけど、誰が何処に行くのかももちろん事務総局が決めていて、思わず笑ってしまうのだけど、転勤を命じられた当の本人はなぜ転勤を命じられたのか、転勤先で何を期待されているのか、一切知らされていないという。あるケースでは家族の都合もあり転勤は難しいと感じた裁判官が上司(裁判所長)にかけあったところ、その上司も自分の部下が転勤する理由を知らされていなかったそうだ。この転勤が、事務総局の意に反した判決に対する懲罰的な意味合いがあるのではないかと疑われている。ちょっと穿ち過ぎかなとも思うけど、わけのわからん秘密主義のせいでものすごく疑わしく見えちゃってる。理由も告げずにあっちからこっちに異動させる。ブラック企業じゃないですか。

司法官僚の問題がとくにやっかいなのは、選良による有無を言わさぬ方向転換が難しいところだ。日銀はルーピーな首相が近づいていっただけで意見を変えたけど(参照)、最高裁判所の裁判官会議に首相が口出しをしたら大問題になるだろう。なんといっても戦前の司法省は完全に行政側の組織で、市民と国の対立を解消したり緩和したりする能力をもっていなかったのだから、その反省をもとに作られた現在の司法制度の改革に政治家が積極的に関わるのは難しそうだ。識者を集めた審議会の提言が精一杯なんじゃないだろうか。

裁判官になろうなんて人はどう考えたって日本人の平均よりもだいぶ上のほうの頭脳を持っているはずだ。その彼らにしてこの様なのだと思うとかなり憂鬱。官僚制は社会の発展の基盤なのだと思うけど、それだけに青雲の志をもった中の人がどうにか出来るようなものでもないのだろう。やっぱりミルトン・フリードマンの教えの通り(参照)、お役人には裁量を与えちゃいけないということだろうから、事務総局から法的にも曖昧なその権限を奪い、本書の提言にもあるように、事務総局長には識者や弁護士をあてるよう法改正すべきだ。その役目は立法府たる国会で、当然超党派での法案提出が望ましいんだけれども、そのためには裁判所内行政の問題が国民の目に明らかでなきゃいけないだろう。この問題にいきなり政治家が出てきて果たして僕たちが冷静でいられるのかかなり怪しい(この点に関しては国会運営のやり方を変える必要があると思う。まず本会議で趣旨説明、その後委員会で審議という形に(参照))。であれば、この問題が進展するには相当の時間が必要になるだろう。