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2010年3月16日火曜日

結局アレはなんだったんだ・書評・若田部昌澄『危機の経済政策 なぜ起きたのか、何を学ぶのか』

 結局アレはなんだったんだ、と思うことは多い。出来事が起きたばかりの頃は情報は少ないし冷静でもないので、かなりステレオタイプな説明をひねり出すのが精一杯だったりするけど、時間がたつと思っていたのとは全然ちがう側面が見えてきたりする。問題は時間がたって調べ直そうという気にならないという、僕の怠惰だってことはわかってます。

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危機の経済政策
若田部昌澄
 今回の本は経済学者の書いた「結局アレはなんだったんだ」本。取り上げる出来事は三つ。1930年代の大恐慌、1970年代の大インフレ、1990年代以降の日本の大停滞だ。どの出来事も人々の関心を集めたなんてもんじゃない大きなものだけど、結局なんだったのかという検証のほうはなかなか注目されない。

 もっとも、著者も書いているように、大インフレと大停滞はまだ結論を出すには早すぎる。けれど、経済学者たちの間に「何がどうだった」という合意事項がないわけじゃない。本書はその合意のあることとないこと、そして政策担当者たちの経済観と実際に採られた政策、さらにその帰結を時代ごとに追って行く。

 この書評では最初のイベント、大恐慌(本書では大不況)をとりあげたい。30年代の大恐慌は一体何がどうだったんだろう。

 池田勇人は総理大臣に就任するなり金融緩和を打ち出して、一気に日本の景気を良くしてしまったが、彼は大恐慌を「大戦の遠因」と評している(参照)。では当時のそして現代の経済学者はどう考えているのだろうか。

 大恐慌の最中、経済学者たちは安定化論者と精算主義者に分かれて議論していた。安定化論とは経済政策によって不況からの脱出は可能であり、そうすべきだという考えで、清算主義とは不況は経済にとって必要な出来事であり、不況によってこそ経済活動はより効率的になる、と考える。結論から言えば安定化論が勝利する。この安定化論から現在のマクロ経済学が生まれたわけだ。

 では当時の政策担当者(政治家や官僚たち)は大恐慌という現象をどうとらえて行動したのだろう。まず当時は金本位制の時代だったので、不況対策で金融を緩和する(お金を増やす)ためには、金(きん)の裏付けが必要だった。金を増やすにはお金が必要で、お金を増やすには金が必要だった。こんな状況で金を買うためのお金を増やす方法はただ一つ、今まで買っていた何かを諦めて、浮いたお金で金を買うというものだ。そのためには借金を清算し、財政を均衡させなければいけない、という考えが一般的だった。そうして人々の生み出したモノやサービスよりも金こそが大事な時代、つまりデフレの時代が始まった。

 こういう状況で目前の不況に手を打つためには金本位制から離脱する必要があるが、世界の政策担当者の多くは、振り返ってみれば大した根拠もなく金本位制に固執して対策が遅れた。そうしてただの不況が大恐慌に発展していき、各国とも追いつめられる。で、結局金本位制から離脱して金融緩和を実施した国から恐慌を脱出していく。そしてついに大量の金を持っているくせに引き締め気味だったアメリカも緩和に転じ、危機は去った、かと思ったら、景気回復が不十分であるのにローズヴェルト政権は再び金融を引き締め、またもや不況に陥ってしまう(ローズヴェルト不況)。

 現代の経済学者は、当時の不況が深刻化した理由を、不況下で金融を引き締めたことと、金本位制の下では制約が多く、適切な政策が採用しづらかったことであると考えている。

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日本の金融危機
三木谷、ポーゼン編
 こうやってみていくと、現在の日本の停滞とよく似ている。デフレを放置し、財政を均衡させることばかり考え、緩和を実施しながらもすぐにやめてしまう。幸いなことにこんな馬鹿げたことをやっているのは日本くらいのものなので、「大戦の遠因」のようなことにはなりそうもない。ただ日本国民が苦しむだけ。しかし、現FRB議長ベン・バーナンキ氏はかつて次のように述べている。「日本経済の弱さは、日本を自国製品の市場とも自国向けの投資の発生源とも考えている、豊かさで日本に劣る近隣諸国に経済的負担を強いている」(三木谷、ポーゼン編『日本の金融危機』p.158) 日本人だけの問題とも言い切れない。

 ここでは大恐慌を取り上げたけど、本書で一番勉強になったのは70年代を中心とした大インフレを扱った第4章から第6章だった。この時期はスタグフレーションという言葉に象徴されるように、何か矛盾した現象が起きたのだ、と僕は漠然と考えていた。でも、どうやらそうでもなくて、やっぱりこの時期にも金融政策の失敗があったんだということがわかった。例えば需要が超過しているのに金融を緩和し続けたこと、インフレが貨幣的現象であるという理解が広まっていなかったこと、そもそもFRBが政策を決定するときにさえ経済学の知見が活かされていなかったことなどだ。もちろんまだ疑問もある。超過需要(少なくとも当時はそのように見えた)なのに失業率が高止まりしていた時代であるから、謎も多い。本書によればこの時代の研究が盛り上がってきているということなので、これから楽しみだ。

 で、続く日本の大停滞についてもとてもよいまとめになっていて、その時々に経済停滞の原因を主張した説の検証が行われている。20年にも及ぼうかというこの大停滞を説明できる理論はそう多くない。経済学者の意見はやがて集約されていくだろう。その動きはすでに始まっているようだ。

 本書に欠点があるとすれば、とても読みやすいのでうっかりスルっと読んでしまいがちなところだろう。数ヶ月前に読んだのを今回あらためて読み直したんだけど、その面白さと栄養価の高さに驚いた。本文中で言及・参照されている文献が豊富なのも嬉しい。よい読書ガイドになるだろう。数ヶ月前の僕はちょっと急ぎすぎたかなと反省。読みやすい本ですが、結論を急がずゆっくり味わうのがおすすめです。

2009年10月25日日曜日

フツーの社会・書評・落合淳思『古代中国の虚像と実像』

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古代中国の
虚像と実像
落合淳思
 今回書評するのは落合淳思『古代中国の虚像と実像』だ。書店で平積みされているのをみて思わず買ってしまった。本書は主に前漢以前の時代を対象にしている。まず伝説上の王朝「夏」、そして酒池肉林の紂王で有名な「殷」、封建制とか共和制という言葉の元になった「周」、その周王を担ぎ上げて覇権をきそう春秋・戦国時代、初の中国統一をなした「秦」、そして項羽と劉邦の争いまでの通説の数々が、かなり足早にではあるが検証されている。
 
