2008年7月9日水曜日

偶然について

今Talebの"Fooled by Randomness"を原書で読み返している(邦訳は読んだ)のだけれど、あらためて、人は(僕は)確率を理解できるようにはできていないのだな、と痛感している。

「過去の出来事はいつだって偶然じゃないように思える。」

とタレブはいう。これは気持ちの問題とかじゃない。人は何を見ても、偶然の反対、つまり必然=因果関係がある、と感じてしまうということだ。

あるお金持ちが毎朝素っ裸でベッドメーキングをする癖があったとしよう。ここに因果関係を見てしまう。毎朝素っ裸でベッドメーキングをするからお金持ちになれたんだ、という風に。人が出来事を「偶然じゃないように」思うとはそういうことだ。

人は因果関係ねつ造マシーンだ。雨が降ったら雨男のせいにするし、若者が犯罪を犯したらゲームのせいにするし、受験に失敗したら努力不足のせいにするし(全員が受かるわけじゃないのに)、障害児が生まれれば母親の飲酒のせいにする(そうやって自分を責めてしまう人もいる)。悪いほうばかりじゃない。若い頃努力したから自分は今の身分にふさわしい(景気が良かったことは何の関係もない?)とか、自分は気をつけてるから交通事故には遭わない(交通事故はすべて自業自得なの?)とか。

たぶん偶然じゃないことというのは、かなり見分けにくいものなのだろう。一度きりの出来事の中で因果関係を特定できるなんてことは、よほど単純な出来事でない限り、無理なんじゃないだろうか。

それでも、僕は因果関係に気づいてしまう。ありもしない因果関係をでっち上げてしまう。

タレブの次の作品"The Black Swan"では、博識であることがこの度し難い人間の病に対する薬であるという。でっち上げ因果関係の答え合わせをした結果が、博識だといえるから。「こいつは雨男だ。だからこいつといると雨がよく降る」という因果関係の答え合わせをするのは簡単だ。天気に気をつければいい。でも、「女だから」「年だから」「日本人だから」「○○大学出身だから」「ゆとり世代だから」という因果関係の答え合わせはどうだろう。その人を虚心坦懐にみることができているだろうか。

そうやって時間をかけて観察していけば、やがて博識になるというわけだ。もしあなたの運がよければ正しい(かもしれない)因果関係を発見するかもしれない。でもその正しさを確認するには、また時間をかけて偶然とそうでないものを選り分けなきゃいけないわけだけど。

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