Hare brain, Tortoise mind Guy Claxton |
認知科学の成果を一般に紹介する、みたいな本で、コーディリア・ファイン『脳は意外とおバカである』や、池谷裕二『脳はなにかと言い訳する』のような感じ。ただし十年前の本なので最新情報というわけにはいかない。とはいえ、ダニエル・カーネマンやエイモス・トヴェルスキーの研究も出てきたりして、話題の行動経済学にも通じるものがあったりもする。著者のGuy Claxtonは心理学者で、基礎的な教育が研究対象だそうだ。
正直なところ僕はこの本を読み終える気がしなかった。もうすごい難しいんだもの、英語が。主語があって述語が出てくるまで三行くらいあったりしてさ、もう忘れちゃうよ、主語。だからひと月かけて読み終えたとき、満足感なんて微塵も無くて、ホントに読んだのかオレっていう感じで手応えなしでした。
で、認知科学とか行動経済学とか呼ばれる学問の一端が一般に紹介されると、その度に驚きもあるし考え方を変えなきゃいけないこともある。それでも、じゃあどーしたらいいのよ、という疑問が解消する事はなかったし、その為のヒントさえも滅多に得られない。それはたぶん、実験室の脳と実際の脳*1に差があるからなんだと思う。なので、人間の本性が実験であぶり出されても、僕たちがその結果を活かすには通訳のような実践者のような人*2が必要なんだろう。
で、この本はその学問の結果を活かす事を真剣に考えている。目標は、言うなれば、詩人の様に考えること。たとえば、人が閃く仕組みを考察し、古典や先人たちの言葉を参照して検証する。そうすれば詩人の心が得られるというわけだ。
本書のタイトルはウサギと亀のお話からつけられていて、「ウサギ脳と亀ゴコロ」とでも訳しましょうか。
Claxtonは本書で二つの造語を使って、脳の機能を説明していく。一つ目は"undermind"で、こちらが亀だ(こち亀だ)。試みに訳せば下心、じゃなくて「奥心」という感じでしょうか。無意識というより、無意識の持つ機能という感じ。奥心こそが知性なんだよ、ということが言いたいらしい。で、二つ目。意識的に計算したり推測したり決断したり記憶したりする能力を、"d-mode"と呼んでいる。"d"は"deliberation"=熟考と"default"=初期設定から取られている。こちらがウサギ。脳にはウサギと亀、二つの機能がある。人はこの二つの機能を使って、感じたり学んだり考えたりする。で、この本のメインとなるメッセージは、
D-mode and the slower ways of knowing work together, but they can get out of balance, and lose coordination.(p.86)
試訳:d-modeとゆっくりと学んでいくやり方は、ともに協力して機能するものだが、バランスを崩し、協調を失うこともある。
という箇所がよく表していると思う。「ゆっくりと学んでいくやり方」は僕の訳がヒドいが、"undermind"、つまり亀のことだ。Claxtonは現代の欧米文化は、d-modeの能力を過大評価している、という。それこそが、現代人の人生に対する不満や恐怖、不安や絶望につながっているのだ、と。また、本書でもそのようなd-mode偏重文化を作り出した犯人として、デカルトがあげられている。なんか最近読む本はデカルトの悪口しか書いてないよな、と思うのであった。
んで、ウサギと亀のバランスをとる、というのが目標なわけだけど、じゃあd-modeとはなんなのか。どんな特徴があるのだろう、というところで今回は終わります。
書きました:その2 その3
*1 マッドサイエンティストな話じゃなくて、やっぱり実験室で起こることは現実の模倣であって、現実とは違うんじゃないですか、ということ。
*2 マインドマップのトニー・ブザンとか、『影響力の武器』のロバート・B・チャルディーニとか。
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