 本書の帯には「最新研究でわかった4000年前の歴史!」とあって、いかにも既存の学説がひっくりかえる新しい証拠が出てきそうなんだけど、読んでみるとそういう個所は多くなくて(文字も残っていない本当に古い時代だけ)、大半は一般的によく知られた歴史に対する常識的な批判だ。そしてその常識的な批判がすごくほっとするというか、ある種の安心感さえある本当に妥当な批判なのだ。
 
 中国の古典を引用して何かを伝えようとする人は、相手を黙らせようとか、無理矢理納得した気分にさせようとか、とにかく良からぬ事を考えているものだ。そういう風に使われるのが故事成語の宿命であるから、その効果を最大限にするために古典のエピソードは「真実」である必要がある。本書の常識的な批判というのはまさにその点をついたもので、「その話が伝わっているのは不自然だ」し、「それが真実であるのも不自然だ」というふうに展開される。
 
 たとえば、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉がある。これは始皇帝が死んだ後に反乱を起こした陳勝の言葉だ。小さな考えを持つ人物は、大きな考えを持つ人物を理解できない、という意味なのはご存知の通り。
 
 なんとなくそうなのかな、と思ってしまうところだが、やっぱりこの発言が残っているのは不自然だ。陳勝は雇われ農民だった。この言葉もその頃の言葉だという。陳勝の反乱はわずか6ヶ月で鎮圧され、陳勝は殺されている。反乱を起こす前の農民の言葉をいったい誰が記録するというのか。
 
 ではなぜ残っているのか。それは司馬遷の『史記』に載っているからだ。本書を読んで感じたのは、この『史記』がかなりくせ者だな、ということ。とにかく『史記』に載っているんだから事実とされてきたけれど、相当長い期間を扱っている歴史書であるから、当然資料が少ない時代もあるはずで、「『史記』のうち、始皇帝の時代から前漢の成立までは作り話が特に多い。混乱の時代は正確な記録が残りにくいのであるから、司馬遷を責めるべきではないだろう(p.162)」と本書にもある。
 
 なんと言っても白髪三千丈の国だから、表現が大げさなのはよく知られたことだけど、ちゃんと考えれば発言そのもの、出来事そのものが伝わっていることがおかしい、というものがかなりある。今度は始皇帝の話で、彼は不老不死になろうとして徐福に霊薬を探させた。んで徐福は日本に来た。みたいな伝説があるが、これも『史記』による。一方で、始皇帝のお墓(の一部)といえば兵馬俑なわけだ。あの巨大な兵馬俑を短期間で作ることなど絶対に無理なわけで、始皇帝は自分の死をしっかり準備してたということになる。はたして彼は本当に不老不死を望んだのだろうか。それはもちろんわからないけど、今残っている資料をもとに始皇帝は不老不死を望んだ、ということはできるだろうか。僕は出来ないと思う。本書では、徐福も実在しないだろう、としている。
 
 とまあこういう具合に常識的な検証がなされていて実に小気味よい。では『史記』とはなんだろうか。なぜこんなファンタジックなエピソード*1が満載なのだろう。本書によればそれは『史記』が比較的平和な前漢という時代に作られたからであり、文学や講談の需要を満たすため、不確かな伝説も多く取り込まれたのだろう、としている。
 

司馬遷は、資料の収集や整理については非凡な才能があったが、その当時は、歴史学はまだ学術として存在しておらず、資料の考証も司馬遷個人では不完全であった。その結果、創作された伝説がそのまま『史記』に記載されてしまったのである。

[p.144]

 本書では文献ごとの特徴などもやさしく解説されてあって、これも面白かった。たとえば『孫子』だが、これは呉の国の孫武の言葉ということになっているが、呉は南にある国であり、船を使った活動が盛んに行われている土地である。にもかかわらず『孫子』には船を使った戦術の記述がない*2。孫武が実在したかどうかも怪しいが、呉の戦術家が書いたものでもないだろう。
 
 先進的な貨幣論を記したとして有名な『管子』だが、これは紀元前7世紀の斉の国の有能な大臣、管仲の作とされている。しかし『管子』が作られたのは戦国時代の後半だそうで、すでに管仲の死から数百年たっているわけだ。社会のありかたからして全く変わってしまっていただろう。なので春秋時代よりも戦国時代の社会を描いた作とみるべきだという。
 
 では信頼できる文献はないのだろうか。本書によれば、『論語』『孟子』『荀子』『韓非子』は、名目上の著者の生きた時期と編纂の時期が近いことから、比較的信頼できるとしている。これらと反対のものは『墨子』『老子』『六韜』だそうだ。
 
 著者は「はじめに」で、

 夢のない話を延々とするので、「現実的な話は聞きたくない」という人は、本書を読まないことをお薦めしたい。また、高校の世界史の授業で教えられている情報が、いかに古く間違っているかとということも述べるので、受験生が読んで混乱するおそれがあることも注意しておきたい。


と書いていて、「おわりに」では、

 本書は、虚像をできるだけ排し、古代中国の実像を提示することを試みたが、どちらかと言えば普通の古代社会であり、あまりおもしろみのない歴史だったかもしれない



なんて書いているんだけど、なかなかどうして、僕にはとても面白かった。聖人君子や豪傑じゃない普通の人々の社会があったんだと知ることで、信頼度の高い文献もファンタジックな故事成語も、どちらも普通の人々の残したものだと納得できた。この本、とてもおすすめです。特に『論語』を読んでいる人は改めて『論語』が好きになってしまうかも。

*1:『史記』には、孔子が妖怪について得々と解説するシーンがあるそうだ。孔子は怪力乱神を語らず、のはずなのに。というのを去年放送してたアニメ『魍魎の匣』でやってました。

*2:三国志に出てくる曹操といえば『孫子』を熱心に研究していたことで有名だけど、彼はまさに船を用いた戦術をうまく使えず赤壁の戦いで大敗してしまう。

2009年7月22日水曜日

読んでみた・ジル・ドスタレール『ケインズの闘い』

"The Art of Learning"はちょっとお休みで、今回はジル・ドスタレール『ケインズの闘い』について。

何せ五千円以上もする本なので図書館で借りて、で、もうすぐ返さなければいけないので、急いで感想など。

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ケインズの闘い
ジル・ドスタレール
ジョン・メイナード・ケインズが誰か、なんて説明はいらないだろう。とにかく市場に任せておけば全てはやがて効率的になる、という古典経済学に反旗を翻した人だ。この本はケインズの伝記のようなところもあるけれど、重点が置かれているのは彼の思考や主張で、友情や恋愛など人間関係はそこそこ詳しく描かれるものの、あくまで彼の考えの道筋を説明するためのものだ。

