2009年10月2日金曜日

殺人の条件・書評・河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』

cover
安全神話崩壊の
パラドックス
河合幹雄
 90年代後半から犯罪が激増したとか、増えはしてないけど凶悪化した、という説は誤りである。これはもう旧聞に属すると言っていいだろう。しかしそれでは、何がどうなってそのような説が世に出てきたのだろうか。今回読んだ本、河合幹雄著、『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』はその疑問にとても真摯に取り組んだ労作だった。本書を読んだ率直な感想は、増えたとか増えてないとか、そんなに簡単に言うんじゃない! というものだ。
 
 本書は前半と後半に分けられる(と僕が勝手に思ってる)。前半では統計資料をこれでもかというくらいに丁寧に読み解き、これでもかというくらい丁寧に解説される。後半には日本が安全な社会である理由、そしてその社会はこれからも安全なのかという問い、さらに今後どうすべきかについての指針の提案、となっている。

 前半の統計分析だが、これが実に見事だった。著者も書いているんだけど、専門家でもここまで詳しく見ている人はほとんどいないだろう。たとえば1996年から、確かに増えている犯罪がある。強姦だ。しかしここで統計の数字を真に受けるのはまだ早い。強姦には暗数、つまり被害者が泣き寝入りして発覚していない事件がかなり多いと考えられる。そして、

強姦被害の泣き寝入りは減少してきているという感触もあるが、それが正確に何年からなのかは見当がつかない。これがもし1996年であれば、1996年が最低となり、その後が増加傾向にあることの一つの説明とはなりうる。被害者への社会的注目を受けて、性犯罪被害者の話を聞く警察の担当者が、ほぼ100%男性であったのを改め、希望者には女性捜査官が聴取にあたるように変えたことは、被害届を増加させたかもしれない。この動きの完成は2002年いっぱいまでかかっているが、開始したのは、おそらく警察庁が「被害者対策要綱」を作成した1996年2月以降であろう。認知件数増加時期とは一致している。いずれにせよ、強姦認知件数の変化は、放火同様、経年変化を論ずるには正確性に問題がある。

[p.37]

 僕はこの説明を読んで、正直、犯罪が激増したと主張した人を責められないな、と強く思った。こりゃ絶対見抜けない。統計ってのはおっかねえなあと改めて思う。他にも90年代後半から統計上激増した犯罪がある。それは強制わいせつと器物破損だ。強制わいせつについても、痴漢被害者の扱いが近年改善されたことで、暗数が表に出てきたと考えられる。器物破損については、深夜に車が傷つけられた、というようなケースが多いようだが、この場合保険金の支払いの条件として警察への届け出が必要になっているそうで、保険の充実も認知件数増加の一因であろう。ここでもうすでに、こんなの見抜けるかあ! と言いたくなるんだけど、この二つの犯罪の増加はもっと急激なので、さらに別の理由がありそうだ。それは、警察が「前さばき」をやめたことだという。
 
「前さばき」とは、たとえば、上記のような自動車損壊事件のように、逮捕できる可能性が低い場合、書類を作らないで済ますことをいう。これは、手間をはぶいて、より逮捕可能性が高い、あるいは、逮捕の必要性が高い事件に人的資源を投入するために行われてきた。むろん、事件すべての増加の原因がこれあるとは言えないが、このような要因が混入してしまっては、犯罪実数の経年変化の検討には使用できない。

[p.41]
 
 さてこの「前さばき」は何で行われなくなったのだろうか。警察がそんなことを発表するわけはないから、当然予測をするしかない。殺人を除く各種の犯罪が一斉に激増するのは2000年。
 
(警察が:引用者)前年の1999年10月の桶川ストーカー殺人事件等への対応として、被害届を原則すべて受理する方向になったのであろう。なお、統計の取り方が年初に変わったのではなく、たとえば4月からであると、2000年には、その変化の8ヶ月分の影響が出て、2001年には12ヶ月分の影響がでる。したがって、2001年もかなりの増加があるのは、そのためと理解可能である。この仮説が正しいならば、2002年には落ちつくはずだが、一般刑法犯の増加傾向はわずかになっている。そこで警察庁の『犯罪統計資料』によって月ごとの認知件数を調べてグラフ化した(図は略です:引用者)。見事に2000年4月から5月にかけてジャンプしているが、それ以外は月ごとに横ばいであることが確認できる。4月に通達が出されそれが5月に各警察署に浸透し、安定状態に達したのであろう。統計の取り方に変化があったことに十分注意する必要がある。

