2013年9月20日金曜日
消費税増税について官邸にメールした
ということで、官邸にメールしました。何の意味があるのかわからないけれど、ただじっと安倍総理の発表を待つのはあまりに辛かったので。メールの内容を要約すると、札幌で塾講師をしている就職氷河期ど真ん中のワタクシですが、財務省が何と言おうが1997年の増税の轍を踏まないでください、アベノミクスで税収は増えていると聞いています、まだデフレです、教え子たちを路頭に迷わせるような政策はやめてください、というもの。
官邸のホームページはこちら。増税はまだ決定事項ではありません。この消費税増税に関する法律は、増税しないことを公約として政権を取った民主党が、選挙の数年後に牽引役となって作った法律であり、最近の選挙で争点になったことのない政策です。我が国の民主的基盤を維持・強化するためにも、近々の消費税増税の是非を選挙で国民に問うべきでしょう。解散がすぐには無理ならば、附則18条にもとづいて、総理が増税を先送りにすべきです。
財務省の現事務次官、木下康司さんが増税の旗振り役だと言われています。一官僚に政策の失敗の責任など取りようもなく、せいぜい天下り先の格が下がるくらいでしょう。そんな人物に結果的にであるにしろ、いいように使われてしまっている国会議員の先生方は、この政策の行方を真剣に考えてもらいたいものです。税収が増えているのに、あるいは増える見込みが強いのに、なぜすぐに増税しなければならないのでしょう?
2011年1月25日火曜日
飯田泰之×宮崎哲弥 トークセッションに行ってきた
とっくにあけましておめでとうございましてました。今頃新年一発目の更新です。今年も当ブログをヨロシクお願いします。
![]() ゼロから学ぶ 経済政策 日本を幸福にする 経済政策の作り方 飯田泰之 |
素のiPhone4で録音してまして、うまくとれるのか不安でしたが、意外にもくっきりとした音声で、しかもマイクを使わなかった方の声も拾ってました。すごいぞiPhone!
セッションの時間は2時間はなかったと思います。まずは飯田さんの『ゼロから学ぶ経済政策』という本の紹介から話が始まりました。ちなみに本書では経済政策を大きく三つに分けています。セッション内で飯田さんは次のように説明していました。
成長政策
(飯田さん:以下敬称略)「成長政策」は長期的に生産性をあげていくためにするものです。同じ機械、同じ人数でもより価値のあるものを作り出せるようにすることですね。ここでいう価値は数だけでなく質も含みます。
安定化政策
(飯田)企業で働いているかたはよくわかると思いますが、明日の景気がどうなるかわかならい状態で、新しい機械を買ってください、新社屋建てましょう、新しく人を雇い入れてくださいと言ったところで無理な話です。つまり長期的な成長のための投資や人材の育成を行うためには、ある程度景気が安定していなければならない。そのための政策が「安定化政策」です。
再分配政策
(飯田)現実にはものすごく必要なものなのですが、「再分配政策」だけは経済学的には根拠が薄弱です。再分配の基本は金持ちから取って貧しい人に与える、というものです。この考え方はすごく狭い意味での経済学からは出てきません。やや社会哲学の範疇と言えると思います。
このまとめでは僕が特に面白く思ったところを文字に起こしていきます。なのでいろいろ間違いもありましょうが、もちろんそれは僕のせいですよ。まずはセッションの冒頭からいきましょう。文中一部敬称略です。
目次
- 日米の経済政策観
- どうすれば経済が発展していくのか。二つの考え方
- 日本のデフレと雇用について
- 為替がどう雇用に影響するのか。為替政策の国際比較
- 日銀に対する疑問。インフレは怖い?
- あるべき中央銀行の姿と日本の経済学者
- 税の話:法人税と相続税 質疑応答
日米の経済政策観
(宮崎)どうでしょう、日本経済は少しは復活したでしょうか?
(飯田)微妙に悪くなりつつも、最近はアメリカがよくなってくれたので、以前よりはマシなところもあるという感じでしょうか。
(宮崎)FRBのバーナンキさんがちょっと前に48兆円の思い切った緩和策を打ち出したのが効いたんでしょう?
(飯田)そうですね。アメリカの場合は経済が悪くなったときに「何がなんでも支える」という政策の哲学のようなものあがあります。日本の場合、経済が悪くなると改善しようとするよりも、どうにかしてあきらめようとします。あるいはあきらめてもいいという論理を探そうとしますね。論壇がそうなってしまうのは分からなくはないと思います、もちろん良くはないですが。しかし政治家が一生懸命「これは俺のせいじゃない」という理屈を探すんですよね。
(宮崎)あきらめちゃうんですよね。丸山眞男が日本には作為の契機がない、といっています。「変えるぞ」という意思を持って社会を変えよう、とは思わないんですね。日本では社会の変化をまるで天災のように扱う傾向があります。なので社会状況が悪化しても手を出さずに適応しようとする。
どうすれば経済が発展していくのか。二つの考え方
(飯田)ケインズとシュンペーターは20世紀経済学の二大スターです。まずはシュンペーターの考え方、彼の考えはこういうものです。景気がいい時と悪い時の振幅は大きいほうがいい、なぜなら景気が悪化したときに古い技術を使っていたり、人材の管理のうまくいっていない企業は市場から退出していくから。そうして残った機械や建物がもっと生産性の高い企業に利用され、同様に失業した労働者が雇われて、経済が新しい発展のフェーズに入っていく。これをシュンペーターは創造的破壊と呼びました。
(宮崎)スクラップ・アンド・ビルドの考え方なんですね、シュンペーターは。
(飯田)その一方でケインズ、あるいは彼に続くアメリカのケインジアンたちの考え方というのは、景気が安定していたほうが安心して投資も人材育成もできるから、経済もより成長していく、というものです。
この二つの考え方は90年代に研究が進みまして、どうやら戦後については安定していたほうが経済成長していた、と言えます。その理由は、シュンペーターが想定している20世紀初頭の企業というのは、かなりプリミティブな技術を使って営業しているんですね。ドイツ製の紡績機を買ってきて、そこに上級技師と下働きを十人はりつけて、という感じです。ところが現代の日本でそのような企業は存在しません。製造業でも職場ごとで生み出される工夫、こうしたら少し便利、こうやったらちょっと効率があがる、そういう小さな積み重ねが日本の強みなわけです。ホワイトカラーの職種でも会社内のチームワークがとても重要ですから、このような手で触れないようなタイプの技術というのが、現代に近くなればなるほど必要になってきます。この技術が昔の技術と違うのは、会社が潰れたときに、チームワークや社内にだけ通用した知識を持ち出して再利用できない、というところです。つまり会社が潰れれば技術もゼロになってしまう。
(宮崎)個人やチームとしての技術だけでなく、会社同士のネットワークという技術もありますね。ネットワークの中核的な会社が潰れてしまうと会社同士の繋がりもなくなってしまう。
(飯田)そう考えると、昔のように、会社が潰れたとき、そこで働いていた労働者が簡単に別の企業でより高い生産性を発揮するとは、ちょっと考えづらい。というわけで、どうもケインジアンのほうが正しいのではないか、と考えられるようになり、ここからは実証研究の範疇ですが、90年代にラミーという人の有名な研究が出てきたりもしました。さらにこれは最近の実証研究ですが、面白いことに産業間のスクラップ・アンド・ビルドが激しいほうが成長率が高いことが分かりました。ただ条件があって、それは国レベルの経済が安定していることです。インフレやデフレが続いていると、経済は成長していなかったのです。これは不思議な現象です。
(宮崎)産業の盛衰と国の経済は連動しないんですか?
(飯田)ある産業が衰退するだけだと、国全体で平均が下がるので成長しないんですが、伸びている産業と衰退する産業が両方あると成長するんですね。しかもそれが活発に起きているのがいいんです。
(宮崎)それは最近で言うと、公共投資が随分減っているので、地方の土建屋さんはとても苦しんでいるわけですが、年来の構造改革的な考えから言うと、じゃあ転職すればいいじゃないか、となるわけですよね。もっと有望な産業、今の民主党政権なら介護とか福祉と言うでしょう、そういうもっと生産性の高いところ、人手の足りないところに行けばいいという話になるんですけど、本当にそういうものなのですか?
(飯田)小泉政権だったらIT産業でしたね。僕が範とすべきと考える産業転換の例は炭鉱です。三井三池闘争というのは最終的には雲散霧消していくわけですよね。ある意味で活動家のおもちゃになっていくわけですが、どう頑張ったって櫛の歯が抜けるように人がいなくなっていく。なぜなら、いま炭坑で貰っているお給料よりももっと高いお給料を出してくれる製造業があるからです。これは、産業が潰れたから移るのではなく、勝手に移ってしまっている状況です。同じ状況がバブル期にも起きました。80年代に多かった倒産のタイプは、後継者がいないために起きたものです。つまり町工場の経営は順調だけれど、息子が大学をでたらもっと給料のよい会社に勤めてしまったので、跡継ぎがいなくなり、じゃあ閉じましょう、という倒産です。
(宮崎)おやじさん、悲しいなあ。
(飯田)そうですね(笑)。でも今の倒産に比べるとずっと幸福な倒産だと思います。今は借金まみれになって倒産というケースが多いですから。
というわけで、ちょっと古めの経済学の教科書に書いてあるようなスクラップ・アンド・ビルドというよりも、のっぺりと成長していくほうが、より高い成長率であると言えそうなんです。
日本のデフレと雇用について。
(宮崎)ここまでの話だと、今はデフレで経済が不安定なので、まず安定化政策を実施すべき、ということでした。そしてデフレから脱却して経済が安定してきたら成長政策をやる、これでいいんでしょうか。
(飯田)そうですね。ただ成長政策でも景気の足を引っ張らないものなら今からでもどんどんやっていけばいいと思います。例えば許認可の簡素化などは効率を上げて需要も掘り起こすでしょうからやっていい。しかし既存の産業を意図的に潰すような政策は、やるとしても今ではないです。むしろ人手不足とインフレでどうにもならなくなった時にやるべきです。
労働者が常識的な範囲で目一杯働いて、工場や設備も使い過ぎじゃなくて丁度いいくらいに目一杯動かした時のGDP、これを潜在成長率とか潜在GDPといいますが、現在の日本では、これが実際のGDPよりも35兆円から、計算によっては50兆円高いんですね。GDPというのは詰まるところ日本人の所得です。その所得が今490兆円、日本の経済ががフル稼働するだけでこれが530~540兆円になるわけです。少なくとも一割弱増える。これが活かされるだけで全然状況が変わってきます。
(宮崎)ということは今はデフレのせいでそれだけの人的、物的資源が使われていないということですね。
(飯田)すごく怖いのは、先程もお話したように、現代の技術というのは人間に付随したものなんです。失業していたり単純労働を長く続けていたり、ニート、フリーター生活が長いと、働くことで身につく技術を身につける機会を逃している、そういう人たちが増えているのが本当によくないと考えています。そろそろ僕はオオカミ少年になりそうなんですが、2003年と2007年に出した本でもう今すぐにこの問題に手を付けないと大変だと書いたので今回は書かなかったんです(笑)。でも状況としてはどうにもならなくなってきてはいるのでせめて一刻も早く手を打つべきです。失われた時間は戻ってこないんですから。
(宮崎)でも今年も新卒は高校も大学も就職氷河期のようですし、再びロスト・ジェネレーションが生まれてしまうのではないかと言われています。
(飯田)そうなんですねえ。やはり企業側が新しい人を採るのをものすごく怖がっています。さらに言えば、これを言うといろんなところから石が飛んで来るんですが、50代正社員をどうしてもクビにできなんですよ。特に上場企業クラスになると、50代正社員一人のお金で、新入社員3~4人雇えるんですね。なのでなんとか新入社員のほうを雇ってもらえないかと…。
(宮崎)でも50代でクビになるのはキツイですよ。まだローンだって残ってるかもしれないし。
(飯田)そうなんです。そこで待遇の引き下げができればいいんですが、これは先進各国どこでもそうなんですが、待遇の引き下げというのは難しいんです。日本の場合さらに、50代の人数が多いという問題もあります。しかも年功序列賃金がまだ生きていたので、仕事に対して給料が上がりすぎているんです。大分下がってはきている部分もありますが。なのでこの経済状態で彼らの給料水準を維持するのは厳しいです。
当たり前のことですが、自分の仕事以上のお給料を貰っている人がいるということは、自分の仕事以下のお給料を貰っている人がいるということです。では多く貰っているのが50代正社員だとすれば、少なく貰っているのは誰かといえば、非正規労働の人たちです。
別に50代の賃金を新入社員と同じにしてくれというわけではなくて、1割カットを飲んでくれれば、かなり社会は変わるでしょう。
(宮崎)それでも難しいでしょうね。先ごろ政府の税制調査会が法人税の引き下げを決めました。税制の話はまたあとでしますが、政府は引き下げの交換条件としてナントカ雇用を増やして欲しい、と言っています。こういうやりかたは有効なのでしょうか?