そのケインズの考え方の基本は、「不確実性の性格を考慮すると、将来の善のために現在の幸福を犠牲にすることには危険がともなう」[p.208]というものだ。有名な「長期的にはわれわれは皆死んでいる」というやつですな。この考え方があるので、彼は計画経済、つまり共産主義を敵視したし、物事が時空を超えて理論通り振る舞うと信じきっている古典経済学を攻撃したわけだ。

とはいえ、ケインズとその仲間たちの話もかなり面白い、が、それは実際に読んでもらった方が100倍楽しいこと間違いなしなので書かないで、ここではケインズとケインズ以前の経済思想をさくっとみてみよう。僕は経済学を専門的に勉強したことはないので、まったく的外れなものになる可能性大なのでご了承を。

なんといっても経済の大問題は失業だ。失業を放置すればやがて国が傾く。では、ケインズ以前の経済思想は失業をどうみていたのだろう。

セイの法則で有名なフランスの経済学者ジャン=バティスト・セイは、供給があればそれと同じだけ需要もあるので、非自発的失業は存在しない、という考え。ま、古典的ですね。無茶いうな、という気もします。

次にデイビッド・リカード。イギリスの人ですね。ミスター比較優位。彼は、生産力が短期的に跳ね上がると失業が発生することがある、が、需要が足りないということなどありえないと主張。リカードはラッダイト運動(紡績機ぶち壊し運動)にある程度共感してたそうで、これは驚きだった。なんとなく自由主義を愛するオジサン、というイメージだったので技術革新にはもちろん肯定的なのかなと根拠なく思ってた。やり手の商人だし。

セイとリカードに共通しているのは、需要不足の否定、だ。貯蓄は将来の消費であるから、その分需要を生む。なので貯蓄=経済発展。だから金持ちの貯蓄は美徳である、と。

そして最近じゃすっかり偽予言者扱いのマルサス。この人もイギリス人。彼は貯蓄の購買力(お金の量)だけが問題なのではなく、買う意欲も重要だ、と考えていたそうで、つまり有効需要のアイディアですね。お金を貯めるだけで使わない人がいれば、そのお金の分失業が生まれる。買う意欲(=需要)が足りなければ失業が発生してしまう。だから買う意欲のないケチンボをなんとかしなきゃ、と。

そしてケインズはこのマルサスの考え方を完全に受け継いでいて、その最も過激な主張が、金利生活者の安楽死、というアイディアだった。まあ本気かどうか知りませんけど。さらにマルサスといえば『人口論』、人口は幾何級数的に増えるけど食物は算術級数的にしか増えないからアレだ、というアレですがケインズはこの見方にも共感していたそうな(wikipediaのリカードの頁をみたら彼もマルサスの人口論には賛成していたそうです。当時はすごく説得力が感じられたんですかね)。

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雇用・利子
および貨幣の
一般理論
J・M・ケインズ
ケインズはリカードをずいぶんこき下ろしていて、マルサスではなくリカードが学界で地位を確立したことで経済学は100年遅れた、とまで言っている。また、のちに『雇用・利子および貨幣の一般理論』とよばれる本の校正をしている時、ケインズはバーナード・ショウに、自分の新しい理論によって、「マルクス主義のリカード的基礎は打ち壊されるでしょう」[p.435]と言い、さらにヴァージニア・ウルフには「古いリカード体系が打ち捨てられ、すべてのことが新しい基礎のうえに築かれるのをあなたは見るでしょう」[p.436]と言ったという。

ケインズによれば経済を発展させるのは貯蓄ではない。貯蓄はケインズが唾棄しつつも慣れ親しんだヴィクトリア朝のいやらしい偽善的な道徳であって、人々にとって有害である。アニマルスピリットに導かれた投資こそが経済を発展させる。また、貯蓄は格差をいっそう拡大し、永続的なものにしている。だからこそ、金利生活者に安楽死を、という過激な主張がうまれたようだ。

ケインズ自身はエリート主義な人だった。そのせいか労働者の自己責任みたいな話には我慢ならなかったようだ。本書の最後の文を引用しよう。

 ケインズの見るところでは、貧困・不平等・失業・経済恐慌という問題は、外生的な偶発事でもなければ、不節制に対する懲罰でもなく、むしろそれは、十分に組織されていない社会や人間的誤謬の結果である。したがって、大きな改革の実行によってそうした問題を緩和すること、あるいはそれを解消することは、都市国家に集結した諸個人の手にかかっている。このような改革は、われわれが今日知っている資本主義経済の状況のなかで可能なのだろうか。ケインズは、それが可能であると信じていたか、あるいは少なくともそうであることを望んでいた。<福祉国家>の確立は彼が正しかったことを証明したように思われたけれども、情勢は一変した。それでもなお、資本主義の健康状態についての彼の診断ーー今となっては半世紀以上も前に提示されたことになるーーは、これまでよりもさらに適切なものとなっている。将来に何が起こるかを知っていると主張することは、誰にもできない。しかしながら将来をつくることは、われわれの手にかかっている。おそらくこれが、ジョン・メイナード・ケインズの主要なメッセージである。
[p.570]

 

2009年6月26日金曜日

書評・海音寺潮五郎『中国英傑伝』

中国の古典は、なんというか、僕にとって秘密の先生みたいなものだ。論語の話を誰かとすることなんてないし、王陽明なんて名前を知っている人はあまりいない。だからまるで僕が中国古典を幾つか愛読しているってことが隠し事みたいな気がするときがある。といって、僕が中国古典に詳しいと思われては困る。自慢じゃないが漢文は全く読めない。書き下し文も怪しい。訳文を読みながら、たまに書き下し文を見て使われている漢字を確認するくらいの幼稚な読み方しかできない。

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中国英傑伝
海音寺潮五郎
で、この本だ。海音寺潮五郎の『中国英傑伝』。上巻は主に項羽と劉邦の話で、下巻は春秋時代、つまり孔子が生きていた頃の話だ。この本は、タイトル通り、その時代の英傑たちのエピソードを楽しく分かりやすく書いたもので、とてもスピーディに話が進んでいくので気持ちがいい。中国古典の背景を知るのに最適な本だと思う。