[p.44]

 ここまできてしまえば、素人が統計の数字をもてあそぶことの危険性、赤っ恥確率の高さにドキドキしてしまう。というか、プロだって数字の変化を追うだけということも多いんじゃないだろうか。現実に何が起きているか、それはわからない。だから統計を使うわけだが、使ったからわかるということでもない。自戒を込めて、数字の扱いには要注意、と書いておこう。
 
 では凶悪化のほうはどうだろう。これはもう殺人事件の数で調べるのがいいに決まっているのだが、これもまた困ってしまう話ばかりなのだ。殺人事件は年1300件以上ある。すごく多く感じるが、実はこの数字には殺人未遂も含まれている。そして、驚いたことに、実際に人が殺されてしまった殺人事件(?)の統計は存在していない。
 
そこで、殺人によって殺された被害者の数を調べると、最近は600人台である。一度に何人も殺すことは可能だが、ほとんどの事件で、一事件で一人の犠牲者であろうから、殺人既遂事件数は、600件台かと思うとそれも大きく違う。この600件余りの内、最大のカテゴリーは心中である。

[p.48]

 これは子供を殺して自殺したケースや、親の介護に疲れ殺し、自分も自殺しようとしたが果たせなかった、というようなケースだ。なんというか、刑事ドラマの題材にはなりそうもないやるせない事件であって、一般に殺人事件と言ったときのイメージとはだいぶ違う。

 では量刑から見るのはどうだろう。殺人事件の検挙率はほぼ100%であるから、1300件ほとんどすべてが解決している。が、実際に刑務所に行くのは、たとえば2001年には583名だという。殺人を犯しても半数が刑務所に入っていない。そもそも判決が出たケースが731件で、そのうち135件で執行猶予がついている。判決が出ていないケースが600件くらいあるが、被疑者死亡(親子心中のケースなど)、心神喪失で不起訴、嫌疑不十分で不起訴または起訴猶予がそれくらいある。
 
殺人で執行猶予どころか起訴猶予があるのは驚きかもしれないが、むしろ、殺人事件には、加害者に同情すべき事情がある場合が多い。前期の介護がらみの事件は、社会にとっては実刑の必要はないが、本人が執行猶予されて帰宅したときに自殺といった結果を防ぐために、極めて短期の実刑にされたりする。誰かが面倒を見てくれるようだと執行猶予であろう。起訴猶予は、公判がないためにデータがなく、想像するしかない。唯一わかっているのは、心神耗弱による起訴猶予(2001年は3件)である。暴力団による殺人事件なのに起訴猶予がいくつかあるのは、組長に殺害を指示され拳銃を渡されたが実行できず、組にも帰れず警察に駆け込んだというようなケースであると想像する。拳銃を受け取った時点で殺人予備罪であるから統計上は殺人事件一件となるが、世間常識からすれば、殺人事件は回避されたと評価するのが常識にかなっていると考える。確かに、なるべく実行を思いとどまって警察に駆け込んで欲しいという刑事政策的観点からしても、また、拳銃の受け取りを拒むことが事実上は不可能であることも考えあわせれば、起訴猶予は頷ける。

[p.50]

 で、結局殺人事件らしい殺人事件はどれくらいなのだろう。これは本書を読んで欲しい。というかもう引用しすぎて疲れちゃった。本書後半の議論は前半ほどの説得力は感じなかったけど、妥当と思える指摘も多かった。前半以上に推測しなければならない要素が多いので、受ける印象は人によって大きく異なるのは当然だろう。面白かったのは、世話人が問題をなかったことにしてしまうという日本社会のシステムが、いや、これも読んでもらうしかないだろう。
 
 本書は残念なことに値段が高い。ので僕は図書館で借りた。一般の人が広く読むべき本であるけれど、3,500円はちょっとね。ちくま文庫で上下巻、みたいにできないでしょうか。社会科学の入門書としてもとても優れていると思います(ただ本文の最後に謎のデフレ礼賛があるのはご愛敬。アレはいくら何でも唐突すぎる。これだけ慎重に統計を分析しているのにそりゃないぜ)。

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