2009年9月25日金曜日

もうドキドキしない・書評・伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』

なんか続けてたのがあったような気がするけど、キニシナイ。

前回のエントリーで飯田泰之先生が紹介していた伊勢田哲治著、『哲学思考トレーニング』を読んでみた。読んでみたらこれがスゴイ本で、なんか僕の関心というか気がかりなことにドンピシャなものだった。この本が新書で買えるというのはとんでもないことなんじゃないだろうか。

cover
哲学思考トレーニング
伊勢田哲治
飯田先生は、本書はタイトルで損をしていると言っていて、それには同感。でも一方で、本書はタイトル通りの本でもあると思う。本書冒頭に、哲学を学ぶと、全体的な状況をとらえて分析する能力が身につく、という話がでてくる。この本ではその能力を活かしたスキルをクリティカルシンキングと呼び、クリティカルシンキングとは「ある意見を鵜呑みにせずによく吟味すること」[p.11]である。「よく吟味する」というのはちょっと曖昧な表現なんだけど、それは、この本で読者がトレーニングするのは、曖昧さだらけの日常の中で全体的な状況を捉えて分析する力だからだ。たとえばネット上で、よく分からない専門用語とか外国の学者の名前が出てくる文章に丸め込まれた経験はないだろうか。僕はしょっちゅうだ。日常に出会う議論は、教科書や論文に載っているものと違って、かなり曖昧さを含んでいる。用語の使い方が正しいのか、そのフランス人はホントに権威ある学者なのか、僕たち素人には分からない。しかしだからといって、全面的に受け入れたり拒否したりせずに、ある程度でいいので妥当性を評価できれば、いい加減な話に踊らされることもなく、本当に大事なことを見失わずにすむだろう。さらにチェックが増えれば、世の中、建設的な議論もぐっと増えちゃったりするんじゃないかな。で、そのための道具がクリティカルシンキングであるわけだ。

あらゆることについて素人である僕としては、専門家やそれっぽい肩書きの人が、「AはBであるから、政府はCという政策を実行すべき」とか「DとEは全くの無関係であり、F氏の主張は言いがかりも同然である」とか言われると、その真偽を確かめるだけの知識がないので、よく分からんがきっとそうなんだろう、ともやもやを抱えつつも説得されてしまうことが多い。もやもやしつつも、結果的には鵜呑みにしているといえる。僕は経済学に興味があるから、経済学っぽい話にはずいぶん振り回された(されてる)。今ではあまりにいい加減な経済学っぽい話は相手にしないようになったけど、以前は国際競争力っぽい話とかにはいちいち必死になって反論を考えていた。元の話がいい加減なんだから、そこで必死に考えたって何にも出てこない。おとなしく教科書開いて比較優位について勉強するべきだった、と今なら思う。

で、本書はその手のいい加減な話から身を守るための道具をたくさん提供してくれる。しかも読んだその日から使える即効性がうれしい。リアルにもネットにもいい加減な議論の種はつきない。そのいちいちにドキドキしたりしてたらきりがないし、結構時間もとられるし、たぶん友達もなくすだろう。私見だが、その手のいい加減な話というのは、妙に脅迫的なところがある。誰が悪いとか、誰が利益を独占しているとか、誰が法をかいくぐっているとか。俺の意見に賛成しないやつは…、と迫られている雰囲気がある。こんな議論に巻き込まれたら、そりゃ友達なくすでしょ? ちょっと脱線するけど、そういうのって急いで言質を取ろうとしているようで(そして言質を取れば何とかなるとでも思っているかのようで)、何かコンプレックスでもあるのかな、と思ってしまう。まあ余計なお世話ですが。

本書のテクニックでもっとも使い勝手がいいのは、誤った二分法というものだ。引用しよう。強調は原文のまま。

 ちなみに、クリティカルシンキングの議論のテクニックの一つとして「誤った二分法」(false dichotomy)を避ける、というものがある。誤った二分法とは、複雑な状況をAかBかというかたちで単純化して、AではないからBだ、と結論する過ちである。人間をすべて敵と味方に二分して、「お前は味方ではないから敵だ」というような判断をするのはこれにあたる。こういう過ちについて知っておくと、相手の議論につい説得されそうになったときに「まてよ」といって考えなおすのに役に立つ。

[p.136]

これはもう今すぐ使えるテクニックだ。誤った二分法を念頭に置いて、最近読んだもやもや文章を読み返してみてはどうだろう。仮に結論が自分にとって好ましいものでも、こういうやり方で説得されるわけにはいかない、と自信をもって言えるようになっているはずだ。

ほかにも様々な吟味の仕方が記されている。中には多くの手順がいるテクニックもあるが、ネットにあふれる、妙な迫力はあるが怪しげな議論を退けるだけなら、誤った二分法をはじめ、比較的簡単なテクだけで事足りるだろう。これはいい! と思ったのは、反証可能性と立証責任だ。どちらもネットではよく目にする言葉だけど、本書ではその日常での使い方を解説している。これらを杓子定規に使ってしまえば全否定となってしまって、結局鵜呑みにしたときと同様、もやもやだけが残るんだと痛感した。反証可能性は強力すぎるので使用するかどうか、よく注意する。そして立証責任は必ずしも「ある」と主張する側にある訳じゃない。大抵の場合、立証が容易である側がすべきであろう。と、こういうふうに曖昧さを許容しつつ、ケースバイケースで対応して、安易に結論に飛びつかない、それが本書を貫く主張だ。つまり、万能な議論の進め方は存在しないのであって、なにやら難しげな言葉を使って断言しているお話には要注意だ。

僕は本書を半分くらい読んだところで、もう一度読みたい、と思うようになった。その頃にははじめのほうを忘れはじめてたから。で、とりあえず一回読んだんだけど、「あとがき」ならぬ「「結局、何がどうだったの?」という人のためのガイド」の中で、二度目に読むときの順序が書いてあって、ホントかゆいところに手の届く本なのです。しかも参考文献が著者の解説付きで載っているので、これもうれしい。英語の本も多いが、英語の本を読むのが趣味の僕には本当にありがたい。自分で探して出会う可能性のほとんどない本だろうから、特にそう思う。

本書は手元に置いておく価値のある本だ。何かもやもやする議論に出会ったとき、この本を片手に検証していくと、それが不誠実な議論であることがよく分かるだろう。そして世のいい大人たちがいかにいい加減な議論をしているのか、ということもよく分かってしまうだろう。それでも彼らが何かいっぱしのことを言っているように見えるのは、普段から偉そうに振る舞うなどして努力してるからだ、ということも、知りたくもないけど、分かってしまうだろう。さらに、自分が調子に乗って不誠実な議論をしてきたことも思い出すだろう。だからこそこの本は、難しげな用語や肩書きに弱い僕のような人にとって必携だ。

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