時系列で見ると、まず周王朝の時代があって、春秋時代その後戦国時代となり、秦による統一、項羽と劉邦の激突、漢の成立、となる。あとがきによると著者は戦国時代についても書くつもりだったけど、体調が思わしくないということでやめたらしい。すごく残念だ。

とはいえ、英傑たちの数は多く、下巻だけでも、斉の桓公に晋の文公こと重耳、伍子胥と孫子(孫武)、魯に帰ってきた孔子と弟子の子貢、呉王夫差に越王匂践、夫差の側近伯嚭に匂践の側近范蠡と文種などなど、オールスターといっていい。

ある意味あきれてしまうのだが、こんなに登場人物が多いのに、各人各様の人生があるもので、しかもそれぞれに道行きの理由というか必然性のようなものがある。古典からダイレクトに教訓を引き出すと、なんだか薄っぺらい説教にしかならないものだけど、この本の英傑たちの人生も同様で、何か単純な教訓が学べたりするわけじゃない。ただ人がしがちなこと、考えがちな事、苦しみがちな事がよくわかる。人が何につまずいて、何に拘るのか。人間とは何なのか、ということの症例がたくさん載っている。中国古典が取っ付きづらいときは、この本がいいと思う。当時一体何が問題だったのか、人々の関心事は何だったのか、おぼろげながら雰囲気がつかめると、古典のほうも読みやすくなるんじゃないだろうか。

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孟嘗君と戦国時代
宮城谷昌光
ちなみに、戦国時代については、ごく最近出た宮城谷昌光『孟嘗君と戦国時代』という本がいいと思う。まるで『中国英傑伝』から漏れてしまった戦国時代を埋めるかの様な本で、特に孟子の入門的な解説になっていて、とても面白かった。孟子の時代にはまだ論語が成立していなかった、という話は不勉強な僕には衝撃だった。孟子は「たとえ孔子が言った事でも、自分が納得しなければ信じない」というようなことを言っていたと思うけど、なるほどね、まだ論語がなかったとなれば、孔子の言葉として伝えられるものもちゃんと吟味しないといけなかったんだろう。

2009年4月29日水曜日

『占領下三年のおもいで』について

このエントリは書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』(とその補足)のつづきです。

池田勇人は昭和24年に大蔵大臣に就任した。この『占領下三年のおもいで』(以下『おもいで』)という文章は、それから3年間の出来事を実業之日本編集局長山田勝人に語ったものを編集したものだ。文庫本で100ページ近くあり読み応えのあるものになっている。

で、タイトル通り、占領時代の話なわけで、「はしがき」に次のようにある。

記憶をたどってみると随分面白い話がある。しかし、なにぶんにも生々しいことが多いし、日本も国際社会に独り立ちするようになったのだから、よその国に直接迷惑の及ぶ話しはしないのが礼儀である。それから、個人的な攻撃にわたることもいうべきでない。あの人のためにひどい目にあったという想い出ばなしは、「交断つとも悪声を出さず」という君子の道徳に反する。[p.219]


さすが19世紀生まれ、という感じです。つづいて、世の中から学者といわれるような人がソ連を含んだ全面講和がなされないのなら占領継続のほうがマシ、とかいう人がいるけど信じられないよ、と述べて本文がはじまる。

『均衡財政』では戦後の経済を立て直す政策の解説をしたわけだが、『おもいで』ではその政策を決定するまでのいきさつや、あるいは実現されなかった政策について語っている。

さて、池田が蔵相になったのはドッジの来日直後であった。

私は、昭和二十四年の二月に大蔵大臣になったのだが、それはワシントンから日本経済安定のための九原則が出されて、ドッジがその最初の具体化のために日本に来た直後だった。その時まで、日本の経済はインフレーションの渦巻のなかで崩壊の一歩前にあり、国の予算なども、四、五ヶ月に一度位ずつ補正予算を出す有様で、おまけに国会に安定勢力がなかったから、多い時は数回補正予算を出したことがあったと思う。そうなると、それはもう予算というよりは、大福帳に近いもので、国がその日暮らしをしてきたわけである。ワシントンでも、この有様をこれ以上放置しておけないとみて、ドイツで腕前を示したドッジを東京へ送ったわけだが、丁度一月の総選挙で、民自党が絶対多数をとったために、国内的には、腹さえ決まれば、かなり強引な手術ができる基盤はあったわけだ。[p.220]


ドッジと池田はまず政府の補助金を大きく減らすことで一致するが、この案が司令部では随分と受けが悪い。

[学者の他に:引用者] また司令部内でも、ニュー・ディールの系統を受けた若い理論家達が多かったので、ドッジと私との一致した結論には内外に猛烈な反対があった。[p.221]


二人は反対を押し切ってしまう。そして、

その時ついでに、もしこれが巧くいったら、三年間のうちに全部補給金を切ろう、最後に主食が残るかもしれないが、そこまでゆけば、その時米の統制撤廃ができればよし、できなくとも補給金の額は知れたものだという話をして、二人の間で三年先の約束をした。この約束は九分通り達成されたわけだが、朝鮮動乱が起きて、中共が介入してきたために、今日に至るまで米の問題だけが解決できないでいる。[p.222]


もう一つできなかったのが減税だ。池田の意を察した民自党の幹部がドッジに掛け合ったのだが、

占領軍が日本の国内のポリティックスのために動かされたといわれるのがいやだったから[p.244]


という理由で断られてしまったようだ。池田とドッジは大まかな方針では一致しつつも、具体的な政策では常にもめていた。で、その大まかな方針というのは、財政を均衡させながら国民の生活水準を高めるというもの。

彼[ドッジ]は古典的資本主義の信条を持ち、またその方法論を適用して日本の経済危機を救ったのだから、なるべく金のかからぬ政府を作ろう、という根本的な方針には賛成の人ではあるのだが、冷酷なまでに徹底した信念は、時として、私を困らせることがあった。[p.225]


そうしてインフレが収まると、こんどはデフレの危機が迫ってきた。『均衡財政』にもあるが、池田はリフレ政策の承認を得るために渡米することになった。その前にマッカーサーと面談することになったのだが、その様子が面白い。長く引用しよう。