(飯田)単純に言って意味が分からないですね(笑)。お願いするだけなのか? と。短期的に出来ることといえば雇用調整助成金の拡大くらいしかないですね。これは給料を肩代わりして失業を防ぐためのものです。
為替がどう雇用に影響するのか。為替政策の国際比較。
ここからは為替の話。前項から続いてます。(宮崎)雇用に対して他に手はないんですか?
(飯田)そうですねえ、僕が安定化政策の範囲内と考えているものがあります。それが円がドルに対して108円になることです。105円でもいいです。少なくとも100円台。出来れば100円台後半にまでなると景色が変わってきます。2003年〜2005年に、有名なテイラー溝口介入というのがありました。菅政権も為替介入しましたが二回か三回、テイラー溝口介入は二年間に渡って行われました。この介入によって最も大きく変わったのは九州の北半分と東北の南半分です。何が変わったのかというと、製造業が戻ってきたんです。現在の物価で調整すると、1ドル105円をこえると国内での生産の方が得になるというタイプの企業が多いんですね。中国、最近はベトナムに移っていますが、そこに現地法人をたてて管理の人間をおいて部品等を輸送して、というコストを考えると1ドル100円だとトントンになり105円だと俄然日本が有利になります。
この考え方をそのまま適用しているのが韓国です。もちろん韓国経済が問題を抱えていないということではないんですが、日本に比べるとはるかに優秀なパフォーマンスを残しています。
(宮崎)つまりウォン安が韓国の好調を支えているということですね。
(飯田)そうです。田中秀臣さんじゃないですけれども、いま第三次韓流ブームですね。この韓流ブームとウォン安を比べるとぴったりと合うんです。つまり韓国のコンテンツを日本のメディアが激安で買ってこれるんですね、ウォン安だと。実際にリーマンショック前と比べると、日本円から見てウォンは6割程度になっています。4割引セールをやっているようなものです。一時期個人が大きめのトランクをもってソウルに行きアウトレットでブランド品を買いあさり日本にかえってきてヤフオクで売る、それだけで結構なお金儲けになってしまう、そういうことがありました。
(宮崎)韓国のウォン安は皮肉なことに、通貨当局等が意図的にやったことではないんですよね。その逆に日本は意図的に円高にしています。興味深い現象です。
(飯田)僕は韓国に対して別の見方をしています。1997年の通貨危機によってウォン安が来た。その結果韓国経済はV字回復を遂げます。それ以降の韓国は、なんというか味をしめたようなそんな感じがあります。ウォン安にすれば何とかなる、そう考えているんじゃないでしょうか。実際その通り、何とかなってます。
その韓国と同じ現象が、今ドイツで起きています。今ドイツの輸出産業の延びは戦後最大じゃないかと言われています。その理由ですが、ドイツには通貨安の意図もなにも、ギリシャのせいで勝手にユーロが安くなっているんですね。そのユーロ安の恩恵だけはドイツが受けているという非常に恵まれている状態です。
それに比べて日本の場合、円高を指向する理由が分からないですね。
ここからは
日銀に対する疑問。インフレは怖い?
前項と続いています。(宮崎)韓国もドイツもある意味で日本と似ていて、輸出が経済に重要な地位を占めています。ならばそういう成功例を見ていれば、当然日本も円安誘導をしたくなる、というのが普通の考え方だと思うんですが、なぜそうならないんでしょうか。
(飯田)それには学者っぽくいいますと、二つの仮説があります。
第一の仮説は「バカ仮説」です(笑)。つまりバカだから、という。
(宮崎)その主体は誰なんですか?
(飯田)日本銀行、または政府ですね。
もうひとつは別のインセンティブがあるからだ、という仮説です。これはちょっと陰謀論めいた話ですが、円の価値を継続的に高めたい、という思惑があるのではないか。なぜならば円を国際的に流通する通貨にしたいから。つまり円の国際化を果たしたいからである、という話です。アジア地域の基軸通貨になりたいということですね。日本銀行としては基軸通貨を統御している中央銀行になりたい。政府としては基軸通貨を持っている一等国になりたい。第二次大東和共栄圏というところでしょうか。
(宮崎)ホントにそんなことを思っている人がいるの?
(飯田)元日銀総裁の速水さんは明確にそういうことを言っていました。円の国際化のために必要な政策、とか。その次の福井さんはそこまで脇が甘くないのでそんなことは言いませんでしたが。現総裁の白川さんは福井さんよりはしっぽが出やすい人ですよ。
話がずれるかもしれませんが、日本銀行は非常に国際的な評価が高いんです。日経新聞なんかでも「日銀の政策は世界中が褒めている」みたいな記事が出たりします。そりゃ褒めてくれるに決まってるんですよね、世界の不況を一手に引き受けようという覚悟ある中央銀行なんですから。
(宮崎)志高いねぇ。
(飯田)そうなんです(笑)。
(宮崎)国民経済を犠牲にしてでも世界経済に貢献しよう、と。
(飯田)世界経済のために死す、という。
(宮崎)そうやって国際的なプレステージを得ているので、なかなか円を適正な水準にしようという気にはならない、という仮説ですね。
(飯田)この二つの仮説のどちらかを採る人が多いんですけど、僕の意見はこの二つとはまったく違います。僕にも日本銀行に勤める友人がいます。彼らの話を聞くと、何をやっていいか分からない、というんですね。その理由は冒頭で出た「作為の契機」とつながるんですが、日本銀行がどこまでやってよくて、どこまでやったらだめなのか、全くわかならい状態なので何もできない。ここで意志をもって何かをしてそれが失敗してしまうと、「それは日銀が決めることじゃない」と言われてしまって困る。ならば何もしないでボンヤリしていよう、むちゃくちゃに政治圧力がかかってきた時だけちょっと動いたフリをしてやり過ごそう、それが個人の処世術として正しいんだ。日銀はそう考えている、というのが僕の仮説です。
日銀の権限がどれほどのものなのか、実は日本銀行法を読んでもよく分からないんですね。
(宮崎)そういう意味では日銀の中にいる人たちの理解は正しいんです。日本銀行は法的には「ぬえ」のような存在です。ですから日銀内の人たちのためにも日本銀行法は変えたほうがいいと思います。
(飯田)僕も日本銀行法はさっさと変えて、権限を明確にしてあげたらいいと思っています。権限が不明確なままなので、日銀は政界の空気だけを読んで動くようになりました。そう考えると、実は日本銀行は独立以来、何も方針の無いままきたのではないか、という疑いもあるわけです。
(宮崎)真の意味で独立していない?
(飯田)そうなんです。どこまで独立なのかわからない。ちょっと専門的にいうと、中央銀行に独立性を与える場合は、目標設定とその手順についてかなり法律で縛られます。この一番の典型例がイギリス、ニュージーランドです。コモンウェルス系の国ですね。これらの国では中央銀行の役割が法律でぎちぎちに定められています。この逆に法律による縛りが極端にない国がシンガポールです。シンガポールの中央銀行は財務省の一部局のさらにその1セクションです。日本で言うとかつての政策投資銀行のような感じですね。
(宮崎)私がよく分からないのは、アメリカだと大統領とバーナンキFRB議長が一緒になって今の経済状況に対処するなんてことを国民に明言したりしますよね。日本ではなぜああいうのがないんでしょう。あれをすると日銀の独立性に触れるんでしょうか。
(飯田)ちょっと陰謀論っぽいですが、日本銀行総裁の後なんてきらびやかな人生が待っているわけです。ですから、じーっとして特に目立たなければ穏便に総裁をやめた後、どっかの総研の理事長をやって、そのあとナントカグローバル戦略研究所にいって、という感じですからね(笑)。
(宮崎)昨日の新聞なんかではFRBがアメリカの雇用情勢に深い関心を持っている、とありました。日本の新聞に載ってるわけです。でも日銀が日本の雇用情勢に懸念を表明して具体的な対策を明らかにした、なんて記事はついぞ見たことがありません。なぜですか?
(飯田)日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした。
(宮崎)たすき掛け人事と呼ばれてましたね。
(飯田)大蔵省で事務次官に一歩届かなかった人か、事務次官を引退した人の最初のポストでした。そういう人たちは当然高い目標は掲げません。彼らは役人人生の最期の花道を飾っていたわけで、傷つくようなことはしたくないんですよ。なので可もなく不可もなくを狙ってその後の素晴らしい人生を迎えたいわけですね。
(宮崎)もっと根本的には、なんで財務省の人とか日銀にずっといた人しか日銀総裁になれないんでしょうか? バーナンキは学者さんですしグリーンスパンもFRBに長年勤めてた人じゃないわけですよね。そういう人たちを流行りの言葉で言えば政治任用してトップに据える、なぜこれができないんでしょう?
(飯田)…そうなんですよねぇ。実際アメリカでは戦後、FRB出身の議長はいません。アメリカには6個の連銀があるわけですが、そのトップはだいたい経済学者か民間の銀行の大物経営者です。さらにそのトップの議長は、学者か研究者、あるいは政治家に近いタイプの人です。日本の場合は、日銀が財務省の一部局だったころの習慣が根強くて、福井前総裁が典型的ですが、入行時に総裁レースに参加できる人が数名に絞られているんですね。
(宮崎)それは財務省の出世レースと同じじゃないですか。
(飯田)そうです。そのレールに乗っている人はこのレースがなくなると困っちゃうんですよね。官僚機構の典型的な問題点ですね。
(宮崎)よく言われるのは、日銀総裁というのは極めて高度な金融の技術に対する知識が必要で、経験と知識が両方なくてはいけない。だから民間の銀行家や、象牙の塔にこもっていた学者には務まらないのだ、という話です。これは本当なんですか?
