FRBがゼロ金利と量的緩和政策を宣言した。バーナンキさんはFRBの議長になる前、日本に対して量的緩和政策を説いていた。それを自分の国で実行したわけだ。その内容はまさにリフレ政策だ。量的緩和政策は日銀が初めて行ったことで有名だが、今回のFRBのそれはもっと本格的なものだ。どの程度実施するのか事前に決めていない、つまり事態が改善されるまでやる、という力強いもので、腰の引けた日銀バージョンとは大違いだ。
日銀はこの期に及んで何もしない、何かしても出し惜しみしすぎて評価されないという情況が続いていた。これで追い込まれた感じですなあ。実際に日米の金利差が逆転してしまったんだから。体面ばかりにこだわって戦力の逐次投入した挙げ句こんなことに。日銀ざまぁ、日銀涙目(って実際に苦しんだのは国民であるわけだから笑ってられないんだけど)。
さらに今回の危機で、普段から金融政策なんか効果ないよ、リフレ派ってばかじゃないの的な悪口をいいつのってきた経済学者(とか評論家とか)が次々に転向しているのだという。「今更かよ」と思うのは、まあ人情として有ります。だってリフレ派が言っていたことは経済学の教科書に書いてあることなんだから。それを「根拠が無い」とか言われてもね。コーゾーカイカクをすれば景気が良くなるって話のほうが根拠が無いじゃんか。
しかし危機に態度が変わるのは当然のことだから別にいい。問題は彼らが今の今まで危機だと思っていなかったってことだ。失業率が高止まりし、自殺者の数も減らず、アメリカ頼みの景気で、出生率も低い。これが彼らにとって危機ではなかったというのが驚きなのだ。
僕はリフレ政策が需要を喚起すると考えているので、リフレ政策がこういった苦境から脱出するための基礎になるだろうと思っている。
話変わって、どの本か忘れてしまったのだけど、幸せな人はどんな人か、という話があった(タレブだったような気もするけど、不確かです。)。幸せな人は、大切なことにはすごくこだわるが、それ以外のことにはとことん無頓着であるという。つまり、人の生き死にはもちろん、人の気持ちにすごくこだわるのだという。寂しい思いをしていないだろうか。辛い日々を過ごしているのではないだろうか。そうやって人を思いやっているのだそうだ。そしてその一方で、表面的なこと、例えば収入が、学歴が、外見が、というようなことには全然こだわらないのだという。
日々生きて、楽しんでいることこそが大事なのだ、とそういうことだ。でも、子供が欲しいと思えばどうしたってお金がかかる。仲間と過ごそうと思ったってお金はいる。バブル崩壊以降、不景気のツケはほとんど若者が支払ってきた(不安定な雇用や低賃金、子供をあきらめるという形で)。こんなことが十年以上続いている。これを大切なことの危機と見ないのであれば、それはきっと不幸な人なのだろう。人の気持ちよりも体面を保つ事に汲々として年を取っていくのは、それはそれでつらいものだろう。
が、盛者必衰。戦後育ちの老人たちの天下もいつかは終わる。それが終わった時、僕らが体面にこだわっているようなら、僕らの負けだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントをどうぞ。古い記事でもお気軽に。