伊藤昌哉著『池田勇人とその時代』を図書館で借りて読んだ。以下、[]内はすべて引用ではなくて要約ってことで。
なんと言っても池田勇人がカッコイイ。というかそういう風に描かれているわけだけど、池田の側近のブーチャンこと伊藤昌哉の思い入れがそれだけ凄いし、池田を通して自分自身を描く、という面もあって、ちょっとやり過ぎ? なくらいカッコイイ。
著者・伊藤昌哉は、西日本新聞東京支社の記者として池田と出会う。当時池田は大蔵大臣、例の「貧乏人は麦を食え」発言の時期だ。なんでも当時の池田は記者に無愛想でなかなか情報をださない記者泣かせな大臣だったとか。で、記者同士であいつ気に入らねえ的なことになって、「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」という答弁が、貧乏人は麦を食え、に生まれ変わってしまったんだそうな。
伊藤に言わせると、池田には戦後民主主義を担うという自負があったという。三閣僚辞任騒動の時の池田の気持ちを代弁して[池田は岸のやり方が気にいらなかった。岸と池田では信じる民主主義がちがう。国民は岸がいうほど馬鹿じゃない]という。また政策で勝負する人であって、党利党略からは無縁であったとも。しかし党務に弱いが故に、常に党内人事では不満が噴出し、政権運営は安定しなかった。そんな中でも池田が求心力を発揮し続け、今日のジャペーインの繁栄の礎を築くことが出来たのは、彼が努力をやめない男前総理だったからだッとブーチャンは熱く語るのであった。
なんでも、自分が努力を続ける、とくに外交はからっきしだったのにブーチャンに促されて随分勉強したらしい、そうなってくると、人の努力や想いに敏感になり、決して見逃さず認めてくれるのだそうだ(うらやましいです、率直に)。総裁3期目、記者に質問されて、[国民が喜ぶあとに喜び、国民が悲しむまえに悲しむようになった。俺も年を取ったのかな]とこれまた男前発言。怒りっぽかった男が忍耐力も判断力もどんどん身につけて、情の人、とまで呼ばれるようになる。伊藤が語る池田は本当にカッコイイ。[総理在職中は待合にもゴルフにもいかない、だって国民はそんなとこで遊べないから][総理を辞めたらブーチャン、二人で全国行脚しよう、若い人と話し合おう] さらに総裁選で必死の工作をしかける佐藤栄作に対する思いを伊藤が代弁すると、(ここはメモあったので引用)「なんでお前そんなバカなことするんだ。そんなことに血道をあげるより、政権を担当するにふさわしい人格の持ち主になれ。そうすれば、いつでも政権など譲ってやる」とくる。うーん、マンダム。
僕はこのかっこよさを割と素直に受け止めていて、そりゃ側近の証言なわけだから真に受けるのはどうかな、とも思うけど、批判的にみればいいってわけでもないでしょう。志だけではダメだ、というのもわかるけど、結果には運不運がつきまとうから、結果だけが重要なんだと言い切れない。自分の乏しい経験から感じるのは、そりゃ結果がでないのもダメなんでしょうけど、志がないのは破滅的だよ、ということ。
評判の悪かった安倍総理も、今評判の悪い福田総理も、志ということでは、いいんじゃないの? と思ってます。安倍総理については高橋洋一氏の本を読んでそう思いました。福田総理については、記憶が曖昧だけど、年金問題について問われて(質問したのは記者じゃなくて議員だったとおもう。でも議会じゃないです)、「きみたち若い人が決めることだよ」とか言ったとき、あ、そうか、と思いましたよ。
本題の経済政策については次のエントリで書きます。
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