伊藤昌哉『池田勇人とその時代』を古本でゲットしたので堂々の引用。()内は引用者注。漢数字を書き換えた。
(経済)成長率が問題になり、宏池会事務局案は7.2%、10年間で国民所得を倍増するという計画だった。下村(治。池田勇人の経済政策ブレーン)案は11%で、結局、池田は、36年(1961年)以降、最初の3年間は9%でいくという方針をたてた。当初の成長率を高く見こんだのは、ちょうどその間に、終戦後のベビー・ブームに生まれた連中が就業する時期がやってくる。それまでに経済の規模を大きくしておかないと、失業問題がおきるという配慮からだった。これは目算がはずれ、38年には、多くなった人口の大部分が、所得が上がったために上級学校へ進学するようになり、若年労働者の需給はかえってひっ迫するという状態になる。
こういう状況と、不景気下での競争とどちらが大変なのか。僕が大学を卒業したとき、学校の内定率は50%だった。はたしてあの世代が経験してきたという競争は氷河期世代が経験してきた血で血を洗うような、死屍累々のものだったのか。経済がぐんぐん拡大して需要もたっぷりな中(1970年代半ばくらいまで?)での競争と、マイナス成長をも経験しつつ需要が低迷しまくっている中での競争と、どちらが激しい競争なのか。
さらに言えば、当時、女性は大学まで行ったとしても、就職にあたって同年代の男性の競争相手になることはほとんどなかったんじゃなかろうか。もちろん当時の企業が女性を受け入れなかったのはあの世代のせいじゃないし、あの世代の女性たちの選択肢の少なさに鈍感ではだめだとは思う。が、若者の就業問題が、事前に、政策課題としてちゃんと議論されていたことを無視して、競争が激しかったとは言わないでほしい。池田勇人は若者が職を奪い合うような状態を避けるために、高めの経済成長を目指したのだし、現に避けることができたのでは?
こう言うと、「昔はモノがなかった」的な戦術に切り替えてくるだろう。でもさ、そんなことを言ってしまうと、戦争に連れて行かれて殺された世代もいるわけで、「死人に口無しってこと? それはいっちゃいけないんじゃないの」的な空気になるだけだ。
最近読んだ本*1のなかで「あの世代の人たちは、子供たちが自分たちより貧しい生活しかできないことをみて、罪悪感を感じている(でも上手く対応できない)。」というようなことが書いてあって、なるへそ、と思った。たぶんあの世代は、好景気が当たり前すぎて、子供たちが苦しんでいる理由が不景気だとは思っていないのだろう。なので、本人に問題があるから苦しんでいる、というかなり分かりやすい悪役みたいな考え方になってるんじゃないだろうか(弱者は滅べ!的な。でも我が子だし…)。
こんな分かりやすい悪役が昭和30年代を舞台にした映画『Always』を観て喜び、キャスティング・ヴォートを握りしめつつ年金の話ばかりするもんだから、そりゃあ嫌われるはず。「好景気を政策的に支持すれば、その罪悪感と心中しなくても済みますよ」と誰か言ってあげればいいと思う。
*1 信田さよ子『母が重くてたまらない—墓守娘の嘆き』
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