2008年8月7日木曜日

書評・「男の子が心をひらく親、拒絶する親」ウィリアム・ポラック

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男の子が心を
ひらく親、
拒絶する親
ウィリアム・ポラック

男の子たちは「男の掟」を守るために全力を尽くしてしまっている。彼らは傷つき、うつになり、自殺していく。成人男性であっても耐えられないようなプレッシャーに、少年たちは日々さらされている。本書『男の子が心をひらく親、拒絶する親』は、そうした「男の子だから」で済まされてきた彼らの想いを探った本だ。著者のポラックは心理学者で、彼のサイトをみると、少年の発育と教育、男性の性的役割(暴力、自殺、うつを含む)、職場の暴力、ジェンダー研究、子育てなどなど、すごい専門家ですよ的なことが書いてある。本書には臨床心理士という肩書きが最初に来ているので、そこが大事なところのなのかもしれない。本書は多彩な事例が満載で、そこが説得力の源泉でもある。

ポラックが本書で一貫して主張しているのは、男性は「男の掟」に縛られ、不幸な人生を送っている、そしてその苦しみはほんの幼い頃から始まるのだ、ということだ。では「男の掟」とはなんだろうか。
  • 何者にも動じないこと(感情を表に出さない。怒りだけは可)
  • 挑戦的で向こう見ずで暴力的であれ
  • 人の上に立て
  • 女々しくなるな


と、こんな具合。一種の世間体ってことだけども、これに縛られると、男性はつねに他人の目をうかがって生きなければならない。寂しさや不安を誰かと共有することも出来ず、休日にイチゴジャム作りに精を出してもいけない。本書を一読して思うのは、アメリカの学校の「男の掟」って怖ぇー、ということだ。日本の学校でここまでのことってあるかなあと思うけど、コミュニティによってはあるのかも知れない。ただどこだろうと共通しているだろうと思われるのが、掟に縛られると、感情を表に出さなくなるということだ。だから常に不機嫌だし、何を聞かれてもウザったそうな反応しか返さない。なんか自分のことを書いているみたいだけど、まあそうなんですよね。

今も母からメールが来て不機嫌になってるところだし。オレは頑張ってコミュニケーションとろうとしてんじゃん。返事の第一声がそれかよ、という不機嫌。まあ第一声に関しては0点の人だから意外ではないんだけども。親の立場を意識しすぎてしまうんでしょうね、それでこっちはグサグサ傷ついてるわけですが。この、「そんなこと言われたら傷ついちゃうぜ」というのが、男は言い出せない。男の子も言い出せない。幼稚園にいく頃にはもう言い出せない。

女の子に対して、「女は女らしくしろ。男に従え」なんて言ったらもう虐待を疑われてもしかたがない。でも男の子には言う。寂しくて泣いていても「我慢しろ」。早過ぎる親離れを強いられて教室の隅でもどしてしまう男の子は「母親と密着しすぎている。特殊クラスへ入れろ」。

男の子を苦しめるのは悪の化身のような大人たちじゃない。善良で、子供のためになにができるか真剣に考えている人たちだ。しかし、そのような人たちが、男の子と感情的なつながりを保つことに不安を感じている。その不安の原因は何なのか。ま、見栄だったり偏見だったりするんですよねー。

けがをして入院したクリストファー君の話。無事退院したものの、やがてうつ病と診断された。10歳だった。「入院中は両親はかまってくれたが、退院したら妹にばかりかまう。僕を無視している」という。彼はもっと甘えたかったけど、両親はそんなことではやっていけなくなる、と考えた。別に虐待ではない。が、クリスは寂しい、甘えたいという気持ちを表にだせないから、うつ状態になるまで両親は息子の苦しみに気づかなかった。うつ病が死ぬ病気であることを考えるとぞっとする。

甘やかすと依存心が増すというのは神話といっていいのじゃないだろうか。土居健郎の本を読むとそんな感じがするけども。ともかく、この両親が善良な人たちであることは疑いようもないんだけど、「世間でやっていけるかどうか」を子育ての基準にはしないでほしいもんだ。僕の場合だと、両親の離婚もあって20歳ぐらいまでは完全に放置されていたけど、大学を留年するようになって母は僕が「世間でやっていけるかどうか」が気になりだしたみたい。ま、その危惧が現実のものになっているけども。たださんざん放置しといて、高校は酒浸りの日々だった子が大学行っただけで上手く行くとは思えないでしょうよ。

本書の後半には両親が離婚した場合について書かれている章があって、もうここは嘆息しっぱなし。離婚後、子供の面倒を見るのは圧倒的に母親が多いが、母親の負担が激増して子供は放っておかれる。子供と連絡すらとらなくなる父親も多い。この場合、多くの父親がうつ状態になっている。母子家庭にたいする偏見がさらに親子を孤立させる。

世間の圧力と親がどう戦うのか。これが大問題だろうけど、根が深いというか、解決することなんてないんだろう。親が世間体第一で子育てをしていたことを認める、ということは自分の失敗を認めるということだし、そんなのはあり得ない。時が全てを変えるのをじっと待つしかない。

救いがねぇな、と思うなかれ。本書には確かに既に手遅れ(子供が成人してる)な例もたっぷり出てくるけれど、そんな馬鹿げた掟に従わず、勇気と優しさで幸せに生きている男の子たちのエピソードも多い。実にさわやかな話が多いので一つ引用しよう。

 ジェイソンは野球、フットボール、バスケットボール、サッカーの全種目で正規部員として引き抜きを受けた高校スポーツの花形選手だ。その彼が、男子生徒が自由に語り合えるクラブをつくろうと思いついた。
「僕たちはみんな抑圧を感じているのに、それを語る場がないんです。だから、からかう奴は入室禁止という規則にして、誰もがお互いの気持ちに耳を傾けて助け合う場が必要だと思ったんです」
 ジェイソンの提案は校長の支持を得て実行されたのだが、たちまち参加者が殺到して、いくつものグループをつくらなければならなくなった。校長先生は「男の子たちがつながりをもつために自分たちだけの場を望んでいたなんて想いもかけませんでした」と私に語った。


ジェイソン君だから出来たんじゃないの? ともちろん思うけど、彼のようなスターみたいな子でも、やっぱりそうなんだ。「からかう奴は入室禁止という規則」は、ここでは世間体は気にするな、ということだ。そのような場が家庭にあれば、子は強く育つだろう。まずは大人が世間体を家庭に持ち込まないというのはどうだろう。地域社会が衰退しているとか言われてるし、これはどんどんやりやすくなっていると思うのだけど。

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菜根譚
洪自誠
本書は男の子とどう接していけばいいのか、そのヒントに満ちている。何でもいいから共同作業をしなさい。いきなり核心をつく質問をしないで、時間をかけなさい。彼が苦しんでいることを認めてあげなさい。大人でも不安で寂しい時があるんだよ、と告げなさい。などなど。そう、この本は人付き合いの本なのだ。別に男の子だけじゃない。目の前にいる人を人として扱う、そういう本だ。だから『菜根譚』なんかと合わせて読んでみてはいかが?

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