何せ五千円以上もする本なので図書館で借りて、で、もうすぐ返さなければいけないので、急いで感想など。
ケインズの闘い ジル・ドスタレール |
そのケインズの考え方の基本は、「不確実性の性格を考慮すると、将来の善のために現在の幸福を犠牲にすることには危険がともなう」[p.208]というものだ。有名な「長期的にはわれわれは皆死んでいる」というやつですな。この考え方があるので、彼は計画経済、つまり共産主義を敵視したし、物事が時空を超えて理論通り振る舞うと信じきっている古典経済学を攻撃したわけだ。
とはいえ、ケインズとその仲間たちの話もかなり面白い、が、それは実際に読んでもらった方が100倍楽しいこと間違いなしなので書かないで、ここではケインズとケインズ以前の経済思想をさくっとみてみよう。僕は経済学を専門的に勉強したことはないので、まったく的外れなものになる可能性大なのでご了承を。
なんといっても経済の大問題は失業だ。失業を放置すればやがて国が傾く。では、ケインズ以前の経済思想は失業をどうみていたのだろう。
セイの法則で有名なフランスの経済学者ジャン=バティスト・セイは、供給があればそれと同じだけ需要もあるので、非自発的失業は存在しない、という考え。ま、古典的ですね。無茶いうな、という気もします。
次にデイビッド・リカード。イギリスの人ですね。ミスター比較優位。彼は、生産力が短期的に跳ね上がると失業が発生することがある、が、需要が足りないということなどありえないと主張。リカードはラッダイト運動(紡績機ぶち壊し運動)にある程度共感してたそうで、これは驚きだった。なんとなく自由主義を愛するオジサン、というイメージだったので技術革新にはもちろん肯定的なのかなと根拠なく思ってた。やり手の商人だし。
セイとリカードに共通しているのは、需要不足の否定、だ。貯蓄は将来の消費であるから、その分需要を生む。なので貯蓄=経済発展。だから金持ちの貯蓄は美徳である、と。
そして最近じゃすっかり偽予言者扱いのマルサス。この人もイギリス人。彼は貯蓄の購買力(お金の量)だけが問題なのではなく、買う意欲も重要だ、と考えていたそうで、つまり有効需要のアイディアですね。お金を貯めるだけで使わない人がいれば、そのお金の分失業が生まれる。買う意欲(=需要)が足りなければ失業が発生してしまう。だから買う意欲のないケチンボをなんとかしなきゃ、と。
そしてケインズはこのマルサスの考え方を完全に受け継いでいて、その最も過激な主張が、金利生活者の安楽死、というアイディアだった。まあ本気かどうか知りませんけど。さらにマルサスといえば『人口論』、人口は幾何級数的に増えるけど食物は算術級数的にしか増えないからアレだ、というアレですがケインズはこの見方にも共感していたそうな(wikipediaのリカードの頁をみたら彼もマルサスの人口論には賛成していたそうです。当時はすごく説得力が感じられたんですかね)。
雇用・利子 および貨幣の 一般理論 J・M・ケインズ |
ケインズによれば経済を発展させるのは貯蓄ではない。貯蓄はケインズが唾棄しつつも慣れ親しんだヴィクトリア朝のいやらしい偽善的な道徳であって、人々にとって有害である。アニマルスピリットに導かれた投資こそが経済を発展させる。また、貯蓄は格差をいっそう拡大し、永続的なものにしている。だからこそ、金利生活者に安楽死を、という過激な主張がうまれたようだ。
ケインズ自身はエリート主義な人だった。そのせいか労働者の自己責任みたいな話には我慢ならなかったようだ。本書の最後の文を引用しよう。
ケインズの見るところでは、貧困・不平等・失業・経済恐慌という問題は、外生的な偶発事でもなければ、不節制に対する懲罰でもなく、むしろそれは、十分に組織されていない社会や人間的誤謬の結果である。したがって、大きな改革の実行によってそうした問題を緩和すること、あるいはそれを解消することは、都市国家に集結した諸個人の手にかかっている。このような改革は、われわれが今日知っている資本主義経済の状況のなかで可能なのだろうか。ケインズは、それが可能であると信じていたか、あるいは少なくともそうであることを望んでいた。<福祉国家>の確立は彼が正しかったことを証明したように思われたけれども、情勢は一変した。それでもなお、資本主義の健康状態についての彼の診断ーー今となっては半世紀以上も前に提示されたことになるーーは、これまでよりもさらに適切なものとなっている。将来に何が起こるかを知っていると主張することは、誰にもできない。しかしながら将来をつくることは、われわれの手にかかっている。おそらくこれが、ジョン・メイナード・ケインズの主要なメッセージである。
[p.570]
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