(飯田)それは官僚がいっつも使うロジックですよね。じゃあ実際アメリカは上手く出来ていないのか、と問うこともできますし、現実には中央銀行で勤め上げた人が総裁になる国の方が少ないと思います。ですからそこに拘る必要はないと思います。もしも完全に官僚の領分にしたければ、97年以前の状態、あるいはシンガポールのようなスタイルにするべきです。有り体にいえば独立性を完全に無くして財務省や金融庁の一部局にしてしまえばいい。
しかし現状は独立性もあり、官僚の領分でもあるわけです。非常に相性の悪い性質が同居しています。
(宮崎)政治家が選挙民の願うまま好景気を演出するために、国債を乱発し中央銀行にそれを大量に引き受けさせ通貨を増やして、景気を過熱させてハイパーインフレーションを発生させてしまうのではないか、その懸念があるから、日銀の独立性が必要なんだ、そう一般的には言われています。それについてはどうお考えですか?
(飯田)二つ考え方があると思います。一つ目はすごく乱暴な議論ですが、ご年配の方に窺いたいんですが、インフレが問題だった70年代と今、どちらの経済状態が悪いか、ということです。
(宮崎)(年配の来場者にむけて)いかがですか?
(来場者A)オイルショックがあってすごい就職難で大変でした。しかしちゃんと原因が分かる状態でもありました。
(宮崎)今のほうがマシのように思えますか?
(来場者A)老年にはいいでしょうね(笑)。
(来場者B)閉塞感があるんですね、今は。それが違いますね。70年代はこれから日本は発展するという夢があったと申しますか、今はこれからどうなるかわからないという不安感が先立つ感じですね。
(宮崎)漂流しているような感じですね。
(来場者B)我々年寄りは、先程もおっしゃられたようにデフレでもいいんですけれど、日本全体としてはね。
(飯田)オイルショック以後ですが、影響が極端に強く出た73、74年を除いた75年から80年までを見ると、指標面では今のほうが悪いんです。失業率も倍ぐらいあります。とくに若年失業については比べものにならないくらい今のほうが高いです。
(宮崎)あのころは2.5%くらいでしたよね、失業率。
(飯田)そうなんです。そのころは働いても物価が上がりすぎて食えない。今は働くところがない。
(宮崎)就職しても物価が高いから苦しいっていう状況だったんだ。
(飯田)それに対して今は就職ができないんです。深刻なところでは、大阪府で20代の失業率が20%を超えた月がありました。これは失業と呼んでいいのかどうか。若者だけに限って言うと『怒りの葡萄』のような状態です。
(宮崎)棄民ですね。
(飯田)インフレで働いても食えないという状況と、デフレで働き口がないという状況。閉塞感はやはり働き口がないほうが大きいんじゃないでしょうか。これがインフレに対する一つ目の考え方です。
もう一つは、70年代のようなインフレの行き過ぎを防ぐために生まれたインフレーション・ターゲットです。実を言いますと、継続性こそが政策の命です。例えば、今日お金をあげるので(減税)来年倍にして返してくれ(増税)、と言われれば、もらったお金を使う人はいません。同様にインフレでも、今年はインフレを抑えるけれども、来年は選挙もあるしわかりません、では効果がないんです。来年もその先も最初の約束を守る必要があります。中央銀行の独立性はその最初の約束を守るために必要なものなんです。中央銀行に一度命令を出せば途中で方針を変えたりしない、これを実現するための道具が独立性です。決して中央銀行が方針から何から全部決めるという意味の独立性じゃない。
ですから中央銀行が独立するためには、何年間どのくらいのインフレ率、あるいは失業率を目指します、という政府からの注文が必要なんです。一度その注文を受ければ、その期間方針を変えず政治介入もうけない、これが中央銀行の独立性です。
あるべき中央銀行の姿と日本の経済学者
前項から続いてます。(宮崎)私は失業率ターゲッティング、雇用ターゲッティングが良いと考えています。なぜなら、雇用というのは景気の最終出口なんです。これを目標とすれば、必然的に長い時間をかけたコミットメントになります。
(飯田)そうですね。僕も両立てが良いと思っています。世界を見てみると、殆どの国はインフレのみでやっています。インフレーション・ターゲットですね。唯一違うのがアメリカです。物価と雇用を使ってます。なぜかというとアメリカの中央銀行法が出来たのは1930年代なんです。つまり大恐慌の頃で、人々の最大の関心が雇用だったからなんですね。
(宮崎)なのでFRBが雇用について積極的に発言していくなんてことがあるわけですね。
(飯田)そうです。だいたい、経済学者同士で議論すると雇用の最大化という目標はいらない、という結論になります。ただこれは経済学者のダメなところだと僕は思います。経済学者は名目成長率ターゲットがいい、あるいはGDPギャップのほうがいい指標だ、と言うことが多いんです。それは僕も重々承知です。研究者ですから。だけど、政治の文脈のなかで名目成長率ターゲットという言葉を使って、どう法案を作ってどう国会を通せばいいんですか? それだったらインフレと雇用の両睨みのほうが、より理解を得やすい言葉だと思います。名目成長率ターゲットに近いと言えば近いわけですし。純粋に理論的な解決策に固執するあまり、セカンド・ベストな方法に対してものすごく厳しい。これは日本の経済学界の問題だと思っています。
インフレーション・ターゲットへの批判は大きく分けて二つあります。一つは経済学をまったく分かっていないタイプの批判ですが、もう一つは現代経済学の知見からするとそれはセカンド・ベストに過ぎないんだという批判です。それは僕も分かっていますが、今より良くなるってところは認めて欲しい。
(宮崎)政治はセカンド・ベストの世界ですね。
(飯田)そうなんですよね。あまりも純情というか純粋というか、政治の文脈の中で通せないじゃないか、と思うんです。そう反論すると、「お前はもう学者をやめたのか!」と怒られちゃうんですよ。
そして
税の話:法人税と相続税
やっぱり前項から続いています。(宮崎)さて、税の話です。民主党は税制改革の大綱を出しました。どうお考えですか?
(飯田)大綱では法人税を下げてるんですが、日本の法人税は高く、しかし税収は低いんです。その理由は表向きの課税額は高いのに、控除がたくさんありすぎて実効税率は低いということです。なので企業がしっかり業界団体に入ってお上とつるむと言っては言葉が悪いですが、上としっかりネゴができていれば、意外と実効税率が低くなります。なので5%下がってもあまりうれしくないんじゃないですかね。
僕自身は、法人税はもっと控除を無くす代わりに20%まで下げてしまえ、と思っています。
(宮崎)そのように法人税を下げるとどういう事になるんでしょう?
(飯田)まず海外から日本への直接投資がしやすくなります。今海外の企業がなぜこんなにも日本に入ってこないかというと、日本の表面税率は40%ですが、業界団体が日本に入ってきてほしくないと考えている外資系企業は、ホントにこの40%の税率が適用されるんです。内輪ではちゃんと控除税制を使い、よそ者には税率を全面適用する。このことを日本なのになぜかチャイニーズ・ウォールと呼んでいるんですが、これが関税障壁のような働きをしています。こんなことをするくらいなら、全員一律に課すかわりに税率を低くすれば、海外企業も入ってきやすくなります。
さらに新しい企業の後押しにもなるでしょう。控除を中心にして実効税率を下げるという仕組みは、長くその業界にいる企業や、控除の使い方に長けている企業にとっては有利ですが、新参者には不利です。実際には、控除を無くして税率を20%にしよう、といえば経団連は大反対するでしょう。ただ堂々と大反対はできないでしょうから、いろいろな理屈を付けてくると思います。
(宮崎)税率を20%に下げても税収は今とそんなに変わらないものでしょうか?
(飯田)ちょっと落ちると思います。
(宮崎)ちょっとしか落ちない?
(飯田)現在の実効税率は25~30%だと言われています。それよりやや下げるのが良いと思います。
(宮崎)もし飯田さんのシナリオ通りに外資を呼びこむことができれば、税収は上がる可能性もあるわけですね?
(飯田)そうですね。20%だと事実上、世界でも指折りの低さになりますから。
今回の大綱で一番どうしようもないと思ったのは、財政再建したいのか景気をどうにかしたいのか全然分からないというところです。
法人税はなんとなく景気に配慮したのかな、という感じですが他はよくわかりません。
(宮崎)そうなんです。相続税は再分配と世代間での資産の流動性を高めるという意味合いが強いんでしょうし、所得税も再分配に関わるものでしょうね。
(飯田)仮に財政再建が必要だと思っていたとしましょう。その時に税率を上げなければいけないのは今回のような年収1,500万円超の層ではないんです。この層の人たちはとにかく人数が少ないので、本人にとっては増税は苦しいでしょうけど、国家財政にとってはほとんど影響がありません。本当は800万~1,200万円の層を増税しなくてはいけないんですが、これは民主党にとって一番増税できない人々なんですね。なのでそこからは取れないから500万円の層を薄く増税しました。
海外と比べて日本で目立って税率の低い層というのは、為替次第なところもありますが、だいたい800万~1,300万、1,400万円くらいまでの層です。
(宮崎)この層は数が多いの?
(飯田)ボリューム・ゾーンなんです。平均よりちょっと上なので、人数が多くて、言葉が悪いですが絞れる、そういう層です。
(宮崎)今は1,200万円というと結構な高額所得者だと思います。そんなに多いんですか?
