2009年1月5日月曜日

"Hare brain, Tortoise mind"を読んだ その2 d-modeとは何か

(1/7 一部表現、タイポを修正しました。)

続きものです:その1

cover
Hare brain,
Tortoise mind
Guy Claxton
さて、Claxtonが言うundermindは無意識と同様に、脳に実体があるわけじゃなくて、機能というかそういう働きを結果的にしている現象みたいなことなんでしょう。彼の言うd-modeのスイッチが入ると、undermindが十分に働かず、人は自分を見失ってしまうのだという。

で、人が意識できる意識という感じのd-modeは一体どんなもので、何故これが現代人の人生への不満のもとなんだろうか。今回はd-modeの特徴をまとめてみる。以下は7ページから12ページに載ってます。

長いので、始めに要約してしまうと、d-modeは計画や計算や分析をする機能であり、言葉にならない想いや状況を極端に嫌う、ということのようだ。では具体的に見ていこう。

D-mode is much more interested in finding answers and solutions than in examining the questions.

試訳:d-modeは問題を検証するよりも答えを見つけることを優先する。


結論に飛びついてしまう。手近な言い訳で納得してしまう。よくあります。

D-mode treats perception as unproblematic.

試訳:d-modeは感じたことを事実として扱う。


自分が抱いた印象を事実であるとして疑わない。もっとよく見てみれば事実は別のかたちをしているかもしれないけど、よく見ないで決めてしまう。戦国武将の思惑を語る人、みたいな。

D-mode sees conscious, articulate understanding as the essential basis for action, and thought as the essential problem-solving tool.

試訳:d-modeは、物事の意識的で明確な理解が行動や思考に欠かせない基礎であり、問題解決にとって不可欠な道具である、とする。


ここだけ読むと、そりゃそうだろ、と思うのだけれど、要は「方程式とフローチャートと難しい専門用語」を駆使すれば何でも出来る、という態度のことだそうだ。仮説を検証せずに突っ走ってしまう状態*1

D-mode values explanation over observation, and is more concerned about 'why' than 'what'.

試訳:d-modeは観察より説明に価値をおく。そして「何」よりも「なぜ」に関心を持つ。


何が起こっているのかよりも、その理由を知りたがる。そして言葉で表現できるものにこだわる。言葉で表現の難しいものは、ハナから存在しないものと見なす。

D-mode likes explanations and plans that are 'reasonable' and justifiable, rather than intuitive.

試訳:d-modeが好む説明や計画というのは、「合理的」で正当化ができるものであって直感的なものではない。


簡単に言えば、○○博士が言ってました、と付け加えると、ぐっと説得力が増す、ということ。

D-mode seeks and prefers clarity, and neither likes nor values confusion.

試訳:d-modeは明快さを求め選び取る。が、混乱を好むことも意味の有るものとすることもない。


つまり試行錯誤を好まない。問題を把握し、分析し、解決する。寄り道も、新奇な道も避ける。○○博士がやった通りに進む。

D-mode operates with a sense of urgency and impatience.

試訳:d-modeが活動している時は、時間が無いような、待っていられないような感覚が伴う。


自分にとって重要ではない、と感じていると、さっさと答えをだそうとしてイラついてしまう。問題は自分にとって何が重要なのか、そう簡単にはわからないってことだろう。だからd-modeは僕たちに、いつだって「どんな種類の苦境」でももたらすことができる。複雑な問題にも安易な答えを要求してしまうというのは、たとえば、政治家=悪、みたいな単純なものの見方をしてしまうということだろう。

D-mode is porposeful and effortful rather than playful.

