2012年6月13日水曜日

予言者二人


アメリカの左派向け雑誌「the American Prospect」に、面白い記事があった。

日本でもおなじみの経済学者、J・スティグリッツとP・クルーグマンは米国民に広く読まれているのに、どうして彼らの警告は政府に受け入れられないのか、という記事。

本文は二人の簡単な来歴と主張のまとめがほとんどで、米国での二人の立場が、大恐慌時代のイギリスにおけるケインズのそれと似ていることなんかも書いてある。

で最後のほうに、この執筆者が考える、二人がか弱い予言者のままでいる理由が二つ載っている。一つは、二人とも政治家を名指しで批判するので、個人的な怨恨から二人の言うことを聞こうとする政治家がいないこと。そして二つ目は、なんと言っても世の中が保守的になっている、ということ。民主党の大統領でさえ緊縮財政に意欲を燃やし、格差を深めることなんかお構いなしなのだ。こんな時代に政界がスティグリッツ、クルーグマン両人の主張を受け入れるなんて、そりゃもう革命だ。

記事は、二人の主張がもっと認められれば、米国はもっと健全な社会になるのに、と結んでいる。

うーん。緊縮財政ってのは人を虜にするアイディアなんだなあと改めて思いますねえ。浪費に対して敏感なしっかり者、怠惰を許さない働き者、苦難をじっと堪え忍ぶ頑張りやさん。これさえ掲げていたらもう美徳の塊みたいな人間になった気になるのかしらん。

世の中が保守化しているといっても、別に保守派の権勢が大いに伸張しているわけではないように思う。いざ自分が当事者っぽくなると、進歩的なみなさんが進歩的(a.k.a 非現実的)な主張を、既得権層に都合のいい成果主義にさり気なくすり替えるようになってるだけじゃないでしょうかね。

ひるがえって我が国のGDPの内訳をみれば、公的固定資本形成は1990年代半ばをピークにすこぶる順調に下がっていって、今やそのピークの半分になっちゃった(1996年に約40兆円だったのが、2010年には約20兆円。2011年には約21兆円。参照)。ピークの頃が異常だったというのも一理ありますけど、減った分の雇用はどうなったんでしょうねえ。

と、どこから見ても立派な緊縮財政なのだけど、(裕福な)高徳の(老)志士たちの願う世の中が実現しているようには見えません。彼らの志についていけない我々庶民の怠惰が原因なのでしょうね、きっと。

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