(飯田)もちろん700万~1,000万円というのも一つのボリューム・ゾーンですが、1,200万円前後もそれなりにいます。イメージとしては安定的な大企業で正社員の4、50代というところです。
それに比べて、課税最低限の議論がよくされたりして話題になるんですが、年収500万円以下の層は人数はすごく多いんですけれども、その層を増税するというのは乾いた雑巾を絞るようなもので、もう出てこないんです。なので日本の税制を考えたときに何とかしなくてはいけないのは1,000万円超のボリューム・ゾーンなんです。
そして最大のボリューム・ゾーンといえば、資産家、資産をもった高齢者です。が、ここには怖くて手をつけられない、という状況です。
(宮崎)本来なら税金は、消費、資産、所得、この三つに対してバランスよくかけていくのが良いとされています。ところが直接税、間接税の話、つまり所得と消費ばかりが話題になってしまって、日本は資産課税というのがものすごく立ち遅れていますよね。
(飯田)全くその通りですね。僕は、固定資産税を大幅に上げるのは難しいと思っていますが、せめて相続税を上げて欲しい。日本では毎年80兆円以上の相続財産が発生していると言われています。
(宮崎)一般的には、課税の対象になっている相続財産は10兆円と言われているんですよ。そのうちのだいたい10%が相続税として納められています。なのでだいたい1兆3,000億円くらいが相続税の税収になっています。
(飯田)これは緩すぎる。実効税率1%を超えたくらいですから。
(宮崎)実際は80兆あるんだけれどもさっきの話と同じように様々な控除があって、結局10兆円くらいになっている。
(飯田)どうやって控除を利用するかというと、7,000万円までは無税相続ができます。そしてだいたい男性のほうが早く亡くなりますから、まず奥さんと子供で第一回の分割相続をする。ここで無税相続が利用できますね。そして今度は奥さんが亡くなった時にもう一度控除を使うチャンスがあるわけです。このようにして、事実上日本人全体で、全相続の中で相続税が発生するのは4%と言われています。
非常に変な話ですが、事故で亡くなった場合、相続税はガッポリ持って行かれてしまうんです。分割の順序が上手く出来ていなかったり、対策が出来ないないからです。例えば金融資産で持っていたりすると表面税率通り持って行かれます。
このように節税があまりにも容易な税金が日本には多すぎます。で、このような状態よりは、相続税の場合、3億円を超える相続案件はほとんど出ないので、最高税率を下げてもいいから、ここでもやはりボリューム・ゾーンである5,000万~1億円の層にしっかり課税していくのが良いと思います。この層からとり逃しているのが相続税が集まらない理由です。
僕の考えでは、配偶者の控除は仕方ないとして、配偶者以外の控除は無しにすると、年10兆円集まります。
(宮崎)10兆円というと今の消費税に匹敵しますね。消費税を倍にしたのと同じ効果がある。
(飯田)そうです。なので僕はまず、資産課税である相続税から手を付けるべきだと思っています。実際に相続する方も、5,000万円の土地を1,000万円で買える権利を一生に一回行使できるんですから、このくらいは払ってもらえないだろうかと。普通そういうチャンスは巡ってこないですから。
通貨切り下げ競争について
つづいて質疑応答から。(質問者A)先ほど1ドル105円くらいが良いというお話がありました。今世界的な通貨切り下げ競争と言われています。ここでもし日本が円安に向かうとどうなるんでしょうか。
(飯田)例えば日本が金融緩和をしてドル安に持って行こうとする、そうするとアメリカがさらに金融緩和をするかもしれない。そうなれば円ドルレートは変わらないかもしれません。しかしそのとき円はドル以外の通貨に対して大幅に安くなるので、ある程度の効果があるでしょう。
世界的な通貨切り下げ競争が起きるということは、ざっくりと言ってしまうと世界中、すべての国でお金を撒いているということです。これで世界経済は立ち直って行くでしょう。1929年に始まる大恐慌では通貨切り下げ競争が起きて良くなかった、というのがある時期までの教科書的な見解でしたが…。
(宮崎)今でもジャーナリズムレベルでは有力な見解です。
(飯田)1980年代以降ピーター・テミンなどの国際学派と呼ばれる大恐慌研究を行う人達によって、「大恐慌があの程度ですんだのは通貨切り下げ競争をやったからだ」という見解が出てきます。つまり通貨を切り下げるとインフレ圧力がかかるわけですが、それを各国が行ったおかげで大恐慌から脱出できた、そういう見解が有力になってきたんです。実際に、通貨切り下げ競争で唯一大きな被害を受けたのは、競争に参加しなかった国でした。当時はフランスがそうでした。フランスは最後まで大恐慌から脱出することなく終わりました。
もしかしたら各国がそんな極端な緩和をせずにそこそこにしておくのがベストなのかもしれないんですが、少なくとも外国がやっている以上、自分のところにだけ影響はない、なんてことはありえないでしょうね。
(宮崎)各国がどんどんお金を出しているといことは、世界中で過剰流動性が発生しているということですよね。これの悪影響はないんでしょうか?
(飯田)たぶんどこかの国でバブルになるでしょう。過剰流動性がどこかの国でバブルを産む、このことを以て通貨切り下げ競争を批判する人がいますが、日本政府としては少なくとも日本じゃなければいいんじゃないかな、と思います(笑)。これは冗談ですが、バブルを防ぐ方法は金融政策だけじゃありません。インフレにするとか為替レートを変えるというのは金融政策でしかできませんが、バブルを防ぐには、例えば土地バブルなら総量規制を入れればいい。これは日本では実に良く効きました。つまりバブルには他に手が残されているのでそこまで神経質にならなくてもいいのではないでしょうか。
(宮崎)しかしバブルが起きて総量規制のような対策を取ってまた崩壊すれば社会には大きな禍根が残るでしょう。なのでそう簡単な話でもないと思います。
(飯田)その場合はトービン税タイプの短期保有に課税する税を導入するという手もあります。
民主党政権と経済政策
(質問者B)三点ほどよろしいでしょうか。一点目は先日菅総理が成長戦略として第三の道を提唱しました。それは福祉を産業として育てようというものでした。福祉関連の仕組みは非常に効率が悪いのが現状ですが、果たして福祉というのは経済を引っ張るような成長産業になるのか疑問を感じるのですが、どうお考えでしょうか?
二つ目は事業仕分けについてですが、私はある市の事業仕分けに携わっていたのですが、そこで感じたのは政府がいろんな事業を作って地方都市でやっているわけですが、それは法律に基づいてやっているものの、非常に効率が悪いんです。それを批判しても法律を盾にしてやり方を変えないわけです。ということは、法律を変えなければ効率も変わらないということです。つまり法律の仕分けが必要だと思います。それについてお考えを窺いたいと思います。
三点目は、名古屋市長の河村さんについてです。彼は減税を言い出しましたけれども、これこそ民主主義にとって大変重要な政策だと思っています。これからは減税政策というのが何かキーになるような気がしています。この河村さんの政策についてもお願いします。
(飯田)まず管さんの福祉の話はまったく仰るとおりでして、福祉という産業が日本経済の為になるということは、介護であるとか福祉サービスを受ける側が喜んでお金を払う、そういう状態になるということです。ところが、次のご質問にも繋がりますが、実際には法律でがんじがらめになっているために非常に典型的なサービスしか行えない。福祉は個別性が大変強い産業ですから、自由なサービス業として育てていくならば、成長産業になっていくことは可能だと思いますが、現在のように規制されたシステムのままで大きくしていこうと思ったら結局補助金を出すしかないでしょう。補助金を効率よく配るなんてことが出来るとは僕は思いませんので、管さんの政策の実現は非常に厳しいと思います。
次に事業仕分けですが、これについては僕も言いたいことがありまして、あんなものに政治的資源を割き過ぎだ、ということです。事業仕分けで節約できる金額は何千億円です。もちろん僕個人としては一生見ることのない額ですが、現在の日本の財政規模は100兆円です。事実上、本丸である消費税、そして社会保障の議論に入らないために事業仕分けで盛り上がっているのではないか。そう見えてしまいます。
(宮崎)この事業仕分け的なことというのは今まで財務省がやってきました。それを公開の場でステージに立つ人を替えてやっているという以上のことではないように思います。もちろん政治的な意味はあるのかもしれません。先般特別会計の事業仕分けが行われましたが、結局その中核部分にはあまり手を入れられなかったわけです。財務省の所管である外為特会にも12兆円ほどある国債整理基金特別会計にしても手を付けませんでした。これを見ると、事業仕分けを動かしている人達というのは、実は表にいる蓮舫さんたちではないのかな、とそう思います。
私も質問者さんの仰る改革が必要だと思いますが、今の事業仕分けは明確な法的根拠なくやっているので、先は長いなと考えます。
河村さんについてですが、私は彼が日本で始めてのアメリカ型のリバータリアニズムの政治家になるんじゃないかと思っています。私はコミュニタリアンですが、リバータリアンの考え方を尊重しているんです。同意はしませんが。そういう意味で減税を自ら打ち出していく河村さんは、新しい政治家のタイプだろうと見ています。
飯田さんに聞きたいんですが、減税というのは財政政策になるんですよね? それでずうっと前から言われている疑問ですが、減税と公共投資つまり積極的にお金を出していく政策とどちらが効果があるんでしょうか?
アメリカだと共和党が減税指向で、民主党が公共政策指向という大まかな傾向があって有権者も投票しやすいと思うんですが、日本はそうなっていませんよね。
(飯田)日本では明確に減税を主張する人がほとんどいません。河村さんくらいのもので、中央政界では本当に少ないですね。
単純にいって、経済効果だけの話をしますと、国民全体が均質的、つまり同じような働き方、収入であれば減税と公共事業の区別はあまり重要ではなくなります。ところが格差がある場合には、減税が効かない可能性はあります。あと付け足すと、地方レベルだと財政政策は未だに効果がある程度あります。
減税はどちらかというと富裕層が好むもので、アメリカの共和党というのはある程度収入がある人が支持をするわけですが、ただ、貧しい共和党員というのがたくさんいますね。日本でこれに近いのが小泉内閣を熱狂的に支持した低所得者層でしょうね。
河村さんの話ですが、僕自身は道州制にして、法人税と法人事業税を一本化したものと消費税の自主権を州に与えてはどうかと思っています。所得税は全国で一律である必要があると考えています。
(宮崎)消費税に関しては高橋洋一さんは消費税の本流は地方税だとずっとおっしゃっていますよね。
(飯田)はい。よくアメリカは消費税がない、と言っている人がいるんですが、アレは州によるんです。
(宮崎)まとめることが出来ないからない、と言っているだけなんですよね。
(飯田)そうなんです。国税としての消費税は確かにないんです。もともと消費税というのは安定財源なので地方自治のためのお金に向いているんです。それに対して格差を埋める政策というのは全国的なものですから国税が担当するんです。
(宮崎)所得税とか法人税とか。
(飯田)そうです。そこで法人税を地方に渡しちゃえば、切り下げ合戦になるんじゃないかと考えています。そうなると20%くらいで落ち着くんじゃないでしょうか。
(宮崎)不思議なのは河村さんと大阪の橋下さんが連携する動きをみせていることです。二人は少なくとも経済思想的には正反対です。橋下さんは税率はそのままで行政サービスの質を下げるという実質的な増税をし、河村さんは財政政策として減税をした。この二人が人気を得ているのは不思議です。
(質問者B)議員の数がすごく多くて給料が高い。こういう現象が全国にあります。河村さんはこの問題にも発言しています。
(宮崎)河村さんは国会議員のころから、議員の定数を減らし給料を下げるべきだと言っていましたね。
(質問者B)日本の議員の給料の水準は世界的にも高いでしょう。これはどう考えても財政危機を叫ぶ現状と合いません。
(飯田)河村さんと橋下さんという話に戻ると、この二人は共和党と民主党のような関係なんですよ。この二人がそれなりの支持を獲得している。ならば、自民党と民主党がある程度各階級の代表性をもつようにもう少し動いてくれたら良いのではと思います。
(宮崎)それは政界再編を望む、ということですか。
(飯田)はい、僕はそれを望んでいます。
どうすれば財政再建できるのか
(質問者C)私は増税ではなくて景気を良くして税収を増やすというのが良いと考えています。どうお考えでしょうか。
(宮崎)私は増税で財政再建は出来ないと思っています。景気を良くすることを通してしか日本の財政構造を改善することは不可能だと考えますが、そう思わない人が多いようです。
(質問者C)通貨発行益(シニョレッジ)を利用すればデフレからも脱却できて、景気も改善して一石二鳥だと思います。
(宮崎)その場合、政府発行紙幣のようなものをお考えでしょうか。
(質問者C)いえ、ただ中央銀行が国債を引き受ければいいと思っています。
(宮崎)私としては反論もなにもないのですが、飯田さんはすこしお立場が違いますね。
(飯田)財政について言うと、アレシナとペロッティという人たちの有名な研究がありまして、この研究によると財政再建を上手く成し遂げた国というのは、一個だけの手段に頼らなかったんです。寄与度でいうと三分の一を歳出カットで、三分の一を増税で、そして残りを景気回復でまかなったんです。実際には半分くらいが景気回復のおかげですが、この三つができた国が財政再建に成功しました。
そしてそこで最低のパターンというのが、増税から始めることでした。
(宮崎)順番が重要なんですね?