試訳:d-modeは意志が強く、努力型である。遊び心とかは無い。


こうして見ていくと、d-modeには一般的に言われる長所が多いな、と思う。が、この意志が強く努力型、というのも常に時間に追われている感覚があるからこそ生まれた特徴なのだという。つまり、時間に追われているからこそ、答えが早急に必要となるわけだ。たとえ取り組んでいる問題が「人生の意味」であったとしても。

D-mode is precise


d-modeは精確である、と。きっちり測れるものを好むということのようだ。これは人間の計算能力の限界のためだろうな、と思う。経済学では、現実の経済現象は複雑すぎて手に終えないので、モデルを作って分析するわけだ。ただそれがモデルであって現実ではないということを忘れがちになることも多々有る。統計が精確だから現実だ、ということにはならないんだけども、なんかそんな感じがしてしまう。

D-mode relies on language that appears to be literal and explicit

試訳:d-modeは文字通りで明快に見える言葉に頼る


「見える」というのがポイントだろう。そのように見えていれば、ホントに明快である必要は無いわけだ。構造改革とかバラマキとかね。その一方で曖昧さや比喩は疑うのだという。詩なんかもう最悪。

D-mode works with concepts and generalizations, and likes to apply 'rules' and 'principles' where possible.

試訳:d-modeは概念と一般化を武器に機能する。また、ルールや原則をギリギリまで適用したがる。


具体的なことは嫌いで、抽象的な話が大好きなd-mode。「労働力」とか「合理的な消費者」とか、「典型的な教師」、「環境」、「休日」、「感情」などなど。そういえば以前、ダウンタウンの松本人志が「休みの日何してるんですか、という質問が大嫌い。その日によって違うから」と言っていた。抽象的な話=万人に共通、というルールを適用してしまうことはよくある。

意識できる思考とそうでない思考を分けるのは思考のスピードである、とClaxtonはいう。ものすごく速い思考、つまり反射は、速すぎて意識がとらえることは無い。同様に、非常にゆっくりとした思考もまた、意識できないのだという。どちらにも概念と一般化という武器が通用しないので、予測が立たず、答えが出なくなってしまうから、d-modeはそれらを嫌う。抽象的な言葉を用いれば、あとは演繹的に答えが出てくるわけだから*2、ある意味で言葉に従属的な立場、といえる。

D-mode works well when tackling problems which can be treated as an assemblage of nameable parts.

試訳:取り組んでいる問題が、名付けられた部分の集合体として扱えるとき、d-modeは良く機能する。


d-modeは分割して統治するのが上手いというわけだ。なんだか分からないものは分割できない。「分かるというのは分けられる、ということなんですな」って桂枝雀が言ってた。ただし分割するためには言葉が必要だ。そして言葉が扱える複雑さには限度がある。例えば「あきらくんはおじいちゃんが会計士さんの牧師さんはいい人だという発言をまにうけているのを白々しく思った」という文はどうだろう。まだなんとかいける。ではさらに、「おまわりさんは洋子さんがまことくんのあきらくんはおじいちゃんが会計士さんの牧師さんはいい人だと言う発言を真に受けているのを白々しく思ったことを言いふらしているのを咎めると笑った」*3と、このようにだんだんと複雑さが増していけば、すぐに誰が何をしているのか分からなくなってしまうだろう。

さて、長々書いてきたこういった特徴が、僕たちのd-modeにはある。ではなぜこんなイヤな上司みたいな機能がたっとばれるようになったのか。Claxtonは、17世紀以降、時間が貴重なものとされるようになったことに一因があるという。時間が無いことは無茶苦茶やるための格好のいいわけになる、というわけだ。

そして物事を知る方法は一つしか無い、つまりd-modeを使うしかない、というのは欧米文化の偏見である、とClaxtonはいう。ゆっくりと知る方法もあるのだ。

長くなりましたがここで終わりです。次のエントリではd-modeの弱点と、亀さん登場です。

書きました:その3


*1 「1940年体制」とか「中国発デフレ」なんて言葉が思い浮かびました。

*2 バラマキ=悪ならば、定額給付=バラマキ=悪、定額給付=悪となるわけだ。高い学歴=優越ならば、とドンドン続く。

*3 これを書いているとき、谷川俊太郎・和田誠『これはのみのぴこ』を思い出しました。

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