私は昭和二十五年の四月、渡米するに先立ってマッカーサーと会った。有名な何とかいう百姓のようなパイプを右手にしてマッカーサーが開口一番「金は、」といった時、サスペンスもあり十分な役者であったが、その説くところの深いのには感心させられた。彼は要するに「金」は何世紀の間人類の交易の手段であり、したがって和解の手段であった。ところが、今やその大部分が米国に集まってしまった結果、各国の間の交易の手段は失われんとし、それにしたがって和解の道も閉ざされようとしている。しかも、金に代わるものはまだ生まれていない。その結果としてアメリカには「過剰のための貧困」があり、丁度日本の「貧困のための貧困」と対照をなしている。いずれも困難な問題である。というのである。「金」に代わるものは「信用」なのだ、と私はいおうと思ったが、マッカーサーは一度話し出すとなかなか雄弁で止まらない。「そもそも大蔵大臣というものは」というのが次のセンテンスの始まりで、大蔵大臣は国民から憎まれることをもって職とせねばならぬ(彼がこの時腹の中で、私がその一月ほど前にいった中小企業の五人や十人つぶれても云々ということばを想い浮かべていたことは明らかである)、何となれば、大蔵大臣の職務はできるだけ国の費用を切り詰め、国民の租税負担を軽くすることでなければならぬ。支那の王道は、国民の税金を減らすことを最高の目的とした。古今東西政権の交代をみるに、政道にある者が奢侈にわたれば必ず百姓は一揆し、逆に質素を旨とする王者は長く民生の安定をえている。そこで、貴下の当面の問題は、まず日本国民の税金を減らすこと、それから官吏の給料がいかにも低いから、これを適当に引き上げて、徐々に国民生活の向上をはかることであろうと思う、というのがマッカーサーの考え方の趣旨であった。[p.226]


立派な考えだなあと素直に思います。池田もその点を認めていて高く評価している。が、

ただ、これだけ立派なマッカーサーの考え方が、時として、実際の司令部の行政の上に十分に反映されなかったのは、遺憾というほかはない。[p.227]


反映されなかった理由として、マッカーサーが孤高の人なので、彼の考えを周囲はよく理解できなかったし、彼の考えの勝手な解釈が司令部にあふれて、衝突し、統一のとれぬまま日本政府に押し付けられたため、としている。

さて池田の渡米は経済政策の承認をドッジから得るためだけではなく、経済の好転から独立の気運が高まったきたために、ワシントンに打診するためでもあった。と、ここで先に進む前に、当然の疑問に答えている。

経済問題については、一見、東京の司令部の承認さえ得れば、よさそうに思われるかも知れないが、その時すでにドッジの名は、日本の経済再建から切り離せないまでに高く、彼と交渉せずに、東京の司令部が独断で、財政経済政策の決定をすることは、事実上困難であった。むしろ前にのべたように、当初ドッジの補給金削減案に反対した東京のニュー・ディラーたちは、私などに対しても冷ややかな態度であっただけに、吉田総理としては、東京の司令部の威厳を損なわぬように非常な努力を払い、私の渡米問題についても、マッカーサー元帥とは十分打ち合わせをしたようである。[p.229]


そして渡米と相成るわけだが、彼の地において、一行は「高からず安からぬ中位のホテルに入れられ[p.230]」余計なことを言って東京の司令部を刺激しては困る、ということでタイトなスケジュールが組まれていたそうだ。ここで白洲次郎が登場してくる。

同行した白洲次郎君ははじめ一日くらいは行動をともにしたが、二日目くらいから、自分は財政経済は全然分からぬから見学しても無駄だ、昔の友達がたくさんいるから、油を売ってくる、といい出し、彼だけは行動の自由を確保した。昔の友達というのは、ロックフェラアとか、グルウだとか、政府の役人にとってはうるさい人ばかりで、そこへ出掛けて、白洲君が何をいい出すか分からぬというので、陸軍省や国務省の人は随分気を揉んだらしい。何しろ、日本政府の代表者が占領軍のワクの外で物をいう最初の機会であったから、白洲君は十分に自由を行使して、講和の最初の固めをしたようだが、詳しいことはここではのべない。[p.231]


その次の文は随分謎めいている。

私は吉田総理から一つ「大事なことづけ」をされていた。それを然るべき人に然るべき場合に伝えるのが、他の経済問題より遥かに重大な使命であった。その機会をねらっていたが、色々考えて、結局、ある土曜日の午後、人気のない陸軍省の一室でそれをドッジと、日本問題を担当しているリード博士に伝えた。ドッジは国務相の顧問をかねていたので、これを伝えるのに不適当な人では無論なかったが、あえて彼を選んだのには少しわけがあった。そのわけはいずれのべる時機がくるだろう。[p.231]


さて、独立についての話は、というと、

結論だけをいえば、当時のワシントンの空気は、国務省は、占領が長びくと問題がうるさいから、とにかく、日本を独立させてしまえという論であり、国防省はあれだけの国をみすみす共産勢力に渡すわけにはゆかない、占領にあきてきたのはわかるが、それならばできる限りの自主権を日本に与えるいわゆる「戦争終結宣言」というような形をとるのがよくはないか、ただし、マッカーサーは一足飛びに講和条約に行けという主張だから、うまくこれに賛成するかどうかわからぬ、仮に賛成しなければ勢い現状維持ということになっても仕方がない、という考え方をしていたようである。[p.236]



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均衡財政
附・占領下三年の
おもいで
池田勇人
帰朝後、池田が吉田総理にした報告の抜粋がのっているが、これも面白い。ジョンソン国防長官とアチソン国務長官の相違、トルーマンの性格、ダレス日本担当官の影響などが記されている。が、すでに僕は本文を引用しすぎていると思うので、ここら辺でやめよう。次に「今日に至るまで米の問題だけが解決できないでいる」という米の統制の問題について書いて終わりにしよう。

米の統制撤廃は、インフレの間は農家に非常に人気のあるスローガンだったので、政治家達は声高に訴えていたけど、インフレが収束していくと、とうの農家が統制撤廃に反対しはじめた。つまり、物不足のうちは、いくらでも高く売れるのだから価格統制なんて邪魔以外の何者でもない。市場価格のほうが公定価格よりもかなり高いのだ。だからヤミで随分もうけた農家がいる。が、物の生産が回復してくると、当然、物の値段は下がる。だから今度は価格を統制して、市場価格より高く売りたい、というわけだ。補助金の問題というのは大体こんな感じなんですね、今も昔も*1

この後は司令部とのうんざりするような交渉、朝鮮戦争の勃発、講和条約のための国内調整(ここでは麻生太郎総理大臣のご両親が登場する)、そして講和会議の様子が描かれている。どれも無類の面白さなので、是非読んでみてください。最後に池田がとくに記しているフランスの外務大臣ロベール・シューマンの講和会議での演説を引用しよう。