(飯田)順番が重要なんです。景気が回復してきたところで少しずつ税金を上手に上げていき、歳出についても社会保障費の抑制をやる。これを順番にやらないといけないんです。
増税を最初にやって失敗した国はイタリア、ギリシャ、スペインです。これらの国を見ていくと、まず与党が増税を発表します。すると与党が選挙に負けます。なので増税が出来なくなる。次の政権与党が大盤振る舞いをする。財政危機がくる。増税を発表する…。
(宮崎)ちょっと待って。聞いてたら日本がその道を歩んでいるような気がしてきたんだけど。
(飯田)真性財政破綻とでも呼ぶべきかたちですね。これではもう財政破綻という以上に、もう何も打つ手なしになってしまう。
(宮崎)民主党は増税を発表して参院選を大敗しました。今ココ、という感じですか。
(飯田)そうですね、さらに増税を訴えれば選挙に負けて政界再編、小党乱立になるかもしれません。その中で増税を口にしなかった、あるいは振る舞い酒をバンバン出した政党が相対的に勝つ。そしてもっと財政が悪化する。もっと大幅な増税が必要になる。こうやっているうちにデフォルト宣言に至る、これが一番典型的な財政破綻のパターンです。
よく考えてみれば分かるんですが、日本は500兆円のGDP、そして1,000兆円の負債があるといったってその裏側には700兆円の資産を持っているわけです。まともな指導者がいれば財政破綻は絶対にしません。ですから日本が財政破綻するとしたら、まともじゃない指導部に率いられた時でしょう。
![]() 消費税「増税」はいらない! 財務省が民主党に教えた 財政の大嘘 高橋洋一 |
(宮崎)その話は高橋洋一さんの『消費税「増税」はいらない! 財務省が民主党に教えた財政の大嘘』という新刊にも書かれています。飯田さんの本の次にはこちらもどうぞ。
(飯田)僕はある時点での消費税増税は不可避だと思っています。なぜかというと、消費税というのは唯一引退世代からも取れる税金だからです。これからどんどん高齢化していくわけですから少しは負担してもらわないともちません。
そこで僕としては、消費税の増税を10%までに抑えられたら財政再建が成功したと言っていいと思います。もちろん形の上だけ、国民経済がどうなってもいいから財政再建しろ!といえば誰でもできます。
(宮崎)消費税40%にしてもいいんだったらそうだよね。
(飯田)なので、なんとか上手に経済成長と歳出削減を使って消費税10%までに抑えられたら成功、10~15%の間だったら優良可不可でいったら可、15%を超えたら財政再建に失敗したと言っていいと思います。そのくらいのじんわりと10%まで、という形にもっていければいいんじゃないかと考えています。
(宮崎)質問者の方が言った通貨発行益についてはどう考えていますか? マネタイゼーション、つまり国の借金を日銀が肩代わりする、そういう考え方というのはどうなんでしょうか?
(飯田)全くアリだと思いますよ。実際にはいつでもマネタイズが出来る、と法律上明記しておくだけでも効果があると思います。実際にマネタイズするかどうかは別の問題ですし、そこまでやらなくてもある程度回復すると考えています。
後半はまとめじゃなくなってますが、どれも省略するにはもったいない話なので載せました。こうやってお二人の話を聞いていると、日本の経済停滞について構造的な要因ばかり注目されて、景気という要因や金融政策が話題になりにくいのも理由のないことでもないよなあと思いますね。
当日の池袋は忘年会シーズンで殺人的な人ごみでしたけど、お二人のお話は本当に楽しかったです。来場者は40名ほどでしたが、しっかし経済学ってホント女子に人気がないんですねえ(参照)。
さて菅総理が買った本(参照)を見てズッコケた人も多かっただろう新年ですが、追い打ちのごとく与謝野さんが経済担当相になったりして、この調子だと残念ながら日本を幸福にする経済政策の実現は今年も難しそうです。とはいえ、なんだか日本社会の経済学理解は少しは進んでるんじゃないかな、と楽観もしてみたり。例えばこんなニュースが。
日銀法改正案、自民党も提出すべき=中川元幹事長
この20年の停滞というのは無視できない結果なわけで、お役所のエリート(笑)な人たちがいくら一生懸命説明してもあまり説得力はなく、いいから早く手を打ってくれという声に応えられない菅政権の前途は険しそうです。
2009年9月27日日曜日
複雑さの理由・書評・三木義一『日本の税金』
![]() 日本の税金 三木義一 |
で、なぜ所得税や法人税は複雑になってしまうのかというと、公平性を確保するためだ。累進課税という言葉は大抵の人が知っている言葉だけど、僕を含め多くの人は、「所得が一定以上になると、税率が上がる」と単純に考えているんじゃないだろうか。しかしこのようなやり方(単純累進税率)では公平な負担にはならない。
しかし、単純累進税率には重大な欠陥が含まれているのである。仮にある納税者の課税総所得金額が12月30日現在900万円であり、翌日働けば901万円になるとしよう。900万にしておけば税率は20%なので180万円の所得税を差し引いた720万円を手に入れることになるが、1万円でも多く稼ぐと901万円となり30%の税率が適用されるために、270万3000円の所得税を差し引いた630万7000円に減ってしまうのである。
(漢数字をアラビア数字に変えた。)[p.42]
なので、現実には超過累進税率が採用されている。これは上記の例で言えば、901万円の所得に対して、900万までは20%、900万を超えた残りの1万には30%の税率がかけられることになる(もちろん900万以下が一律20%ではない。簡便のため省略した)。こうすると納税額の直感的な理解が難しくなるが、働き損は避けられるというわけだ。
と、これだけならまあいいんだけど、実際には各種控除が様々に関わってくるので、さらに複雑になってしまう。それでも、本書を読んで感心したのは、この様々な控除というのが、それなりに合理的にできているんだなということ。基礎控除というのは、人が生きていくために必要な所得には課税してはいけない、という考えから導入されているもので、まったく理にかなっているな、と思う。ただ、その金額が38万円というのはいくらなんでもヒドい。そして配偶者控除も、家族内で家事や子育てを担当している人が生きていくための所得に課税するのはおかしい、という考え方がそもそもの理念だ。女性の社会的な立場の弱さと合わさった議論になりがちだが、控除の考え方自体は正しいと思う。誰かがやらなきゃいけない事をして、そのために就業の機会がなくなってしまうわけだから、その人が使うお金に税金をかけちゃいかんだろう。
しかし、配偶者控除はいわゆる「103万円の壁」という問題を作り出した。これはこの控除の対象者(主に主婦)の所得が103万円を超えると、夫の所得の配偶者控除がなくなってしまい、妻が働く前よりも税負担が重くなってしまう、という問題だった。つまり女性が働くのを社会が邪魔しているようなことになってしまったわけだ。が、これは1987年の法改正で改善されている。今は控除の額が所得にあわせて減額していくようになっていて、以前のように一線を越えればすべてパァという状況ではない。にもかかわらず、世の中にはまだ「103万円の壁」があるという。その原因は、夫の勤めている会社の配偶者手当である。配偶者手当の条件を、かつての税法にあわせたままの103万円に設定しているから、未だに103万円以上の所得にならないような働き方をせざるを得ない女性たちがいる。これは各労働組合の怠慢と言っていいだろう。
ではそれ以外の現行の税制がうまくいっているのかというと、そんなことは全くない。多くが時代とずれまくっている。相続税などはその典型で、本来は相続した額で税率を決めれば話が早いし、そうしている国も少なくない。しかし日本ではそうではない。なぜか。それは戦後の復興期の話。
しかし、現実の日本はまだこのような制度(相続した額によって税率を決める制度:引用者)を受け入れられる状態ではなかった。とくに農家の相続では、農業経営を維持していくためには長男に単独相続させることが必要であったが、そうすると税負担が重くなる。税負担を逃れるために、平等に分割したように仮装することも横行した。税務行政もそうした分割の実態を適正に調査できる状態にはなかった。
[p.119]
なので、相続した金額だけじゃなくて、遺産全体の金額も考慮に入れた複雑な課税方式が採用された。だから同じ金額を相続してもかかる税金は違う、というよく分からない事態を多数生み出している。この、過去の特殊な時期を反映した制度のおかげで現在に混乱が生まれる、というパターンが税の話には多いようだ。酒税もそんな感じ。
酒税の場合、アルコール度数に応じて、1キロリットルあたり何%という課税方式が合理的であると考えられるが、日本の場合はやっぱりそうなってはいない。日本の場合、お酒を10種類に分け、課税する。なので同じアルコール度数でも分類が違えば税率も違うことになる。
これは大衆酒には低い税率、高級酒には高い税率を、ということで導入されたわけで、それはまあいいんじゃない? と思う。が、なぜかビールの税負担割合は35.8%で、ウイスキーの14.8%よりもずいぶん高い。というか一番高い。ビールは高級酒の中でも選ばれた高級酒というわけだ。税制上は。
つまり今や酒税は、合理的でもないし、当初の理念からも大きく外れてしまっている。そこで「ビールとして課税されないビール」、つまり発泡酒が登場してくる。酒税上のお酒の分類はかなり問題だらけで、酒税上のビールの定義は「麦芽、ホップ、水を原料として発酵させたもの」だそうだ。さらに副原料の規定があるのだが、要するに、「副原料を使ってもいいが、麦芽の量の半分(麦芽比率三分の二)まで」[p.153]というのが税制上のビールだった。では麦芽の量の半分以上の副原料を使ったらどうなるかというと、それは酒税法上はビールではなくなり、雑酒になる。となれば、税金が低くなり、価格も安くなるわけだ。
ここで財務省がビールを大衆酒と認めれば話は早かったんだけど、発泡酒もビールだ、という法改正をしちゃった。すると、今度は副原料をさらに増やした雑酒が登場。それもビールだ、と財務省。さらに副原料を増やした雑酒登場。こういう具合に「愚かな改正を繰り返し、そのあげくますますビールとは異質な発泡酒の量を増やしているのである。」[p,154]
とまあ時代遅れの乗り物をなんとか修理して使ってたら、いつの間にかグロテスクな何かになっちゃった、というのが現在の税制の姿であるようだ。で、そもそもこの本を手に取ったのは、消費税のことが知りたいからだった。聞くところによるとえらく問題があるらしいから。で読んでみて、結局、僕には要約は無理だな、と認めるしかないくらいには複雑だったので、是非本書を読んでみて欲しい。しかし複雑さの他にも、消費税が持つ本来的な欠陥もまったく補われていなかったりもする。それは低所得者のほうがより重く負担しているという逆進性の問題である。
