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2009年1月27日火曜日

僕らはみんな(短期的には)生きている

原田泰『コンパクト日本経済論』を読んでいて思うのは、長期的に日本国民がやらなきゃいけないことは以前と変わらない、ということだろう。それは結局、効率を上げる(モノやサービスをより短時間により少ない人数で、より多く生み出せるようになる)、につきる。でも、どんなに古くさくて効率の悪いやり方だって、作る人が増えれば産出量も増える。それは今の日本が良い例で、効率(生産性と資本)は大して上がってないのに、産出量は増えている。

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コンパクト
日本経済論
原田泰
でもそれは、働く人が増え続けない限り維持できない。そして働く人は増え続けない。国立社会保障・人口問題研究所の予測では世帯数は2015年までは増え続け、その後減少に向かうだろう、とされている。が、その予測でも2010年くらいからほとんど増えなくなってくる。今何年? 2009年だ。

気がつくと、街をあるけば空き部屋が目立つ。僕の住んでいるアパートも、下の階は全部空き部屋だし、真下の部屋に至っては、もう一年以上空き部屋だ。

つまり、今後は労働者の数を増やして産出をのばすことは難しくなるだろう。ここ十年の人海戦術はもう使えない。このやり方は「無駄をなくす」のが大好きな人たちの性によく合ったみたいだ。それも当然で、たとえ表面的な変化(成果主義だとか、決算が増えたとか)が目立ったとしても、なんと言っても人件費が下がったのだから、結果的に今まで通りのしくみが温存されたわけだ。既得権を持った人にはそうとう有利な時期だったろう。上手くいかなかったら、「無駄無駄ァッ!」とか言って切り捨てれば良かったんだから*1。そしてたぶん、そういう時期が終わろうとしている。

だから今後の日本は、一人の人間が生み出せるモノやサービスの量を増やさなきゃいけないわけだ。それは新しいしくみを試すことだから、失敗がつきものだ。だから失敗を受け入れる社会を作らなきゃいけない。それが長期的にやらなきゃいけないこと。

では短期的にはどうだろう。そもそもなぜ短期的な政策が必要なのか。それは今苦しんでいる人がいるからだ、と思う。政府がいくら長期的に良い政策を採用しても、今失職している人や、経済的に見通しが立たないので出産や進学を、ときには医療をあきらめなきゃいけない人とか、現金が不足していて黒字倒産しちゃう会社の関係者には何の恩恵もないわけだ。まさにケインズの言う通り、「長期的には我々は皆、死んでいる」んだから。

現金が必要な人のトコロまで届いていないわけで、その理由は、人々が現金の価値をかなり高めに評価して溜め込んでいるからで、それを改善するには、上がりすぎた現金の価値をさげれば良い、というのがリフレ派の主張なわけだ。

具体的には現金の量を増やそうぜ、ということになる。増やしても効果がない、という批判があるけど、それなら効果が出るまで増やそうぜ、というしかない。現金が増え続ければ、いつか必ず現金の価値は下がるから。

つまり、リフレ派の主張は短期的な政策に対してのもので、長期的な政策の話ではない。そりゃ過労死続発でしかも赤字、みたいな企業はさっさとつぶれればいい、と僕も思う。でも景気が良ければ、人はそんな企業で働かないだろう。そうすれば勝手につぶれていくか、改革をするかなわけで、どちらにせよ結構なことです。それでも馬鹿げた労働環境がなくならないのなら、それはもうジャーナリズムのお仕事なんじゃないだろうか。経済政策では手に負えないと思う。

リフレ政策には批判がすごく多いけど、そういう人たちは短期的な困窮にどう対処するつもりなんだろう。ってバブル崩壊からもう15年以上経過してしまっているので短期だか長期だかわからない困窮になってしまった。彼ら批判者たちは、政府が命令すれば既得権益者たちは権益を手放すとでも思っているんだろうか。そんなの無理だよ。それに既得権益者ったって日本人なんだから、日本人全体に良い政策を選んだほうがスムーズに話が進むだろう。その点リフレ政策はかなり使いやすいと思うんだけど*2


*1:実際は「若いヤツはやっぱりダメ」とか「女の子は……」とか「フリーターだったやつは……」とか言ってたんでしょうね。

*2:日銀が国債の買い取りを大幅に増額すれば、国の借金も増えずデフレ脱却にも良い効果があるしでウハウハじゃん。ま、もし実行すればそんなに長く続けられないでしょうけど(インフレが20%とかはイヤですもんね)。