「条約が寛大なのはただ人類愛からそうしたのではない。勝った者が負けた者をむやみにいじめても、結局、強い者は再び頭をもたげてくる。そういう現実的な考慮が今度の条約の底に流れている」とのべ、「フランスとしては今日のように不安な世界でこういう条約を結ぶことに、多少の危険がともなっているのは知っている。しかし、ひっきょう世の中に、絶対たしかだというものは無いのだから、まずまず危険の少ない方を選ぶしかないだろう」。最後に「われわれの平和のための努力を、たえず組織的に、また継続的に、曲解をするむきがあるのは遺憾だ」といったが、ソ連の名もあげず、だからどうしようともいわずに、ひょこひょことまた壇を下りて行った。
ことばも簡潔だが、いっていることがおよそ現実的で、どこか地方の村会の、年寄りの議長の報告を聞いているようであった。[p.310]


*1:米の補助金って今もこんな感じなんでしょうか? よくしりません。ただ、川島博之『「食料危機」をあおってはいけない』みたいな本を読むと、まあ外国でも当たり前のようだし、問題の規模としても小さく感じるのでどうでもいいか、と思わなくもない。もちろん保護されている分だけ消費者が負担しているわけだけど、当面はしかたないかな、と。

2009年4月27日月曜日

補足・書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』

先日のこのエントリの補足です。

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下村治
「日本経済学」の実践者
上久保敏
池田勇人といえば所得倍増計画。そしてその経済政策のブレーンといえば下村治。なのだけれど、『均衡財政』では下村の名前は出てこない。下村治については上久保敏『下村治「日本経済学」の実践者』が最近出た。未読。さらに下村治の『日本経済成長論』も復刊された。未読。

『均衡財政』で扱われている時代はインフレの時代だった。日本は戦争を経て、モノを造り出す能力、つまり供給ががくんと落ちてしまっていた。でも需要のほうはそれほど減っていないから、モノがたりなくなって値上げしやすい状況にあったわけだ。そうしてヤミ市場が生まれていった。つまり「もっと金をだせば売ってやる」というわけだ。供給は短期間にどうにかなるようなものじゃない。人口が増えたり、教育が行き届いたり、労働環境が整ったりしないと伸びない。なので需要のほうを供給にあわせなきゃならなかった。これが均衡財政ってことだ。

翻って2009年の日本は供給は充分にある。足りないのは需要だ。これはバブル崩壊以降変わらない。そしてこれを放置するとデフレになる。

私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。[p.55]

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日本経済成長論
下村治
とあるように、池田の時代と状況がちがうからといって、彼の言葉が現在に通用しないわけじゃない。彼はドッジと共にインフレと戦って日本を救ったが、昭和25年にはリフレ政策の承認を得るために渡米しているのは先日書いた通り。結果的には朝鮮戦争が起こり経済はインフレになったが、決してインフレを抑えるためならばデフレもやむなし、という人じゃない。それも当然で、少ない需要に多すぎる供給をあわせるってのはつまり、ラッダイト、なら穏やかなもんで、人に死ねといっているようなものだからだ。

池田は国民の自発的な貯蓄を促すために腐心した。1400兆円といわれる個人資産は、その成果といえるかもしれない。本来ならその資産は金融市場を通して生産的な活動に利用されるはずのものだ*1。だがそうはなっていない。


追記:本書に納められている『占領下三年のおもいで』についてのエントリを書きました。

*1:池田はそういった資産を「貯蓄国債」を発行して利用しようと考えていたようだ。

2009年4月24日金曜日

書評・池田勇人『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』

毎度更新のペースが一定しないけど、こんなもんです。

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均衡財政
附・占領下三年の
おもいで
池田勇人
さて、今回読んだ本は池田勇人著『均衡財政 附・占領下三年のおもいで』。以前に、池田勇人の側近であった伊藤昌哉が書いた『池田勇人とその時代』の書評を書いたときから、読まなきゃいかんなあと思いつつ先送りにしてきた本。なぜってそりゃあ本書のタイトルが不吉すぎるから。今世界は100年に一度とかいう経済危機に直面しているわけで、こんな時に均衡財政(税収と政府の支出が釣り合っていること)の維持なんか自殺行為だ。人々がお金を使わない、これつまり不況なわけで、そのために人々は充分な所得を手に入れることができない。そんなときは政府が代わりに使いまくる! そうして所得が増えれば、人々は安心してまたお金を使うようになる。ここで政府が何もしなければ、どこぞの国みたいに失われた10年とかそんな目にあうという寸法ですよ。

で、均衡財政を目指せば国債の発行には消極的になるに決まっている。国が借金をすれば一時的に出るお金がふえるけど、長期的には使えるお金が減るんだから。だから今となっては不吉なタイトルだった。でも本書を読みはじめてすぐに杞憂だったことが分かった。池田のいう均衡財政とは国民の自発的な貯蓄を促すためのものだった。ま、本書は不況対策についての本じゃないからあたりまえなんですね。でもさ、ほらどこぞの国だとさ、不況だって言うのに増税とか以下略。

本書は昭和27(1952)年*1に出版された。つまり日本が独立を回復した年だ。池田は昭和23(1948)年に大蔵省を辞めて翌、昭和24(1949)年に衆議院議員になってそのまま大蔵大臣に抜擢されている。その大蔵大臣としての三年間の政策をみずから解説したのが本書だ。この年までの経済状況をビックリするくらい簡単にまとめると、終戦後は激しいインフレ→それを抑えるための超均衡予算(ドッジライン)実施→あれ? 全体的にはいい感じなんじゃない?→朝鮮戦争勃発→特需とよばれる異常な好景気→それも一段落。戦争成金がブーたれる、といった感じ。この本では朝鮮戦争ではなくて、朝鮮動乱と呼ばれている。その朝鮮動乱が終わるまであと一年、という時代。

本書は実に充実の一冊であるので、なかなか要約が難しい。ので、三つのテーマを取り出して、それらに沿って概観していこう。なのでこの三つのテーマが順番に出てくるということでは、もちろんない。

一つ目は終戦から昭和27年までの日本経済の解説。主にインフレ対策について。二つ目は現在、つまり昭和27年の日本経済が持つ問題を税制や金融制度を通して語っている。そして三つ目はこれからの日本はどうあるべきかという問い。これを経済政策を通して語っている。