実収入に対する消費税の負担割合は、一番収入の低い層の2.7%から、一番高い層への2.0%へと徐々に下がっていっているのである(財務省「収入階級別税負担平成11年分)
(漢数字をアラビア数字に変えた。)[p.104]
つまり消費税は、シンプルでもなければ、公平でもない税であるというわけだ。消費税導入時は高齢者にも一定の負担を求める、という理由もあったそうだが、それに対して著者は次のように疑問を提示する。( )は原文ママですよ。
しかし、高齢者は若者世代に比して、資産は相当多く所有し、所得も決して少なくない。若者世代と決定的に違うのは、若者世代には資産格差も所得格差もそれほどなく(皆ほどほどに貧しい)、これに対して高齢者世代では資産格差や所得格差が著しい点なのである。このように資産格差や所得格差が著しい世代が増えていく社会に、一律に負担をかする消費税がはたして本当に適切なのかは疑問が残る。
[p.114]
![]() 脱貧困の経済学 飯田泰之・雨宮処凛 |
ああそうそう、僕は納税者番号についても何かあるかなと期待していたんだけど、残念ながら詳しい言及は本書にはない。本書はとても有意義な本だと思うので、是非新しい状況を反映させた改訂版を出して欲しいし、その中には納税者番号についての解説もあるとナイスですよ。
2009年9月19日土曜日
勝間和代のBook Loversを聴いた その2
さて、今回は経済学者の飯田泰之先生です。前半はミクロ経済学の話ですが、徐々にマクロの話へ移行していきます。経済成長とは具体的に何なのか、何をどうすれば経済成長といえるのかが語られます。
僕はさっそく本編で紹介されている『哲学思考トレーニング』と『将軍たちの金庫番』を買いました。んで、江戸時代の経済史を解説した『金庫番』は僕もおすすめします、文庫本ですし。前回の内容とも関わりますが、官僚と金融政策がテーマと言ってもいい本で、とくに幕府とハリスの交渉の解説は必読でしょう。官僚的な人ってのはいつの時代でも変わらないのか、と脱力すること間違いなしです。江戸の三大改革の経済的な実態は、もうなんというか情けなさでいっぱいです。自分の不遇さや劣等感を、倹約や禁欲と称して正当化し、周囲に押しつけるオジサンがたくさん出てきますよ。
さて、前回同様、実際の文言とはかなり違います。あとやっぱり長いです。何を言っているのか正確に知りたい方はBook Lovers本編を聴いてください。(2009年8月17日から21日までの放送です。)
(一日目)
勝間さん(以下 K):経済学の面白さ、志した理由を教えてください。
飯田さん(以下 I):もともと歴史好きなのですが、歴史が大きく動くときは経済も大きく動きます。例えば世界恐慌、そして昭和恐慌を経て、日本は貧困の問題を抱えて軍国主義に向かいました。こういうダイナミズムを研究してみたい、と思って大学院にいきました。院にいくと民間の就職先はそうそうないんで、気づいたら大学の先生になってましたね。
K:経済学は日常でこそ活きるんだ、と私は思ってるんですが、あまり理解されません。
I:そうですね。経済学のベースは個人の選択、何をして何をしないか、です。そこで問題になるのが限りある貴重なものをどう分配するか、ということです。勝間さんの本の中にもよく出てきますが、僕らにとって最も貴重なものは時間だと思います。その時間の割り振りというのは、一番経済学的な思考を必要としていると思います。これは日常の時間の使い方にも当てはまります。貴重なものの分配をどうするか、これをロジカルにやるのが経済学です。
K:私は会計士の勉強で経済学をやりました。経済学的に考える習慣がある人ない人で随分違いますね。
I:そうですね。特に機会費用という考え方が重要ですね。家で半日ぼうっとしているコストはどれくらいでしょう? お金を使わないのでコストゼロだ、と思ってしまうところですが、何か楽しいことをしたり、将来のために勉強したり、仕事をしてお金を稼いだりすることができたわけです。その実際の利益と実際には生まれなかった利益の差額が機会費用です。
K:時間の使い方に対する考え方が変わってきますね。
I:一般に経済学というとGDPとか為替というイメージですが、それはかなり応用の話で、基本は身近な意思決定です。応用の話はビジネスの最前線にいる人でないと、あまり重要ではないかもしれません。
K:応用がわかったところで予測も難しい。
![]() 哲学思考 トレーニング 伊勢田哲治 |
K:タイトルに「哲学」がついているのでわかりにくいですが、内容としてはロジカル・シンキング、クリティカル・シンキングの本ですね。クリティカル(批判的)にはネガティブなイメージがあるようですが、そうではないんですよね。
I:確かに批判というと文句ばっかり言っているイメージですが、考え方をブラッシュ・アップしていこう、ということだと思っています。この本はタイトルで随分損をしていて、なんだかカントとかが出てきそう。実際には論理的思考トレーニング、といったところです。
![]() ロジカル・シンキング 照屋華子・岡田恵子 |
I:はい。大学の僕のゼミでは必ず『ロジカル・シンキング』が一冊目です。これで基本の型を作ります。そして次に自分にあった思考法を今回の本で見つけてもらいたいんですね。自分で思考の型を作るための支援をしてくれる本です。具体的には、良い推論と悪い推論のちがいや、演繹法だけでなく帰納法も必要な理由、科学と疑似科学の差、などがやさしく解説されています。
(一日目はここまで)
(二日目)
![]() 東大を出ると 社長になれない 水指丈夫 |
K:本文中に経済理論の説明が出てきます。
I:はい。経済理論に基づいた意思決定が描かれています。経済学の教科書というのははっきり言って面白くないんですね。この本は身近な出来事を題材にしているので、入門に良い本だと思います。この本を読んだ後、すこし堅めの経済学の本に進んでみるといいと思います。
K:小説の中で屈曲需要曲線に出会ったのは初めてです。
I:(笑) 実際に経済学を必要としているのはビジネス・パーソンです。しかし、経済学の本の多くはそういう人に向けて書かれていません。これまで経済学者たちは、経済学そのもののセールスをしてきませんでした。
K:アカデミックな場面以外で経済学が使えるということを、一般の人に知ってもらおうとしてこなかったわけですね。
I:僕は自分のことを「経済学のセールスマン」であると思っています。今大学では経済学があまり人気がないんです。
I:ないですね〜。大学にもよりますが、男女比8:2くらいの大学も多いと思いますよ。東大に至っては9:1くらいでしょう。これは実にもったいないことです。英米系の大学ではエコノミクスが一番メジャーな専攻*1です。日本の場合、社会科学なら法学部、文学部。あとは工学部でしょうか。経済学は世界言語といえますから、これはホントにもったいないです。
K:私は日常で「効用」という言葉を使ってしまうのですが、通じていないのかもしれません。
I:効用というと、お薬の効能のことだと思われているかもしれません。効用というのは、自分の心の中で感じる満足度、のことです。経済学では重要な概念です。
K:機会費用を考えるというのはまさに、効用を比べるということですね。自分にとって一番満足のいく選択肢を探るということですから。自分の満足と手持ちの資源(時間やお金)、これを計って選択をしていくと、とても人生が面白いですよね。
I:そうなんです。「どうやったら自分の効用を改善していけるんだろう?」という疑問を頭の片隅に置いておくだけで、小さな意思決定の際に良い方を選べるようになってきます。逆に漫然と何かをすると、結局何もしないで終わってしまいがちですよね。
K:機会費用の概念を理解するだけで人生は随分変わってきます。
I:経済学というと金のことばっかり考えてる、と言われてしまうんですが、重要なのは自分の心の中の満足や目標です。それがちょっとづつでも改善したり前進したりすることが大事です。
(二日目はここまで)
(三日目)
![]() 景気って何だろう 岩田規久男 |
K:サイクルとしての景気と、絶対水準としての景気がありますが、日本の場合、絶対水準としての景気ばかり注目されているようです。
I:はい。絶対水準としての景気と、景気が拡大しているかどうか(良くなっているのか悪くなっているのか)。この二つを区別しないと政策はうまくいきません。例えばいざなぎ越えと言われた2003年から07年にかけての好景気があります。一応これは景気の拡大、です。が、好景気だったのは一年もないと僕は考えています。
K:つまり絶対水準としての景気は良くなっていない、ということですね。そもそも好景気って何なんでしょうか。
I:経済学的には、潜在成長率を越えて成長しているかどうか、です。潜在成長率というのは計測が難しいんですが、今ある資源や人材を全て活かしたらどの程度モノが生み出せるのか、ということです。潜在成長率は計測する人によってバラバラの数字が出てきますが、大変おおざっぱに言いますと、年率2%です。なので名目GDPから物価上昇率を差し引いた実質GDPで2%以上成長していれば好景気といえます。
K:それは日本だけでなく?
I:はい。潜在成長率は、世界的にここ100年くらいそういう水準です。日本の場合、実質GDPがここ20年、年率0.数%でしか成長していません。なので、いざなぎ越えといわれる好景気でも、自分たちの暮らしが良くならない、と感じるわけです。そこで「景気が良いなんてのはイカサマか?」と言われてしまうんですが、景気は拡大しているんですが、絶対水準としての景気は良くなっていない、ということなんですね。この程度の拡大ではどうにもならないんです。
K:実感できないんですね。
I:そのせいで、経済成長や景気に対する非常に大きな不信感を生んでしまいました。さらに、日本銀行や財務省は、景気が良すぎる、と言いはじめました。
K:はあ!?
I:2006年の量的緩和解除の理由の一つが、バブル的に景気が良くなるかもしれない、というものでした。その予防的な措置だ、と日銀は言っています。予防も何も良くなってないじゃないかと思うのですが、なんだかよくわかりません。
K:解除は大失敗でした。
I:『景気って何だろう』にはそういった問題がよく整理されて載っていますし、ちくまプリマー新書の想定読者は高校生ですから、とてもわかりやすく書かれています。本書のなかにもありますが、景気の話で重要になるのはインフレとデフレです。景気の拡大を継続して、絶対水準で良いところに持っていきたいわけですが、デフレ状態では不可能です。デフレで景気が良いというのは、ほとんど形容矛盾です。
K:ハイパーインフレは恐れるのにデフレは恐れないというのが本当に不思議です。
I:その理由の一つに、デフレで心地よくなる人が結構いるってことが言えると思います。
K:はあ!?
