2012年5月31日木曜日

賢人たちの早合点


こんな記事に出くわした。頭の良い子が教師とヨーイドンで算数のテストをしてみると、子供の方が問題を解くスピードが速いという。理由は簡単で、先生は計算のプロセスをきっちり書き留めているけど、賢い子は頭の中でやってしまうからだ。

さすがに賢い子はちがうなあ、というところだけど、時間が経つとまた別の光景になる。先生の答えと生徒の答えが違うのだ。生徒は自分がごく些細なミスをしたのに気づく(先生が書いたプロセスがあったから気づいたわけだ)。そしてまた別の問題でも答えが違う。

元記事のタイトルを見れば何が問題なのかは明らかだろう。つまり、賢い子にはゆっくりやっていくことを教えなきゃいけない、ということだ。賢い子は授業を聞いているだけで分かってしまう。そして授業で知ったそのやり方が上手く行かないとわかると(賢い子にはそれがすぐにわかる)、彼らはすぐにあきらめてしまう。別のやり方があるかも、なんてことは思いもしない。

また別の記事があって、今度はThe New York Timesのブログ。こちらは医師と患者の関係が主題だ。ある研究が紹介されていて、それによると医師に対して質問したり反論するのを極度にためらう人たちがいるという。彼らはもしかしたら自分の発言が医師を怒らせるのではないか、下手をすると治療や手術で報復されるのではないか、と恐れている。この調査研究の対象になった人々の多くは50才以上で、高級住宅地に住み、大学院に通っていた人たちだ。

これは医師が権威を振りかざしているということなのだろうか。そうかも。元記事では、医師と患者が協力して治療を進めていくというコンセプトが医師の独りよがりであることを指摘している。なんだかんだ言って患者の気持ちになっていないのだ、と。

まあそうなんだろうなあ、とも思うんだけれども、明らかに賢い人たちのこの恐れは何なのだろう。

二つの記事で共通するのは、賢さと早合点だ。そして早合点したが最後、せっかくの賢さが意味を失ってしまっている。賢いのに問題を解けていないし、賢いのに自分が望む医療が得られていない。

人がすぐ最悪の可能性を想定するのは、まあ仕様がない。そうでなければ人類はどこかで絶滅していたはずだ。森の中で獣のうなり声を聞いて、熊や虎でなく子猫を想像するような生き物はとっくに淘汰されているだろう。

でももう日本人とかアメリカ人の日常だったら、常識的な程度に慎重であれば充分なのに、なんでこんなに何でもかんでも怖いんだろう。犬とか猫のほうがよっぽど落ち着いてる気がする。年金をもらえるかどうか若い人が心配しているなんてのは、賢い子が授業で教わったやり方が通じなくていきなり投げ出しているような、そんな感じがする。

結局いくら賢くても(そして賢くなくても)ゆっくり一歩ずつ進むしかないし、一見権威主義者っぽく見える医者だってきっとそれは分かってくれるんじゃないだろうか。いや、権威主義な医者は嫌ですけどね(権威を振りかざす人がいるのは、それが効果的だからだ。人は瞬間的に、上手くいかない可能性をいくらでも思いつくことができる反面、上手くいく可能性をドブに捨てる生き物だから、いかついオジサンが白衣を着てるだけでもう負け戦感覚になるので、そこは気を使っていきましょうよ、やっぱり)。でも、不安や恐怖がわき出てくるのは仕方ないけど、権威主義者をのさばらせないためにも、何とかそれに振り回されず早合点しないようにしたいなあ、と思ったのでした。

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