三つのテーマは本書のあらゆるところで、時には同時に顔を出す。池田の説明は常に具体的な数字に基づくが、小さな辻褄に拘泥しているのではなく、決して全体を見失わない。なので読者は個々の政策の来歴というか必要性を実にスムーズに理解できるようになっている。

ではまず一つ目。終戦後の日本経済について。ここからは(僕の勝手な)要約を赤くする。でこの書評の地の文はそのまま。

インフレはモノと金のバランスが崩れたところから起こる。敗戦後は何よりもまず生産の増強が優先された。生産の増強は復金を含めた財政赤字によって行われ、そのためにインフレが生まれたが経済的基盤が脆弱であるので、放置されていた。そこで、昭和24年に銀行家ドッジ氏が来日し、「超均衡予算」が組まれた。これが上手くいってインフレは収まった。一個人や一企業には厳しいこともあったと思うが、全体としてはどうしても必要なやむを得ない措置だったと思う。


その後朝鮮動乱が起こるんだけど、その影響について。

「特需」は均衡財政下での不安を一気に追い払ってしまった。が、昭和26年には異常なブームは収まっていた。「特需」がなくても日本経済の回復は順調であったと思う。


そして二つ目のテーマ。現在(昭和27年)の日本の問題。

インフレのせいで資本の蓄積が進んでいない。これからは更なる減税を通して資本の蓄積を促したい。銀行のオーバーローンというのが問題視されている。つまり銀行が手元の預金額に比べて大幅に貸しすぎているという問題。「特需」の後ということもあり、不況になるんじゃないかと心配されているので、オーバーローンを今すぐ解消しなくてはいけないと考える人々も居るようだ。


このオーバーローンという問題は、なんだかバブル崩壊以降の不良債権問題と似てますな。で、池田はこの問題は解決するに越したことはないが、今すぐである必要はない、という。経済が成長していく過程で解消に向かえばそれで良い、とする。

そしてやっぱりオーバーローンの原因は資本の蓄積が足りないこと。そもそも資本が少ないから、銀行の貸し出しに頼った企業経営をするしかなかったのであって、その解決策も銀行をどうにかするのではなくて、資本の蓄積と金融市場の整備を進めて資金を調達しやすくする政策が妥当である。


インフレはお金の価値が下がる現象なので、そうなるとだれもお金を貯めようとは思わない。だから銀行はお金を集められなくなる。なので預金よりもかなり多めに貸し出しをしなければ企業はつぶれていくだけだった、ということだろう。で、その銀行をなんとかするだけじゃ意味ないよ、と。うーん。大局観というやつですな。

三つ目。今後どうするの?

ここからは引用をしていこう。まずもっとも大事な目標は何か、というところから。

われわれは、心から世界平和の維持を念願する。だから、日本経済の運営に当たってもまた、この念願を実現するために、必要な経済条件を造り出すことが根本の目標とならなければならない。では、どういう経済条件が世界平和の維持のために必要だろうか。  第一には、国民の生活水準の向上をはかること。第二には、失業者を減らして完全雇用を維持すること。第三には社会福祉の増進をはかること。第四には、これらのことを、わが国だけで実現するのでなく、他国と互いに協力しつつ実現して、世界人類全体の安定と福祉を増進してゆくこと。[p.42]


均衡財政とか、健全財政とかいうと、なにか消極的なものに考える向きもあるかもしれないが、しかし、われわれの目標は、経済の進歩、発展、というところにあることを、ここに強調しておきたい。[p.43]


この目標が達せられなかったらどうなるのか。

人間が働く意志を有しながら、働くべき職がないということは、誠に堪え難いことであり、不幸なことである。失業が社会的な疾病ともいうべき慢性的な状態になると、偏った思想が生まれ、戦争が誘発される。第二次世界大戦が、遠く1930年前後の世界的不況に起因するという見方は、決して間違っていない。[p.45]


国民の生活水準を向上させ、完全雇用を継続するとともに、生産技術の進歩、働く環境の改善、公衆衛生の向上、教育の普及、文化の発展、社会保障の増進などを図ることは、近代国家の任務である。このような経済的社会的進歩発展が続けられてこそ、その進歩発展を阻害し、ひっくりかえす戦争を避けようとする意志も、また確固たるものとなる。[p.46]


池田のいうことは、今の日本には当てはまらないのだろうか。この十五年、池田が掲げた世界平和のための四つの目標のうち、生活水準の向上と完全雇用の維持については、なぜかあまり語られなくなっているように思う。んでは、どんな経済政策がいいんでしょう?

私は、大蔵大臣として過去三カ年余りにわたって、いわゆるディスインフレ政策を実行してきたが、私の基本的な政策は「健全な経済」を維持するということである。その意味は、インフレも抑えるがデフレも避ける、そして経済の発展を円滑にかつ継続的ならしめるということである。インフレは国民の道徳を害し、デフレは国民の思想を偏せしめる。私は、大蔵大臣就任以来ずっとこの考え方を通してきた。これが一般にディスインフレ政策とよばれたのは、たまたまその間に、急激な悪性インフレの克服に努力し、一応の安定を回復するや、今度は、朝鮮動乱勃発に伴うブームに対処しなければならなかったためであって、経済諸条件がディスインフレ政策をとることを必要としたからである。[p.55]


つまり、戦後の経済状況故のディスインフレ政策であって、状況が変われば、当然政策も変わる。

国民こぞって真剣に努力した甲斐あって、あのひどかったインフレがほとんど何の混乱もなく、世界史上まさに「奇跡的」といってよいほどに収束された。ところが、昭和二十五年の春頃には、私の予想したとおり安定恐慌的な現象がでてきた。私は自分の政治的感覚から見て、どうしてもデフレ傾向の緩和をはかるべき程度まできていると考えたので、早速司令部の人たちにこの意見をのべた。結局ドッジ氏に直接経済情勢を説明してその了解を得ることが必要だ、ということになり、減税、輸出増進のための輸出銀行の設立、預金部資金の活用、官公吏の給与引上等のリフレーションというか、言わばディスデフレ的ないろいろの腹案を持って私が渡米することになった。[p.56]


この案をドッジは承認したのだが、朝鮮戦争勃発のために経済は再びインフレ基調となり政策も再びディスインフレ的になっていった。それにしても当時の読者にはリフレーションという言葉はおなじみだったみたいですね。