I:(笑) 自分で商売をしている人や、ビジネスの最前線にいる人にとっては、まさに「はあ!?」としか言いようがないんですが、例えば僕の母親は「モノが安くなった」と大変喜んでいます。
K:お給料が一定で支払われいる人にすれば、収入は変わらないわけですからモノが安くなるほうが良いに決まってるわけですね。
I:そういう人びとが初めてデフレの害に気づくのは失業したときと倒産したときです。そこまで行かないと気づかないというのは、とても恐ろしいことです。
K:貧困問題のディベートに参加したときに、「デフレがいけないんですよ」と言ってもまったく理解してもらえませんでした。一体それが貧困問題とどう結びつくのか気づいてもらえませんでした。
I:貧困問題は企業が強欲だからだ、と言い返されてしまいますよね。しかし企業を攻撃するのはあまり意味がないと思います。実際に価値を生み出しているのは企業セクターですから。
K:デフレは例えるなら血液がどんどん減っている状況です。不健康になるのは当然といえます。
I:そうですね。ここ一年間でイギリスの中央銀行、Bank of Englandは貨幣の供給、つまり血液の供給を倍にしています。ものすごく輸血しているわけです。アメリカの中央銀行FRBも、80%くらい増やしてます。ケチで有名なユーロ圏の中央銀行ECBも50%くらい増やしてます。もちろんこれらの措置は金融危機に対応するためです。で、日本銀行は、だいたい5%くらい減らしています。さらにお金を増やしたときの波及効果(貨幣乗数)も下がってきていますので、急速な勢いでお金が足りなくなっている、といえます。血が足りない、でも輸血はしたくない、という状況です。
K:どう考えたらそういう政策になるのか、そこが謎なんです。謎といえば、法学部をでている人がなんで日銀に行くのかも謎です。
I:それは確かに不思議なんですが、日銀に入る人はエコノミスト組もけっこういます。しかし彼らの意見が政策に反映されることは全くありません。関係ないって思われているようです。
K:ひどい話です。
I:日銀は国民の審判を受けていない組織です。なので逆に世論を過度に気にします。つまり「自分たちは国民の信任に基づいて政策を実行する」という風に強気には出れないんですね。なので国民が嫌がるであろうインフレ政策を採用できないんです。
K:なるほど。飯田さんのお母様だったら「物価が上がって困る」と感じるから、ですね(笑)。
I:そうなんです(笑)。
K:この間石油や小麦(コモディティ)の値段が上がったとき、国民は大騒ぎでした。私はこれでインフレになるかも、と期待していましたが。
I:そもそもコモディティの値段は、中央銀行にはどうしようもないわけです。石油価格が上がって、それによってインフレになるのを日銀がコントロールすることはできません。仕方のないことですから。逆に石油価格が上昇しているのに金融を引き締めてしまえば、ますます血液が足りなくなってしまう。他の商品を一部あきらめて石油にお金を割かざるを得ないのに、さらにお金が減ってしまうわけですからね。資源インフレのときは、むしろ金融を緩和する必要があったんです。
K:それは経済学を学んでいればわかることですよね。
I:これは僕の仮説ですが、日銀が世論をすごく気にするのは、政治家がインフレを嫌がる国民の期待に応えて、日銀法を改正して独立性を取り上げてしまう、そうなることを一番恐れているからだと思います。なので、政治家以上に過剰に世論に反応してしまう。これがデフレの原因の一つだと思っています。
K:合成の誤謬ですね。一人一人の利益と国民全体の利益が相反している。こうなると国民の正しい理解がカギになってきます。
(三日目はここまで)
(四日目)
![]() 将軍たちの 金庫番 佐藤雅美 |
K:江戸時代の社会学的な作品をつくる作家さんなんですね。
I:僕は将来歴史小説家になりたいんですが、それほど江戸時代におもしろさを感じています。江戸時代に唯一足りなかったのはエネルギー革命だけだったと考えています。
K:それで人口も増えなかったんですよね。生産性もそんなに上がらなかった。
I:商業のシステムは発達していました。世界で初の先物取引所がありましたし、商人の力もあり教育水準が高い。国内の流通、郵便網もできていましたし、貨幣経済も発達していました。ここまでできて日本で産業革命が起こらなかったのは、やはり蒸気機関が日本にはなかったからでしょうね。
K:石炭はとれていたわけですから、作っていてもおかしくないんですけどね。発想がなかった。科学における遅れは、やはり貿易制限の影響でしょうか。
I:そうですね。それと日本の場合は、誰が偉いかといえば文系が偉いわけです。
K:どうしてもその話になりますね(笑)。士農工商ですもんね。
I:時代劇で見るような江戸の町並みはすべて1820年代を再現したものです。また、僕たちが江戸っぽいな、と思うもの、寿司、うなぎ、天ぷら、歌舞伎、浮世絵、こういったものも1820年代のものです。
K:もう明治の直前なんですね。
I:そうなんです。なので時代劇で徳川吉宗や水戸黄門が1820年代の江戸の町並みを歩いているというのは実に困った話なんですが、撮影されている太秦の町並みが1820年代ですからそうなっちゃうんですね。
K:私たちが2300年代にいるような感じですね。
I:ではなぜ1820年代がこんなに影響力を持つほど素晴らしい時代だったのかというと、これが金融政策の話になります。徳川家斉という浪費家の将軍がいまして、彼が老中に「どうしても贅沢がしたいんだ」と、そんなことを言うわけです。で、老中はお金をなんとか集めなきゃいけなくなるんですが、そこで貨幣の改鋳を行います。一枚の貨幣に含まれる金や銀の量を減らすことで、貨幣をより多く作ったわけです。例えるなら、一円分の銀しか入っていないのに、これは十円です、って言い張るわけですから、九円儲かるわけです。
K:今のお金の作り方と同じですよね。
I:そうなんです。これを乱発したんです。そうするとどうなるかというと、インフレになります。その結果、江戸の街は好景気になりました。そして、うなぎを食べたり、初鰹に一両なんて値がついたり、みんなで歌舞伎を見に行ったり、お伊勢参りに行ったりするようになったんですね。
K:バブルですね。
I:そう、文政バブル絶頂期というのが、今の日本人の江戸のイメージを作り上げているんです。
K:バブルというのはいつか弾けますが、文政バブルも弾けたんでしょうか。
I:ここが非常に賢いところで、急激なバブルを起こさないようにゆっくりとお金の量を増やしていったんですね。年率にすると1%くらいです。1%というのは現代ではすごく少ないんですが、当時はお金の量というのは減るかそのままかどちらかでしたから、その頃としては1%インフレが10年続くというのは充分に影響力のある数字です。そのおかげでとても安定して成長していきました。
K:まさにインフレ・ターゲットですね。
I:やがてバブルも弾ける、というよりもしぼんで終わってしまうのですが、それはこの政策をすすめた老中が在職中に亡くなってしまったからです。そうするとやはり、「こんな貨幣を乱発するような政策はけしからん」という雰囲気になってきます。そうして引き締め政策、つまりデフレ政策がとられるようになりました(天保の改革*2)。さらに、「商人は儲けすぎている」ということになって、規制が増えていきました。
K:そんなことをすれば大変な失業を生み出しますよね。
I:このデフレ政策によって、江戸というのは、ほとんど街の火が消えてしまったような状態になりました。
K:どこかで聞いたような話ですよね(笑)。1980、90年代の日本みたいです。
I:そうなんです。実は日本は江戸時代の頭からこれを繰り返しています。景気が良くなると意図的に引き締めてしまう。80年代後半からのバブルでも、アメリカのサブプライムローンバブルのように派手に弾けることはしないで、意図的に規制や金融引締めを行って潰しましたよね。そこで問題なのは、弾けたときよりも、意図的に潰したときの方がダメージが少なかったと言えるのか、ということです。
K:とんでもない。長期停滞を招きました。
I:弾けた後に手を打った方が軟着陸となったかもしれません。江戸時代の経済史を見ていくと、景気を重視し商人の活躍を評価する人たちと、商人がのさばるような世の中はけしからん、という人たちのせめぎ合いがあるようです。
K:それもどこかで聞いたことがありますね(笑)。
I:はい(笑)。江戸時代はそれでもいいんです。武家政権なわけですから、お侍が一番偉い。でも現代でも何故かそういう考え方が残っているんですね。
K:経済学部が不人気だというお話がありました。私は商学部なんですが、経済学部よりもさらに人気がないんです。ビジネス、商売、というとさらに女子が少なくなります。MBAというと元々商学部なんですが、こちらは何故か人気があります。
I:女性がビジネスに関心を持つ、ということに抵抗を持っている人がいるんですよね。会社の中に優秀な女性を囲い込もうとしない、結婚退職させる、なんていうのはとんでもない資源の浪費です。女性がビジネスに向かないと考えるのは男だけですね。
K:日本の男性だけですよ。日本は先進国のなかでも女性経営者、女性管理職の割合が極端に低いです。その上でそういう浪費をするから景気が回復しないんです。なので、潜在成長率は2%というお話がありましたが、それを越えて成長するためには、お金を刷って、典型的な働き方をしなくても人びとが活躍できる社会にすればいいんですよね。ある意味これだけなんです。
I:そうなんです。僕は非常に単純な一本道だと思っています。
(四日目はここまで)
(五日目)
![]() 経済成長って なんで必要なんだろう 芹沢一也・飯田泰之ほか |
I:どうやら人間というのは、毎年2%くらい要領が良くなっていくようなんです。人びとが2%分、より仕事ができるようになっているのに、経済の規模が成長しない場合どうなるかというと、毎年2%の人が必要なくなっていくんです。
K:恐ろしい話です。
I:言い換えると、毎年2%の人が失業していくわけです。アメリカやヨーロッパでは、もちろん経済の成長が2%を下回ることはあるんですが、平均すると2.5%~3%で成長しています。こうなると、いつもちょっと人が足りていないような、そういう状態が維持できます。
K:新しく社会に出る若者の雇用が生まれるわけですね。
I:そうです。それに対して日本の場合、1%かそれ以下の成長がずっと続いています。そうすると、だんだん人が要らなくなってくるわけです。長い目で見ると経済成長の源泉は、人びとが仕事に馴れて、そして新しい発明が生まれ、付加価値をより多く生み出していくことです。個々人が2%の成長を繰り返していく中で、新しい産業が起こり、経済全体も成長していきます。ところが、若者に雇用が足りていないと、2%成長するチャンスがない、ということになりますから、周囲との格差が生まれますし、経済も長期的に停滞します。これを防ぐためには、経済が2%成長しないと話になりません。
K:最低限実質成長率が2%ないと社会が維持できないんですね。
I:定常型社会を目指す、とかよく言われますが、定常型社会というのは0%成長のことではありません。人間の成長に会わせた2%の経済成長がなければ無理です。こういうふうに言うと、経済成長はもう出来ない、と言い返されます。これだけ物が豊かな社会のどこで成長するのか、と。この主張に対する重要な反論は「日本以外全部成長してますが、何か?」です。むしろ、なぜ日本だけできないのか説明して欲しい。なぜか日本では若者でも「もう成長をあきらめよう」というようなことを言う人たちがいますね。
K:アメリカもヨーロッパも成長しているのに。
I:はい。しかも、多くの人が経済成長のイメージとして、米を二倍食うとか、服を二倍買う、という感じでとらえているようです。付加価値という考え方が広まっていないんですね。
K:機会費用の考え方が理解されない、というのが今週のテーマのようになっていますが、付加価値の考え方もですか。
I:どうしても量で考えてしまって、もっと美味しいもの、もっとデザインの優れたもの、という質的な経済成長の考え方になかなか至らないんですね。しかし現実には1970年代に量的な成長というのは終わっています。
K:買い物をするときにいつもより高いシャツを買う、とかそういう成長なんですよね。
I:それと、この本で貧困問題について取り組んでいらっしゃる湯浅誠さんと対談しました。何が貧困をつくりだしているのか? デフレと不況がつくっているんだ、ということが、貧困問題を語る人たちの考えから抜けてしまっているように思いました。
K:私も湯浅さんと対談しましたが、そこが議論になりました。湯浅さんは介護や農業にまわればいい、と言っていましたが、それだけでは全然足りないと思います。
I:現在ここまで失業が深刻になったのは、まさしく不況だからです。さらに、不況で失業者が多いですから、上司は部下にプレッシャーをかけやすくなります。「お前の代わりはいくらでも」というわけです。これが生きづらさ生む要因にもなっているでしょう。このように考えますと、様々な問題がありますが、本丸は景気が悪いこと、です。もし景気が良くなって、人手不足になれば企業は労働者の様々な要求に応じるでしょう。例えば、労働時間を自分で選ぶ、とか。
K:なぜ日本では景気が悪くなると長時間労働になるんでしょう。
I:景気が悪くなると、企業は給料を下げたくなるんですが、これはなかなか実現しません。なので同じ月給で長時間働かせることで時給を下げるわけです。デフレで売上げが落ちてますから、企業としてはそうでもしないとペイしないわけですね。
K:デフレだからこそ長時間労働になるんですね。だからインフレ・ターゲットと総労働時間規制を一緒にしないとだめだと思うんです。そこで最低賃金だけ上げてしまうと、単に失業者を増やすだけになってしまう。
![]() 脱貧困の経済学 飯田泰之・雨宮処凛 |
K:民主党はマニュフェストに入れてしまいました。
I:一つカラクリがあるとすれば、日本では最低賃金を守っている企業はほとんどないということです。守っているのは一部の大企業だけ。しかも破ったところで目立った罰則もないですし。なので、今は選挙直前ですが、もしかしたら民主党は最低賃金を上げると主張しても実害はない、と踏んでいるのかもしれません。
K:各政党のマニュフェストを見るたびに、そこが本質じゃないだろう、というような話ばかりです。
I:そうなんですよね。各政党の経済理解の問題もありますが、選挙民の前で経済の話をしてもわかってもらえない、というのもあると思います。インフレにする、なんて言ったら選挙には落ちてしまうでしょうね。増税や再配分のしかたを変更する、というのも同様でしょう。しかし実際には、2%のインフレと2%の実質成長があると、毎年だいたい4.5%税収が伸びるんですね。
K:良い話じゃないですか。今デフレで国債の実質負担がどんどん増えてますよね。額面だけが注目を集めていますが、政府は何を考えているんでしょう。
I:それには財務省内のセクト主義が関係しています。景気が良い時には、国債の額面の金利が上がります。お金を返す時、名目では利子が高くみえるわけですね。それがいやだから、デフレを放置している。
K:ええ!? クーポン(表面金利。国債の額面の金利)なんかより元本のほうがよっぽど大きいじゃないですか。物価が下がれば発行した国債全ての実質負担が上がってしまいます。新しく出す国債の額面の金利なんか問題にならないでしょう?
