子の曰く、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。
先生がいわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。」金谷治訳
温故知新は人に教えとくための条件なわけだ。僕はもちろん学者でもないし、小さい頃から古典に親しむようなこともなかったし、今だって深く論語を理解する才覚なんかないけど、それでもこの奇妙な本を読んでいくと、孔子は「人の師」であることに随分慎重なんだな、と思う。「教えることに倦まないで」なんて表現がよく出てくる。孟子も、人間の欠点は人の師になりたがること、とか言ってるし、古の賢人たちにとって「人の師」であることは、なにか危なっかしく見えたのだろうか。
で、温故知新を言う人は多い、ですよ。彼らは「人の師」を目指しているから、あるいは、「人の師」であることの危うさを避けたいから、温故知新を掲げているんですよね、きっと。
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