以上のように、私はインフレとデフレを、ともに調整することを、財政金融政策の任務と考えている。従って、講話によって独立したからといって、この基本的な考え方を変更すべきだとは考えていない。基本的にはあくまで「健全な経済」を維持してゆくべきである。今後の財政金融政策の基調が、ディスインフレか、ディスデフレかは、今後の経済条件の変化如何にかかるのである。[p.57]


ここまで長々と引用したのは、池田の視点があくまで全体的なものであることを示したかったからだ。池田は、個人や個々の企業については自由で民主的であるべきで、今の(もちろん昭和27年の)経営者は政府に頼りすぎていると思う、と書いている。「近代国家の任務」は環境の整備であって細かいことに口を出すことじゃない。そういった考えが、有名な「貧乏人は麦を食え」「ヤミをやっていた中小企業の五人十人がたおれたってかまわない」*2という発言の裏にあったのだと思う。

くどいけど、この本は日本が独立を果たした昭和27(1952)年に書かれたものだ。今75歳の人が生まれたのが昭和9(1934)年、満州事変が一応収まったその翌年だから、彼らが18歳の頃になる。つまり今の老人にとっても、この本は遠いというか、よほど興味を持たなければ読んでいない本だろう。そしてこの本のすごいところは経済の全体像を見失わないよう注意深く物事を見ている、というところだと思うんだけど、その注意の射程は「遠く1930年前後の世界的不況」にまで及んでいる(まあこのときは20年前くらいの話だけど)。つまり、全体像をとらえるには人の一生は基準として小さすぎるし、時に短すぎる、ということだ。まれに老人たちを「粉骨砕身で戦後の経済成長を担った」というように表現する人がいるけれど、僕はなんか失礼だな、と感じる。彼らなりの一人一人の人生があったんだから、それを勝手に了解して全体像に組み込むな、と思う。池田だったらそうはしないだろうと思う。そして彼の考える全体像が控えめにいっても妥当なものだったからこそ、日本の経済発展はなし得たんだろう。なので現在の為政者たちも、個別の現象に拘泥するよりも、全体像の把握に注意深くなって欲しい。そうすれば自ずからとるべき道は見えてくるんじゃないだろうか。

追記:この本には付録として「占領下三年のおもいで」という文章がのせられている。これは実業之日本編集局長山田勝人に池田が語ったことを編集したものだ。これが抜群に面白い。司令部やドッジ、シャウプとのやり取りや、吉田茂との関係などが、そんなにはっきりとは書かれていないけど、ほんのり分かるように書かれている。次のエントリではこの文章について書いてみるつもりです。

さらに追記:補足エントリを書きました。こちらです。

さらにさらに追記:書きました。「『占領下三年のおもいで』について



*1:僕の母が生まれた年だ。

*2:池田は記者クラブの人たちに、無愛想だ、と嫌われていたので、彼らに狙い撃ちにされたようだ。このエントリを参照

2008年5月27日火曜日

ブーチャンの(戦後民主主義的な)冒険

伊藤昌哉著『池田勇人とその時代』を図書館で借りて読んだ。以下、[]内はすべて引用ではなくて要約ってことで。

なんと言っても池田勇人がカッコイイ。というかそういう風に描かれているわけだけど、池田の側近のブーチャンこと伊藤昌哉の思い入れがそれだけ凄いし、池田を通して自分自身を描く、という面もあって、ちょっとやり過ぎ? なくらいカッコイイ。

著者・伊藤昌哉は、西日本新聞東京支社の記者として池田と出会う。当時池田は大蔵大臣、例の「貧乏人は麦を食え」発言の時期だ。なんでも当時の池田は記者に無愛想でなかなか情報をださない記者泣かせな大臣だったとか。で、記者同士であいつ気に入らねえ的なことになって、「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」という答弁が、貧乏人は麦を食え、に生まれ変わってしまったんだそうな。

伊藤に言わせると、池田には戦後民主主義を担うという自負があったという。三閣僚辞任騒動の時の池田の気持ちを代弁して[池田は岸のやり方が気にいらなかった。岸と池田では信じる民主主義がちがう。国民は岸がいうほど馬鹿じゃない]という。また政策で勝負する人であって、党利党略からは無縁であったとも。しかし党務に弱いが故に、常に党内人事では不満が噴出し、政権運営は安定しなかった。そんな中でも池田が求心力を発揮し続け、今日のジャペーインの繁栄の礎を築くことが出来たのは、彼が努力をやめない男前総理だったからだッとブーチャンは熱く語るのであった。

なんでも、自分が努力を続ける、とくに外交はからっきしだったのにブーチャンに促されて随分勉強したらしい、そうなってくると、人の努力や想いに敏感になり、決して見逃さず認めてくれるのだそうだ(うらやましいです、率直に)。総裁3期目、記者に質問されて、[国民が喜ぶあとに喜び、国民が悲しむまえに悲しむようになった。俺も年を取ったのかな]とこれまた男前発言。怒りっぽかった男が忍耐力も判断力もどんどん身につけて、情の人、とまで呼ばれるようになる。伊藤が語る池田は本当にカッコイイ。[総理在職中は待合にもゴルフにもいかない、だって国民はそんなとこで遊べないから][総理を辞めたらブーチャン、二人で全国行脚しよう、若い人と話し合おう] さらに総裁選で必死の工作をしかける佐藤栄作に対する思いを伊藤が代弁すると、(ここはメモあったので引用)「なんでお前そんなバカなことするんだ。そんなことに血道をあげるより、政権を担当するにふさわしい人格の持ち主になれ。そうすれば、いつでも政権など譲ってやる」とくる。うーん、マンダム。

僕はこのかっこよさを割と素直に受け止めていて、そりゃ側近の証言なわけだから真に受けるのはどうかな、とも思うけど、批判的にみればいいってわけでもないでしょう。志だけではダメだ、というのもわかるけど、結果には運不運がつきまとうから、結果だけが重要なんだと言い切れない。自分の乏しい経験から感じるのは、そりゃ結果がでないのもダメなんでしょうけど、志がないのは破滅的だよ、ということ。

評判の悪かった安倍総理も、今評判の悪い福田総理も、志ということでは、いいんじゃないの? と思ってます。安倍総理については高橋洋一氏の本を読んでそう思いました。福田総理については、記憶が曖昧だけど、年金問題について問われて(質問したのは記者じゃなくて議員だったとおもう。でも議会じゃないです)、「きみたち若い人が決めることだよ」とか言ったとき、あ、そうか、と思いましたよ。

本題の経済政策については次のエントリで書きます。