選択と集中。
選択と集中を迫られているような気がする。
行った事ないけどカジノにルーレットがあるわけですよ。カジノのルーレットには答えが必ずある。19とか赤とか。それでも一点買いなんてしないんじゃないかな、よくしらないけど。
ルーレットみたいに正解が必ずあるものに賭けるときだって集中は避けるでしょう? 僕なら避ける。なのに人生みたいなルーレット以上には複雑かもしれなくて、しかも全員不正解もあり得そうな勝負で一点買いはないよね。リスクでかすぎじゃん。不正解の結果が生卵一気飲みぐらいならいいけど、何かプレシャスなもの、何十年という時間とか健康とかをつぎ込んだ賭けだと目も当てられない。
大きな組織もそう。傾斜生産方式ってしない方がましだったんじゃないか、成功例が思い浮かばないんすけど。この前の戦争(WW2ね)だってそう。間違った選択があり得て、しかもその代償が大きすぎる時、何も選択しないってのもアリでしょう。たぶんサンクコストの誤謬*1が、過去の選択を侵してはいけないものに見せてしまうんだろう。
偉い(あるいは偉そうな)人たちは選択と集中が大事とかいうけど、実際に出来てるわけでも、出来たわけでもない。なのに僕たちに押し付けないでほしいなあ。
*1過ぎた時間も使った金も帰ってこない。だから今、最も妥当な選択をすべき。ということが見えなくなってしまうこと。『注文の多い料理店』に入ってしまったら、「せっかくここまで来たんだし」とか「やっと予約取れたし」とか言ってないでさっさと逃げ出しましょう。
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