2009年1月13日火曜日

安全な空の旅

お昼を食べながらFox Newsをネットで見てたら、アメリカの航空機事故での被害者がここ2年(ほとんど?)いないよ、という話をしていた。で、専門家が解説してて、技術の進歩のおかげで、危険を回避できるようになったよ、と言ってた。さらに、ヒューマンエラー対策も進んで、機長や副機長がミスをしても、すすんで報告するような体制が整えられたのも大きいよ、とも言っていた。つまり、ミスを報告しても、怒られたり懲罰を受けたりせずに済むようにしたら、ささいなミスも報告されるようになり、危機の回避がスムーズになったという。

航空機が墜落して検証してみると、計器が異常な数値を出しているのに、機長や副機長が「おかしいな、故障かな」みたいな発言を繰り返して、対処せずに事故に至るケースがあるのだそうだけど、こういったケースの教訓なのだろう。

そういえば、以前勤めていた会社は、ある事情から、必ず午後7時までは仕事をしなきゃいけなかった。これは強制とかそういうことじゃなくて、そういう仕事だったから。でも、そこは午前9時始まりの午後6時終わりの職場なのだ。だから当然、必ず1時間は残業することになる。客商売じゃないので、別に10時始まりでも構わない仕事だった。そういう職場だから、どんな人が管理しているのかお分かりいただけると思う。なので「10時始業にしたら?」という提案にも「何時に始めても遅刻するヤツは遅刻する」というよくわからない答えが返ってきて、みんな提案をしなくなった。

無駄な残業代を支払っている自覚が全然なかった。月20時間くらいまで残業代は出ていたけど、さらにサービス残業が20時間ぐらいあった。もちろん始業を1時間ずらしても残業時間は変わらないかもしれない。でも働く側の意識は随分違ったんじゃないかな。満員電車を避けられるしね。

航空機を墜落させない、という目的の前では、職員の態度なんてどーだっていい。「おまえがしっかりしていないから云々」というのはただの責任転嫁であって、本来の目的ににコミットできていないと見なすべきだ。

2008年9月11日木曜日

マイクロマネジメント

マイクロマネジメントってあんまり日本語では聞かないなあと思った。ウィキペディアには項目があるので、知っている人は知っている、という単語なんでしょう。

僕が知ったのはドラマ"numb3rs"だったと思う。アメリカの刑事ドラマで数学者が事件を解決したりするドラマ。で、どっかの管理職が殺されて、捜査官が「彼はマイクロマネジメントだったのか?」と関係者に聞いていた。初めて聞いた単語だったけど、意味はすぐわかった。

ウィキペディアを引用すると、

マイクロマネジメントとは、管理者である上司が部下の業務に強い監督・干渉を行うことで、一般には否定的な意味で用いられる。マイクロマネジメントを行う管理者は、業務のあらゆる手順を監督し、意志決定の一切を部下に任せない。部下の立場から見れば、上司がマイクロマネジメントを行っていると感じられることは多いが、上司がそのことを自覚することは稀であるとされる。極端な場合は、職場いじめや独善性など、病理的な現象としてとらえられる。

(中略)
また、指示・命令を与えることによって、管理者自身が有能さや職務の重要さを示していると感じることもある。このような管理者は、実際には職務に必要な能力や創造性を欠いているにも関わらず、自尊心を満たせる状況を自分で作り上げていると考えられる。
(中略)
マイクロマネジメントを行う管理者は、部下が相談なしに決断を行うことを、たとえそれが部下の権限の範囲内であったとしても、たいへん不快に感じ る。深刻な場合には、社員の自尊心や心身の健康に大変悪い影響を与える。社員が十分な自己評価を持てなくなり、能力の成長を難しくするので、そのような場 合はすぐに転職するのが最良の選択肢かもしれない。

とまあ、そういうことです。よくある話。僕もマイクロマネジメントな上司の下で働いたことはあるけど、そのときの印象から言うと、不安なんじゃないの、と思った。自分に対して否定的な出来事が起こるのを恐れているように見えた。どっちつかずの指示を人づてに出して質問を封じ(その間、上司自身は何処かに行っている)、こちらで判断して仕事のできを見せたらやっぱり怒られた、なんてほんとよくある話ですよね。これって相当ビビってるわけです。もし部下が自分の的確な指示通りに動いて失敗したら、それは自分に対して否定的な出来事だから起こしてはいけないことなんでしょう。

彼らは会社がつぶれない程度の不景気が一番居心地がいいんじゃないかな。そういう時って一致団結!とか堂々とファシズムができるから。そうすれば失敗はファシズムに反対する奴のせいで、成功はファシズムを導いたオレのおかげになる。

どうしたら経済が発展するのか。って人類の大問題だけど、コレって言う答えはない。でも試行錯誤が出来ないと発展しない、とは言えそうだ。で、試行錯誤は当然失敗をするということでもあるので、失敗を病的に恐れるマイクロマネジメントとは相容れない。

失われた10年とか言われるけれど、若者のダメさを繰り返し確認することで言いようの無い不安を紛らわせていただけの10年だったのではないか、そう考えると、不安です。