I:その通りなんですが、「それはウチの課の仕事ではないんで」と言うんですね。「ウチは国債のクーポンを決めるのが仕事であって、返済についてはヨソでやってます」ということです。
K:……。一度二人で行脚しましょうか。国会議員に経済学を知ってもらわないと。
I:どちらの政権になるにせよ、議員の先生方に説明しなくてはいけないでしょうね。ところで、今日紹介した二冊の本の中では、ベーシック・インカムの導入を推奨しています。
K:今の税制や社会保障は、国民を年齢や家族形態で分けて扱っています。そうではなくて、人びとの生活における必要性で分けていくべきですよね。
I:そうですね。そこで一番大きな問題は、日本の若者の場合、税金を取られた後の方が不平等度が上がってしまっているんです。普通の国では、税金というのは多く持っている人から多く取るわけですから、取った後再配分すると、人びとの不平等はちょっと是正されるはずなんです。ところが日本の場合は不平等が拡大されてしまう。
K:特に高所得者の負担が意外と低いんです。これは社会保障料が一定額であるからだと思います。どんなに貧乏でも国民年金保険料には14,660円、どんなにお金持ちでも14,660円です。社会保障における税金の割合を上げて、社会保障料の割合を下げないと不公平感はなくならないでしょう。お金持ちは税金で5割取られてるんだからもう充分だ、と反論してくるでしょうけども。
I:しかしそれも10年くらい前までは最高で75%でした。75%はやり過ぎですが、せめて90年代半ばの水準、60%にはもどして欲しいですね。
K:5割取られるのがイヤな人は法人税にしてしまうんですよね。それでおおむね4割になりますから。他にも抜け穴があります。納税者番号のない弊害です。
I:納税者番号がない、そして消費税がよくわからない大福帳方式、というのが問題です。
K:益税の問題ですね。消費者が税金として支払ったお金が、事業者によって納税されずにどこかに消えてしまう。
I:今日紹介した二冊では、今何が必要なのか語っています。生活が苦しかったり、ビジネスがうまく行かなかったりするその元の原因はなんなのか、知って欲しいですね。
(おしまい)
さて、統計は難しいなあとつくづく思うのですが、日本の経済が過去20年、どれくらい成長したのか、ずばっと言い表すのはなかなか難しいようです。というもの、数値が過去にさかのぼって改訂されることがままあるからです。本編中で飯田先生は「0.数%」「1%かそれ以下」としていますが、扱う数値によって差があるようです。しかしそれでも2%は超えないみたいですよ。(僕の手元にある伊藤元重・下井直毅『マクロ経済学パーフェクトマスター』の付録には2001年までの数値しかありませんが、1990〜2001年の経済成長率の平均は、1.583%です。また、飯田泰之・中里透『コンパクトマクロ経済学』では「1993年から2002年の平均経済成長率は1%前後であり、これは過去の日本経済や最近の先進国と比べてもとくに低い成長率となっています。」[p.170]とあります。)
アメリカの経済学者レベッカ・ワイルダーさんがブログで、FRB、BOE、ECBの比較をしていました。それによると、この3中央銀行の金融緩和は不十分であるかもしれない、とのこと。貸し出しがのびておらず、信用創造が進んでいないので、金融緩和を止めるにはあまりにも早すぎる、としています。もちろんこの比較に我らがBOJは出てきません。だって始めから引き締めてるんだもの。
追記:飯田先生が紹介している伊勢田哲治著『哲学思考トレーニング』を読んで書評を書きました。コチラです。
*2:Wikipediaの天保の改革のページをみると、風紀取り締まりの一環として、歌舞伎の都心からの追放があります。しかも明治まで復活しないんですね。またクメール・ルージュばりに都市住民を農村に強制移住とか、貸出金利の引き下げとかもしてますね。一部の商人が流通を独占しているから物価があがるんだ! として、株仲間が解散させられたりもしました。なぜか21世紀に生きる僕らにとって妙になじみ深い「改革」であります。日本人にとって改革=デフレなんでしょうか。
2009年1月14日水曜日
減税の効果と定額給付
ハーバード大学の経済学教授マンキュー先生がニューヨークタイムスに記事を書いていた。要約すると、不況になると人々はモノやサービスを買わなくなって、しまいには作り出さなくなるので、代わりに政府が買えばいい。すると人々の収入が増えるので、またモノやサービスを買うようになる。と、いうのが伝統的な経済学の教科書に書いてあること。でも最近の研究では政府が公共事業で1ドル使うと、1.4ドル分のモノやサービスが作られてる。ちょっと少ない。で、常々、減税はあんまり効果がないと言われていたけど、これも最近の研究によると、減税1ドル分につき、3ドル分のモノやサービスが作られているそうな。公共事業の倍以上! つまり減税は思った以上に効果があるかもしれない、という話。
この減税の効果についての研究をしたのが、クリスティーナ・ローマー先生で、オバマ政権の経済政策諮問会議(ちゃんとした訳があるはず)の議長に指名された人でもある。なので、オバマ政権は、いままで金持ち優遇政策と揶揄されてきた減税政策にマジで取り組むつもりなんだろう。
で、上のはそのローマー先生のインタビューの動画。オバマ政権の雇用を増やす政策について説明している。要約すると、政府が建物をたてれば建設業の仕事が増えるので、とても分かりやすい。でも減税によって人々がお金を使うとどのような職が増えるか推測するのは難しい。それは人々がどの分野にお金を使うかによるから。でも、減税なら幅広い職種に効果があるはず。そして、作り出される職の数が重要ではないとは言わないけど、職の質、つまりどのような仕事が増えるのか、ということもとても重要。不景気が始まって340万人がフルタイムからパートタイムに移っている。一連の政策で、パートタイムの仕事がフルタイムの仕事に変わるような効果を期待している。健全な経済にとって、「より良い職」はとても重要。単純に職を作り出すのじゃなく、「より良い職」を作り出すことが国民にとっても良いこと。ただお金を使って景気を刺激するだけじゃなくて長期的にも有用な云々。
はい、そこ、ため息つかない。こちらのエントリで書いたけど(そして上手く書けなかったけど)、2003年からの日本の景気回復は、労働力が増えたことによる。つまり職が増えたわけだ。ではどんな職が? そう、派遣やアルバイトの増加や、サービス残業の蔓延などで労働力が安く利用できるようになったので、企業は生産を増やすことができたわけだ。で、国民の生活の質が向上しただろうか。うーん、実感なき景気回復と言われるのも無理はない。
もちろん、回復が無いよりはマシだったろう。でもなあ、人にとって「より良い職」に出会うのはかなり重要なことで、それは不況下では難しくて、だから国は不況を短くする、あるいは特定の職業じゃなくて様々な職が生まれる環境を整える使命があると思うんだけどなあ。
もちろん、減税の効果がホントに以前に思われていた以上にあるのか、よくわからない面もある。でも、こうやってアメリカの動向なんぞを横目で見ていると、我が国って…、という気にはなる。今回の定額給付ってさ、言わば減税じゃん。額が少ないから効果も少ないだろうけど、バラマキだからダメ、という扱いを受けるようなものじゃない。公共事業で特定の職を増やすよりは、なんというか、より民主的な景気刺激策でもあるだろう。額が少ないけど。バラマキ=悪というのは、不景気をナメているとしか思えない。景気が悪いと人が死んだり戦争が起きたりすることもあるんだぜ(放言)。バラマキに一時的でも効果があるのなら、そのことは否定しちゃダメよ。まあ、額が少ないからムキになってもアレなんだけど。
んで、「より良い職」について語る人が少なくないか? と思う。長期的にどうすべきか、という問いが非常に難しいのはわかるけど、それでも「仕事が有るだけマシ」といって諦めてしまうには早すぎるでしょう? 大恐慌時のアメリカのように失業率が25%とかだったら、そりゃ職の質なんかどうでもいいでしょうけどね。